カテゴリー: 未分類

  • 見極める

    私の血液型はA型である。あまり血液型占いというものは好きでは無いが、A型男子で検索してみると、「何事にも細かく計画を立てて慎重に行動する優柔不断で石橋を叩いて渡るタイプ」と書いてある。細かく計画を立てて慎重に行動するというのは微妙だが、優柔不断というのは決して外れてはいない。二者択一を迫られると非常に弱いのだ。食後のデザートにケーキとフルーツがありますが、どちらにされますか?と聞かれるとつい「両方!」と答えて思わず食べ過ぎてしまうタイプなのである。しかし私の特技のひとつに「とにかく美味しそうにご飯を食べる」というのがある。私は味覚のねじが少々緩いのか何を食べても美味しく感じられる。これは一緒に食事をする人にはだいたい褒められる。私自身は本当に美味しいと思って食べているので褒められると反って恐縮してしまう。でも何でも美味しく感じられるというのは結構幸せな事だ。良く「健康の為に動物性のものは一切口にしません。」と言われる方がおられるが、これは何となくもったいない気がする。橋本先生が肉を食べたらその倍の野菜と4倍の雑穀類を食べると云う事が、自然法則に適った食事の仕方だと言われている様に「からだに悪いから絶対肉を食べるな。」とは書いていない。一週間に一回くらいは美味しいステーキを食べる楽しみは残してくれている。だいたい肉食草食に関係なくみんなそれぞれのイノチをわが身に頂いて私達は生かされているのだから、こいつはからだにいい、こいつはからだに悪いと勝手に決めつけてしまうのは良くない。なんでも有り難く頂戴するべきだ。

    今回は頭っから脱線してみた。ここからが本題。「見極める」私達の生活の様々な局面において見極めなければならない時というのが起こってくる。治療家という職業を生業にしている私達にとっては、見極める(診断する)というのは死活問題にもなりかねない生活必需品である。診断といえば昨年の7月10日の三浦理事長のブログにも書かれているが、理事長の診断には度肝を抜かれる。操体の診断は視診・触診・動診と言われるが、眼を凝らして良く見ても、見ても触れても動かしても無いのに、歪みの部位を的確に捉えているのだ。膝窩の圧痛・硬結は勿論、いつぞやは私の額にある歪みの存在を私がトイレに行っている隙に見つけられていた。本当にわからない事だらけである。(フォーラムに参加された事がある人なら三浦理事長の摩訶不思議な診断法をご覧になった事があると思います。)「よしそれなら僕もと!」と見よう見まねでやっては見るが、ただの当てずっぽうではやっぱり上手く行かない。やはり患者の持つ何らかの情報が理事長の琴線に触れることにより診断が成り立っているのであろう。

    私達実行委員は常に三浦理事長を手本とし、少しでも理事長の感性に近づきたいと想い操体を学んでいる。しかしこれは何も操体の臨床だけに留まらず日々の生活の中においても、三浦理事長ならどのように考えるのか、どのように行動するのかを意識していくことで、自分自身の感性を磨き続けていく必要性があるように思う。始めのうちは猿真似でも構わないと思う。スポーツや武道の練習がそうである様に、理想のフォームをイメージしながら反復練習をすることで、それが型となり自分自身の技術へとつながり自分自身の感性を磨いてくれるのだと思う。そういえば三浦理事長がこんな事を言われていた。「感性を磨く為に、本当に勝ちのあるものに触れて見る目を養う事が大事なんだ。美術品でも装飾品でも、本当に良いものに触れると、その良さは細胞が記憶して決して忘れることはない。そして一度良いものを知ると、それ以下のものには見向きもしなくなるんだ。」やはり感性を磨く為には一流のものを知るという事から始めなければいけないようである。そうやっていく中で自分自身の見極める力が養われて来るのであろう。

    秋穂一雄

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part Ⅱ(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 斎藤の肩

    そういえば橋本先生の本の中に『中西の手首』という昭和の名バッター中西太選手の手首の腱鞘炎について書いた文章があります。西洋医学のお医者さんがさじを投げた中西選手の痛めた手首を市井の接骨医が脱臼だとして整復して治してしまったというエピソードに関連して、現代医学の盲点である感覚異常や機能異常を引き起こす運動系の歪みへの理解の重要性について書かれているものです。この中西選手は手首の痛みが原因で2シーズンにもわたって成績が芳しくないと書かれているのですが、現代の日本プロ野球界でも同じような問題で悩んでいる選手がいます。福岡ソフトバンクホークスの斎藤和己投手もそのひとりです。2008年に肩関節不安定症に伴う回旋腱板の手術を行って以来3シーズン公式戦のマウンドに上がっていません。「球界最高の投手」と称された球界のエースがボールを投げることすらままならなくなっているなんて、本人の気持ちを考えるとたいそう刹那くおもいます。しかしやはりこれも中西の手首と同じように現代医学の落とし穴に落ちてしまっているではないか。もっと大切なことを見落としているのではないか。もちろんあれだけのピッチャーであれば超一流のトレーナーがついてリハビリやトレーニングもしているだろうし、鍼灸の治療も受けているらしい。「さて次は斎藤君操体法で快適感覚を味わってはみないかね・・・」冗談はさておき斎藤投手も先日からキャッチボール程度の投球練習を始めていると西日本スポーツの紙面で読んだ。自分のやりたいことをやれない、大好きなことを抑制される辛さは何となく共感することが出来る。全盛期のピッチングまで戻ってくれとは言わないが、yahoo!ドームのマウンドで登板する日が来るのを楽しみにして一日も早い復活を願っている。ちなみに我らが福岡ソフトバンクホークスは本日18時より千葉ロッテ日本シリーズへの出場権をかけてクライマックスシリーズ、ファイナルステージを戦う。対西武戦で勢いに乗るロッテ打線をホークスのエース杉内がみごと抑え込むことが出来るのかに注目は集ままるであろう。後半は全く操体に関係なくなって申し訳ありませんが、あまりこってりしたものが続いてもお腹を壊すといけないので、今回はあっさりとした内容でご容赦ください。ほな、また!

    秋穂一雄

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part Ⅱ(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • われ思うゆえにわれ在り

    「みなさんは自分の時間って作ることが出来ていますか?」

    仕事、家庭、趣味、その他自分自身を取り巻くすべての環境。日々の生活の中で自分の存在、実体が失われている感覚。自分自身は確かに存在しているのに、自分自身の人生を歩めている感覚がしない。そんな感覚に襲われたことはないであろうか。昨年の秋季東京操体フォーラムの時に浦理事長から頂いた色紙に書かれてあった言葉

    『まず何よりも自分自身との信頼関係を構築しなさい』

    この言葉は確かにそのときの私にとって、最適なアドバイスだったに違いない。いやこれはそのときに限らず現在進行形で最も大切にするべき教訓そのものである。自分自身との信頼関係とはどのように築くべきなのか。いまだに手探りで探している様な状態なのであるが、今回の旅行を通じてなんとなくその糸口が見えてきた気がする。今回の旅の中で、本当に多くのものを見て、多くの話を聞いて、今まで自分の常識だと思っていたことが、本当にちっぽけなものだったのだと思えてきた。それと同時に自分自身は治療家として、経営者として、一家の主としてこう在るべきだと、ある一定の型に押し込めようとしていた自分に気づくことが出来た。少しでも優秀な治療家であるように振舞いたい。少しでも自分自身を立派な人間に魅せたい。尊敬される強い父親で在りたい。より高い目標を目指して努力する気持ちは決して忘れてはいけないと思うのであるが、それが虚栄心や高圧な態度、失うものへの喪失感を伴ってしまうようではまったく意味がない。それこそ『バルの戒め』に反する行為なのだと気づくことが出来た。等身大のありのままの自分が本当に大好きになれるとき、それが自分自身との信頼関係が構築できたときなのではないだろうか。それが三浦理事長の教えでもある

    『生かされているイノチにアリガタイと感謝することが出来る』

    心境なのではないか。今回の旅行中同行させていただいた同志の皆さんや三浦理事長、畠山常任理事、そしてスペインに招待してくださった小野田先生に素のままの自分で自分の思いを伝え様々な話を聞かせていただく中で、本当に今ここにいさせていただくことを心から感謝し、何物にも替えがたい貴重な経験をさせていただいているという幸福感というものを味あわせていただいた。自分自身でいて本当に良かったと実感することができた。旅が終わり実生活に戻って、また同じ迷いを繰り返しているかもしれない。また同じ壁にぶつかって醜くもがいているかもしれない。でもそんな自分も以前に比べたらなんだかいとおしく感じ始めている。私は物事を理論的に考えるような、崇高な知能を持ち合わせていないので、今回のようなディープインパクトが必要だったのかもしれない。三歩進めば前のことを忘れてしまうような私のことなので気がついたらまた自分を見失い不安になり、自分自身を偽り、自分の心を縛ってしまうかもしれない。しかしそのようなときでも操体という自分自身の正しい道しるべがある限り何度でも軌道修正が出来る気がしている。なんだか懺悔でもしている文章になっているのは気のせいだろうか。ひょっとしたら教会やら宗教画を見てきたからなのかもしれない。でも、なんとなくこんな内容が頭に浮かんできたので書くことにした。考えて見たらまだ3日も残っているのに明日書くネタに困りそうなことを書いてしまったものである。どうせ書くなら最終日に書けば少しはまとまるかもしれないのに・・・でもこれが私という人間なのかもしれない。

    秋穂一雄

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part Ⅱ(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • やってしまった

    21日の祝日、福岡は最高の秋晴れ

    私は車を洗車しようと行きつけのガソリンスタンドへ
    洗車も終わり最後の拭きあげをしようと片隅の駐車スペースへ入っ時の事
    屋根の支柱が少々気になりながらもいそいそと車を磨き上げていた。
    前回のブログにも書きましたが、洗車はからだも使うし、目線のトレーニングにもなる。
    車はピカピカ、気持ちもすっきり、最高の気分で車に乗り込もうとしたその時・・・

    グワォン

    鈍い音とともに私の気分をどん底にたたき落とす出来事が起こった。
    颯爽と乗り込もうと開いたドアが見事に支柱に激突
    ドアが見事に凹んでしまったのである。
    し〜らけ鳥 飛んでいく 南のそ〜ら〜に 惨め惨め〜 である。
    洗車が終わった満足感でつい支柱の存在を見失っていたのである。
    やり場の無い怒りが込み上げて来るのであるが、
    これは完全なる自分の不注意、誰かのせいにしようにもその誰かもいやしない。
    呆然と車のドアを眺める私の脳裏にスペインでのとある出来事が思いだされた。

    マドリッドでのフォーラムが終わり理事長の部屋でミーティングをしていたときの事
    次の日の早朝にはホテルを出てバルセロナ行きのAVEに乗らなければ行けない。
    私は理事長に「明日の朝は早いのでスーツケースのパッキングをお手伝いします。」
    といそいそとスーツケースに荷物を詰め始めた。

    話は少々脱線するが、操体法東京研究会の講習会の講習後の室内の清掃は
    我々受講生がみんなで手分けしてやる事になっている。
    ひとりが掃除を始めると周りのみんなもつられて掃除をし始めるのだ。
    (私はこれを掃除の同時相関相補連動性と読んでいる。)

    話を戻す。今回もやはりその場にいた全員が手分けして理事長の荷物を詰め
    後はスーツケースを閉じればパッキングは終了と言うところまで作業は進み
    「あっ!」と言う間にパッキングは終わったかに見えた。
    そこで安心した私達はミーティングも終わり各自の部屋に戻っていった。

    ここで終われば師匠想いの実行委員達という美談で終わるのであるが、
    ここで終わらないから今回のブログのネタになってしまうのである。

    その後、夕食に向かう為にホテルのロビーに集合した時に、畠山常任理事から
    理事長のスーツケースが閉まらなくて、全部最初から詰め直したという話を伺った。
    私達はこのまま閉めれば閉まるものと勝手に思い込み実際に閉めてみなかったのだ。
    理事長がロビーに降りて来た時にお詫びに行ったところ当然の事ながら教育的指導が入る。

    「パッキングしてやると言うから黙って任せておいたのに、結局最後まで出来ないのであれば
    やらない方がマシだ。フォーラムが終わってホッとして注意が散漫になっているんじゃないか。」

    考えてみるとフォーラムは終わったとはいっても、まだ今回の旅行の行程の
    半分が終わった頃である。もしここで気を抜き注意力が散漫になっていたら
    合わなくて良い事件に巻き込まれる恐れすらあったのだから全く弁解の余地はない。
    第一やると言った仕事をやり遂げられないというのはプロ失格である。
    これは何もスーツケースのパッキングだから仕方が無いという問題ではなく、
    日常生活の全て、私達がプロとして行っている臨床の場に関しても同じ事が言える。
    理事長はそれを知っているからこそ私達の過ちを責めそれに気付かせてくれた。
    それなのに性懲りも無く私はまた今回も同じ過ちを繰り返した。

    我ながら情けない。

    今回の教訓は私の車のドアの傷とともに私のこころにも深く刻み込まれた。
    この傷はこのまま修理をせずに乗り続けようと思う。

    ちなみにスペインでは路上駐車のスペースをあける為にバンパーを当てる事は
    日常茶飯事らしく恐ろしく高級な車ですらバンパーボッコボコで走っていた。
    たとえ今回の傷が入ったとしてもスペインだったらまだまだ綺麗な方だ。

    秋穂一雄

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part Ⅱ(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 積み重ねる

    この連休の休みを使い整骨院の模様替えをした。
    模様替えとは言っても大半はたまったホコリを
    払う大掃除の様なものではあったが、
    やはり綺麗になると本当に気持ちが良いものだ。

    話は変わるが、先日行って来たスペインの話・・・

    高校時代の修学旅行で韓国(福岡からだと京都より近いのです。)
    に行った以来の海外旅行、しかも遠く離れたヨーロッパ。
    出発前は気分が憂鬱になるほど緊張していたスペイン。
    到着したマドリッド・バラハス空港を降り立った感想は、
    「なんて綺麗な街なんだろう。」というものだった。
    綺麗と入っても町中で路上喫煙はしているし、
    吸い殻はそのままポイ捨ては当たり前と言う
    日本では信じられない様な有様であったが、
    話では街が人を雇い雇用促進で清掃作業をやっているらしい。
    何よりも路上の塵も気にならないくらいの建築物の見事さ。

    以前フォーラム実行委員の佐伯さんが発表の中で
    石の文化のヨーロッパに対して、日本は木の文化と
    表現されていたが、今回初めて納得がいった。
    建物が全て石の彫刻に見える。
    それが顕著に感じられたのは古都トレド旧市街の観光だった。

    トレド旧市街は街全体がユネスコ世界遺産に認定を受けており
    7〜800年前の都市の建築物が現在でも大切に保存されている。
    しかも美術館の中で保存されているのではなく、
    市民の日常生活の中で歴史を積み重ねながら保存されている。
    歴史の重みというのを実感させられた。
    その中でカテドラルと呼ばれるトレド大聖堂を見学した。

    建設に260年あまりかけたと言うその姿は
    あまりにも重厚で威圧感すら感じられる程であった。
    建物の中に足を踏み入れると見事な室内装飾や祭壇が
    見るものの眼を捕らえて放さない。
    何か大きな力で包まれているというか、
    押さえ込まれている様な感覚にさえ襲われる。
    これがキリスト教建築の持つ宗教観なのかもしれない。
    大聖堂を出た時に一番に出た感想が「息が詰まりそうだった。」である。
    決して操体的とは言えない感想である。
    橋本先生の教えの中に『バルの戒め』というものがある。
    縛らない、威張らない、欲張らない、頑張らない
    しかし、この教会の持つ雰囲気にはその全てが感じられた。
    (あくまでも私個人の感想なので皆がそう思うかは・・・)
    遠くヨーロッパに来て自分の中のニッポン人を感じた瞬間である。

    先週の佐助さんのブログにあった『日本の田舎』のおおらかさ
    これはヨーロッパの重たい石の文化とは姿形は違っても
    長い歴史を経て積み重ねられて来た伝統文化の美しさは変わらないのである。

    秋穂一雄

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part �(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 「師の成したるを学ぶのではなく、師の成さんとする姿勢を学ぶ」

    この言葉は操体法東京研究会の講習の席で、三浦寛理事長から寛理事長から幾度となく指導を受けた言葉であり、操体を学ぶ上での指標としている心構えでもある。

    操体の創始者は誰ですか?」と操体を学んでいる人に尋ねたならば、ほぼ100パーセントの確立で橋本先生の名前が挙がってくるでしょう。もちろん操体を学ぶのであれば橋本先生から直接指導を受け、その先生の学んでいる姿勢を学ぶことが出来ればよいのですが、橋本先生が亡くなってしまった現在では不可能なことです。

    橋本敬三先生が亡き現在において、私たちが橋本敬三先生の在りし日の姿を感じることが出来るのは、執筆された著書や、在りし日の映像、音源を通してその存在を感じることが出来ないのだが、それらはあくまでも橋本先生が成したことの記録に過ぎず、ロールプレイングゲームで言うなら、スタートボタンを押した時点でラスボス(ラストに出てくる大ボス)が出てくる、もう少し噛み砕いてソフトバンクホークスのピッチャーで例えるなら、守護神馬原が先発で出てくるようなものである。例えが悪いので恐縮であるがつまり、答えが先に書かれていて、その答えに至るまでのプロセスが表現されていないのだ。

    それでは、どのようにすれば、橋本先生の成そうとしてきた姿勢を学ぶことが出来るのか、それは間違いなく生前の橋本先生の学び方を踏襲している師について学ぶことだと思う。操体法講習会の看板を掲げてある先生は多々あれど、その先生の学びの姿勢は少し本気で勉強しようという志があるものであれば一目瞭然に理解できるはずである。誰が良くて、誰が悪いなんて比較をしようとは思いわない。学ぶ本人がからだにききわければよいのだ。自分が信じた師の下で本気で学べば、それなりの学びは得られるはずである。三浦理事長は折に触れ「こんなときお師匠(橋本先生)ならばどうするのかと自問自答しながら臨床をやっている。」という話をされる。三浦理事長の中では今も橋本先生は生き続け、新たな気づきを与え続けてくださっているのだ。私たち東京操体フォーラムの実行委員はたまたま(私はこのたまたまを運命と呼んでいる。)、からだにききわけた結果三浦理事長を師と仰ぎその後姿に橋本先生の後姿を感じながら、日々操体をまなばせていただいている。三浦理事長を通して橋本先生の成そうとした姿勢を学ばせていただいているのである。

    操体を学ぶに関連して、九州・博多という地に住んでいると、「操体を勉強したいのだが、東京まで行くことは出来ないので、九州で良い先生は知らないか?」と質問されることが良くある。答えはもちろん「NO!」だ。文法的に正しく言うなら「I don’t know」かもしれない。操体をリスペクトし、本気で学んでいる私に楽して学ぶ方法を教えられるわけがないのである。折角学ぶのであれば、最高の気づきを得て欲しいし、一流の学び方というものを感じて欲しいと思う。だから本気で学びたいと思うのであれば、東京になら信頼できる最高の師がいるから学びに行ったほうが良いとお伝えすることにしている。行くかいかないかはその人の気持ち次第だ。

    今日から一週間はNO!と言える九州人の秋穂がブログを担当させていただきます。先々週担当していただいた山本実行委員にスペインの旅行記をまとめていただいたので、明日からの私のブログではフォーラムインマドリッド外伝「秋穂一雄もかくありたい」と題して、スペイン、トルコで私が感じたあれこれを書かせていただきたいと思います。宜しくお願いいたします。

    秋穂一雄

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part Ⅱ(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 感覚からみた快と楽

    今日は最終日の7日目です。よろしくお願いします。
    今回のブログでは夢から学びがはじまり、潜在能力の感覚を通していろいろ考えてみました。だいぶアウトローの内容になってしましましたが、最終日の今日はからだの感覚から快と楽について考えてみたいと思います。
    まずは言葉から考えてみたいと思います。
    快は快適感覚というように、からだの感覚に位置するため、からだの感覚を活かして聞き分け感じる必要があり、効果も感覚の中枢である脳からの反応によって快適感覚が治癒能力・免疫力に繋がるといえるのではないでしょうか。
    楽を感覚に繋げる言葉が皆さんは浮かびますか?楽は感覚に繋がる言葉が浮かばないように、楽は感覚を感じるのではなく比較対象によって生まれるのが楽になるのではないかと思います。感覚のように感じないということは、表現方法のひとつとして使われるか局所における比較の結果について使われることが考えられます。
    快と楽が合わさる快楽については、楽以上快以下ということになるでしょうか。快楽は薬に溺れるや○○○に溺れるというように、からだの快楽物質の分泌により反応を楽しむ程度にとどまり、治癒能力・免疫力の向上までには繋がらないと考えられます。いた気持ちいいも楽以上快以下の快楽に含まれるのではないでしょか。
    次に楽・快の効果として考えてみたいと思います。
    楽は感覚として感じ味わうことができないということは、「楽」自体に治癒能力・免疫力はないということではないでしょうか。操体法の第一分析のように楽な動きの可動極限で動きを3秒程度たわめて(止めて)瞬間脱力をした効果として、筋の抑制効果により筋の緊張が緩むという現象が生まれます。
    快は快適感覚というように感覚として、操体法の第二分析以降は「快」をからだに聞き分けます。気持ちよさの有無、味わいたい要求の有無をからだに聞き分けながら、より質の高い快適感覚をからだに選択させて味わっていただきます。より質の高い快適感覚にはからだの治癒能力・免疫力の向上に繋がるからです。からだをコントロールしているのは脳であり、脳内では痛みを記憶することも知覚を作り出すこともあります。(感じるからだがない幻視痛もこの理由とされています。)快の感覚を味わうということは、感覚の中枢である脳内でβエンドルフィンなどのホルモン分泌により痛みが抑制されたり、様々の効果を生む可能性が高いということです。脳内の反応の結果、からだの治癒能力・免疫力の向上に繋がるといえ、快の質により治癒能力・免疫力が比例して向上します。もちろん「楽」を「快」に言葉だけ変えたとしても、「快」を探すような行動しても効果は「楽」の効果とかわらないはずです。

     この動画は第二分析です。からだに聞き分けながら質の高い快適感覚を選択しています。
     質の高い快適感覚とは言葉では簡単かもしれませんが、実際からだで快適感覚を聞き分け、無意識の動き(操法)による快適感覚を味わっていると、共感覚の体験など、様々なからだの反応が現れますが、実際に快適感覚を肌で感じなければわからないことです。質の高い快適感覚を肌で触れる機会があります。平成22年11月20〜21日に津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。ぜひ操体に触れ感じてみてはいかがですか。新しい道が開けるかと思いますよ!
     一週間お付き合いありがとうございました。

    佐助

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part Ⅱ(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • からだとの対話

    6日目よろしくお願いします。
    からだは脳と神経システムがからだ全体を支配しており、感覚を通してあらゆる情報を脳に伝え統合コントロールしていることが証明されています。
    最近子供達がいろいろな動作に挑戦している姿を見て思うのですが、からだが感じ取る情報の量とは大人と子供では同じでしょか。きっと子供のほうが脳を活性化される情報量は多いのではないでしょか。
    小さな子供だった頃、起き上がったり、転がったり、這ったり、立ったり、歩いたり、走ったり、自転車に乗ったりすることを学びました。はじめて挑戦する時には、ドキドキしたり、失敗したり、泣いたり、からだで感覚をおぼえながら成功した時には喜んだりしていたのが、いつしか出来るのが当たり前となり、自分のからだの動きに感動さえなくなっている自分はないでしょうか。
     きっと子供たちははじめてな事を通し、からだのあらゆる感覚を最大限に働かして活かしているからこそ、子供の回復力・治癒能力は高いのではないかと思います。そしてこの感覚を最大限働かしている結果が、脳の前頭前野の血流に繋がっている可能性も考えられます。最近この前頭前野のトレーニングとして脳トレーニング(脳トレ)がはやっていますが、からだの感覚を磨くことなく脳トレのみで脳の活性化に繋がるのかと思っていたところに面白い記事を見つけました。
    英科学誌ネイチャーの報告では、18〜60歳の健康な1万1430人を三つのグループに分け、英国で販売しているゲームをもとに脳トレを1日10分間を週3日以上の6週間続けてもらい効果を調べたそうです。グループ1は積み木崩しなどを使った倫理的思考力や問題解決能力を高めるゲーム、グループ2はジグソーパズルなどを使った短期記憶や視空間認知力を高めるゲーム、グループ3は脳トレとは無関係のゲームを行ったそうです。結果は、脳トレを続けたグループでゲームの成績は向上したものの、倫理的思考力や短期記憶などを調べた認知テストは全グループとも差がなかったと報告しています。
    脳だけをトレーニングしても効果に繋がらないということをあらわしているのではないかと思います。僕はからだの感覚を通して脳に働きかけないと脳トレの効果はでないのではないかと思います。子供の時のようにからだの感覚を活かして、臭覚、味覚、触覚、聴覚、視覚、動覚の感覚を使いながら感覚を感じる、感覚を聞き分けることが大切で、感覚を磨くことで快適感覚が聞き分けられやすくなり、また快適感覚を味わうことでさらに感覚を磨くことになり、本来人間が持っているからだの治癒能力・免疫能力の向上に繋がるのではないかと思います。
    ありがとうございました。

    佐助

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part Ⅱ(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 感覚のフィルター機能(2)

     5日目です。昨日の続きですがよろしくお願いします。
     農業などでからだを毎日酷使している場合、特に五感を使わない流れ作業は感覚フィルター機能により、感覚の聞き分けが難しいからだになっているように感じます。
     そこで感覚の聞き分けがしやすいからだに戻すにはどうしたら良いのでしょうか。
     感覚の聞き分けができないといって頭で考えてはダメです。頭で考えて何かをするのではからだを酷使しているのと同じで自我によるものとなり、脳内で快楽物質・ホルモンの分泌やからだの無意識の反応につながりません。
     最近僕は、感覚の聞き分けがなかなかできない方に対して、普段家庭で感覚を磨く・感覚を味わう練習をしていただいて、からだには大切な感覚があることに日頃から目を向けていただくようにしています。日頃からからだの感覚に目をむけてもらうことで、都合で通院間隔があいてしまっても、からだへの聞き分けがしやすい状態に感覚を整えていてくれるように感じます。
     ある大工の男性を簡単にご紹介します。この方は、脊椎すべり症、頸椎椎間板変性症、緊張性頭痛、軽度ですが帯状疱疹後神経痛とたくさんの診断名があり、いろいろの病院や治療所を廻っていても改善がみられず、痛みによるストレスから不眠が続き、大工の仕事を辞める覚悟をしていたところにある方の紹介で出会いました。
     診させていただくと、からだは痛みにたいして敏感になっているのだと思いますが、痛みの不快はわかるものの、からだの左右比較の動きやすさも分からないぐらいに感覚フィルター機能が強い状態にありました。そこで感覚を磨くために、仰臥位で目を瞑った状態で、からだと床との接触・圧感覚の左右差(例えば左右の肩甲骨)の違いを感じることや、洋服が皮膚に接触する感覚を感じる、肘の屈曲する際の動きの角度による感覚の違い(仰臥位では初動作は抗重力位となるため重力や筋肉の張力なども感じられるはずです。)を感じたり、耳を澄ましてみると普段聞こえない音を感じてもらうよう指導しました。このように普段では使わない感覚を感じてもらうことで、五感が磨かれるのではないかと考えたのです。
     そして一週間後にお会いすると、からだは仰臥位で一番くつろげる方向(極性リズム)も聞き分けられるようになっており、もちろんからだに聞き分けることも自然にできるようになっていました。あとはからだに感覚を選択してもらいながら、第二分析と第三分析から質の高い快適感覚を十分に味わっていただきました。
     さてこの大工さんの経過はどうなったでしょうか。
     実は見事に症状が改善され、大工の仕事に復帰されました。僕は診断名を治療しようとしたわけではなく、普段使わないだけで本来のっている潜在能力の感覚を使うよう指導し、あとは快適感覚を味わっていただくことで、からだの治癒能力・免疫能力が元の状態に向いたのだと思います。からだの感覚に感謝です。
     ちなみに大工の仕事復帰前に「仕事の準備体操」と言って「感覚を楽しみながら作ったから、もしよかったら家で使ってくれ」と僕に治療用ベッドを手作りでプレゼントしていただきました。子供が飛んでも跳ねてもいいように丈夫に作っていただき、そして厚い畳がまた気持ちいいです。大切に使わせていただきます!
     ありがとうございました。

    佐助

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part Ⅱ(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 感覚のフィルター機能(1)

     四日目です。よろしくお願いします。
     最近患者さんのからだと向き合っていて思うことがあります。そこで僕が患者さんのからだを通して感じたことを書いてみたいと思います。
     僕の所には地域がら、農業や林業または大工の方など仕事としてからだを使っている患者さんが多く来院されます。僕も朝4時には畑に出てレタスなどを出荷しているのですが、最盛期の農家の方はからだを酷使している毎日です。(大規模にレタスを出荷されている方の中には、夜中1時から畑に出ている人もいます。)
     からだを酷使している方のからだを診させていただくと、感覚の聞き分けが難しいからだになっているように感じます。中には、仰臥位で両膝の左右傾倒で動きやすさを確認しても(動診はゆっくり動くことで感覚が確認できます)、あきらかに可動域にもスムーズ差にも第三者がわかるくらいに左右差があるにも関わらず、「左右差が分からない」と言われる方もいます。
     なぜここまで感覚の聞き分けが難しいからだになったのでしょうか。
     脳から考えてみたいと思います。
     からだの感覚には臭覚・味覚・触覚・聴覚・視覚のいわゆる五感に加えて、動覚を合わせた六つの知覚があります。この六つの知覚の情報を常時感じていると、様々な知覚・感覚の情報が多すぎ、不必要で無関係な信号が大脳皮質に過剰に伝達され、思考障害や困惑などの症状が起こり統合失調症に陥ることもあります。通常の場合は不要とされる情報はシャットアウトする感覚のフィルターによって必要な感覚しか意識に上らないようになっています。これは、感覚情報が集まる視床という脳部位に感覚入力のフィルター機能があり、無秩序で過剰な信号が大脳皮質に行かないよう感覚入力を制限しているためと考えられています。例えばたくさんの人が雑談しているような雑踏の中でも、自分が興味のある人の会話は自然と聞き取ることができたり、洋服が皮膚と接触している感覚が普段は気にならないように感覚フィルター機能が働いています。
     農業などでからだを毎日酷使している場合、特に五感を使わない流れ作業は、上記の感覚フィルター機能により、様々な知覚情報を使わないものとして制限し、からだが動くことや温度調節と働くのに必要な感覚だけが働き、その他の感覚能力が低下する傾向にあるのではないかと思います。
     僕は毎日自分自身のメンテナンスとして動きや皮膚感覚を通して感覚の聞き分けをおこなっていますが、通常は感覚の聞き分けが比較的小さな動きでも聞き分けられるのに対して、農業の最盛期にからだを酷使している期間には、感覚フィルター機能によるためなのか通常より感覚の聞き分けが鈍いように感じます。
     感覚フィルター機能が強いときはどうしたらよいのでしょうか。明日はその体験を書きたいと思いますが、からだを酷使するときこそ臭覚・味覚・触覚・聴覚・視覚・動覚の感覚が大切で、この感覚を磨くことで快適感覚がからだの機能を保っていることを実感しました。
     からだの感覚に感謝です。ありがとうございました。

    佐助

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part Ⅱ(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。