カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「ヒビキと空間」

    臨床の現場に身を置いた時に大切にしていることがあります。

     

    「患者ではなく、からだを診ること」

     

    これは操体の学びを得て、10年間常に自分に問いかけてきた言葉です。

     

    この意識は常に持って臨床に望んでいますが、気が付くとからだと向き合っている中で「痛い所を探してみよう」「患者に痛みを知らしめよう」という自分もどこかにいます。

     

    そういった自分が存在するのも、臨床の本質的なものをまだまだ理解していないからです。

     

    その本質は対比した物の捉え方では見えてこない。絶対的な物の見方、捉え方の中にある。

     

    こういう自分がいるのも、物事の捉え方が相対的であり、絶対的な物の見方が出来ていないのだと感じています。

     

    患者とからだ、この2つの現象だけに囚われていては、いつまでも何かに振り回される。

     

    だったら、この2つだけでなく、それを取り巻いている空間を診断の基準にしてからだと向き合えばよい。

     

    それがまだ見えてこないならば「ヒビキ」というのを一つの基準にし、からだと向き合っていくと、空間というものが何なのかが感覚的に掴めてくる。

     

    こういう発想も出来るので、操体は面白い。

     

  • 「ヒビキと言葉」

    最近、特に臨床の中で気を付けているのが言葉の使い方です。

     

    操体の臨床は「感覚をからだに聞き分ける」ことを重要視しているので、私達が使う言葉一つでからだに聞き分けることが出来なくなるケースもあります。

     

    例えば触診する時に「これから触(さわ)ります」と「これから触(ふ)れます」とではからだが操者に見せてくれるものが大きく変わってきます。

     

    技術やテクニックよりもこういった些細なことに気を向けられるかどうかが臨床家としての腕前を問われるように実感しています。

     

    このような言葉の選択も診る側が全てからだに向けたメッセージとして用いなければならなく、それが出来ればからだもヒビキとして受け取り、臨床の方向性を自ずと示してくれるのだと思います。

     

    こういったことは臨床の中に限らず、普段の生活から「からだと命」が悦ぶ言葉を選択していくことが大切になってきます。

     

    橋本敬三先生も「言葉は運命のベクトル」と説かれていますが、まだまだ奥が深いようです。

  • 「ヒビキと記憶」

    自身にヒビいた言葉は不思議なことに忘れかけた頃に蘇ってきます。

     

    無意識の中でまるで8の字のように巡り巡って大切な時に私に語りかけてくるかのようです。

     

    8という数字は操体では馴染みの深い数字ですが、ヒビキもからだの動きと同じように8の字に循環しているように感じます。

     

    子供の頃に両親から頂いた言葉、先生や友人から聞けた良い話、大切な人からのメッセージも月日が経過しても鮮明に覚えているのはヒビキがあり、循環しているからだと思います。

     

    だからこそいつまでも記憶の中でずっと生き続けて、人生の大切な時に山彦のようにこだまし、ヒビいてくるのではないでしょうか?

     

    こういった私達の記憶と同じようにからだも自分の意識とは別に大切なことを記憶しています。

     

    その記憶は臨床において診断、操法においてもとても重要な役割を果たしているのです。

     

    そういうものを活かしていくことも操体の醍醐味の一つだと思います。

  • 「ヒビキと感動」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

    今週から三浦寛幸が担当致します。よろしくお願い致します。

    今回のテーマは「ヒビキ」です。

    私自身「ヒビキ」から得られるものは感動に繋がることだと思っています。

    ここでいう「感動」とは人から与えられて涙するようなものではなく、自身の人生が大きく変わってしまうような感動です。

    「ヒビキ」から得た感動は自身の生き方に足りない何かを教えてくれるものであり、真摯に向き合っていかなければ得られるものなのでしょう。

    現在の学びはそういったものを受け取るための器作りだと思っています。

  • 「くいつく 〰その7〰」

    一週間、自分の感じる「くいつく」について好きに書いてきましたが、このテーマと向きあっていく中で何事も自身のからだに通して体感することが大切だと思いました。

     

    橋本敬三先生も「食うか、食わぬかはてめえの勝手」という言葉を私達に残して下さいましたが、この言葉も「やりもしないで何かを判断するな、お前さんの判断とからだの判断は違うよ」という事も言いたかったのかもしれませんね。

     

    私自身も優柔不断なところがあるので「食うか、食わぬか」の判断に迷った時は取り敢えず出来る範囲で食べてみる、やってみることにしています。

     

    また物を買う時等に迷った時も「どちらかを買って、どちかを買わない」という選択肢ではなく、とりあえず両方買うようにしています。

     

    そういった意識の持ち方でいると、くいついた物が自身にとって不味かったということがあまりないですし、何より気持ちの面で悩んだりした時に生じるようなストレスがないので例え失敗だった時でもすっきりしています。

     

    「くいつく」ことも本当にちょっとした意識の持ち方で、そこから得られるものが変わってくるのだと思います。

     

    一週間ありがとうございました。

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。お愉しみに。

  • 「くいつく ~その6~」

    最近ニュースやスポーツ紙ではアメフトの問題が取り上げられています。

     

    私も少なからずスポーツに関わりを持つ人間なので、この問題で思うことを少し書いていきたいと思います。

     

    ニュースを最初に見て最初に思ったことは現在はスポーツの根底にあるものが愉しむことから勝利至上主義に変わってきていること。

     

    そして選手を守る立場にある者がそれが出来ない情けない現状になっていることに違和感を感じています。

     

    正直な思いを書くと日大の大学側と監督、コーチには真実はどうであれ、選手を守るという姿勢が見られなかったことに怒りを覚えました。

     

    自分の地位や名誉、大学の看板を守ることを第一に考え発言しているようにも見え、それでは今後選手達が付いてくるとは到底思えないですし、そこで選手を全面的に守る姿勢を少しでも見せていれば世の中があそこまで食いついてこなかったのだと思います。

     

    またそれに対し実名を出し会見に臨んだ日大の選手に対しては称賛に値するものだと思います。

     

    あの若さであれだけ注目されている中で自分の否を認めて怪我をさせた選手に謝罪したことは、スポーツの在り方、行う事の意味を問いかける起爆剤になるものでした。

     

    彼が示した姿勢で指導者達が現在のスポーツ界の膿みを出してくれることを心から願っています。

  • 「くいつく ~その5~」

    時に自分が取り組んでいることにおいて本気で語り、衝突し、争っていくことも進化していくことにおいて必要なことだと近頃感じている。

     

    私も含めて出来るだけ穏便に学んでいきたい、争いだけ避けたいのが本音としてある。

     

    しかしやっていることに対し真摯に向かい合っていくほど、絶対に曲げてはいけないことはあり、それを貫いていく強さが学びには必要なことである。

     

    橋本敬三先生や三浦先生のように「道なき道」をこれから歩んでいくのならば尚更必要なことのように思う。

     

    以前のブログで「学びには素直さが必要」だということを書いたが、ただこの素直さにも2つある。

     

    1つはただ素直に受け取り鵜呑みにするだけなのと、もう一つは受け取ったものを自身のからだに通してそれが本当なのかを検証するのと2通りの素直さがある。

     

    何か特別な物を持っている人は恐らく後者の方を誰に言われたわけでもなく行っているのではないだろうか?

     

    食いついたものをただ食いぱなしにはせずに、食べたものを自身の人生にしっかりと生かしているということでもある。

     

    これはやっていることを飯の種にしていてはたどり着けない境地だと思う。

     

    こういったことが分かってくると「くいつく」ことにも作法、そしてルールがあるように思う。

  • 「くいつく ~その4~」

    先週の日曜日に施術体験という形で操体の臨床に興味を持たれた方達を対象に臨床を通す機会がありました。

     

    まだ開業していない私にとっては操体を知らない人達を相手に臨床を行う機会は本当に貴重な場です。

     

    ただ「からだを診て治していく」のではなく操体というものをどのように伝えていくのかも臨床の内容、結果と同じ様に大切にしていることです。

     

    幸い私が診させて頂いた方は鍼灸の治療院を開業されて十年以上のベテランの方で、何年も前から操体に興味を持たれていたようでした。

     

    そういった操体に「くいついてきた」人を相手に言葉で理論を伝えるのが先に行うのか、臨床を通じて操体の世界観を伝えていくのを先にするのか、そこも診断力として問われるところです。

     

    私は今回時間の関係もあり、この人には操体の世界観を伝えることを目的にした臨床を通し、後に理論を説明することを選択しましたが、やはり自分のからだを通し体感しなければ頭に入れた情報も活きてこないように思いました。

     

    これは臨床の世界だけに限ったことではなく、何にでも通じることだとは思いますが、からだを通じて理解していくことが物事を理解する上で大切なことのように思います。

     

    今は雑誌やネットで情報は簡単に手に入れられる世の中になりましたが、その半面良いものを判別する判断力が鈍ってきているように感じます。

     

    正しい食いつき方を行うためにも、得た情報だけで判断せずにからだに通して得られたものを大切にすべきことではないでしょうか?

  • 「くいつく ~その3~」

    私が操体の世界に足を踏み入れた理由の一つに現在も実行委員で共に学びの場を共にしているOさんの存在がありました。

     

    三浦先生が橋本敬三先生に最初に出会った時と同じような感覚だと思いますが、私もOさんと操体を学ぶ前に初めて出会ったのですが「こんな素敵な人になりたいな、この人と一緒に学べたらな」という気持ちを持っていました。

     

    そんな私が操体の世界に足を踏み入れ、学びを継続していく中でいつの日か最初に願っていたことが図らずも叶い、今は月に2回学びの場を共に出来ているわけです。

     

    こういったことは今まで誰にも言わずに内に秘めた想いとして持っていたのですが、私が操体の学びに食いつき、継続してきたからこそ成せたことなのだと思います。

     

    そういった自身の経験を踏まえると自分の願いや成したいことがあるのであれば、まずは「くいつくこと」が大切なのだと感じます。

     

    まずは「食いつき」、そして「喰らいつく」ことで見えない力も働き、自然と自分の成したいことも成せていくのではないでしょうか?

  • 「くいつく ~その2~」

    先月の話しになりますが、今年も無事春季東京操体フォーラムを開催することが出来ました。

     

    今回もいつも起こし頂いているスペシャルな先生方と新たなスペシャルゲストを交えて操体を様々な視点から捉え話せたことで、私も含めて話を聞けた人達が自身の人生をより豊かなものにする愉しい時間を過ごすことが出来たと思います。

     

    そういった経験を通し改めて感じたことはこのフォーラムは「文化交流の場」なのだということです。

     

    やはり自分がやっていることの世界観だけでは視野が狭くなり多面的な物の見方、捉え方が出来ません。

     

    本当に学びを深めていきたいのであれば、様々な人達と関わり、交わる中で聞いた話に食いついていくことが重要であり、ただ「良い話を聞いた」で終わらせるのではなく、聞いた話をどう消化していくのかが人生をより豊かにする秘訣のように思います。

     

    ご参加頂いた皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。