カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「目には見えないものへの感謝」

    最近、受講生の方達と講義の内容や感想を話しているとこんな声が聞こえてくる。

     

    「講習後のからだの状態がとても良い」

     

    「講習前に痛かったからだの部位が痛くなくなっている」

     

    こういった声が近頃は特に多くなってきています。

     

    確かに私自身もあの学びの場に身を置くことでいつも身と心が癒され、生活に必要なエネルギーを頂いています。

     

    あのエネルギーはあの空間から頂いているものなのか?

     

    それとも私達の学ぶ意欲でそのエネルギーを作り出しているのか?

     

    どちらにしても操体を学ぶ空間の中で体調を崩したり、怪我をしたりする人がいないのは本当に不思議な現象で、これも操体の持ち合わせる不思議な力なのかもしれません。

     

    一つ確信を持って言えることはこういった不思議な力を頂けるのも私達が目には見えないものに感謝しながら、臨床や学びに生かしていることが大きな要因だと思っています。

     

    普段何気なく行っている呼吸、飲食、歩行、動作、これらが何の見返りもなく行えるのも目には見えないものからの恩恵であり、そういったものへの感謝が私達にはとても大事なもののように思っています。

  • 「感謝が繋ぐもの」

    プロのアスリートの引退会見を見ていると必ず自分を支えてくれた人達への感謝の言葉を口にします。

     

    現役の成績はどうであれここまで自分が取り組んでこれたことは自分一人の力だけではなく、周囲の協力があったからという感謝の気持ちを会見の場をお借りして伝えているように感じます。

     

    そういったものを見ていると感謝の気持ちを言葉にすることでやってきたことを一つ納めて、そして新たな未来への決意表明をしている気がします。

     

    それは学びの場においても同様のことで「よろしくお願い致します」から始まり、「ありがとうございました」の言葉をもって納めます。

     

    当たり前に皆がしているこの儀式も何か深い意味があるように思います。

     

    毎週、毎月その言葉を繰り返し口にすることでその時に学んだことが納められ、そして未来へ繋がる学びの種が巻かれていく。

     

    そこには「感謝」という絆があり、学びにはとても大切な要素のように感じます。

  • 「感謝の気持ちを伝えたい人」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

    今週からは三浦寛幸が担当致しますので、よろしくお願い致します。

     

    今回のテーマは「感謝」となりますが、改めてこの言葉を自分自身に投げかけてみると、今まで沢山の人達に支えられ現在に至っていることに気が付きました。

     

    家族、師、先生、友人、会社の同僚…、こういった常に意識の中に存在している人達だけでなく、それ以外にもわずかな時間を共にした人達へその出会いとご縁に感謝しなければならないように思います。

     

    こういった挙げればきりがないほどの人達に支えられ、現在の自分がいるわけですが、意外と会いたくても会えない人ほど感謝の気持ちを伝えたくなります。

     

    その中でも小学生の時の担任の先生には感謝を言葉にして伝えたい気持ちが強いです。

     

    恐れずに何事にも自分から飛び込んでいく勇気。

    自分が悪いと思った時に頭を下げる姿勢。

    人の事を思いやる心。

    周りの人達への感謝の気持ち。

     

    こういった当たり前のことを自分の身を持って教えてくれたのが当時の担任の先生だったと思います。

     

    昔は教わったことの大切さが分からず、何も言えませんでしたが、当時私に教えてくれたことは操体を学ぶことにおいてとても大切なことだったように思います。

     

    自分もいつか当時の先生達のように自分が学んできたことを伝えていきたいです。

  • 「ミタテ7 ~多面性の持つ~

     七日間、自分が思っている「ミタテ」について書いてきましたが、最近特にこれを行う中で強く感じていることは「多面性」を持って見ていくことの大切さです。

     

    現在自分が取り組んでいることも、また違った方向から見てみると違った答えが出てくるということです。

     

    一つの概念に縛られると自分のやっていることの可能性も閉ざされてしまいます。

     

    今回のテーマも「多面性」を持って見ていくと、自分のやっている臨床の可能性も広がっていき、また自身の生き方も様々な可能性が見出だせていけるように思います。

     

    これは私達臨床家だけでなく、皆さんにも共通して言えることではないでしょうか?

     

    一週間、どうもありがとうございました。明日からは半蔵さんが担当致します。

     

    お愉しみに。

     

     

  • ミタテ6 ~元の元を診る~

    現在、診立てを行う中で一番大切にしているのが「指導」をいかに取り入れていくかということです。

     

    治すことまで関与せずにクライアントの病の根底にある元の元を正していくには「指導」が必要不可欠になります。

     

    「指導」を取り入れていくということはクライアント自身の生き方、生活の中にある間違いを正していくということです。

     

    しかしほとんどのクライアントは「指導」をしても、それを実践しない人が多いことも現状の問題としてありますが、そういった問題点を改善し生き方そのものを変えていく臨床が出来るのが現在の操体です。

     

    そこでポイントになってくるのが「感覚」なのだと思います。

     

    その感覚もクライアント自身がからだを壊す原因となった「思考から聞き分ける感覚」ではなく、「正しいからだの使い方、動かし方から聞き分けてくる感覚」をからだに通すことで自ずと生き方も変化してくるように感じています。

     

    橋本敬三先生は晩年「動きよりも感覚を重視しなさい」と言われていましたが、その意味もまだまだ奥が深いように思います。

     

     

  • ミタテ5 ~自由な発想で診立てをする~

    最近は触れない臨床を行うことがあります。

     

    「そんな臨床が出来るのか?」

    と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、実際に患者の中には「からだに触れられることで壊されるのではないか」という恐怖心を持っている人もいます。

     

    そういった人達が治っていくことの「手伝い」をする診立て、治療が出来るのが操体の凄いところでもあり、それには「使えるものは全て使う、活かしていく」という発想力も必要になってきます。

     

    それは普段私達の身の回りにあるもの、生かしてくれているもの、言葉や呼吸、もっと言うならば空間そのものを臨床に活かしていくという当たり前といえば当たり前の自由な発想です。

     

    そのような捉え方、発想をしていくと、患者を目の前にした触れる臨床も目の前にあるものに捕らわれずに患者のからだを素直に向き合うことが出来ます。

     

    そして自身の生き方においても自分の中にある「楔」を外すことにも繋がってくるのです。

     

    「当たり前にあるものを自然に活かしていく」

     

    こういった捉え方はこれから先の自身の人生、また臨床においてもとても大切なことであり、私達が目を向けなければならないことだと思っています。

  • ミタテ4 ~囚われない 惑わされない 執着しない~

    臨床においても、生活空間においても「ミタテ」を行う中で最も注意していることは自身の経験や成功例をそのまま当て嵌めないようにすることです。

     

    つい、ある一定の成果、結果が出た成功体験があると、それを次に同様のケースがあった時にそのまま同じことをやってしまいそうになりますが、それで痛い目に遇ったことが何度かありました。

     

    機械を相手にすることなら取扱い説明書を見て対応していけば良いのかもしれませんが、人と向き合う仕事、特に私達操体の臨床家は「感覚」という常に変化するものと向き合う以上は常にその変化に対応出来るようにしなければなりません。

     

    そういったことからも臨床では「こうすればこうなる」という方程式のような捉え方をせずに「ありのままを素直に受け入れていく」感性が必要なことだと思います。

     

    それを出来るように日々自身の生き方の中で「間に合う」程度に「物事に囚われない、惑わされない、執着しない」ようにしています。

  • ミタテ3 ~からだとの信頼関係~

    先日は少し橋本敬三先生が説かれた「治すことまで関与しない、治すことはからだに任せる」ことについて触れました。

     

    最近はこのブログのテーマに照らし合わせながら。この橋本敬三先生の言葉の意味を重く受け止めています。

     

    「果たして自分の臨床はこの創始者の言葉に適っているのか?」

     

    常に自問自答しながらこの答えを導くために様々な視点から行っているのですが、どういった問いかけをしても最終的に行き着く答えは私自身がもっと「からだとの信頼関係」を深めなければならないのだと感じています。

     

    「からだの動きを知り、からだの持ち合わせる自然治癒力を素直に信じる」

     

    それが出来れば治すことまで関与しなくて良いですし、何より私自身が深刻にならず、臨床をより愉しめるように思います。

  • 「ミタテ1  ~何を基準に見立てるか~」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

    今週から三浦寛幸が担当致します。よろしくお願い致します。

     

    今回のテーマは「ミタテ」となりますが、本日は「見立て」について書いていきます。

     

    これは私達の生活空間の中で切っても切り離せないもので、生活、人生の一部だと言っても過言ではないように思います。

     

    より良く生活するため、より人生を充実させていく為に常に私達は様々な「見立て」をし、生きている。

     

    私が出会ってきた人の中でこれがしっかり出来ている人ほど、仕事も出来て魅力的な人が多いです。

     

    そういった人達を見る中で最も大切なことは「何を基準にミタテをするか?」のように感じます。

     

    自分の身の回りの環境、生活条件、それぞれ配慮すべきことはあるかもしれませんが、やはり「からだ」というキーワードを見立ての基準の中に入れることがとても大切なことのように思います。

     

    それが末永く健康に生きていく為の秘訣なのではないでしょうか?

  • 「プロの臨床家として必要なもの」

    本日で最終日になります。

     

    一流のプロ意識を持った人は一流の指導者でもある。

     

    「いかに生きるかという志さえ立たせることができれば、人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝ってに学んでくれる」(「覚悟の磨き方」超訳 吉田松陰 編訳 池田貴将 

    Sanctuary books出版より)

     

    これは一流の指導者でもある吉田松陰松下村塾における教育に関する信念の一つである。

     

    吉田松陰は生徒と共に学び成長し、そして同じ目線で物事が見れる教育者であったと言われています。

     

    ただ自分の習得した技術を教えるだけでは「ただのプロ」、そこで共に学ぶことで自身の成長だけでなく、自分のやっていることを進化させていけることが「真のプロ」なのだと感じます。

     

    そして何より指導者として大切なのは技術の伝授以上に教わる者の生き方に何らかの種を蒔いていくことなのだと思います。

     

    それを示していく為にも指導者自身がやっていることだけでなく、生き方そのものを磨いていく必要があります。

     

    そういったことは臨床にも通じていて、臨床家は指導者でもあるべきだということです。

     

    ただ患者が訴える症状を治すことだけならプロなら出来る。

     

    真のプロはそれを引き起こしている元の元、つまり患者自身の生き方に目を向け指導していく。それが本来在るべき治療の姿のように感じます。

     

    それには施術者自身の生き方が患者自身を感銘させるものでなければならない。

     

    治療をこのような捉え方をしていくと、橋本敬三先生が「治すことまで関与するな。治すことはからだに任せればよい」と言われていたことも理解すること出来ます。

     

    まだまだ橋本敬三先生の言葉には深い意味がありそうです。

     

    一週間どうもありがとうございました。来週からは半蔵さんの出番です。お愉しみに。