「見えるものは、見えないものに触れている」(ノヴァーリス)
こういう感覚を持てば、間違いが少なくなるのでしょう。
「見えるものは、見えないものに触れている」(ノヴァーリス)
こういう感覚を持てば、間違いが少なくなるのでしょう。
東洋医学には、四診(望・聞・問・切)というものがあります。
増永静人先生は、「切診」について、次の様な記述を残されています。
「切切とか親切というねんごろな関係は、表面的なふれあいではなく、深くピッタリくっついていることだから、切診を行なうときは原始感覚が優位になっている筈である。判別感覚を中心に生活する現代人には、この感覚を説明するのがむつかしいが、交接のときに感じるのは相手の道具の様子そのものではなく、それから受ける自分の感情であることは経験者ならわかる。」(「経絡と指圧」-切診と触診―より)
橋本敬三先生は、セックスをレーベンス・テーマとされました。「セックスは神を交えた政事(まつりごと)であり、2人でやるものではない。」という言葉を残されています。
舌による接触―その最たるものはキスでしょう。
読売新聞「編集手帳」の名コラムニスト竹内政明さんは、「キスとは、1階の都合を2階で聞くこと」と書こうとしたが、止めました。と。
その理由は、「小学生から、これはどういう意味ですか?と質問されたら、返答に困るからです。」と、どこかに書いておられたことを思い出しました。
「団地の庭にツツジの花を指差すのです。とっさに、その”指差し”の指を少しずつ対象に近付けて、花びらに触れるようにしてやると、そこでは、まず、握るということはしない。なんと、その人差指の尖端で輪郭をなぞっているのです。あの舌の先でやっているのと、まったく同じ様に・・・・・」(「内臓とこころ」120p)
幼児の指差しには、やがて「呼称音」が加わり、”もの”と”なまえ”の一体化した二者一組の体得が成されます。
赤ん坊は生後6ヶ月くらいから、手あたりしだいに物を「なめ回し」ます。
形態の把握はまず舌から、そして舌がすんだら手が、手がすんだら目が、といった順序で進むということです。
そして、三木成夫先生は、こう述べられています。
「人間の知覚とか、あるいは認識だとか、そういったものの根底に、この内臓触角(舌)による、かつての「感受」の記憶が、どれだけ関与しているか・・・・・なにか底知れないものがあるのです。」(「内臓とこころ」43p)
本日で最終日になりますので、今週体験したことを少し書いていきたいと思います。
今週月曜日に熱と関節痛で体調が良くなかったので、木曜日に病院で検査をしたもらったのですが、結果はA型インフルエンザの陽性であった。
予約が取れず病院に行くのが遅くなってしまったため、処方せんは出ず、市販の薬とこれまで学んできた操体で自力で通せる操法で何とか対処しようとしました。
しかしそれでも熱と倦怠感と向き合う時間が続き、食欲も次第に落ち、何も口に出来ない状態になってしまいました。
そういった状態の中でからだの変化を辿ってみると、まず立ち方の変化が大きく変わっていることに気が付く。
熱が出てから続いていた左の体側と骨盤の痛みにより、逆くの字のような姿勢を取り続けていたことに気が付きました。
そしていつもは向き合えているからだからのメッセージも全く意識を向けられない状態になっていました。
正に八方塞がりの状態でしたが、そんな時に、瀧澤副実行委員長から遠隔での臨床の申し出があり、有り難くその申し出をうけることにしたのです。
内容は割愛しますが、結果的にその臨床の数時間後には38~39度あった熱は36度台まで引き、関節痛も全くと言ってよい程無くなりました。
この30から40分の臨床の時間の間で一体何が起こったのかは明確にはわかりませんが、操者の意識と呼吸がわたしのからだにふれていたのは確かなことだと言えます。
その中で熱と痛みで閉ざされていた感覚のうつわが変化し、それが普通では考えられないような治癒力を引き出すことに繋がったのだと思います。
こういった最近の経験からわかったことは、健康維持増進に繋がる意識の使い方はからだの内と外の両方のバランスを保たなければ感覚のききわけもおかしくなるということです。
人は病むと意識は内にばかり向けられ、外に使う意識は疎かになります。
それは時間の経過と共にじぶんを生かしてくれているものとの関係性が悪化し、結果的にそれは自身の普段の立ち姿と動きに現れる。
意識と立ち姿と動きの関わり合いがこの経験を通じて少し見えてきました。
こういったことを次回のフォーラムでは皆様にお話出来ればと考えております。
一週間お付き合い頂きありがとうございました。
来週からは半蔵さんが担当致しますのでお愉しみに。
開催案内 | 2023年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum
わたしがこれまで操体の学びの中で最も面白いと思い、熱をいれて学んできたことの一つが目に見えないもののふれ方、生かし方です。
わたしたちはそれを臨床で実践していますが、まだまだ謎が多くわからないことも多いです。
しヵし不思議なことに実際にからだに触れる臨床よりも効果が大きいこともあります。
実際にその臨床では空間を介して呼吸と意識を使い、臨床をしているのですが、最近は「意識の変化」というものがとても大事だと思い注目しています。
痛みや不快感、もしくは快をどのように受け取るのかは自身の意識のうつわがどういった状態になっているのかによって変化してくるということです。
そのうつわをどのようにつくっていくのかは目に見えないもの、つまり自身を生かしてくれているものに対しどれだけ感謝出来るか否かがとても大切なことだと思います。
そういったことも臨床の診るべきポイントではないでしょうか。
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臨床の中でからだにふれていると「接触」の中でしかききわけられないからだの情報が確かにあるように思います。
「ふれる」ことで本人の意識を出来るだけ薄くしていき、その中でききわけることの出来るからだからのメッセージは自然治癒力に直結する。
それを日常の中にどのように落とし込んでいくかが健康維持増進に繋げる鍵になるように感じています。
臨床家の立場としてそれを患者に実践してもらうために重視して診ているのが「立ち姿」です。
この立ち姿がいかにからだにとっての自然な姿になっているかに着目しています。
からだにとっての自然な立ち方が出来れば、動きと呼吸のバランスがとれ、時間の経過と共に自分の思考が関与しないからだからのメッセージも自ずとききわけられるようになってくるのです。