カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「ととのえる2 ~こういった時だからこそ~」

    現在、コロナウイルスの影響で世界中が大変な事になっていますが、こういった時だからこそ自身の心とからだを「ととのう」ようにしていくことが大切だと感じています。

     

    その理由も皆さんの周囲と同じく私の身の回りにもトイレットペーパー等の日用品を買い占めたり、買い急いだりしている人が多く見られ、情報に踊らされ自分の生活を整えることに必死になっている人達を見たからです。

     

    個人的にはそういった人達に対して批判的な思いはありませんが、あまりにも情報に振り回され過ぎているように感じます。

     

    生きていくことにおいてはもちろん自分の生活を整えることは重要なことですが、それ以上に大切なことは自分で考え行動していくこと、そしてからだの感覚を大切にしていくことだと思っています。

     

    その大切さに気付いたのは2011年の震災後でしたが、私が診た人達は地震の恐怖でからだの感覚が鈍磨してしまい、結果的にそれが原因でからだに不調を訴える人がほとんどで、中には携帯からの通知音が怖くて体調を崩した人もいました。

     

    結局はその人も含め、体調を崩す原因の半分は人が作り出しているもののように感じます。

     

    あの時のことを繰り返さないためにも普段から自分の心とからだに目配りをして「ととのえていく」ことが大切なことだと思います。

     

    その点においては操体の同志達は普段から自身の感覚お大切にからだに目配り、気配りをしているのでこのような事態になってもあたふたしないのはさすがだなと思いました。

     

    どんな不測の事態になっても自分のやるべきことをやり抜く姿勢、生き方というのは何にも代えがたい予防なのかもしれませんね。

     

    2020年春季東京操体フォーラムは4月29日に開催致します。

    https://www.tokyo-sotai.com/?page_id=1772

     

  • 「ととのう1」~景色が変わる~

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

    今週からは三浦寛幸が担当致します。よろしくお願い致します。

     

     

    今回のテーマは「ととのう」です。

     

    このテーマに決まった時から、なぜ「整う」、「整える」ではなく「ととのえる」なのかと考えていましたが、自分自身が臨床の中でやっていることや操体の学びの中で向き合っていることはひらがなの「ととのう」ことなのかなと感じました。

     

    あくまで自分の感覚的なものですが、「ととのう」とひらがなで書いてみると、自分と自分を生かしてくれているものと共存しながら心とからだを在るべき形に収めていくような感じがします。

     

    漢字で「整う」または「整える」と書いてしまうと、どうしてもシンメトリー的な捉え方で見てしまい、左右対称にきっちりさせるようなイメージで捉えてしまいがちです。

     

    それが「ととのう」だと全て「間に合っていればいいんじゃない」というような「ゆとり」が生まれるように思います。

     

    実はこの「ゆとり」が生きることにおいても、または臨床の中でもとても大切なことで、これが生まれると臨床も景色が変わってくる。

     

    からだも筋肉、骨格という形での診方も、それを覆っている皮膚の存在、そしてそれが動くということ。

     

    そしてなにより私達の第一生命である呼吸の大切さ。

     

    臨床家としても、一人の人間としても、ととのえなければならないものは沢山あると思いますが、目に見えているものが全てではないということ。自分を生かしてくれているものへの気付きとそれらをととのえていくことがこの学びの本質のように思います。

     

    私達が何年もこの学びを継続していけるのもこういったことを自身のからだを通じて気付き、ととのえていける悦びがあるからなのでしょうね。

     

    今回のブログを通してそれを伝えていければと思っています。

     

    2020年春季東京操体フォーラムは4月29日に開催致します。

    https://www.tokyo-sotai.com/?page_id=1772

  • リスペクト

    一途につらぬくにな、自分の考え方や、行動の手本となる人物が欠かせない。

    この人物ならどう考えるか、とパシッと浮かぶ人物である。その人物を心からリスペクトしていることが一つの条件である。

     

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    2020年春季東京操体フォーラムは4月29日に開催致します。

    https://www.tokyo-sotai.com/?page_id=1772

  • 「がんばるな」という魔法の言葉7

    操体の臨床、そしてからだの動きも「(自分が)頑張る動き」から「(からだが)がんばらない動き」へ進化してきました。

     

    その進化は時代の流れの中で著しく変わっていく人の想念の在り方に適応するために必然的なものであったのと同時に人が自らの力で健康を勝ち取っていくために必要なことであったのです。

     

    世間で言われているからだに良いとされる物を食していくこと、また運動をすること、健康維持増進していくために様々な事が提唱されていますが、私自身はそれら以上に心の在り方が大切なことだと認識しています。

     

    その心の在り方を紐解くヒントが橋本敬三先生が説かれた「がんばるな」の中にあり、その意味を理解していくことが人間社会を生きていくためにも、また自然界に適応していくことにおいても大切なことではないでしょうか?

     

    最後に私の思う「操体のがんばるな」とは自分と共に生きているからだ、また自分を生かしてくれているものへの「思いやり」だと思っています。

     

    「頑張る」のはよいことですが、共にがんばってくれている「からだ」があること、そしてがんばることを可能してくれている空間という存在。それらに意識を向け感謝していくために橋本敬三先生は「がんばるな」と言ったのだと解釈しています。

     

     

     

    一週間ありがとうございました。

     

    本日が今年最後のブログになります。

     

    また来年も少しでも自身の学びの中で掴んだことを書いていけたらと思っています。

     

    明日からは半蔵さんが担当致しますのでお愉しみに。

     

  • 「がんばるな」という魔法の言葉6

    時代の流れと共に人の想念の在り方も大きく変化していますが、ここ百年の間で現在が一番「頑張れない」時代になってきているように感じます。

     

    そう感じる理由はここ20年の間に携帯電話、パソコンを持つことが当たり前になったことで人と人との心の繋がりが薄れてきたことです。

     

    例えば大切に思っている人から会って「頑張れ!」と言われるのと、電話で言われるのと、メールで言われるのでは受け取り方が違いますし、言葉の重みも変わってくると思います。

     

    一昔前の時代では会って言葉を伝えること、それが出来なければ電話で伝えることが当たり前の時代でしたが、現在は人と顏を合わせなくても繋がっていられる時代になりました。

     

    それは生活が便利で豊かになった反面、顔を合わせて対話することで産まれる言葉の持つ力がなくなっている時代でもあり、同時に1人1人のメンタルコントロールが複雑になってきている時代とも言えるのではないでしょうか?

     

    また、情報が溢れかえっていることで、逆に自身の選択も難しくなっていることも「頑張れない」時代の1つの要因のように思っています。

     

    選択肢が増えたことで社会全体からみれば自由になったのかもしれませんが、1個人でみるとまた何をすれば良いのかが分からなくなっている不自由な時代のようにも見えます。

     

    その迷いや相談できないことが心の病に繋がり、自身の人生、または生活を頑張れなくなってしまう人が多くなっています。

     

    橋本敬三先生の「がんばるな」という言葉を言い放ったのもこういった時代になることを見据えてのことなのかもしれません。

     

    1つ確かなことは今の時代この言葉を必要としている人達が多いということです。

     

    頑張れない時代に「がんばる」ために必要な言葉が「がんばるな」という気がします。

  • 「がんばるな」という魔法の言葉5

    「頑張る」という意識が働くことでからだに一番影響を与えるのは呼吸のように思います。

     

    仕事などで無我夢中になって頑張っている時は当然ながら呼吸には意識が向けられず自然呼吸になっていますが、この時の呼吸は浅く、吸気がとても入りにくくなります。

     

    そして後になって背中等を中心にからだ全体の筋肉の疲労をとても感じるのです。

     

    なぜ頑張った後に疲れを感じるのかを考えていくと、からだの使い方やこころの問題など色々あると思いますが、一番問題なのはからだの内部に意識が向けられず感覚がマヒしてくることだと思います。

     

    この状態が長く続くと頑張っていない時(休んでいる時)等でも無意識に不快なことをしてしまう恐れがあります。

     

    こういった事態にならないようにするために私達は常に「からだにききわける」ということをしているのです。

     

    私達は人間社会の中で生きているので当然頑張らなければならない時、少し無理をしなければならない時はあると思います。

     

    そんな時にからだにききわければ「どこまで頑張ってよいのか」を判断することが出来るのです。

     

    またそういう状態になった時こそ少し間を置いて、吸うことに意識をおいてみるのも良いのかもしれませんね。

     

    こういった経験から感じることは橋本敬三先生が「頑張るな」と言った1つの理由は、からだの内部感覚に意識を向けさせることを目的として言ったのかもしれません。

     

     

     

  • 「がんばるな」という魔法の言葉4

    一昔前に「なぜ何年学んでいても自分が掴みたいことが掴めないのか?」ということを考えていました。

     

    私は数年前から自分が知りたいこと以上の情報を持っている先輩方に囲まれていてとても恵まれた環境に身を置いていますが、知り得た情報を上手く消化出来ていないように感じでいた時がありました。

     

    学び続けることを継続すればするほど、自分が本当に知りたかったこと、また掴みたいことの本質から遠ざかっているような感覚だったように思います。

     

    そこで操体以外のものから情報を引っ張ってきて解決の糸口を見出そうとしていましたが、結局は振り出しに戻ってしまったり、問題をより複雑にしてしまったりすることがほとんどでした。

     

    その時の自分は最高の食材を手にしているのに、その調理法を知らないような料理人のような感じでしたが、そんな自分を変えてくれたのは橋本敬三先生の「頑張るな」という言葉でした。

     

    「別に自分が頑張らなくてもからだが私が知りたいことをわかってくれている。だったら私はゆっくりからだが理解してくれたことをからだから学べばよい」

     

    ある時、橋本敬三先生の本を読んでいた時にこんなことを感じたからこそ学ぶことにおいて、がんばらずに継続出来ているのだと思います。

  • 「がんばるな」という魔法の言葉3

    最近の臨床を振り返ってみると、力まず自然体で臨めるようになってきたように思います。

     

    その理由も臨床の空間に入っていく前に「頑張ろう」という意識が消えたことが大きいように感じています。

     

    そういった意識感覚になれたのも橋本敬三先生の説かれた「バルの戒め」が自分の心とからだに落とし込めてきたからです。

     

    恐らく今までの私の「頑張る」という意識は患者のからだを通じて意識と心に伝わっていたのかもしれません。

     

    それは患者にとっては緊張や不快に繋がってしまう可能性もある。

     

    だからこそ私と患者とからだは「がんばらない」関係で繋がっていなければならないように思います。

     

    その関係を結ぶものとは「きもちよさ」ではないでしょうか?

     

    「きもちよさ」を味わうと生き方の中から「頑張る」という概念が消えてくることは確かなことです。

     

    私達が操体の臨床で行っていることは患者の訴える症状、疾患を診ながらも「がんばらない」からだにしていってるのだと思います。

     

    こういったこと捉え方をすると橋本敬三先生の説かれている「治すことまで関与するな」というのも頷けます。

     

  • 「がんばるな」という魔法の言葉2

    学生の時は「頑張れ!」という言葉は少し嫌いな言葉だったように思います。

     

    特に勉強嫌いだった私にとってからだを動かすこと以外のことは自主的に自分から取り組むことが出来ず、その中で頑張れと言われるとその言葉は自分に苦痛を与えるものとなっていたと記憶しています。

     

    私自身は特にスポーツの試合では自分自身にこの言葉を投げかけると不思議な力が得られたように感じましたが、自分が自主的に取り組んでいないことの中で投げかけられるこの言葉には心のどこかで反発してしまうような気がしました。

     

    それは他の人達も同様に自身が置かれている状況によっては「頑張る、頑張れ」という言葉は力にもなり、プレッシャーにも成りえる不思議な言葉だからだと思うのです。

     

    だからこそ、この言葉を使うときには自分自身、また相手の置かれた状況を踏まえた中で使う必要があります。

     

    操体を学ぶ前まではこういった言葉の持つ力には気が付くことなく、当たり前のように使っていましたが、今では使う言葉の選択も全てからだが悦ぶがどうかを一つの基準にして使うようになりました。

     

    そういったことを判別する力は臨床の中でも活かせることであり、テクニックや技術以上に必要なことのように近頃は感じています。

  • 「がんばるな」という魔法の言葉

    三浦先生とネコちゃん達、ありがとうございました。

     

    今週から三浦寛幸が担当致します。よろしくお願い致します。

     

    今回のテーマは「操体的な『がんばるな』とは」になります。

     

    今まで頑張る世界で生きてきた私にとって操体を学び始めた時に言われた「がんばるな」はなかなか受け入れられない言葉だったことを覚えています。

     

    数多く響く橋本敬三先生の放言の中でなぜ「がんばるな」なのか?

     

    あれだけのことを成してきた先生が言うことには何か裏がある。

     

    そんな想いを抱きながらこの言葉の謎解きは操体を理解することにおいて、とても重要なキーワードとなっていきました。

     

    そしてこの言葉と向き合う日々の中で少しずつわかってきたことは、「頑張る」という意識、または言葉はからだの内部情報をききわけることにおいて弊害になるものなのだということです。

      

    きっと橋本敬三先生はからだ内部情報をキャッチ出来ない患者に魔法をかけるように「頑張るな」と言うことで、からだに「がんばらせない」ようにしていたのだと思います。

     

    こういう言葉1つの使いわけだけで本人、またはからだの意識が変わってしまうことが操体の世界の面白いところであり、学び続けることでしか見えてこない世界です。

     

    その世界観を明日以降も書いていきたいと思います。