カテゴリー: 瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

  • 〜続けるためには(1)〜

     今週ブログ担当の瀧澤です!1週間お付き合いの程、よろしくお願い致します!

     さてさて、今回のブログから新実行委員メンバーにも参加していただいていますが、
    古参の先輩方にも負けず劣らずの個性を発揮されている様子はとても刺激になります。
    巷では「覚醒組」と呼ばれている?そうですが、高校を卒業してから、
    3年のフリーター期間を経て、治療業界に飛び込んだ私にしてみれば、
    異業種を経験されてこの道に入ってきた方々の感性といいますか、
    遊び心といいますか、目から鱗なところが多々ありまして…

     鍼灸あマ指の資格を取るために上京してきて今年でちょうど10年。
    思えば治療畑の交流がほとんどで異業種の方と接する機会はほとんど無く、
    プライベートや仕事も含めて、ここ最近ようやく色々な世界に目がいくようになりました。
    まあ、臨床家としても社会人としても、まだまだあまちゃんな私ですので、
    多くの方のご指導に支えられて生きている今日この頃なんですが。

    あきらめないってご縁!
     そんな私もこの10年を振り返ってみると様々な課題という壁にぶつかってきたなとしみじみ。

     学生の頃はクイックマッサージ店に勤務。
    親指を腫らせて、やっとこさマッサージのルーティーンを覚えたと思ったら、
    強面の強揉みに泣かされ、
    ご婦人には「あなたは魔法の手になるのはまだまだね。」と言われ、
    練習の日々。

     卒業後は、鍼灸接骨院に就職。
    勤め先の鍼灸接骨院では4年間働き、最後は責任者(へっぽこでしたが)まで
    させていただきましが、これまた苦悶の日々。
    当初は技術なぞ皆無に等しく、コミュニケーションも苦手、
    自分の治療で症状は良くならず、当然リピートも無く、予約もガラガラ…
    そしてここでも練習の日々。

     鍼灸接骨院と並行して中医学の研修。
    中医独特の四文字熟語と格闘し、理論から学び、切皮痛無しで鍼をさせるようになるまで、
    練習の日々。

     その時々の課題(壁)がありましたが、ありがたいことに、必ずと言っていいほど、
    周りの方々のサポートがありました。
    あきらめなかった分だけご縁の数があったんです。

     あきらめていたら今ここにいる私は存在しないわけで。
    当然、操体とも三浦先生とも出会えていなかったわけで。
    そして操体と三浦先生に出会えたからこそ「一つのことを続ける大切さ」を
    改めて噛み締めているわけで。
    そして、「好きだ!」という気持ちになれるものはずっと続けていきたいわけで。
     
     在学中に学校の先生から
    「最後までこの業界に残ってご飯を食べていけるのは、ほんのちょっとなんだよねえ」
    と言われたことを時々思い出します。

     一つのことを続けられるのは
    ・「あきらめない行動力」と
    ・「自分を取り巻くご縁のおかげ」
    なんだとつくづく感じずにはいられない10年間でした。
    まだまだ10年、されど10年。
    操体と出会ってからの、こらからの10年が愉しみです!

    今日はこのへんで。
    お付き合い、ありがとうございます。

  • 〜良心から見たら白〜

    小さいころは図鑑や漢和辞典が好きでした。
    動物や恐竜の絵をそっくり書き写したり、
    難しい漢字を拾ってきては書き取り練習をしていましたね。
    小学校1、2年生の頃に、6年生で習う漢字の書き取り練習をしていると
    母親から、「まだ早い、今習う漢字をやりなさい」と怒られたものでした。

    絵にせよ、文字にせよ、想像力を働かせて自分の中のイメージを表現するというよりも、
    より正確に、よりそっくりに書けるかが、小学生の自分にとっては愉しみでしたね。

    書道をやっていたせいもあるのでしょうか。
    何かを手本にしてそれに倣うことが、身についていたのかもしれません。

    この模倣するという事(今風に言えば完コピ)は
    学びにおいては「守・破・離」の「守」の段階にあたります。
    自分を消して事にあたる。
    師が「白」と言えばそれが「黒」でも
    弟子は「白」と言う。理不尽ではなく弟子には見えていないだけ。

    中学生の頃に「十円玉はどんな形?」と国語の先生に聞かれたことがあります。
    私も含め、そこにいた生徒たちは当然「丸!」と答えました。
    しかし、先生からは意外にも「四角にも見えませんか」と。
    十円玉は正面から見れば丸ですが、上から見たら確かに四角だったんです。
    「ああ、納得!」

    何処から見ているか。
    学びにとっても同じこと。

    そういえば、操体の中に出てくる言葉たち、
    「快」や「愉」、「悦」に「性」などには「りっしんべん」がついています。
    りっしんべんはこころを表し、こころはふわふわと定まらず、喜怒哀楽によって波打つもの。
    そんな不確かなものが何故、操体の中に出てくる大事な言葉についているのか。

    こころは「心」ではなく「良心」だったんだとわかったとき、
    「白」がちゃんと「白」に見えるようになったんだと腑に落ちました。
    これも以心伝心。

    4日、5日と、三浦理事長、畠山常任理事、福田理事が
    スペインのバレンシア操体のセミナーを行なってきてくださいます。
    日本とは学びに対するスタンスが違うようですが
    受け取る側は是非、感性で、良心で、
    向かい合って欲しいものですね。

    1週間ありがとうございます。
    明日からは薩摩のイケメン、辻実行委員です。
    宜しくお願いします。

  • 〜意識一つで〜

    座席に座る。
    足底がしっかりと接地しているのを確認しながら、
    ゆっくりと自分の中心軸を作る。
    ポジションが決まったら、そっとハンドルに触れ、
    中指から小指に意識を向ける。
    自然と脇が閉まり、肩甲骨とつながる。
    目線を正面の一点にすえ、
    視野が狭くなることなく広角的に使う。
    アクセルを踏み込むときは母趾球で、
    カーブを曲がるときは肘を正中に向けながら肩甲骨でハンドルを切り、
    作った中心軸は崩さない。
    ブレーキをかけるときは重心移行と骨盤の前弯曲で対応。
    すべての行為を優しく、丁寧に…

    これを読んで「なんのこっちゃ」と思われる方もいると思いますが、
    実は車の運転中の私の意識なんです。
    これは車に対して、操法を行っているような感覚で対峙しているんですね。

    操体の身体運動の法則は何にでも応用が利きます。
    ちょうどたまねぎの皮をはいではいで最後に残った芯のごとくであり、
    すべての運動の粋の粋、行住坐臥すべての行為に当てはまります。
    そして法則に身をゆだねるとスーッと余計な思考が消えていく。

    私の営業形態は訪問スタイルなので、移動手段に社用車を使いますが、
    計算してみると週9時間は運転していることになります。
    その時間と空間をどう有効に使うか。

    私の意識を法則にゆだねてみると、社用車が相棒となり、私と同じ血が流れ、
    「ぼ〜くらは、みんな〜、い〜きている〜♪」のテーマが流れ、
    意識一つで相棒のちっちゃな室内にいる9時間が
    操体的な臨生空間、臨生時間となって広がってゆく。
    「相棒にも生命があったのね」と気づかされる。

    鉄の塊だったとしても、もとをたどれば太極から生じているのですから
    「お前さんにも生命があるよ」と声をかけ、操法を通すがごとく意識でつながる。
    草木国土悉皆成仏。有機も無機も分け隔てなく、みんな一緒なんですね。

    そろそろ修理代が購入代を越えそうな相棒へ。
    車検まではもってくださいね(笑)

    今日はこのへんで。ありがとうございます。

  • 〜空いた時間は〜

    「趣味とかあるんですか?」
    なんて聞かれることがあります。
    「仕事の休みの日は何してるんですか?」という意味で聞いてくると思うのですが、
    「私の趣味は…」と言葉がつまることがあります。
    人並み程度に、本を読んだり、音楽を聴いたり、からだを動かしたりとかはするのですが…

    何故だろうと考えていたら、「なるほど」と合点がいきました。
    私は複数のことを同時進行することがうまくないようです(笑)
    もっというなら、興味があることを目の前にしたらそれに没頭する。
    しかもその興味あることが仕事とつながっているのでONとOFFの境目が無い。
    つまり余暇に改めて何かやりたいことを見つける必要が無いんです。
    本を読むことも、音楽を聴くことも、からだを動かすことも
    全部一つのことにつながってくるようなんです。

    人様のおからだをみさせていただく仕事をしているものですから、
    それにかかわることに興味を持ち、ふとしたきっかけで手にしたものも、
    関連付けてみる癖がある。
    仕事が終わっても仕事に関することに没頭することが愉しいので息抜きの時間は
    あえて作らなくてもいい。

    特に操体と出会ってからは、
    人様のおからだをみさせていただいている時間だけが
    臨床時間ではないということが薄々わかってきましたので、
    この空いた時間をどう過ごすか?ということが私のテーマになっています。
    (しかも、休日は個人レッスンや勉強会への参加等で操体に関わらせていただけるありがたさ)

    仕事(臨床)だけが仕事ではなく、24時間365日がすべて循環し、
    そんな仕事を選択できたありがたさと、自分自身と向き合う大切さを胸(肚?)に
    「私の仕事は人生を愉しむことです」といつか、声を大にして言いたい。
    いや、声に出さずとも軸が立っていれば…

    そんなふうに考えると(いや、感じるだな)、
    臨床はすべてとつながり(一見関係ないようなことでも)、
    そして臨生となり、自分に返ってくる。
    特にストイックなわけでもなく、自分の好きなことをしていて、とぎれるところがないというだけ。
    そういう感覚でつながっていけるものに没頭する。
    そうするとなんだか趣味の範疇を越えているようで「趣味はこれ」とは言い難くなってしまうんです(笑)

    最後を迎えるその時まで、そんな自分時間を愉しめたらと思う、今日この頃です。

    今日はこのへんで。ありがとうございます。

  • 〜あまちゃんですが〜

    普段はほとんどテレビを見ない私ですが、
    ここ最近欠かさず見ている番組があります。
    それは…朝の連続テレビ小説あまちゃん」です!

    なぜ欠かさずチェックしているかというと、
    ドラマの舞台になっているのがなんと妻の実家がある町なんです。
    ドラマの中では「北三陸町」という架空の設定になっていますが
    実際のロケ地は岩手県の久慈市というところ。
    2年前に震災にあった町ですが、今はこのドラマの影響もあり、
    観光客の数が増加しているとのことです。

    世間の評判が良いとされていますが、
    その要因は脚本家にあるのではないかと思います。
    このドラマの脚本を手がけているのはクドカンこと宮藤官九郎
    20代のころに「池袋ウエストゲートパーク」や「木更津キャッツアイ」などを
    見ていた私にとって(当時はまだ上京しておらず、
    「池袋はおっかねぇどごだぁ」なんて思っていました(笑))、
    独特のテンポや小ネタなどが詰まっている「あまちゃん」は
    私のツボにもバッチリはまっているのであります。

    東北が舞台なので、お約束の訛ったセリフ(標準語で字幕が出ることも)も
    私にとっては懐かしく感じられ(私は秋田出身)、
    田舎に帰ったかのような気分にしてくれます。

    主人公の女の子が母親の都合で東京から岩手に来たところから始まるのですが、
    この主人公は初めて岩手に来たにも関わらず、1、2週間やそこらで見事な北三陸弁?になるのです。
    地元の高校生にも「訛ってるね」なんて言われるぐらいですから、
    地元人と比べても遜色無いレベルなのでしょう。

    よく、訛りの強い人と接する時間が長いと、
    知らず知らずのうちにその訛りがうつっているなんてことがあります。
    私も飛騨弁が強い友人と一緒に遊んでいた時期は
    飛騨弁を知らず知らずに話していた経験があります。
    また、訛りだけではなく、話し方や、話す内容なども
    普段自分が接している人と似通ってくるケースもあります。
    特に好感が持てる人が相手だったり、自分が素直な状態にあるときのほうが
    その傾向が強いように思われます。
    これって、頭でどうこうというより感性の問題な気もしますね。

    知らず知らずのうちに色々な人の影響を受けている事実。
    頭よりも感性で学ぶ操体の学びの場においてはその傾向がより強く、
    三浦先生や、実行委員の先輩方の言動が、
    まだまだ「あまちゃん」である私にとってはありがたい影響を与えてくださっているのです。

    今日はこのへんで。ありがとうございます。

  • 〜私の宝物〜

    あなたの宝物は何ですか?

    そう聞かれると、
    「私は家族!」、
    「俺は車!」、
    「いやいやお金でしょ!」、
    中には「ずっとしまっておきたい大切な思い出…」、と
    人によって答えは様々だと思います。

    では、私はというと、
    迷わず「ハイ!私の宝物は私です!」と答えるでしょう。
    こんなふうに答えると、
    「この人、ナルちゃんなんじゃないの(苦笑)」なんて声が聞こえてきそうですが、
    いやいや、私はナルちゃんでも単なる個人主義でもありません。

    そもそも私という人間は(誰しもそうですが)、たくさんのご縁によって形作られています。
    両親がいなければ、この世に生を受けてはいないでしょうし、
    両親のそのまた両親がいて、そのまた両親の…なんて遡っていったらきりが無いぐらいです。
    生を受けたあとは、両親以外にも兄弟や友人、学校の先生に、職場の上司、
    その他大勢の皆様方と関わりあって、そのご縁の中で成長してきたんです。
    学校で教わることも、社会で教わることも、教えてくれた人たちだけではなく、
    その教えを最初に考えた人がいたからこそ。

    私が学んでいる操体も例外ではなく、橋本先生もお医者さんでありながら、
    民間療法の方々に治療を教わり、それを元に操体を編み出され、
    三浦先生がさらに深化させてくださり、操体を学ぶ先輩方がいて、その中に私がいる。
    そう思うと私に私が入る余地なんて何処にも無いと気づくんです。

    今まで生きてきて、
    自分の血肉となり、自分を形作っているものはすべてご縁によっていただいたもの。
    私は私であらず、ゆえに「私が宝物」というのも文字通りの私ではなく、
    「私を形作ってくれたすべてのご縁が宝物」ということなんです。

    一つ付け足すことが。

    それは、私の中に私が入る余地が無いなんていいましたが、自分自身はあるんです。
    自分自身があるからこそ、つながるものと向き合うことができる。でもそこには私はいない。

    「自分自身って私のことなんじゃないの?」と
    思われた方は是非、操体の門を叩いてみてはいかがですか?
    きっとまだ会ったことのない「自分自身」に会えると思いますよ。

    今日はこのへんで。ありがとうございます。

  • 〜何をおいても作法〜

    昨日、東京操体フォーラムに参加していただいた皆様、
    本当にありがとうございます!
    それぞれのからだを通し、
    操体と感性で向き合える一日だったと思います。
    7月には三浦理事長による操体マンダラ
    そして秋には秋季操体フォーラムと、
    操体ワールドはまだまだ続きます。
    昨日お会いできた導かれし皆様も、まだお会いできぬ導かれし皆様も、
    次回お会いできることを愉しみにしています。

    今回のフォーラムでは
    岡村実行委員長が般若身経と身体運動の法則を説明してくださり、
    畠山常任理事が操体の作法についてスライド画像による説明をしてくださいました。
    (恐縮ながらスライド画像のモデルを務めさせていただきました(汗))

    この作法というものは動診・操法を通すうえで、欠かすことができないものであり、
    これを欠いてしまうと単なるテクニックに陥ってしまうということは、
    三浦理事長の下で操体を学ばれている方々は重々心得ていますが、
    参加された皆様の目にはどう映ったでしょうか。

    私はこの作法に初めて出会ったときにとても感動したんですね。
    もともと何をする上でも基本を大事にするということが信条でしたので、
    私自身が即効的なことを求めていないことと相まって
    操体が一種の芸事のように感じられたのです。

    そして、この作法は修まっていると理に適い、見た目にも美しい。
    機能美と様式美を兼ね備えた優れものなんです。

    明治時代に書かれた新渡戸稲造氏の著書「武士道」にもこんなことが書かれています。
    茶の湯の集まりは茶碗、茶杓、茶巾などを扱う一定の手順を教える。
    それは初心者には退屈にすら思える。だがまもなくその人は、
    定められたとおりの方法が結局は時間と手間を省く最上の方法であることを発見する。」
    また、
    「正しい作法にもとづいた日々の絶えざる鍛錬によって、
    身体のあらゆる部分と機能に申し分のない秩序を授け、
    かつ身体を環境に調和させて精神の統御が体中にいきわたるようにする」

    武士道

    武士道

    先人が築いてきたものを回り道をせずに素直に受け取り、継続する。
    それは三浦理事長の講義で何度も出てきたお言葉「比較しない」、「〜でいい」
    という自己肯定の意識が介在することで可能となります。

    「はい!」という素直な意識で自分自身と向かい合う。
    今回、「操体プラクティショナー」に認定していただき、
    身が引き締まる思いと、感謝の念を抱くとともに、
    一生愉しめる操体に出会えた自分自身を「めんこ」がりたいですね!

    今日はこのへんで。ありがとうございます。

  • 〜操体ワールドへ!〜

    今日から1週間ブログを担当します瀧澤です。よろしくお願いします!

    いよいよ本日は春季東京操体フォーラムです!

    春季は実技メインの内容になっていますが、
    今回は触診やいくつかの下肢の動診など盛りだくさんになっております。
    そして操体の真髄でもある般若身経を通して操体の作法にも触れられる機会があります。
    参加される方々は頭だけではなくてからだを通して、
    是非感性で接してみてはいかがでしょう?

    私自身フォーラムに参加させていただくのは春秋合わせて今回で4回目。
    実行委員としての参加は3回目となります。

    初めて参加させていただいたときは一般参加でしたが、
    その時は2011年秋季操体フォーラムで「笑い」がテーマでした。
    臨床の世界以外の方々と接する機会の少なかった私ですが、
    このフォーラムで川崎先生の講義を聴かせていただき、
    異業種で活躍されている方のすごさ、面白さ、
    またこの「笑い」というテーマに即して操体があれよ、あれよと繋がっていくのを目の当たりにして、
    素敵な時間を皆で共有できたことがとても心地よかったと、私のからだは今でも覚えています。

    異業種といえば、ここ最近フォーラムに参加していただく方々も、
    必ずしも臨床の世界の方とも限らないようです。
    操体を学んでいる方々もそうですが色々なご縁で操体と関わり、
    「なんか面白そうだぞ」といつの間にか操体にのめりこんでいく。
    東京操体フォーラムの名の下に集う人たちは三浦先生いわく「選ばれて来た人たち」なのだそうです。
    あたかも自分の意志で目指しているようで、いつの間にか見えない何かによって引き寄せられている。
    「選ばれてきた人たち」は操体という磁石に反応する砂鉄のように、
    きっと最初から引き合う何かを持っているのでしょう。しかしその何かは人それぞれ。
    導かれし人たちはその何かを確認するために集うのかもしれません。
    今日のフォーラムでも何やら素敵なことが起こりそう。

    本日参加していただく皆様、素敵な一日となりますように。

    今日はこのへんで。ありがとうございます。

  • 〜長男坊の気持ち〜

    3日前、弟に第2子が誕生しました。
    2466グラムの男の子だそうです。
    第1子も男の子なので男兄弟に。

    私と弟も男2人兄弟なので瀧澤家は男系家族のようです。

    久しぶりに弟に電話をしてみました。なんだか照れくさい(笑)
    電話の向こうの弟はすっかりパパの声。
    弟だけど、父親としては私よりも先輩。
    兄弟げんかをしていたのが遠い昔のように感じられます。

    先に生まれた長男坊はこれから、
    「お兄ちゃんだから」
    って言われる機会が増えるんだろうな。

    そしたら私はこっそり
    「色々我慢することも出てくるけどね」
    「お兄ちゃんになるのも悪くないよ」
    「2人ならキャッチボールだって出来ちゃうし」
    「大人になったら一緒に飲みに行けちゃうんだから」
    なんてことを教えてあげようと思います(笑)

    長男坊の気持ちは長男坊が良くわかります。
    自分が経験してきたことですからね。

    自分が経験、体験したことは人に伝えることが出来ます。

    操体ではからだに歪みが出来ると
    感覚異常→機能異常→器質異常の順番で発生していくとしています。

    では何故からだに歪みが出来るかというと
    自己最小限責任生活である
    「息」、「食」、「動」、「想」の4つ営みが
    崩れてしまうからです。

    つまるところ
    からだがしんどいという状態を作り出すのは
    全部自分の責任という訳です。

    ということは
    自分の生活を振り返って
    4つの営みを正していけば
    からだは元の状態に(間に合っている状態)
    戻れるのです。

    でも、
    しんどさにとらわれている人に向かって
    「自己責任で今の状態になっているんですよ」
    「生活を見直しましょう」
    だと、ちょっと酷な気がします。
    本当にからだがしんどいときって
    あんまり人の話は耳に入ってきませんので。

    ですから操体では
    まず気持ちよさを味わっていただきます。
    からだが気持ちよさをききわけられたら、
    からだが気持ちよさを味わいたいと要求してきたら、
    思う存分味わっていただきます。

    「気持ちよさ」って
    ありがたいんですよ。

    頭の中でぐるぐると
    「イタイ、シンドイ」
    となってるときでも
    からだがちゃんと気持ちよさをききわけられると
    その気持ちよさがからだを治しつけてくれるんですから。
    こんなありがたい話はありません。

    でもここで気をつけることが。
    それは「気持ちよさ」はからだでききわけて、からだで
    味わうというのがミソなんです。

    「気持ちよさ」と一言でいっても
    「もうちょっと強く押してくれたら気持ちいいのになあ」とか
    「そこよりさっき揉んでもらったところが気持ちよかったな」とか
    「前回やってもらったほうが気持ちよかったなあ」というように
    頭で色々考えてしまうようだと
    操体でいう「気持ちよさ」からどんどん離れていってしまいます。

    それはからだでききわけているんじゃなくて
    ミソはミソでも脳ミソを使っているんです。

    脳ミソは頭が良いので色々比較してしまうんですね。
    比較して損得になってしまうから、からだは反応しなく
    なってしまいます。

    ちょっと脳ミソには休んでもらって、からだと向き合うと
    今まで味わったことのない気持ちよさをききわけられて
    思う存分味わえるかもしれません。

    なんでそんなことが言えるのかって?

    私のからだも
    ありがたく気持ちよさを味わった経験があるからですよ。

    自分が経験、体験したことは人に伝えることが出来ますからね。

    1週間ありがとうございます。

    明日からは辻実行委員のブログです。
    宜しくお願いします。

  • 〜言葉は発しないけれど〜

    全世界の人間が一日に消費する食糧は約10億トンだそうです!
    その大半が植物(野菜や穀類なんかですね)なんですね。
    それと少しの動物性食品。

    動物性食品とはいってもそれら動物は(牛や豚とかですね)
    植物を摂取して育っていますから結果的には私たちは
    ほぼ植物を食べているようなものです。

    そしてこの植物たち、
    私たちの食物になってくれているだけでなくもっと大切な
    役割を果たしてくれています。

    それは私たちが呼吸できるということ。

    私たちはこの地球上に酸素があるから生きていくことが出来ます。
    人間が酸素を取り入れてエネルギーに変える働きについては
    佐助さんのブログに詳しく書かれています。

    植物は光合成を行い、二酸化炭素と水を酸素と炭水化物にしてくれます。
    それを私たち人間を含めた動物がありがたく頂いているわけです。

    小中学校の理科で学習することなのですが、操体を学んでいると
    そんなところとも繋がっていけるんですよ。

    操体には他人にかわってもらうことが出来ない自己最小限責任生活
    というものがあることは昨日も書きましたが、
    その内容は「息」、「食」、「動」、「想」です。

    そのうち「息」と「食」はエネルギー入力であり、
    「動」、「想」はエネルギー出力にあたります。

    「息」とは呼吸をすることであり、「食」とは飲食をすることです。
    ということは植物の恩恵があってこそ私たちはエネルギー入力が可能となり、
    からだの中で出力エネルギーに変えて、
    からだを動かすこと「動」、思考すること「想」が可能になるのです。

    ですから自己最小限責任生活は植物によって支えられている
    という見方も出来るわけです。

    そのように考えると、普段は気にも留めない道端の草花が
    なんだかりりしく見えて気ますね(微笑)

    今日はこのへんで。
    ありがとうございます。