カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「探究心とプロ根性」

    私の母の実家は佐賀県で農家を営んでいて、現在は叔父が引き継ぎ一年365日、お米と向き合う毎日を送っています。

     

    以前、私が行った時に叔父の部屋には膨大な量のお米の作り方に関する本がありましたが、それらの本はあまりにも膨大な量で読んでも分からないことだらけでした。

     

    しかし普段の叔父のお米に対する姿勢、また少しでもおいしいものを作ろうとする探究心にはとても感動したことを昨日のことのように覚えています。

     

    その姿勢からは熱意と情熱を持って米一粒一粒に命を吹き込んでいるような強いプロ意識を感じました。

     

    そういった祖父のプロ意識はお米をどんな状況であろうとまるで自分の家族のように守っていこうとするプロ根性から生まれているように思います。

     

    「常に24時間自分がやりたいこと、やっていることのために生きる」

     

    叔父はそういった生き方をしているように見えます。

     

    叔父にとってお米を作ることは決して生活の為の仕事ではなく、人生を愉しむための時間なのだと思います。

     

    それはとても幸せなことであり、私も生活のためだけの生命時間の浪費をしないように叔父の背中を見て学んでいきたいと思います。

     

     

     

     

     

  • プロとしてのモノとの向き合い方

    最近は出会った人の使っているモノとその使い方に注目しています。

     

    直感的に「あ、この人凄いな」と思う人はモノ選びから、その使い方まで筋を通していて、決して中途半端な使い方をしない。

     

    例えばボールペン一本にしても一流が人が選ぶのは使い切ることを前提に書きやすさ、デザインを選び、インクが無くなるまで使い切っています。

     

    昔から親から物を大切にすることの重要性は口酸っぱく言われてきたことですが、自分の筆箱を見てみると中途半端に使った100円のペンが増え、本当に心から愛用しているものというのはないということに気が付きました。

     

    意外に自分のそういった一面に気が付くと自分のプロ意識の足りなさを痛感します。

     

    そういえば操体を学び始めた当初、三浦先生から空のボールペンを何本か頂いたことがありました。

     

    当時は「なぜ空のボールペンなのか?」という意味はよく分かりませんでしたが、今になり分かってきたことは「使っているものへの敬意」なのだと思います。

     

    臨床家として人やからだへの気遣いを行き届かせることも大切ですが、それ以上に大切なことは自分自身、そして自分が使っているモノへの気遣いなのだと思います。

     

    それが行き届かなければ、臨床家として、プロとして本物だとは言えないのかもしれません。

  • プロの「間」の取り方

    真のプロは「間」の使い方に長けているように思います。

     

    「間」(マ)には限りある生命の時間や目には見えない空間、また人間関係にある空間と様々な「マ」がある。

     

    プロとアマの違いはこの「マ」の使い方で、本当のプロ意識を持った人ほど、限りある生命の時間や目には見えない空間、また人間関係にある「マ」を意識でコントロールしているように見えます。

     

    時には天性の持つ才でそれをコントロール出来る人もいますが、大抵の人はそれとの向き合い方に何かしらの問題が生じている。

     

    ビートたけしさんの著書(間抜けの構造 新潮新書出版)でも間の重要性について書かれていて、「間を制するものはお笑いを制する」とまで言っています。

     

    それはお笑いだけでなく、全てのものに通じることでマを上手く使える人は自分を取り巻く状況を常に客観視し物事を見れるので、何をしても良い成績が残せるのだと思います。

     

    その「マ」の使い方も基礎があってこそ出来ることで、基礎を習得していない人の「マ」というのは「マが悪い」ということです。

     

    臨床においてもプロの「マ」の使い方は絶妙です。からだに触れるタイミングにしても、ほんの何コンマの時間でしかありませんが、なかなか真似の出来ない「マ」の取り方をします。

     

    私達は学びの中でそういった「マ」の使い方を学んでいて、それはやがてプロ意識を育てていくことにも繋がってくるように思います。

  • 「真のプロが見ているもの」

    「一芸は道に通ずる」

     

    これは「一つの芸道について奥義を究めた者は他の分野にも通ずる道理を身に付けている」ということわざです。

     

    よくプロ同士の対談を見たり聞いたりしますが、一流のプロは他の分野のプロの話を聞けるのは一流が見ている道は同じものだということです。

     

    先日、過去のTVの対談でスキーの葛西選手とサッカーの三浦和良選手の対談を見ましたが、この対談が見ている人を惹きつけるのはその道を究めても、なおその先の道を歩んでいるもの同士の共通した何かがあるからだと感じました。

     

    それまでの経緯、年齢、現在の立場の違いはあるものの超一流同士共通しているのは最高レベルのプロ意識とプロ根性、そして何よりやっていることに対し「純粋さ」や「素直さ」、そして「悔しさ」があるからだと思います。

     

    私自身もまだまだ修行が足りない身ですが、操体の学びを得てから8年のいう月日が経ち、少しは真のプロが見ているものが見えてきたように感じています。

     

    それがただの真似事にならないように、中身のあるものにしていけるように自分自身のやっていることと向き合っていきたいと思います。

  • 「気付ける力をつける」

    本当のプロ意識、プロ根性を持っている人ほど謙虚さを持っています。

     

    謙虚さとは謹みでもあり、一流になるほどやるべきことをコツコツと一日の習慣としてやっている。

     

    一見、地味で面倒だと思われそうなことほど当たり前のようにやっている。

     

    そういった姿勢を見ていると、人としての本当の強さや優しさは自分がやっていることの延長線上にあり、やがて目配りや気配りが出来ることにも繋がってくる。

     

    つまり真のプロは「相手が何を求めているのか?」を察知する力があるということです。

     

    逆にそういった「気付ける力」を培っていくことがプロへの近道でもあるということです。

     

    それは何も特別なことをしているわけではなく出来ることを怠りなくやる中で自然と身に付いてくるものだと思います。

     

    そういった力に身に付いてくるだけで自然と自分自身の生き方も行き届くようになる。

     

    それだけでプロとしての半分はクリア出来るようになると思います。

  • 「プロの学び」

    三浦先生、ありがとうございました。

     

    今週からは三浦寛幸が担当致します。

     

    今回は「プロ根性とプロ意識」というテーマです。一週間よろしくお願い致します。

     

    「プロ」というカテゴリーの中でも、その中の「プロ」がいます。

     

    全く同じことをしていても「プロ中のプロ」がやると何か一味も二味も違うスパイスが加わっている。

     

    それは長年培われた技術・テクニックもあるが、それ以上に大切なものを持っているように感じます。

     

    それが何なのか?

     

    操体の学びの中で出会った一流の人達との出会いの中で見えてきたことは「学び方」が他の人とは違うということです。

     

    一流の人達には一流の師がいて、技術やテクニックではなく「生き方」そのものを学んでいるということです。

     

    それを学んだからこそ行き詰らない、進化し、応用することが出来る。

     

    ただの真似事で終わらない。

     

    それが真の一流の姿勢であり、プロ意識のように感じます。

     

    その境地はお金や技術を追い求めていては辿りつけないものなのかもしれません。

     

    プロは誰にでもなれる可能性があるが、一流のプロは限られた人にしかいないのもこういった本質的な所に目がいかないからではないでしょうか。

     

    私達が操体のプロとして三浦先生から学んでいることも技術やテクニックではなく、真のプロになるための生き方なのだと思っています。

     

  • 「身近にあるものからのメッセージ」

    先月末から暖かくなってきているので職場や近場の外出の時は散歩も兼ねて歩くようにしています。

     

    しばらく自転車頼みの生活をしていたので、近隣の景色のちょっとした変化に気が付かずにいました。

     

    いつも通っている道にも新しいパン屋が出来ていたり、もっと身近なものに目を向けると道路の片隅に植物が植えられていたりして、周りの環境も少し視点を変えただけで見え方や受け取れるメッセージも変わってくるのだと感じています。

     

    特に見落としがちになる小さな命からはいつも臨床に必要な大切なメッセージを受け取っているように思います。

     

    一枚の葉、きれいに咲いている花も人のからだと同じように著しい変化の中で生きている。

     

    その変化に少し意識を向けてみるだけで、からだと同じような皮膚の変化、命の呼吸を感じることが出来ます。

     

    こういった変化に意識が向けられるようになると、目に見えるものだけでなく、天気や自分を取り巻く空間からも臨床に活かせるメッセージを受け取れるようになってきました。

     

    そのメッセージから学んだことは臨床とは必要以上に干渉しないこと。しかし病は診ない、気が付かなければ病は喜ぶ。そうしないためにも「診てないようで実は診ている」という診る側の意識が大切なことのように思っています。

     

    それには些細な変化にも気が付けるようにしなければならないということです。

     

    まずは身近にある「小さな変化」に気が付ける自分でありたい。

     

    2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
    テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

  • 「からだとの信頼関係」

    最近はからだの使い方を見直す作業をしています。

     

    「今まで学習してきたことが本当に身に付いているのか?」

     

    「自分が培ってきたことを日々の生活に活かしきれているのか?」

     

    「果たして自分のイメージ通りにからだを使えているのか?」

     

    「この使い方でこのからだは悦んでくれているのか?」

     

    こういった様々な問いかけの中で一つ気が付いたことは今までのからだとの信頼関係を築けていなかったということです。

     

    この信頼関係がないと頭でイメージした動きやフォームを実践することは困難であり、ましては人のからだを治療することは出来ません。

     

    特に「力み」というものはこの信頼関係が成り立っていない表れであり、ここから生じる摩擦はからだの歪みにも繋がってきます。

     

    臨床の中でも力みが入ることで、患者の感覚の聞き分けを妨げるだけでなく、からだからのメッセージも受け取りにくくなります。

     

    またその関係を構築していくためには普段の日常動作の中で無意識に行っている動作にも目を向ける必要があります。

     

    いかに無意識に行っている「自分の癖」を浄化していくか、そしてからだの要求していることに適うようにしていくかが私自身の課題にしていることです。

     

    こういった様々な方向から自身のからだにアプローチしてみると、自分が今まで勝ってが付く使い方をしていたかがよく理解出来ます。

     

    それは自身の生き方にも通じてくることですので、健康な人も、からだのことで気になっていることがある人も一度こういった問いかけをしてみてはいかがでしょうか?

     

    2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
    テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

  • 「言葉のないメッセージ」

    メッセージとアプローチをしていく方法の一つに写真や絵画等の芸術があります。

     

    基本的にこれらは言葉を用いずに見る者に自分の意思や想いを伝えますが、言葉という伝達手段がない分、伝えたいことは受けての感性に任せるというところが魅力の一つです。

     

    それは操体の臨床とも通ずることであり、からだ、皮膚を介して患者とその場の空気を共鳴し、メッセージを送るということは芸術と似て通じているものです。

     

    それだけに畠山先生や三浦先生達が写真を撮っていることも臨床との結びつきが深くあるからなのだと感じています。

     

    私自身も最近は言葉のないメッセージのやりとりを学びたくなり、写真集をいくつか購入し見ているのですが、写真家達のメッセージは私達臨床家がしていることは似ていると感じました。

     

    特に私が共感したのは「Made in Japan」(社団法人日本広告写真家協会)が出している写真集で、これらは日本人が忘れかけてしまっている伝統や日本の美を思い起こさせてくれるものとなっています。

     

    「忘れ去られた記憶を甦らせる」という点においては写真家達もきっと私達と同じように、問いかけているのではないでしょうか?

     

    私達は「からだに触れ、動かし、感覚を聞き分け、快を味わう、それがからだの治癒力を引出し、あとの治すことはからだにお任せする」ということが基本となります。

     

    その過程の中でクライアントが聞き分けている感覚、感じていることは現在から生前までの生命の記憶を辿っていっているようにも思います。それは一切の搾取はなく、ただクライアントの聞き分けた感覚に委ねた結果の一つがそういった現象に繋がっているようにも思える。

     

    写真家の人達も各々がテーマを持ち、問いかけて見る人達あとは見た人達の感覚、感性に任せる。それが結果的に計らずともその人の生き方になんらかの影響を及ぼしている。

     

    言葉のない世界は想像していた以上に奥が深いものです。

     

     

    2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
    テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

  • 「偉人達からのメッセージ」

    いつも鞄の中には爪切りやボールペン、ノートと共に大切にしている本と先輩達から頂いた資料が入っています。

     

    その大切にしている本は操体や現在の自分のテーマに関するものがほとんどですが、最近はそれにプラスして人を指導する人達の本も持ち歩くようにしています。

     

    その一つに元プロ野球の監督である野村克也さんの本があります。

     

    野村克也さんと聞くと言わずと知られているのがID野球ですが、本や雑誌を読む限りでは試合に入る前にミーティングで戦略の話の前に「一社会人としてどうあるべきか」を説いていたそうです。その重要性は著書でも述べています。

     

    私が一番好きな著書「野村の金言」(セブン&アイ出版)でも、一人の臨床家として自立していくには何をすべきか?どういった意識で学びと向き合っていくべきか?それに通ずることを説かれています。

     

    また著書の数ある語録の中でも私自身が肝に銘じている言葉が「人間の最大の悪は¨鈍感¨である」という言葉です。一流と呼ばれる人達に共通しているのが自分を含めた周囲への気遣いだと思います

     

    私自身、ずっとサービス業に携わってきたので臨床家となった現在でも周囲へのちょっとした気遣いを人一倍大切にしていますが、一流の人達と比べるとまだまだそれが足りていないように思います。

     

    最後になりますが、野村克也さんのからのメッセージからも技術を磨く以前に身に付けなければならないことは沢山あります。それは他の偉大な先人達からのメッセージからも分かることです。

     

    今一度、学ぶことにおいて自分の姿勢や生き方を見つめ直していきたいと思います。

     

    2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
    テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です