カテゴリー: 畠山裕美(はたけやまひろみ)

  • 青くせーこと言うなよ?!(二日目)

    2019年秋季東京操体フォーラムでは、午前中、タスクフォース(若手チーム)と私が「がんばるな」についての発表を行いました。
     
    当初「がんばるな、いばるな、よくばるな、しばるな」の、各々について発表するという話があったのですが、私は却下しました(笑)。
     
    なぜか。
     
    いばるな、よくばるな、しばるな というのは「これはやめたほうがいい」っていうのは、皆分かってることじゃないですか。
     
    で、それがなかなかできないから、皆困っているし、トホホなわけです。
     
    お釈迦様の時代から、これができなくて困ってるわけですよ。
     
     
    それを、若い衆がさもありなんで「いばるな、よくばるな、しばるな」を、発表しても、年上の我々は「そんなのオマエに言われなくても、オマエより長生きしてんだからわかってるよ」「青くせーこと言うなよ」と思うからです(笑)。
     
     
    なので「がんばるな」に焦点を当てること、「青年の主張大会のようにならないこと」「青くせーことは言うなよ」という指令を出したのでした。
     
     
    しかし、何故人間って、正論を言われたり説教こかれたりすると、何だか反発したくなりますよね。
     
    何ででしょう「オマエに言われたくねーよ」みたいな??
     

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    ちなみに、あるところで「正論振りかざし度チェック」を見つけました。

    よくみると「お子様っぽい」「青臭い」ところもありますよね。

     

    大人なら、自分が悪くなくても「スミマセン」の一言くらい言えますし、

     

    1. 納得がいかない時は、相手が誰でもすぐに反論する

    2. 自分が正しければ、言いにくいこともはっきり言う

    3. 自分が悪くないのに、謝ることはできない

    4. 正しいことを言っているのに、相手を怒らせてしまうことがある

    5. 自分のほうが正しいと思う時は、決して譲らない

    6. 相手を論破して気まずくなることがある

    7. 納得のいかない指示には従えない

     

     

  • 操体的な『かんばるな』とは(初日)

    こんにちは。東京操体フォーラム、TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。
     
    一週間よろしくお願い致します。
     
    今回のテーマは、「操体的な『かんばるな』とは」です。
     
    丁度先月11月23日に開催された「2019年秋季東京操体フォーラム」のテーマが、「『がんばるな』に隠された操体の秘密」だったのですが、このテーマを提案したのは私です。
     
    会場でも、このテーマと「操体は自己肯定感を高める」というテーマで話をしました。
     
    というのは、何やら最近オリンピックが近いせいもあるのでしょうが「がんばれ」「がんばる」というような言葉をよく耳にするようになったこともあります。
     
    そして、ご存知だったでしょうか。「がんばれ! ニッポン!」って、商標登録されてるんですよ。
     

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    ★良く見ると®の文字が入ってます。

    さて
    操体には「バルの戒(いまし)め」というのがあります。
     
    • がんばるな
    • よくばるな
    • いばるな
    • しばるな
     
    よくばるな以下は、なんとなくわかりますよね。
    しかし、なんで「がんばるな」なの? という話はよく聞きます。
     
    ここで勘違いしてもらっては困るのは「操体においては、がんばらなくていいんだよ」ということであって、社会生活を営む上で、がんばらない(適当にやっていい、なまけてもいい、ダラダラやってもいい)というわけではないということです。
     
     
    私がこれに気づいたのは、ある操体指導者が、操法後の確認で、被験者に足踏をさせていた時のことです。
    操体法の臨床(施術・治療)の後は、手を振ってのその場足踏、膝の屈伸、ちょっと歩いて貰うという確認をします(この3つにも意味があります)。
    足踏の場合、手を大きく振って膝を挙げることに意味があります。これによって、重心の変化が操者にもわかるから。
     
    その時、その指導者は、被験者に「だらしない足踏をして」と言ったのです。
     
    がんばらなくていい→だらしなくていい???
     
    そういう図式が私のアタマの中に浮かび、次には
    悪人正機説が浮かびました。
     
    悪人正機説:親鸞上人の「歎異抄(たんにしょう)」に出てくる考え方です。
     

    「悪人正機」は、「善人でさえ救われる、まして悪人が救われるのはなおさらである」という親鸞の教えの思想です。一般的な常識で解釈しようとすると、「善人」と「悪人」の順序が逆ではないかと思われ、またそのために「悪いことをしたほうが救われる」と教えを曲解する人も現れた。

     

     
    つまり「がんばらなくてもいい」→「だらしなくしてもいい」という発想です。
    いつの世も、曲解する人は現れるものです。
     
    操体の世界でも「快」がいいなら「快楽殺人はどうなんだ」とか言った人がいましたが、幸せに生きたいという人間の悲願を考えたら、「快楽殺人」を引き合いに出すのはおかしいと思いますし、この場合、殺す人は「快」かもしれませんが、殺されるほうは「快」なわけはないのです。
     
    操体における「快」の概念の一つで「きもちよければなんでもいい」というのがあります。これも悪人正機説のように曲解されがちです。
    しかし、この言葉の後には「人に迷惑をかけない」「やりすぎない」という戒めが入るのです。
     
    橋本敬三先生は
     
    気持ちのいいことは何をしてもいい。苦しい方、痛い方に動くのではなく、※ラクな方、気持ちのいい方へ動けばいい。
    だけどもね、その時にはうんと気持ちよくっても、後になって気持ちが悪くなる、つまり、後味が悪いっていうのがあるが、それは本当の気持ちよさとは違う。例えば、食いすぎ、二日酔、あれは後味悪いよね。セックスにしても、相手とおしゃべりしたり、手を触ったりキスしたりするぐらいで楽しむなら、まあそんなに後味が悪いなんてこともないだろうが、ある特定のところで、がんばってはしゃぎすぎるとダウンして、翌日はからだがシャンとしなくなる。
    結局ね、撫でても、さすっても、たたいても、火を押しつけても、針をさしても、たとえ焼火ばしを押しつけたとしても、それが気持ちよければ何したってかまわないんだ。後味が悪くなければかまわないんですよ。
    よく患者さんは「これは冷やした方がいいですか、温めた方がいいですか」と聞きますが、私はいつもこう答えることにしています。「冷蔵庫に入ったっていいですよ、それが気持ちいいならね」と。
    (『からだの設計にミスはない』17ページ、18ページより)

     

     
    ※注)この辺りは、まだ「楽と快」の違いが、橋本先生の中でも未分化していますが、90歳の頃は「楽と快は違う」と明言しています)
     
    と言っています。
     
    「後味が悪くなければかまわない」というのは、実は結構な「自己責任」なのです。
     
    そして、もっと読み込むと、この「何したっていい」というのは「対からだ」なんです。
     
    また、大抵の人は「たたいても、火を押しつけても、針をさしても、たとえ焼火ばしを押しつけたとしても」という行為を受けることは、好みませんよね。
     
    その辺りを曲解して「きもちよければ何でもいい」というのを操体に持ち込むのは、ちょっと浅いし、橋本敬三先生は、多分「歎異抄」は読まれていたのではと思います。
     
  • 「よくわかる操体と操体法」7

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    あまりよくわかる説明かどうか果てしなく謎で申しわけありませんが、操体あるいは操体法のしっぽが少し見えたでしょうか。

     
    なお、他でも書いていますが、操体操体法の違いを説明します。
     
    操体法、は、操体の中でも「臨床」の部分を指します。つまり、操体法は、操体の一部分にあたります。なので、操体法だけ(つまり、臨床やテクニックのみ)勉強しても方手落ちということです。我々東京操体フォーラム実行委委員は、操体をまるごと勉強している、というわけです。
     
    このあたりは、我々のちょっとした「心の支え」です。
    操体の一部分だけではなく、橋本敬三の世界観や哲学を含めて学んでいる、ということなんです。
     
    なお、私自身は自分の勉強もまだまだですが、後輩の育成にも力を入れています。
     
    私の知りあいで、ある技法を教えているその業界での第一人者の先生がいます。
    その方、昔大先輩に言われたことが「間違ったことを教わっても、困るのは自分だけ。でも、間違ったことを教えたら、教えた人の分だけ困る人が増える。なので教えるということについては、細心の注意を払わないといけない」ということなのだそうです。
     
    操体に関しては「間違ったこと」というよりは、「からだの理に適っていないこと、環境に適っていないこと」かもしれません。
     
    また、橋本先生が現役で臨床をなさっていた時代と、現在は、やはり環境が大きく違います。
    1945年(昭和20年)、800年続いた武士の時代(陽の時代)は、終わりを告げました。1945年から800年は「陰」の時代に入っています。むこう700年くらいは「陰」の時代が続くわけです。
    物質的で男性的な時代から、感覚的で女性的な時代にはいり、それが続くということです。
     
    我々は陽の時代から陰の時代の転換期(800年といっても急激に変わるわけではなく、徐々に変わると思われます。800年のうち、最初100年と最後の100年くらいは、転換期です)を経験しているわけです。
     
    操体も、
     
    0. 正體術の時代
    1 第一分析
    1-1 楽な方に動かして瞬間的に脱力(楽と快の区別がはっきりしていなかった)
    1-2 橋本先生「動きより感覚を大事にしなさい」「きもちのよさでよくなる」
    楽(運動分析)から快(感覚分析)への変革
     
    2 第二分析
    3 第三分析
    3-1 面の渦状波
    3-2 点の渦状波
     
    からだの中心、腰を要とした動きから、末端からの動きへの変革
     
    4 第四分析
    5 第五分析
     
     
    というように、大きく変わっています。
     
     
    何故、操体が進化してきたか。
    それは、時代や環境が変わってきたということもあります。
     
    医療の世界にしろ、セカンド・オピニオンが当たり前になりました。
     
    昭和の時代は、バキバキ、ボキボキというような他力暴力的な施術がまかり通っており、指圧やマッサージも「強圧」というのが流行っていたそうです。
    また、
    「はい、治った~!!!」と、いわゆる口で「治す」治療家もたくさんいました。
    一方、鍼灸師などは、職人気質というか、患者さんとコミュニケーションをとらないで「治せればいい」というスタンスが多かったようですが、今ではそうはいきません。
     
    なお、橋本敬三先生が若き日の三浦寛先生におっしゃった言葉です。
     
    自分のやっていることは60年先を行ってるんで、今、理解されなくても仕方ない。
     
    操体の常識は世間の非常識でした。
     
     
    ところで、最近伝統療法カンファレンスに参加したところ、腱引き関係の方や、その他の参加者の方から「きもちいい」という言葉を結構聞きました。
     
    まだまだ「言葉のみ感」は、ありますが「痛くなきゃ、我慢しなきゃ治らない」という時代から「きもちのよさで、よくなる」という時代に「本格的に」入って来た気がします。
     
    一週間ありがとうございました。
     
    明日からは、操体をこの世で一番知っている人、三浦寛先生です。
     
     
     
     
     
  • 「よくわかる操体と操体法」6

    説明すればするほど、操体の色々な側面が見えてきて、どれを説明しようかと迷ってしまいますが、操体を説明するならば「操体の常識は世間の非常識」と言えるでしょう。
     
    普通だったら「固まらないように、痛い方、可動域が悪い方を一生懸命に動かす」(リハビリとかそうですよね)
    操体は「動きやすい方、よい方を動かす」
     
    普通「頑張る」
    操体「頑張らない」
     
    「頑張らない」とは、秋のフォーラムにも出てきますが、「頑張らない」というのは、努力しないとか何もしないということではありませんし、だらしなくてよいというわけではありません。
     
    頑張るとは「本当はやりたくないことをやる」
    頑張らないとは「本当はやりたくないことをやらない」
     
    と思っていただければいいでしょう。
    これを
    「からだが、本当はやりたくないことをやる」→ 頑張る
    「からだが、本当はやりたくないことをやらない」→ 頑張らない
     
    とすると、もう少し分かりやすいかもしれません。
    「からだ」を主語にすればクリアになります。
     
    私達はどうしても「からだ」の希望や望みを無視してしまうことがあります。
     
    そこ、からだの声や言い分を聞くお手伝いをするのが、操体の指導者です。
     
     

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  • 「よくわかる操体と操体法」5

    私は何故操体をやっているのか。
     
    よくわかる操体といっても、よく分かるのだろうかとまだまだ心配ですが(汗)、引き続き進めます。
     
    操体をやっていて、一番「よかったな」と思うのは、操体の臨床を行っている本人も「癒される」というところです。
     
    大抵の操者は治療や施術でエネルギーを使い果たしてしまうとか、患者のネガティブなエネルギーや気を貰ってしまうことがあるようですが、操体は被験者と操者が「快」をシェアします。
     
    例えば足趾の操法をやっていて、被験者が「快」に包まれている場合、操者にも「快」がうつります。
    操者のみならず、同じ部屋や近くにいる人にもうつる場合があります。
     
    三浦先生のところに、患者様としてある企業の社長がいらっしゃったことがありました。私も同席していましたが、秘書の方も一緒でした。
    臨床がはじまると、あら不思議?社長の「快」が秘書の方に飛んで、彼女も「意識飛び」をしていましたし、何故かお腹が反応して鳴っていました。
    後で「快に反応したんですよ」と伝えると納得していらっしゃいました。
     
    「快の共有」。
     
    これが操体の特徴の一つでもあります。
     
    快は、一人占めしなくてもよいのです。「快」は広がります。
     
    快といっても、普通に想像しうるような「快」というよりも、生命感覚的な快と言ったらいいでしょうか。
    かゆいところを掻いてきもちいいとか、温泉に入ってきもちいいとか、性的な快とかというよりは「原始感覚的な快」です。この辺りは個々の感覚もあると思いますが、操体で言う快とは、根源的な快なのです。
     

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  • 「よくわかる操体と操体法」4

    「よく分かる操体」というタイトルながら、「よくわかる」ように書けているかどうか、少しばかり心配になってきましたが(笑)、引き続きご紹介します。
     
    たまに、
     
    操体って最初につま先上げやって、次に膝倒しやって、次にカエル足(我々はカエル足とは言いません。伏臥位膝関節の腋窩挙上とかです)やるって順番決まってるんですよね」と言われることがあります。
     
    ちなみに、橋本敬三先生は「万病を治せる妙療法」でも、「操体B」とか「操体C」というような名称を使っています。
    「つま先上げ」と「膝倒し」「カエル足」というのは、一種のスラングだと思って下さい。日常的に使うのは構いませんが、シンポジウムとか公の場で使う言い方ではありません。
     
    我々は、「足趾の背屈」とか「膝の傾倒」「伏臥位膝関節腋窩挙上」というように言ってます(プロだからね)。
     
    順番をつけてパターン化すること、よくアメリカの手技療法家がやります。
    頭蓋仙骨療法でも、テン・ステップ・プロトコルのように、10段階でできるように、危険なく簡素化された(つまり、最大限に希釈された)ものがあります。
     
    パターン化すると、教えるほうは簡単ですが、応用力に欠けることになります。
     
    臨床は、常に想定外です。パターン化された被験者なんてまずいません。
     
    操体の勉強に時間がかかるのは、そのためです。「見立て(診立て)」を学ぶにはある程度の時間は必要です。
     
    つまり、もともと「肩こりにはこの操法」とか「腰痛にはこの操法」というのが、操体にはありません。
     
    というのは、ボディの歪み(や軸)を正すことによって、二次的に症状疾患を解消する、というのが操体だから。
     
    なので、操体は「想定外」には強いのではないかと思います。
     
     

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  • 「よくわかる操体と操体法」2

    第一分析、第二分析という言葉は、三浦寛先生の考案によります。
     
    第一分析とは、橋本敬三先生の時代の「楽な方に動かして動きをたわめて、瞬間的に脱力」(楽と快の区別がまだついていない)。

    第二分析とは、橋本敬三先生が晩年「楽(運動分析)ではなく快(感覚分析)だ」とおっしゃった事により、三浦寛先生が体系化したものです。
     
    ★ポイント★「楽と快はどう違うか」と思ったら、「運動分析か、感覚分析か」と考えてみてください。
     
    第三分析とは「操体は、動かして診る」というところから、それでは「動けない患者はどうするか」という、いわゆる操体の盲点を解消するために、三浦寛先生が、橋本敬三先生の「運動系は筋骨格系、皮膚をも含めた」という言葉にインスパイアされ、皮膚への刺激にならない接触を用いた診断分析法。刺激にならない接触を選択することによって、無意識(本人が関与しないからだの意識)にアプローチすることが可能になりました。
    単に皮膚に触れ、刺激を与えて「快不快」を唱えているところもありますが、根本的に違うのは「刺激になrない接触」というところ。刺激と接触とでは、神経伝達回路も違います。
    第四分析とは、息診・息法のこと。
    第五分析とは、今までの操体の常識を覆したもの。第五分析の登場によって、連動さえも進化を遂げました。
     
    今、一般に行われている、知られている操体とは「第一分析」です。しかし、言葉のみ「きもちいい」を使っている場合が多いのです。これには弊害があります。
    どういうことかというと、
     
    「楽か、辛いか」という運動分析をしているのに「きもちいいか?」という問いかけをして、被験者を迷わせるという弊害です。
     
    「楽と快の違い」を混同している、つまり「運動分析」と「感覚分析」を混同しているのです。
     
    確かに「きもちよく伸びましょう」というようなストレッチの指導をすることがありますが、その前提は「元気で健康な人」です。
    しかし実際に操体を受けに来る方は、どこかにトラブルがあるわけです。急性の症状で痛みを抱えている人に「きもちいいですか」とか「きもちよく動いてぇ」なんていったら怒られます。
     
    そして、さらに言うと「きもちよい」というのは、感覚なので「やってみなければわからない」のです。
    動いてみないとわかりません。なので「きもちよく動いて」というのは、健康体操やストレッチ的には問題ありませんが、操体の診断・分析においては、問題があります。
    きもちいいか、そうでないかは、動いてみないとわからないからです。
     
     

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    真魚(まお)君。まーちゃんです。
     
  • 「よくわかる操体と操体法」3

    操体では「主役」は「からだ」です。
     
    本人ではなく「からだ」なのです。
     
    操体の指導者は、「本人」と対話しているのではなく「からだ」と対話しているのです。
     
    例をあげると、我々は、選択肢が二つ、例えば「こちらの動きは楽で、こちらは痛い」という場合、楽でスムースな動きを選択します。そうですね。仰向けに寝て、膝を二分の一屈曲位にとって、左右に傾倒する場合です。この場合、右傾倒が楽でスムースならば、右傾倒を選択します。
     
    ヨガとかストレッチだと「やりにくいほうを余計に何回かやる」ことがありますが、操体は「動かしやすいほう」(楽にうごかせるほう)のみをやります。
     
    ここで、人間の欲が働くと「両方やったほうがいいんじゃない?」となります。
     
    しかし我々は「いいほうをやれば、よくないほうもよくなってくる」ことを知っていますし「からだ」もそれを知っています。
     
    また「沢山やれば早く効くと思って」回数をガンガンこなすこともしません。
     
    からだは「もう疲れちゃったからやめて~」と言っているのに、「アタマ」は「沢山やったほうが早く治りそう!」と考えるのです。
     
    我々は「からだの言い分」を聞くのです。
     
    「からだの声を聞く」というのは、わりと最近聞く言葉ですが、本当に聞いているのでしょうか。
     
    操体の勉強は「からだの声を聞く」ことを学ぶことでもあります。
     

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  • 「よくわかる操体と操体法」1

    こんにちは。畠山裕美です。今週一週間よろしくお願い致します。
     
    「世の中の90%の事は、グーグル先生に聞けばわかるが、操体はグーグル先生に聞いても分からない」By 畠山裕美 
     
     
    よく受講生が「操体を家族や友人に説明するのが難しい」と言います。
    何と言うか、とても素晴らしいものなのだけれども、核心をついた説明ができないということと、手技療法系をやっていると言うと、ほぼ100パーセントの人が「整体と違うんですか」と聞きますし、親指で指圧するポーズをとられたり(かなりの確率)、「マッサージ」だと思われ、親戚のオジサンに「揉んでくれ」と言われて、ブチ切れそうになったこともあります(笑)。
     
     
    一方、私は東京生まれなのですが、親戚の多くは宮城や仙台に住んでいます。操体は仙台がお膝元ですから、私の仙台の叔母が、今先生の治療室に通っていたとか、そんなこともあるのですが、仙台の従姉妹などに聞いてみると、操体の認知度はかなり高いようです。
     
    この場合聞いてみると「楽な方に動かして、瞬間的に脱力」という、第一分析という古典的なやり方がメインだということがわかりました。
    まあ、橋本敬三先生がなさっていたのだから、当然と言えば当然です。
     
     
    元々操体は、正體術(整体とは異なる)という、力をぐっと入れて、瞬間的に脱力することによって骨格の歪みを正すという矯正法を源流とします。実は、楽な方、動かしやすい方に動かして、脱力に導くという方法は、骨法(わからない人はGoogle先生にきくべし)などの古武術の時代からあったようです。それを、大正時代に高橋迪雄(たかはしみちお)先生が体系化し「正體術」としたわけです。操体創始者、医師橋本敬三は、昭和初期、函館にいたときに、友人のお父様が高橋迪雄先生の高弟の施術を受けて元気になったという話を聞いて、興味を持たれたようです。
     
    なので、正體術から第一分析時代は、「楽な方に動かして、動きをたわめて、瞬間急速脱力する」という説明で足りるわけなんです。
     
    しかし、第二分析以降になってくると「感覚」と「快」という概念が入ってくるため、一気に説明のハードルが上がります。
     
    感覚、というのはパーソナルなものだから。なので、説明が大変なのは当然といえば当然なのです。というわけで、個々人の「感覚の差」を加味して説明しなければなりません。
     
     そこが「説明しがたい」というところではないでしょうか。その他にも操体は、単なるテクニックではなく「橋本哲学」とでも言うものがあります。
    代表的なものが「救いと報い」の違いと理解、ですが(操体の施術者、操体の勉強している人は)この辺りは押さえておく必要があります。
     
    受ける方は、素直に、からだの要求に従って受けて頂ければよいのです。
     

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    子ねこの「りんちゃん」。台風娘リンリンです。
  • 私の操体史(最終日)

    私がこれに気がついたのは、自分自身が「いわゆるスポーツ」が嫌いだったというのもあります。(ボールを使った集団競技が苦手です笑)。
    からだを動かすのは嫌いではないのですが、ヨガとか太極拳とか、「自分で練る」のが好きなのです。
     
    また、これも何かあるのかもしれませんが、私は勝ち負けに興味があまりありません。
    なので、ゲームなどをやってもどこか醒めているところがあります。
    つまんない、と言われることもあります(笑)。
     
     

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    松島円通院の庭園
     
    この辺り、私が曹洞宗道元禅師@私は曹洞宗で在家得度しています)が好きな理由のひとつかな、とも思うんですが、同じ禅でも臨済宗は、悟るために坐禅します。しかし、曹洞宗は「ただ座る」のです。悟りを開くために坐るのではなく、坐るために坐るのです。
     
    「健康を勝ち取る」というのも、実はあまりピンときません。死んだら負けなのか?病気になったら負けなのか。それなら人間はいつか死ぬんだから、最後は負けるってのは変だよね。。。
     
    私はちょっと回り道をして三浦先生のところに辿り着いたのですが、それは決して無駄ではなかったと思っています。というのは、ここに書いたように「あ、こういうことやってるんだな」というように色々知ることが出来たし、気がつくこともあったから。
     
    操体を勉強する上で運がよかったこと。
    • 三浦先生の本を読んで操体を志したが私淑ではなく実際に師事することができた
    • 何故か巻上公一さんとご縁があり、全国大会の前夜祭に出席することができた
    • その後、東京操体フォーラムの母体で、色々な先輩方とご縁を持つことができた
    • 出版の話が外から来た(そして出版できた。操体の本は出したいと思っていた)
     
    そして、自分でも「私ってラッキー」と思ったのは、
    操体法治療室」の著者、今昭宏先生と、三浦寛先生と、共著で「操体法 生かされし救いの生命観」を上梓することができたことです。
     
     
    一週間ありがとうございました。明日からは、三浦先生の登場です。

     

    操体法 生かされし救いの生命観

    操体法 生かされし救いの生命観

     

     

     

     

    今年も操体マンダラ、海の日に開催致します。

    ※「操体マンダラ」とは?

    三浦寛が一日、操体の最新情報について語る、操体三昧の一日です。 弟子一同にとっては「師匠孝行する日」。

     

    昼食会 サイン色紙&ツーショット撮影会

    足趾の操法®アドバイザー認定

    開催日時:2019年7月15日(月)海の日 10時〜21時 ルーテル市ヶ谷センター

    ★予約制で、当日の参加受付はありません。ご注意下さい

    https://www.sotai-miura.com/?p=1314