カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「信頼関係を築くこと」

    先日、からだを壊されたご婦人の方から色々なお話を伺う機会がありました。

     

    その時にからだを壊された経緯、様々な療法に通われたこと、そして操体との出会いをお聞きしたのですが、その話の中でも特に印象に残ったのが「(からだを診る側の)先生とクライアント」との関係の在り方でした。

     

    そのご婦人は「先生は自分の命をかけて私を治療して下さっています。ですから私もそれに報いるために出来るだけ先生の所に通って、先生から治療だけではなく、姿勢や生き方も学んでいきたい」と言われていました。

     

    とても素敵な関係だと思いました。

     

    治療家とは来た患者のからだを治すことももちろん大切なことですが、このご婦人のように生き方や姿勢を学びたいと思って頂けるのはお互いの強い信頼関係があるからだと思います。

     

    また私から見ると、お互いの存在が生きる元気を与え、相乗効果を生んでいるように見えます。やはり臨床は疲れるものではなく、お互いが元気になるものが最高の臨床なのだと思います。

     

    このように臨床家にとって自分の身を護りながら、元気の気を循環させていくにはクライアントとの信頼関係がとても大切なのだということを、このご婦人から学ばせて頂きました。

     

    一週間、どうもありがとうございました。

     

    来週からは半蔵さんです。お愉しみに。

  • 「やりたいことをやる」

    幼い時の記憶を辿っていくと、自分の意思に反して周囲の悪い空気に流されてしまうことが多かった気がします。

     

    服装にしても、遊びにしても「自分らしさ」を出すことが仲間外れになることだと思い込み、自分の意に反して、周りの人達にひたすら合わせる。

     

    結果として何が「自分らしい」のかが良く分からないまま自分のやりたいことも半分位しかやれずに学生時代が終わってしまったように思います。

     

    そういった学生時代の影響からか大学を出てからは学生時代に出来なかったやりたいことをとことんやってきましたが、それは私自身の人生、または身を護ることにおいても、とても良かったことだと思っています。

     

    そういった経験をしてきた自分からしてみると、現代の若者達は自分達の時代よりも窮屈で周囲の空気に流されるような生き方をしている人が多いように見えます。

     

    私の周りにも「やりたいことがない」「何をして良いのか分からない」という人が多いです。

     

    そういった自分の意志がしっかりしていない生き方は、その意志が悪い方向に流れてしまう可能性もあり、先日に書いたような薬物や自殺に繋がってしまう可能性にも繋がりかねません

     

    最近、本でよく書かれていますが、老後から自分のやりたいことをやっていくのも一つの生きがいとして良いのかもしれませんが、やはり一度しかない人生は若い時からやりたいことを学びながら生涯やり通す方がより深みのある豊かな人生のように思います。

     

    そのように捉えていくと若い時からやりたいことをやっていくことも自分の身を護ることにおいても、とても大切なことだと思います。

     

    それには子供の時からやりたいことをやらせてあげる環境を作ってあげる親の配慮もとても大切なのではないでしょうか?

     

    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。
     
     
    テーマは「上手い下手について」
  • 「自分とからだのリズムを保つ」

    「あれ?今日は何かおかしいぞ。いつもと何か違う…」

     

    心にしても、からだにおいても、普段と感覚が異なる日が誰にでもあると思います。

     

    不思議とそんな日ほど体調を崩してしまったりして、何か嫌なパワーを受け取ってしまったりします。

     

    私の場合、それが起こる原因の一つとして思い当たることは、起床時間が普段と異なったりする休みの日が多いです。

     

    普段と違う生活リズムの日ほど、いつもやっていることをやり忘れていたり、何か抜けてしまいがちです。

     

    それは先日書いた「なでしこ」のように、ほんの少しの歯車の狂いが自分の生命リズムの波長をブラしてしまっているように感じます。

     

    こういった日ほど、経験からトイレ掃除にしても、服を畳むにしても、外出時の橋本先生の挨拶にしても、日々欠かさず行っていることを忘れずにやるように心がけているのですが、これは習慣というより、自分を護る儀式に近い感覚です。

     

    こういった儀式を日々わずかな時間でも続けていくことが心とからだが悦ぶ生命リズムを形成し、己の身を護っていくことに繋がっているのではないでしょうか?

     

    それは臨床においても同じだと思います。自分の生命リズムが狂うと相手にもそれが伝わってしまうのです。特に操体の臨床の特徴でもある「からだの内部感覚」を聞きわけることにおいて、クライアント以上に診る側の心とからだのリズムというのは非常に大切になっています。

     

     その為、日常生活においてからだのケアと同様に生活リズムというのには人一倍気を使うようにしています。

     

    そういったことも外からの悪いものから身を守る一つの手段だと思います。

     

    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。
     
     
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  • 「愉しむこと」

    昨日に引き続き、スポーツ選手の話題から話を進めていきたいと思います。

     

    リオで開催される女子サッカーオリンピックアジア予選を観ました。

     

    予選通過とならず残念な結果となってしまいましたが、チームの不振の要因として澤選手の引退、チーム戦術のマンネリ化、世代交代のミス等、マスコミで色々上げられています。

     

    しかし私自身は一度狂った「歯車」を立て直せなかったことが大きな要因のように感じました。

     

    私が思うに彼女らの最大の強みはどんな苦境でも笑顔を絶やさず、愉しみながらプレーをすることだと思います。それが今回は予選を通じて「なでしこ」らしい笑顔がなく、一人一人がプレッシャーを良い意味で愉しめていなかったように見えました。

     

    いくら1人1人が一生懸命に取り組んでいても、周囲との歯車が噛み合わなければ、それが一つのチームとして機能しないこともあります。

     

    その歯車を噛み合わせる大事な要素の一つとして全員が愉しむことだと思います。それが周囲からのプレッシャーを良い方向に循環させ良い結果に繋がるのだと感じました。

     

    それはスポーツだけでなく私達の日常生活にも同様の事が言えて、ちょっとした歯車が狂うといつもの自分らしいパフォーマンスが発揮出来なかったり、結果もついてこなかったりして、何をするにしてもつまらない心理状況に陥ってしまいます。

     

    そうすると負の連鎖が生じ、外界からの悪い気をもらいやすい状態になってしまうように感じます。

     

    このように周囲の空気に左右されず、「自分らしさ」を出していくには、どういったシチュエーションでも愉しむことだと思います。Wカップやオリンピックの時の「なでしこ」のようにプレッシャーが掛かる時でも、それらを丸まる愉しむことが出来れば、自分が取り組んできたことが自ずと出来るようになるのではないでしょうか?

     

    最後になりますが、結果は残念でしたが、私は彼女らから沢山の感動をもらったので、これからも彼女達を応援していきたいと思っています。

  • 「自分を知ること」

    先日、yahooニュースでダルビッシュ選手の日本ハムファイターズに所属する大谷選手を語っているインタビューを見ました。

     

    その記事で、彼は自分のトレーニング方法や食事に関すること、そして大谷選手の印象等を語っていましたが、彼は自分の意思や考えが確立されていて、自分の軸がとてもしっかりしているのが記事からも伝わってきました。その中でとても印象に残る言葉がありましたので本日はこれをキーワードにして話を進めたいと思います。

     

    それは「(現在彼の行っているトレーニングや食事の方法が)これが僕の思う正解」というフレーズです。

     

    よくニュースや雑誌で「~がからだに良い」という記事を目にしますが、例えそれが一般的に認められ、科学的にも証明されたことだとしても、自分の心とからだが実践していく中で納得しなければ、それは自分にとっての正解にはならないからです。

     

    これは操体を学ぶことにおいても、身を護ることにおいても、とても大切なことだと思います。

     

    ただ教えられたことを全て自分にとっての真実だと信じて鵜呑みにしていくこと程、恐ろしいことはありません。もしかすると、それが自分にとって悪いものかもしれないからです。

     

    やはり自分と自分が使わせて頂いているからだを知り、それが自分にとってよい物も悪いものを自分の思考で判断するのではなく「からだ」を介して納得することが悪いものから身を護る最大の手段なのだと思います。

     

    操体の学びにおいても私達は実践していく中でからだが納得したことだけをクライアントや学びに来ている人に伝えています。

     

    それは操体の学びを深めていくだけでなく、自分の身を守ることにも繋がるのです。

     

    その中で自分が掴んだ事をダルビッシュ選手のように「自分のやり方」、つまり「自分の中の真理」として実践していければ、人生がより豊かになるように思います。

     

    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。
     
     
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  • 「言葉を正すこと」

    ポジティブなエネルギーを生み出すのも、ネガティブなエネルギーを受け取ってしまうのも日頃から自分が発している言葉が関係しているように思います。

     

    私自身も生活空間の中でついつい不平不満を口にしてしまうことがありますが、普段のちょっとした言動が自分の身を護ってくれている波動を狂わせているように感じます。

     

    特に普段から注意して使わないように意識しているのが「ムカつく」「めんどくさい」という波動の荒い言葉です。

     

    操体を学ぶ以前の私は仕事でのストレスがピークに達するとこういった言葉を無意識に使ってしまっていましたが、ある日、母親から「そういった言葉ばかり口にしているとからだが病むよ」と言われたことを憶えています。

     

    当時はそんなことを気にも留めていませんでしたが、こうやって操体の学びを得て母親の言葉を振り返っていくと、確かに言葉とからだ、そして生き方は表裏一体の関係にあるように思えます。

     

    自分が発している言葉の波動を80兆の細胞は敏感にキャッチし、からだに歪みとなり表れる。逆にからだが自然な状態になってくれば、言葉も統制され、魂が悦ぶものを自ずと選択してくるということです。

     

    橋本先生も「言葉は運命のベクトル」という事を述べられていますが、自分が発している言葉は正に自分自身の生き写す鏡なのです。

     

    その鏡を常に綺麗に磨いていければ、外界からの悪い空気から身を護ることにも繋がり、また自分自身が本来望んでいる生き方にも繋がってくるのだと思います。

     

    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。

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  • 「自分を守ってくれているもの」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。今週からが三浦寛幸が担当致します。

    よろしくお願い致します。

     

    今回のテーマは「ネガティブなエネルギーから身を守る」ということですが、いつも強く感じているのは自分自身は様々なものから「護られている」ということです。

     

    友松実行委員のブログでも触れていましたが、最近は覚醒剤や自殺、不倫等のニュースをよく目にします。ネット等で薬物使用者の数を調べてみましたが、近年の日本では約40人に1人が薬物に手を出す時代になっているそうです。

     

    薬物や賭博等の自分の人生の歯車を狂わす誘惑が多い中で現在、身心共に健全で生活出来ているのは、常に何かに護られていることだと思います。

     

    それは家族であり、友人、恋人という現象界の存在でもあり、また目には見えないご先祖様との繋がりかもしれません。

     

    私の場合は特に師の存在が常に自分を護ってくれているように思います。

     

    学ぶことにおいても、臨床においても師を常に感じ、イメージすることで自分が身につけてきたことが上手く出来ているのだと感じています。

     

    いずれにしても、いつも意識の中で繋がっているものの存在が自分を生かし、護ってくれているということです。

     

    そういったものとの繋がりを切らさず、そして信じることが最大の護身であり、お守りの一つなのではないでしょうか?

     

    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。

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  • 「陰と陽 ~自分と自分自身~」

    本日で私が担当する年内最後のブログになります。

     

    まだ冬季東京操体フォーラムを終えて二週間足らずですが、自分の中で大きな変化で生じているように思えます。

     

    その変化とは感覚的な事になりますが、自分の影に隠れていた自分自身が少しずつ目覚めてきた感覚です。

     

    フォーラムの前までは何か自分自身が窮屈な生き方をして感じが実感としてありましたが、フォーラムを通じて、様々なことに「感動」したことが、こういった自分自身の変化に繋がってきたように感じます。

     

    三浦先生はフォーラム前後で「上から何か降ってくるように新たな気付きがある」と言われていましたが、最近の私も今まで学んできたこと、そしてこれから深めていきたいことが上から降りてくる感覚があります。

     

    それは一ヶ月前にはなかった感覚です。

     

    そのような感覚を体感して分かったことは、人はちょっとした何かがきっかけで劇的に細胞が産まれ変わるということです。

     

    それは誰にでも常に起こっていることで、瞬間、瞬間で細胞は変化し、自分の身心に何らかの変化を及ぼします。

     

    のちょっとした変化を感覚的にキャッチし、細胞の悦を心とからだを通して実感していくことで、本来在るべき真我の自分を目覚めさせていく気がします

     

    そうした自分自身のちょっとした変化を感じ取ることもこれからの学び、生きていくことおいても、とても大切なことのように思います。

     

    こういったことが自分と陰と陽、表裏一体にある自分自身の姿と繋がってくるのだと思います。

     

    一週間ありがとうございました。また来年もよろしくお願い致します。

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。お愉しみに。

  • 「陰と陽 ~師と弟子~」

    私は操体を学ぶ前までは今回のテーマである「陰と陽」について考えてみる機会はあまりありませんでしたが、このことについて考えていくと物事に対する見方、捉え方が大きく変わってきます。

     

    この事に始めて触れたのは操体を学び始めてまもない頃、橋本敬三先生が記された「生命現象創生の中心理念」という潜象から現象が生じる「ものことなり」のプロセスを記された図を目にしたのが始めてだったのを覚えています。

     

    最初はその意味していることがよく分かりませんでしたが、少しずつ潜象という目には見えない世界の事に目を向けることで少しは理解出来てきたように思います。

     

    人・物・空間、目に映るもの、目には見えないもの、私達は生きている中で存在と自在に常に触れ何かを感じながら生きている。陰と陽とは触れている全てのものにあり、物事を現象的な見方と潜象的な見方・捉え方をする必要があるように思います。

     

    それは操体に限ったことではなく、師や自分が模範としている人達をどういった意識を持って見て、そして学んでいくのかがとても大切であり、これも先程書いた現象的な見方と潜象的な見方、この二つの見方でその姿、考えていることを見る必要があるのではないでしょうか?

     

    ちょうどこのブログを書いている時に、このような言葉を目にしました。

     

    「師を見るな、師が見ているものを見よ」

     

    これは正しく、この2つの見方が当てはまると思います。

     

    この意味するものは、ただ師を真似てコピーをするのではなく、現在感じていること、そして先に何を見据えているのか、という目に映ることのない波動のようなものを感じ、体現していくことが必要だと言っているように感じます。

     

    先のフォーラムでも瀧澤副実行委員が師弟関係の在り方について発表して頂きましたが、陰の時代に差し掛かった現在、自分の心の在り方というのを見失ってしまうことが多いです。

     

    自分らしく生きていく師や尊敬する人達を持ち、その生き方を見て、そして感じて自分の生き方に落とし込んでいく。そういった事が現象に惑わされない自分らしく生きるヒントになるのだと思います。

     

  • 「陰と陽 ~言葉~」

    昨日は陽の時代から陰の時代への移行に伴い、性への捉え方が変わったことについて書きましたが、それはスポーツ指導においても大きな変化を及ぼしているようです。

     

    先日、スポーツプログラマーの資格研修にてスポーツトレーナーである岩崎由純先生の講義を受けたのですが、操体で私達が現在学んでいることに近いことを言っていました。

     

    その講習ではぺップトーク(気持ちを高める言葉)とプッペトーク(気持ちを沈ませる言葉)の違いを説明していましたが、指導する立場の人間は言葉一つ一つの意味を理解し使わなければなりません。

     

    例えば私は学生の時にサッカーをしていたので良く耳にしましたが、コーチから「三浦!さぼるな!」と良く叱られていました(笑)

     

    振り返ると叱られる事が自分の成長の糧となっていたと思っていますが、現在では「サボるな!」と叱咤するよりも「しっかりやろう!」と声を掛け、ポジティブなイメージを沸かせるシンプルな声掛けに変化してきているみたいです。

     

    それは操体の学びでも同じようなことが言えて、最も代表的な例では「ムズカシイ」という言葉は自分にも、相手にも使わないようにしています。

     

    そういった言葉は物事に対し、自分は出来ないと思わせてしまう波動の粗い言葉です。

     

    不思議なことに「ムズカシイ」という言葉を発すると簡単なことでも難しく思い込み、出来なくなるという法則があります。

     

    このように人は言葉の選択次第で己の生き方、そして運命も大きく変わってきてしまうので、私自身陰の時代への以降に伴い、一番大切にしなければならないのは言葉の選択だと思っています。

     

    こういった時代の変化の中で人の心の在り方は非常にデリケートになってきていると思う反面、昔ながらの日本の教育で良かった面が無くなってきているように思います。

     

    それが良いか、悪いか時代の流れもあり、一人一人感じ方は違うと思いますが、個人的には現在の教育の在りかたには少し疑問があります。

     

    昨日もニュースで体罰により甲子園を辞退する高校が出てきてしまいましたが、教育者が手を出してしまうことの原因の根底にあるものを見直していく必要があるのではないでしょうか?