前日のつづき
バース・トラウマを再び経験することで、湧きあがってくる恐怖の中で、そこに握るべき手があり、すがって泣ける肩があり、おだやかに力づけてくれる声がある。そういう介助、指南役が必要とされる。介助、指南役はともに呼吸し、ともに感じることが重要であり、安全性とサポートを保証することができるのである。介助、指南役の役割はそこに座っていること。相手のために全存在を提供し、その成長を積極的に見守ること、そしてともに呼吸して、感じることなのである。リバーシングも操体と同じ完全なる自力自療の典型だ。プロセスの単純さを絶対的な信頼関係にしている。リバーシングによってバース・トラウマを通り抜けることができたなら、無意識の内に生まれてきたときに何が起こっていたのかを、今度は意識的に見ることができたならバース・トラウマは一掃されることになる。意識的に経験されたものは一掃される。そして一掃されたなら自分の無意識はバース・トラウマという傷につかまえられてはいない。これが思考の作用過程である。そうなると本当に眼を開くことができる。世界はこの上もなく美しいことを理解する。松はもっと緑で、バラはもっと赤が鮮明だ! 世界はこれほど色あざやかだったのである。子宮の内は快適で良いものだったが、それは到達点ではない、成長の始まりにすぎなかった。子宮は確かに都合のよいものであった。が、依存の生活である。自由については何も知らない。都合がよく安全な生活ではある、が、単なる植物人間にすぎない。バース・トラウマを通り抜けたなら、人生には子宮などが与えてくれることのできない美しいものがあるということを観はじめる。今となっては、子宮は窮屈なものだった。安楽で暖かくて快適であっても独房であったことにはちがいがない。子宮の内の10か月は成長する上で、か弱くて傷つきやすいため、保護が必要であった。10か月も過ぎれば胎児は外に出ることを強くあこがれる。外に出て子宮から自由になりたい。そして、世間の歓びや苦しみを観る用意ができている。
一度、バース・トラウマを意識的に経験し、苦痛の記憶を消し去ることができたなら、きっと驚くにちがいない。眼を開けば、木々は以前よりもっとあざやかで、世界がまったく違って見える。世界はなんてサイケデリックな色につつまれているのだろうと。極彩色はいつも眼の前に絶え間なくあったということを。リバーシングによってすべての記憶を通過したのなら、その子宮内からの記憶は自分に対して支配力を失い始める。まず、誕生を経験することになり、もし、それができたなら、次は誕生の10か月前に起こった死を経験できる。さらにその死も経験したのなら、過去の生も明らかになるだろう。そして、その全体像がわかったとしても、生きていく上で何の意味ももたないということも・・・・・・。
明日につづく
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原初からの解放(四日目)
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原初からの解放(三日目)
前日のつづき
リバーシングという呼吸法は、エナジーとは何かを知るのに一番てっとり早い方法である。リバーシングにより身体が浄化されるので、多くの病気の治癒がなされるのも事実である。また、バース・トラウマにより形づくられた、自分の生活のパターンを認識するのに役立つ。胎児は母親の子宮の内ではとても幸せに過ごしていた。我々はその子宮の中にいた記憶をそのまま持続している。記憶というのは脳の内だけではなく、身体のすべての細胞、すべての線維組織の内に存在する。その記憶は身体のすみずみに浸透している。子宮の内での10か月は、はてしない歓び、くつろぎ、まかせきった状態だった。容易に忘れることなどできるものではない。
バース・トラウマによって意識の表面から断絶させられたとしても、無意識は依然としてそのことに憧れ続けている。その結果、科学は子宮を外側に創る努力をするようになった。エアーコンディショナー、新幹線、ジェット旅客機、快適な衣服とかは科学技術によって子宮を外側に創ったものに他ならない。子宮内で味わった「完全」への欲求のために、その努力全体が子宮と同じものを創ることに向けられている。しかし、科学技術がどれだけ発展しても、決して満足するまでに至らない。完全な状態には決してならない。そこには依然としてギャップがあり続ける。完全への欲求とともに生きることなどできるものではない。これが神経症の一つの原因をつくることになった。
これにはバース・トラウマをもう一度経験することが役に立つ。バース・トラウマを意識的に通過することができたなら、そのときには誕生全体の意味が変わる。意識的に自分の無意識の内に入って、完全への欲求が湧きあがってくるところまで入り込んでいく。まずは子ども時代へ入っていき、家庭や学校そして社会での教育や条件付けされてきた幾層にも重なった倫理や道徳の皮をはがしていかなければならない。そして最後にバース・トラウマにたどりつく、自分の生まれたその日に・・・・・・。
バース・トラウマを再び経験すること、それがリバーシングという呼吸法のすべてである。バース・トラウマをもう一度経験することによって一体、何が起こるのか? 全体の景色が変わってしまう。それを意識的に経験することができたなら、そして子宮から出てきたばかりの赤ん坊に後戻りができるとしたら、それは大変な苦痛と苦悩を通り抜けることになる。生まれた時と同じ痛みで苦しむ。呼吸は乱れて激しくなり、呼吸困難を感じ、それどころか呼吸はまったく止まってしまうかも知れない。身体は麻痺し、死につつあると感じるかもしれない。なぜなら、それは子宮から出てきたときに感じたことだった。とても狭くて、暗いトンネルの中を通過しているような息苦しさを感じる。そして大きな恐怖が湧きあがってくる。
それゆえに誰か助けてくれる人が、介助、指南してくれる人が必要になる。誰か、護ってくれる人が必要だ。誰か力づけてくれる人が必要となる。「怖がらなくてもいい。心配しなくてもいい。それから逃げないで入っていきなさい、大丈夫だ」と言ってくれる人が・・・・・・。
明日につづく -
原初からの解放(二日目)
前日のつづき
かわいそうな赤ん坊は、このような西洋医学の産科学に基づいた安心、安全な出産というものに委ねられることになる。それは母子みずからの陣痛を待たないで、薬剤の力を借りて収縮を誘発することにより、多くの赤ん坊が医師や病院のスケジュールに従って取りあげられている。母体や胎児のからだの有機的なタイミングには何の意味もないかのように扱われているのだ。そして胎児はつねにモニターされ、生命活動標準数値が外れようものなら、さらなる介入が行われる。西洋医学にとっては完璧で安全な環境かもしれないけれど、子宮の中で10か月も過ごした胎児を出迎えるやり方としては、ばかばかしいほど非人間的であると、言わねばならない。
この産科学の最大の遇行は、ヘソの緒を早く切ってしまうことにある。子宮を出て最初に行われる呼吸はもっとも基本的な意味で個の自律的存在として自らを確立することである。自力で呼吸するというのは、本当の意味で自由に生きるための第一歩である。新生児の脳にとっては一定量の酸素がつねに確実に供給されなければならない。母体につながったヘソの緒による呼吸から肺呼吸への移行はスムーズに途切れることなく行われなければ酸素欠乏に陥ってしまう。酸素欠乏はのちに重大な心身への悪影響を及ぼすことになる。もっとよく注意して観察して欲しい、大いなる自然はヘソの緒から肺への呼吸の移行を十分すぎるほど保護してくれている。赤ん坊が生まれたあとも数分間は酸素を送り続けているのだ。新生児自身が肺で呼吸できることを発見し、時間をかけて少しずつ試み、やがて完全な肺呼吸を覚えて確立するまでヘソの緒は脈打ちつづけ、酸素を送り続けるのである。それが必要なくなったとき、はじめて機能を停止する。実を言うと赤ん坊がみずからヘソの緒を切るようなものなのだ。このように準備ができたら、ちゃんと母親から離れていくことができる。
病院の都合によるスケジュール出産を思い浮かべると涙があふれてくる。無理矢理ヘソの緒を切られて一時呼吸が止まってしまう、酸素の供給が突然ストップするのだ。さし迫る生命の危険、死がすぐそこまで来ているのにどうすることもできない赤ん坊、パニックが起こる! すると突然、赤ん坊は踵をつかまれて乱暴に逆さに吊るされ、背中を思いっきりどやされる。背中をどやされた赤ん坊は、暴力をふるう手から逃れようと本能的にからだを縮めてしまう。恥ずかしさ、怒り、憎しみの入り交じった最悪の気分から逃れようと感情的にも収縮し、さらに、心理面でも退却してできるだけ小さくなり、自分の内部に身を隠す手段として呼吸を抑えることになる。瞬時に自動的に、これだけのことをやっているのだ、ほかに対応のしようがないからである。ああ、もはや首をふって嘆息するしかない、そして産声を上げると、元気な赤ん坊だと言って騒ぎ立てる。誕生は野蛮で不合理な拷問、この世の暴力への入門式となってしまった。肺呼吸の仕方を学んだことが、人生でもっとも深く傷つけられた出来事になるとは・・・・・・。幸いなことにフランスの産科医フレデリック・ルボワイエールが開発した分娩法によってこれらの原初的な苦痛を避けることが可能になった。が、我が国においては未だ改善が見られない。F・ルボワイエール著『暴力なき出産』松村博雄訳(KKベストセラーズ、1976年)他にトマス・バーニー著『胎児は見ている―最新医学が証した神秘の胎内生活』小林登訳(祥伝社、1987年)、デーヴィッド・チェンバレン著『誕生を記憶する子どもたち』片山洋子訳(春秋社、1991年)の一読を勧める。
明日につづく -
原初からの解放
今週の担当は兵庫県の三田市から送信しています。
今回はリバーシングという呼吸法にふれてみたい。
リバーシングとは再誕生。米国の精神科医レオナード・オルによって発見された呼吸法である。あるとき、彼はバスルームでシャワーを浴びているときに、床に落ちていた石鹸に気づかず、その上に足をのせて転んでしまった。あまりの勢いのせいか、手をつく間もなく仰向けに全身を強打してしまった。一瞬にして呼吸は止まり、意識あるものの身動きとれない状態に陥った。息を吸おうとするも吸うことができない。そして全身の緊張が極限にきたとき、本能的な全身の弛緩とともに息を吐いていた。すると、その後に僅かではあるがこれも本能的に息を吸っている。彼はこれに賭けた、ひたすら息を吐くことに意識を集中した。少しずつではあるが息を吸っているのが肉感として感じられる。生への執着も手伝って、ひたすら呼吸することにだけ集中し全身全霊を傾けている。このとき、意識の変化を感じ始めていた。自分の記憶が遡っていくのだ、表層意識にはない1〜2歳の頃の記憶がはっきりと意識上に現れてきた。彼はまるで何かに導かれているかのように深くて速い呼吸をリズミカルに力強く続けていたのである。そしてその時はやってきた、呼吸困難を感じ、呼吸は乱れて激しくなり、ときとして呼吸はまったく止まってしまう。身体は麻痺し、死につつあると感じていた、それはまさに子宮から出てきたときに感じたことであった。彼は恐怖心から通常の呼吸に戻していった。この強烈な体験が彼を呼吸の研究に向かわせたのであった。その後の彼は精神学科の教授でもあったことから自分の学生らに何度も実験を重ね、療法として体系づけられたものが今日のリバーシングという精神療法としての呼吸法を確立したのである。そのリバーシングとは自分の誕生を想い出すことができ、再びその誕生を経験させてくれる。バース・トラウマという出産時に受ける肉体的、精神的ショックから解放されることによって、潜在意識の中にある誕生時の原初的な苦痛を快へと変質させられる。バース・トラウマは出産時に関係した産科医や助産師たちが、赤ん坊が何を必要としているかを知らず、逆に必要でないものを与えたことによってできた傷である。
出産時における強烈なライトは医師には大変便利であっても、赤ん坊のような敏感な眼にはまぶしすぎるし、まわりでたてる大きな音や声は赤ん坊には騒がしすぎる。また目の粗い布や、荒々しい触り方はデリケートな肌には耐えられない。このようなしうちは赤ん坊にとってひどい苦しみである。それでもまだ肉体的な苦痛は精神的な苦痛と比べると問題にならない。
また、子宮から出たばかりの赤ん坊はヘソの緒をとおして呼吸しているのだが、それをすぐに切り取ってしまう。かわいそうな赤ん坊は窒息して死んでいくようなパニックに陥るのである。そしてはじめて肺に空気が送り込まれるのであるが、それは熱い空気が肺を焼き尽くすような苦痛であると言われている。このような暴力で迎えられるという恐ろしい出生体験のあと、さらにぎゃあぎゃあ泣きわめく見知らぬ連中とともに新生児室に放置され、にせの食物を与えられることになる。
明日につづく -
遺伝子オン
以下の文章は、「こころと遺伝子」村上和雄著実業之日本社からの抜粋です。
人間のからだを構成している細胞には、外からのシグナルを受けるレセプターと呼ばれるものがあります。このレセプターを活性化することが、遺伝子情報をオンにすることであると、世界的に有名なアメリカの細胞生物学者であるブルースリプトンは言っています。人間には、このレセプターをオンにするものが絶えず必要とされています。レセプターを活性化するものは、化学的薬品や食品だけでなく、思いや愛、音楽、ことばなどといった非物質的なエナジーシグナルがそれ以上におおきな影響を与えていることが分かりました。
外部からの多くのシグナルや情報を受けとり、それを処理し、総合して細胞内に伝えるという意味で、細胞膜は細胞の脳の機能を持つと考えるにリプトンは到ります。
一連の実験の歳月を経て、リプトンは人間の遺伝子をコントロールするものとは、からだの外からのエナジーシグナルがその大部分であることに気がつきます。私たちは、大きな意味で地球の生命と共生している生命共同体であります。その生命とつながりをもたらすものは、まさに目に見えない、量子的なものであり、振動やエネルギーなどであります。音や、波動、磁気、雰囲気、景色や風、人の思いやこころなど、それらが人の個々の細胞にシグナルを発信しています。私たちはそのシグナルを受信して、必要な遺伝子のスイッチをオンにします。リプトンによると、人体の中で、目に見えないエナジーシグナルは、食べ物や化学物質などの、目に見える物質的シグナルと比較すると、なんと100万倍のスピードでからだのコンディションに影響を与えるといいます。私たちのからだはなんと、一日に約二%の細胞が入れ替わっているといわれます。神経細胞だけはかわらないといわれていますが、一年もすると、私たちのからだはまったく違う細胞からなる別の人のようになります。
DNAの二重らせん構造こそ、この複製機能をつかさどる構造だったのです。人の生命とは、絶えず自分の細胞を複製されることでいのちをリレーしているのです。
細胞の核の中にある一つのゲノムの中には、約三十二億個の化学の文字(塩基)が記されています。なんとその情報の量は、百科事典でいえば、三二00冊分にもおよびます。成人のからだには、その膨大な量の情報を持つ細胞が約六0兆個もあり、整然と生き続けています。
生命が誕生するということは、この文字の書き込みが、すごい勢いで十 ヶ月の間にコピーされて完成するということになります。また細胞が入れ替わるということは、コピー機能によって、新しい細胞に転写され続けているということなのです。したがって、三十八億年の生命の歴史がすべてからだの中にコピーされて(書き込まれて)生まれてくる人間は、とてつもない貴重な生命体なのです。ながながと書き写してしまいました。今年の1月3日に出たばかりの本です。
感動のあまりこんなに長くなってしまいました。
子供達にそのうちゆっくり話して聞かせたいと思っています。
ありがとうございました。
鵜原増満
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再び、間に合う
[間に合う]という表現はそれだけを取り出すとはっきりしない曖昧な言葉のように聞こえるが、文章の中で前後との関連を考えるととても生きてくる。
なにが間に合っているのか、間に合っているとはどういう事か、各自がそれぞれ考え感じなければならない。他人にはわからない
ことだからだ。自分自身の事、自分と人との関係、自分とまわりの環境との関係等々。しかも、生命現象だから常に変化している。今間に合っているとはどういう事か、常に考え続けなければならない。
常に間に合うよう心しずかに生きたいものだ。
間に合わず、悲鳴をあげて静かに訴えているおばさまの話しを紹介しよう。
「歳をとるとさびしくなる。優しい一言が何よりの薬なんだよ」
ありがとうございました。
鵜原増満
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バランス、間に合う
生命現象はバランス現象だ。曲がっている、ねじれているのが悪いのではない。曲がったりネジレたりして、からだはそれなりにバランスをとっているし、又、取ろうとしている。イタむ、つらいは、まに合っていないからだ。形の上から診断しては失敗する。要は動かしてみることだ。
人間は無限の極楽に生かされている。それでも不満を言い、無限の地獄に住んでいるように、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、。不平、不満を言ってバチが当たっている。生きるに間に合う程度のバランスを取っていれば、体と精神は相関し、又、相補し合っている。
欲をかくと失敗する。人が迷惑する。
まにあっていればいいんだ!まにあっていればよい、という心の豊かさが必要だ。それが、人間が生きる、と言うことの品性だ。橋本先生のお言葉をひもといてみました。
とても気になる二つの言葉が飛び込んできました。
バランスと間に合う、です。
特に、間に合うとはなんと奥深い、ステキな言葉でしょう!
じっくり味わいゆっくり考えてみたいと思います。今日はこの辺で・・・・
ありがとうございました。
鵜原増満
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インフルエンザ
岡村さん、ありがとうございました。おかげさまでゆっくり休養をとることが出来ました。
今日から一週間、東京の鵜原が担当いたします。よろしくお願いします。
昨年末、3才の男の子から、インフルエンザを有り難くいただきました。
子供の菌は強いようです。40度近くの熱を2日半も楽しんでしまいました。
二日間の潜伏期間の後発熱、39,6度でした。近くの開業医へ出かけ調べていただきました。が、菌は出ませんでした。
はじめて訪ねたお医者様・・・・・まず電話をかけてから来院すること、裏から来るように、検査の間20分位外にでていなさい、温かくしてね、とのありがた〜いお言葉をかけていただきました。
通常の風邪薬を処方していただきましたが、全然熱が下がりません。今度は新宿の大学病院へ出かけました。この時はしっかり菌が見つかり、タミフルを5日分最後まで飲むようにとの指示をいただきました。解熱剤も出ましたが、熱が下がったらもう飲まなくてよろしいとの事でした。
私の場合、高熱と喉を痛め付けられました。声が全然出せなくなってしまいました。
からだが弱っている時に[話す]ということが、こんなにも力のいる大変な作業だったのかと痛いほど実感しました。懸命に声を出しているつもりなのですが、声として外に出て来ません。
人とのコミュニケーションが簡単に出来るということがこんなにもありがたく素晴らしい事だったのだと今更ながら感謝せずにはいられませんでした。熱が下がるまで、ひたすら寝ることを楽しんでいました。からだ中だるく何もする気になりません。お正月だというのに食欲は全くありません。
これはきっと休養しなさいというサインなのでしょう!ありがたく休ませていただくことにしました。
菌に侵されている間、鼻が全然利かなくなっていることに気が付きました。よい香りも不快な匂いも味わえない、これはかなりつらかったです。
そして、いつもいつも気になっていた左の肩胛骨に痛みを感じました。少しずつ回復し、今はほとんど正常に戻っています。完璧にやられた喉がなかなか治らず苦労していますが・・・・・
ほとんど治った頃、インフルエンザのプレゼントをしてくれた男の子からラブコールがかかりニヤニヤしている私でした。子供は本当に天使ですね。
こんな年の始まりでしたが一週間よろしくお付き合いください。
ありがとうございました。
鵜原増満
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夢は大きく太平洋ぜよ!
正月も二日目ともなるとおせち料理にも飽きてきて、そろそろカレーが食べたくなってきた福岡の秋穂です。今回は年末年始をまたぐという大役を仰せつかって1週間ブログを書かせていただきました。毎回ブログを書き終わった後に、「もっとOOしておけばよかった・・・」とか、「あんなこと書くんじゃなかった・・・」とかとにかく思い返すと恥ずかしいことばかりですが、それも私の人間性と割り切って本日7日目もバシバシ書かせていただきます。
ついに始まりますNHK大河ドラマ『龍馬伝』竜馬役を福山雅治が演じるとあって、「男前過ぎる。」とか「年をとりすぎている。」とか賛否両論ありますが、個人的には待ちに待ってた『龍馬伝』ということでものすごく楽しみにしております。坂本竜馬の配役に関しては、つい先日最終回を迎えた『JIN』では内野聖陽が実に男臭い竜馬を演じ、その少し前の大河ドラマ『篤姫』では、玉木宏が少々優男風な竜馬を演じておりました。また遡れば江口洋介、市川染五郎、ダウンタウンの浜田など数々の竜馬像が生まれました。坂本竜馬という人間はあまりにも魅力的で、中々こと人こそ坂本竜馬というベストなキャスティングは難しいのではないでしょうか。ちなみに私のいちおしの坂本竜馬は(必ずブーイングを受けるのですが)福岡が生んだ迷俳優、海援隊の武田鉄矢さんその人です。ちなみに今放送中の某携帯電話会社のコマーシャルでも龍馬好きのおじさん役で出演していますし今回の『龍馬伝』でも勝海舟役で思いっきり出演しているあたりはお見事としか言いようがありません。自他共に求める龍馬フリークで、あまりにも好き過ぎて、自ら原作を書き漫画家小山ゆうさんに漫画を書いていただいて『お〜い、竜馬』という漫画も作っているし、自ら原案、脚本、主演として『幕末青春グラフティー坂本竜馬』というテレビドラマまでやってしまっているのであるから、竜馬ファンとしては超一流です。坂本竜馬好きについてはエッセイ集『母に捧げるバラード』の中にこんなエピソードが記されてある。まだ、超無名のフォークグループ『海援隊』の一員でしかなかった武田鉄矢が、博多の屋台で音楽仲間たちとの飲んでいる席でこんな話をします。将来音楽で売れて有名になったなら、坂本竜馬の映画を作る、大勢の音楽仲間が出演して、BGMにビートルズが流れるような映画を作る。その夢を実現したのが『幕末青春グラフティー坂本竜馬』だったのです。「思いは現実化する」といいますか、「好きこそ物の上手なれ」といいますか、本当に言葉は運命のハンドルを握っているのだな〜と思うエピソードです。そんな私も武田鉄矢さんの演じる坂本龍馬を観ながら、坂本龍馬という人間に興味を持ち、いつの間にやら坂本龍馬をこよなく愛する人間の一員になりました。鳥のヒナが最初に見たものを親と思いこむように、本物の坂本龍馬像以前に武田鉄矢の竜馬像がすり込まれてしまっているので、これはこの先も消えることのないイメージなのでしょう。でも今回は福山雅治の作り出す新しい坂本龍馬像に期待して一年間楽しみたいと思います。今年は東京操体フォーラムも分科会や関西地方での開催など、これまでとは異なるまったく新しいプロジェクトを計画しております。坂本龍馬にあやかり世界中に操体の魅力と、快適感覚の持つ無限のエネルギーを発信できるような『世界の東京操体フォーラム』に成長していきたいものです。では今年も一年間よろしくお願い致します。
今日まで一週間本当にありがとうございました。明日からは鵜原さんが体調不良のため、急遽一週間繰り上がって我等が東京操体フォーラム実行委員長、みんなの憧れの治療家ナンバーワン、茅ヶ崎のファイヤードラゴン岡村郁生実行委員長の登場です。
秋穂一雄
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初詣
東京操体フォーラム実行委員リレーブログをご覧の皆様、新年あけましておめでとうございます。昨年中は誠にありがとうございました。思い返すと昨年は東京操体フォーラムも千葉県市川市の行徳ゴールドジムでの『臨床家による操体法セミナー』も始まりコレまで以上に充実した一年を送らせて頂きました。本年も昨年以上に質の高い操体の情報を発信していく事が出来るように努力していきますのでどうぞ宜しくお願いいたします。
それでは新年最初のブログも引き続き福岡の秋穂が努めさせていただきます。我が家の平成22年の元旦はコレまでのお正月とはちょっと変わったお正月となりました。初めて自宅でお正月を迎えようと言う事になったのです。今までは私の実家にて年を越す事が多く、中々自宅でお正月をゆっくり過ごすと云う事がありませんでした。でも今年はおせち料理やお雑煮も自分たちで用意して整骨院の仲間達を自宅に迎え、手作りのお正月を過ごしてみました。初物づくしで中々上手に行かない事も多かったのですが、とても楽しい時間を過ごす事が出来ました。そして、初詣は今年はETC割引を有効活用させていただき、宮崎県の高千穂に行って来ました。日本神話に神々の国として残されているだけあって、本当に厳かで都市近郊の「何万人参拝しました。」というお宮参りとは違ったゆったりとした初詣となりました。
写真は高千穂の少し熊本よりにある日の本弊社立神社です。天孫降臨に縁のある神社で、最近では世界一新しいパワースポットとしても注目されているみたいです。
秋穂一雄