投稿者: karib_sotai

  •  内なる波動

    「・・・すべての治癒力、あらゆる種類の治癒力とは、

    内なる波動を変えることである。

    すなわち身体の生きた組織の中にある聖なるものを

    創造的なエネルギーへと同調させることである。

    それだけが治癒となる。

    たとえ薬を使用しても、または手術によって治癒したとしても、

    あるいは他のなんらかの方法で治癒したとしても、

    生きている細胞の諸力の原子構造を、

    その霊的資質に同調させることによって治癒しているのである」(健康ハンドブックより)。

    これは「眠れる預言者」と呼ばれる

    エドガー・ケイシーが行ったリーディングの一節らしいです。

    内なる波動を変えること。

    ケイシーのような特別な能力がなくても、

    臨床家であればその方向へ何とか導いていきたいものです。

    その為の方法は何でも構わないのかもしれませんが、

    カギはきっと自然法則(息・食・動・想)にあるはずです。

    精進しなくてはなりませんな。

    中谷之美

  •  あの世とこの世 2

    橋本先生はあの世について

    「みんなが行くところだから気持ちのいいところ」と言われていたそうです。

    こんなにありがたくって、安心できる言葉はありませんね。

    更に、死ぬ瞬間も最高に気持ちがいいらしい。

    でも、あの世とこの世は表裏一体ですから、厳密には死なんてものはなく、

    肉体という仕事着を脱いで、我が家へ帰っていくだけなのかもしれません。

    元へ戻る(家へ帰る)ということは気持ちがいいものであり、

    これは操体臨床そのものだと思います。

    夕焼け 小焼けで 日が暮れて

    山のお寺の 鐘がなる

    おててつないで みなかえろう

    からすと いっしょに かえりましょ 

    (夕焼け小焼け 作詞 中村雨紅 作曲 草川信)

    幸いな吾が家に、母なる自然法則の懐に 〜 橋本敬三先生 山寺の晩餐より

    中谷之美

  •  あの世とこの世 1

    ワタシはたまにあの世とこの世について、ぼや〜と考えます。

    天外伺郎氏は著書(宇宙の根っこにつながる生き方)の中で

    あの世とこの世を電磁界とテレビの画像として例えているのですが、

    「なるほどなぁ」と思いました。

    第一に電磁界は目に見えないけれど確実に存在している。あの世も同じ。

    第二に電磁界とテレビ画像は一対一に対応している。

    電磁界がなければテレビ画像も映らない。あの世とこの世も同じ。

    第三にテレビ画面の中の物体はあらゆる空間に広がる電磁界全体のなかに

    たたみ込まれていて分離できない。あの世とこの世も同じ。

    ワタシ達がこの世に生まれてくるのはテレビのスイッチを入れた状態だということで、

    スイッチを切れば消えてしまう。ですが、スイッチを切っても電磁界はなくならない。

    つまり、もう一人の根源的な自分は、生死と無関係にあの世に存在しつづけるわけで、

    あの世もこの世も分け隔てはないということです。

    ワタシ達は今、この世で生きていると同時にあの世でも生きている。

    更に、あの世には時間という概念もなく、この世の全てがたたみ込まれている。

    わかるようでわかりませんが、この微妙なところが楽しいのです。

    操体も同じようなものではないでしょうか。

    中谷之美

  •  夢

    今週は中谷が担当させていただきます。よろしくお願い致します。

    昨日みた夢です。

    既に亡くなったある治療法の先生がニッコリ微笑んでワタシに言いました。

    骨盤に3つの矢印を書き込んで「このベクトルだよ」と。

    ワタシはすかさず「治療を見学させて下さい」と言いました。

    先生は「着いてきなさい」と言って歩き出し

    4、5人の見たことがあるような、ないような人達と一緒に海辺に到着しました。

    海辺には何件かの宿があり、その中で真っ暗の宿の中にみんなで入りました。

    中に入って大きな窓を開けると、白いレースのカーテンが風になびき

    そのカーテンの中に丸い棒状のようなモノが次々と突き刺さってきました。

    「これは何だ」と思っているうちに、真っ暗だった辺りが一気に明るくなり

    みんなが笑いながら何かを話しています。

    「ψ×ШЁ♂Ωξ・・・???」。

    でも、何故かその内容は聞こえないのです。

    目覚めた後は何かがわかったような、わからないような。

    今日みた夢です。

    白い着物のようなものを着た人達が、

    足に薄いオレンジ色をした布のようなものを着けて、ゆっくりと歩いています。

    ワタシはその足の運びを、じ〜と観察しています。

    その足の運びは地面をするように前から外へ流れるような動きです。

    その動きはどこかで見たことあるような、ないような。

    周りにいる人も見たことがあるような、ないような。

    夢は何らかのメッセージみたいなことを聞いたことがありますが、

    内容は意味不明なことも多く、毎度のように憶えているとも限りません。

    でも、こんな所からも何らかの臨床のヒントが見つかれば楽しいものです。

    次は橋本先生のご登場を期待しております。

    中谷之美

  • 妙義山 2。

    昨日の続きです。
    中之嶽の駐車場にバイクを停め、中之嶽神社に行ってきました。
    この神社、4年ぐらい前に、日本一大きな大黒様の像が出来ました。
    高さ20メートル、重さ8.5トン、そしてこの大黒様は右手に剣をもっている。
    福を招き、厄を祓う大黒様だという。

    大黒様の前をとおり、小さな橋を渡っていくと正面に進むと大国神社。
    妙義神社のような豪華さはありませんが、屋根のつくりを見ても解るように
    いにしえから真面目に粛々と伝統を引き継いでいる様が伝わってきます。

    小さな橋を渡って右に行くと中之嶽神社につづく階段があります。
    けっこう急で段差もまちまちで、慎重に登っていきます。

    30代の頃、この階段を登りきると脚はガクガク、息もゼェゼェだったのですが
    40代の今は、それほど疲れを感じなくなりました。
    気持ちだって少年のように感動しやすい。
    操体に感謝。

    階段を登りきると、中之嶽神社の拝殿があります。

    もう少し全体像を写したかったのですが、手前が崖になっていて、これ以上は無理でした。
    この神社は後ろにそびえる轟岩を御神体としている為、本殿はなく、拝殿のみとなっています。
    御神体である轟岩がそうさせているのか、とにかく静かな、静寂な時が流れている場所です。

    神社でお参りをして、駐車場まで降りてくると、空がもう夕焼け空に変わっていました。

    遠くに見えるのが荒船山
    荒船山に関しては、3順目のブログ担当の時に少し紹介しましたが、今度は妙義山から見た写真です。
    一ヶ月前、クレヨンしんちゃんの作者である臼井儀人さんが、崖の上から写真撮影をしていて、誤って転落して亡くなられてしまうという、不幸な事故が起きてしまいました。
    謹んでご冥福をお祈りいたします。


    今回、写真撮影に同行してくれているCB君です。満11歳になります。
    遠くで先ほどの大黒様が写っていますが、あんな感じで立っています。
    手前が2階建ての建物ですから、だいたいその倍ぐらいの高さです。

    帰る途中、日が暮れるなか、麓で一枚撮りました。

    なんだか鬼でも出てきそうな雰囲気です。
    悪い子は、いねぇがぁ〜。

    とっぷり日も暮れてしまいました。

    日が暮れると急に冷え込んできましたが、無事、家にたどり着きました。

    今日はおつかれさまでした。 乾杯。 気分が良いのでちょっと贅沢にプレミアムモルツ
    11歳のCB君には後でハイオク満タン。

    金曜日、土曜日と写真ばかりの内容となってしまいました。当初は3枚か4枚ぐらいのつもりでしたが、写真を撮るのもけっこう難しく、位置取りとか色々工夫しているうちに、なんだか面白くなってきて、60〜70枚撮ってしまっていました。
    40枚ぐらいはボツになってしまいましたが、そのほとんどが逆光によるものと逆に光のあたらない状態によるものでした。
    光と闇に逆らわず、仲良く調和できる位置にいかないと、うまく写らない。
    調和でき、うまく写った時は、喜びも大きかった為、写真を多用させていただきました。
    光と闇。 お蔭様で気持ちよく写させていただきました(素人写真ですが)。

    一週間、どうもありがとうございました。
    おかげさまで無事に最終日を迎えることができました。
    秋も日一日と深まるなか、約一ヵ月後の11月22日(日)、11月23日(月)には
    秋季東京操体フォーラムが開催されます。
    この頃には会場である、千駄ヶ谷津田ホールの銀杏も十分に色づき、秋のやさしい光を浴びて、黄金色に輝いていると思います。
    もちろん、会場内もやさしい光と空気に満ちていて、参加していただいた人たちの顔も輝いていると思います。
    夜の懇親会も楽しみです。

    それではこのへんで、中谷さんにバトンを渡したいと思います。
    来週もどうぞよろしくお願いします。

    友松誠

  • 妙義山 1。

    先日、上毛三山の一つであり、日本三大奇勝の一つである妙義山に行ってきました。
    妙義山とは、いくつもの山の峰々の総称で、今回は表妙義と称される金鶏山金剛山、白雲山をバイクで周ってみました。妙義山道路を松井田方面から下仁田方面へ、白雲山の麓から金剛山の一番高いところまでというルートです。


    左から金鶏山、真ん中のギザギザして見えるのが金剛山、右が白雲山。

    麓から少し行くと妙義神社があります。
    道の駅の駐車場にバイクを停めて、坂道と階段を上っていくと総門があります。入り口の両側で仁王様が邪気の入るのを防いでいます。私は入れてくださいね。


    青銅の大鳥居まで、またまた階段を上がる。


    そこからまた、古い階段を上がり妙義神社の社殿に入るわけですが、写真を見てもわかる様に入り口の門が工事用の看板でふさがれています。
    これは去年の台風による被害によるもので、現在はこれより先に入ることができません。
    細やかな彫刻の黒漆塗り権現作りの国重要文化財を紹介できないのは残念ですが、現在は大鳥居からすぐ入ったところにある旧本社の波巳曽社でお参りすることができます。こちらも県重要文化財です。

    波巳曽社。


    大鳥居から総門をみたところ。

    最近は大河ドラマのロケがよく行われているようで、「義経」の時の鞍馬寺、今年の「天地人」の雲洞庵のシーンは妙義神社で撮影されたのだという。古い階段など見覚えがあるような気がする。

    また少し行くと妙義ふるさと美術館があります。

    コスモスが咲いていました。 後ろに見えるのは白雲山です。

    ワインディングの途中で写真を撮ってみました。

    11月の半ばぐらいになれば、紅葉で真っ赤になり、また違った風景が楽しめると思います。
    も=「もみじに映える妙義山」と群馬県民なら誰でも知っている上毛カルタにあるように,その美しさは格別です。


    道端から白雲山を振り返って写す。


    道端から金剛山を写す。

    さくらの里まで上ってきました。
    ここはソメイヨシノや八重桜が5000本ぐらい植わっており、4月中旬からゴールデンウィークあたりが見頃です。

    車やバイクで来れる一番高いところにある中之嶽の駐車場まで上ってきました。
    金剛山のゴツゴツした感じと岩肌が間近に感じられます。左の方に小さく赤い鳥居が写っているのが中之嶽神社の鳥居で、その上の金色の像は大黒様です。


    アップで見てみると、チラホラ紅葉していて少しずつ秋が深まってきているのがわかります。


    もっと上に目をやれば、雲がゆったりと流れています。
    ふと、止まっているものなんてなにもないんだな〜と感じます。
    固定観念に縛られてはいけない。みんな流動的なんだ。
    現に地球を包んでいる生命の源だって、こうして動いている。


    駐車場から見た金鶏山

    う〜ん空気が美味い。  フリ〜ダム。   気持ち良い。
    中之嶽神社にもお参りし、写真も撮ってきたのですが
    長くなってきたので、続きは明日にしたいと思います。

    友松誠

  • コスモス。

    昨日のテレビのニュースでは、隣の県の埼玉県の鴻巣市では、今がコスモスの見ごろを迎えているとのことでしたが、私が住んでいる地域では9月末から10月はじめに見ごろを迎えるところが多いです。
    これも10月のはじめにに撮った写真なのですが、車で20分ぐらい行ったところに、希望の丘という小高い丘があり、秋の桜コスモスが、たくさん咲いていました。
     

    コスモスの原産地はメキシコの高原地帯で、18世紀の末にスペイン、マドリード
    植物園に送られた際にコスモスと名付けられたそうです。
    また、コスモスはギリシャ語で秩序、飾り、美しいを意味する「kosmos」
    「cosmos」に由来し、星が並んで輝く宇宙や秩序ある調和のとれた宇宙を指す
    「cosmos」同様に、整然と並んで咲く花をコスモスと呼んだといわれています。
     
    自分的には雰囲気でなにか可憐な感じを受け、そのなにか優しい気持ちにさせてくれるような感じが好きで、その感じを味わうだけだったのですが、あらためて花そのものをまじまじと良く見てみると、名前をつけた人がそう感じたのもわかるような気がしてきます。
    花びらは8枚で十字をかさねた様に上と下、右横と左横、右斜め上と左斜め下、左斜め上と右斜め下、と規則正しく並んでいます。

    メキシコからスペインにコスモスを送る際、当時は船で運んでいて、方位を知る羅針盤や、天体の位置測定から現在位置の緯度を測定する八分儀が必需品だったでしょうから、船に乗る人にとって天体を観測し、親しむことは必然的なことであり、そんな中でコスモスの花を見て、羅針盤のように整然と花が咲いているとか、八分儀のように円の中で花びらが8等分されている様から、必然的に関わっている、星が並んで輝く宇宙を想像したのかな? とか思いました。
    また上下の花びらの輪郭をなぞっていくと数字の8になります。
    右横と左横の花びらの輪郭をなぞっていくと無限大の記号∞になります。
    極限安定率である8と無限大の記号∞の記号が十字にかさなったらどういう意味になるのだろうか?
    更にもう一つ8と∞が重なったものがかさなり、この2つの十字が一つの丸い花になっていると考えれば、なにか秩序ある調和のとれた宇宙とつながってくるかな? とも思いました。
    色々想像してみると面白いです。

    まぁ なにはともあれ、このポワ〜ンとした感じがなんとも良い。
    なにか生活のなかでの諸々がスッポリ抜け落ちて、素のままでいる自分に気がつく。
    ありがたい。

    友松誠

  • あかりの日。

    今日10月21日は、あかりの日。
    ウィキペディアを見ると、1879年の10月21日に、トーマス・エジソンが京都産の竹の繊維を炭化させたフィラメントを用いて白熱電球を完成させたことにちなんで、日本電気協会・日本電球工業会など4団体が1981年に制定。あかりのありがたみを認識する日。となっている。
    これを読むと、文章に誤りはないが、私みたいな単純な人間はエジソン白熱電球を発明したと思ってしまう。
    確か自分が小学校の時は、エジソンが発明したと習った記憶もある。
    しかし、白熱電球を発明したのはイングランドの物理学者であり科学者であったジョセフ・スワンという人だという。
    スワンは1848年頃には既に白熱電球の実験に取り組んでおり、1860年までには発光に成功し、イギリスにおいて特許が認められ、その後技術的な面や素材面で改良を重ね、1878年12月には白熱、発光の寿命を40時間に延ばし特許もイギリスで認可されていたという。
    エジソンも1878年には本格的に白熱電球の研究に取り組んでおり、最初に作った白熱電球は45時間の寿命であったが、1879年10月21日に京都産の竹の繊維を炭化させたフィラメントを用いて完成させた白熱電球は1000時間以上も白熱、発光したといいます。
    これは日数に直すと40日以上ということになり、単に先に発明し特許を取ったという面ではなく、人々の実用に適したという面でみれば、エジソン白熱電球を発明したと広まっても仕方のないことかもしれません。
    また、エジソンは寿命の長い電球を完成させただけでなく、これを広く家庭にまで普及させる為の電気事業システムも考案しました。
    電球のあかりを灯すには、その家庭に電気がなければなりませんから、発電所を作り、送電線を引き、各家庭の電気工事をする必要があり、そのシステムに必要な発電機やら絶縁物やら、細々としたところではソケットやスイッチ類までの新たな発明や、電気関係以外でも水力発電所のダムのセメントまでも発明したそうです。

    なんだか、「あかり」について何か書こうと思っていたのに、またなぜか脱線し、エジソンについて色々と調べてしまっていました。
    なぜなら文献によっては発明の年代が違っていて、あかりの日の由来とくいちがってきてしまう内容であったりするため、上記の白熱電球に関する事柄は自分なりに色々調べて、あかりの日の由来に基づき簡単に整理したものですので、本によっては年代が違っていると思いますので、ご了承ください。

    しかし、こういうことを色々と調べるのも結構面白く、勉強になるものです。
    エジソンの場合、子供向けの伝記として書かれたものと大人向けのビジネス書的に書かれたものでも、もちろん内容が違ってきますし、エジソンが言っていた言葉を訳し解説を入れたものも面白かったです。

    でも興味をもったのは最初に読んだウィキペディアにあったもので、そこではオカルト研究という項目の編集文の中でこんな文章がありました。
    エジソンは、人間の魂もエネルギーであり宇宙のエネルギーの一部であると考えていた。エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだと考えていた。エジソンの言によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、自分自身は自然界のメッセージの受信機で、「宇宙という大きな存在からメッセージを受け取ってそれを記録することで発明としていた」に過ぎないのだという(自分的にはオカルト研究という項目にはしてほしくないのですが)
    また「天才は1%のひらめきと99%のあせ」の真意という編集文の中では、この言葉は当時エジソンを取材した若い記者が、努力の美徳を強調するニュアンスに勝手に書き換えて発表してしまったもので、実際は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」との発言だったと後年になって語っていて、自身を自然界のメッセージを受け取る受信機に例えるほどひらめきを重視していたというエピソードの後に、

    最高級のひらめきは突然やってきては一瞬のうちに消え去ってしまうものが多い。よいアイデアほど、自分の深層意識のより深いところからやってくるものであり、それが深ければ深いほど、表層意識では意識できないので、いとも簡単に忘れてしまうという。エジソンは、ペンと紙を常時携帯し、思い浮かんだ瞬間には面倒くさがらずに書き留めていた。ちなみにアインシュタインもメモ魔として有名であった。とありました。

    そして、操体法の創始者である橋本敬三先生は、心の調和―「救い」と「報い」−と題した文章の中で、
    自分は「救い」と「報い」の区別がはっきりわかったので、「救い」の信念に安住し得たのであるが、「報い」の現象の変化性については後年大いに谷口哲学の心の法則の説明によって啓発された。 実相は久遠にして不変の大生命、人類は神の子、というのを縦の真理とするなら、三界は唯心の所現といって、有限現象界においては、人の心の持ちようによって、万象が発展変化するという横の真理があり、人は縦と横の真理の交叉点に位しているのだという。 人類の表在意識において、或ることを心に描き、強くそのことを思い、然り、かくの如く成るべし、と発言すれば、萬象はそのように具現するという精神界の自然法則があるのだという。 思念宣言の質と量との強度によって発現の速度に差があるが、とにかく事態はそのように形成されている。 そのメカニズムは、表在意識は心の極く表面に現れている氷山の一角にすぎないのだが、心の大部分は外からはわからない大きな体(たい)をなして、無数の記憶と経験を包蔵している。 これを潜在意識という。 これが表在意識の活動(心の振動)によって共鳴を起こしてくる。 この振動は初めは弱くとも、次第に表在意識より大きく強く動く。 この潜在意識は単独自己のみならず全人類をふくむ宇宙意識と根底において連なっているのだそうで、潜在意識の振動は宇宙意識の振動(活動)を呼び起こす。 これが自己以外に人や物の活動を発起合成してきて、初めに思い立った個人の周辺に物事をそのように具現化してくるのであるという。 現象の発現というのは、このような機序によって行われるものだそうである。ずいぶんと思い当ることがある。 と書いています。
    これも全体の文章の中ほどの一部を抜粋しておりますので、是非「生体の歪みを正す」という本をお手に取り、文章全体に目を通すことをお勧めします。
    また、橋本先生の書いたこの 心の調和―「救い」と「報い」―の全体の文章を読んでいただくことで、読んだ人にとって、違う意味での、あかりの日になるのではと思います。

    友松誠

  • 稲の実り.

    実るほど頭を垂れる稲穂かな。

    雨にも負けず、風にも負けず、台風18号にも負けませんでした。

    米は八、十、八、手間かかるとされていて、春先に種もみから苗作り、それから夏前に田植え、夏のあいだは小まめな水管理と雑草取り、秋に収穫を向かえ稲刈り、脱穀と数ヶ月間、手間ひまかけて米となり、それを水と一緒に炊いてご飯となります。
    春先から数ヶ月間の、手間ひまがかかり秋の収穫を迎えますが、その間の天候によって収穫高は左右され、天変地異が起これば田んぼそのものがダメになってしまう事もあります。
    10月8日に台風18号が上陸し、私の住んでいる群馬県でも真夜中過ぎから、明け方まで突風と豪雨で安心して寝てられない状態でしたが、稲の方は大丈夫だったようです。
    もっとも、稲妻という言葉もあるぐらいですから、雨や風には強いみたいで、雷の落ちた田んぼの稲は良く育つと言われているそうです。
    稲穂を実らせるまでが稲の一生だとすれば(栽培上は一年生植物)、天と地の縦軸の恵を受け、稲としての天命を全うすることの出来たものを、人間が鎌で横からスパッと切って往生させ、その恵をいただく。
    秋もこの時期になると、各地で収穫を祝う祭りが行われますが、先人達は自然を崇拝し、そこに神の存在を見出し、自然の中で生かされているということを感じ、感謝し、自らの中にも神性を感じ、また感謝するということをしていたのではと思います。
    そして、それぞれの個々の感謝の念がつながり、波及していき、新しい文化を生んでいったのかもしれません。
    また、米などの穀物は保存が利き、この人間の手で一から育てる保存食が出来るということは、不安定な狩猟、採取中心の生活から開放され、時間的にも建物を建てたり、新たに道具を開発、工夫していくことが出来てきて、それが文明に発展していったのではないかと思います。
    しかし、この文明は持てる者と持たざる者、階級制など負の面も生んでしまいました。
    そして動物としてのカン、いつなんどき、どんなものを食べれば良いかという食の自然本能を鈍らせてしまった面もあるかと思います。
    私達はこの文明の発展の恩恵の中で生まれ、生活していますが、この文明の始まる前の先人達がどのような生活を営み、稲作の伝来をどのように受け入れたのか、このあたりのところを学ぶ必要があるのかもしれません。
    1192つくろう鎌倉幕府と暗記したりするだけが歴史の勉強ではないはずです。
    保存食の知恵や技術もあったでしょうが、自然からの恵の恩恵だけを中心にしていた時代の生活習慣と、そこから自らの手で食物を育てて食べることが出来るようになった時の、その人たちの想念(自然へのいたわり、畏敬、他)を知るということは、物質文明の中にあって、本来の自分がどこに位置しているのかということが解る手がかりとなり、感謝の念の中で生きていくことができるかもしれません。
    欲張って、上をみればキリがない、下をみてもキリがない、横に逸れていたら早めに気づいて修正して、また進めばいい、ただただ快の方向へ。
    ありがたいという気持ちは快に通じる。
    ご飯を食べる時も、八十八手間かけて作った人への感謝の気持ちの他に、なにかまた違ったありがたさを感じることができるかもしれません。
    すべてに感謝、感謝。
    実るほど頭を垂れる稲穂かな。
    また一つ快の予感。

    友松誠

  • 彼岸花=曼珠紗華。

    一ヶ月前のことで恐縮ですが、今年も私の仕事場の周りには彼岸花が咲き誇っていました。
    田んぼのあぜ道、線路沿いの土手、お彼岸の頃には決まって、知らず知らずのうちに咲き誇っています。
    いつも、気がつけばもう咲き誇っているという感じなので、今年はどの様に咲いていくのか観察してみようと思いました。
    写真はその時の様子です。

    9月14日、茎が伸びて蕾になっているのを発見しました。右下の方にもニョキッと一本出てきています。


    9月18日、開花しました。右下の方のも随分丈が伸びました。


    9月22日、田んぼの畦の様子。

    今年は割りと涼しかった為か、フライング気味に何本か早くから咲きはじめた仲間もいたようですが、お彼岸の中日にはいつもどうり、みんなで咲き誇っていました。

    彼岸花というと、死人花とか幽霊花とか地獄花とか、関西では持って帰ると家が火事になるとか言われていたりするそうで、不吉な花と思われる反面、別名、曼珠紗華とも呼ばれていて、これは天上の花という意味で、おめでたい事が起こる兆しに天から赤い花がふってくるとも言われているそうです。
    またこの花の球根には毒があり、これを食べると彼岸に行ってしまう(死んでしまう)と言われる反面、この毒は水に晒せば無毒化する為、食糧難の時には救飢植物として食用にされていたり、石蒜という生薬として利用しているところもあるという。
    しかし、そのまま食べると激しい下痢や嘔吐、ひどい場合には中枢神経の麻痺から死に至る場合もあるというのに、よくこれを工夫して食べようとしたものだと感心してしまう。
    すりつぶして、数日間良く水に晒して、水の底に沈殿した白いデンプンを乾燥させると、片栗粉や馬鈴薯澱粉コーンスターチのようなものが出来、それを水で溶いて練り込んで平べったい饅頭のようにして形作り、タレをつけながら焼いて食べたという(良い子は絶対に真似してはいけません)。
    こんな芸当は他の動物には出来ないことであり、事実ネズミやモグラはこの球根がある田んぼのあぜ道や墓場には近づけないのだという。
    他の食べ物でもそうですが、人間の場合、彼岸に行った先人の知恵と勇気によって食が支えてられている面が多分にあると思います。
    先人に感謝です。

    友松誠