カテゴリー: 岡村郁生(おかむらいくお)

  • 『操体法を習うなら、”快”は外せない』

    βーエンドルフィンは脳内麻薬物質でもあり、強い鎮痛効果もあり、
    身体と心のバランスにも必要であり、かつ自然治癒力からも重要な働きをもっている。

    ドーパミン”も快感を感じる際のA−10神経につながっているので、即、興奮・覚醒作用をもっているのだが、
    より原始的なホルモンといえば、”エンドルフィン”であり、生物学的に考えても原始的動物からの繋がりはある。
    ドーパミンは覚醒効果をもたらす働きがある)

    気持ちがいいこと、愉しいことをする。
    好きだ、面白い、感謝というのは、”幸せな感覚”を発生させる。

    性欲、食欲を満たせばそれだけで”エンドルフィン”は放出されるが、モチロン限界はある。
    食事で言えば、満腹になってしまえば食欲はなくなる。
    食欲や性欲を満たせば、眠くなってしまうようなものである。

    脳の機構上、生理的・物理的欲求を満たす為の”エンドルフィン”には、
    それを抑える為の抑制物質も脳内で放出されるため、永遠に続かない仕組みとなっている。

    つまり、人間の五感を”自我欲”で満たすような要求とは、自然に制限されているのだ。

    しかし面白いことに、この”幸せ感覚=エンドルフィン”を放出し続ける方法もある。

    ”生き方の精神レベルの要求を満たし続けること”なのである。

    それほど難しいことではない。
    要するに、操体の「息・食・動・想」のなかにある”自己責任分担の意味を考えて実践”すること。
    実践しながら自己実現方法として、自然法則の有り難さを味わってさえいればいい。

    操体とは、このように”生きる意欲”に、直接関係し、つながってくる。

    それは、”自分の生き方を学ぶ”ことである。
    ”人生の目的を意識”し、かつ生かされているいのちに”前向きに取り組む”ことであり、
    ”与えられている環境”のなか、自分らしさを磨き”バランスとしての節度”を尊重していくことだろう。

    地球が出来て46億年の歴史があって、ヒトの起源は、200万年位前のアフリカとされている。
    しかし、なぜそこから一度も絶えることなく、イノチの連鎖はつながっているのだろうか?

    ”エンドルフィン”は”快楽物質・幸せホルモン”と言われており、
    もう一つの脳内で分泌される快感物質、”ドーパミン”は、素早い動きには必要。
    我が身に危険が迫ったとき、危機感を感じて重要な働きをしているのは、”ドーパミン”。
    この”ドーパミン”が足りなくなると必要とされる動きは鈍くなってしまう。

    大雑把に言えば、与えられた環境に合わせて、この二つのホルモンはお互いに中和されている。
    ノルアドレナリン系を抑えるのが、ドーパミンドーパミンを抑えるのがエンドルフィン。
    『快感』に関しての脳内ホルモンさえ、これだけの繋がりでなのである。
    (大切なセロトニンはこれらに関与し、”神経”に近い働きを通して関与する)

    『快』とはたった漢字一字であっても、本当に深い。
    考えて理解する喜び。肉体を生じながら五感で感じて『操体』で味わえるなんて、もう本当に素敵としか言いようがない。

    Gratitude Blessing Happiness. 
    (・・・感謝、祝福、喜びを・・・)

    今日もブログの独り言に、お付きあいありがとうございました。

    明日からは、四番サードを任せてみたい実行委員のニューフェイス!!
    小島さんの初登場です、それではよろしくお願いします。

  • 会えて、よかった。ありがとう。

    操体法を皆さんに知って頂きたいの』

    操体法を全く知らない人に私の名刺を渡す場合はね・・・貴方勉強不足ヨっていいたいんだけど、
    操体法って整体、それとも体操みたいなものなのかしら?って言われることもあるのよ。
    確かに字面だけでいえば、そんな印象を持ってしまうかもしれないわね。

    操体法を学んでいく魅力っていうのは、
    それはまず、橋本敬三先生の魅力とも言えるかもしれない。

    正解を言えばね。操体法の創始者、橋本敬三先生も実際のところ、
    「正体術」という治療法の手ほどきを受けてしばらく、操体法という名前すらない頃もあったの。
    その頃は、「逆モーション療法」とか「カックン療法」とか言われていたときもあるらしいわね。

    そのあと、橋本敬三先生がNHKに出演する際、紹介する名前をつけて欲しいと言われ、
    仕方なく?操体法と名前を付けたらしいというの。
    なんだかとっても、橋本先生らしいでしょう。このエピソードも私大好きなのよね。

    そうそう、初期の治療として応用していた正体術っていうのはね。
    簡単に言えば、身体の歪みを見てその歪んだことで発症している状況に合わせた楽の極限で、
    力を入れて息を吐いて、一気にスットンと重力に任せて矯正されるという治療法なのよ。

    でもねェスゴイのは・・・橋本敬三先生は、そこに橋本哲学を取り入れて未病医学に発展させているの。
    そして、TVやラジオで有名になった後、仙台の温古堂に患者で来る人、お客さんにね、

    「こんな簡単な原理になってんだから、ウソかホントかやってみなさいヨ」
    「あのね、身体はねェ、罰当てたくて当ているんじゃないのよ、親心(母心)なんですヨ」

    と始終本気で、般若身経(=身体のつかいかた)の解説をしているの。
    あら知らないの?もし知らなかったら参考に、DVD記録映像をご覧になって当時の雰囲気を感じるのもいいわね。

    そういえば本当に偉い人って、いくつになっても謙虚で子供に優しいでしょう。
    その記録映像にも、子供と操体法をお母さんと一緒に指導しているシーンがあるわね。
    本当に憎いくらい素敵なのよ。私、いつ見てもシビレちゃう。

    しかも、晩年に至って自らの著書の間違いさえ指摘しているのよ。

    「きもちのよさを聞きわければいいんだ」
    「回数も、たわめの間もすべて、気持ちの良さでいい」
    「気持ちよさで治るんだからな」
    自然治癒力っていうのは気持ちがいいってことなんだ」

    この事実って、親しいお弟子さんの前でたびたび発言していたんだから、
    知っている人は、知っているはず・・・なのよね。
    ただ、それを大切に受け継いだお弟子さんは、相当に苦労して学んでいるわよ。

    だからこそ、親しいお弟子さんには本気で励ましていたんだと思うの。

    「よくもマァ、こんなに難しいことに、おまえ達クビ突っ込んできたナ〜ありがとう、ありがとう」
    「でもネ、こんなに面白いことはないヨ、一生楽しめるんだから、コツコツ学びなさいヨ」
    「真理に適うことが自然法則なんだから、学べば学んだだけご褒美はもらえるんだヨ」

    橋本先生の語録って、一つ一つが本当に味わえる言葉なのよね。
    私みたいに自分が大好きで、励まされるのが大好きな人間にはたまらない人間賛歌なの。

    それも、シンプルに真理に適った生き方を教えてくれているんだから、橋本哲学は信仰になるのよ。
    ただし、信仰にすれば何でもいい訳じゃないわ。

    結局、自分の生き方にどれだけ自分が関わっているかなのよ。

    ホント真理って、比較することの性相を超えているの。

    あら!いまさら気付いちゃったけど、なんでオネエ言葉になっていたのかしら?
    まあいいわ、気持ちよかったからイイにして頂戴ネ。

    今日はこんなところで・・・ありがとうございました。

  • 『私にとって操体とは、巡る巡る空間と時間との螺旋』

    (偶然ではない操体との出会い)

    夢であっても記憶の一部なのだろうか。
    私の叔母は車椅子に座ったまま、六歳の私に言った。
    「大きくなったら、私のように自分で立てない人を、立てるようにしてあげる勉強をして、立派なお医者さんになってね」

    それから年は経過し、バブル景気の最中、ハウスメーカーに就職。
    法事があり親戚同士で集まった中、叔母は言った。
    「就職おめでとう、建築家になるのね。覚えていないでしょうけど、小さい頃、私の足を治せるお医者さんになるって言ったのよ」

    その言葉を記憶していた。
    記憶とは便利である。日々の生活に追われ忘れ去っていく。

    ある時、施工管理している建築現場にて事故は起きた。
    2×4工法の壁を支えた鉄柱ごとクレーンが傾き、その下にいた私は逃げ遅れ、数枚の壁ごと下敷きになる。
    それを見た職人は、私が死んだと思ったのだが、すぐに病院に運ばれて奇跡的に打撲で済んだ。
    とはいえ、打撲の疼くような痛みは、痛み止めと湿布ではなかなか消失しなかった。

    タイミングとは面白い。何かの必然性さえ感じる。

    母の管理する貸事務所は、数ヶ月前から接骨院になっていた。
    その怪我を診てもらったのだが、筋(スジ)を整え包帯を巻いてもらった。
    それを境に、急速に痛みは減弱した。
    感激した私は、柔道部に所属していた頃、怪我した先輩達は骨接ぎに通院、
    一時その職業に憧れたことを話すと、その先生は言った。

    「今からでも、遅くはないと思うよ」

    私のなかの“意識”に直接、何かをとおしてつながった。
    幼い頃の夢と叔母の言葉。柔道部時代の体験。就職してからの労災。
    そして、骨接ぎの先生の直向きな姿勢。そして内なる声。

    学生に戻った私は、その先生の薦めもあり、鍼灸按摩マッサージ指圧の専門学校へ入学、
    治療院を紹介して頂いて研修、ホテルや旅館での按摩でのアルバイトを通じ、
    学校の勉強と平行し”からだ”を学ぶことが出来た。

    研修も二年目になると“慰安行為”としての按摩に嫌気がさし、
    学校の図書室にある手技療法を片っ端から読んで、研修の合間に試していた。

    この時、いわさきちひろ氏の扉絵が印象的な、橋本敬三先生の著書と出会うことができた。
    そして、大きな一つの問題に気付く。

    いったい、医師ではない医療行為とは何か(註)
    自分の目指す医学って何の役割があるのだろう。症状疾患における臨床医学、器質変化のある病理学。
    そもそも人間は健康であればいい、病理学に臨床医学など自分の目指す医学に指針はない。

    そうか、予防医学なのか・・・。
    「未だ病まざるを治す」未病医学に繋がっているのか・・・。

    私の中ではもう一人の自分がつぶやく。
    「それでもおまえ自身、納得いかないんだろう?」

    そうなのだ。そこから先を知りたかったから・・・・自然法則の応用貢献を学ぶことになったのだ。

    私にとってあの現実は、本当の生き方に問いかけていたのだ。
    時間と空間の螺旋を紡いで目の前の現実になる、今ならわかる。
    私は有り難いことに、操体を学びながらをその大切さを理解しつつある。
    理解しつつあるというのは嬉しい困難でもあり、”普遍的な学びの道”となる。

    そして本気で操体を学ぶなら、「操体にイノチを捧げている」人間を知っておくことだ。

    橋本敬三先生の直弟子、三浦寛理事長からじっくり焦らず学んでみるといい。
    自然法則の応用貢献を実践し、橋本敬三先生の波動を感じさせる何かと繋がっている。
    私にとっては、未病医学と現代の医学をつなぐ架け橋になる”イノチについて”の学びそのもの。

    分類好きな鳥類学者を指し、ゲーテの語った言葉があるので最後に引用して締めくくろう。

    「彼らは特殊な鳥を見つけると、器用にさばいて得意がっている。
     しかし、自然は自由気ままに活動を続けており、
     人間のつくりあげた窮屈な分類など、気にすることもない」

    今日はこんなところで・・・ありがとうございます。

    (註):勘違いの多い『医業』と『医療』と『医療行為』と『医療類似行為』、
        医事法六法によれば、『医行為の一部的な解除』『広義の医療行為』として、
        国家資格により、鍼灸指圧師や柔道整復師を認定している。
        そのなかで『操体法』を法的に区分すれば『医療類似行為』に相当する。
        少々話を飛ばしてしまうが、この世では医師だった橋本敬三先生も、
        鍼や漢方を駆使した臨床時期があるらしい。
        しかし、同業者である医師には『操体法』を実践して欲しいと書いては推奨した。
        やがて反応が少ないので筆を断とうとした際、『医療人(=コメディカル)』や、
        『医療類似行為者(=整体師など)』や、『民間の要求』から有名になっている。
         私はこの流れでいえば、操体の広まり方とは実に理に適っていると感じている。
        

  • 『私にとって操体は〜先祖代々〜子々孫々〜』

    生まれてくるから、元々もっているもの。
    生まれてきてから、身につけていくもの。

    これは、勿論どちらも大切。
    ただ言えることは、人生とは迷っても当たり前。

    迷っているそのとき、目的を確めるコンパスがあること。
    地図を確かめて、方向を決めたなら楽しみも思う存分味わえる。

    この操体を学ぶたびに、不思議なことも、かみ砕いていけば理に適う。
    世の中の何故?どうしてそうなるのか・・・に答えていく学問こそ操体

    情報を鵜呑みにするのもいい、何回でも味わってみればいい。
    ただ、味わって気持ちいいのか、気持ち悪いのかそれは情報ではない。

    これを噛み砕きもしないまま、安直に選択してしまえばそれなりとなる。
    ここに、自然・不自然さを感じている意味を知る。

    元々生きていくために最も大事な、元々生まれつき備わっている生命力。
    それを感覚でいえば、原始感覚。

    これを錆びないように磨いていく。
    様々な素材を生かすため、根本的でまず”イロハのイ”となる素。
    それは、”操体”であり、生かすための臨床的応用こそ、”操体法”。

    ビフテキ(=ビーフステーキ)”の好きな人もビフテキだけでは生きていけない。
    スパイスも多くの種類を少しだけブレンドしてこそであり、単純な刺激では飽き飽きする。
    大いにある要求のうち、際限なくなるものには、執着しないこと。

    操体の本質はシンプル。
    でも言葉で説明できることのみで構成されていない。
    元々備わっている、”からだ”を通して、“感じること”で噛み砕いてみる。

    いくつであろうと、どこにいようと、
    あなたの代わりとなる、”からだ”は存在していない。
    あなたを応援している、”からだ”は寡黙であなたを裏切ることはない。
    そのために必要なことは、鵜呑みにしないこと。
    自分自身の原始感覚に静かに尋ね、聞きわけてみる。

    それは何かを感じること。

    自然の中に感動を味わい、小さなコトでも嬉しくなり、他愛ないことには悩まない。
    よく笑うことが出来なければ、笑顔を作る練習をすればよい。
    偽物でも、フリでもいい。
    本質的なものであれば、そのうち本物になるだろう。

    食事を栄養(カロリー分析)から捉えず、営養(礼儀・営み)として捉える。
    呼吸を吸うことが主と捉えず、吐くことを主として捉えて直す。
    動きなんて自分勝手で良いんだと捉えず、本来の無駄がない動かし方はあると捉える。
    考えること、思いを馳せること、言葉を発すること。
    ここにある美しさを感じて捉える。
    汚さに気が付いたらその時点で薄めていく努力は大きく変化を生じる。

    これを私は伝えて生きたい。

    美智子皇后陛下の言葉に、
    「幸せな子を育てるのではない。
     どんな境遇におかれても幸せになれる子を育てたい」とある。

    橋本敬三先生の語っていた、”母心”に通じる。
    親子を超えて何かを味わい、お互いの環境を愉しむ。
    そんな意識を感じて気持ちがいい。

    今日はこんなところで・・・ありがとうございます。

  • 『人間なんて寝ても一畳、立てば半畳・・・操体は無極無限!』

    お正月とは一月七日までという説もある。
    私は三ヶ日までと思っていたので、調べてみると「松の内」というのがあって、
    関東では大正月の七日まで、さらに関西では十五日まで小正月というらしい。

    それにしても、待ち望んでいた21世紀になり、はや十二年である。
    昨年のような自然の力に戸惑いながらも年を越せば、あと355日でお正月は来る。
    そう思えば、寒さに向かう自然の流れにも安堵できるかもしれない。
    私も含め、良き未来に進んでいることを確信しながら、日々感謝したいものである。

    一般的に言えば、「しあわせ」とは個人所有の感覚である。
    私の考えで言えば、個人的な感覚だけではない、森羅万象の大きな流れに伴う感覚にも感じている。

    ただし、操体を学んでいなければ、このような思考はしていないだろう。
    ”一般常識の枠には収まらない”学び。それが操体なのだから。

    だからこそ私にとって操体とは、ズバリ「イノチを学ぶこと」に繋がってしまう。
    もっと言えば、私たちを生かしているそのものに繋がってくるのだ。

    例えば、生まれた頃に意識を戻してみたい。
    そこには、親との出会いがある。

    いろいろなところへ連れて行ってもらったことを思い出す。
    初めての環境は新鮮であり、味わったことのない感覚をその都度経験している。

    初めての体験とは、「自分の中にあって一番遠くにある大切な記憶」に繋がっている。

    それは、自分だけの経験ではなく、産み育ててくれた根本の連なりでもあり、
    与えられた五感と同じように共有できる。自然法則を通じ味わえる私たちの財産となる。

    咲き誇る花は、散るときの未練や言い訳などしない。
    花は開く、咲いて散るから咲くのではなく、人に見てもらう為に咲くのでもない。
    本来は自然の造形物である人間も同じだ。

    生まれてくるまえは記憶がない。
    しかし、生まれてすぐあるものを大切にしていくことは、操体に繋がっていく。
     
    あの太閤秀吉も、
    「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」と言葉を残しているのである。

    人間は、起きる寝る動作に半畳、就寝する時は一畳分の面積があれば十分に足りる。
    そして、一日二合半の飯があれば腹一杯になるのだから、それ以上を求めても、一人では消化不良を起こす、という意味がある。
    天下人となった秀吉は、黄金の茶室に客を招き豪華絢爛に過ごしていたと思うが、最後には上記の言葉を残しており、
    ここにも「足を知る」という意識を感じるだろう。

    意味のないことは人の設計にはない。
    例えばあなたの場合、寝ている時間をどのように捉えているのだろうか。
    私も寝ている時はほとんど記憶がなかった。(今は繋がってきた)
    寝ているときにもあるものを大切に学ぶことは、操体に繋がっているようだ。

    今日はこんなところで・・・ありがとうございます。

  • 『操体は○の連なり∞、丸く丸く納まるもの』

    操体を学ぶ理由、それを私なりに言い換えるならば、

    操体法の創始者、橋本敬三先生の意志を感じること。

    操体の本を読んだけれど、そんな難しいことは子供にはわからないでしょう?ですって。
    いいえ、子供は知っていますヨ。
    大人になるにしたがって、一般常識や世間に迎合すること、知識に偏って頭が硬くなってしまうこと。
    そして、味わってもいないのに、偉い人の話を盲信してしまうこと。
    子供にはそれがないのだから、大人よりはしっかり知っていますね。

    そもそも生まれた時は、神童です。原始感覚そのものですから。
     
    本来、いのちが誕生するという奇跡はもともと完璧な( perfect )ことなのです。
    それを“ 救い ”といいます。
    生まれながらに救われているのです。それが本当か操体を学んで下さい。

    そこには実感として染みわたるエキスのようなものがあります。
    それを“ 先祖代々の知恵 ”ともいえるのではないでしょうか。
    語り継がれるべきものであり、より濃いものとして後世に残していく大切な財産であります。

    私のオススメとして、まずはじめに操体で味わって頂きたいのは、
    橋本敬三哲学思想の根本を成す、自然の法則(息、食、動、想 +環境)のうち、 
    は“ 動 ”つまり、 からだの使いかた・動かしかた(の感覚)ですね。
    からだを使うこととはどういうことなのか?
    大切な、“基本中の基本”である、「重心安定の法則」を自らのうちに感じることです。
    重心を安定を担う感覚、重心を移動を担う感覚、連動というダイナミックな感覚。

    日常の生活はもちろん、スポーツ・芸事・武道 なんにでも応用できるのですから。
    但し、基本を学び続けることでいくらでも先があるのです。
    ルールに合わせて操体を楽しんで頂ければ、操体に親しむ目的は叶っています。

    今日は成人の日ですね。
    操体を学ぶ人は生きている限り、いくつになっても青春なのです。
    晴れ晴れとした意識で”日々是好日”を臨んで下さい。
    今日はこんなところで・・・ありがとうございます。

  • 『私にとって操体はマルマルモリモリである?』

    操体を学んでいる理由ってナニ?> 
    シンプルに捉えてみれば、生きているということは、いろいろな循環があること。
    そして、からだを動かすということは重心が移動しているということ、
    こんな考えてみれば、当たり前のことをじっくり考え直す機会に恵まれました。
    動物として自然なこともヒトとして不自然に動いていることに気付きました。
    気付いたら自然な動きにルール( 法則 )があり、
    学びながら実践して これは間違いなく自然なヒトの動きになることを皆様に伝えなければ、そんな責任が生まれてくれたのです。
    生まれてきたのではなく、生まれてくることに意志があったと信じる。
    生かされていることを信じることで、
    生きているのだ という驕りを取り除いていくのです。
    それも知ってしまった後に戻る道はありませんから。
     
    私の学んでいる操体(法)は仙台の医師であった 橋本敬三先生が、
    日本人として誕生してから、96歳で祖神の里帰りする迄の間ずっと学び続け、
    実践を続けてこられた上で継承されているのが“ 操体 ”ということなのです。

    それを有難くお借りして応用貢献していくことで、人として自然な生き方。
    人として生かされていることに目覚めることであり、
    “からだ”は、常にありがたく間にあうのだよ…と教えてくれるのです。

    私が操体を学び気付くことは、自然法則を感じとることでもあります。
    すなわち、橋本敬三の哲学思想を継承することになるのです。

    『 気持ちの良さを ききわければ いいんだ! それで治るのだから 』
    『 あまり欲張らなくてもいい 間に合うようにすればいいんだ 』
    『 知らないと間違う 天然の法則があるからね
    息・食・動・想・環境 それぞれ勉強しなさいよ 』
                                 =橋本敬三先生語録より=

    それでは今日から一週間、子供も大人もオネーサンも興味を持って頂きたいので、
    「わたしにとって操体とは」をテーマに綴ってみたいと思います。

    どうぞ本年も、東京操体フォーラムの活動を含め、(ブログも)宜しくお願い致します。

                                

  • 本当に時間は進んでいるのか

    万波は水を離れず

    唐突ですが、これは仏教の言葉で『大乗起信論』にあります。
    簡単にすれば、「いろいろな水があるけれども、それでも同じ水でしょう。だから信じましょう」という意味です。

    そもそも、私たちは自分の背中を見ることができません。
    「心」とは相手に繋がっているのでしょうか?いつからかワタシにそんな疑問が浮かんでいました。
    見えていない(不可視)私たちの後ろには、いったい何があるのでしょうか。
    そこで時間の進み方、空間の関係性、そして時空の超え方について思考してみたのです。

    操体を通じて学びながらのここ十数年間には、ワタシの知らなかった自分の背中を見る機会を何回も頂いています。
    東京操体フォーラムの活動はモチロン、その後の懇親会や、第二日曜日に行われている実行委員勉強会もそうです。

    言葉とは黙読という方法もありますし、読み方は自由なんですけれど、一説によれば、
    昔の人間は読む=音読することが当たり前だったようで、声を出して読んでいた方も多かったようです。

    その際、単なる符号としている言葉もあれば、その意図と目的がある言葉もあります。
    それは息を通して、言葉にしてみたら理解できます。
    感じることが先、と言うことになります。

    それは、橋本敬三正師と繋がっている、三浦理事長の継承・更新している操体を学ぶこと。
    そして実際に、操体の学びを通して『快』をききわけて味わえること。
    ここに無限の可能性として、不可視にも繋がって・・・まさに自由になっていけるのです。

    自由とは、”繋がっている”からこそ!の学びにあるものなんですよネ。

    個人レッスンの時三浦理事長は、相手の生活意識にも繋がる”自由”について、こんな話をしてくれました。

    「相手に『勝手にしろ』とは言わないよ。それでは(私が)色々と立ち入る”余地”はないからネ」

    「ただ、『自由にしろ』とは言うよ。相手のやってきたことは(私も)認める。 

     そしてこれから、相手のやろうとしていることに対しても、何かあれば、腹を括って全面的に後押しするヨ、と言う意味でネ」

    「『自由にしなさい』といっても、どこまで(相手は)わかってくれたのかナ・・・」

    なるほど然り。ワタシも含めて相手もどれくらいわかっているのか。
    どの程度でわかったつもりになってしまうのか・・・わかったつもりになっていないことは、かなり大切な意識なのです。

    さて話を変えまして最終日のテーマは、本題の『時間の進み方』について書かせて頂きます。

    すっかり夜更かし習慣のある方も、早寝早起きがモットーの方も、昼夜交代制で勤務している方も、バブル期の某実行委員のような夜間に勤務している方も、
    様々な方がそれぞれのスタイルで睡眠をとっています。
    よく「睡眠時間をとる」ともいいますが、その時間を”どこ”から”とって”いるのでしょう。

    そもそも人間は、どのくらい眠ればいいのでしょうか?
    生まれたばかりは長く、加齢と共に短くなるという説、7〜8時間がいいという説、
    日中に眠さを感じなければ個人差があって良いという説もあります。
    それで有名なのは、ナポレオンの3時間睡眠とか、アインシュタインの10時間睡眠です。

    また、一般常識の壁を、大きく越えている方もいます。
    例えば、睡眠時間のようには決めないように、
    夜は眠るもの朝は起きるもの、というキメゴトを外しているような生活をしています。
    思うに無理がないというのは、からだに適い、自然の法則の範囲内にあるということで、
    自身の生産性の高い”意識”にあってこそ可能になる、というところでしょうか。
    その上で、本当に必要なのかは、信頼できる”からだ”にききわけていればいいのですから。

    考えてきめていたことから、瞬間で意識していくことに変わってから気付くことは多いのです。

    時間の過ごし方と言えば、時代が変わってきた19世紀から20世紀、そして21世紀現代では、
    ひとりひとりの毎日があり、戦争のような集団行動で拘束されることも少なくなり、
    それぞれに、生活のゆとりは違ってきています。

    それにしても”人間”である以上、共通するルール、最低限の法則はあるのです。

    「毎日、おなじことの繰り返しで1日なんてあっという間だよ」という方もいます。
    「いい歳になったけれど、歳を重ねても未だに子供の頃とあまり変わっていない」という方もいます。

    そして、人に言われるがままに行動し、そこに自分の生活時間を重ねている方もいれば、
    できる限り、自分の意識で時間をコントロールできている、そのようにしている方もいます。

    集中していれば1日が過ぎるのがとても速く感じても、充実感を味わっていますから、
    後味がいい気持ちよさを感じています。

    集中できずに時間の経過がとても遅く感じて苦痛を味わっている方もいます。
    入眠障害中途覚醒などの睡眠障害などは典型的ですね)

    ワタシも少し前まで、時間の進むのが速く感じるのは、
    きっと年のせいなんだろうな・・・と人事のように思っていたのです。
    しかし、どうもそれでは説明できないようです。

    時間というのは、非常に個人的ななかで起こっている現象に過ぎないのではないか・・・と。
    なぜなら、どうしても自分がやり遂げたいこと。
    ここにある意識として、意識できている瞬間、また次に訪れてくる瞬間の意識は、
    それを時間内に、ほぼ可能にしているのですから。

    つまり、忙しくてもこれだけはやっておくぞ!と、意識してみると、
    後になってみればちゃんとできていることが圧倒的なのです。

    なので、たった15分が倍以上のくらいの速さで進んで(遅れて)、
    その必要な要求を満たしてくれるのですね。

    ということは、生活時間の外にそのような何かが働いている可能性を否定できません。
    結果として、そのように時間が進む(遅れる)ことこそ、自然の法則に適っている、と感じています。

    ですからそんな時には、『サイボーグ009』の島村ジョーの「加速装置」とか、
    ジョジョの奇妙な冒険』のディオ・ブランドーのスタンド「ザ・ワールド」のように時間を止めて動いたり、
    あの東北リンゴ農家の木村さんのように「時が止まっているときに竜がいた」と、そんな次元を垣間見ているんじゃないかとさえ思うのですが・・・(笑)

    つまり、時間というのは絶対的なのではなく相対的なものであって、私達の意識が大きく関わっているように感じるのです。

    自然法則のなかで、何かの理由があって意識は更新されてるのは『時間』、イノチからすれば自然な流れとなる。

    「快」は、私達を”時間に拘束されているトラワレ”から解き放ってくれる「道」に繋がっているに違いありません。

    〜『平常心是道』〜ある禅師の言葉より〜

      「道は考えてわかるものではないが、しかし、わからないと言ってしまうこともできない。
       考えてわかるならそれは妄想であり、わからないとすれば、無自覚というものだ

    誰にでももともと生まれながらにして備わっているなんて、素晴らしいことです。

    ワタシも記憶も飛び飛びになりながら『』をつないだ一週間でした。
    みなさまにはお付き合い頂きまして、本当に感謝しています。ありがとうございます。

    明日からは、東京フォーラムin京都での発表を待ち望まれる、日下実行委員の登場です。

    よろしくお願いいたします。   
                                         岡村郁生

      

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 境界線と意識

    篠宮龍三氏は、現在国内で唯一人のプロのフリーダイバーです。
    映画「グランブルー」で、人類初の潜水100メートルを記録したその人、ジャック・マイヨールの記録をアジア人で初めてクリアしています。

    比べるのもおこがましいのですが、
    少し荒れている海に潜れば、私の場合、自分の身長の2〜3倍で苦しくなりますね。
    湘南に住んで始めたばかりの頃のサーフィンでは、ワイプアウト(ボードから転落)して波に巻かれてると、
    1分も経たないうちに、「死んでなるか、なるものか」と必死に本気でもがきますから、
    この記録に挑戦すること自体、どれほど大変な記録なのか想像はできます(関係ナイって?)

    きっと苦しさとの戦いなのかな?とも思ったのですが、
    篠宮氏の言葉は、私の想像を超えた言葉でした。

    例えば、海に深く潜ることについての質問で”宇宙”という言葉にまで言及するのです。

    「(フリーダイビングは)自分にとてもフィットしていた。人生を賭けて追究したいテーマに出会えた瞬間」「地上を離れ、海の中へ、地球の中心へ潜っていくというのは、
     光もなくなって、音もなくなって、しかも重力も感じなくなっていくので、宇宙に近づいていく感覚に近い。

    「かなりの水圧も加わって、圧倒的に感じるのが、水の質感。
     すると、急激に時間が濃くなっていく」

    「例えるならば、5秒に感じていたのが実際には20秒も経過しているような、
     つまり、それだけ気持ちがいい空間」

    ・・・というのですね。
    つまり、ある環境に置かれた『からだ』にとって、快適な空間は時空を超えているのでは?

    さらに驚いたことに、水深100メートルを超えると酸素が必要と感じないのだそうです。
    勿論、体内では酸素を消費してガス交換をしているのですけれど、
    数分にいたる”マ”では、酸素を吸えない状態を”からだ”が一時的であったにせよ、実際に受けいれているのです。

    「(その時間)人間の能力は有限なのですが、その壁が取り払われたように感じて、
     (本当は)人間の能力は無限なんじゃないか、と実感する瞬間です」

    ・・・と話しています。
    この話を聞いたとき、私はピンと来ました。

    操体の臨床とは、このようなことも大いに含んでいる。
    見えている現象はモチロンですし、目には見えないなことを通じて、ことの成り立ちを学ばせて頂くのですからネ。

    臨床の場でも、向かい合っているのは相手なのに、自分にも向かっている。
    感じることは、意識として受け入れる。受け入れるのは相手だけではなくて、自分にもあるのです。

    このようなことは、操体法の創始者橋本敬三正師から、直弟子三浦寛理事長へと大事に受け継がれていて、
    東京操体法研究快での学び、塾操体の学び、東京操体フォーラムの「快」に繋がっているのです。

    有り難いことです。ありがとうございます。

                                             岡村郁生

    追伸:龍のつぶやき⑥
    「ほんとうにみえないものは、”かたち”ではなくて、意識として在る。
     じつはみえているものも、”かたち”なのではなくて、意識が薄くなれば消えていく。
     皮膚のはたらきは、”ながれ”を生じているものを感じることにあり、
     それは、振動によって生まれている感覚でもある。
     皮膚にとっていえば、振動を感じとること。生じていくものもあり、消えていくものもある」
     

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 時を超える言葉〜操体〜

    操体は死んでも生きている“  

    ムォ〜格好イイ!!この台詞を聞いたのは、昨年の京都での操体フォーラム。
    今年も京都で行われるフォーラム発表して頂く講師、奈良の北村翰男先生から頂いた言葉です。
    昨年は北村先生に地元を案内して頂いて、あの奈良の大仏様や、大人気のイケメン阿修羅様を、
    生で拝ませて頂き、お陰様で次の日から充実した東京フォーラムin京都第一回を開催して大成功でした。

    そこで、『操体』・『操体法』って言葉なのです。
    今更ながら、操体法と名付けたのは橋本敬三正師ですよネ。
    されど正師も、「天然自然の法則に“橋本式”なんてないからね」と北村先生に話されていたらしいのです。

    とはいえ(しつこい?)ワタシが考えるに、正師の残されている言葉の多くは、
    時空を超えている言葉なのですから、や・は・り、意味あることではないでしょうか?

    ですから、今日は「操体」という言葉に迫ってみましょう。

    まず、語源から意味を調べてみると・・・(語源由来辞典より)、
    『体』は、、
    「体(からだ)」は、殻(から)に、接続語として「だ」がつながっていて、
    大昔は「魂(たましい)」に対して、それを宿しているのは「身(み)」といっていたようで、
    「身(み)」の外である肉体を、「体(からだ)」と区分けしていたらしいですネ。

    また平安時代まで、抜け殻(ぬけがら)・死体・亡骸(なきがら)とする意味もあったらしく、
    それが室町時代に入ってからは、一般的に「魂」と「体」を区別しなくなってきたこともあって、
    徐々に変化して、次第に頭から足先まで全てをあらわす意味となって、
    「生きていること」を前提として使用する言葉となってきたようです。

    そして問題は「操」の意味ですよね〜。
    ある辞書によれば、
    ひとつに、自分の意志・主義・主張を貫いていくことや、誘惑や困難に負けないこと。
    ふたつめに、上品で、雅(みやび)やかなこと、そのようなさま。
    みっつめには、常に変わらないこと、またそのようなさま。
    と、ありました。
    ウ〜ン・・・ちょっともう少し調べてみましょう。ワタシ的に納得できないので(笑)

    すると、橋本敬三正師とも交流された野口三千三先生の言葉で、なかなかイイのを見つけちゃいました。
    野口先生も真摯に「からだ」について言葉を選び、その見解を記されています。
    その中で、羽鳥操氏というお弟子さんの名前でもあり、『操』そのものの意味を、
    丹念に調べてお弟子さんにこのような意味があるんだよ、と伝えたそうです。

    野口体操 感覚こそ力

    野口体操 感覚こそ力

    *参考文献*『野口体操 感覚こそ力』羽鳥操著〜春秋社〜

    原初宗教の生きている甲骨文の造字感覚からみると、、
    (*注:白川 静(しらかわ しずか)氏〜漢文学者・古代漢字学で著名な東洋学者)
    (*白川静)氏曰く『操』の右側にある部分は、
    生命の象徴である”若木の枝”に、
    ”祈り”や”願い”、”問いかけ”の言葉を、
    いくつも結びつけていることを示していて、それを手に持って振り、戴いているという、
    その繰り返し懸命に祈るさま、その行為を表しているのだそうです。

    つまり、「操」の本当の意味は、
    神(カミ)に対する問聴(占い・ト)の行為を示す、ことでもあって、
    「貞」(=神器・祭器・宝器のような象徴)と似ているとも言えるようです。
    ある特殊な状態において、”カミとつながっている”状態とも言えないでしょうか?

    ここで懸命なブログ読者?ならピンと来たでしょう。

    東京操体フォーラム三浦寛理事長の臨床、「不可視」とつながっている臨床の問いかけ。

    いや、みなまでいうな!・・・って、ええわかってますがなァ。
    それならぜひ、『東京フォーラムin京都』におこしやすゥ〜、ということで・・・。

    その前に!(かなり)お得でいいことを教えましょう。

    「足趾の操法」を体験してみませんか?
    とろけるようなきもちよさ。操体の秘技、「足趾の操法」。深い癒しの体験が、この日だけ2000円!
    日時: 2011年7月18日(月)海の日 9時〜12時 13時〜17時(予定)
    場所: 三軒茶屋ターミナルビル(ご予約の方には場所をご案内致します)
    金額: 2000円

    気になっているそう、そこのあなた!完全予約制ですからネ。
    この後すぐ、詳細をメインページから、「check it out」

    いや〜ホントにいい時代に生まれ、この肉体を頂いてよかったですね、ご同輩!!

    有り難いことです。ありがとうございます。
                                
                                   岡村郁生
    *追伸:龍の愛⑤
    「人は愛によって成長し、愛によって輝く。愛は宇宙である。
     振動の細やかなものに触れると、それだけで癒されていくもの。
     それは自分の姿を取り戻すからだ。慈しみの波動、支えていく意識。
     求められる我であろうと努める意識。
     みてみなさい。どんなにあなたのまわりに存在している環境が美しいかを。
     きいてごらんなさい。どんなにあなたのまわりに存在しているバイブレーションが美しいのかを。
     あじわってごらんなさい。いつでもその準備はできているのだから。
     たったいまからできることがあります。それは認めていくことです。認めるんですね。
     あなたという存在自体が、その全てとつながっていたんだと気づくことを」 

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。