カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「操体を説明する7 ~有難さを知る学問~」

    「生かされている」ことの有難さを知る学問だということです。

     

    私は10年以上の期間操体の学びと向き合ってきましたが、その学びの中で掴んできたことは何も特別な知識とかではなく、呼吸にしても、食にしても、それまで当たり前としてきたことへの気付きがほとんどでした。

     

    その当たり前だと思ってきたことをからだとの対話の中でより良いものにしていくこと、そして感謝していくことがこの学問の核にあるのです。

     

    操体の臨床でもそういったことに意識を向けてもらうことが本来あるべき臨床の姿なのだと思っています。

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。

     

    お愉しみに。

  • 「操体を説明する6 ~想の重要性~」

    昨日までは操体における「感覚と動き」の大切さを書いてきましたが、操体を説明する中でこの2つと同じ位大切なのが「想念」になります。

     

    この操体における想念を理解することが出来なければ、これまでに挙げてきた「感覚と動き」をはじめとした操体の世界観も理解することは出来ません。

     

    想念における大切なことはたくさんありますが、初めての人達に操体を説明することにおいて1つ挙げるとすれば「言葉」の大切さを挙げます。

     

    操体の臨床における診断ではからだの構造、動作と同様に患者の使っている言葉等も重視して診ていますが、長年操体を学んでいると患者のちょっとした動作(しぐさ)や言葉使いを聞いただけで、その人の人生のバックボーンやからだとの向き合い方の片鱗がみえてくるのです。

     

    医療者達が全く注視しない、症状と関係なさそうなところに注目し、その変化を診ていくことも操体の特徴の1つと言えます。

     

    からだの変化だけでなく、そういったものの変化こそが操体の臨床では大切なことで健康維持増進に繋がる1歩だと思っています。

     

  • 「操体を説明する5 ~なぜきもちよさなのか?~」

    昨日の続きになりますが、当時、橋本敬三先生の臨床は「辛い方から楽な方」に動かすという分析法(第一分析)で患者を診ていました。

     

    この分析法はからだの構造を左右対称に整えることを目的としています。

     

    歪みを改善し、からだを左右均等にすることで、結果的に症状の改善、そして息・食・動・想の4つの命の営みのバランスが取れてくるという捉え方であったのだと思いますが、橋本敬三先生はこのやり方で患者の健康維持増進に繋がっていく臨床になるとは考えていなかったと思います。

     

    からだの構造を左右均等に整えるだけでは、患者の訴える症状・疾患は改善することは出来てもまた元の状態に戻る可能性は大いにあります。

     

    操体を健康維持増進医学として提唱されている以上、橋本敬三先生も目指していたのは患者が自分の力で健康を勝ち取っていくために必要なものを臨床の中で提供していくことを目指していたのではないでしょうか?

     

    そのひとつが「感覚」であり、橋本敬三先生も晩年「動きよりも感覚を重視しなさい」といます。

     

    そしてもうひとつが「きもちのよさ」であり、これらを「からだに聞き分けて味わう」ことが出来れば、先ほど挙げた問題もクリアになってきます。

     

    それはからだが要求しているものであり、その要求を無視することの出来ない自分を形成していくことが操体、もしくは操体法にはあるのです。

     

     

  • 「操体を説明する4 ~なぜ動かして診るのか?~」

    一般的に操体の臨床の一つの特徴として「動かしてみる」という「動診」という診断法が認知されていますが、橋本敬三先生はなぜこういったことに着目し、診断と治療に活かしたのかを知ることが操体を説明することにおいて重要なことです。

     

    以前のブログでも書きましたが、操体では人間の生命活動を4つ(息・食・動・想)に分け、これらが互いに同時相関相補し合いバランスを取りながら私達は生かされているということが前提にあります。

     

    現在ではそれぞれの分野におけるスペシャリストはいますが、この全てのバランスに着目していることが操体の特徴でもあります。

     

    では、なぜこの4つの命の営みの中の「動」なのか?ということです。

     

    ここで4つの命の営みに昨日書いた「感覚」を照らし合わせていくと、「動」における感覚がからだの内部の感覚との繋がりを一番認識しやすいからなのだと思います。

     

     この「感覚」も病を患った状態と健康体では感覚が異なるように、からだに歪みがある状態で聞き分ける感覚とある程度歪みがない状態の感覚では本当のからだ声をキャッチすることは出来ないのです。

     

    からだを主体にした正常な感覚を聞き分けることが4つの命の営みの循環を調和することに繋がるという捉え方をしていくと、「動」からアプローチしていくことにより、まずはからだの歪みを正していくことはとても理に適ったものであるように思います。

     

  • 「操体を説明する3 ~一生愉しめる学問」

     

     先日のブログでは操体は「健康医学を超えたもの」と書きましたが、また別の側面から操体を見ていくと「人生学」にも通じているように感じています。

     

    学びの月日を重ねていく中で不思議なことに様々な分野で活躍されている方達とのご縁がありましたが、そのご縁の中から学ぶことは全て操体に活かせるものであり、自身の生き方の中に大きな変化を与えてくれたように思います。

     

    これも操体を学ぶうえで必要な「感覚」を磨くことに繋がっています。

     

    また橋本敬三先生の思想や生き方、そしてその弟子である三浦先生から私達が学んでいることも、人(からだ)との向き合い方だけでなく、自分自身との向き合い方を学んでいるようです。

     

    操体の中の哲学を臨床応用した操体法がなぜ「術」ではなく、「法」なのかを考えていくと、操体は人を治す術ではなく、自身の健康も勝ち取っていくという法の中に私達は生かされているという捉え方があるのです。

     

    やはり私達は人様のからだを診させて頂く前提として自分の健康は自分で勝ち取っていくという自己責任を全う出来ていなければなりません。

     

    そのうえで操体には人生をより豊かにする魅力もあるのですから、橋本敬三先生が三浦先生に言われた「一生愉しめる学問」というのも納得出来ますよね。

  • 「操体を説明する1 ~からだでキャッチするもの~」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

    今週から三浦寛幸が担当致します。よろしくお願い致します。

     

    今回のブログのテーマは「私があなたに操体を説明したら」です。

     

    近頃は操体を全く知らない人と接する機会が多くなりました。

     

    患者の周囲の人達、自分の知人、友人にも操体の説明をした人には僅かな時間でも臨床を通じて操体の世界観を体感して頂くようにしています。

     

    その理由も操体を頭で理解してもらうよりも、からだを通じて理解して頂くことが大事なことだからです。

     

    今まで意識を向けることのなかった「からだのちょっとした変化」をキャッチすることが出来れば操体を理解する一番の近道なのです。

     

    私自身はそういった機会を通じて、操体、そして操体法とは臨床の場を通じて患者の訴える症状や疾患を改善することだけに留まらず、からだとからだが聞き分ける感覚を繋げていくものだと実感しています。

     

    その繋がりの先には私達は自分だけの力で生きているのではなく、身の回りの全てのものに生かされているという大切な気付きがあります。

     

    それに気が付くことが出来れば、そんな簡単には病気にはならず、間に合う程度に生を全うしていけるのではないでしょうか?

     

    こういったことは操体を知らない人であってもからだでキャッチ出来るものなのです。

  • 「私の操体史 ~同志達との出会い~」

    毎日同じことのサイクルを嫌い「日々冒険をするような人生」にしたいという願望を昔から持っていました。

     

    社会人になってからは色々な人達と出会い、刺激を受けながら成長していけるような職場を求め販売の仕事をしてきましたが、そんな私だからこそ操体の学びの場は自分の生き方に合っていたのかもしれません。

     

    師も今回のブログで書かれていましたが、日々独りで臨床に追われている生活では私自身も10年以上この世界に身を置き続けていられなかったように思います。

     

    様々な人や物事との繋がりを広げられるのも操体の魅力の一つであり、特に「同志」の存在なくして私の操体の歩みはなかったように感じます。

     

    学びの中で切磋琢磨していける同志は私に新たな問いかけを与え、常に自分をそこに留まらせず、先に進ませてくれる存在でした。

     

    こういった同志との信頼関係を築いていったことも私の操体史を語る中でとても重要なことでした。

     

    これはどんなことにも繋がっていくことで、人独りで物事を深めていくには限度があるように思います。

     

     

  • 「私の操体史 ~感覚との信頼関係~」

    大きな決意と覚悟を持ち、操体の学びの門を叩いたものの、いったい何から身につければ良いのかわからず自分の学びの方向性を手探りで探す日々が続いていました。

     

    そんな私に師はまず

     

    ・からだの歪みを正していくこと

    ・身の周りの人や物に意識を行き届かせること

    ・自分のやれることは何でもやること

     

    こういったことを学びの場を中心に実践していくことを言い渡してくれました。

     

    現在になって振り返ると、このような師が示してくれたことは私が操体の臨床家として生きていくために必要な基盤となるものであり、技術やテクニックの習得以上に大切なことだったと思います。

     

    また師をはじめとした実行委員の方達も操体のことだけでなく、それに繋がっている様々な情報を教えてくれたことによって自身に何が必要なのかがはっきりしました。

     

    まずは「感覚、感性を磨いていく」こと。

     

    それが今後の自分の学びにおける大きな武器となるもので、そして最も信頼関係を築いていかなければならないものでした。

     

    学び初めた最初の1,2年の自身の感覚と向き合う日々が続いたのです。

     

  • 「私の操体史 ~父、そして師との信頼関係~」

    「自分のやりたいことをしなさい」という父の言葉から私は感じるがままに自分のやりたいことをしてきました。

     

    自分の尊敬していた人達に囲まれながら好きなものを売る仕事に身を置き、それなりに自分の生き方に満足する生活の中で心の奥底では自分のやっていることに様々な疑問を持っていました。

     

    「これが本当に自分がやりたかったことなのか?」

     

    「このままでは父の背中がどんどん遠くなっていくのではないか?」

     

    「これが父の言っていた自分に素直な生き方なのか?」

     

    そういった問いかけを日々繰り返している中で、ある日、橋本敬三先生の著書が私の生き方を大きく変えたように思います。

     

    その著書で書かれていたことは自分が父から言われてきたことだけでなく、自分が憧れた父の生き様の根底にある哲学が記されてあり、これを学べば父に少しでも近づけるような気がしました。

     

    その衝動から直ぐに父に電話をし、相談に行ったことを昨日のことのように覚えています。

     

    三軒茶屋の喫茶店で私は父にありのままの想いをぶつけたところ、少し間を置き

    今まで見たことのなかった表情で「わかった。腹をくくれよ」と。

     

    その時の私は操体が一体どういったことをやっているのかを全く知りませんでしたが、父と、そして父の師である橋本敬三先生がやっていることならば何でもやってやろうという気持ちでした。

     

    しかし私の決意以上に父の覚悟は相当なものだったと想像出来ます。

     

    その覚悟に応えていくことも当時の私にとっては大きな課題だったのだと思います。

     

     

  • 「私の操体史 ~子供の頃から出会っていた操体~」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

    今週から一週間三浦寛幸が担当致します。

     

    よろしくお願い致します。

     

    テーマは引き続き「私の操体歴」になりますが、私と操体との出会いは他の実行委員の方達とは少し異なっているように思います。

     

    師でもあり私の父でもある三浦先生の下で10年以上の間、操体を学ばせて頂いていますが、振り返ると子供の時から両親から受けてきた教育が操体の学びに繋がるものだったように感じています.

     

    例えば「肘をついて食べない」「ゲップをするまで食べない」といった普通の家庭でも躾として当たり前のようにされていること以外にも「踵を付けて歩かない」といったことまで子供の頃から言われてきました。

     

    それが一体何を意味し、どういったことに繋がっているのかを知らないまま言われたことを実践してきましたが、現在となれば父から受けてきた教育は私自身の人生をより豊かなものにするものだったと思っています。

     

    そんな父に対し、心のどこかに憧れを抱き、いつか父と肩を並べられる大人になりたいという思いで学生、社会人時代をやりたいことをしてこれたのも「自分のやりたいことをしなさい」という父の言葉があったからでした。

     

    そんな私が操体の門を叩いたのも偶然ではなく必然的なことだったように思います。