カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 可能性7 ~なぜかは分からないが~

    本日で最終日になります。

     

    近頃は講習の場においても臨床を通すことが多く、場が増えるにつれて人に見せる機会も多くなりました。

     

    その中で「なぜこうしたのか?」という質問を受けることがあります。

     

    聞かれたことは素直にそのまま答えるので、ありのまま答えるのですが、恐らく私の解答に対して100%納得してもらえていないと感じています。

     

    ただ私自身は100%納得してもらえなくてよいと思うのです。

     

    操体法には型はなく原理原則に乗っ取って、場の空気やからだの状態によって生き物のように姿や形を変化させていくものなので、その時、その時でからだに聞き分けた自分なりの感性でアプローチ、表現していけばよい。

     

    つまり答えは一つではなく、可能性は無限にあるということです。

     

    だからこそ操体は面白く、一生涯学べる学問なのだと思います。

     

    一週間ありがとうございました。来週からはお待ちかねの半蔵さんの出番です。

     

  • 可能性6 ~日常のちょっとしたことから~

    自転車が壊れてしまったので一週間の間職場まで歩いて行っています。

     

    笹塚から原宿まで往復で約二時間程ですが、歩くということをじっくり味わいながら自分のからだと会話しています。

     

     

    ずっと自転車慣れしてしまい、なかなかこういった機会がなかったので見落としてしまっていたのですが「歩く」ということで得られるからだからの情報はとても大きいように思います。

     

    一歩一歩踏み出していく感覚。その時の足とからだ全体の状態を学んでいることと重ねながら確かめていく。

     

    そういった確認も長時間を歩いていくと意識出来ていなかった普段のからだの癖や仕草が無意識に現れる。

     

    その無意識にしていることの間違いの積み重ねが長年自分のからだが抱える問題、そして意識、生き方と密に繋がっていることを身をもって知ることが出来たのです。

     

    これは自分の生き方のベクトルを示し、その可能性とも関係があるように思います。

     

    そういった普段のちょっとしたことから変えていくことも、自分の生き方、可能性を切り開いていく一歩なのかもしれません。

  • 可能性 ~繋がっていること~

    以前にも書いたことがありますが、操体の学びを得ていると「ある日突然出来る」という不思議な現象に遭遇します。

     

    これは操体に限らず学び続ければ誰でも遭遇することで、個人の能力に関わらず早かれ遅かれ、出来なかったことがいつの日か出来るようになるのです。

     

    一体こういった現象が起こるのは何故かを考えていたのですが、やはり繋がっていることが一番大切なことのように思います。

     

    やっていることとの繋がり、師との繋がりを切らさなければ成したいことも成せるのだと感じます。

     

    また、それらと同じ位大切なのが、からだとの信頼関係です。

     

    私達は「からだの学習」を大切にしていますが、からだが知っていることは私達の想像を遥かに凌ぐものです。

     

    からだから得られる情報を引き出すには、やはり自分でからだをコントロールしようとしてはいけないように思います。

     

    からだを自分の支配下に置こうとする考えこそが、自分の可能性を閉ざす一番の要因ではないでしょうか?

  • 可能性4 ~臨床と人生の可能性~

    最近は何かやりたいことがあったら、まずは考えるよりも行動に移すようにしています。

     

    臨床にしても、プライベートなことにしても思いついたことは結果を気にせずにトライする。

     

    昔から何をやるにしても、まずは物事を順序立てて、その結果を良いものなのか否かの判断をしてから行動していたように思う。

     

    現在になって振り返ると勿体ないことをしたなと思うこともあります。

     

    そういえば、ずっと愛読している不良漫画の好きなキャラが「やる前に考えるな、やった後に考えろ」と言っていました。

     

    昔から不良漫画が好きなのは後先考えずに本能に従って生きている所が理由の一つですが、大人になるに連れて物事を始める前に自分が出来る、出来ないを考えてしまい、何故か出来ない言い訳から探してしまう。

     

    過去の経験であったり、自分の身の回りの環境であったり、出来ない言い訳は探せば幾らでもあり、それが自分の可能性を閉ざしてしまっている大きな要因のように思います。

     

    操体法の臨床が思考させる問いかけから、からだの無意識に問いかけているのも症状や疾患の改善だけでなく自身の生き方の可能性を広げていくことにも繋がっているようにも見えます。

     

    そうやって見てみると臨床は患者の人生の可能性を切り開く手助けをしているのかもしれませんね。

     

     

  • 可能性3 ~ご縁~

    近頃、大きな成功を収めている人を見ていると、例え本人が望んでいなくても自然に人が集まってきているように見えます。

     

    そういった人達は人とのご縁も当然大切にしていると思いますが、それ以上に自分がやっていることとのご縁を大切にしている。

     

    自分の新たな可能性を見出していくには自分の意図しない力も必要で、それを引き寄せる力もやっていることとのご縁をどれだけ大切に出来るか否かだと思います。

     

    またそれを大切にしていくことで、なかなか気が付くことが出来ない自身の成長に繋がる種を拾うことが出来る。

     

    自分の可能性を広げていくにはやっていることとの信頼関係を築いていくことが大切なのではないだろうか?

  • 可能性2 ~周囲の人達から受け取っているもの~

    操体の学びを得てから学ぶ以前と比べやってみたいことが増えたなと思います。

     

    それは周囲に自分が興味を持てることを趣味の範囲ではなく、生計を立てて取り組んでいる人が多く、その影響が大きいように感じます。

     

    音楽にしても、アートにしても、昔から自分がやりたかったことをやっている人達からいつも良い刺激をもらい、それが現在の操体の学びの糧となっています。

     

    周りには特に音楽をやっている人が多いですが、その人達が奏でる音は自分の臨床のイメージを表現してくれているようで新たな発想が生まれるのもそういった人達のお陰です。

     

    操体がここまで進化し続けているのも周囲の人達が表現する世界観の影響も大きいと思います。

     

    以前、三浦先生は「動きをデザインする」ことの大切さを説いて下さいましたが、操体の可能性を広げていくにはアーティストのような感性を磨くことも大切な要素ではないでしょうか?

  • 「可能性1 ~一つの本との出会い~」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

    今週からは三浦寛幸が担当致します。お付き合い下さい。

     

    今回のテーマは「可能性」です。

     

    このテーマを聞いた時、ふとこの本が脳裏に浮かびました。

     

     

    新装 ぼくを探しに

    新装 ぼくを探しに

     

     

     

     

    この本とは付き合いが長く、最初に出会ってから25年近く経っています。

     

    私が中学の時の担任の先生がプレゼントしてくれたのが、出会いのきっかけでしたが今も大切な本の一つです。

     

    絵本なのになぜか惹かれる。特別凄い言葉はないが心に響く。

     

    昔から何をしても上手く出来ないことがコンプレックスになっていた当時の私はこの本との出会いから「常に完璧でなくてよい、間に合っていれば足りないものは後から探せばよい」と考えを改めるようになりました。

     

    こういった考え方は何となく操体の考え方に似ていますよね。

     

    私がこの本と出会ったことも、その後の操体とのご縁も偶然ではなく必然だったように思っています。

     

    今にして思うと橋本先生や三浦先生の生き方や操体の哲学に共感出来たのも、この本との出会いが私にこの道の可能性を示してくれていたように思います。

  • 「ヒビキとやっていることの本質」

    本日で最終日になります。

     

    最近月に1、2回程、義兄のからだを診させて頂いています。

     

    義兄はとて感性が豊かな方で時間があれば日本各地を旅行し、その地のお酒や料理を食べ歩くことを趣味にしています。

     

    そんな素敵な趣味を持つ義兄は操体の臨床で体感するヒビキは最高に美味しいお酒や好きな雰囲気のお店と出会った時のヒビキと似ていると言っていました。

     

    そういったこともあり、臨床を終えた後は巣鴨駒込近辺にあるお店に行き、お酒に合う料理や美味しいお酒をレクチャーしてくれるのです。

     

    その席の場で義兄は「本当に美味しいものを提供するお店は、その時々の気温や環境を含めた空間そのものを考えて食べ物を出してくれる」ということを言っていました。

     

    続けて、「寛幸の臨床もその時の空間や雰囲気に合わせて色々なものを提供してくれる」と言われていました。

     

    私はお酒や料理のの味には疎いですが、義兄の話やいままで操体の学びを得る中で「本物」と触れてきた中で思うがあります。

     

    人が良いと言ってくれるものは業種は違えどやっていることの本質は同じで、本物がやっていることは心とからだにヒビキがあるということです。

     

    私自身も臨床の中でその人自身の生き方の中にヒビキを届けられるように精進していきたいと思います。

     

    一週間ありがとうございました。来週からは半蔵さんの出番です。お愉しみに。

  • 「ヒビキと生命の記憶」

    私が操体の臨床を初めて受けたのは10歳位の時でした。

     

    確か足肢の操法のモミをしてもらったことを記憶しています。

     

    当時は父が何をしているのかもよく分からないまま、「何かきもちよいことをしてくれる」という期待と共に帰りをずっと待っていました。

     

    今になって振り返ってみると子供の頼みとはいえ、父には無理なお願いをしていたと思いますが、現在このように父と共に学問の道を歩んでいけているのもこの時の経験があったからで、何か必然的なものであったと今では思っています。

     

    あの時体感したからだの悦び、感動は臨床家となった現在の私にとってかけがえのない無形の財産となり、あの時受けたヒビキを今度は私が伝えていきたいという想いで臨床に臨んでいます。

     

    このような自身の経験から思うことは臨床とは大人になるに連れて忘れていった生命の記憶を辿っていくものだと思います。

     

    操体の分析法が「楽と辛い」から原始感覚の根底にある「快、不快」に変化していったこともこういったことが関係しているように感じますし、生命記憶を辿っていく一つのキーワードになるのがヒビキなのではないでしょうか?

     

    こうした捉え方をしていくと、臨床で本当に診なければならないものは現在だけでなく、そこに至るまでのプロセス、つまり過去も含めたものを診ていく必要があるように思っています。

  • 「ヒビキと子供の感性」

    先月の施術界と今月開催された操体マンダラに受講生で勉強されているお子さんが参加された。

     

    お母さんと同じく、とても感性が豊かなお子様で三浦先生にマイクを向けられても動じずに分からないことを素直に質問している姿にはとても感心しました。

     

    その彼と操体の学びの空間を共に出来たことで「操体の未来は明るい」と感じました。

     

    私自身も学び始めた当初思っていたことでしたが、受講生の人達は「操体で言っていることはムズカシイ」と良く耳にします。

     

    なぜそのように感じるのかを考えてみると、その原因の一つは現代の人達があまりにも自然のルールと反した生き方をしているからだと思います。

     

    だからこそ操体で言っていることを最初は素直に受け入れられないのではないでしょうか?

     

    しかし先程のお子さんが学びの場に居れるように原紙感覚が優れた子供達にとっては難しいことは何もなく、むしろ居心地のよい空間とも言われていました。

     

    それは操体が空間を通してからだで「ヒビキを受け取る学問」だと無意識に理解しているからだと思います。

     

    こういった子供達の姿勢を見て私達が学んでいることは自然の法則に乗っ取ったもので、これから万人に受け入れられるものだと確信を得ることが出来たのです。

     

    子供達から学ぶことはまだまだ沢山ありそうです。