カテゴリー: 岡村郁生(おかむらいくお)

  • ひととなり

    修行すればするほどバランスよくなってくる。
     
    軸をどのように受け取るのか、それも修行のプロセスになる。
     
    そこから上下連動、左右連動、上下対角の連動も体感する。
     
     
     
    名人・達人は一代限りというという時代もあったかもしれないが、 
     
    深化した軸に学び、連動をよく習得しうる現在の修行においては、
     
    その常識さえも非常識となり、当てはまらなくなってしまう。
     
     
    つくづく、良い時代に生まれたものだと感じる。
     
    これからの「操体」は、いきむこともなく、りきむこともなくなる。
     
    よどみなく真理を継承できる時代に、あなた自身は修行しているのだ。
     
    師と弟子の継承においても、深化という感性も必然だということだろう。

     

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  • オウンリスク

    非日常を意識していればこそ、感性磨きになるようだ。
     
    現象としての生命、その語りかけに響くものを受け、
    味わうことで「からだ」との接し方は始まっていく。
     
     
    なので、今置かれている生命環境を招いたのも意識である。
     
    多くは、病や別離、負債をきっかけにする場合もあるだろう。
     
    ただ、+エントロピーを伴うしがらみごとに関与せずとも、
    様々な味わいを否定しない価値基準を持つことができたらいい。
     
    生きるというすべては、”オウンリスク”・・・なのである。
     
    そのことを知り、わきまえ、生きるということは、
    それ自体で「感性」を磨くことになっているのだから。
    誰かに文句を言うこともできない。
     
    すべてを自分で判断し、自分の責任によって成り立っている。
     
     価値のある瞬間、とどまることのない生命現象において、
    「からだ」は常に「非日常からの日常」の「今」となる。
     
    だから恐れない。
    非日常も感じ、日常の「からだ」に感謝できるようになっている。

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  • ホントの自分に変える

    かんじるものは、かんじるもの。

    感性を磨こうとするには、まず「からだ」を知ってもらいたい。
     
    漠然と「からだ」といっても、色々とらえかたはあるだろうが、
    息ある「からだ」は、日常の欲望や生活習慣では、縛られない。
     
    然り、わかってしまえば、わかる。
    色々な捉えかたも、その意識により生じているだけなんだ・・・と。
     
    命の循環、営みと共に、動的均衡する恒常性も感じつつ、
    共に、無理しない、肯定する、素直に受けとる循環を意識で学ぶ。
     
    朴訥、実直、素直でいられる覚悟に、ますます感性も輝く。
     
     
    認めたいから見ているだけじゃなくて、
    認めたくないこともとりあえず受けとる。
     
    そうなると「からだ」から、自分を観てくれていたんだ・・・と、
    「からだ」からホントの自分を認識することもある。
     
    意識による接しかたで、「ホントの自分」との出会いは始まる。
     
    変わらないために、変わりつづけるホントの自分を受け入れる。
    それは、「からだ」を通した変化の伝播、組織の改革の根幹。
     
    そう、自分自身と共に、呼吸は常に相関し、生きている。
     改革の主人公、自ら進んで変わる強い覚悟をイノチに学ぶ。
     
    イノチある自分自身は、今も、生まれる前の存在なのだから、
    呼吸し理解できることに無理は生じることもなく、必然なのだ。

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  • わきまえる

     『さびしい時はさびしがるがいい。

      運命がお前を育てているのだよ』
           (劇作家、倉田百三氏の「出家とその弟子」より)
     
    大正~昭和に活躍されていた劇作家の一文。
     
    人生には、どんな瞬間であっても価値があると励ましてくれる。
     
    意識により、言葉に自分自身の人生を重ね合わせることで、
    何気ない日常に価値を持たせるのも、感性との相関性だろう。
     
    その価値には、秀逸な意味を感じる。
     
    人から見て凡庸に見える人生であったとしても、
    本当かどうかは他人にはわからない。
     
    それを決めているのは”意識”であって、それを受け取り、
    明白か混濁か・・・意識するかしないかなのだから。
     
    意識は、日常の自分の意識と異なっている明確な意識もあって、
    三次元を超えた、日常にはない意識も感じ取ることはできる。
     
     
    そこを認識すると、普遍的な価値を伴なうことも認識できるし、
    自然の営みの有難味を味わって、愛おしさや感謝の心も識るだろう。
     
    『そうなっているんだ!」と合点を打つ。
     
    ・・・となれば、自然法則も自覚もするし、それを応用しうる。
     
    そのことを知り、わきまえることは「感性」だろう。
     

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  • 価値ある瞬間

    今週の担当は、岡村です。

    「感性・センス」でつらつらと綴ります、よろしくお願いします。
     
    <感性の価値>
     
    日々積み重ねている日常は、
    どこからどこまで価値のあるものなんだろうか。
     
    作業なのか、仕事なのか、雑事なのか、
    追われているのか、追い込んでいるのか、同時相関しているのか。
     
    過ごしかたひとつで価値は変わってくる。
     
    生活していると、かけがえのない瞬間よりも、
    早く過ぎ去って欲しい瞬間もある。
     
    そんなとき、どうすれば自分自身の「瞬間」を、
    いとおしく思えるのだろう。
     
    それに叶い続けるならば、自分自身を嫌いにならないで済む・・・
     
     
    貴方の感性ではどう時間をどう捉えているのだろう?少し考えて欲しい。
     
    そもそも、地球上に住むすべての生物は、
    時間という”概念”を共有して、生かされている。
     
    個々の捉え方によっても、感性は通じているのだろう。
    過ごし方による「生死」は、長いか短いか、苦痛か安楽に、正解などないのだから。
     
    ただ言えるのは、時間、それ自体に価値も理由もないという事実だろう。
     
    なぜなら意識こそが未来であり、
    そこに意味を持たせるのは、いつでも今を生きる「自分自身」だから。

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  • シンカの行方⑦

    最終日です、よろしくお願い致します。

     

    「時間」と「空間」に共通するのは「間」です。

    では、有機と無機を結びつけている「間」とは、いったい何なのでしょう。

     

    量子物理学的にいえば、「様々な性質を帯びた空間」であり、宇宙の放つ光と

    地球の重力のかかわりも含み、熱力学的関係性においては、電磁活動における

    動的平衡」の舞台にもなるようです。

    これは、人間の目には見えなくとも、宇宙根源の媒体となっていそうですね。

     

    例えば、宇宙惑星において地球だけに「粘土」があるのですが、これは親和性に

    富む珪素を様々な分子構造において、有機と無機を親和させることができます。

    この「間」は、生物と無生物のあいだに介在し、「進化」を支える”支点なの”です。

     

    では、生物における「熱力学第二法則」の矛盾を解き放つ”鍵”とは・・・。

    (第9章「動的平衡とは何か」参照)

    生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

    生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

     

     

    このブログの前回の続き、「脳脊髄液」を語る前に、「熱力学」における熱エネルギーの収支バラン

    ス、この謎を解く大きなヒントとなる、”生命現象は、「動的平衡」の流れ”にあるわけですから、

    秩序は、守られるために壊され、プロセスにより「進化」における「進歩」は発生するのです。

     

    つまり・・・有機物と無機物のあいだを紡ぐからこそ、「生命現象」はバランス現象となる。

     

    生命とは、新陳代謝する継続的変化のことであり、変化こそ「進化」の軸となるのですから、

    ルドルフ・シェーンハイマー氏の着眼点で「変化」を予習されることをオススメします。

    なぜなら、ルドルフ・シェーンハイマー氏の発見した功績を、あまりに現代医学は無視しすぎた

    ままで、最新の医学機器におけるミクロの世界観を築いてしまったのが現代の医学ですからね。

     

    「知る悲しみ」に通じるのは、何回も述べてきたように、「時間」に囚われて「空間」を見ない盲点で

    あり、「目に見える、目で確認できる」現象界に囚われている固定常識によって、現代医学臨床

    において、「呼吸」する「脳脊髄液」の同時相関相補性を無視したまま、現在に至っています。

     

    では、最後になりますので、「脳脊髄液」の真実をここに表しておきます。

    「皮膚」には「自由神経終末」が届いており、「皮膚」組織内「ケラチナ細胞」との連携によって、

    「制御性T細胞」の働きと、「樹状細胞」の一つ「ランゲルハンス細胞」は、「皮膚」内の微小循環

    の主役である「毛細血管終末」を介し、末端においても「脳脊髄液」は「リンパ液」にも吸収され

    るのです。

     

    また、12対ある「脳神経」は、”脳直結の神経組織”でありながら、いわば「消化器系」のために働く

    神経であり、「目・鼻・耳」を通じて、確実に「小腸」への情報の伝達やその調節に関与しています。

     

    人間の場合、「快情動」も含む感覚情報は「間脳」を必ず中継し、そこから投射された大脳の情報

    を、脳の報酬系と言われるオピオイド(A10・A9系神経のドーパミンセロトニン等)と、「皮膚」の

    「接触(=空間情報認識作用の意)」によって、下垂体後葉からのオキシトシン分泌調整をおこない、

    副腎皮質と連動し、抗ストレス作用として「不快情報」を「快情動」に偏重させることで、からだ

    を通じてストレスを受けた「からだ」そのものへ、”癒やし”として働きかけているのです。

     

    この自律機構は「空間」を介した分子の瞬間移動による、「量子テレポーテーション」なのです。

    つまり、これは、”物質の移動があるかどうかを問わない”ので、そのような自立制御機構も可能と

    なっているところは、”ミソ”(=脳)のなかの”ミソ”ですね。

     

    これこそ、第三の循環系と言われている「脳脊髄液」による「情報の瞬間転写」のカラクリであり、

    1914年のウィード氏が発表した誤った「脳脊髄液」循環を、1982年に「中山の孔」を発表した中山氏・

    橋本一成氏の墨汁実験により、1世紀に渡って間違えたままであった「脳脊髄液循環」の「真価」は、

    2003年に改訂され、2005年に発刊された藤田恒夫氏の解剖学著書に記載されました。

    入門人体解剖学 改訂第5版

    入門人体解剖学 改訂第5版

     

     だからこそ、これは、操体フォーラムブログに書き留め、遺しておきたかったのです。

    (今回のブログで、皮膚の真価を語り尽くせぬのは残念至極となってしまいましたが・・・またいずれ)

     

    さて・・・最後のブログは駆け足気味であり、反省点も多くあります。

    操体」のブログなのに「ユックリ」した洞察とならず、読みにくい点も多かったと思います。

    ここにその点を深くお詫びしておきます、ごめんなさい・・・。

     

    では、そろそろこのあたりで失礼致します。

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。

    明日は、「Evolution」の実体化している生きる「真価人」日下実行委員の登場です、お愉しみに!

     

     

    2016年9月[新創生期操体法特別臨床講座](http://www.sotai-miura.com/?page_id=1018) 開講!

  • シンカの行方⑥

    六日目です、よろしくお願い致します。

     

    まずは、前回のブログを補っておきます。

     

    「熱力学」と「空間」、「皮膚」と「重力(=地球感覚)」を結ぶのは、熱エネルギーの移動、

    そもそも地球は、その誕生以来現在まで、”高温から冷却の歴史”で貫通しているのです。

     

    20世紀後半に大きく変化した「時間」にのみ納まる、比較対象や比重平均ではなく、

    ”偏重すること”でダイナミックな「動的平衡」を伴なう、宇宙・地球観軸として成立します。

     

     つまり、”偏り”のある宇宙の誕生につながる地球の生命現象の歴史であります。

     

    操体で言うならば、「進歩」を伴うことを意識付けられている「進化」なのです。

    これでこそ「間」にあってきたのです。

    これを生命誕生以来、連綿と紡いできた記憶・・・と捉えることは過言ではないでしょう。

     

    全ての生命に繋がっている真の記憶・・・追憶の彼方に私達が共有する感覚・・・「原始感覚」。

     

    「原始感覚」とは、生まれながらにおいて元々備わっている「神性相続権」を満たす感覚。

    「原始感覚」とは、熱エネルギー移動を常時最適にエントロピーを減少するバランス感覚。

    「原始感覚」とは、鋭敏で繊細、丈夫で柔軟性を持ち、中枢と末端を生かす自律調和感覚。

     

    これこそ、シンカの「なんかしらんけど」(←東京操体フォーラム内で流行中)なのです。

     

    偶然の発見(セレンディピティー)は、ユングの語った集合的な潜在意識にも通じますし、

    故三木成夫氏の「遠の記憶」とか、「アカシックレコード」説さえも証明してしまうのです。

    ※注:「」内に興味のある方々は、各自グーグル先生(ネット検索機能)で調べて下さい)

     

    操体」のシンカは、「時間」に適い、「空間」に軸を持つことで「間」にあうこと。

    それは、真の意味で創始者橋本敬三師の語った意に適う「間にあっていること」。

      

    これはマクロに相当する医学も同じです。

    筋系・骨格系に留まったままでなく、それら「構造医学」に、「連動」と、「感覚分析」を

    加え、「熱力学の法則」に矛盾しない進化。

     

    法則に分子は出会い「知る悲しみ」を理解するが故の変化。

    知る悲しみ やっぱり男は死ぬまでロマンティックな愚か者

    知る悲しみ やっぱり男は死ぬまでロマンティックな愚か者

     

     (三浦理事長のクライアントでもあり、以前東京操体フォーラムにて特別講演も!)

     

    また、変化は「深化」を伴い、また「進化」するのは必定です。

     

    則ち、「構造医学」を含み、「皮膚」・「内臓」の感覚も包括した「空間」の運動力学となり、

    「真価」を納得してしまった「からだ」の進化は、必然的な「深化」となったのです。

     

    わかってしまうと変化せざるを得ないわけですから、頻繁な新陳代謝は起こりやすく、

    熱エネルギーを介した入力と出力のバランス現象、「動的平衡」を満たす「空間」と「重力」

    による、「からだ」の生命感覚は、結果的に「原始感覚」になっていたということです。

     

    それを解く鍵は、「皮膚」に隠されている「脳脊髄液」にあったのです・・・。

     

    長くなってしまいましたので、今日はこのくらいで・・・ありがとうございました。

     

    2016年9月[新創生期操体法特別臨床講座](http://www.sotai-miura.com/?page_id=1018) 開講!

  • シンカの行方⑤

    5日目です、よろしくお願いします。

     

    そもそも「進化」とは、なんの役に立っているのでしょうか。

     

    ダーウィン氏は「種の起源」において、その回答を、”ある固有種が生き延びるためのメカニズム”

    として捉えることにより、一つの仮説による回答としています。

    簡単に言えば、「突然変異」と「自然選択」、さらに「適者生存」という概念を回答としているのです。

     

    しかし、ダーウィン氏も先日のブログで紹介したシュレディンガー氏と同じく、「時間」によって

    「進化」を捉えています。

    これは、大きなものを一部に固定して仮説を組み上げ、捉えてしまった誤りともいえます。

     

    これを言い換えるなら・・・、

    「空間」の中に「時間」はあるのに、

    「時間」の中に「空間」を当てはめて見ているのです。

     

    カタカムナ的に捉えるのならば・・・、

    観ることのできない「潜象界」のなかに、みえている「現象」はあるのに、

    「現象界」のみに囚われ、「潜象界」を感じとることはできていない、とも言えます。

     

    また仏教のたとえ話でいうならば・・・、

    龍樹菩薩が書いたといわれる「大智度論」の「指月の喩」と呼ばる話もわかりやすいです。

    これに興味のあるかたは、「月をさすゆび」でググって(インターネット検索)下さい。

     

    閑話休題、そろそろ本題に入りましょう。

     

    なぜ、生物は進化し続けるのか?

    この問いかけに必要な答えは、「地球の重力そのもの」にあります。

     

    そうです、実は、地球そのものが生命体なのですから。

    ダイナミックな動的平衡を「波動現象」で捉えた「真価」こそ必要だったのです。

     

    「空間」に流動する地球の感覚が備わることで、生物は生命現象を起こすのです。

    もっと言えば、「重力」こそ「進化」の証明プロセスであり、「空間」と相関して、

    生きている地球は、宇宙全体に生かされるのであって、生命感覚なのでしょう。

     

    21世紀以降の地球観として外すことのできないのは、流動している「空間」です。

     ですから、「操体」で生き方の自然法則における「環境」とは、宇宙そのもの。

    この捉え方に通じるのは、エントロピー代謝=生命現象、の捉え方になるのです。

     これこそ、「進化」の「深化」、進化の理由なのです。

     

    「空間」は、マクロ的に地球自体を生命体と捉えても全く矛盾はないのですから、

    人間原理」という、宇宙と重力を結びつけている”自然哲学思想”さえも、地球には

    貫通しているということになります。

    (第八章、「この世界の最も奥深い真実」参照)

    重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る (幻冬舎新書)

    重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る (幻冬舎新書)

     

    では、ミクロ的に人間の細胞まで、この真理は貫通しているのでしょうか?

     

    「真理」に貫通するには、命を紡ぐ「皮膚」こそ重要なのです。

    この「皮膚」こそ、「重力」と「空間」に相関して、地球の流動と相補性にあるのです。

     

    ・・・が、今日はこれで失礼します、ありがとうございます。

     

     

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  • シンカの行方④

    四日目です、よろしくお願いします。

     

    そもそも生物とは、なぜ「進化」するのでしょう。

     

    理由の一つに、生物全体で”エントロピーを小さくしている”、という法則性があります。

    それは、「熱力学の法則」が関与しています。

    ・「熱力学第一の法則」は、反応の系(=宇宙空間)のエネルギー量の総和は一定不変である。

    ・「熱力学第二の法則」は、宇宙のエントロピーは常に増大に向かって増加する。

     

    生物も例外ではなく、この物理法則における不変の法則性を満たさなければなりません。

    ですが、生物(=細胞)は成長に従って「空間」から分子を取り込んで、秩序を形成します。

     

    このこと自体「熱力学の法則」から言えば、”不自然そのもの”となってしまうので、かの

    E・シュレディンガー氏は「生命現象」そのものが、熱力学第二法則に矛盾する、と指摘し

    ていたこともあるのです

    生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)

    生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)

     

     「生物は負のエントロピー(=+エントロピー)を食べて生きている」

    摂取するエントロピーと排出するエントロピーの差額とは、生命時間にある。

    このように考えたこと解決できたと、シュレディンガー氏は語っています。

                      (生命とは何かー物理的にみた生細胞ー第一章より)

     

    しかしながら、「時間」だけの考察では、熱力学第一の法則は解決できても、第二の法則には

    やはり矛盾してしまうのです。

    このことに関しては、さすがのシュレディンガー氏も気付いてはいなかったようですね。

     

    ところが、「皮膚」という概念を「宇宙のエネルギー現象」に相応させて、生命現象を捉えると、

    このことは自然現象の一つとして捉えなおすことができるのです(後日のブログで考察)。

     

    その「熱力学第二法則」矛盾の解消には、「時間」から「空間」へと「深化」が必要なのです。

     

    それは奇しくも、、「操体」の「辛いか・楽か」という本人の「動き」による分析方法から、「時間」とい

    う過去に囚われることなく進化を絶やさないこと。

    つまり、東京操体フォーラム三浦寛理事長は、誰も守ってくれるわけでもなく、ただただ寡黙に臨

    床を重ねたプロセスから、「快と不快」という「からだ」の「感覚」の分析方法へと「空間」の誘い

    に答えるが当然が如く「深化」していたのです。

     

    では、今日はこのくらいで失礼します、ありがとうございます。

     

     

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  • シンカの行方③

     

    三日目です、よろしくお願いします。

     

    *「真価」・・・その物や事柄の本来持っている価値のこと。

     

    早速、素朴な疑問を「操体(操体法を含む)」の実践者へ、問います。

     

    ・・・・・「操体は、進化しているのでしょうか? 」・・・・・・

     

    私自身は、「シンカ」のプロセスにおいて、「YES」と答えます。

    なぜなら「SOTAI」こそ、”Evolution”を「皮膚」で感じる学問系ですからね。

     

    生命現象は、全ての「時間」と「空間」の自然法則に適応するか、しないかであり、

    生命の連係プレーは、「皮膚」で同時相関してこそ、”生命現象の軸”となるのです。

    ですから、「時間」に偏り、過去に囚われていては、「空間」に連動していません。

     

    筋力で捉えている時間、痛みと楽で捉えている時間とは、「時間」の「間」であり、

    「空間」との”動的平衡”こそ、実は「皮膚」による同時相関相補性連動なのです。

     

    各々の時間を「操体」で包括し、より生かすことも可能なプロセス。

    創始者曰く、”誰にやらせてもそうなる理由”。

    それは、「真価」において”人間原理”の解明につながっているのですね。

     

    それを解き明かし(=時明かし)するには、”Crash&Build”のプロセスも必要となり、

    「皮膚」の感覚情報を、入力と出力のバランスも「環境」という言葉のみだった、

    「空間」の「間」に相関してこそ、「操体(法)」は臨床実践によって証明できるのです。

     

    学問とは、おのれのためにあらず、万人に共通する自然法則の応用貢献にあります。

    「間」を「時間」のみに置かず、元々生かされていし「空間」に感謝すればこそ、です。

     

    「進化」「深化」「真価」に共通するのは、滞らないコト。

    操体の時代による「シンカ」を、時系列、実践学問として証明できること。

     

    その行方を、明日から解き明かすヒントを書き遺しておきたいのです。

    では・・・今日はこんなところで、ありがとうございます。

     

    2016年9月[新創生期操体法特別臨床講座](http://www.sotai-miura.com/?page_id=1018) 開講!