投稿者: karib_sotai

  • 想念、心の振動①

    今回のテーマも「フリー」で、

    今週担当の岡村です。

    どうぞ、よろしくお願いします。

     

    ワタシが「操体」の学び始めた頃は、

    からだの使い方、動かし方を教えてもらい

    つつも、「アタマ」の情報を覚えるのに懸命。

     

    今になって考え直してみると、「からだ」

    そのものに向けた観察では、素人でした。

     

    そもそも、医学になる前の生命の情報は、

    沢山ありすぎていくら時間があっても全て

    覚えきるなんて、到底できません。

     

    なので、当時の素人に向けたアドバイスは、

    シンプルに集約する方向性でちょうど良い。

     

    ただし、シンプルにするプロセスは大切。

     

    それは今になっても見事に繋がっています。

     

    操体の学びかたはシンプルに。

     

    それは、どこから切っても同じにみえるような、

    実はジックリみると違う「金太郎飴」に似てます。

     

    では、そうするには。

    では、そうなるのには。

    では、そうしていけるには。

     

    この捉え方に、ブレはないか?

     

    それをシンプルに指導して頂き、「からだ」で感覚すること。

     

    このことは変わらず、今も継続して大切にしています。

     

  • 歩歩起清風

    歩歩起清風(ほほ せいふうおこる)

    『槐安国語』

  • 不風流処也風流

    不風流処也風流(ふうりゅうならざるところ また ふうりゅう)

    『白雲広録』

  • 和敬静寂

    和敬静寂(わけいせいじゃく)

  • 無事

    無事(ぶじ)

    『臨済録』

  • 名利共休

    名利共休(みょうり ともにきゅうす)

  • 銀椀裏盛雪

    銀椀裏盛雪(ぎんわんりにゆきをもる)

     

    『碧巌録』

  • 坐看雲起時

    坐看雲起時(ざしてはみる くものおこるとき)

    『王維詩集』

  • 「からだとじぶんの自由 ~その7~」

    本日で最終日になります。

     

     

    一週間、自身の思う「自由」について思いつくままに書いてきましたが、今回皆様に一番お伝えしたいことをまとめます。

     

     

    ・私(じぶん)が感じる自由とは「からだが自由になること」で感じることが出来る。

     

     

    ・からだが自由になるということはじぶんの意識(思考)操作からの解放である。

     

     

    ・それはからだの動きとからだの要求する呼吸によって解放される。

     

     

    ・それが解放されることによって「からだ」という意思を持った人格者と共に生きることが出来る。

     

     

    ・からだの意志に従って生きていければ、生き方に迷いがなくなる。

     

     

    ということです。

     

     

    一週間、お付き合い頂きありがとうございました。

     

     

    明日からは半蔵さんが担当致しますのでお愉しみに。

  • 「からだとじぶんの自由 ~その6~」

    昔からずっと思っていることですが、操体、操体法の一番面白い所はからだへの問いかけ方が一人ひとり異なるということです。

     

     

    診断の中で診なければいけないところはほとんど一緒であるが、それを改善していくためのアプローチの仕方は人それぞれで面白いなと感じます。

     

     

    アプローチが人それぞれ異なる理由も挙げればキリがありませんが、その時、その空間のからだとからだとの相性や状態、呼吸の通り方等が挙げられます。

     

     

    こういった様々な要素が全て摩擦を起こさずに「快」に繋がるように診立てを行い、結果的に「重心の適性化」に繋がっていくのが操体の臨床の姿である。

     

     

     

    そこに行き着くには動きだけでなく、呼吸、想念、言葉、意識、様々なものが診断の要素になり、それをどういったアプローチでからだの要求に適うようにしていくかが操者の腕の見せ所になります。

     

     

    そういった操体法の臨床の姿を見ていくと、とても自由な姿だと感じます。

     

     

    「じぶん」と「からだ」を生かしてくれているもの全てを臨床応用し、選択出来る自由がある。

     

     

    しかしその自由もからだの要求に適うというルールの中での自由になる。

     

     

    つまり「勝手」は許されないということです。