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  • 先日、マーラーの話が出てきましたが、ちょうどマイブームの時期で、音源を集めていました。

    マーラーといって思い出すのは、昔のCMで、「大物を育てるには天井を高くするとよい」とのキャッチコピーを使ったものがありました。曲は交響曲1番「巨人」の第三楽章。

    この言葉は、西洋のことわざからきているそうですが、天井の高い家で育つと、大らかな人間になるらしいです。
    実際のところはわかりませんが、広々とした部屋では空間認識能力が高まり、直感力が増すようです。
    日常的に過ごす空間が精神的に影響を与える部分は大きいはずですね。
    日本で高い天井というのはなかなか実現しにくいものですが、快適な空間で過ごせるようにしておきたいですね。

    天才を作るのは高度な知性でも想像力でもない。
    知性と想像力を合わせても天才はできない
    愛、それこそが天才の魂である
    モーツァルト

  • 映画「男はつらいよ」で有名な山田洋次監督は「演出そのものが楽々とされているように観客に見えなくてはならない」とし、「観客が演出のうまさに感じ入る」といった作品は「Bクラスの域を出ない」と言っている

    シンプルに見えるものというのは、実は難しいもので、ごまかしがきかないぶん、本人の実力がまるわかりになってしまいます。

    高校2年の頃まで、ギターをやっていました。ある時、友人のバンドのライブで、ベースのメンバーが都合で出れないライブがあり、ヘルプで出ることになりました。話が来た理由が、「ギターやってるなら、ベースは簡単にできるでしょ」というありがちなものでしたが、気軽に引き受けて、苦労した思い出があります。
    見た目も似ているし、同じ用にピックを使って弾くことはできますが、同じ感覚では音を出すこと自体も難しい。
    地味でも日頃の努力が表れます。
    そんな経験もあり、その後ベースをメインでやっていくことになるのですが。

    操体の第一分析は初期の頃の操法で、二者択一で動きの分析を行います。
    連動の法則が体系づけられておらず、楽を基準にしているので、動きは予想の範囲を出ることは少ないですが、操者の技量は問われます。
    操者によって結果が変わってくるという点では実はハードルが高いのかもしれません。
    もともと医師の臨床で行われていたものなので当然ではありますが、興味を持ってみた方はこのあたりを認識していただくといいと思います。
    一度入ってみると、面白いですよ。一生楽しめる学問です。

  • 部分的なフレーズを積み重ねて音楽全体ができあがるのではなく、全体の流れの中に部分がある。各部分がしっかりしてなくてはならないのはもちろんであるが、部分にこだわると、全体が見えなくなる。
    辻栄二「アマチュアの領分」

    操体でも末端の動きから始めますが、全身の連動が大事です。
    末端からからだの中心腰を介して全身で表現してこそ本領を発揮します。
    初心者の方や、本だけの知識でやっている方はこのあたりがなかなかできていないように思います。
    「木をみて森をみず」ということのないようにしたいですね。

  • 「アマチュアよりもプロの方が基本練習をすごく丁寧に継続してやるかもしれないです。うまい選手、たとえば宮本とか井端のノックを見てると、ほんとに基本に忠実で丁寧です。(中略)アマチュアの子たちに見せてあげたいですね。」
    川相昌弘「川相二軍監督激動史」

    子供の頃の遊びといえば、鬼ごっこなどもやりましたが、だいたい野球でした。
    毎日の日課は野球中継と新聞のスポーツ欄のチェック。
    休みの日は近所の公園に集まってやっていました。
    テレビも見なくなった今では考えられないくらい熱かったのを懐かしく思います。

    筆者は90年代、バントや守備で職人と言われた川相氏。
    基本に忠実な練習を積み重ねてきたであろう人の重みのある言葉です。

    何事もそうですが、基本が大事だと言われますね。
    でも誰でもがうまくできるわけではない。基本練習は地味なことの繰り返しであることが多いですがうまい人はこれがきちんとできる人。
    「努力に勝る天才無し」
    個人的にはこの言葉には疑問ですが、地味なことでも楽しんでやれる人というのは強いと思います。

    どうせなら「好きこそものの上手なれ」のほうがいい。
    いずれにせよ精進ですね。

  • こんばんは。
    今日でGW終了ですね。
    終盤は大雨に見舞われたところもありましたが、楽しく過ごした様子をうかがったりしてました。
    僕自身はGWに休みだった試しがないのであまりぴんとこないのですが、せっかくなので貯まっている積ん読本などに手を伸ばしてみたりしました。

    中には10年以上温めているものとかあったり…
    アマチュアの領分もそのうちの一つです。
    タイトル買いです。
    音楽についての本なのですが、その中に、“下手” 7つの大罪というものが出てきました。

    1. 走ること
    2. 練習をしてこない
    3. 人に合わせない
    4. バランス感覚の欠如
    5. 音程を直さない
    6. 全体よりも部分が好き
    7. 総評論家

    ジャンルは違っても、心当たりがありますね。
    走ること。
    操体で言えば、介助で相手の動きの1 .5秒後についていく、という表現をしますが、しばしば「辻、早い!」と注意されています。
    先日も春の東京操体フォーラム研究会があり、実技指導を中心に行いましたが、初心者の方は介助もそうですが、動作が速いことが多いですね。
    ポジショニング、手のかけ方、模範実技でゆっくり見せていても、実際にやってみると、みな速い。
    まずポジショニングを決めて、「呼吸を整えてから」と指導されますが、このあたりは心に余裕がないとなかなかうまくいかないのかもしれません。
    ゆっくりというのは、操者にとっては相手に緊張させないように、患者にとっては感覚をききわけやすいように、どちらも大事なことです。
    省みて心掛けていきたいですね。
    それでは一週間、よろしくお願いします。

  • 武術と操体

    日本の手技療法の源流は武術。
    そうであれば、手技療法をおこなうには、武術家の身体が必要となる。
    実際に武術の時代、武術家が治療をおこなった時代。
    その時代に、手技療法だけを教える先生は、存在していなかった。
    活殺という日本独自の言葉。
    武術と医術とは、両輪で初めて機能していた。
    これが歴史の中の、消えかけている事実。
    現代の手技療法家が、いまさら武術を一から学ぶのは難しい。
    現代には現代の知恵もあるのだから。
    それはそれでもちろん素晴らしい。
    武術の時代の医術も、もちろん素晴らしい。
    武術の時代に鍛えた身体は、現代のスポーツの身体とは違う。
    身体に関する考え方が違うのだから、当然身体も違う鍛え方をする。
    違う鍛え方をすれば、手にする身体も違う。
    違った身体でおこなう動きも当然違う。
    武術の丹田とは、お腹の中にボーリングのボールのような
    筋肉の塊が出来て初めて分かる。
    お腹の中が丸く動く、身体を動かさないでも自由自在に動く。
    その動きが全身に繋がる、筋肉の付かない肋骨の周りも動く。
    他の部分も全て一緒に動く。
    そうなれば手や足は、身体の一部となり。
    速さも強さも変わる。
    それが武術家の身体。
    武術家は足の親指に重心を置き、足の親指は地面には着かない。
    強烈な武術の鍛錬で、身体はそうなってゆく。
    宮本武蔵先生の残された口伝。
    足の親指をあげて歩くとは、おそらくその事を指し示す。
    親指に重心があり、地面に着かない状態になれば。
    力を出す時に、親指を地面に落とす力を使える。
    始めから着いている何倍も強力な力を手にする事が可能となる。
    武術を学ぶと、時空を超えて学ぶ感覚になれる。
    決してお会いする事の出来ない
    先達の方々が見つけられた知恵という宝物に現実に出会う事が出来る。
    先達の方々と同じ感覚を感じる事が、武術の素晴らしき時間。
    武術を学び、操体を想う時間。
    僕は橋本先生と、会ったりするかもしれない。
    そんな事を想いながら過ごす、学びの時間はとても面白い。
    僕は僕にしか出来ない事をやるのが一番好き。
    僕の学びはあまりやってる人がいない。
    だから僕はこの学び方が一番楽しい。
    武術家で橋本先生の思想を手にした人もいない気がする。
    現代に武術を活かすには、橋本先生の思想は素晴らしい。
    僕は素晴らしい道で学んでる気がする。
    1週間お付き合い頂きありがとうございました。

    この不思議な感じを味わいたいなと
    思われた方は是非野次馬しに来て下さい。

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  • 武術における人体構造。

    柳生心眼流では、日本古来の人体構造を学ぶ。
    柳生心眼流の時代の人体構造は、現代の物ではない。
    解体新書が入ってきたのが江戸時代。
    その遥か前から武術は存在した。
    武術が道場として機能し始めたのは、室町時代の後期。
    もちろんそれ以前から武術は存在した。
    戦国時代が少し収まり、平和が訪れた頃に武術を教える事が始まった。
    本当の戦国時代には武術は、門外不出一族の秘密だった。
    命を守る為の知恵を、他人に教える事は決してなかった。
    世の中が落ち着き、余裕が産まれたから、道場が始まった。
    同じ時代に茶道も盛んになったりしている。
    解体新書とは違った身体観で武術は使われる。
    西洋医学が入ってこなかった時代、治療家と言えば武術家を指した。
    殺法を学び極める事で、可能となるものが活法。
    武術家の学びとは、人体構造を学ぶという事でもあった。
    その時代に武術家の学んだ、人体構造は現代とは全く異なる。
    多くの手技両方の源流は、武術家が行っていた活法に、源流を求める事が出来る。
    現代の医学の知識では残念ながら、武術の源流は使いこなす事は出来ない。
    筋肉という言葉は、解体新書以前には存在してはいない。
    筋肉は筋と呼ばれていた。
    筋と筋肉が同じ物であれば、解体新書は筋と訳されたに違いが無い。
    違った言葉を作り出した理由は武術を学ぶと理解出来る。
    筋を傷めた、筋を違えた。
    筋金入りの身体。
    この言葉に、武術の人体構造の源流を見る事が出来る。
    その源流から、現代の手技療法も派生している。
    だから、武術の時代の人体構造を知る事で、分かる事が当然在る。

  • 筋絡と骨絡 

    筋絡と骨絡という、現代ではあまり知られていない概念が、柳生心眼流の基本概念。
    そして、古来より続く日本武術の概念、この2つの概念は大陸には存在しない。
    電気製品や自動車に工夫を重ね世界1となった日本の技術力と同様の事が
    かつての日本で在った。
    大陸の人体構造学に、日本独自の工夫を積み重ねた結果見出した、筋絡と骨絡。
    人の骨はツルツルではないし、筋肉はただの塊では無い。
    骨の表面には無数の窪みがあり、まるで山や谷のようになっている。
    そして表面はざらざらしている。
    そこに髪の毛よりも細い筋繊維が絡みつく、だから骨から筋肉は離れない。
    ただ筋肉が骨に、接着剤のようにくっ付いていれば自由に動く事は出来ない。
    骨にどうやって筋肉が付いて、人の身体が動いているのか。
    そこに日本武術の工夫と知恵の結晶が在る。
    言われてみれば合点が行く事は、知らなければ、ずーっと知らないままで終わる。
    これを知れば、武術は正しい用法を用いる術と変わる。
    これを用いれば活法も、本来の医術として用をなす。
    絡みついた筋は、外れるような事はめったにない、但し微妙にズレル事はある。
    複雑な動きを産み出すには、多少のズレルような余裕も必要だから筋は動く。
    骨の窪みに自分の骨の窪みを当て、筋をずらせば相手の力を内側から奪う武術の術となる。武術は自分の力を使わないのではない、相手の力を使わせない事が武術の術の根幹となる。病んでしまった身体の多くは、歪んでいる。
    歪みは、骨の窪みと、筋がずれている事が多い。
    それを元に戻せば、身体の内側から健康に戻ってゆく。
    身体の歪みを、かつて日本人は、このように考えて来た。
    筋引きという術は、遥かな昔から日本にあった。
    筋を動かすのが、大陸の氣を動かす事、2つは同じように感じる。
    2つの学びの中で、僕は感じる。
    皮膚の下の筋肉を動かすのが氣功。
    日本武術はそれを筋と呼ぶ。
    大陸と日本の感じ方の違いが言葉を2つに分けた。
    実際には同じ事をやっている。
    僕には、そうとしか思えない。
    ずれて張り付いた筋は、動かす事で元に戻る。
    人の身体は健康に戻りたい、それが生命の意志。
    戻りたいのに動けない筋は、動かしてあげれば勝手に元に戻る。
    脱臼と同じように、上手くずらせば、後は勝手に良い位置に収まる。
    脱臼ははめるのでなく、綺麗に外せば元に戻る。
    外れた関節をはめる事は必要ない、もう一度綺麗に外せば良い。
    人は骨格で身体を支え、筋肉で動かし、それを皮膚で包み込む。
    骨格と筋肉の関係は、窪みとギザギザに筋繊維(筋)が
    綺麗に絡む事で、正しい動きとなり、健康な状態となる。
    身体の歪みを正す、大元は
    筋絡と骨絡の関係を知ると案外簡単に見えて来たりする。

  • 武術における人体構造。

    柳生心眼流では、日本古来の人体構造を学ぶ。
    柳生心眼流の時代の人体構造は、現代の物ではない。
    解体新書が入ってきたのが江戸時代。
    その遥か前から武術は存在した。
    武術が道場として機能し始めたのは、室町時代の後期。
    もちろんそれ以前から武術は存在した。
    戦国時代が少し収まり、平和が訪れた頃に武術を教える事が始まった。
    本当の戦国時代には武術は、門外不出一族の秘密だった。
    命を守る為の知恵を、他人に教える事は決してなかった。
    世の中が落ち着き、余裕が産まれたから、道場が始まった。
    同じ時代に茶道も盛んになったりしている。
    解体新書とは違った身体観で武術は使われる。
    西洋医学が入ってこなかった時代、治療家と言えば武術家を指した。
    殺法を学び極める事で、可能となるものが活法。
    武術家の学びとは、人体構造を学ぶという事でもあった。
    その時代に武術家の学んだ、人体構造は現代とは全く異なる。
    多くの手技両方の源流は、武術家が行っていた活法に、源流を求める事が出来る。
    現代の医学の知識では残念ながら、武術の源流は使いこなす事は出来ない。
    筋肉という言葉は、解体新書以前には存在してはいない。
    筋肉は筋と呼ばれていた。
    筋と筋肉が同じ物であれば、解体新書は筋と訳されたに違いが無い。
    違った言葉を作り出した理由は武術を学ぶと理解出来る。
    筋を傷めた、筋を違えた。
    筋金入りの身体。
    この言葉に、武術の人体構造の源流を見る事が出来る。
    その源流から、現代の手技療法も派生している。
    だから、武術の時代の人体構造を知る事で、分かる事が当然在る。

  • 意拳(三日目)

    意拳そして太氣拳で大切にする鍛錬が、立禅と呼ばれる鍛錬です。
    ただ立つその行為を続けると、何故強くなり、健康になるのか。
    ただ立って強くなったり、健康になったり出来れば楽な物です。
    もちろんただ立つだけでは、1億年経っても何も変わりません。
    立つという事で使う筋肉は無数にある。
    立つ事から始まる、動きも無数にある。
    その動きを総て漏らさずに行うには、あまり動かない方が、上手くいく場合が多い。
    だから立禅は立って動かないようにして、身体を内側からまんべんなく動かす。
    実際にはホンの少し動いている。
    実際には身体全体が流れるように皮膚の下で動いている。
    だから武術では氣功を大切にする。
    皮膚の下の動きが、動きを滑らかに無駄なくする。
    無駄が無ければ力は強く早くなり、その繰り返しは身体を健康に整える。
    ただ我慢して立っていても何も起きる筈がありません。
    操体のたわめの間に近い感覚の動きが、身体の中で重厚に常に行われるのが
    立禅の鍛錬です、
    もう1つただ立つ中で行う事が在ります。
    意とは想念みたいなものでもあります。
    人の心は動く、心は移りやすくもある、そこに人の悩みもある。
    そこを上手く使う事で、大いなる力を得る事も可能となる。
    人の心は移ろう、そして動く。
    動くという事は、自分で動かせるという事でも在る。
    操体でも想念という物を大切にしています。
    明日は心を動かすやり方を書こうと思います。