カテゴリー: 未分類

  • じゃがいも?

    畑をやっていて教えてもらったのは「放っておいても何にもならない」ということ(笑)。農家の方に叱られますが、アホというのはこういう事もわからないで生きているんです、すみません。
    アホついでに書かせてもらえば、その他にもわかった事があります。その一つは「トマトの苗からはトマトしか、じゃがいもの種芋からはじゃがいもしか出来ない」ということです。これも農家の方に叱られそうで申し訳ないんですが、こんな事も実感しないで生きてたんですね。
    「オレは、実はじゃがいもなのにどこかでトマトになろうとしているんじゃないか、ガンバればいつかはマスクメロンになれると思っているんじゃないか」と思いました。
    そして思ったのは「自分はじゃがいもなんだろうか、トマトなんだろうか、それとも他の何かなんだろうか」自分に適った生き方は何なんだろうかという事です。
    ある日頭のテッペンに真っ白な花が咲くとか、お尻に黄色い実がなるとかすればわかりやすくて便利なんですが、残念な事に自分が何者なのかという事はなかなか分かりません。

    世の中にはいろんなパターン分析があって、人間をいろんなやり方で分類しています。星座だとか血液型だとか人種だとか環境だとか。みんな知りたいんですね、自分が何者なので、周りの人が何者なのか。
    ですが、その時はなんとなくわかったような気がして落ち着くような気になっていても、なかなかそこに自分自身が納まってくれない。さっき当てはまっていても次の瞬間にははみ出してしまう。生命というのは納まらないものなんですね。実はパターン分析というのは「自分」の一時の安心の為にあるのかもしれません。操体が症状・疾患にとらわれないというのも、今この瞬間の生命の在り方ががそれでは捉えられないからなのでしょう。

    これも畑をさせてもらって分かったんですが「生えないものは生えない」んですね(当たり前でスミマセン)。
    日向に向かないものは日向には育たない。またタイミングもあって、他の植物が先に根を張っているところには、たとえ育てる環境に見えても根を張る事が出来ない。ひとつひとつの植物が生えているのには必然があって、まわりとの調和の中で今ここに生かされている何かの理由を持って生きている。
    じゃがいもだって、鏡で自分の姿を見て「オレってぇー、じゃがいもだからぁー」と思ってデコボコしてみたり、「どうせぇー、トマトじゃないんだからぁー」と思って赤くなるのをガマンしているわけじゃないと思うんです。まわりとの調和を感じ取って生命力を発揮させることで、自分の姿を見ることはないのに自ずとじゃがいもはじゃがいもらしく形を成していくんじゃないでしょうか。

    人間は植物と違って移動出来ますが、やはり広い意味での根付くことが出来る場所とそうでない場所があって、今ここにこのタイミングで生かされているということには、それだけの訳があると思うんです。
    いつか、どこかで、こうなったら、ではなく、今、ここで、この状態でのまわりとの調和を感じとることで、自分が本当の形を成してくるのかもしれません。

    案外自分が何者なのかについての答えは、自分の内側に向かうのではなく、まわりとの関係に目を向ける事で見つかるのかもしれません。とすれば、まわりとの境界線でもある皮膚に何か手がかりがあるのかもしれないな、自分の存在は皮膚にあるのかもしれないなぁと思ったりしています。

    山本明

  • りんご

    この間喫茶店で新聞を眺めていたら、ある広告が目に留まりました。
    「すべては宇宙の采配」という本の広告でした。
    タイトルも面白そうだと思ったんですが、ちょっと内容が紹介してあって、「不可能だと言われていたリンゴの無農薬栽培を成功した農家の方がUFOや宇宙人についての体験を書いた本」らしいのです。無農薬リンゴ栽培に成功したというだけでも面白そうですが、それとUFOや宇宙人が僕の中ではすぐに結びつきませんでした。これは面白そうだと思い、この本と、リンゴ栽培について書かれた「リンゴが教えてくれたこと」を読みました。
    不勉強で存じ上げませんでしたが、著者の木村秋則さんは無農薬リンゴ栽培を成功させたことで大変有名でTVにも出演されているらしいですね。
    無農薬栽培を始めて9年、病気と虫で実がなるどころか花も咲かせなかったリンゴが、苦心された木村さんに応えて花を咲かせるところからこの本は始まるのですが、長い間待ち焦がれたものが目の前に現われる様は大変ドラマチックです。

    翌年になって初めて小さい2つの実がなったそうですが、家族を抱えながら10年もの間リンゴで収入を得ることが出来ずに、社会的にも経済的にも精神的にも追いつめられてもなお、ご本人もご家族もその軸をブレさせないでいられるというのはどういうことなのか、スットコドッコイ代表としては人が何故生きるのかということを感じさせてもらう本でした。

    木村さんがリンゴ栽培について書かれていたことでちょっと面白いなと思ったのは雑草の話です。
    自然農法ではあえて雑草を刈らないことがあるらしいのですが、木村さんは秋になるとリンゴの下草をあえて刈るというのです。

    『それは草を刈ることによってリンゴの木に秋を教えたいからです。草ぼうぼうの伸び放題だと土の温度はいつも同じです。するとリンゴの木は秋が来たことが分からなくなります。九月に入ると津軽地方は夜の温度と日中の温度で差が出てきます。その頃を見計らってリンゴの木に「秋が来たよ」と草を刈って教えてやるのです。』

    『自然というのはただ『手を加えないでそのまま放っておけばいいというものではではないようです。自然をうまく利用するのが人間ではないでしょうか』〜「リンゴが教えてくれたこと」より〜

    以前友達に誘われて自然農法の畑をやらせてもらったことがあります。木村さんは農薬でからだを傷めた奥様のために無農薬栽培を決意されたらしいのですが、僕の場合は立派な動機は何一つなく(笑)、「一ヶ月に一度畑に行くだけで収穫が出来る」と聞き「そんなウマい話があるのか」とやってみましたが、もちろんそんなウマい話がある訳がなく(笑)、草ボーボーになっただけでした。
    その時わかったのは「上手な人はわかっていて手を出さない」ということです。放っている訳じゃなく、プロセスを熟知しているので、どこに手を出すべきか出してはいけないかがわかるんですね。これはからだという自然にも当てはまることではないでしょうか。「簡単に出来る」からいいわけじゃない。「よく知って本当にどこにいつ手を出すべきかがわかっている」ことが大事なんですね。

    リンゴが教えてくれたこと (日経プレミアシリーズ 46)

    リンゴが教えてくれたこと (日経プレミアシリーズ 46)

    山本明

  • メイキング

    映画は相変わらず好きですが、最近はなかなか映画館に行けなくてDVDで観る事が多いです。
    映画館に行くのはいいんですが、なかなか時間が合わなかったり、最近でこそ席を予約出来るようになりましたが、以前は良い席を取るのにガンバラなきゃいけなかったり、ようやく良い席が取れたと一安心していると、真ん前の席に眼を疑うような座高の高い奴が座って半分スクリーンが見えなかったり、いざ映画が始まってしばらくすると、なんだかクサイし眼がチカチカするので、なんだろうと見回すと、俺の席の背もたれに時間潰しに入ってきた営業マンが靴を脱いで足を乗っけていたりする。
    映画一つ観るのが一苦労だったりします。
    その点今では何ヶ月かするとDVDが出て自分の都合で観ることが出来る。便利な世の中になったものです。

    DVDならではの楽しみにメイキング映像がありますね。僕はこのメイキングを観て、作品が産み出される現場の雰囲気を感じるのがとても好きです。
    11/23の東京操体フォーラムでも田中稲翠先生のそんな現場に立ち会わせていただきました。一ヶ月近く経った今でも、未だに余韻が残っています。

    岡村さんと一緒に、幸運にもアシスタントをさせていただくことになり、横に付かせていただいたのですが、先生が紙に向かい筆を構えられる瞬間、「衝撃波」というような言葉を使ってもいいような感触で、何かが胸に飛び込んできました。と同時に涙が流れました。そのままにしておくと本当に水道のように涙が流れそうな感じで、さすがに先生の横で「オッサンが号泣して涙&鼻水垂れ流しの図」はマズいと思い(笑)、必死にガマンしながら勤めさせていただきました。

    あれは何だったのか、思い返す度に考えています。
    こうやって生きるんだ、生きる生きているというのはこういう事なんだという事を、稲翠先生に見せていただいた。そんな気がしています。
    それは今自分への問いかけとして戻ってきています。
    自分は生命を賭けて生きているのか、生命を賭けられるのか、今この瞬間の生にそういう気持ちで向き合っているのか。踏み込んだつもりでも元の足に重心が残っているんじゃないか。

    最近よく見ていた夢があるんです。切り立った岩山の中腹に沿って細い道がついている。岩にへばりついて進んで行かないと、ちょっとでも手を滑らしたりしたら落っこちてしまうからとてもオッカナイ。でもその道しか無いし、自分がその道を進んで行くんだろうな、とも思っている。きっと一歩でも踏み出したら怖くなくなるんだろうなとも思っているのに、進めない。自分の優柔不断ぶりが分かるようで恥ずかしいのですが、要するにただ落っこちないように、死なないように生きてきてしまったんですね。

    あの稲翠先生の姿を見てから、その夢を見なくなりました。
    背中を押していただいたんだと勝手に思っています。

    昨日もお話しした僕の好きな映画「マグノリア」のメイキング映像に、クランクインの場面があるのですが、監督のP.T.アンダーソンはスタッフを前に「正々堂々といくぞ!」と言ってから撮影を開始しています。これを観た時、本編を観た時と同じように感動しました。現場にいる人達の生命が輝く時、また作品も輝きを持つ事になるんですね。

    山本明

  • 木蓮

    ポール・トーマス・アンダーソンは僕の好きな映画監督の一人です。
    ポルノ業界の人間模様を描いた「ブギーナイツ」が一番有名でしょうか、寡作ではありますが一本一本素晴らしい作品を作っています。その中でも僕が一番好きなのは「マグノリア」という作品です。

    何の関係もなく散りばめられたように見える登場人物たち。その人たちがある時「ウソみたいな」「映画のような」思いもかけない「現実」によって、それまでの人生に転機を迎える事になります。

    一本一本の糸がやがて一つの布に織りなされるように、それまで「現実」だと思っていたそれぞれの人生が「虚構のような」現実の出来事で大きく変わり、それぞれの登場人物が、それぞれの居場所で、お互いに知ることもなく、しかし同時に同じ歌を歌い出すというシーンは、まさに「映画のような」虚構によって、観るものの「現実」を吹き飛ばし、奇跡的な生というものの在り様が姿を現すこの映画のクライマックスだと思います。
                          
    先日、三浦寛、畠山裕美両先生が関西に来られた折に、受講生の大先輩Hさん、畠山先生のお知り合いでカッコイイS兄さんのお話しを聴かせていただく機会がありました。

    操体との出会いと学び、昔の三浦先生の恐かったこと(笑)、などなどいろんなお話しを聴かせていただきましたが、そこで感じたのは先輩の操体への、橋本先生・三浦先生への思いの熱さと温かさでした。
    周りの方々に求められて責任ある仕事をされている方が、高校生のような顔をして思いを語っているのを見て、また素晴らしい人に出会えたなと思いました。東京操体フォーラムに参加していると、今まで遇ったことの無いような素敵な人達に出会えるのも大きな魅力です。
    フォーラムに参加させていただいてから、スゴい人達に囲まれて1年余りただただウレシク過ごしてきましたが、僕のようなスットコドッコイが何故こういう環境に置いていただけるのか考える時、きっと神サマに「お前のスットコドッコイぶりは目に余るから勉強させてもらってこい」と言われているんだなぁと思ってきました。

    でも大阪の先輩を見ていて、それだけじゃないなと。
    自分がここにいるのは、この場所に他にいる人がいないからだ、と思ったのです。

    自分が今まさにこの場所に在ることを自覚しまた在ろうとすることが、別の人に別の居場所を用意し、逆に周りの人達が自分とは別の場所にいることで、自分の居場所がここに在ることになる。
    この場所に居られるたった一人の人間としての自分の在りように感動し、感謝し、またそのことに責任があるんだなぁと思ったのです。そしてなにより、この場所にいることに余計な力が必要ない。「自分」を周りに押し付けることもしなくていいし、周りが自分の場所に入ってくることもない。

    自分が今ここに居ることで、今別の場所に立っている人達と感じあい、響きあうことが出来る。
    人同士が結びつくというのは、全く同じ場所から全く同じ風景を見ているということではないのですね。

    世の中に立派な人がゴマンといる中で、僕のようなスットコドッコイをつかまえて神サマがどういうつもりなのか推し量ることは出来ませんが、目の前に「操体」というゴチソウを出されて「お前これが喰えるのか?」と言われているような気がします。気付いてなかったけど、生まれてこのかたずっと問いかけられていたんだと思います。
    食べたはいいけど、僕の器ではコナせずに腸捻転を起こして死んでしまうかもわかりませんが、ありがたくいただいてしまうことに決めました(笑)。

    森田さんも書かれていましたが、最近よく心の動きと身の回りに起こる出来事が恐いほどシンクロすることがあって、「いただいてしまおう」と心に決めた途端にそれを試されるような選択をする機会がありました。神サマは見てるんだなぁ、恐いなぁと思います。

    これからもきっと、ちょくちょく言われるんだろうなと思います。
    「お前本当に操体が喰えるのか?」と。
    その度に「いただきます!」と言おうと思っています。

              

    12/13 「臨床家による操体セミナー」にご参加くださった方、心だけ参加してくださった方もありがとうございました。またお会い出来ることを楽しみにしています。

    山本明

  • さかさま

    お久しぶりです。山本です。
    2回目のブログも大阪からお送りします。よろしくお願いします。
    12月も半ばになって今年も押し迫ってきましたが、皆さん今年一年どんな年でしたでしょうか。僕は何だかものすごい1年を過ごさせていただきました。ありがとうございます。

    さて、僕は2回目ですが、このブログ自体は4周目が終わりに近づいてきました。このブログを一周ずつ本にしていただいて僕も手元に持っていますが、先日故郷から来てくれたオカンが、僕のいない間にその本を読んでいたらしく、帰るなり「この岡村さんという人はスゴい人だ、読んでいるとからだがビリビリする」と申しておりました(笑)。息子の文章については一切触れませんでしたが(笑)。それにしても、会ったこともない顔も知らない女を(オカンですが)文章だけでビリビリさせちゃう岡村さんは、我等が委員長ながら恐ろしいほど素晴らしい男だということがわかっていただけるかと思います。

    その岡村さんと親しくお付き合いさせていただいて1年余りになり、僕も度々ビリビリさせていただいていますが、「山本さん、また顔が変わりましたね、操体顔になってきましたね」と声をかけていただいたことがありました。「操体顔」ってぇのがあるんだとその時初めて知りましたが。自分では頭がまた広くなったなと思いこそすれ(どこからがデコか頭かという問題はさておき)、顔については分かりませんが、変わってきたんだなぁと思います。今は生きてるのが楽しいなと思います(笑)。ありがたいことですね。
    操体は僕の生きることへの考え方をひっくり返してしまいました。目にすること、耳に聴くこと、肌に触れること、思うことの全てが今までこうだと思っていたこととは違うんだな、まるっきり逆さまなんじゃないかなって思うことがよくあります。
    そのうち自分の顔も男前に見えてくるかもしれません(笑)。

    『人間の最大の苦しみは「妄想苦」だといわれています。妄想とは「無いものを有ると思い込み、また有るものをないと思い込む心」をいう。』
    「快からのメッセージ」三浦寛著より

    あるものをないと思い、ないものをあると思う。僕は今まで自分には何も無いなぁ、と思っていましたし、そのことが悲しくもありました。でもわかってみると「余計なものはたくさんある」んですね。その余計なことがまた、自分に「ある」ものを「ない」と思わせることにもなっていました。今でも「自分には何もない」とは思うんですが、そのことにあまりガッカリしなくなりました。

    僕に限らず操体について語り出すと皆がいきいきしてきます。フォーラムや講習に集う人達が楽しそうに語っているのを目にすると、「操体」という名前にではなく、操体を通して生命の力を輝かしているこの人達に魅かれているんだなと思います。
    人をビリビリさせる境地にはほど遠いですが、僕も「このオッサンちょっとオモロいな」ということで操体に近づいてもらえるようになれたら、と思っています。
    今週1週間よろしくお願いします。

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

    今日12月13日13時より、千葉行徳のゴールドジムにおいて「臨床家による操体のセミナー〜歪み、腰痛、現状の壁を突き破る、達人ボディ製造法〜」が行われます。
    http://www.goldsgym.jp/news/news_detail.html?id=0000395
    ぜひ操体をご自身で体感してみてください。お待ちしております。

    山本明

  • 加速する時間

     

    こんばんは森田です。
    ブログも最終日になりました。

    今回のブログを担当する2週間前程から、フォーラム開催、指の怪我、
    カッコいい女性達とのご縁(田中稲翠先生の他にも4、5人おりまして)などが重なり、発見、驚き、感謝に満ちた日々をすごしました。

    その全てはブログでは表しきれませんでしたが、「何故こんなところでこの人に再会するの?」ということがあったり、急な予定変更が危険の回避につながったり、偶然のような必然のような体験が立て続け起こっていました。
    なにか誰かが書いた筋書きがあるのじゃないか、という気さえしてくるほどです。

    そういった体験をすると、まず時間の感覚が以前とちがって感じられます。

    例えば、ぼーっと過ごしている1日と、密度の濃い体験を味わった1日。
    これは時計では24時間であっても私の中では24時間ではありません。
    私の中が何かが変化するのですが、右肩上がりに成長するというよりも、私という核を残しながら書き換えがおこなわれ、別人になったといったらよいでしょうか。
    しかも「それまでの自分から変化するのだが、より自分自身になっていく」感じでもあります。

     更にこれからは自分が願ったことが実現しやすくなったり、また反対に何かの力で思わぬ方向に進まされるようにもなるのでしょう。
    展開がトントン拍子に開けるような経験が当たり前になるにつれ、自分の中にはないと思っていた自信と信頼感がでてくるようなのです。
    そして「何がおこるかわからないけど大丈夫さ。なんとかなる」という、未来に対する根拠のない安心感も徐々に身についてくるのではないかと予想しています。
    今までよりも、どっしり?構えられること間違いなし。です。

     東京操体フォーラムには、すでに自分自身への信頼感と「何が起きてもなんとかなる」が当たり前!な役員、実行委員がおります。
    私はそれを他人事としてうらやましがって見ていたのですが、最近はその側にいると魂の波動が共鳴して自分もそうなれる、と思い「このすごい人たちの側にいよう」と決めました(かなりのちゃっかりさんです)。

    フォーラムの仲間には、人の足をひっぱるような人間はいません(いないというかいられない)。
    ここは皆個性的でその人らしくのびのびしていられる空間なのです。
    メンバーは日本中に散らばっていますが、月に一度の勉強会で顔を合わせ、同じ空気を吸って、共鳴、共振しています。
    操体の臨床を見ているとからだで共鳴を体感するからわかるのです。

    もちろん、ただ側にいればいいってものじゃありません。目に見える宿題と目に見えない宿題をやらなければならなりません。
    その宿題(自由研究?)をやり、橋本先生が成そうとしていたものを追究してこそ、東京操体フォーラムの大きな流れにのる事ができるのです。

    ここで、改めて11/26の三浦先生のブログ「人間関係について」部分を読み返してみます。

    人間関係を良くするためには、その前に自分自己との信頼関係をもたねばならない。それは自分自身と対話し、自身を知ることから始まる。
    そんなことが書かれていました。

    まさに今、自分自身と向き合って、いろいろな答えを見いだしています。自分と向き合う時間は本当にありがたいです。
    そしてこれからも自分自身を見つめることで世界と向き合って行くのでしょう。
    これからもこの加速度に変化する波に、楽しくのっていこうと思います。

    最終日にして、とりとめのない、分かりにくい文章になってしまいました。すみません。

    一週間、楽しく書かせていただきました。
    読んでいただいた皆様、ありがとうございました。

    山野さんにバトンを渡します。明日からよろしくお願いします。

    ここにいることを感謝して。

    森田珠水

  • 臨床体験実習

    今日は昨日とうってかわって清々しい晴天に恵まれました。

    本門寺の五重の塔も空に映えてます。
    写真は見晴し台下にある藤原吉志子作「馬込文士村」。

    ところで、昨日は冷たい雨の中、卒業校の学生さんが2人、臨床体験実習にいらっしゃいました。
    MさんとSさん。20代前半の今時の美人さん達です。フレッシュです。

    臨床体験実習というのは、決まった施術所から3カ所選び、患者になって臨床を受けレポート提出する、というもの。
    http://www.teg.ac.jp/course/toyo06.html

    さて、21箇所ある実習施設から何故操体を選んだのかを聞いてみたのですが、
    操体を知らなかったので逆になんだろう?と興味をもったから」との事でした。
    他の施設は鍼灸か按摩指圧、マッサージで想像できるため、操体は珍しく、是非体験したいからと選んだ方もおりました。

    私の所は、実習施設となって今年で3年目ですが、ほとんどの学生方が操体を知りません。
    東京で医療系の業界なのに、です。

    操体体験者は2年半で3名ほどしかいません。経験者も「楽かつらいか」の二者択一の操体しか知らなかったですね。
    なので、第2、3分析を体験されると、目を丸くされます。
    そういえば、体験実習施設を進めてくれた学校の先生も、「操体って膝の裏をぐりぐりってやって痛いがらせるヤツでしょ?」みたいな事を言われたような気が…。操体のイメージはそんなものですかね。トホホ。

    操体はそうじゃないですよ(声を大にしていいます)。常に進化&深化しているのです。
    膝裏谷(ひかがみ)を診なくても臨床はできます(もちろん、ひかがみも大事ですが)。
    二者択一の操体しか行われていなかった頃のではない、今の操体を知って欲しいなと切に思います。
    我々が年に2回のフォーラムをやっていても、まだまだ知られていないのですね。

    フォーラムも、もっと世に知られるような試みをしていかなくてはなりません。

    だから、体験実習といえど一つのご縁。
    just nowな操体を伝えたい。
    そういう気持ちでこの実習を受け持たせていただいています。

    とにもかくにも昨日は、

    感覚の聞き分けが一番大事であること
    気持ちの良さで治ると言う体験
    操体は単なる治療法ではなく自然法則の応用貢献であるということ
    操体の可能性(どんな場所、ポジションでも原理原則がわかれば臨床を通せる。
    治療だけでなく、息食動想、生き方に生かせる、等)
    操体をする上での女性ならでの特性

    などを、まずは体験を通して伝えてみました。

    お二方とも、操体を知らないとおっしゃていましたが、大変真摯に聞いて下さいまして、
    その場に浮かんだ疑問もどんどんくださって、いい流れで3時間ほどがあっという間にすぎました。
    しかも、会話をしながらもアタマのスイッチを切って、感覚のききわけや皮膚への問いかけにも、
    なにがしかの感覚をつかみ、それによってからだが変わるところまで体感してくださいました。
    からだの不思議体験状態だったようです。

    からだで「不思議!」や「なんだかわからないけど面白い!」って感じてくれたらそれでいいかなと
    (質問、感想はいつでもメールで下さいと伝えておきました)。

    鍼灸学校に入学してこれから他力の治療を学ぶ学生に、
    「施術者は治療にまで関与するな」という操体を感じてもらうのは混乱を与える事になるかもしれません。
    私もずっと他力の治療をしてから操体の道に入ったので、
    「私が治療する」「局所疾患に対する治療」から抜けることが難しかったですし。
    しかし、この他力から自力自療へのルートをたどるのも一つのプロセスでしょう。
    今後彼女達が操体の道に興味をもってくださるかもしれませんし、そうでないかもしれません。
    今はそれはどちらでもいいと思います。

    でも、操体って、無視できない何かがありますよね。
    今回は大学で臨床心理専攻だったという学生さんから「下手な心理療法より効果があるような気がします」というような感想をいただきました。
    昔は私もカウンセラーになろうと思っていたので、私と同じ道を辿られているMさん。
    もちろんこころへの働きかけもできる操体ですから、からだからどんなアプローチができるのか、話が盛り上がりました♪

    Sさんはこの時、操体初体験とは思えない程、第3分析によるからだの感覚を味わっていらっしゃいました。

    操体を体験してくださった方には、アタマではなく、
    何年後かにでも、この日の体験がぽかっと浮かぶような、からだの記憶が刻まれる思います。

    自分のからだを壊さないようなからだの使い方のルールや、自力自動のからだのケアができること、
    妊娠出産中にできる事、こころのケアにもいかせること、昨日はなんだかいっぱい話してしまいました。
    話を沢山しすぎて、消化不良になっていたらごめんなさい。

    特に女子の実習生には、同性として「どうやって好きなことを追究していくか」
    という気持ちが湧いてしまい、熱がこもりすぎたかも(爆)。

    橋本先生は操体を通して何を伝えたかったのでしょうか。

    そして、後に続く学士達に、どのように操体を進化、発展をして欲しかったのか。
    操体とからだを耕し、自然の原理原則を追究するとはどういうことか。
    何が大事なのか、常に考えさせられて私たちは日々学んでおります。

    それは「つらそうに」「努力して」「がんばって」ではなく、
    豆腐の角にアタマをぶつけて、わくわくしながら、謎を解き明かしていけたらいいな、と思っています。

    臨床体験実習は学生さんと一緒に勉強させていただき、
    いい機会をいただけた学校の先生方に感謝しております。
    きょうもありがとう、をいっていい気分でねられそうです。

    おやすみなさい。

    森田珠水

  •  臨床家の条件?

    おはようございます。
    森田です。

    また怪我と病院の話に戻ります。
    初診時の縫合、次の日の包交、受傷6日目の包交、10日目の抜糸とそれぞれちがう先生4人に診ていただきました。
    そのうち、縫合と抜糸をしてくださった先生を通して感じた事があります。

    縫合してくださったのは一見神経質そうな50才前後のドクター。疲れているようにも見えるが、こちらの質問にはちゃんと答えてくださるし、不機嫌というよりクールな感じの方でした。

    この時残念だったのは、側にいた女性看護師の対応。

    ドクター「止血するからネラトン持ってきて」
    看護士「はい」  と、チューブ状のものを手渡す。
    ドクター「これじゃ太いよ。ネラトン(泌尿器用の細いチューブ)持ってきて」
    看護士「ここにはこれしかありません」の一点張り。
    ドクターはさらに「それがないと縫えないよ。持ってきて」というも、「だからここにありませんって」と、しばし膠着状態。処置が始まらない。

    えーっと、患者は指を押さえて痛がってるんですけど?何されるかわからなくて不安気に待っているんですが(汗)。心の中で訴える私。

    動こうとしない看護師に業を煮やしてドクターは「手術室開けて、って守衛室に連絡して」と言い残し、ネラトンを取りに退出。
    残された看護師は、通りがかった同僚に「先生自分でとりにいっちゃったよ」と苦笑い(爆)。苦笑いしている場合じゃない。看護師、自分が止血されずに縫合されてみろ〜!!こころで悪態をつく私。

    先生、戻ってきて少々機嫌悪そうに開始。
    それでもこの先生のちがうなと思ったのは、黙々と麻酔、縫合を進める姿である。
    感情には振り回されず、淡々と処置終了された。
    インフォームコンセントも後日振り返っても納得のいくものでした。

    大病院の医者と看護師の関係ってそんなものでしょうか。これではドクターも仕事しづらいだろうな、と思いました。

    抜糸は30代後半のノリと調子のいいしゃべりのドクター。
    「は〜い、じゃ、抜糸しますよ〜」びしびしびしっと作業開始。私が痛がっている様子はみていないようだ。私が思わず唸ってからだをよじると、
    「痛いかな〜?」。といいつつ、ぐいっと糸を引いている。

    うーん、ノリはいいけど、私のからだがほっておかれているような感じで気になります。腕は悪いわけではないのでしょうが、なんでしょう。この心地の悪さは。私のアタマは理由がわからないけれど、からだが「イヤイヤ」して痛がっている。
    ああ、気が浮いていて臨床をすると、患者のからだにはこういった影響があるのか。

    確かに、大病院で早朝から次から次へ大勢の患者さんを診なければならないのだから、機嫌良く処置してくださるのはそれはそれでありがたいことなのですけどね。しかし、こうして2人のドクターに施術していただいて感じたのは、からだは目の前の人の波動をキャッチして反応しているということ。落ち着いて淡々と処置してくださったドクター(看護師の残念な対応にも影響されない精神力?!)には、痛い事をされても落ち着いて受け入れることができた。からだも納得していたということだ。
    大した痛みでなくとも、気が浮いている人にからだを扱われると「からだが分散する感じ」と言ったら良いのか、こちらのからだも状況を受け入れにくい。必要以上に痛みを感じてしまう。
    自然治癒力のスイッチがオンにならない。

    縫合してくださった先生は、取っ付きにくくて、話しかけにくい印象。反対に抜糸の先生はノリが良くて話しやすそう。
    街で出会ったら私はどちらと仲良くなろうと思うだろうか。
    アタマはだまされるかもしれないが、からだはだまされない。

    操体はこういった微妙な所を意識しないでは臨床ができない。

    気を落とした状態で臨床ってどうすればいいのか。
    それは般若身経をはじめ、気を耕すことなど、今まで勉強してきた中に答えはあります。

    自らを振り返ってみて、改善すべき点が見えてきました。
    プライベートではのびのびした自分でもいいかもしれないが、臨床スイッチはしっかりいれておけなければならないのですね。

    森田珠水

  • カッコいい女

    皆さんはカッコいい女の条件は?と聞かれたら何をと答えるだろうか。

    パソコンで「カッコいい女性」「上司にしたい女性有名人」というようなキーワードで検索すると、黒木瞳天海祐希篠原涼子など年齢層が以前より高く、美人だが気取らずサバサバしている、凛として、自分の意見をはっきり言うといった女性が選ばれていた。このランキングには「如何に風に年齢を重ねるか」という思いが反映されているのではないだろうか。

    私にとってのカッコいい女とは、いくつになっても自分のやりたい事をイキイキと楽しんでいる人である。キツい言い方だが、「誰々のせいでやりたい事をしないできた」というようないいわけは聞きたくないし、言いたくもない。

     現実の生活は大変である。最近は結婚しても共働き夫婦が多い。家事はまだまだ男性より女性が多くを担っている風潮であろう。仕事をする女性は社会との付き合い、家族のケア、自分の健康も管理しなくてはならず、ワークライフバランス(仕事と生活の調和)をとる事が重要課題である。
    「今やりたい事をやる」ために生きている人は、一瞬一瞬の決断に責任を持ち、大変なことがあっても毎日を人のせいにしない。その時その時に責任を持っている。
    そしてそういう生き方をしている女性の笑顔はチャーミングである。メイクでは出せないはじけたものを内側からぴかーっと放出している。性格がさっぱりしているのは自分の決断で生きているので、その結果としての現実の世界を受け入れられるからかもしれない。
    ある年齢から年を取らなくなるような女性、増えてきましたよね。

     ところで、最近、カッコいい女とのご縁が増えている。
    その筆頭にあげたいのが先日のフォーラムでゲストとして講演いただいた田中稲翠先生である。

    (先生のプロフィールはこちら)
    http://www.tokyo-sotai.com/09Novkoushiprofile.html

     写真は稲翠先生の講演中のもの。私は年齢を聞かせていただいたが、軽く10才は下に見えます!私が言うのも失礼なのですが(すみません)キュートです。

    そしてこの直後のきりっとした表情への変化がまたカッコいい。

    フォーラムにはご家族もいらっしゃっていたのだが、いわくプライベートでも「急にスイッチが入る」という。普通に会話していても「語らねばならない」瞬間が訪れると、目が、表情が、パッと変わる。小柄―しかも幼少時から病弱だったそうだ―な先生がこれぞという話をされると、波動というのか、ものすごいエネルギーが出て、聞いている側は吸い込まれてしまう。書を書く姿に助手の岡村実行委員長も感動で涙がにじんでいたらしい。私は距離を撮ってカメラ撮影をしていたので、何故近くで波動のシャワーを浴びられないのか悔やんだものだ。

    「楽と快のちがい」について語られていた時のこと。「楽という文字は巫女さんが鈴を持って舞う姿を表したものです」とゼスチャーを交えて説明された。おっしゃる姿はカメラ越しに見ていると、まさに巫女さんのようであった。

    また、22日に島津先生が講演される日も稲翠先生は見学にいらっしゃられていたが、一見武術と芸術では違う世界のようでも、一つの世界を極めている人同士は理解し合えるのである(そういえば懇親会では初対面の平さんと長い事サシで語り合っておられた)。
    「指先の使い方、島津先生に先に言われてしまったの。それも話そうと思っていたのに」と残念そうにおっしゃられていたのが印象的だった。武術もからだ、芸術もからだの表現である。先生が南画の世界に足を踏み入れたきっかけはと八大山人と宮本武蔵の書と出会ったからだそうだが、書や武術の話をされている姿をみていると、武術家のようにも見えてくる。

    フォーラムだけでなくその後の打ち上げでも、稲翠先生のお話を引き続き聞くチャンスを得た。先生にとって初めての質問をされても、とにかくさっと目の前に出されたテーマを自分のからだに落としこみ、瞬時に答えを出される。動きと決断は早くて無駄がない。
    島津先生が見せてくださった武術の演武、治療の時の対応と同じように、真実とは瞬時におりてくる、現れるものなのだ。

    フォーラムに参加された娘さんは、三浦先生に「こんなお母さんをどう思う?」と問われ、「すごくカッコいいです」と即答した。著書である「水墨画イスラエルへ行く―それでも好きさバラガン王国」は34才でイスラエルで個展をしたときの滞在記であるが、この時は幼い娘さんを母に預けていたそうだ。必要な時には子どもと離れる時期があっても、電話や手紙、想いで時空を超えてケアをされていらしたし、一緒にいる時にはしっかり目を見て大事な事を伝える育て方をされていたそうだ。そういう子育てをしていればまっすぐでピュアな娘さんに育つのだろう。
    父の背中を見て育つ、それもいいが、本気で自分が選んだ道に没頭する母の姿をみて育つのもいい。母になるならそうなりたいなと思う。

     操体の業界は女性は本当に少ない。
    操体だけで食べていける臨床家自体少ないというのに、女性で操体で食べて行こうとするのは、人から見たら難しいと思われるかもしれない。
    しかし、幸いな事に操体は食息動想、という生き方や自然を学ぶものであって、生活の中に学びがあることである。どこにいても学ぼうとすれば学ぶ事ができる。
    そして、操体であれば、私の道の前には畠山先生という「寝ても覚めても操体について考える(そしてビューティへのこだわりも忘れない)」女師匠が存在し、
    芸術の世界では稲翠先生のように、芸術に生き、かつ子育ても家事(料理の天才だそう!)もカッコ良くこなしている方がいらっしゃる。

    こういった方々に囲まれていると、自分の悩みはまだまだ大した事ないなと励まされるし、いいアドバイスもいただいている。

    こうしてカッコいい女達のそばで同じ空気を吸わせていいただけている限り、
    私も毎日へこたれないでやっていける。
    今日は特別にカッコいい女性に向けて、感謝の言葉を述べたい。

    どうもありがとうございます。

    森田珠水

  • 痛みとのおつきあい2

    昨日の続きですが、左拇指の回復経過です。

    11/17 受傷、縫合
    11/18 包交外来 バンドエイドでカバーのみ。
    11/20 仕事再開
    11/21 包交外来 「順調なので抜糸を」と言われるも、職業内容を告げ再出血のリスクを考慮し延期
    11/22、23 フォーラム
    11/26 抜糸 バンドエイドもなし

    抜糸後は手仕事なので防御のためバンドエイドでカバーをしており、再出血はありません。
    もう指先の麻酔注射はごめんです。

    今回行った治療は以下の通りです。

    病院処方の抗生物質、抗炎症剤。
    トラウメール(シュタイナー医学の外傷用軟膏)
    枇杷の葉水
    操体(動的な自力自療、静の操体も)
    フォーラムでの島津兼治先生の治療

    枇杷の葉水は、同僚が作ってくれた枇杷の葉を焼酎に漬けたもの(東城百合子「自然療法」より)。
    バンドエイド交換の際、汚れた部分の消毒と抗炎症の目的でしばらく浸しました。
    作ってくれた同僚曰く、炎症効果が高いということで、確かに熱を持った患部がすうっと引き、心地よく、
    「心地よい=治る」と思い、からだで十分味わいました。味わった後、しばらくいい感じ。

    注意することは、傷口が塞がっていないとアルコールが凍みて痛むことと、皮膚が離れたままになるため、痛みを感じた所で塗布した脱脂綿をはがすようにすること。
    なんでも使い方を間違ってはいけない。効くものも効かなくなります。

    操体は昨日も書きましたが、痛みを感じるたびに左手より遠い末端部分を使って自力自動をメインに試してみました。
    いつもの3倍もぞもぞしている怪しいオンナでしたが、他人の目は気にしません(笑)。

    「痛くなったら心臓より患部を高くしろ」も大変効果的で、左拇指で心臓の位置を確認する、を楽しみつつ、
    「それでもいたかったら鎮痛薬を飲め」の変わりに左手を壁や額、側頭部に当て、手関節の背屈、橈尺屈。
    自然法則を知っていれば、どんな姿勢でも操体ができる事に感謝ですね。

    それと、指越しで操体をしていると、患者さんと私のからだの療法に感覚をつけて治しがなされてもいました。
    これもありがたくちょうだいしました。
    普通だったら悪化させないよう気を遣って仕事をするはずなのに、逆ですね。

    気持ちのよさを味わうたびに「おお。今一瞬、痛み感じかったな〜」でもまたじわじわしてきたな。
    そんなことを繰り返し、初めはU字の切り口に沿って感じていたドクドク、ズキズキ、とうずく痛みが
    日を追うごとにおさまってきます。

    おかげで「それでも痛む時に飲むロキソニン」の出番はありませんでした。

    そして、最後は島津先生の治療。

    22日の懇親会でのこと。
    私ののガーゼでくるまれた指を発見され、「どうしたんだ?ここ」と声をかけてくださいました。
    とはいえ、その前のフォーラムでモデルさんが治療を受けている所を見ていたため、
    (治療開始20〜30秒は飛び上がるほど痛いがその後は驚くほど楽になる)
    「いえ、申し訳ありませんが骨の問題ではないんですよね」なんて事言って腰が引ける私。

    「切ったの?どれどれ、どこ?」
    とおっしゃるや否や、ぎゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
    「うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
    私も叫ぶけど、見ている周囲も痛そうな顔。
    傷の真上から1分ほど(30秒かもしれませんが私にはそう感じました)拇指をつままれました!
    どびっくり。 
    そのあと、一番塞がっていない部分をまたもや、ぎゅ〜〜〜〜〜〜〜。
    先生はおだやかな笑顔「どう?痛くないでしょ」

    いや、痛いですよ(泣)!
    …いや痛いんだけど、でも、傷口を机の角でぶつけるような痛さとは違う。
    圧は強いんだけど、安心感がある痛さ。
    こんなの未体験!

    この日は病院でガーゼとテーピングテープでまかれていたので、傷口は外から見えないようになっていたのですが、
    先生は、切り離された真ん中と切り口の中で一番くっつきの悪い部分にぴたっと指をあてられていたのです。
    まったく迷いなしなんです。達人とはそういうものなのかと再び驚きを味わっています。
    そういえばフォーラムで治療のモデルになった方々が
    「島津先生はすっと痛いツボにピタッと触れられる」と話されていたのを思い出しました。

    先生の治療は骨にアプローチする、との事でしたが、戦場では切り傷もあり骨折もあり、どんなことでも治療されていたはずです。「これしかできない」ということはほとんどないのでしょう。

    先生は「もうこれでつくよ。本当は切ったその場で抑えればそれでつくよ」とさらりとおっしゃいました。
    「本当ですか??」と半信半疑で言ってしまいましたが、
    実際その直後からズキズキしていた指がまったく痛みを感じなくなったのです。

    「なんじゃそりゃ〜!」と私が言いたい程で、もちろん10日経った今日まで1度もうずきません。
    もうくっついたのですね。
    ああ、今度切った時にはぎゅーっとおさえよう(というか、切るな!)。

    操体と島津先生の治療、「似て非なるもの」のテーマで行ったフォーラムでしたが、
    くっつけることで、多分からだに「もともとくっついていたものだから」を信じ込ませてくれたのじゃないかと私は思っています。
    あとはからだにお任せする。おまかせすればうまくいく。
    そのからだへの絶対的な信頼感を持っている点で共通しているなと思いました。

    今回は平さんのご縁をたどり(ありがとうございます)、我々フォーラムメンバーは島津先生の真なる活殺に触れさせていただきました。島津先生の話された事は今すぐできることではありませんが、操体に生かせる内容が満載で
    1+1=2ではない学びです。これから操体を学び続けるワクワク感が増すものでした。

    その後ろでは橋本先生が笑って見守ってくださっているような気がします。
    どうもありがとうございます。

    ああ、指を切ってよかったなあ。

    いや、そんな事はないんですけど(爆)。
    これも必然だったのかも、と、考えがちな昨今の私です。

    お酒は28日から復活しました。

    森田珠水