カテゴリー: 畠山裕美(はたけやまひろみ)

  • 何故『基本操体』「とは言わないのか?

    たまに聞くと思いますが『基本操体』という言葉。今日は何故私が『基本操体』という言葉を使わないのか、お話しましょう。

    ★そんなのどうだっていいじゃん、という方もおられましたが、操体を深く深く勉強していくと、言葉の持つ深い意味に突き当たります。そうすると、迂闊に使えなくなってしまうのです。これは私なりのこだわりでもあるのですが。最初に言うと、操体法の創始者、橋本敬三先生ご自身も「基本操体」とは言われてないのです。

    私が最初に操体を学んだ時の事を思い出します。三浦理事長の受講生のそのまた受講生のK先生でした。勉強熱心なK先生ですから、現在もし操体をやっておられるなら(残念ながら行方がわかりません)、進化した操体をされていると思います。是非再会したいと思っているのですが・・・・・。

    それはさておき、私も最初は「基本操体」というものがあるのだと習っていました。
    おそらく今だにそういう方も多いのではと思うのですが、何故基本操体なのでしょう。

    そして、何故私は『基本操体』とは言わなくなったのでしょう。

    師匠三浦寛先生のお話を伺う機会があります。18歳という若い時分から5年間、内弟子として橋本敬三先生の側で過ごしたという実体験は、後に私達が本や映像、細切れに伝わってくる話をつなぎ合わせたものよりもずっと説得力があるのです。また、純粋な内弟子というのは三浦先生の他にはほんの数人しかいないのです。

    温古堂には色々な方が集まっていたようですが、いわゆる「ファン」であり、弟子ではないのです。ファンは好きな時にやってきて、好きな時にふらりと帰りますが、弟子は早朝診療の用意をしたり、掃除をしたり、火鉢の火をおこしたり、診療所の前の雪かきをしたり、橋本先生のお孫さんに忘れ物のお弁当を届けたり、傘を届けたりと、立場が少し違うのです。(橋本先生も『ファン』と『弟子』の違いははっきりと区別されていたようです)

    内弟子時代の話を伺うと結構面白いのですが、操体法治療室―からだの感覚にゆだねる
    の『温古堂ものがたり』で今昭宏先生が書いておられるような、優しいおじいちゃん先生という感じとはちょっと違います。そこから私が感じられるものは『孤高の求道者・臨床家』というイメージです。

    私が三浦先生の治療所に伺う度に、ついつい立ち止まって見てしまうものがあります。
    大判の色紙に書かれた言葉です『愛弟、三浦寛君へ』と、書かれています。『愛弟』と呼べる弟子を持つのはどんなに素晴らしいことなのか、最近よく分かるようになりました。

    それはさておき、何故『基本操体』と言わないのかお話することにしましょう。

    一般的に操体、あるいは操体法がブレイクしたのは昭和50年代です。NHKのドキュメンタリーが放映されたのが、橋本先生が79歳の時ですから、昭和50年代の初めになります。

    ここで改めて、認識しなければならないのは、操体、あるいは橋本敬三という医師が世間に認められ、一世風靡したのは、80歳を過ぎてからなのです。それまで医学誌などに寄稿しても無視され続けるという状態で、絶筆宣言をしてからすぐに操体がブレイクしたという皮肉なところもあります。

    ※1)三浦先生が橋本先生に弟子入りされた当時、橋本先生は70歳。バリバリの現役です。聞くところによると、本当にからだを使って、色々な動診と操法を試されていたのだそうです。「操体」という名称がつく前に「ボデーパイロット」とか、なにやらアクロバティックな感じの呼び方をされることもあったようですが、
    とにかく色々試されていたそうです。また橋本先生は、患者さんが激しく動いて肋骨にヒビが入るような骨折を二回はされているそうです。その話からも、色々されたのだなあ、ということが推測できます。

    ★私達実行委員は『実行委員勉強会』で、橋本先生が現役バリバリ時代にされていた操法の再現を三浦先生に見せていただくことがありますが『おじいちゃんが、こんな激しい動きを?!』と驚くことがあります。

    そして操体が一般的に知られるようになり、仙台の温古堂には日本中から患者さんが押しかけたわけですが、そうなると一人一人じっくりと時間をかけて診ることは不可能になってきます。ある程度パターン化も必要になります。(三浦先生は、この時の橋本先生にはもっとじっくりと臨床をする時間を持たせてあげたかったとのことです)

    また、お年を召すとどうしてもやる操法は限られてきます。そして、慣れていて名人の域に達していると、難しいことをいとも簡単にこなすように見えるものなのです。

    そこで、有名になったのが
    ・仰臥膝二分の一屈曲位で足関節の背屈(つま先をすねに向かって反らして脱力)
    ・仰臥膝二分の一屈曲位で膝の左右傾倒(膝を左右どちらかに倒し、倒しやすい方に動かして脱
    力)
    ・伏臥位で、膝関節の腋窩挙上(うつぶせで、膝を腋の方に引き上げ、操者は引き上げた足に抵抗を与え脱力)
    ・仰臥下肢伸展位での下肢の押し込み

    あたりなのではないでしょうか。
    私のつたない経験から考えても、名人達人だったら、これくらいで間に合ってしまうものなのです。
    おそらく、橋本先生はこの3つとプラスアルファで間に合わせておられたのではないでしょうか。

    そしていつの間にかこれらの操法が有名になり、操体を言えば『ああ、足首曲げて力を抜くやつね』とか『ああ、膝二分の一屈曲位で膝を左右に倒すヤツね』とか、『ああ、うつ伏せでカエルみたいな格好するやつね』とか『ああ、仰向けでカカトを突き出すヤツね』となり、これが『基本操体』という名前をつけられたのでは
    ないでしょうか。

    なので、これらの操法はお年を召された橋本先生がされていたというだけであり、お若い頃からそうだったわけではありません。(※1参照)だから私はこれをひとくくりにして『基本操体』とは言えないのです。

    むしろ『基本』というならば、『身体運動の法則』(重心安定の法則、重心移動の法則、連動の法則)が基本なのではと思います。実際臨床をやるにせよ、操者自身がこの3法則を体得していなければならないからです。
    これは本にも『基本運動』として書かれています。

    あと、『基本操体』で思い出すことがあります。
    10年程前でしょうか。ある方から電話をいただきました。手技療法をされている方のようでしたが、『基本操体は効かないから、応用操体を教えてくれ』という内容でした。この方の口ぶりから言うと、この『基本操体』というのは、上に上げた4つ位ではないでしょうか。

    私もその頃操体を勉強しはじめてから7年程経っていました。最初に書いたとおりに私も「基本操体」という言い方を習っていたのです。また、やっていたのは『第一分析』の動診でした。(第一分析へのリンクを張っています。ご覧下さい)

    そして、特に
    ・仰臥膝二分の一屈曲位で足関節の背屈(つま先をすねに向かって反らして脱力)
    ・仰臥膝二分の一屈曲位で膝の左右傾倒(膝を左右どちらかに倒し、倒しやすい方に動かして脱力)この二つはとても難しい、いわゆるテクニックが必要な操法だということが分かっていました。

    勿論当時やっていたのは、『第一分析』でした。当時既に何名かの受講生に稽古をつけていましたが、この二つは簡単そうに見えるのですが、実は非常に難しいのです。

    ・仰臥膝二分の一屈曲位で足関節の背屈(つま先をすねに向かって反らして脱力)

    これは最初にひかがみの圧痛硬結を触診するのですが、まず殆ど皆これが出来ないのです。そして、瞬間脱力を言葉で誘導するのと、足背(そくはい)に抵抗を与える微妙なニュアンスが難しい。単に上から押すとか力ませてはいけないのです。

    ★この微妙な圧を無視して、『上から押してるから我慢して〜』という指導をきいたことがありますが、我慢大会ようで、操体らしくありません。また患者さんが力んでしまうのです。これでは操体ではありません。

    ・仰臥膝二分の一屈曲位で膝の左右傾倒(膝を左右どちらかに倒し、倒しやすい方に動かして脱力)

    これは、瞬間脱力させた後の介助について、橋本先生の書籍にも明記されていません。なので、手をぱっと離してしまうようにやっているところとか(これは患者さんにとっては危険だと思うのですが)、介助を入れて膝が床に落ちないようにしているところとか、色々あります。私はやはり、手をぱっと離すような危ないことはできないので、膝がバタンと倒れないよう介助をしていました。

    膝が倒れるということは、骨盤が捻転してくるということでもあります。また、三浦先生の『腰痛の治療と予防』(現在は改訂され『操体法の治療と予防』たにぐち書店)に、膝二分の一屈曲位で、膝を倒すと、骨盤が同じ方向に捻転し、首は膝と反対に捻転してくる、という連動の法則を少し勉強していたのです。
    腰の具合が悪い人は、そんなに膝を左右に傾倒することができません。そういう方を診る時、膝を倒すのではなく、骨盤の捻転から考えたり色々試していましたが。非常に奥が深いものだと研究しているところでした。

    そういうこともあり、「基本操体」と言われているものは、実はとても高度なテクニックがいるものなのだと確信していました。

    なので『基本ができない』つまり「基本で結果を出せない人に、応用は教えられない」という決断をしました。

    ★話が少し脱線しましたが、私が

    ・仰臥膝二分の一屈曲位で足関節の背屈(つま先をすねに向かって反らして脱力)
    ・仰臥膝二分の一屈曲位で膝の左右傾倒(膝を左右どちらかに倒し、倒しやすい方に動かして脱力)
    ・伏臥位で、膝関節の腋窩挙上(うつぶせで、膝を腋の方に引き上げ、操者は引き上げた足に抵抗を与え脱力)
    ・仰臥下肢伸展位での下肢の押し込み

    を、基本操体、と言わないのはこういう理由があるのです。

    Hiromi Hatakeyama 畠山裕美

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  • 動診と操法の区別をつけよう!

    皆さんは「動診」と「操法」の区別をつけておられるでしょうか?

    実は「動診」「操法」の区別、というか違いを認識するということは、操体を理解する上でとても重要な事なのです。特に「快適感覚」を舵手として操法をすすめるには、これが本当に重要ポイントとなります。

    操体の一連の流れを書いてみると
    ・問診、視診、触診(どのような治療法でもこの辺りはやります)
    ・動診
    操法
    ・脱力
    ・回数の要求の確認

    快適感覚をききわけ(診断:動診)、味わう(治療:操法、この関係をよく覚えておいて下さい。

    ◆◇動診◆◇

    (1)操者は受け手に対して、『動きの安定』『運動充実感』『連動を促す』『感覚のききわけを促す』ために、受け手のからだに介助をかけます。場合によっては補助も与えます。基本的には、手関節、足関節など、末端関節です。また、操者の頭の中には、連動の仕組みが入っているので、操者はちゃんと手順を追って受け手に動きを指示することができます。その適切な介助と補助、言葉の誘導によって、受け手は感覚のききわけに集中しながら(からだの動きを)表現することができます。

    (2)操者は「ゆっくり」というキーワードを用います。何故なら、動診の目的は『ゆっくり動いて感覚をききわける』ことだからです。この『感覚のききわけ』が、『診断』にあたります。つまり、 『ある動きをゆっくりためしてみて、快適感覚があるのかないのか、からだにききわける』のが動診なのです。
    動診というのは、「快適感覚のききわけ」をするので、操者が指示する動きには目的があります。例えば左の手関節の外旋に
    伴って全身形態が連動していきますが、初めての方や慣れない方ははっきり言ってなかなか動けません。
    そこで、動きを知っている操者の介助や補助、言葉の誘導が必要なのです。

    ★いつも言っていますが『きもちよく動く』のは動診ではありません。『きもちよく動く』のは、操法に入ってからなのです★

    (3)私は『きもちのよさがききわけられたら、教えて下さい』などと指導します。また、きもちよさがききわけられている時『はい、あります』と言ったりすると、きもちよさが消える場合もあるし、口をききたくない場合もあります。そういう時は『きもちよさがききわけらたら、左手でマルを作って教えて』というようにお願いすることもあります。

    ★ここで、きもちよさがききわけられたら、やっと操法にはいることができます。ききわけていないのに「きもちよく動いて、きもちよさを味わって」というのは動診と操法の区別がついていないのです。操体指導がどうも上手くいかない、という場合がありますが、この区別をしっかりつけていないことが大きな原因の一つでもあります。

    ★★★この区別がつかないとどうなるのでしょう。操体だけでは足りなくなるのです。

    ★さて、きもちよさがききわけられました。しかし、きもちよさにもピンからキリまであります。
    私達はきもちよさ、というものをもう少し細かく分けてみました。
    それは『そのきもちよさは、味わってみたい要求があるのか』『ないのか』ということです。
    同じ「きもちよさ」でもきもちよさなら何でもいいわけではなく、からだが味わってみたいという要求を満たすような、質の高いきもちよさを選択していただくのです。

    ここで大事なキーワードが『からだにききわけて』という言葉です。

    『そのきもちよさ、味わってみたいという要求がありますか?からだにききわけて』と持ってくるのです。『からだにききわけて』、という大事なキーワードです。

    ★ここで『はい、あります』という確認ができました。あるいは、きもちいいけど味わってみたい程ではない場合もあります。そのような場合はやめていいのです。

    はい、快適感覚、それも味わってみたいというからだの要求を満たす快適感覚です。

    ◎◎◎ここから、操法です◎◎◎

    ◆◇操法◆◇

    (1)さて、からだはきもちよさをききわけました。そして、「このきもちよさ、味わってみたい!」と言っています。そうしたら、すでにきもちいい、ということを確認しているのですから

    (2)「きもちよさに委ねて」「きもちよさを十分味わって」「一番きもちがいいようにからだのツクリを操って」というように、「きもちよさに委ねていいんだよ」と伝えます。これが「快適感覚を味わう」という『治療』なのです。
    委ねていいので、どんな動きをとっても構いません。というか、本当に委ねていると、無意識の動きが起こったりします。無意識の動きというのは、通常想像できるような「運動的」な動きとはちょっと違います。
    これも反応は人それぞれです。長い方は数十分も快適感覚を味わっています。

    また、からだが要求している快適感覚なので、いくら味わっても大丈夫だし、飽きることはないのです。

    ◆◇脱力◆◇

    (1)脱力の方法ですが、昔(第一分析)の時代は、呼気とともに瞬間急速脱力を指導していました。しかし快適感覚にゆだねた動診と操法の行程を踏んできもちよさを味わってからだと瞬間的には抜けません。
    この場合も『からだが要求してくる脱力の仕方で結構です』というようにお願いすると、大抵はふわっと緩やかにそしてきもちよく、からだは脱力をつけてきます。呼吸を意識しすぎると、感覚のききわけの妨げになることがあるので、呼吸は自然呼吸でいいのです。

    また、脱力すると「ぴょん」と戻る方がいらっしゃいますが、脱力したら脱力したままでいいのです。

    ★最高のきもちよさを味わっている時に、瞬間的に脱力させるのは、乱暴な感じです。うとうととたゆたっている時に、無理矢理起こされるような。

    (2)瞬間急速脱力でもきもちよさがある場合があります。それは何かというと、筋肉を緊張させた後、一気に緩めると『脱力した後がきもちいい』のです。これもきもちよさのうちに入れてもいいかもしれませんが、これは本筋ではありません。世の中にはこれが操体のきもちよさだ、と言う方もおられますが、どちらかというと
    操体ではなく『正体術』的な感じです。

    しかし、ふわりときもちよく脱力した後には大抵脱力後の爽快感があります。筋緊張を「どすん」とほどいた後の脱力感とは少し違います。が、これもからだにききわけて、味わってみたい要求があれば『脱力後の爽快感も味わって』ということになります。

    ◆◇回数の確認◆◇

    (1)「落ち着いたらもとに帰ってください」など、元のポジションに戻ります。そこで、回数の要求を確認します。簡単に言えば『今のきもちよさ、もう一度味わってみたいのかみたくないのかからだにききわけて、教えて下さい』ということです。ここでも「からだにききわけて」という言
    葉が大切です。

    何故かというと、人間「アタマ」で考えるからです。
    例えば『この操法、もう一度やってみたいですか?』と、聞くとアタマで考えるので『回数を多くやった方が効果があるのでは』と
    考えたりします。また、からだの要求感覚がなければ、対になった動きを比較して『右をやったから左もやらなきゃ』と思い、つまり
    アタマで考え『左をやったから右をやったほうがいいんじゃないでしょうか』と考えることになります。

    ここで『からだにききわけて』というキーワードを使うと、面白いことに『からだ』が反応します。
    また、本当に快適感覚を味わった後は、考え込む時間もなく『あ、ありません、大丈夫です』という答えが返ってきたりするのです。

    今日は動診と操法の区別ということを時系列に沿って書いてみました。動診、操法の違いを理解すれば、『きもちよさを探して動いて』という指導が適切ではないことが分かります。

    主語は「からだ」なのです。ある動きをためしてみて、その動きにきもちよさがあるのか、ないのかからだにききわけるのは「からだ」なのです。

    『きもちよさを探して動いて』という言葉でアクションを起こすのは『アタマで考えている私』なのです。

    フォーラムでも何度かこの話をさせていただきましたが、何故『きもちよさを探して』という言い方がダメなのか分からない、という方に話を聞くと、やはり『アタマで考えている』ケースが多いように感じました。しかし、それはおそらく机上の理論ということで私の話を聞いて下さっているからであって、適切な介助補助、言葉の誘導があれば、『きもちよさを探して動く』のではなく『きもちのよさをききわける』ということは理解していただけると信じています。

    実際、私のところに来ていただいて、『なるほど、分かりました』と殆どの方はこの大きな違いを理解して下さいます。

    蛇足ではありますが、操体臨床が上手くいかない大きな理由は、今日お話した
    ■動診と操法の区別がついていない
    ■楽ときもちよさの区別がついていない
    の2点です。これは全般的に「言葉の理解」と「言葉の誘導」にもつながってくるのですが、「きもちよさを探して」とか「どちらがきもちいいですか」という問いかけをしている操体指導者は、
    余程の経験あるテクニシャンか、勉強不足のどちらかです。

    最後は【断言】風になってしまいましたが、操体を勉強しておられる、あるいは勉強したいと思っている方々に、最初から道を踏み外して欲しくないのです。道を踏み外すと、元に戻るには大変な労力が入りますから。

    操体を学んでいるちょっと先輩からのアドバイスからだと思って、素直に聞いていただければと思います。

    フォーラムの席で上記二点に関してご質問があれば是非お寄せ下さい。懇親会の席だったらなおいいです(笑)

    Hiromi Hatakeyama 畠山裕美

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  • なぜ、操法に名称をつけないのか??

    お久しぶりです。畠山裕美です。

    この前フォーラム実行委員ブログを担当したのが丁度9月の初秋の頃でした。あれから新しい年を迎え、今日から2月です。まだまだ寒いですが、春と春のフォーラムが待ち遠しい今日この頃です。

    今回はたまに私が受ける操体についての疑問に関して答えていこうと思います。

    操体あるいは操体法をされている方で、操法に対して名前をつけて呼んでいることがあります。有名なところでは「カエル足」とか「膝倒し」とか「つま先上げ」とか。他に私が聞いたところでは
    「ヤモリの操法」とかいうのもあります。足趾の操法のことを「指チョンチョン」というのも聞いたことがあります。

    ちなみに、私も最初の頃は「カエル足」とか(カエルさん、とか)「膝倒し」とか「つま先上げ」と言っていました。何故かと言えば
    周りの人がそう言っていたからなのです。更にもう少し難易度が高いものを習ったときには『大腰筋の操法』とか『○○筋の操法』というように、ターゲットとする筋肉の名前がついたものを覚えていました。

    しかし、あるとき気がついたのが『橋本先生のには○○操法とか書いてない!操体1とか操体2とか書いてあるだけで、具体的な名前はつけられてないけど、どうしてだろう???』ということでした。

    例えば「カエル足」という言い方は、伏臥位で足を腋のほうに引き上げる格好が「カエル」に似ているように見えたわけで、おそらく「通称」だったものが『カエル足』という言い方になったものだと思われます。まあ、通称で患者さんに説明する場合などに使われたのかな、それが愛称あるいは通称として定着したのでしょう。

    そして、その「どうして?」というナゾが解けたのは三浦先生(理事長)のお陰でした。特に『カエル足』とか『膝倒し』という言い方に違和感が無かった私でしたが、三浦先生の講習では『カエルさん』とか『カエル足』とは言いません(いえ、三浦先生が『カエルさん操法』とか真顔で言うのは想像できませんが・・)。

    何と言うかと言えば『伏臥膝関節の腋窩(えきか)挙上』というのです。何だか難しそうな漢字ですがこれを見ると字のごとく、うつ伏せに休み、膝を腋の下に向かって引き上げる、という動きがわかるのです。また実はこの動き、単にうつ伏せに寝て、膝を腋のほうに引き上げるという動作だけなのではありません。

    (勿論、患者さんにはこういう言い方はしませんよ。動診の際はちゃんと手順を説明し、介助し、言葉の誘導をかけながらやっていただくのです)

    人間の動きは8つあります。
    手関節だったら、外旋、内旋、橈屈、尺屈、背屈、掌屈、圧迫(おしこみ)、牽引(引き込み)足だったら、外転、内転、外反、内反、背屈、底屈、圧迫、牽引です。実はこの『伏臥膝関節の腋窩挙上』、足関節(そくかんせつ)の外転から作られる動きなのです。

    操体では、基本的に末端関節からアプローチします。例えば、全身形態の連動を促すには、からだの中心腰から動くよりも、手関節、足関節など、末端関節から動かしてみるほうが、感覚のききわけをとらせやすいのです。これを「順連動」と言います。しかし、ボディに歪みがあるとか、何らかの理由で末端から動かしても感覚のききわけができない患者さん(クライアント)もいらっしゃいます。そういう場合は、末端からではなく、逆にからだの中心、腰から動きをとっていただき、感覚をききわけていただく、ということをやります。これが「逆連動」です。

    足関節の外転に話を戻しますが、伏臥位で左足を二分の一屈曲位にとります。この状態から、左足関節を外転(かかとは内側、つま先は外側に回転させる)させてゆくと、左の膝は、左足関節の外転に伴って、腋の下のほうに向かって上がっていきます。足首は、外転するに従って、床に近づいてゆきます。この動きを続けていくと、いわゆる『カエル足』になるわけですが、『カエル足』と言ったのではその「おおもと」の動き(動きの源泉)が分かりません。

    単にがばっとうつ伏せに寝て、平泳ぎのカエルよろしく足をひょこひょこ上下させるのでは、動きの意味が分からないのです。
    しかし、足関節が外転するに従って、膝が腋のほうに上がってゆき、腰が上がっていく足の反対方向に捻転してゆきます。また、連動の法則というものがあり、首は上がってくる膝の方向に向けたほうが向けやすいのです。
    なので、『足関節の腋窩挙上』と言うのです。

    というのは、操者が『カエルみたいな動きをさせりゃいいじゃん』と思って介助するのと、足関節の外転に従って、膝関節が腋窩挙上する、と動きの流れをイメージするのとでは、患者さん(クライアント)の動きが全然違うからです。中には「カエル」に余りいいイメージを持たない方もいるでしょうし。私は「カエルみたいな格好してぇ〜」と、言われたらちょっとイヤですね(笑)

    勿論私もクライアントに指導する場合は『膝関節の腋窩挙上』とは言わず、
    『足関節を外側に回す』と言います(カエル足とは言いたくない!)。

    このように、「動きの源泉、源流」ということを考えると、師匠三浦先生が、何故「膝関節の腋窩挙上」と言われるのか、よく分かるのです。

    お持ちでしたら橋本敬三先生の著書を開いてみて下さい。操法が紹介されているものがあると思いますが、いずれも「操体1」とか「操体A」となっており、操法には具体的な名称がついていないのです。

    これは、三浦理事長から伺った話です。
    三浦理事長が橋本先生のところで修行中の頃だそうですが、当時まだ『操体』『操体法』という言葉はありませんでした。なので『先生がやっておられるのは何と言うものですか?』と尋ねたところ
    『名称などどうでもいい、真理こそが大切なのだよ』と言われたそうです。

    橋本先生が操法に名前をつけなかった理由も何となく分かる気がします。
    操体、という言葉にせよNHKに出るので何か名前をつけなきゃならないということで、『体操の反対だから』『体操じゃないから』(諸説ありますが)『操体』という名前にしたという話も聞いたことがあります。

    ところで、私が『カエルさん』とか『バッタさん』とか言うのを聞くと思い出すのがヨガです。
    ヨガのポーズはその完成形に名前がついているようです。私も少しだけヨガをやったことがありますが、ヨガは順番があって、最後に完成ポーズをとり、そこで動きを停止(ポーズ)します。その時の姿形が動物に似ていたり、シンボリックな形をとっているのです。このあたりは日下実行委員に聞いてみて後々ご報告します。

    一方、操体には『完成ポーズ』というものはありません。

    あくまでも『動かして感覚をききわける』という行程が大切だからなのです。動かしていくそのプロセスで感覚のききわけ(快適感覚がききわけられるのか、ききわけられないのか)を行うのが操体であり、『カエルさんのような格好』をして、ストンと全身を瞬間急速脱力させることではないのです。

    このように考えてみると、何故師匠(三浦先生)が『操法に名称をつけないのか』という意味が分かってきます。
    ・動きの源流を見失わないため
    橋本敬三先生も操法には名称をつけられていなかったため

    なのです。

    というわけで、私達は操法に名称をつけずに、動診で呼ぶことが多いのです。

    Hiromi Hatakeyama

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  • 最近の若いモンは・・

    って年配の方の特許のような気がしますが、古代エジプトの石版にも同じ事が書かれていたのだそうです。昔から年配者は若者の姿を見て『近頃の若いモンは』と言ってきたに違いありません。
    それが延々と続いているわけですね。
    例えば歌舞伎ですが、元々の語源は『カブく(「傾く」が原義)の連用形からとされる。異様な振る舞いや装いをカブキといい、それをする人物をカブキ者と言った』ところから来ています。シアトリカル・ロックみたいなものです。いずれにせよ、年配者は『地頃の若いモンは!』と眉をひそめていたに違いありません。

    江戸時代の髪型にせよ、流行があったようで、『最近の若者の髷の結い方はなっとらん!』とういこともあったそうです。

    考えてみれば私なぞは『オヤジギャル』とか『新人類』の辺りに見事にヒットするのですが、年配の方から見ると、『最近の若いモンは』だったのだと思います。

    まあ、世の中も変わってきました。

    私が学生の頃は、髪の毛を金髪に染めているのはヘビメタの人かパンクスか、ヤンキーでした。(お母さんは栗色とか、おしゃれ染めってのをしていましたが)一時期茶髪旋風が日本国内を吹き荒れました。老若男女(私もやってみましたが)、皆茶髪!というのは面白い現象でしたね。

    最近、あるアンケートで「10年後消えているモノは?』というのがありました。まず上がったのが、公衆電話。確かに1年に一度使うか使わないかというところ。最近は海外に行っても携帯が使えるので減るのは確実でしょう。それから、スーパーやレジの無料バッグ。私が小さい頃、買い物というと、お母さんが買い物カゴを持っていたな。ああいう袋はなく、品物は茶色い紙袋に入っていました。電車や飛行機のチケット、なんていうのもなくなるだろうな。実際、先日久しぶりに飛行機に乗ったら、webチェックインして携帯電話の端末で搭乗しましたっけ。あと他には、スーパーやコンビニのレシート、銀行の通帳もなくなる可能性は高いだろうな。

    しかし、社会が変わろうが、人が変わろうが、絶対変わらない、不変の天然自然の法則、というものがあるのです。それを学んで『自然法則の応用貢献』に活かす、というのが操体なのです(話題が繋がった?)。

    初日に載せた、フォーラムの目的をもう一度ご紹介します。

    目的に適うにはどうすればいいのか。それを学ぶ場が東京操体フォーラムである。
    橋本敬三医師は、『太極の意志』という言葉を用いて操体を説明された。言い替えれば、生命の意志に適(かな)う、如何にしたら生命の意志に適うのかということを操体の中で学んでいるのである。
    つまり、からだの要求に適うとは、それを快適感覚、快を通して学んでいるのである。もっと分かりやすく言えば、からだが喜ぶように、からだにどう問いかけるのか、それが操体の臨床である。
    からだの要求に適う、どうすればからだと心が喜ぶか、それがいわゆる操体であり、操体法という学びの場である。それが東京操体フォーラムの位置づけである。

    一週間お付き合いいただきありがとうございました。次週から、島根の福田画伯の登場です。新作イラストは一体如何に?次週へGo!

    畠山裕美拝

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  • 血液型

    血液型、たった4つのタイプで人間を分けていいものかと考えるが、やはり血液型の本を見ると手が伸びる。最近、血液型の本「AB型 自分の説明書」という本がブレイクして、最近また流行っているらしい。そういう私はそのAB型である。
    AB型自分の説明書

    ちょっと見てみると
    ・AB型の自分が好き(うん、好きだ)
    ・オープンな性格。でも呼び込み看板は出ていない(うん。確かに)
    半分位は当たってるような気もする。が、ヒトに「AB型だ」と言うと「やっぱり!」と言われる。

    その昔、付き合っている人の家にお邪魔したことがあった。その家庭は両親兄弟兄弟姉妹の配偶者まで全部O型だった。兄弟姉妹の配偶者もO型なので、当然子供もO型だ。
    お邪魔してから『今日はいいお天気ですね』(取りあえず先方のお母様に時候のご挨拶)というこちらからのアピールに対して『美味しいからこれ食べれば』と言う返事がいきなり返ってきた。最初『自分は嫌われてるのか?』と思った位である。『何故、会話がキャッチボールにならないんだ?』と。

    父と私がAB、母と妹がAという我が家に比べると全くテンションが違う。
    ヒトの話は聞け、返事しろ、聞かないと頭を小突かれて育った私は少しばかり焦った。
    丁度お正月か何かで、親類一同集まっていたのだが、いる人間が幼児から年寄りまで全員O型である。全員が、相手から何か返事が返ってくるのを期待していないのかそれとも家風なのか、それぞれ勝手な事を言っているのだ。おまけに全員声が大きい(笑)。これは本当に衝撃的な出来事だった。(全てのO型家庭がこうだとは思っていませんので。勿論)

    この出来事は、『世の中には色々な家があるのだ。自分の家をスタンダードに考えてはいかんのだ』という勉強になった(笑)

    ★後に他の『家族全員O型』というヒトに聞いてみたが『ウチはうるさいよ。会社から帰ったらまず玄関でギャグをかまさないと入れて貰えないから』という謎のコメントをいただいた。まあ、賑やかで明るいらしい。

    O型自分の説明書

    師匠、三浦先生はB型である。ちなみに、実行委員の辻君は、三浦先生と誕生日と血液型が同じというものすごい偶然。

    『へ〜、やっぱりBなんだ』とか『自己チュー』と言われがちなB型(私が言ってるんじゃないですよ)

    ★ちなみに、AB型は二重人格とか変人ってよく言われますけどね。

    以下は「B型 自分の説明書』から
    ・集団行動の中で一人ふらふらしたりする(・・・・・・・)
    ・気になると即行動
    ・だけど、興味ないとどーでもいい
    ・突然、何かしでかす
    ・ホントはガラスの心を持っている
    (・・・・・・・・・・・・・)

    昨日、大型書店にいったところ、『B型男と幸せになる方法』という本がありました。
    他には『A型男と幸せに』とか『O型男と幸せに』というのはなく、『B型』のみが存在し、更には『B型女の取扱説明書(トリセツ)』という本が。これは一体どうした事なんだろう(笑)

    ちなみに、三浦先生に伺ったところ、ご家族全員B型とのことだった・・・。

    B型自分の説明書

    蛇足だが、副実行委員長福田氏と、実行委員日下氏は誕生日が同じで血液型も同じ(A型)。世間は狭い。
    A型自分の説明書

    畠山裕美

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  • ヴィジュアライズ(視覚化) 念ずれば・・・

    「Visualize」(視覚化)というのは、私が愛してやまない英国産のロックバンド、DEF LEPPARDのDVDのタイトルである。10月末に久しぶりの来日公演がある。同じく英国産バンド、Whitesnakeとダブル・ヘッドライナーだ。今から楽しみなのだ。

    それはさておき、私が最初に「瞑想」というものに興味を持ったのは14、5歳の頃だと思う。

    12歳の時に内藤景代先生の『こんにちわ 私のヨガ』この本を読んで、からだと心という問題に興味を持った。考えてみればこれが『この道』に入るきっかけだったと思っている。この本には、橋本敬三先生と交流のあった、沖正弘師が推薦の言葉を書かれている。

    新版 こんにちわ私のヨガ―美しく変身する107の秘密 (Yoga and meditation)

    その後、景代先生は、『冥想(瞑想) こころを旅する本』を上梓された。この本が私の瞑想体験の入り口となった。ステップを踏んで進めるようになっている。
    新版 冥想―こころを旅する本 (Yoga and meditation)
    ヨガと冥想―入門から神秘体験へ

    景代先生は最近、例の『あたまが真っ白!』が出て来る『ハッピー体質をつくる 3分間瞑想』も出版されている。

    これによると、禅も実は「無念無想」となるヨガ瞑想の一つだったらしい。つまりイメージを消去して悟る(禅的な『覚悟』)。しかし、『覚悟してもって言われてもなぁ』(笑)ということで1000年前程から盛んになったのが、イメージをありありと見て、願望成就する方法なのだそうだ。

    というわけで、中学生だった私が最初に練習したのは、あるモノを見て、目を閉じてもその物体がありありと見えるようにする、ということだった。その前に折り紙を買ってきて、「色」を見る練習をした。そうすると、夢が鮮やかになってくる。夢でなくても目を閉じると、それまで見ていたものが脳裏に浮かぶようになる。この、頭の中でヴィジュアライズするという練習はそれから後、とても役に立った。その後、外気功の先生にスカウトされて、しばらく修業したが、この時も役に立った(ちなみに、気功治療はやっていません)。

    というわけで「念ずれば・」

    私は自分が『コレは叶えたい』と、真剣に本気で思ったことは結構叶えている。やはり言葉とイメージなのではないかと思う。

    ★猫と出会う
    私は猫が好きなのだが、それまで実際に猫と一緒に暮らしたことがなかった。しかし、頭の中には私の望みなのか、それとも向こうから来たのか、黒くて、目が緑で優美な黒猫がいつも浮かんでいた。十五年かそれ以上の長い間である。
    何やらいつも漠然としていたのだが、絶対この猫と出会うだろうということは何故か分かってていた。ある日、猫もいないのに猫缶をもらうことになる。普段なら『猫、いませんから結構です』というはずなのだが、その日は何故かもらって帰った。その夜に出会ったのが、黒くて目が緑で美しい猫、私のねこなのだ。これも不思議だが、会ったその時からお互い知っていたような感じだった。

    ★会いたいヒトに会う
    結構な確率で会うことができている。誰とは詳細は書かないが(笑)そういえば、ある御方のはからいで、オーラの泉の紫の君に、『アナタは人様を癒すお仕事をされているのね』という言葉をかけていただいた事もある(今から8年位前)。
    オーラの素顔 美輪明宏のいきかた

    ★本の出版
    開業して何年か経った。私の夢は操体の本を書くことだった。いきなり無謀かもしれないが、本を出す、と決めた。そうしているうちに、ある出版社からコンタクトがあった。おそらく操体関係でホームページを最初に立ち上げたのは私のところだと思うが、通常の接骨院や治療院などのように、その店舗の宣伝をしているのではなく、操体に関する情報をしっかり掲載していたこともあり、『操体に関する本を書いて頂きたい』というオファーをいただくことになった。企画立ち上げから約1年ちょっとかけて、1999年12月(丁度、全国操体バランス運動研究会東京大会の直後)に出版したのが『ふわ、くにゃ、すとん、操体法』である。今読み直すと、間違いや勘違いもあるので鵜呑みにしないで私のサイトを見てチェックしていただきたい。
    なお、改訂版を出したいとは思っている。が、これはまだ私の頭の中で本気モードではないのか、そういう話はまだ出てこない。
    あったら勿論やりますので、宜しくお願い致します。

    ★本の出版2
    私の第一作の「筆者紹介」を見ると、『操体法治療室』を読んで操体を志す。と書かれている。実はこの頃から『いつかこの先生方と共著で操体の本を書きたい』という野望?があった。
    これは2006年に叶うことになった。(『操体法 生かされし救いの生命観』 たにぐち書店 三浦寛、今昭宏、畠山裕美共著)勿論水面下で努力したのは言うまでもない。そろそろ次作を考えようと思っている(企画は既にありありとイメージしている)。
    操体法 生かされし救いの生命観

    ★その他:ヴィジュアライズ(視覚化)
    三浦先生の講習のアシスタントをさせていただいているが、受講生によく言うのが『(三浦)先生が模範実技をしている時は見てなさい』ということだ。最近でこそ三浦先生は受講生にさほど厳しく注意されないが、私の時代は実技中にノートを取ったりしていると『見てろ』と叱られたものだった。先生が模範実技をしている時、一緒になって真似をしていることがあるが、初心者は絶対やめたほうがいい。初心者なのだから、最初は見るべきなのだ。見て、それが頭の中でヴィジュアライズできる位、頭の中でありありと浮かぶように。一緒になって手足を動かしているのは、一見真面目に勉強しているように見えるが、実は手足を動かしているので、注意が散漫になり、頭に入っていないのである。ある程度上級者になり(例えばバンドならいきなりジャムセッションができる位の実力なら)模範実技を一緒にやり、そのリズムをつかむのならいい練習になる。

    私の場合、慣れているので?先生の模範演技を見て、目を開けながら、頭の中でヴィジュアライズする。その後、目を閉じなくても先程見た映像が見えるので、自分がやってみる時は、それを無意識の
    うちに再現しているのだと思う。

    『自分の頭の中でイメージできないことは、できない』のだ。不安だったら今日からでもいい。ちょっとづつ練習するのだ。

    といいつつ、私がこれできるのは操体と、あとは自分が興味あること位しかない。自分がそれほど興味がないものは殆ど沈没だ(笑)

    畠山裕美

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  • 頭が真っ白!

    最近気になる言葉がこれ。周囲にこの言葉をよく使う方が何人かいらっしゃる。呆然となり、思考力が働かなくなることを、日本語では「真っ白になる」と言うのだが、英語では「空っぽになる(go blank)」と表現するそうだ。

    おおよそは「呆然となり、思考力が働かなくなること」を指すのだろうが、中には『一度頭の中を真っ白にして』(つまり『まっさら』)という使い方をしている方もいた。これリセットして落ち着けということだろう。

    今回何故この言葉が気になったのかというと、この言葉を口ぐせにしている方々にはある共通点があるように思ったのである。
    橋本敬三先生は『言葉の運命のハンドルである』と言われた。それは『息・食・動・想』の『想(精神活動)』にも繋がっている。言葉はコトダマとも言い、昔の人は言葉には魂がこもっていると考えていた。実際魂がこもっているのだと思う。自分が口に出した言葉は具現化するのだ。それを『呪』(しゅ)と言う。私も言葉が持つそのパワーにはいつも驚くが、本当に『運命のハンドル』なのだ。
    これは間違いない。

    先に出てきた方々の共通点を考えてみると(冷静に客観的に)、まず、
    ・気があがっている
    ・言葉の統制が得意ではない
    ・なので、誤解されやすい
    ・落ち込みが激しい
    ・体調に波がある
    ・メンタル的に不安定である
    ・パニックを起こす

    などだろうか。特に『気が上がっている』のは目立つ特徴かもしれない。

    ★クライアントに相対する場合、相手の気があがっていると、まず相手の気を下げるという下地を構築することにしている。駆け出しの頃は、相手の気が上がっているのはよく分かるのだが、上がっている相手に対してどうしたらいいのかなかなか分からなかった(遠い目)。しかし、さすがに最近はしっかり?修業を積んだので「どうすればいいか」というのがわかるようになった。それも手技療法家の技能の一つではないかと思う。

    ★また、操者の『気があがっている』のは良くないのは当然だ。

    ■「ハッピー体質をつくる 3分間瞑想」内藤景代著 実業之日本社 22ページより引用

    ある生徒さんの口ぐせは、何かあると「あたまが真っ白!」でした。それで、自分で「あたまが真っ白!」と「自己暗示をかけるのはやめて、そうと感じたら、その状態をまず認め、だとしたら、「今、何をすればいいのか、その場で段取りをイメージしてから行動するように」と、アドバイスしました。すると、「自分がマイナスの暗示をかけている」といわれたことはショックだったようですが、それを認めると「あたまが真っ白!」の状態からの脱出がうまくなり、ものごとがうまくいくようになったそうです。

    「頭が真っ白!」という自己暗示をかけているから気が上がるのか、気が上がっているから頭が真っ白になるのかと考えると、口癖にしている場合は前者なのかなとも思う。

    いずれにせよ、マイナスの自己暗示を自分に「呪(しゅ)」のようにかけないこと。これも「精神活動」(想)を統制する、一つのコツなのだろう。

    また、考えてもみてほしい。世の中の会社が「頭が真っ白!」になるような人を雇いたがるだろうか?そして、「頭が真っ白!」というのが口ぐせのドクターに診てもらいたいだろうか?
    「頭が真っ白!」というのが口ぐせの、操体指導者なんて想像できる?

    やはりマイナスの自己暗示はかけないほうがいいに違いない。

    畠山裕美

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  • 海系。

    海と山、どっちがいい?と聞かれたら絶対海派である。冬にどこかに行くのだったら、スキーじゃなくて南国ビーチを選ぶ(その割にはタイとかバリには行ったことがない。ハワイにもない)。

    私は東京生まれだが、両親が宮城の気仙沼出身なので、親類縁者にも海関係が多い。
    農林水産省の水産試験場に勤めていたり、気仙沼魚市場で働いていたり。詳細は知らないが、私の父も若い頃、マグロ船に実習か何かで乗って、ハワイ沖で遭難しかけたらしい(後、テレビ局のディレクターという全然関係ない仕事に何故ついたのかは不明)。また、何代か前の先祖は気仙沼で海産問屋をしていたらしいが、三陸を襲った地震による津波で財産を失ったらしい。気仙沼という場所柄、海とはご縁が深い一族の出なのだ。

    ちなみに、幼少時の私は「魚類図鑑」と「人体図鑑」を愛読していたらしい。特に「人体図鑑」が好きだったようだ(・・・それで今に至るのか??)。

    小学生の頃は、夏休みに毎年気仙沼の両親の実家に行っていた。母方の実家は少し山のほうにある。父方は港の近くにあった。朝、父親に起こされて魚市場を見物に行く。最近は一般の人は入れないようだが、当時は父が顔見知りの人がいたり、伯父が勤めていたので案内してくれたりした。

    気仙沼といえば、サンマだが、夏休みの時期はまだサンマの時期ではない。今記憶に残っているのは、マグロとサメだ。今もそうだが、大きな魚が好きだ。

    気仙沼はご存知のようにフカヒレの産地である。最近はサメの心臓をお刺身にして出しているところもある(モーカの星)。以前は中国輸出がメインだったらしいフカヒレだが、国内消費向けに切り替えた。それがふかひれ寿司の考案、開発に繋がった。ふかひれ寿司については花寿司の幸 4 (4) (アクションコミックス)をお読みいただきたい。

    それはさておいて、サメが市場に山のように積み上げられている風景と、マグロがごろごろ転がっている風景が目に浮かぶ。夏は巨大なメヌケのような赤い魚があがっており、それをずっと見ていた記憶がある。大きな魚というのは何故かわからないがそそるのである。
    マンボウも見たような気がする。今調べてみたら、マンボウは夏に揚がるらしい。揚がるといっても何かのついでに引っかかる
    のが、マンボウらしいのだが。マンボウは身よりもワタが美味しかったような気がする。食べるのはちょっと可愛そうだし(でも食べました。。身もワタも)。

    あと、思い出すのはカツオだ。カツオのタタキというのは結構美味しいものだが、気仙沼ではタタキにしない。
    何故かというと、タタキにしなくても十分美味しいからなのだそうだ。元々タタキにするのは脂のノリが少ないのを(補うためらしいが、新鮮なカツオが手に入る気仙沼では、タタキにする必要はなかったのだそうだ(『花寿司の幸』受け売りです)。
    ご飯にカツオのお刺身(というか豪快な醤油漬け)を、乗っけて食べたのを思い出す。
    一杯目はそのまま、二杯目はお湯をかけてお茶漬け。お湯をかけて白くなったカツオもまた美味しかった。

    ちなみに、小学生の時、理科の実験で「フナの解剖」をやることになったのだが、フナがいなかったので先生が魚屋でアジを買ってきた。その時メスでアジを三枚におろしたのを覚えている。理科の時間にアジをメスで三枚におろす小学生は滅多にいるまい。

    というわけで、小さい頃から「魚」は身近なものだった。大学を出て、虎ノ門の会社に勤めていたが、あの近所は『夜は飲み屋だが昼はお昼の定食を出す。それも魚』というところが多い。なので、お昼はもっぱら魚定食を食べていた。なじみになると『おねーさん、メニューに出てないけど今日は子持ちカレイが入ってるよ』とか。

    ・・・強引だが、

    だから、水族館が好きなのだと思う。ダイビングもやっていたら絶対はまっていたと思うが、十数年前、一度サイパンでPICのプールでトライしようとした。ところがランチにワインをたっぷりいただいていたのと、マウスピースのあの感触で、「おえ」となりそうになったので、あきらめて、プールサイドでビールを飲んでいた。それ以来ダイビングにはご縁がない・・・・

    注)Pacific Island Club: 私は社員旅行で行ったが、横森実行委員はここに新婚旅行で行ったらしい。。ランチビュッフェは確かワインがフリーだった。

    ダイビングをしない代わりに水族館なのかもしれない(おお、我ながらこれは新たな発見だ)

    水族館と言えば、マグロが回遊する葛西臨海水族園  
    うちから一番近い。最近はサボっているが、荒川の川っぷちを歩いて45分位で行ける。確かオープンの日に行った記憶もある。
    カフェテリアではビールが飲める(それかい・・・・・)。ここのマグロはやはり迫力がある。あれに追突されたらひとたまりもある
    まいとか、美味しそうとか(それかい・・・・)。自転車でもバスでも行けるし、行こうと思えば徒歩でも行けるのが魅力だ。
    しかし、近いので最近はあまり行かないというのも事実である。

    先日、大阪の海遊館に行った。二度目である。大阪には二回しか行ったことがないのに、海遊館には二回行ったことがある(笑)
    ここのウリはジンベイザメだ。私のような巨大魚愛好家でなおかつダイビングをしないという人間にとって、ジンベイザメ
    夢であり憧れだ。あんなのに海中でであったら、興奮して失神するかもしれない(笑)。
    以前見たときは確か一匹しいなかったが、今回は二匹の個体が巨大な「太平洋水槽」に泳いでいた。私は水槽に張り付いて
    (本当に張り付いていた・・)ジンベイザメを見つめていた。やはりジンベイ君にくっついているのが、コバンザメ君だ。

    そして、今回の海遊館の最大の目玉はイトマキエイ(マンタ)の展示である。イトマキエイ自体珍しい上に、水族館で飼育、
    展示に成功したのは世界で初めてらしい!

    というわけで『アジア水槽』に張り付いて、ジンベイザメとイトマキエイ(マンタ)に熱い視線を送っていたのだった。
    あの優美なライン、ヒレの動きったら目がハート型になりそうである。いやはや眼福眼福でございます。

    同様の分類ではないのだが、アマゾンの巨大魚も非常に惹かれるものがある。もうピラルク(アマゾンに住む世界最大の淡水魚)などを見ると水槽に張り付くこと間違いなし!
    その他のジャンルでは深海魚シリーズ。
    一番好きなのは(生は見たことなし。当たり前か)、やはり生きた化石こと、シーラカンスでしょう(断言)
    マダガスカルの深海にこんな魚が群れになって生息しているとは、何だか感動的じゃないですか?私だけですかね?
    夏に葛西臨海水族園に、新種の剥製展示があったのですが、行きそびれました。

    そして、これです。教えてもらって見ました。NHKスペシャル
    ゴブリンシャークミツクリザメ)という深海のサメが、何と、何と東京湾の海底谷(かいていこく)に生息しているらしい。

    このサメ、ヴィジュアル的にも相当凄いヤツである。

    http://www.youtube.com/watch?v=vMGk6ohitgM
    東京湾の深海に、「幻のサメ」と呼ばれるサメが生息している。
    その名は、「ミツクリザメ」。体長は大きいもので3メートルを超え、口から前の部分がヘラのように突き出し、死ぬと顎が飛び出して、凄まじい姿となる。海外では、ゴブリン・シャーク(悪魔のサメ)と呼ばれている。これまでミツクリザメは、オーストラリア南東沖やスリナムギアナ沖の深海など、大都市とは遠く離れた場所で、わずかな数が発見されるだけの極めて珍しい存在だった。生態はほとんど分からず、海の中で、自然の姿が
    撮影された事は一度もない。世界中のマスコミが、その奇妙な姿をカメラにおさめようと狙ってきた。ところが最近、その幻のサメが、周囲に3000万人が住む大都会の海・東京湾に、多数生息することが明らかになったのだ。ミツクリザメが住んでいるのは、東京湾の深海に広がる大峡谷、「東京海底谷(とうきょう・かいていこく)」と呼ばれる場所だ。』見ていてもう釘付けです(笑)テレビの前から動けない!

    ・・・・んですが何か?

    畠山裕美

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  • 男名前。

    ちなみに、男性に間違えられるコトがあります。

    いえ、なりを見て間違えられるのではありません(それは大問題です)。そんなことありませんねみなさま(念を押してみる)

    名前のお陰なのです。私のフルネームは『畠山裕美』といいます。読み仮名をつけると「はたけやまひろみ」です。よく「はたやまゆみ」と読む人もいますが、そうではありません。また、漢字も『畠山』の『畠』の冠が『白』なのに『自』と、勘違いされやすいらしく、手書きだと『ああ、横棒が一本多い』と思ったりもします。ひどい人は『鼻』と書いてくる人もいます。

    私は『鼻山さん』と、メールや手紙をくれるヒトには返事を出しません(笑)

    なので、よく漢字を間違えられると思われる『萩原さん』と『荻原さん』とか、『菅野さん』と『管野さん』の怒り?と苦労?もよくわかります。

    それはさておいて、私の下の名前は『ひろみ』です。これは、『ヒロミ・ゴー』こと郷ひろみ氏の本名、原武裕美と同じです。男性タレントにも確か『ヒロミ』っていますが、「ひろみ」というのは男女兼用(?)の名前なのです。そのせいなのかどうかしりませんが、名前だけではよく男性に間違えられます。

    その他にもどうやら理由があるようで、それは一体?というと
    私のブログなんだそうです。あれは意図的に固い表現を使っているのですが、『男性的な文章だし、名前もヒロミだし、男性か?』と思うのだそうです。実際、実行委員の甲斐田君は最初に私のブログを読んで、やはり男性だと思っていたと後でこっそり?打ち明けてくれました。まあ、今度男性のペンネームで何か書けるかも、と思ったりもします。

    また、クライアントの方で、おそらく私のコトを完全にオトコだと思っていたらしい方がいました。
    今から5,6年前の事だったと思います。メールで予約をいただいて、実際お会いして挨拶したところ、私のコトをアシスタントのおねーちゃんか何かと勘違いしたらしく、思い切りハナであしらわれまして、改めて私が名乗ると、ものすごく驚いてフリーズした挙げ句に憤慨されて帰った方がいらっしゃいました。
    私にしてみれば「ちょいとキレられた」という感じでしょうか。ほんの一瞬ではありますが、生命の危機を感じました。この方は、50代後半の方で、脱サラして整体の学校に行って、併設サロンでインターン中とのことでしたが、(50代後半で脱サラして整体修業って、ものすごく大変だと思います)年下でオンナだしということで、気にくわなかったのだと思います(後でメールにて、「女性だとは思っていなかったので驚いた」とは書かれていました。驚かないで欲しいですね)。

    ★世の中、あまりキレてはいけないと思います。数々の事例を見ましたが、周囲の人にも迷惑がかかります。

    先日、島根の福田副実行委員長のお宅にお邪魔しました。
    後で聞いた話なのですが、ご両親は私のことを男性だと思っていたのだそうです

    あ、そこ、笑いましたね。今、笑いましたね??

    福田氏は最初私の講習に参加されており、その後三浦先生の講習に参加されたのですが、ご両親はまさか、ご子息の操体の先生が女子だとは思わなかったらしくお邪魔した際にオンナだったのでびっくりされたそうです(笑)

    ★お父様には男らしい?飲みっぷりをほめていただきました

    別件ですが、三浦先生とどなたかと三人でお茶をしている時、三浦先生が冗談で(冗談ですよ。冗談)
    『こいつ、元オトコなんだよ(にやり)。』
    と言われたとき、その方の顔が一瞬『マジっすか〜?』という顔になったのを私は見逃しませんでした(爆)。
    なんだその驚きようは!!

    それから、たまにフォーラム実行委員メンバーの草階さんと森田さんと飲みに行ったりして、途中ご不浄に立って戻ってくると(化粧直しとかしないから結構早い)、
    『裕美先生、帰ってくるの早っ!』
    『もしかしてオトコじゃないすか?!』
    と、言われます。
    そういう時は『うん、便座とフタ、上げてきたから』と答えます・・・・

    畠山裕美

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  • About SOTAI

    こんにちは。畠山裕美です。
    今週一週間宜しくお願い致します。

    今日は操体のバックグラウンドについてお話したいと思います。フォーラムに参加する時の参考・操体の現在を理解する時のヒントになれば幸いです。

    まず『操体』と『操体法』の違いです。
    橋本敬三先生も違いをはっきりさせておられたと聞いていますが、『操体法』というのは、いわゆる臨床(問診、視診、触診、動診、操法の一連)を指します。一方、『操体』というのは、「息食動想+環境」で説かれている、同時相関相補連動性をはじめとする、橋本哲学までも含めた、治療室での臨床だけにとどまらないものを指します。

    東京操体フォーラムの位置づけとして、まとめてみると(三浦理事長談)このようになります。

    『目的に適うにはどうすればいいのか。それを学ぶ場が東京操体フォーラムである。橋本敬三医師は、『太極の意志』という言葉を用いて操体を説明された。言い替えれば、生命の意志に適(かな)う、如何にしたら生命の意志に適うのかということを操体の中で学んでいるのである。
    つまり、からだの要求に適うとは、それを快適感覚、快を通して学んでいるのである。
    もっと分かりやすく言えば、からだが喜ぶように、からだにどう問いかけるのか、それが操体の臨床である。からだの要求に適う、どうすればからだと心が喜ぶか、それがいわゆる操体であり、操体法という学びの場である。それが東京操体フォーラムの位置づけである』

    操体』『操体法』を考えてみると、なかなか不思議な世界なのです。どう不思議なのかと言うと、創始者は医師であり、「温古堂」という診療所を構え、臨床をされており、更には『どこに行ってもダメ、占いやお祓いに行ってもダメ』という患者が日本中から訪れていました。橋本先生が『ここ(温古堂)は病気の墓場だ』と言われていたにも関わらず、今は『操体』『操体法』その内容が健康体操、養生法としての部分のみが有名になってしまっているという事実です。(橋本敬三医師も、健康体操化に一役買ってしまったというところもあるのですが)

    人口としては、健康体操・養生法として愛好している方のほうが多く、私の知っている限り、操体臨床の専門家は本当に少ないのが事実です。

    私が10年ほど前、ある操体法の勉強会に参加した時の話です。私はてっきりプロが集まって、色々研鑽するところだと思って行ったのですが、そこは愛好会であり、一般の参加者が集まって2人
    一組で組んで練習していました。その時『操体が専門です』(当時、第1作の執筆中でした)と言ったところ『操体の専門家なんですか?』と、驚きの声が上がりました。これはどういう意味かと言うと『健康体操にプロがいるの?』っていうような感じでした。人口的には同好会とかサークルの方が多いので、おそらく治療費・施術料を払って専門でやっているというのは想像出来なかったのではと思います。(橋本敬三先生は医師というプロだったのですがね。プロフェッショナルの医師が、医業の間に片手間に創案した健康体操ではなく、本来は医師が実際に治療の場で実践していたものだということなのです)
    そして、治療所である温古堂に、日本中から色々な方が勉強に訪れていたそうです。

    橋本敬三先生は、各地で講演には出られていたそうですが、定例講習などはされていませんでした。そのような方々の中には、医師もいれば、一般の方、スポーツ関係、教育指導者など、様々な方がおられ、見学して勉強したことを持ち帰り、それがその地において『○○操体の会』のようになっていきました。

    操体が『健康体操』『養生法』としてのみ、認識されている方が多いという事実は実に残念なことです。健康法・養生法としての活かし方も、十分とは言えません。

    また、橋本敬三医師は何冊か本を書かれていますが、それは皆何かの連載を纏めたりしたものであり、戦前から昭和50年代くらいまでのものです。実は、その後、85歳になられた橋本敬三先生は、親しい弟子達に『楽ときもちよさは違う』『動きより感覚の勉強をしなさい』『(感覚のききわけを妨げるから)呼吸は自然呼吸でいい』などの言葉を残されています。これらは、出版されている本に書かれている内容とは若干ちがっています。

    現在出版されている本の殆どは、『きもちのよさでよくなる』と、橋本先生が確信された時代よりも先に書かれているものなのです(1986年以降)。

    例えば『万病を治せる妙療法』という本があります。これには『操法は3回から5回』と、書かれていますが、晩年の橋本先生は『快適感覚に委ねる』というスタンスをとっておられたので、『アレは間違ってる』と、言われていたそうです。
    しかし、売っている本(それも一番入手しやすい本)が未だに売れているため、操体に興味を持った方は『快適感覚にゆだねる』以前に書かれた橋本先生の本を『真面目』に読むのです。この時代は『痛いほうから痛くない方に』という『楽な動き』の時代なのですが、今現在、つまり東京操体フォーラム理事長である
    三浦寛先生や、顧問の今昭宏先生が掲げている『きもちよさ』という言葉が操体界自体のトレンドになっている故、

    ・読んでいる本は古い内容で(農文協の健康叢書シリーズなど、楽な方に動かして、瞬間急速脱力メイン)
    ・耳から入ってくる言葉は結構新しい(『きもちよさ』がメイン)

    ということになり、『楽(なうごき)』と『きもちよさ』を混同することになっており、これが今現在の操体の一番の問題だと考えています。

    この混同にどのようなデメリットがあるかというと

    ・臨床に結果がでない
    ・なので、何か他の治療法を取り入れている

    ということになります。操体の「考え」、例えば『息食動想』の考えを臨床に取り入れるのはいいと思うのですが、『楽』と『きもちよさ』の区別がつかないまま、テクニックだけを覚えようとすると、絶対ドツボにはまります。
    (私はドツボにはまった人を何人も見ているので、このように書かせて頂いています)
    ドツボにはまると、臨床の結果がでないのを操体のせいにして、『操体は効かないから、何か他の療法を取り入れよう』となるわけです。それはちょっと勿体なくもあります。どうせかじるのだったら、食い散らかすのではなく、ちゃんと食べて欲しいのです。

    ★ドツボにはまらない為にも、興味のある方はフォーラムにどうぞ!

    操体は体系化されてはいるが、完成されたものではない、と橋本先生も言われています。その後に続いて、自然法則の応用貢献に熱意を傾けているのが、我々東京操体フォーラムの面々です。

    ★自分1人できるから、「自力自療」なのではない。

    また、操体にはおおきくわけて3つの場があるということをご紹介しておきます。

    1.橋本敬三先生がされていたように操者と患者のごとく、相対して行う場合。
    2.スポーツクラブ、カルチャーセンターなどで、指導者が言葉の誘導のみで多人数を指導する場合
    3.自宅などでからだの手入れを自分自身で行う場合

    大きくわけるとこの3つになりますが、これらを全て自力自療といいます。自力自療とは、『本人にしかわからない感覚をききわけ(それがからだの要求に適ったきもちよさならば)味わう』ことです。1も2も3も全て自力自療なのです。なので、「1人でやるから1人操体」「2人でやるから2人操体」「3人でやるから3人操体」←しつこい?ではないのです。

    ちなみに、「自力自動」という言葉があります。これは、自分で自宅などで自分のからだの手入れをすることを指します。3がそれにあたります。

    また、この話をすると、操体は『自力自療』というのに、何故施術者がいるのか?という質問を受けることがあります。
    それは、自力自療が自分では叶えられない方、あるいは自力自動では間に合わない方の為に、プロが存在するのです。
    そのような方の自力自療を促すような指導・サポートを担うエキスパートが必要なのです。

    『何で操体に興味を持ったの?』と聞くと、『自分でできるから』という答えをよく聞きます。勿論自分でできるのですが、単に動いただけでは体操やエクササイズです。『自力自療』の言葉にあらわされる通り、本人にしかわからない感覚をききわけ、からだの要求に適う快適感覚を味わうことをしなければ、単なる体操に過ぎません。

    長くなりましたが、今日はこの辺で

    畠山裕美

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