カテゴリー: 岡村郁生(おかむらいくお)

  • 性論〜その1〜

    鵜原実行委員から紹介頂きました性には奥手(奥の手?)で有名なミドルエイジがいよいよ登場します。
    では張り切ってどうぞ〜!!

    ハイ。
    今週おつきあい頂きますのは、茅ヶ崎湘南海部屋出身、モッコリ龍こと岡村郁生です。
    どうぞよろしくお願いいたします。

    一生のテーマをセックスにしようと言ったのは、橋本敬三先生ですが、
    三浦寛理事長も「快」を一生のテーマにされています。
    ですから、私も今回はハッスルしてみますヨ〜!一週間だけに七杯アグラ!!。

    さて、早速ですが一週間のテーマはこちら。ドン!(みのさん風に)

    「元々素晴らしい人間だから、卑下しなさんな、馬鹿にしなさんな」です。

    そもそも、性・セックスの謎解きそのものは、
    心とからだの不思議を紐解いているサイエンスを超えた真理なのであります。

    このテーマでは鬼に金棒、悟空に如意棒である。
    なぜなら、限りなくワタシの興味と嗜好と一致しているから(笑)

    そして、性は自分に向き合うには最高の手段である。
    だから、誰かこう言ったからではなくそのことを自分ではどうなのか、で受け取って欲しい。
    テーマがセックス(性)だけに、改めて真正面から自分に向き合ってみる機会になるだろう。
    そして、誰がそう感じるかではなく、自分の感じたことがすべてそのままにある。

    古今東西、老若男女問わず異性に対する興味は、理屈で成立することではありません。
    いつの時代にも連綿と紡がれいる人間の歴史が存在しています。
    それは、生物である霊長類ヒト目ヒト科のヒトにとっても、
    生殖とは生命の要であり、この行為そのものは、内的に様々な側面を含んでいるからに違いありません。

    どこから来たのかわかりませんが、魂を抱き、意識を感じ、肉体を味わう期限を持って生まれている人間。
    必然としての流れを生じる理由もそこにある。
    つながっていれば新たな寿命、もっと言えば、新たな幸福を産みだしていけるのですから・・・。

    ワタシが思うに、「救われている」こと。
    これが最も自覚できるのは、セックスそのものが気持ちよい。
    異性・同性問わず、交接意識にある感覚変化。これであり、コレにつきる。
    否応なしに性を感じ、否応なしに原始感覚と交わる。

    セックス。そこに至る流れから生じる恋愛、情愛もあり、
    そこから分岐する自由も人間にはあり程度、認められている。

    大切なことを感じて観るには、原点回帰も必要でしょうネ。

    今回のテーマ「オタマジャクシの行方〜いずれどこかへカエル〜」

    顕在意識において、確認できることだけではありませんが、
    目的に沿って、そもそもコトに望むにあたり、その理由はありますね。
    働き蟻を観察しているとわかるらしいのですが、
    エリートの蟻が二割、普通の働き蟻は六割、
    そして何にもせずフラフラするだけの蟻が二割いる。
    人間の考え方で言うならば、二割だろうとそれは困るとわけです。
    しかし、その働いていない蟻を別の場所に移してしまうと、
    残りの蟻の中からやはり働かずにフラフラする蟻が二割程度出現してしまう。
    それは自然の成り立ちとしての原始感覚なのかもしれない。
    壁を作りやすい人間の固まった考え方にこそ、偏りは存在することを示す好例のようですネ。

    エリートの蟻だけにすることは難しい。
    こんな難しいことを、どうして求めてしまうのか?
    それも人間の悲しい性・・・ゆえかもしれません。

    生活上で自覚できること、顕在意識の中にこそ、生き方の目的とする行動の鍵があるのでしょうか。
    心理学で有名なユングは、
    顕在意識に昇ってくる以前に存在している潜在意識にこそ注目すべきだとしています。
    つまり、意味のないことは意味のあるコトに繋がっているのでしょうか?

    面白いのは男なら誰でも知っているオタマジャクシ。
    それは精子ですね。そして、男性の射精した精子にも受精能力を持たない異常精子があるのです。
    おかしなコトではありません。これは環境ホルモン亜鉛不足でもありません。
    もともと運動能力の無い精子や、奇形などの精子が含まれているのです。

    そしてその数は2〜3億になる一回の射精量の約四割を占めると言うから驚きますネェ。
    この理由は今もってわからないんですから。
    適当と思われる理屈ならいくらでもつけられるのです。
    (だから受精の際、卵子が優良な精子を選択するシステムになっている・・・等)
    でもそれ自体、四割もの役に立たない精子を射精する理由には全くなっていないのです。

    私が感心した面白い説を紹介します。
    イギリスの生物学者ロビンベイカー教授は、
    この四割を占める精子に受精能力はないけれど、いつ射精されるかわからない他人の精子が入ってきてしまうのを
    ブロックしている立派な戦士その名も「ブロッカー」だと言うのです。

    更にブロッカーよりも俊敏で、積極的に活動して他人の精子を攻撃する「キラー」もいるようで、
    女性が浮気して他人の精子が隙をうかがって入ろうものならば、
    そうはさせまいと壮絶な戦争を仕掛けるというのです。

    そこで、精子である自分たちのなかから選ばれしもの、「エッグゲッター」は、
    警備や防御に煩わされることなく子宮内から頸管までを安心して任せたまま、
    卵子が排出されるのを今か今かと待ちわびて、アメフトのタッチダウンがごとく疾走するというのです。

    この仮説が大好きな私は、なるほどナァ・・・・・と思わずにはいられません。

    だから、生前の身分そのものが、スーパーマン(ウーマン)そのものなんですネ。
    (当たり前ですが、バットマンでもロビンやジョーカーが存在するから主役でいられるわけです)

    生まれてきて何かを成す理由があり、
    その前に、生まれてきた時点で何かを成す為に来る。
    ウルトラマンの歌にある「光の星から僕らのために」というのは・・なんだ私のことだったのか(笑)

    まッそれはともかく。
    操体の臨床は、「快」をききわけること。「快」を味わうこと。
    もともと頂いている、それはイヤなことではないなんて、アア・・ありがたき幸せでございます。

    からだの意思。それは原始感覚。
    天然自然の法則性。生かされし生命観そのもの。
    何故なら、操体の創始者橋本敬三先生曰く「生まれる前から救われている」と教えて頂くのですから。

                                        岡村郁生

  • 「継承」〜cuatro〜その四

    一週間お付き合いくださいましてありがとうございます。
    さて、今日はなんの日でしょうか?(実は東京操体フォーラム顧問 今先生のお誕生日なのです、おめでとうございます〜パチパチパチ)
    そして、今日と明日、仙台市にて第27回操体バランス運動研究会がで開催されますネ。
    なので今頃は仙台におります(いつも情報管理本部長こと、辻実行委員ありがとうございます)
    私、ムーチョ岡村も、三浦理事長と畠山常任理事と、福田(画伯)と山本理事(監督)で、橋本敬三先生のお墓参りに同行予定です。
    来月に行われる、『秋期東京操体フォーラム』の招待状を携え、濃厚な日々〜操体活動報告〜をさせて頂きます。(まだまだ間に合いますよ!このホームページにてチェックして下さいネ。皆様の参加をお待ちしております)

    さて・・・操体臨床の日々とは、こんこんと水の湧く泉のように、淀むことなく透きとおっている。イノチとは流れであり、一時としてとどまることはない。
    まるで「方丈記」の書き出しのようになってしまいました。
    (ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし)
    イノチの生み出しているカタチ。万人に共通する人間の姿とはあるのだろうか。
    カタチとして見える姿と、カタチとしては見えない勢いのようなものは、一定の秩序を保つべくうごき続けているのだ。
    その変化を感じることは、生命の存在する意義にも通じる。
    生命現象の意味を知ることは、自分自身のルーツを知ることでもある。
    操体の創始者、橋本敬三先生の「生かされている」意識を偲ばせるエピソードの一つとして、
    三浦寛理事長に語ってくれたそうです。
    「生まれてから構成する身分ではなく、生前の身分を知りたい」・・・と。
    これはどういう意味なのでしょうか?
    悩み、苦しみを常とする同輩にも、「救い」と「報い」の違いを知って欲しい願うことだったのではないでしょうか。
    夏に大徳寺にて開催した京都操体フォーラムでは、北村翰男先生が橋本敬三先生とのエピソードを披露して下さいました。
    北村先生の若かりし時、橋本敬三先生に質問をしたのです。
    「先生21世紀は大変なことになってしまうんじゃないですか?」
    ・・・しばらく沈黙・・・そしてポツリと「いや、極楽浄土だよ」
    エッ??一瞬疑問に思った北村先生は「そんなことなくって、大変に・・・」と言いかけたところ、今度はハッキリと大きな声で、
    「いや!極楽浄土だよ!!」と話されたといいます。

    天然自然であればこそ、感じ取ることができることがある。
    お互いに通じる。からだも常に反応している。
    環境は相関し、身近なことは勿論、離れていても共鳴する。
    僕を知り、家族を知り、その範囲は広がっていく。
    人は皆つながっているのだと知る。
    自分は不思議の鏡であり、他人の中に鏡をみれば不思議でも、
    両方の鏡の中に在ることを学べるなら、それは真実の自分でもある。
    三浦寛理事長に教えて頂いた、皮膚に問いかける臨床では、
    僕の意識と患者の意識はありながら、お互いに脇役に徹することになる。
    主役であるのは、からだ。
    常にからだの反応を感(み)て、常にからだに問いかけて、からだと向かいあっている。
    それは響いてくるもの。そして原始から生命の感覚に基づく判断なのかもしれない。
    何しろ、私のように一人の人生が変わってしまう。
    いや、操体に関わっていけばむしろ、変わらないこととは何かがわかる。
    そして関わる人達の生、そのものも変えていくことになる。
    だからこそからだを通して伝わる「快」をとおして頂ける学びとは、私にとって幸せそのものでもある。
    真摯な問いかけとは、今もってなおお会いしたことのない、橋本敬三先生を感じさせてもらえるのだ。これこそ橋本敬三先生の指示された、救いのなかにある。

    三浦理事長の話されている”刺激”ではない”接触”する快適感覚である。
    この快は”刺激”と異なり、まるで息をしているかのように自然であり、かつ愛おしい。
    臨床でたびたび僕は感じる、この愛おしい感覚とは何なのだろう。
    勿論、答えは一つではない。
    何となく考えているのは、自然法則の応用とは、生命への恩返しでもあると思う。
    なぜなら操体を学び、私の臨床でも減ってきたもの、それは言い訳なのである。
    日々愚痴などを言わず、言わなくてよい生き方があるのだよ・・と、我が儘な私を許してくれる。
    このおおらかで静かなる「からだ」に、僕自身どれだけ救われていることだろう。
    この存在そのものに感謝し、まっ正面から見つめる私の意識を嬉しく思う。
    僕にとってのコスモロジーとは、やがて本当の自分に向かう。
    今もこうしている瞬間、ソレと向かい合って見つめ合う。そこに僕もいる。
    果たして人間の一生とはどこまで自由なのだろうか。
    与えられている自由を、意味ある自由として、どれだけ恩返しできるのだろう。

    操体を本気で学ぶことで責任を生じる。
    この気付きの反映を知った責任を、法則を知った生じる責任を、果たしていく喜びを。
    投げられた苦しみの中にも笑みをたたえながら生きていこう。
    臨床とは、イノチとの向かい合う意識と共にあり、その姿勢とは必死であればこそ、生を感(み)ることができる。
    そして一貫して橋本敬三先生の死生観とは、シンプルで、調和している。
    「人間は、“一番気持ちがいいところ”から生まれてきて、“一番気持ちがいいところ”へ還っていくんだヨ」・・・なのだから。

    一週間お付き合い頂きまして、ありがとうございます。明日からは、(ナイトセミナーも見逃せない)愛の伝道師、日下実行委員です宜しくお願いします。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 「継承」〜tres〜その三

    その声が聞こえますか?今日(こんにち)の日本を、世界との繋がりをどう見ているのか。
    意志を持ちながらも肉体の寿命を終えねばならなかった人達は、どう見ているのだろう?
    意思(いし)は遺志(いし)となり、形は変わってもそのまま残っているのではないだろうか?
    いや、もしかしたら・・・より強固でより柔軟で、変幻自在の天の意識とは、
    僕たちがソレを感じるか感じないかだけの問題なんじゃないか・・・。
    小さい頃からの癖は抜けない。
    「あなたのいないこのせかい このよでわたしひとりになってもおなじきもちであなたとわたし」
    ふとみあげている大好きな雲を眺めていると、そんなことを感じてしまう。
    そんなことを感じる。
    操体フォーラムインマドリッド”を開催した今回のスペイン、あれこれと奇跡的な出来事があり、あふれるほどでした。
    小野田先生と鈴木先生(お弟子さん)に案内して頂いた烏賊揚げの美味しいバル(レストラン)で食事を終え、トイレに行く(スペインは公衆トイレが日本のようにはない為)皆さんを待ちながら外に出てきたとき、木陰で空を見上げた三浦理事長は、プフゥ〜と美味しそうに煙草をくゆらせながら教えてくれました。
    「岡村・・・人の姿や髪の色は変わっても、何一つ変化しないことがあるよ・・・それはネ、
     月の光と 星の光 そして 太陽の輝きだけは どこに行っても変化しないんだなァ」
    さすが師匠である。いつも操体のことを考え、寸暇を惜しんで向かい合う姿、性別なく惚れ惚れしてしまう。(こんな時、美味Oんぼ風に「日本人の口に合う、あのオリーブが、イベリコ豚のスライスに云々・・」等のウンチクにならない)
    しかし、私もすぐ頓智の効いた受け答えの反応をできる訳ではない。
    「いや、本当にそうですね!」と言った後は”電流火花がカラダを走る〜”と化していました。
    僕の場合ビビッとしてしまった。それからしばらくしても考えているのです。
    その意味をじっくりと味わっていると干し烏賊(アタリメ)のように味わえますから。
    なにがビビッとさせるのか?ソレは間違いなく僕の意思であって僕の意思ではないように感じるのですが・・・。

    さて、ビビッとくる名言を多く残されているのは、橋本敬三先生ですね。
    「快からはいろんなものが生まれるし、不快からはなんにも生まれはしない。
    原始感覚が鈍ってくると、その判断が逆になったりもするから、
    カラダのバランスを整えて、常に感覚(勘)を磨くこと」
                             =橋本敬三先生語録より=
    我が師匠、三浦寛理事長との個人レッスンの時のことです。
    「オレも橋本敬三先生に言われたことで、本当に参った・・と思ったことがあるんだヨ」
    「岡村もこのように言われたらどう思うのか?考えて欲しい」
    といって席を立ち、一冊の本を見せてくれました。
    それはボロボロになり、ところどころすり切れた本。
    橋本敬三先生が卒寿のあと、記念で出版された論想集「生体の歪みを正す」でした。
    若き頃の三浦理事長にこれを二冊手渡されて、その一冊に震える指先で、よく見えないであろう
    眼でサインをされたそうです。
    私が読んだその言葉とは、

    『 三浦寛君 あとを頼む おんころや 』 と・・・書いてありました。 

    確かに操体法の名称が、「NHKラジオ」や「NHKテレビ」によって全国に広がりつつあるなかで、本当の自然法則を追求している学問体系を、健康体操の類(たぐい)と一緒にされつつあったことを、人知れず嘆き悲しんでいたであろう橋本敬三先生の意志を継ぎ、
    日々の臨床から生まれた操体を、治療や予防に止まらずあらゆる方向における基本となるべく研鑽を積むように託されたのです。
    それも師匠の直接、直訴願いですから・・・。
    その時の三浦理事長は、今の私と同じ39歳だったと聞き、ふと、我がことのように考えてしまったのです。
    橋本敬三先生は、名声とか権力とか権威とか、お金に執着しなかったどころか、全くないような方で、有名になってしまったあとの「温古堂診療所」へ次々と押しかけてくる人々に平等に接して、よく話を聞いてあげていたそうです。
    そして「操体法」という名称さえ、「名前なんてどうでもいい、大切なのは真理だ。
    自然の法則なんだ」と、いつも言っていたそうです
    人間は弱いものですから、自分さえ良ければいいと考えたり、他人とは競争するものだとさえ考えたりしています。
    しかし、本来は全てのなかにあるひとつであって、ひとつのなかにある全体なのですから、調和ありきなのです。考え方はシンプルが一番。
    難しく考えたり、いくつもの答えにある共通性は、“おおらかさ”につながってくる。
    ちまたには、「OOが一番良い」とか、「OO健法ってどうかしら」
    「OO先生がOOでは上手」とか、「OO治療がOO疾患には効く」
    とか、枝葉末節のことを真剣に平気で当然の如く話している臨床家もいます。
    それでいいのか?私の問いかけは「アンパンマンのマーチ」のなかにある。

    「(前略)なんのためにうまれて なにをしていきるのか こたえられないなんて
     そんなのはいやだ! いまをいきることで あついこころもえる 
     だからきみはいくんだ ほほえんで (以下省略)」
    ついてないとばかりにイライラする人の顔、痛みに耐える人の顔を見て感じたことがある。
    今願っているのは、キミのしあわせ?ボクのしあわせ?
    いったい誰のしあわせを願っているのだろう。そもそも願っているだけでいいのか?
    心から僕は他人のことを、自分のことを感じ取っているのだろうか?
    まず、自分自身を知って学びとる意志を胸に抱えたい。
    「自力自療=操体の原理原則」
    元々は元気のある「からだ」を壊しておいて「すぐに治してくれ!」なんて傲慢に過ぎる。
    その結果が痛みであり、疾病であるならば、自分の生き方そのものが問題なんじゃないか?
    私の師匠三浦寛理事長は、師匠橋本敬三先生の意志を「継承」し、その言葉を誰よりも噛み砕き、天然自然の法則を学びながら適うために、無茶もして血を吐いたこともある。
    たとえ、この世でたった一人になったとしても・・・、コツコツ操体を耕していく人間である。そして他の道(治療法)へ逃げることなく、積み重ねることのできる素敵な人間。
    私はそんな師匠を持つことができて、本当に幸せだ。そんななかで自分も尊く感じるのです。どうもありがとうございます。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 「継承」〜dos〜その二

    「”難しい”、”できない”と言う言葉を使うな」慎みなさいと、三浦寛理事長は教えてくれました。それは操体に限らず、何かをを学ぶうえで、とても大切なことなのですネ。
    十年前に一緒に学んだ友人、数年前に一緒に学んだ友人に、これから操体を学びたい方へ僕は伝えたい。「操体ってよくわからない・・・」という言葉を口にしてはいけないヨ。
    操体について少しずつ知って生きたい」という言葉を口にしなさいネ。
    操体法操体は違う」
    これは、創始者である橋本敬三先生も話されている。
    社会一般に知られているのは、知られているのは操体法という治療の方法だが、それを操体と思ってはいけない。
    操体法に限らず、治療というのは要するに・・変化させる“おこない”のこと。
    突拍子もない例えですが・・・「玉子焼きをつくって下さい」と言われたとします。
    それに必要なのは何か、玉子と火、そして調理するヒトです。
    そこで出来上がったものは、一つとして同じ玉子焼きはできません。
    なぜなら、玉子の焼き方や調理器具にこだわる人もいる。
    卵そのものにこだわる人もいるし、盛りつけや食べ方にこだわる人もいる。
    けれど、玉子焼きになる前に”最低限必要”であり、何よりも重要なことに気付いている人は多くない。卵を作っている何か、火を生み出している何か、人を創造されたなにか。
    ワタシにとって・・・操体とは、生み出してくれるもの。
    だからこそ、三浦寛理事長は教えてくれる。
    操体を学んでいくということは、資質や品性を問われてくる」のだよ、と。
    すぐに結果の実をほしがる、実のできる過程を知ろうとはしない、そんな欲があるのが人間です。
    しかし、それを求めてくる人に与えていくことでは、欲の火は消えません。
    まして、油を少しずつ注いでいるように増していくのです。
    嫌なことを避けたいのが人間。
    しかし、それを正面から受け止めず逃げていたら、誰かが受け止めなくてはなりません。
    生きていくことは相互の交流ですから、言葉になる。
    だから、コミュニケーション以外の“何か”が問題となってきます。
    非言語による干渉は、一般的に見えません。
    耳で聴くこともできない、鼻で嗅ぐこともできない、舌で味わうわけにもいかない。
    それでも五感を通じて学習してきたことは、二通りあります。
    知識による好き嫌いと、本能的な好き嫌いなのです。
    ほとんどの人間は、大人になるにつれて知識に偏重するようですが、
    これは“色欲”でもあります。宗教によっては“罪”とか、“業”というのかもしれません。
    そして、操体では「楽」を欲張っているという状態なのかもしれない。
    植物や野生動物は、「楽」を求めたり、欲張ったりすることはありますか?
    人間からすれば「なんでわざわざ大変なことをするんだろう?」と、考えてしまうことを、
    ただ当たり前のように親から子へ伝えていますネ。
    橋本敬三先生は、「原始感覚を磨きなさい」と指示しています。
    これは本来、イノチの要求とは謙虚であり、他人と比較したり、「自分が楽をするため」に活動しているのではない。
    このようなことも徐々に理解できるようになります。
    なにより、生命の本質とは“在ること”だと思うのです。
    それは派手ではありませんし、刺激的でもありませんが、噛み締めるほどにわかってくる。
    これこそ操体で伝えている「気持ちのよさ」「快」なのであります。
    これが感じられるかどうか?でこの世の中が天国にもなり、地獄にもなるのです。
    それを選択し決めるのも、人間が産み出している“心”であれば、行動を選択できる自由は自分にある。

    十二年前の三軒茶屋三浦寛先生主催の東京操体法研究会で、一番はじめの講習時でした。
    「みんな、生きている今、遺書を書いてみたらどうだろう?」と、私達に問いかけられました。
    それから全く、思い浮かばず書いていなかったのです。
    折角ですから?今の時点で亡くなる前の遺書を書いてみます。
    「人間に生まれてよかった。僕は僕で良かった。そう思えてしかたありません。ありがとうございます」・・・こう書いておきたい。
    その為に操体を学ばせて頂いている・・・僕も橋本敬三先生のように、本気で生きていつか本気で死んでみたい。
    そして星に願うならば、彼方(かなた)から彼方(あなた)を包み込む愛になって生きたい。
    今日もありがとうございました。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 「継承」〜UNO〜

    UNOというカードゲームがあります。
    これはスペイン語のひとつ目を示す言葉なのですね、恥ずかしながら知らなかったのです。
    小松実行委員は、日本で一ヶ月前からスペイン語の勉強をしてきたそうで、持ち前のおもいっきりの良さに加えて社交的であり、ハグの国?スペイン滞在中には私達は勿論、現地の方にも喜ばれていました。ホテルのチェックアウトの際、フロントに部屋番号を尋ねられて、「ヨンイチキュウ」と思いっきり日本語で真面目に伝えた私を見かねて?そして数字の1さえ知らなかった私に「NHKテレビでスペイン語という番組が丁度10月から始まるので、それで勉強してみたらいいですよ。毎日五分でも聞いていておくことが大切ですよ」と、アドバイスをして頂きました。
    日本に帰ってきてから録画して見ているだけでしたが、何故か患者さんが私に最新テキストをプレゼントして下さいました。「ハイ!これはやらなきゃ(いけないんだな・・・)」と、重いお尻に着火しました。お世話様です、ありがとうございます。

    今回からしばらくのあいだ、自分の感じている「継承」をテーマに書かせて頂きます。
    私にとって操体を学ぶ上での、必須条件に挙げておきたい大切なことです。
    なぜなら、「イノチ」を扱うのですから。
    患者の痛みや愚痴を扱っているわけじゃないのですからね。
    (*継承を見ると、辞書では「うけつぐこと、ややかたい表現」とあります)
    「ソレは、ワタシに向けて意識の確認をします」
    ソレは、直接会ったとき、口を酸っぱくして言っていました。
    厳しいことを伝えてくれる人がいたら、その人はあなたの心の友人である。
    夜明けも沈まなければ、新たに迎えることはできないのだ。
    たった今、知ったいまから、しっかり切り変えなさいよ、と。
    いま、始めるということは、今を生きていることである。
    振り返って自分の生活基盤がしっかりできていない・・・そう感じるならば、
    自分のまわりとも良い状態にできておらず、何より迷惑なのは自分自身なのだ。
    上っ面ばかり見ていれば、面こそ流れているようでも、底の流れが違うことさえ見えない。
    するに他者関係の不幸とは、自分とのつきあい方があまり確立されていない事によるのだ。
    重要な順序が逆立ちしていることに気が付いていても、
    それに向かっていないところがある。
    肝心なことは自分のことなんだよ。
    これだけは自分で決めるしかないし、貴方の素晴らしさを知っているが故にもどかしい・・・。
    八方美人は、自分を通じて騙し続けることで幸せなのだろうか。
    徹底して自分を滅することで他者の共感を得られるのだろうか。
    中途半端では結果として、誰も幸せにできていない。
    自分の顔をまじまじと見つめなさい。
    思わずほころぶ笑顔をたたえているのか。
    いわゆる八方美人は、心の中で焼却されていくしかない。
    戻りながらも進み続けるしかない。それを感じて喜びに変えられるか。
    もう一度いっておくよ。厳しいアドバイスに頭で反応してはいけない。
    バラに棘があるように意味がある。思考しても良いが、そこにある香りを感じるんだよ。
    それができなければ、その棘のみ受け取れば、自分の良さも削ってしまう・・。
    自業自得と言う言葉、これは悪い言葉じゃない。
    誰かを責める言葉でもなく、そこに愛を感じること。
    「継承していく」と言う言葉に感じるのは、自分のみで決めてはいない、決められない事。
    自分で発する言葉にすれば薄っぺらで弱い。「言葉は天の意志」忘れてはいけない。

    「継承」というのは生半価なものではないのだよ。
    我を捨てて、自らの欲を削ぎ落とした先にしか見えない・・・。
    そういうものじゃないのかな・・・と。今日も、ありがとうございます。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • なんで生きていられるのか

    ただより高いものはないと言いますが、空気や水はその代表かもしれません。
     日本でも十五年ほど前から、ミネラルウォーターを買う事は一般的になってきましたが、
    思い出してみて、私の若かった頃には水など普通に売っていませんでした。
     それどころか、高校生の時に初めてお茶を自動販売機で売り出したのを見て、「なんでお茶を売ってるの?」と、不思議に思いました。
     静岡県静岡市は、富士の雪解け水もあり、川も山も多く、雨も多く降る豊かな土地柄ですし、
    お茶は家で淹れ飲むもの、というのが常識だったからです。
     まして(二十年前当時)には、水道水も美味しくて、
    カルキ臭など全く感じませんから、運動した後にもそのままゴクゴク飲んでいました。
     なので、初めて東京OィOOーラOドで飲んだ水道水の味にはビックリ。
    思わず入ってしまった夢の国だったからでしょうか(笑)
     初めて買い求めたミネラルウォーターを美味しく感じたのです。
     美味しい水って大切なんだな・・・本気で財布を見ながら感じました。
    さてもう一つ大切なのが空気です。そして、空気のような存在と言う言葉もあります。
    気にならない存在とか、意識されない存在としての意味で使われます。
    そして、無くてはならない存在とか、失って初めてわかる存在という意味もありますね。
    空気って・・・神サマのような、仏さまのような、目には見えないけれど有難いものです。
    水も大切で有難いものです。しかしどこでも手に入るというものではありません。
    その点で空気はいつでもどこでも、いくらでも、満足するまで吸い込み放題なのです。
    お金を請求されることもなく、誰に気兼ねすることなく、
    自分のペースで、体調に合わせて、必要なだけ遠慮無く頂けるものなのです。
    よく考えてみましょう。これこそ人間にとって一番有難いものであり、これこそ無くては生きていけません。今のあこがれの人も、過去に存在したあの人も、未来に産まれるあの人も取り入れるものですから。
    なにより、大切なことは”自然”にできるように・・・と。(神サマとか仏さまかわかりませんけれど)元々あるものなんだから、勉強しなくてもできるようにしてくれたんでしょうネ。
    (しかも、それらを勉強する喜びを、しっかり残してくれた理由もあるように感じます)
    だから、それを通じて教えて頂く事もできるわけです。
    これを通じて私も少しずつ、謙虚な人間になってきました(数年前とは全く別人のようです)。
    そして今もなお、操体を通じ「息・食・動・想・環境」とは何か常に真剣に問いかけています。
    お蔭様で私達は三浦理事長のもと、操体の最前線で学び、操体の根本を教えてもらえるのです。
    ところで聞いた話ですが、
    実際に無酸素状態の部屋に知らずに入り、一息吸い込んだ人間は失神してしまうそうです。
    アラ・・・失神ですって!(サア皆さんも大きく笑って笑って)
    駄洒落ですか?い・・・いえ本当の事です。生かされているのが人間という分かり易い例です。

    聖書によれば、神は「光あれ」と言っています。
    光は空気と連動しているように感じます。そして地球という生命体を循環させている。
    ということは、光あって、空気があり、そして水を海に帰し、その間にイノチを育まれる。
    その循環の中に私たちは存在しているのでしょうネ。
    私たちは、自分の生き方を、息のつきかたに学んでいく必要があるのではないでしょうか。

    しかし変な話、息を吸っている時に「プ〜ッ」ってあるじゃないですか(しないって?)
    ワタシも日によって、腹の黒さ加減か、自分のオナラながらクサい時があります。
    ムムゥ・・ワタシの子供のオナラも三歳の割にクサいな・・。
    エッ・・アナタのオナラは十倍臭いって?(家内談)それはどうも失礼放(こ)きました。
    そう言えば、虫垂炎手術をした時に言われたことがあります「オナラが出たら教えてね」と。
    看護婦さん(当時は看護師でない)にいわれて、どうして?と、聞いたら・・、
    「ボクの”からだ”がね、元気の声を伝えてくれているのよ」と言ってくれましたっけ・・・。
    そっか!お腹の皮膚を通した空気=オナラさんゴメンなさい。遠慮なくどんどん出てきてネ。
    と、落ちが付いたところで、また明日!ありがとうございました。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 大丈夫マイフレンド

    「ハイ」今日も元気です、ありがとうございます。
    間にあって頂きたいの・・(キミマロさん風)
    争う 競う 闘う 相手がいなければ成り立たないことですね。
    喜び 悲しみ 怒り 不安 自分のなかで感じ取っていることです。
    老子の有名な言葉に「足るを知る」とあります。
    操体では橋本敬三先生が「人間はうまれる前から元々救われている」といいます。
    これはとても大切なこと、 同じような意味を含んでいるように感じます。
    ある実行委員勉強会の時、三浦寛理事長は、
    成長することは、「せいちょう」の文字で表すことが出来るんだよ。
    一つには「肉体の“成長”」
    一つには「霊的な“生長”」
    この二つがある、と黒板に書いて教えて頂きました。
    そもそも自分が「生かされている」とは何でしょう。
    天然自然の法則のなかで生かされているからこそ、知らなくてはならない責任も生じる。
    ここで橋本敬三先生のお話しされていた“報い”と“救い”が浮かびました。
    この二つの調和をはかりながら、自分自身という軸を立てることは大切です。
    ワタシも子供だった。そして子供と一緒にいる時、ふと教えてくれることがあります。
    軸には縦の軸と横の軸があり、その中心に位置して産まれてくるのかもしれません。
    操体で学ぶことは、自分に当てはまってくることですから、
    からだのことを真剣に学び、心を耕すことを真摯に学ぶことは、
    日々成長し、生長する自分を見つめることなのかな・・・と、そんなことを感じています。

    このことは、橋本敬三先生が操体を学ぶ方の指針として残してくれたことであります。
    そして三浦寛理事長を通じ“今もって”私たちに教えてくれていることなのです。
    それこそワタシ自身が操体から学ぶ姿勢に通じることなのです。
    あの世があるかどうか、そんなことは自分で決めたらいいのかもしれません。
    しかし、この世にいる間は「自己責任生活」として、大切な営みをもって欲しいのです。
    一つに「息」を継続して学んでいく意味であり、
    一つに「食」を通じて学んでいく姿勢であり、
    一つに「動」を通して識別していくことであり、
    一つに「想」を観じて見つめていくことではないのでしょうか。
    それは生き方そのものであって 意識の指向形態とも言えるかもしれませんネ。
    そういえば、先日の東京操体フォーラムインスペインでお世話になった、
    小野田先生は本当に操体を大切にして下さっています。
    ワタシはハッキリと感じました。やはり私たちの大先輩なのです。
    指圧の世界で有名になり、スペインのマドリッドに学校を構えて活動し二十五年以上お弟子さん達を育てながら、更に操体の神髄そのものをお弟子さんに伝えようとしています。
    余談ですが、小野田茂先生とお話ししているときに、よく「大丈夫だよ」と言われます。
    この“大丈夫”と言う言葉は、素敵な響きを感じますネ。
    このすべての文字に共通して“人”が使われている。
    三つも入っているのですから意味深長に感じますし、そこに大きな意味もあるのでしょう。
    ここで終わったら・・・尻切れトンボかもしれません。
    けれど、これ以上書き進めるとワタシ特有のクドさが爆発しそう(笑)なので、
    今日はこれで失礼します。ありがとうございました。

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    2010年8月、社団法人日本操体指導者協会を設立しました。

  • 太鼓の達人になりたい

    オイッス!(チョーさん風)ハイ!ありがとうございます。
    王子とか言われて恥ずかしい(でも嬉しい)オラ!ムーチョ岡村が担当する一週間ですよ〜バ・バン・バン(皆さんついてきてますか?)
    今回のブログでは、「操体フォーラムINスペイン」のことを書きたいな〜と思っていましたが、
    同志である山本(実行委員)監督と秋穂(実行委員)議長に書いて頂いたので満腹?気味にもなっていますよね。(本当のことを言えば「東京操体フォーラム」の“ナイトセミナー=懇親会”のようなことをここでバンバン書いてみたいのですが・・・笑)
    近くの国ではなく、飛行機でも合計で十五時間近くかかるヨーロッパですからね。
    意識の変化たるや凄まじいものがありました。(時差ボケも相当凄かったのですが・・・)
    ですから、様々な方にもお世話になり、内容は勿論、今回の機会を頂いて大変感謝しています。
    三浦理事長もスペインでお話ししてくれましたが、
    想像(イメージ)というものに実感(リアル)が伴うことで、より鮮明に脳に伝わる。
    スペインとトルコに自分の肉体を介して、師匠と同志の波動を深く感じる機会でした。
    ワタシもこのような体験を通し、脳に新たなる波動を通すルートが出来上がったように感じます。
    ふと思った事ですが、「祖国」という響きには、何とも言えない哀愁が漂っていますね。

    そういえば、海外によく出かけるワタシの弟と話をしている時、「その国に昔から伝わっているものは、子供から老人まで共通するスピリットでつながっているんだヨ」
    「ジャマイカに行っているとき、向こうの人達はみんな、ラスタマンなんだよな」
    ラスタカラーが大好きで、お爺ちゃんも手を叩く、
     若者もみんなリズムだけじゃない、レゲエを愛しているんだ」
    ふむふむ・・・確かに。音楽は民族の想いを乗せているだけでなく、文化を担っています。
    そして、患者さんでフラダンスの先生をされている方に教えて頂いたのですが、
    「元々古典的なフラ・カヒコは男性が踊っているもので、神に捧げるものですから」
    「だから、一般的な“フラ”のイメージと違うのヨ」
    なるほど・・・そうなのかな?
    興味が沸いた私は次女を連れて行き、実際にみせて頂いたのです。
    すると、響きのある”イプヘケ=太鼓?”は確かに違う。
    何というか・・アニミズム的というか、踊りを超えて天に向かい、
    何かにスピリッツを共鳴させているのが、私の肉体を通して伝わってきました。
    (隣にいた次女も無意識にムズムズしていました・・・)
    共振とか共鳴には、周囲と同調していく働きがありますよね。
    物理学でも証明されている、「ホイヘンスの振り子時計」という現象があります。
    音の鳴っていないギターの周りでギターを弾いているだけで楽器に同様の共鳴現象が生じ、結果として音が鳴る。このような現象も研究されており、その応用も科学的に検証されていますね。
    それこそ分野を問わず様々です。
    リラクゼーションミュージックで有名なα波(脳波の一種)。
    接骨院・治療院でかける電気治療でも、”1分のfゆらぎのリズム”とか書いてあります(笑)
    このような共振の波動を感じる意味はなんでしょうね。
    味わえばいい比べなくてもいいって事なのかな?
    ワタシのようにリズム感がないと思い込んでいる人間でもいいんです。
    人間でもそれぞれに敏感なところ、鈍感なところがあっても良いんです。
    感じていたらそのリズムに合ってしまったりしてネ。素直になるって事は大切なことなんですね。まず認めて、受け入れることからはじまるわけですから。
    それは結果として、とてつもなく大きなエネルギーを生む、その平和活用そのものでもあります。
    そういえば、昔読んだ本にも橋本敬三先生の本にもメトロノームを使った想念の話がありました。
    ンッ?ピンと来たぞ!!我が国には、ニッポンには操体があるじゃないか!!

    そして音楽には、様々なことにつながっているヒントが頂けるのではないでしょうか。
    ワタシの習ってきた鍼灸・指圧は勿論、捨てることなく活かす事になる!
    色々なものに通じ、行われている臨床にも通じるような・・。
    ここで大切なことをあなたに問いかけたい。
    感動とは、ナニが感じているのか?ナニを感じているのか?
    貴殿の臨床に、貴女の生活の彩りに、「コレなのよコレ」がきっと見つかる。
    そうです。つながるキーワードは、い・つ・も「操体フォーラム」へ行かなくっちゃ(ハイ)
    そうなのです!開催待ち遠しい来月の「秋期東京操体フォーラム」では、
    日本音楽療法学会認定音楽療法士東邦音楽大学専任講師の平田紀子先生をお招きいたします。
    ワタシは勿論、皆さんも愉しみですね〜!参加待ち遠しい〜ですね〜!
    我こそは!いざ参らんという皆様のご参加をお待ちしておりま〜す。
    ところで・・私のブログも一週間あります、こちらも宜しくどうぞ!!

    岡村郁生

    新刊情報:皮膚からのメッセージ 操体臨床の要妙Part 2(三浦寛著)、たにぐち書店より発売。 
    11月20、21日千駄ヶ谷津田ホールにて2010年秋季東京操体フォーラムが開催されます。
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  • 御神輿〜人間合格〜

    ここにある私達人間を優しく見守り、生きている実感を味わえる。

    公平に俯瞰的に観察することが出来るのは・・・なんでしょう。

    見ようと思っても見えてはいないけれど、感じることが出来たら感(み)えてくるもの。

    操体で言えば、「太極」の意志であり「自然法則」でしょう。

    ハイ。なんだか幸せに少し、似ているような気もしますね。

    受け入れる「自然の法則」を丸く、まるく・・・・納めていく。

    「快」をききわけて「イノチ」そのものを体感している ”マ” にはミソがあります。

    つまり、橋本敬三先生の言葉 「間に合っていればいいんだ」 とは、学んでいくたびに変化していくのです。

    ある時、この”間=マ”について、畠山常任理事は熱く語って教えてくれたのですが、

    「自分にとって都合のいい解釈して満足したら・・・・操体のプロとしては失格!!(バッサリ)」

    その姿をパッと見た時の印象と違って?操体に関して断然、畠山常任理事は熱い!!(永井豪ダイナミックプロ系?)

    大切なこと、本物の操体を伝えていくのだという強い意志、操体に対する熱き血潮がほとばしっている。
    (見た目は少女漫画系でも80年代の少年ジャンプ並に熱いのです!カシラの風格漂います)

    三浦理事長と共に「操体」に向かう姿勢は半端ではない。

    同志を超えた真摯な存在に、向かい合って学ぶことができるからこそ、本気でなくてはつとまらないこともある。

    先人の知恵として伝統的に受け継がれてきたものを、更に磨き上げながら道をつなげ、次の世代へ責任を持って伝えていく。

    操体」その為になら・・・と、自分の「イノチ」を捧げていく人生も在るのだ。

    話は変わりますが、・・・さ〜て、皆さん間近に迫ったワールドカップ。

    「ガンバレ日本」の代わりに「OOO日本」で応援するならば何を入れますか?

    橋本敬三先生の言葉の中にある、「バルの戒め」

    このなかにある「頑張る」ってことは、なぜ、戒めなんでしょうか。

    「縛る」 「威張る」 「欲張る」 そして、「頑張る」

    「言葉の統制」を大切にされていた橋本敬三先生の言葉をかみ砕いていく。

    一般常識という表現、普通という比較に、人間がつくった現実をどの程度信用してで良いのか。

    戒めの理由その理由とは、一つのシンプルな答えに導かれているように感じます。

    人間が科学・医学・様々な研究の進歩によって出来るようになったこと。

    僕が小学生の頃、夢に見ていたこと。それは人間に良く思えても、

    便利なことは「イノチ」に良いことばかりではない。

    可能性を追求して可能になったことは、すべて許されても良いのではない。

    大自然とは、どんなに人間が努力して抗っても、すべてを飲み込んで「無」にかえしてしまうのだから。

    海は浄化作用を司る象徴であり、全く交わらないとされる油と水さえも時間と共に、融合してくれる。
    (勿論、人為による災害は責任を持つべきであるが・・・)

    そして、明日行われる「臨床家による操体セミナー」その記念すべき第一回に参加する前に、

    その下見を兼ねて、千葉に行ってみたとある場所。。

    谷津干潟

    朝早くの美しい干潟。そこは散歩する人、運動する人が多い、のどかな憩いの場所。
    野鳥が多く集まるバードウォッチングの名所。

    そして、世界でも保護されている「ラムサール条約」の湿地としての姿があった。

    ここの場所は、埋め立て予定地だったが、たった一人のある「意識」により、
    一人の人間が様々な「心」を変えていく。

    埋め立てを進める地域住民の「意識」を変え、腰の重い行政をうごかし、

    ある「意識」で世界の条約に繋げた、僕の一つの理想がそこに現場となって存在した。

    簡単に言ってしまえば、ゴミ捨て場と化していた不衛生な干潟を、
    ”たった一人の人間、森田三郎氏”が毎日、毎日ゴミを拾い続けた結果なのだ。

    それは、たった今をも生きていた。

    「我が青春の谷津干潟〜ラムサールへの道〜本田カヨ子著」

    人間の「心」とはいったいなんだろう。

    「余計なことをするな!」「お前がそんなことをするから埋め立てが遅れてるんだ!」

    森田氏は、変人扱いされ、度重なる罵倒を受け、肉体的にも追い詰められながらのゴミ拾い。

    「ゴミも一杯見てきたけど、人の”心”もいっぱい見てきたよ」

    たった一人で悪臭漂うゴミの干潟に入り(残飯、医療廃棄物、魚・動物の死骸、鉄骨に木材・自転車に家電など)
    雨風でも夏の悪臭漂う中、ゴミ拾い。
    早朝の新聞配達の後、毎日昭和49年からずっと・・・ゴミ拾い。それを何十年も続け、交通事故にあっても杖を突いてはゴミを拾い。
    若い頃に貯めてきた貯金が減っても、明日の食べ物の心配をしながらゴミを拾い。結婚できなくても、車を買えなくても、テレビもクーラーも冷蔵庫さえも買えなくとも、自分の給料の中でゴミ袋・長靴・手袋・スコップを買い足しながら、延々ゴミを拾い続けた。

    「何故そんなことをするの?」という質問には、意味がない。
    そんな理由を陳腐な言葉にすれば、「真理」が霞むだけだ。
    感じない人間に無益な説明したくないし、できるはずもない。

    森田氏は言う。

    「ゴミを拾い続けた理由?オレにもわかんねえよ。このヘドロとゴミの下に、オレがちっちゃい頃チンポコ出して遊んでた干潟と砂があるんだっていう思いじゃねぇかなあ」

    「最初から汚いところなんてないんだよ。自分たちが汚しておいて『臭い汚いから埋めろ』それはおかしいんじゃねぇのと思った。

     オレたち大人が汚しておいて、臭いから汚いから埋めろっていうんじゃ子供たちにどうやって弁明するんだ」

    「子供たちに残さなきゃいけねぇものってのは、考えや理論じゃねえ。現物そのものでしょう」

    私は、森田さんの行動意識は操体だと感じている。

    「病気はネェんだ!って 何べん言って聞かせてもわがんねェ」(橋本敬三氏語録)

     「いい”からだ”してるんだから・・・」(DVD橋本敬三の世界より)

    もともとの「からだ」はいい。それは「救い」の世界観(橋本敬三生の哲学思想)でもある。  

    そして自己責任分担(息・食・動・想・環境)の意味。そのものを感じさせてくれる。

    ・・・僕は・・そこまで出来るのだろうか。省エネ、エコロジーロハス、ナチュラルライフ・・・環境保護。

    人並みの生活を犠牲にしてできるのか。自分と同じ様に、他人を愛せるのか悩む日もあったけれど・・・。

    しかし、今なら言える。

    人間には”道=タオ”があってネ、ウンそうだよ。いわゆる”間=マ”なのかもしれない。

    それぞれの学びに、遣わされている役割ってのはあるかもしれないネ。
    それは一人一人の人間にあるからネ・・・。
    比べることはしないことサ。自分にもともと在ることを感じる瞬間こそ大切なんだ。
    大きな事は小さなことなんだ。狭いことは広いことさ。イノチはどこにでもあるよ。感じればわかるだろう。
    気がついた時に、身近なところからで良いんだよネ。
    (やっと・・・ききわけたな〜祝福ッ!いつも、ありがとうございます)

    操体は僕に訴えている。

    そのサインを求めれば、「宇宙意識」という「意識」は、大きく答えてくれる。
    三軒茶屋の仙人、橋本敬三師の想いを知る、私は学び続ける夢を抱く希望を感じる)

    答えてくれたことに感謝し、更に敢闘する。常に謙虚な心で受けとめる。

    つながっているのか。自己を磨いていけ。そして共に目を開いていこう。学ぶことに、受け取ることに、妥協するなよ。焦るな。無理をするな。

    一歩づつ進んでいけば、それは結果としてシンプルに納まっていく・・・「快」を学ぶ。 

    いや、長いブログになっちゃいましたぁ(汗)

    色々と愉しみなイベントが盛り沢山目白押しの東京操体フォーラムです。これからの次世界列車(アンドロメダ行き?)に乗り遅れないように、お付き合い下さい。

    と、いうことで、岡村に長々とお付き合い頂きまして、一週間本当にありがとうございます。

    明日からは、みんな待ってた日下実行委員の登場です。お楽しみに〜!!

    岡村郁生

    6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催

  • 乗るなら波、図に乗っちゃ・・・メよ。


    (とうとう甲長30センチになった近所のアイドル=ケヅメ陸亀、ちなみに溺れます、亀なのに・・・)
    昨日は朝早く起きて湘南の海に入ってきました。
    海が近いのは嬉しいっです!いやァありがとうございます。
    (ちなみに、オフショアで膝〜腰、セット腿。面ツルでロング向きの厚い波で乗りやすかったのです)

    亀と言えば、浦島太郎の物語、ドラゴンボールでも、亀は好意的に描かれたりすることが多いですね。
    寿命も長く、穏便なイメージがあるからでしょうか。

    ちなみに、ノコ(家のリクガメの名前)の甲羅には、六角形(オクタゴン)模様?があり、
    サッカーボールの模様のようになっているわけです。
    これはハニカム構造といわれて、ある特徴があります。

    強度を持たせやすく、”本来弱いものを強い構造に組む”ことが出来る。
    三角型や円に比べ、圧倒的に”少しの材料で最大の面積を埋める”ことが可能となり、
    これは現在も、紙からプラスチック、鉄骨などで応用されているそうです。

    自然界の代表的なもので言えば、ミツバチの巣ですね。
    圧力に強く、構成に材料が少なくて済むのでぴったりです。

    ちなみに、
    操体にご縁がある数字は”8=エイト”です。
    これとの違いは、考えてみると面白いのです。なるほどなァ〜とも思うわけですネ。

    使い勝手を決めて限られたものではなく、
    自由なものを構成する為の最低限度の単位・・・というのはいかがでしょう。

    そして、「操体」の「動」は、なんと言っても・・、
    からだの使いかた、うごかしかた(=般若身経といいます)は、基本中の基本です。

    それは、三つの法則に二つの相関性です。
    「重心安定の法則」、「重心移動の法則」、「連動の法則」
    「目線との相関性」「呼吸との相関性」であります。

    これは面倒ではありません。
    理にかなっているのからこそ「からだ」になじんでいきます。

    ですから、もともとはそうなっているのです(だ・か・ら・法則と言うのですネ)
    コツコツ学んで身につけてしまえば、ウ〜ンと自由になる。

    興味がある段階から、一歩踏みだす意思はあなたにあります。
    「からだ」はそれを静かに見守っています。

    自分に優しくて「イノチ」に厳しい生活の中では、
    小さなこと、大きなことのバランスを保つのが困難です。
    それでは”軸”がブレやすいのです。

    ちなみに、
    「図に乗る」とは、
    「思い通りに事が運ぶので調子に乗ってつけあがる」ことであり、

    「波に乗る」とは、
    時の流れに上手く乗って栄えること。調子に乗って力を思い切り出す」ことです。

    要するに、理に適っていればこそ。と言うことなのです。

    分かり易く、学ぶほどに
    ”シンプル”になっていくのは、「操体」を学びつづける醍醐味であります。

    さて今日は、昔話を一つ・・・。

    構造・構成にはミクロの世界においてマクロを含有している。
    小さなものは大きなものを写しだしてくれます。
    しかし、小さなことに囚われていては大きなものはみえにくい。
    大きな視点で小さなものを学ぶ意味。そんなことを感じます。

    東洋医学的発想の特徴として、局所を診て全体を診るのには、
    「脈診」「腹診」「舌診」「顔診」「足診」等がありますネ。

    十年以上前になりますが、東京の渋谷に柔道整復学校があり、祐天寺経由で目黒地蔵通りに住んでいました。

    当時、個人経営の整形外科・内科で働いておりましたが、鍼灸マッサージとリハビリ補助、ほかにも院長のお手伝いとして、
    レントゲン撮影の補助、漢方薬の処方補助、なぜか院長室の水槽で飼っている「ピラルクー」の世話もしました。

    その院長は台湾出身で中国では中医師でしたが、日本に来て医学部に入り直し(中国の医師では日本の医師になれない)
    晴れて日本の医師となり、生薬での漢方処方、中国針での治療も取り入れて、リハビリには特製漢方温浴をしていたり、
    一風変わった診療所でしたから、私は働きながらとても有り難く勉強させて頂きました。

    東京で社会勉強もしましたね。院内でも一番若かったからでしょう。面倒見のいい患者さんも多く、色々な意味でかわいがってもらえました。
    (そういえば、雅叙園と言うホテルの中にあるトイレで、スッテンコロリ腰を抜かしそうになったナア・・・)

    臨床での院長は西洋東洋のミックスであり、診察でも視診・脈状診が得意でした。
    現代の投薬のみならず、漢方や鍼、棒灸、をおこなった上で経過を観察しながら、患者の片腕を取り、

    「オウ、ずいぶんいいネェ、これならダイジョブよ〜」

    「ウ〜ンッ、それじゃこれ飲んでみて、甘いもの控えて〜」と、言う具合なのです。

     変に童顔な院長ですが、ある時、急ににまじめな顔をして患者に、

    「あなたは一回精密検査をしなさい」 と、言ったときがありました。

    あとから不思議に思い、どうしてですか?と、尋ねてみました。

    「それはネ〜こんど分かるよ〜」

    患者さんが再度来院し、検査結果を見せています。悪性腫瘍の初期だったようで、お礼に来たのでした。

    なぜ?私はマンマルに目玉を丸くして、「どうして?わかるのですか?教えて下さい」と、矢継ぎ早に尋ねました。

    その時、教えて頂いた言葉は、未だに忘れられません。

    「これは教えられるものじゃない、これは私にしか分からないヨ〜」

    「そう感じたから、間違いないと思ったから伝えただけだからネェ」

    その後結局、種明かしをして教えてくれたのですが、(もう時効なので院長、書いちゃいますヨ)

    中国で医者をしていた時代に、本気で伝説の名医がが出来たのであれば、私にも可能性があり、
    脈状だけでも、何かつかめるはず。それに挑もうと決め、後はひたすら患者にお願いしては脈を取り、
    疾患別に、年齢別に、入院患者の共通している脈状を、必死に感じ取っていたそうなのです。

    「だからできるんであって、感じていたことの経験は、言葉だけじゃ教えられないネ」

    その時はわかっておらず、言葉だけでそうなんだ・・・残念!と、あきらめかけていました。

    それが、どのくらい大切なのか。

    それこそが、どんなに大切なことなのか。

    まだまだその時は、「知識の詰め込みでも何とかなるさ」と高をくくっていた私。

    大きな低気圧がやってきて、気圧配置が東低西高になり、稲村ヶ崎に大きな波(稲村ジェーン?)がやってくるように、

    満を持して三浦理事長に出会うのは、それから3年後のことでした・・・。

    歴史に意味を持たせるのは、知識ではない。

    それはおまえ自身の”意識”によって始まるのだ。

    人から教わって何となく伝わったように感じても、自分で感じられなければ感じていないのだ。

    自分で伝えたいことが、じぶんでやっていることに繋がっているかい?

    ぬむう・・・。この声は誰だ?(でたな〜祝福ッスね〜)いつもありがとうございます。

    岡村郁生

    6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催