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  •  流れ

    今日は仕事が休みですので、自宅でぼ〜としながらコーヒーなどすすっております。

    窓からは川がよく見えます。

    川の流れを見ていると、蛇行したり、瀬があったり、深みがあったり、

    底の形状や魚の泳ぐ姿までイメージ出来るような気がしてワクワクしてきます。

    滞りなく流れているところは水に動きがあります。

    動きがあるところは酸素の量も多く、水も生き生きとしています。

    一方、流れに滞りのあるところは、澱んでいてあまり動きがありません。

    そして、流れを完全に止めてしまえば川が死んでしまいます。

    流れているところには動きがあり、

    動きがなくなったということは死んだということです。

    当たり前のことですが。

    また、川の周りにも流れがあります。

    風の流れ、空気の流れ、時間の流れ ・・・ 目に見えなくても流れています。

    目に見える流れと見えない流れ。

    これが理解出来ると臨床の質も格段に変わるのかもしれません。

    中谷之美

  •  内なる波動

    「・・・すべての治癒力、あらゆる種類の治癒力とは、

    内なる波動を変えることである。

    すなわち身体の生きた組織の中にある聖なるものを

    創造的なエネルギーへと同調させることである。

    それだけが治癒となる。

    たとえ薬を使用しても、または手術によって治癒したとしても、

    あるいは他のなんらかの方法で治癒したとしても、

    生きている細胞の諸力の原子構造を、

    その霊的資質に同調させることによって治癒しているのである」(健康ハンドブックより)。

    これは「眠れる預言者」と呼ばれる

    エドガー・ケイシーが行ったリーディングの一節らしいです。

    内なる波動を変えること。

    ケイシーのような特別な能力がなくても、

    臨床家であればその方向へ何とか導いていきたいものです。

    その為の方法は何でも構わないのかもしれませんが、

    カギはきっと自然法則(息・食・動・想)にあるはずです。

    精進しなくてはなりませんな。

    中谷之美

  •  あの世とこの世 2

    橋本先生はあの世について

    「みんなが行くところだから気持ちのいいところ」と言われていたそうです。

    こんなにありがたくって、安心できる言葉はありませんね。

    更に、死ぬ瞬間も最高に気持ちがいいらしい。

    でも、あの世とこの世は表裏一体ですから、厳密には死なんてものはなく、

    肉体という仕事着を脱いで、我が家へ帰っていくだけなのかもしれません。

    元へ戻る(家へ帰る)ということは気持ちがいいものであり、

    これは操体臨床そのものだと思います。

    夕焼け 小焼けで 日が暮れて

    山のお寺の 鐘がなる

    おててつないで みなかえろう

    からすと いっしょに かえりましょ 

    (夕焼け小焼け 作詞 中村雨紅 作曲 草川信)

    幸いな吾が家に、母なる自然法則の懐に 〜 橋本敬三先生 山寺の晩餐より

    中谷之美

  •  あの世とこの世 1

    ワタシはたまにあの世とこの世について、ぼや〜と考えます。

    天外伺郎氏は著書(宇宙の根っこにつながる生き方)の中で

    あの世とこの世を電磁界とテレビの画像として例えているのですが、

    「なるほどなぁ」と思いました。

    第一に電磁界は目に見えないけれど確実に存在している。あの世も同じ。

    第二に電磁界とテレビ画像は一対一に対応している。

    電磁界がなければテレビ画像も映らない。あの世とこの世も同じ。

    第三にテレビ画面の中の物体はあらゆる空間に広がる電磁界全体のなかに

    たたみ込まれていて分離できない。あの世とこの世も同じ。

    ワタシ達がこの世に生まれてくるのはテレビのスイッチを入れた状態だということで、

    スイッチを切れば消えてしまう。ですが、スイッチを切っても電磁界はなくならない。

    つまり、もう一人の根源的な自分は、生死と無関係にあの世に存在しつづけるわけで、

    あの世もこの世も分け隔てはないということです。

    ワタシ達は今、この世で生きていると同時にあの世でも生きている。

    更に、あの世には時間という概念もなく、この世の全てがたたみ込まれている。

    わかるようでわかりませんが、この微妙なところが楽しいのです。

    操体も同じようなものではないでしょうか。

    中谷之美

  •  夢

    今週は中谷が担当させていただきます。よろしくお願い致します。

    昨日みた夢です。

    既に亡くなったある治療法の先生がニッコリ微笑んでワタシに言いました。

    骨盤に3つの矢印を書き込んで「このベクトルだよ」と。

    ワタシはすかさず「治療を見学させて下さい」と言いました。

    先生は「着いてきなさい」と言って歩き出し

    4、5人の見たことがあるような、ないような人達と一緒に海辺に到着しました。

    海辺には何件かの宿があり、その中で真っ暗の宿の中にみんなで入りました。

    中に入って大きな窓を開けると、白いレースのカーテンが風になびき

    そのカーテンの中に丸い棒状のようなモノが次々と突き刺さってきました。

    「これは何だ」と思っているうちに、真っ暗だった辺りが一気に明るくなり

    みんなが笑いながら何かを話しています。

    「ψ×ШЁ♂Ωξ・・・???」。

    でも、何故かその内容は聞こえないのです。

    目覚めた後は何かがわかったような、わからないような。

    今日みた夢です。

    白い着物のようなものを着た人達が、

    足に薄いオレンジ色をした布のようなものを着けて、ゆっくりと歩いています。

    ワタシはその足の運びを、じ〜と観察しています。

    その足の運びは地面をするように前から外へ流れるような動きです。

    その動きはどこかで見たことあるような、ないような。

    周りにいる人も見たことがあるような、ないような。

    夢は何らかのメッセージみたいなことを聞いたことがありますが、

    内容は意味不明なことも多く、毎度のように憶えているとも限りません。

    でも、こんな所からも何らかの臨床のヒントが見つかれば楽しいものです。

    次は橋本先生のご登場を期待しております。

    中谷之美

  • 小さい秋

    10年程前だったか、友人から一枚のCDを借りた。
    矢野顕子の「Oui Oui」だった。

    もちろん名前くらいは知っていたが、ちゃんと聴いたことはなかった。

    それまではユニークな歌詞の歌が多かった印象があった。
    「ラーメンたべたい」とかシチューのCMの曲とか。
    はなまるカフェの曲とかもあったか。

    その友人も人から勧められたらしいのだが、その人の話によると、彼女は、日本を代表する天才ミュージシャンだという。
    「ふ〜ん、そんなもんか」と、その場は話半分に聞いていたのだが。
    それから、ハマった。
    食わず嫌いだったのだろうか。

    実際、プロのミュージシャンの間でも、天才との評価は少なくないようだ。
    素人よりも玄人受けするのかも。
    いわゆるミュージシャンズミュージシャンというものだろうか。

    彼女のレパートリーの中には、カバー曲や、民謡を題材にした曲等もあるが、うまく取り入れて自分のものにしている。

    彼女が取り上げた時点で、それらは矢野顕子の音楽になる。

    中には、別の曲かと思うくらいにアレンジされているが、原曲の原点というか、発露みたいなところは大事にされてるなと思う。

    ただ、カバーとはいえ、他の人間には歌えないものになっているのは面白い。
    ジャンル、矢野顕子


    (ラーメンたべたい 矢野顕子http://www.youtube.com/watch?v=SWq5ayuXXrw


    (ばらの花 くるりhttp://www.youtube.com/watch?v=lSF8acaXgpE


    (小さい秋みつけた 童謡)http://www.youtube.com/watch?v=oZkxLaVRrgE

  • クマソからハヤトへ 3

    熊襲ヤマトタケルに征伐されたことになっている。

    「西の方に熊曾建二人有り。是れ伏はず禮なき人等なり。故、其の人等を取れ」(古事記)

    熊襲反むきて朝貢らず」(日本書紀)

    時の景行天皇ヤマトタケルをして、各地の中央政府に仇なす賊を討伐させている。

    記紀によると、ヤマトタケルもまた、粗暴な性質を父に恐れられていた。
    物語でも征討の旅の途中に倒れることになる。

    鹿児島県大隅半島に曽於(そお)の地名がある。曾(そ)を連想させる名前である。
    曾は後に贈於(そお)と呼ばれた。

    だが、古代の曾はもう少し北へ移動した地域にあった。
    ヤマト王権の南征に激しく抵抗したが、大軍の前に屈せざるをえなかった。

    曾は中央側からはあるいは襲と呼ばれていた。おぞましさを連想させる語をあえて選んでいたようだ。

    「彼梟帥(たける)どものいと建(たけ)かりし故に熊曾とは云なり、熊鰐、熊鷲、熊鷹なども皆、猛きを云称なり」(古事記伝 本居宣長)

    クマ・ソである。

    ヤマト王権に組み込まれた後は、警護の役につく。吠声や歌舞の呪術性も魅力的だったらしい。
    そしてクマソの名は史書から消える。
    吠人(はいと)南風(はえ)朱雀(隼)、諸説あるが、彼らはハヤトと呼ばれるようになる。

    参考文献
    「隼人の古代史」(中村明蔵)
    熊襲・隼人の原像」(北郷泰道)
    「鬼の研究」(馬場あき子」 他

    辻知喜

  • クマソからハヤトへ 2

    橋本敬三師の論想集に、天地創造のくだりがある。
    アメノミナカヌシ・タカミムスビカミムスビを太極・陰陽になぞらえてある。

    この本は残念ながら現在絶版のようである。

    天孫降臨の物語は、タカミムスビがニニギを地上に遣わすところから始まる。

    「彼の国に、多に蛍火の光(かかや)く神、及び蠅声(さばへ)なす邪しき神あり。復、草木ことごとくに能く言語(ものいふこと)あり。(中略)吾れ葦原の邪しき鬼(もの)を撥(はら)ひ平(む)けしめむと欲(おも)ふ」(日本書紀)

    つまり、ニニギは「諸(もろもろ)の順(まつろ)はぬ鬼神(かみ)を誅(つみな)ひ」に降りるのである。


    霧島ドットコムより)

    記紀編纂の当時、ヤマト王権は、九州(筑紫)の北部までその勢力を延ばしていた。

    そして、南九州や南島の異民族に並々ならぬ興味を示していたようなのだ。

    南九州の有力な豪族に曾君(そのきみ)と阿多君(あたのきみ)がいた。
    大隅隼人と阿多隼人(薩摩隼人)である。

    古代の日向(ひむか)は、宮崎県・鹿児島県熊本県にまたがる南九州一帯を指す言葉であった。

    ニニギは日向の襲(そ、曾)の高千穂(宮崎・鹿児島県境の霧島山系)に降りると西へ向かう。
    そこで出会った、山の神の娘カムアタツヒメ(神阿多都比売、コノハナサクヤヒメ)と結婚する。
    その長子がホデリ(海幸彦、阿多君の祖)、末子がヒコホホデミ(山幸彦、大王の祖)である。
    土地の末子相続の習俗に従って、ヒコホホデミは山(地上)の神の相続権を得ることになる。

    ある日、ヒコホホデミは兄の大切にしていた釣針を失くしてしまう。
    困った弟は、海神ワタツミのもとを訪ねる。
    そこで山幸彦はワタツミの娘トヨタマヒメと結ばれる。
    この時、山幸彦は天・地・海を制する力を持つことになった。

    以後、海幸彦(隼人)は山幸彦(大王)に従うことになる。

    辻知喜

  • クマソからハヤトへ 1

    この頃、隼人の歴史について調べる機会を得た。

    東京では、鹿児島出身というと、九州男児だねと言われることが多い。
    もう少し詳しい人だと、薩摩隼人だ、と言われる。

    実はこの二つの差は大きいものなのである。
    地元で暮らしている時は、九州男児という言葉を使われることなどまず無い。
    それに対して、薩摩隼人の名称は地元の人々の間でも使われるものである。むしろ誇らしげにである。

    とはいえ、隼人の歴史についてそれほど深く理解している訳ではなかった。
    古代の原住民の呼称である事を僅かに知る程度であった。

    先日、三軒茶屋のとある店での飲み会に参加した際に、隼人や古代史の話題が出た。
    雑学的なものではあるが、非常に興味深いものであった。

    もともと歴史は好きなのであるが、興味を持ったきっかけが、幼少の頃に見た大河ドラマの「独眼竜政宗」や、時代劇の「三匹が斬る」であった為、その知識の大半が封建時代のものに限られていた。

    隼人は朝廷で天皇の守護人として宮門警護の任についたと云われている。

    隼人の語源は、
    「隼人は波夜毘登(はやびと)と訓(よむ)べし」「隼人と云者は、今の大隅薩摩二國の人にて、其國人は、絶(すぐ)れて敏捷(はや)く猛勇(たけ)きが故に、此名あるなり」(古事記伝 本居宣長)

    また、四神思想において南方を守護する朱雀(鳥隼)に由来する。

    記紀によると、天孫ニニギは筑紫の日向(ひむか)の襲(そ)の高千穂へ降りる。(天孫降臨)

    天孫降臨とは、朝廷と天皇誕生の物語である。
    なぜ畿内ではなく日向なのか。
    いずれ東征するにしてもである。

    日向という文字の為、てっきり宮崎県を指すものだと思っていたのだが、どうやら、古代の日向(ひむか)と近代の日向(ひゅうが)とは別物らしいのである。

    ここには、朝廷と隼人の因縁が隠されていた。

    辻知喜

  • おいしいお茶が飲みたい

    実家の隣の道路を挟んで、お寺の敷地になっている。
    子供時代のいい遊び場だった。
    地元の人は感応寺と呼んでいるが、正式には、鎮国山感應禅寺臨済宗のお寺である。

    築年数は比較的新しく、数十年以内のこぢんまりしたところだ。
    実際には歴史は古く、開山は800年以上前のこと。
    栄西禅師によるもので、日本最古の禅寺の一つだという。
    薩摩入りし、出水を最初の拠点とした島津氏の菩提寺となり、やがて大寺院となる。

    しかし、現在の姿から想像するのは難しい。
    幕末から明治初期の廃仏毀釈により、藩内1600余りの寺院は全て取り壊される。
    菩提寺の福昌寺や感応寺も免れなかったようだ。

    栄西臨済宗を日本に伝えたが、同時に喫茶の習慣をもたらした。

    意外と知られていないが、鹿児島はお茶どころである。
    全国の生産量の三割近くを占める。

    実家の庭にも茶の木がいくつかあり、僅かではあるが製茶して貰っていた。
    幼い頃、祖母に連れられ訪れた先でよくお茶を飲んでいたことを今でも覚えている。
    お茶が好きだった。
    成長してからは、お茶の代わりに焼酎が出るようになったのだが。

    1191年、
    宋から帰国した栄西は、すぐには都に戻らず、九州の各地に禅宗の寺院を開く。
    と同時に茶の栽培も伝えられた。

    茶者養生之仙薬也
    延齢之妙術也
    山谷生之其地神霊也
    人倫採之其人長命也
    喫茶養生記

    橋本先生は井ヶ田の一号芽茶がお好きだったそうだが(今先生の奥様談)、ここの喜久福は絶品である。
    仙台出身の友人のお土産でよく貰っていた。
    去年操体バランス運動研究会で初めて仙台へ行ってきたが、迷わずこれを選んだ。

    この夏、お茶が飲みたくなって鹿児島のお茶を手に入れた。

    国内で生産される品種は殆どがやぶきた、それも深蒸しにされることが多いらしい。
    深い緑の水色で、カルキ臭を緩和し、手軽に入れられ、煎がきく。

    いいことづくめのようだが、お茶本来の香味は犠牲になる。
    その為、他品種とのブレンドで香りを補っているようだ。

    近年は、やぶきた一辺倒の弊害もあり見直される傾向にあるとのこと。
    消費者にとって選択肢が増えるのは喜ばしいことだと思う。
    良いものを見分ける目は必要になるのだが。

    今回ブレンドした物や単品種でいくつか飲んでみたが、個人的な好みではあるが、ゆたかみどりの普通蒸しが気にいった。
    今後変わってくるかも知れないがいろいろ味わってみようと思う。

    おいしいお茶を出せるようにしたい。

    辻知喜