佐助という名でブログに登場するのは2回目となります。今日から一週間担当させていただきますがよろしくお願い致します。
本当は初回に自己紹介するはずなのですが、今回改めて自己紹介させていただきます。
佐助とは、「猿飛佐助」です。操体を学ぶうえでの僕の名前となりました。
これは、三浦理事長が橋本敬三先生からいただいたあだ名を、僕がいただくことになりました。(理由は諸事情で・・・笑)
僕は佐助という名がとても気に入っています。理由は簡単なのですが、ひとつは三浦理事長から受け継ぐ名前だからです。ふたつめは同じ信濃の人間であり、真田幸村に仕え真田十勇士の一人だからです。
簡単に歴史を紐解くと・・・。(Wikipediaより)
猿飛佐助は信濃の鳥居峠の麓に住む鷲尾佐太夫という郷士の息子。戸隠(現・長野市)の山の中で猿と遊んでいるところ、戸澤白雲斎に見出されてその弟子となる。甲賀流の忍者だが、甲賀の里で修行した経験がない。真田幸村(信繁)に仕え、真田十勇士の1人として知られる。同じ十勇士で伊賀忍者の霧隠才蔵は、ライバルでもある。大坂夏の陣で徳川方に敗れた後、幸村(信繁)と共に薩摩に落ちのびたという。
真田幸村(信繁)の父である真田昌幸は甲斐武田氏の旧臣であり、1583年(天正11年)に上田城が築城された。


やっとここで、甲斐武田氏が登場しました。実は僕の家の家紋は「丸に武田菱」で、武田の流れらしいです。

変わった自己紹介になってしまいましたが、一週間お付き合いよろしくお願いします。
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佐助とは・・・
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さしだす
この前TVを見ていたら、こんな事を言っている人がいました。
「知恵を出す人、知恵を出せ。金を出す人、金を出せ。物を出す人、物を出せ。命出す人、命出せ。」
とても印象に残っていて後で調べたら、鳥取大学名誉教授で農学博士の遠山正瑛さんの言葉でした。
遠山さんは中国内モンゴル自治区の砂漠の緑化に力を尽くされた方だそうです。65歳の時にモンゴルの砂漠に植樹する事を思い立ち、30年以上かけて300万本以上の植樹をやり続けた人だそうです。
「やればできる、やらなければできない、続ければ成功、やめれば失敗。」と言われていたそうですが、そう考えられる人でなければ、とても出来ない事だなと思いました。その番組は、いろんなところで人の役に立つ仕事をしている日本人を取り上げているのですが、よく目に留まってつい夢中になってしまいます。困難なことを実現しようとする志や、次々に立ちはだかる障害を越え続けていく姿に感動して、偉い人ってたくさんいるんだなぁと感心してしまいます。ぼくのような凡人にとっては、それだけの意志を支え続けるものってなんだろうという興味があります。
遠山さんの言葉を聞いて、なるほどそれでいいんだな、何も無いからどうしたらいいんだろうと思ってたけど、いのちを出せばいいんだな、それなら俺にもあるもんな、と思いました。と言っても、もともと僕のものじゃないんですが(笑)。
『この私のイノチを「生かされているイノチ」としてとらえてみる、生かされているイノチとは「授かりしイノチ」のことで、自分のイノチであって自分のイノチではない存在。つまり、このイノチを生かしてくれているものの存在に、私のイノチそのものがあるという考えです。そう理解すると、「自分勝手にできないイノチ」であって「いつかお返しするイノチ」なのではないか。「授かって、お返しするイノチ」とは、このイノチを生みだしている元(起源)に肉体を脱ぎ去って帰れるイノチであり、元におさめる、おさめさせていただけるイノチではないのか。』
三浦寛著「快からのメッセージ」より
しかし、いのちを差し出すとは言いながら、そこは凡人の浅はかさでありまして、はいどうぞ、このいのち好きなように使ってやって下さいと、無条件に両の掌を拡げることはなかなか出来ずにいます。おそるおそる一寸だけ拡げてみたり、あわてて引っ込めてみたり。これじゃぁなかなか神サマも使いづらいだろうな、と思います。
そもそもいのちを差し出すってどういうことだろう、と考えると、この人生を「自分」の好きなように使うのではなく、「自分勝手にできないイノチ」として「イノチを生みだしている元」に「どう使ったらいいですか」って尋ねながら生きていくことなのかもしれません。その鍵は「授かりしイノチ」にもともと備えられている「感覚」にあるのではないでしょうか。
『存在するそれぞれのものは天然のそれぞれの振動に共鳴した時調和する。生物はこれを快適と感覚する。人類はこの原始感覚を出来るだけ純粋につかもうと、それに指向すればよいのだ。生命は快適な調和なのだ。天然の設計にミスはない。』
橋本敬三著「からだの設計にミスはない」より最近神サマに「どうする気なんだ」とか「早く決めなさい」とか、よく訊かれているように思うのです。人間の親に言われているのと同じで、凡人としては多少鬱陶しく思っていましたが、師匠にお話しすると「向こうにも大事なことだから訊いてくるんだゾ」と言われて、なるほどと思いました。昨日の話じゃないですが、せっかく扉を開いているのにそいつが入ってこないんじゃぁ、どうしようもないですよね。ならばなるべくその心に沿って生きたいなと思います。
そう考えると、自分の人生は、ハイ!と無条件に言えるようになる為の人生なのかな、お返しするまでその事を学んでいくのかな、と思っています。それも一回出来たらもう終わりっていうものじゃなくて、お返しする最後の瞬間まで、ずっと続いていくものなのかもしれません。いのちを差し出すことでしか見られない風景がきっとあると思うんです。
それが見られたら素敵だなと思います。
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一週間お付き合いくださいまして、ありがとうございました。
京都でお会いできるのを楽しみにしています。東京操体フォーラムin京都は8月28日(土)、29日(日)に開催です。山本明
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選ばれない理由
昔々、あるオーディションを受けた事があります。
それが「国民的美少女コンテスト」とか「東宝シンデレラ」とかだとチョットオモロいのですが(想像しないようにお願いしておきます)、勿論そういうものではなく(笑)、坂東玉三郎さんが学校を作られるのでその生徒を募集するというものでした。
僕自身はアイドルやシンデレラになるなどという野望は持ち合わせていませんでしたが、友人にプロの俳優志望の人間がいたので「お前チャンスだから受けてみろよ」と勧めたのです。僕はその彼が翻訳劇とかよりも日本人らしいものが向いているんじゃないかと思って勧めたのですが、あまり気が進まないらしく「お前が受けるなら」と云うので二人で応募したというわけです。ところが、僕が当日オーディション会場にいつものしょっぱい格好のままノコノコ行ってみると、友人が来ていない。これじゃぁ何の為に行ったのかわかりませんが、せっかくなので噺の種にと思い、受けて帰ることにしました。
玉三郎さんが生徒を募集するとなれば、何千か、万に届く応募があったでしょう。
僕は当然、ワケのわからんオジサンの前で10人くらいが並んで、1つの質問に順番に答えてお疲れさまでした結果は後日、みたいなことを想像していたのです。
ところがどうぞと言われて中に入ってみると、玉三郎さんを真ん中にオーディションをする方の人が3人が並んで座っていて、受ける方は僕一人です。さすが一流というのは手を抜かないですね。僕ごとき馬の骨にもご本人が面接してくださいました。
僕は絶対受からなきゃという意気込みで行った訳じゃなかったのですが、玉三郎さんがスゴい人だという事は感じていたので、ご本人を目の前に、自分の素材の貧しさを思い、申し訳ないやらありがたいやらで何とも言えない表情になっていたと思います。一応演出家志望として応募していたので、玉三郎さんが気さくに演出についての質問をしてくださり、真面目に思っている事を答えはしましたが、今思うと僕のような青々とした青二才の言葉をよく我慢して聞いてくださったなと思います。ありがたいことです。
30分くらい話しをさせてもらったでしょうか、そろそろ終わりかなと思っていると「君、ちょっと台本を読んでみないか」と言われました。今なら、どんな奴でもとにかくやらせてみよう、可能性をみてあげようというお心遣いだったと思いますが、その時はそこまで察する余裕は毛頭なく、天下の玉三郎さんの前でド素人の自分が台詞を読むなどという大それた事の恐ろしさに堪えられず、台詞を読まないままオーディションを終わりました。今の自分なら、面白そうだとホイホイやってしまいそうですが、せっかくのお気遣いを感じ取る事が出来ず、本当にアホな事をしました。
結果はもちろん不合格でしたが、もしあの時、あの言葉に乗っていたら。
やっぱり超一流の役者にはならなかったと思いますが、何か違うものを得られたかもしれません。
何よりもあの言葉に乗っていけなかったということが、才能が無かったということだなと自分を振り返ることがあります。選ばれない理由というのには様々あると思いますが、せっかく選ぶ方が扉を開いてくれていても本人が乗っていかないというのはどうしようもないですよね。
目の前に道があるのに気付かずに迷ってみたり、こんな道はイヤだと言ってみたり。神サマも、こんな奴らの面倒は見切れないとヤケにならないでよく辛抱しているなと感心しますが、道が無いように見えても、この道じゃないように思っても、自分の思惑はいったん横に置いて歩いてみると、思いがけない景色が開けたりするものです。今の自分は思惑をどこまで放っておけるかな、どこまで道をききわけられるかなと思いながら今この道を歩いています。
今年の東京操体フォーラムも、新たに「東京操体フォーラムin京都」を行うなどの活発な活動が予定されています。以前「行き先のわからないジェットコースター」と書きましたが、最近は地球を飛び出して無重力を旅するロケットに乗っている感じです(笑)。正直振り落とされないかヒヤヒヤする事がありますが、師匠に話すと「お前の想像を超えてるんだろ、だったらいいじゃないか」と言われて納得しました(笑)。確かに想像以上の景色をこれからも見せてもらえそうです。
東京操体フォーラムin京都は京都大徳寺玉林院で8月28日(土)、29日(日)に開催です。皆さんのお越しをお待ちしています。あ、ちなみにですが、あの時オーディションに来なかった友人は今、歌舞伎俳優になっています。なんでやねん!と激しくツッコミを入れたくなりますが(笑)。
山本明
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京都府立植物園
朝、出がけにTVをつけたら京都府立植物園の入場者数が連続日本一になった、というニュースが流れていました。僕も好きでよく行っていましたが、そんなに人気あったんだなぁと思いました。最近行っていませんが、とても良いところです。
あの植物園のことで最初に思い出すのは、阪神淡路大震災の時のことです。
避難所に2週間ほどボランティアに行って一旦大阪に戻って来たのですが、なぜかたまらずあの植物園に行きました。今になって思えば、木々に癒されたかったのかもしれません。
あの災害の現場で、いろんなものを見ることになりましたが、それは必ずしも快いものばかりではなく、人間はこうもなってしまうのかというものでもありました。
まさかそこまでと思っていたことが、簡単に崩されてしまう。
まぁ要するに青かったんですね(笑)。何もわかっていなかったし、見えていなかったんです。
平穏無事に暮らしている時には決して見ることの出来ない人の姿を見たということは、学びではありましたが、自分では簡単には片付けられないものでもありました。
人には癒してもらえない、と思ったんだと思います。
真冬だったのでひっそりとしていましたが、寒さの中で梅がつぼみをつけていたのが印象に残っています。あの木々たちのいのちに癒してもらいました。ありがたいことです。ありがとうございました。その後3月末のボランティア引き上げまで現場に行きましたが、素晴らしい人達とも出会うことができました。日本の各地からボランティアにやってきた人達、避難所の温かい人達、今ではどうしているのかわかりませんが、出会えてよかったなぁと今でも思っています。
あの現場でいのちのことを学ばせてもらいました。生きること、死ぬこと。
余震に揺られながら、ここで死ぬのかもなぁ、まぁそれもいいかなと思っていたことを忘れないと思います。最近また植物によく目が行くようになりました。その場に根を張ってただただ生きている、そういう姿に気持ちが向くようになりました。操体に出会う以前の僕にとっては植物は風景に過ぎなかったのかもしれません。今はそれが同じいのちとして感じられる。ありがたいことだと思います。
またあの植物園に行ってみようかなと思います。
皆さんも東京操体フォーラムin京都にお越しの際に行かれてみてはいかがですか。
東京操体フォーラムin京都は京都大徳寺玉林院にて8月28(土)、29(日)に開催です。
お会いできるのを楽しみにしています。
山本明
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観る落語
子供の頃から落語は好きでしたが、田舎で育った僕にとっては、落語は観るものではなくて、聞くものでした。
今ではTVで落語を観れますしDVDなんかもたくさんありますが、当時の僕にとってはラヂオから聞こえてくるものでした。
志ん生師匠、円生師匠、文楽師匠などなど、当時はまだラヂカセの時代でしたのでテープにとっては何回も聞いたものでした。僕は文治師匠の「禁酒番屋」が好きでした。昔から下にさがる噺が好きだったんですね(笑)。先日寄席に連れてっていただく機会があって、間近で生の落語を観ることが出来ました。当たり前ですがラヂオとはまるで違いました(笑)。刺身と干物くらい違います(かえって分かりづらいですね)。
僕は演芸事情に詳しくないので、存じ上げない芸人さんがほとんどでしたが、スゴい人はいっぱいいるんだなぁと思いました。
特にスゴいと思ったのは、舞台に出てくる時です。TVでは端折られていてわかりませんが、プロの芸人さんというのは喋りだす前に場の空気を変えてしまうんですね。それぞれその変わり方も違うんですが、早い時には顔を出した途端に楽しくなってしまう、笑いたくなってしまう、そういう気分にさせてもらえるんですね。そして明らかにそういう事を意識してされているんだなという事がわかります。きっとそれぞれの芸人さんがからだで掴まれている感覚なんでしょうが、プロというのはスゴいもんだなぁとあらためて思いました。あれを味わわせてもらうだけでもお金を払う価値があるなと思います。臨床でも、師匠や先輩の姿を見ていると「前」って大事だなと思います。顔を合わせる前、触れる前、離す前、お帰りになる前、それぞれの「前」に臨床全体への姿勢が現れていて、全体を貫くものがこの過程ではどう現されるべきなのかはっきり意識されているのだと思います。
先日も三浦先生や畠山先生に足趾の操法をしていただく機会がありましたが、自分が同じことをやっているとは言えなくなるほど、始めから最後まで全くちがうレベルのものを味わわせてもらいました。
真打ちと前座ではこうも違うのかと思います(汗)。これをご覧の方の中には、本の中でしか操体を味わったことのない方もいらっしゃると思いますが、是非一度東京操体フォーラムや操体法定期講習会に参加していただいて「生」の操体を味わっていただきたいと思います。僕も最初に思いましたが、想像しているものを超えるものが味わえると思います。
山本明
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つながる
色川武大の「狂人日記」は思い入れのある小説の一つです。
昔、この小説を最初に読んだ時、怖くなったのを憶えています。
怖くなったというのは、正常な人間の目から見た狂人の世界が異様だった、という意味ではなく「あ、これは俺のことだ」と思った自分がやはり狂っているのではないかという恐怖でした。今思えば、そんなことを考える時点でだいぶオカシイですが(笑)、アホにもそう思わせるということが、この小説がスゴい作品だという証拠かもしれません。いろいろな場面がこころに残っています。
夜半、暗い部屋の中でふと我に返ると、口の中に今の今まで大きな声で吠えていた感触が残っていることに気が付き、初めて自分が我を忘れている時間があることに気が付く場面、
せっかく生まれてきたんだから自分も誰かの役に立ちたかったと呟く場面、
人の感情というのは詰まるところ孤絶だという台詞、
そして唯一の繋がりだった同居人が戻ってきたのかどうかも分からない彼の感覚の世界を描いた最後の場面。
繋がりを感じ取れずに生きていくというのは本当に哀しいことです。思うに、人の不幸というものは自分の感覚を信じられなくなることなのかもしれません。
それが自己否定ということの正体ではないでしょうか。
先日操体法定期講習会で三浦先生が「皮膚のことを感じていれば、自己否定は出来ない筈だ」と仰っていました。
操体と出会うまで、自己否定の国から自己否定を広めにやって来たような人間だった自分にとっては、本当に滲みる言葉でした。
世界の広がりというのは自分が感じている以上のものだと思います。そしていのちには今自分が感じている以上のものを感じ取れる力がある。それを邪魔しているのは今自分が感じていることが全てだ、という思い込みだと思います。僕は操体からそういう事を学んでいます。
皮膚には「自分が思っている世界」以上の「命そのものの世界」を感じ取るチャンスが隠されているのかもしれません。
自分が、ではなくからだが感じていることに心を向けてみる。そのことが自分と世界の本当の繋がりを感じて生きられることにつながるのかもしれません。
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山本明
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京都でお待ちしています
相も変わらず大阪に暮らしていますが、僕の住んでる堺というところは歴史に興味のある方には魅力的な街らしいですね。
僕は全くその方面の教養も欠落していまして、テストでもビリばっかりでしたので、実行委員のメンバーに堺について逆に教えていただいたりしています。歴史に対して現実感が湧かないんですね。「もう過ぎた事なんだから、気にするなよ。」と言って歴史好きの友人を怒らせた事があります(笑)。今年は平城遷都1300年祭って言うんですか、いろんなイベントがあるようで、あちこちから観光客が来られているらしいですね。疎い私は、あの小朝師匠に似ているキャラクター「せんとくん」しか知らないんですが、一つだけ興味のあるイベントが「なら国際映画祭」です。奈良在住の映画監督、河瀬直美さんが顧問をされています。
前もってお断りしておきますが、この映画祭は、東京操体フォーラムin京都が京都大徳寺で行われます8月28日(土)、29日(日)と同じ日に開催ですので、これをご覧の方は間違えて奈良に行かずに、京都にお越し下さいますようお願いしておきます。当たり前ですが、僕も京都でお待ちしています(笑)。
河瀬さんの映画を初めて観たのは、もう15年位前になるでしょうか。育ての親のお祖母さんとの関係を題材にした「かたつもり」でしたが、映画を創るという事に対する今までの考え方を吹っ飛ばしてもらいました。
お祖母さんがカメラを構える河瀬さんに向かって「私のことを好いてくれてるか」と問いかける場面は何度見ても心が揺さぶられます。技術論や方法論でなく、何より撮る方と撮られる方の関係性が画面に写り込んでしまう。
写らないはずのもの、見えないものが、確かに在ると感じられて、それが観る人間の心を動かしてしまう。この映画に限らず、いい映画というのはその現場でお互いが影響しあっている様子がフィルムに焼き付けられているんだなと改めて思います。人が写っていなくても、テーブルの上のグラスだけで引き込まれることがあります。撮り手はただ機械を操作しているだけじゃない、見えないし触れていないのに、レンズの先に在るものと影響しあって変化を起こし、現象を変えてしまう。
どれだけお互いの関係を観て取ることが出来るのか、感じ取ることが出来るのか、これはきっと臨床でも同じだなと思います。
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山本明
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フワク
お久しぶりです。山本です。
毎度大阪からご機嫌を伺います。一週間お付き合いを願っておきます。えー、月日は百代の過客にして行かう年もまた旅人なり、なんて昔のエライ人は云ったそうで、月日の経つのは早いもんでございます。
私にも人並みに誕生日てぇものがありまして、先月一年ぶりに年を取りましたが、自分でもこの間小学校に上がったかなぁと思ってる間に、お兄ちゃんだと思っていた高校球児がいつの間にか年下になり、鏡を見て我ながらもうこんな年かと驚きますから、時の経過というのは恐ろしいものです。「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲するところに従いて矩を超えず」なんて事をいいまして、学校で意味も分からず暗唱していましたが、今その年齢になってみるとなるほどなぁと思うときがあります。
惑いっぱなしのまま不惑を過ぎ、「フワクってなんだい、喰ったらうまいのかい」くらいにしか思っていませんでしたが、不思議なご縁で操体に出会い、丸2年が経ちました。何かがわかったというわけじゃないんですが、この道を行くんだなということは感じています。惑わないということは揺れないということとは違うんだな、軸を感じていることさえ出来れば揺れていてもいいんだなと思えるようになってきました。我ながら、この年になってこんな事しかわかっていないのか、と思わないでもないですが、自分は過程を踏んでわかっていくしかないんだなとも思っています。
昔々、学校では「七十にして心の欲するところに従いて則を超えず」と習ったように記憶しています。その時は「なんてつまらない事を云う奴だ」と思いました(スミマセン)。最近孔子の子孫の方の本を読む機会があり、その事を思い出してちょっと調べたのですが、「矩」というのは直角や物理のモーメントを表すらしいですね。物理や数学は赤点しか取った事がないので全く理解していませんが、なんとなく三浦先生がよく仰っている「縦軸」を連想しました。「矩」は人間が決めた法律のようなものを指してるんじゃなくて、自然法則のことを言っているのかな、自然法則を学ぶのなら操体も一緒だなと思いました。
何を探して歩いているのかも分からずに惑ってきましたが、自分は自然の理というものを求めているんだな、そしてそれは道の行く先にあるんじゃなくて、道そのものを歩く事にあるんだなと、あらためて思いました。
大先生も七十になって自然法則に従って動けるようになったと言われているのだとしたら道程は遠いですが、自分もこの道を自分の足で一日一日一歩一歩歩いていく事しかないなと思っています。
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山本明
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「アンケートまだまだお待ちしています」
分科会にきてくださった皆様のアンケートを読んでみました。アンケートをとると操体業界の現状が見えてきます。
「操体はいいものと思っていても、なかなかうまく臨床に活かせない」そういった想いがアンケートから伝わってきます。私の患者さんも、「操体は他の治療法とは違っていて、からだで感動して治るのに、なんで世の中の人は知らないのでしょうか。もっとブレイクしてもいいと思う」といっていました。
橋本先生が晩年に「気持ちの良さで治るんだよ」とおっしゃっていましたが、これは確かなことです。三浦先生の言葉をお借りすれば、「イノチには気持ちの良さで治りたいという意思がある」ということですね。
これらを臨床、日常で体感すると、オーバーじゃなく「ああ、イノチってありがてえなあ。ししっ(手バナ)」って口をついてしまうのは私だけでしょうか。しかしなぜ操体は世の中に浸透しないのか。
これは臨床家がいかに「感覚をききわけるか」ということに深く意識をおいて学び続けるかにかかっています。パターン化して同じ施術をやっていても、からだに飽きられます。これはどんな治療法でも同じだと思います。からだについて深化を続ける先生はやはり一流と呼ばれますよね。
進化、深化を止めてはいけない、これは患者さんのからだを前にしていつも思うことです。今回の分科会は、「感覚を聞き分けることの大切さ」「感覚をききわけていただくために臨床家として必要なこと(般若身経、ひかがみ)」「操体は治療法だけではない(食について)」など、
私たち実行委員が、操体を学ぶプロセスで自分が苦労したこと、興味をもったことをより深めさせていただきました。参加者の方々の疑問に答える事ができたのかどうか、アンケートを見直して次のフォーラムにつなげたいと思います。
書いてくださった方々、厚くお礼申し上げます。まだ用紙が手元にあって「出そうかな〜?」と迷っている方、まだまだ受け付けております。分科会はまだ始まったばかりなので、改善点等も書いていただけると次に行かせるので大変ありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。きょうはこれから足趾の操法のアシスタントです。
「気持ちのよさがわからない」「なかなか感覚のききわけをしてもらえない」という臨床家にとって、足趾を極めることは多いなるステップアップにつながりますよ。味わっていただきながらさりげなく、診断、治療にもつなげているのがうふふのポイントです。5月3、4、5日は「足趾の操法/応用編(趾回し)」。私は拘縮が強くて膝が伸ばせない患者さんにもできるので重宝しています。からだの緊張が強くて触ろうとすると悲鳴を上げる方がスーッと柔かい表情になりますし、どんなかたでも気持ちのよさは聞き分けられるのは私が証明します。
今からでも参加できると思いますので、興味のある方は問い合わせしてください。*第3回足趾の操法集中講座
http://blog.teizan.com/index.php?blogid=453&archive=2010-1-26では、一週間のおつきあいありがとうございました。
次回は8月28、29日京都大徳寺でのフォーラムでお会いしましょう!山野さん、明日からよろしくお願いします。
森田珠水
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「赤ちゃんはなめらか、ゆっくりの天才」
関東は久しぶりの快晴でした。
皆様ゴールデンウィーク、いかがお過ごしでしょうか。昨日は4/25に出産した友人をお見舞いに行きました。
高校時代の同級生なので、年齢的にも大変だったはずです。
聞けば、陣痛が始まってから出産まで24時間かかり、その経験はまさに「文化部の生徒がいきなり体育会の合宿に入れられた」ようだったそうです。
苦労話は沢山あるようですが、とにかく無事にこの日を迎えてくれて安心しました。
うれしいです。赤ちゃんはこの世に生を受けて4日目。
私はまだ「しわしわこざる」かなと思っていましたが、顔はちっちゃいのにパーツの大きい、すっきりハッキリした顔立ちの美男子(驚)。
お母さんにもお父さんにも各所が似ていますが、特に目の表情がお父さんを彷彿させます。遺伝子の不思議を感じました。
なんでも一日ごと、数時間ごとに顔も表情も変わるそうで、見ていて飽きないらしい。出産見舞いのお約束で、足趾の操法をし脇のくすぐり(赤ちゃんは脇をくすぐるとからだが整うのです)の話をしていると、赤子がぐずりはじめました。
相方が抱っこしてゆりかごのように揺らしていると、
「ね、眠たいんだけど、誰? この人見たことない…」と言いたげに、じーっと見ながらうとうと(笑)。
かわいるぎる〜。かわいんだけど、時々眉間にしわが寄ったり、白目向いたりの変顔に3人爆笑。笑いながらも、その微妙な表情の変化には素直に感心しました。ある表情から次の表情に移るまでの流れがゆっくりでなめらかなこと。筋繊維の、いや細胞の一つ一つがちゃんと働いているようです。微妙な動きは、からだのすみからすみへきれいに連動できているのでしょう。
思い出すのは三浦先生、畠山先生と同じ日にポートレイト撮影をしていただいた時のこと。わたしはやわらかい笑顔を表現するのに緊張しすぎて苦心したのです。プロのカメラマンのさすがの誘導で、今まで一番いい感じに撮っていただきましたけれども、この日にみた赤子の表情のこのなめらかな動き!!これができたらもっとビューチフルに写ったかもしれないのです。
赤ちゃんは動きの天才ですな〜。みている大人側もゆったりした波動が共鳴して、なんだか幸せな気分に。
私もこの頃にはこんな表情をしていたはずなのに、オトナになると何故できなくなるんでしょう。いや、顔の表号は、意識して表現しようとすればれば、きっと取り戻せるはずです。
周りの大人を見て「こんなに細かい表情筋を使っている人がいるだろうか」と考えたのですが、…いらっしゃいました! 我がフォーラム相談役の巻上公一さん!
先日の「ヴォイスの奇跡」と題したヴォイスパフォーマンスのイベントでも、トークライブで田口ランディさんに「いつも変顔している変な人」と評されてました(もちろん面白い人の意味で、そういうツッコミができるほど仲良しなのだそうです)。
確かに巻上さんは、ライブなどで「表情筋はいくつあるの?」という細かい動き(そして変顔)をされています。声帯は手足の末端(遠位)、顔の表情筋(近位)とも、からだ全てとつながっているので、隅々まで使うということは、声量も表現も向上します。
私も巻上さんのワークショップに参加していた頃は、もっと顔が柔らかく使えたことを思い出しました…。
人の表情も声も数えきれない程の表情がグラデーションであるのを気づかせてくださいます。巻上さんグラデーションさ加減を見たい、そして自分の声、顔、からだを開発したい!と思ったあなた、こちらをおススメします。*巻上公一ヴォイスパフォーマンス講座
http://www.mothership.info/makigami.html昨日の赤ちゃんの表情のように、ほわあ〜っと、ふわ〜っと、動けるようになりたいです。これが動診の時にできるようにすべし、とイメージを刻みました。
もちろん、普段の動きも、からだを壊さず、きっと美しく表現できるはず。この次写真を撮られる時にどれほど向上しているのか楽しみです。
森田珠水

