投稿者: karib_sotai

  •  友達になっちゃう。

    ブロブロブログーも5巡目となりました。
    おはようございます。友松です。
    一週間よろしくお願いします。

    先日、プリンターのインクが切れたので家電量販店に買いにいったところ、たまたま、小学校の時の同級生に会いました。
    頭の毛も随分と白髪が混じり、目じりの辺りも深いシワが刻まれているが全体の雰囲気でパッと解った。
    なんだか急いでいるようなので、挨拶程度の会話しか出来なかったが家に帰ってから、ふと小さい時の記憶がよみがえってきた。
    この同級生は、M ちゃんと呼ばれていて、保育園の頃から一緒だったのですが、内気でおとなしく、何かあるとすぐに泣いてしまうような男の子だった。
    しかし、小学校の2年生ぐらいから何かちょっと変わった感じとなり、今まではこちらから話しかけなければ、ずっと黙っているという感じだったのですが、物静かな口調ながらも自分から話しかけてくれるようになりました。
    いつだったかその理由みたいなのを話してもらったことがあった。

    学校帰りの帰り道に、

    「俺さぁ もうお化けが怖くなくなったんだぁ」
    「へぇ〜」
    「なんでかわかる?」
    「わかんねぇ」
    「それはさぁ 怖ぇと思うと怖ぇからさぁ 友達になっちゃおうと思ったんだぁ」
    「ふぅ〜ん」
    「だってさ〜 友達になっちゃえば怖くねぇじゃん 友達になっちゃえば喋ったりしてさぁ 今みたいに楽しいと思うんだ〜」
    「うん」
    「お化けだって怖がられたくって、怖がられてるんじゃねぇかもしれねぇしさぁ〜」
    「うん」
    「本当は良い奴かもしれねぇど〜」
    「うん」
    「だからさぁ 俺ぁ もう怖ぇもんがなくなったんさ〜」
    「うん」
    「みんなさぁ 友達になっちゃえば良いんだよなぁ そうすりゃあさぁ みんな楽しいんだよな〜」
    「うん そぅだな〜」
    「そうさぁ〜」
    この考え方は、ある意味最強の考え方なのかもしれない。
    事実、Mちゃんは保育園の頃から随分と明るく向上的になった。
    学校帰りの帰り道、彼の話が面白かったものだから、ランドセルの中の筆箱をカタカタ鳴らしながら、自然と二人して遠回りに遠回りをかさねて家に帰ったことが思い出された。

    操体法の創始者である橋本敬三先生の著書の中の一文を取り上げさせていただくと
    現象以前の理念の人間には、大生命そのものというタテの真理と、現象界は唯心の所現というヨコの真理とがある由である。人間はその交叉点にある。潜在意識というものには、あらゆる人間関係の現象を具体化してゆく力がある由である。暗黒面を心に印象づけておれば、わが身の周囲には自ずからそのような事態が展開してくる。光明面を思念して潜在意識に印象づけておれば、自然と周囲は光明化されてくる。恐るるものが現れ、泣面に蜂、笑う門には福、というようなことは、この精神界の一つを言い表したものであろう
    「生体の歪みを正す」という著書の中の健康に関する四つの場という項目の文章の一部を抜粋しました。
    この一文にも前があり、後があるので、よろしかったらお手にとって文章全体を読んでいただければと思います。

    再びMちゃんを引き合いに出すと、夜寝る時に「お化けが出たらどうしよう」と怖がりながら床に就くのと、「お化けが出てきたら友達になっちゃおう」という意識で床に就くのとでは潜在意識に随分と差が出てくると思います。
    また、以前三軒茶屋に勉強に行ったとき、創始者の意志を継ぐ御師匠は、夜寝る前に笑顔をつくってから寝るようにしなさいと仰っていました。

    友松誠

  • 小さい秋

    10年程前だったか、友人から一枚のCDを借りた。
    矢野顕子の「Oui Oui」だった。

    もちろん名前くらいは知っていたが、ちゃんと聴いたことはなかった。

    それまではユニークな歌詞の歌が多かった印象があった。
    「ラーメンたべたい」とかシチューのCMの曲とか。
    はなまるカフェの曲とかもあったか。

    その友人も人から勧められたらしいのだが、その人の話によると、彼女は、日本を代表する天才ミュージシャンだという。
    「ふ〜ん、そんなもんか」と、その場は話半分に聞いていたのだが。
    それから、ハマった。
    食わず嫌いだったのだろうか。

    実際、プロのミュージシャンの間でも、天才との評価は少なくないようだ。
    素人よりも玄人受けするのかも。
    いわゆるミュージシャンズミュージシャンというものだろうか。

    彼女のレパートリーの中には、カバー曲や、民謡を題材にした曲等もあるが、うまく取り入れて自分のものにしている。

    彼女が取り上げた時点で、それらは矢野顕子の音楽になる。

    中には、別の曲かと思うくらいにアレンジされているが、原曲の原点というか、発露みたいなところは大事にされてるなと思う。

    ただ、カバーとはいえ、他の人間には歌えないものになっているのは面白い。
    ジャンル、矢野顕子


    (ラーメンたべたい 矢野顕子http://www.youtube.com/watch?v=SWq5ayuXXrw


    (ばらの花 くるりhttp://www.youtube.com/watch?v=lSF8acaXgpE


    (小さい秋みつけた 童謡)http://www.youtube.com/watch?v=oZkxLaVRrgE

  • クマソからハヤトへ 3

    熊襲ヤマトタケルに征伐されたことになっている。

    「西の方に熊曾建二人有り。是れ伏はず禮なき人等なり。故、其の人等を取れ」(古事記)

    熊襲反むきて朝貢らず」(日本書紀)

    時の景行天皇ヤマトタケルをして、各地の中央政府に仇なす賊を討伐させている。

    記紀によると、ヤマトタケルもまた、粗暴な性質を父に恐れられていた。
    物語でも征討の旅の途中に倒れることになる。

    鹿児島県大隅半島に曽於(そお)の地名がある。曾(そ)を連想させる名前である。
    曾は後に贈於(そお)と呼ばれた。

    だが、古代の曾はもう少し北へ移動した地域にあった。
    ヤマト王権の南征に激しく抵抗したが、大軍の前に屈せざるをえなかった。

    曾は中央側からはあるいは襲と呼ばれていた。おぞましさを連想させる語をあえて選んでいたようだ。

    「彼梟帥(たける)どものいと建(たけ)かりし故に熊曾とは云なり、熊鰐、熊鷲、熊鷹なども皆、猛きを云称なり」(古事記伝 本居宣長)

    クマ・ソである。

    ヤマト王権に組み込まれた後は、警護の役につく。吠声や歌舞の呪術性も魅力的だったらしい。
    そしてクマソの名は史書から消える。
    吠人(はいと)南風(はえ)朱雀(隼)、諸説あるが、彼らはハヤトと呼ばれるようになる。

    参考文献
    「隼人の古代史」(中村明蔵)
    熊襲・隼人の原像」(北郷泰道)
    「鬼の研究」(馬場あき子」 他

    辻知喜

  • クマソからハヤトへ 2

    橋本敬三師の論想集に、天地創造のくだりがある。
    アメノミナカヌシ・タカミムスビカミムスビを太極・陰陽になぞらえてある。

    この本は残念ながら現在絶版のようである。

    天孫降臨の物語は、タカミムスビがニニギを地上に遣わすところから始まる。

    「彼の国に、多に蛍火の光(かかや)く神、及び蠅声(さばへ)なす邪しき神あり。復、草木ことごとくに能く言語(ものいふこと)あり。(中略)吾れ葦原の邪しき鬼(もの)を撥(はら)ひ平(む)けしめむと欲(おも)ふ」(日本書紀)

    つまり、ニニギは「諸(もろもろ)の順(まつろ)はぬ鬼神(かみ)を誅(つみな)ひ」に降りるのである。


    霧島ドットコムより)

    記紀編纂の当時、ヤマト王権は、九州(筑紫)の北部までその勢力を延ばしていた。

    そして、南九州や南島の異民族に並々ならぬ興味を示していたようなのだ。

    南九州の有力な豪族に曾君(そのきみ)と阿多君(あたのきみ)がいた。
    大隅隼人と阿多隼人(薩摩隼人)である。

    古代の日向(ひむか)は、宮崎県・鹿児島県熊本県にまたがる南九州一帯を指す言葉であった。

    ニニギは日向の襲(そ、曾)の高千穂(宮崎・鹿児島県境の霧島山系)に降りると西へ向かう。
    そこで出会った、山の神の娘カムアタツヒメ(神阿多都比売、コノハナサクヤヒメ)と結婚する。
    その長子がホデリ(海幸彦、阿多君の祖)、末子がヒコホホデミ(山幸彦、大王の祖)である。
    土地の末子相続の習俗に従って、ヒコホホデミは山(地上)の神の相続権を得ることになる。

    ある日、ヒコホホデミは兄の大切にしていた釣針を失くしてしまう。
    困った弟は、海神ワタツミのもとを訪ねる。
    そこで山幸彦はワタツミの娘トヨタマヒメと結ばれる。
    この時、山幸彦は天・地・海を制する力を持つことになった。

    以後、海幸彦(隼人)は山幸彦(大王)に従うことになる。

    辻知喜

  • クマソからハヤトへ 1

    この頃、隼人の歴史について調べる機会を得た。

    東京では、鹿児島出身というと、九州男児だねと言われることが多い。
    もう少し詳しい人だと、薩摩隼人だ、と言われる。

    実はこの二つの差は大きいものなのである。
    地元で暮らしている時は、九州男児という言葉を使われることなどまず無い。
    それに対して、薩摩隼人の名称は地元の人々の間でも使われるものである。むしろ誇らしげにである。

    とはいえ、隼人の歴史についてそれほど深く理解している訳ではなかった。
    古代の原住民の呼称である事を僅かに知る程度であった。

    先日、三軒茶屋のとある店での飲み会に参加した際に、隼人や古代史の話題が出た。
    雑学的なものではあるが、非常に興味深いものであった。

    もともと歴史は好きなのであるが、興味を持ったきっかけが、幼少の頃に見た大河ドラマの「独眼竜政宗」や、時代劇の「三匹が斬る」であった為、その知識の大半が封建時代のものに限られていた。

    隼人は朝廷で天皇の守護人として宮門警護の任についたと云われている。

    隼人の語源は、
    「隼人は波夜毘登(はやびと)と訓(よむ)べし」「隼人と云者は、今の大隅薩摩二國の人にて、其國人は、絶(すぐ)れて敏捷(はや)く猛勇(たけ)きが故に、此名あるなり」(古事記伝 本居宣長)

    また、四神思想において南方を守護する朱雀(鳥隼)に由来する。

    記紀によると、天孫ニニギは筑紫の日向(ひむか)の襲(そ)の高千穂へ降りる。(天孫降臨)

    天孫降臨とは、朝廷と天皇誕生の物語である。
    なぜ畿内ではなく日向なのか。
    いずれ東征するにしてもである。

    日向という文字の為、てっきり宮崎県を指すものだと思っていたのだが、どうやら、古代の日向(ひむか)と近代の日向(ひゅうが)とは別物らしいのである。

    ここには、朝廷と隼人の因縁が隠されていた。

    辻知喜

  • おいしいお茶が飲みたい

    実家の隣の道路を挟んで、お寺の敷地になっている。
    子供時代のいい遊び場だった。
    地元の人は感応寺と呼んでいるが、正式には、鎮国山感應禅寺臨済宗のお寺である。

    築年数は比較的新しく、数十年以内のこぢんまりしたところだ。
    実際には歴史は古く、開山は800年以上前のこと。
    栄西禅師によるもので、日本最古の禅寺の一つだという。
    薩摩入りし、出水を最初の拠点とした島津氏の菩提寺となり、やがて大寺院となる。

    しかし、現在の姿から想像するのは難しい。
    幕末から明治初期の廃仏毀釈により、藩内1600余りの寺院は全て取り壊される。
    菩提寺の福昌寺や感応寺も免れなかったようだ。

    栄西臨済宗を日本に伝えたが、同時に喫茶の習慣をもたらした。

    意外と知られていないが、鹿児島はお茶どころである。
    全国の生産量の三割近くを占める。

    実家の庭にも茶の木がいくつかあり、僅かではあるが製茶して貰っていた。
    幼い頃、祖母に連れられ訪れた先でよくお茶を飲んでいたことを今でも覚えている。
    お茶が好きだった。
    成長してからは、お茶の代わりに焼酎が出るようになったのだが。

    1191年、
    宋から帰国した栄西は、すぐには都に戻らず、九州の各地に禅宗の寺院を開く。
    と同時に茶の栽培も伝えられた。

    茶者養生之仙薬也
    延齢之妙術也
    山谷生之其地神霊也
    人倫採之其人長命也
    喫茶養生記

    橋本先生は井ヶ田の一号芽茶がお好きだったそうだが(今先生の奥様談)、ここの喜久福は絶品である。
    仙台出身の友人のお土産でよく貰っていた。
    去年操体バランス運動研究会で初めて仙台へ行ってきたが、迷わずこれを選んだ。

    この夏、お茶が飲みたくなって鹿児島のお茶を手に入れた。

    国内で生産される品種は殆どがやぶきた、それも深蒸しにされることが多いらしい。
    深い緑の水色で、カルキ臭を緩和し、手軽に入れられ、煎がきく。

    いいことづくめのようだが、お茶本来の香味は犠牲になる。
    その為、他品種とのブレンドで香りを補っているようだ。

    近年は、やぶきた一辺倒の弊害もあり見直される傾向にあるとのこと。
    消費者にとって選択肢が増えるのは喜ばしいことだと思う。
    良いものを見分ける目は必要になるのだが。

    今回ブレンドした物や単品種でいくつか飲んでみたが、個人的な好みではあるが、ゆたかみどりの普通蒸しが気にいった。
    今後変わってくるかも知れないがいろいろ味わってみようと思う。

    おいしいお茶を出せるようにしたい。

    辻知喜

  • 操体セミナーを終えて

    こんにちは。
    今日から一週間辻が担当させていただきます。

    先月は東京操体フォーラムとしては初の東京以外の地でのセミナーを行いました。
    千葉県の行徳と近場ではありますけどね。
    ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。

    これから少しずつ活動の場を広げていきたいと思います。

    次回は12月13日の日曜に開催で、同じゴールドジムにて行います。
    お楽しみに。

    さて、前回は場所柄、普段から運動している方が多く、スムースに動いていただいたので、進行側としては非常に助かりました。
    一つ気になった点は、般若身経の動きの際に腰が反っている参加者が多かったこと。
    この場合、操体では、腰は反らせません。
    床がマットで柔らかかったせいもあるかも知れませんが、膝を緩めて足の親趾の付け根に体重をのせた場合、腰の弯曲はゆるやかになり、上半身は適度にリラックスした状態になります。

    途中で解説がありましたが、この辺を最初でもう少し説明しておけば良かったと反省しました。

    膝を緩めた状態で腰を反らせると(骨盤の後弯曲)、膝を伸ばした時よりも窮屈に感じるのではないかと思います。


    (骨盤の後弯曲。背面の緊張が目立ちます。)

    これでは、自身の動きに制限がかかり、操者(施術者)の立場においても、相手の動きを制限してしまい、尚且つ、動きについていけない事にもなります。

    下半身はしっかり、上半身はゆったり(上虚下実)した状態が理想です。


    (骨盤の前弯曲。腰の中心が安定した形。)

    体操でもなく、鍛錬でもないので力んでやる必要はありません。
    無理せず、頑張り過ぎないことが大事です。

    第一回目ということで、身体運動の法則としての紹介に留めましたが、本来は感覚をききわけながら行うものなので、力んでしまっては、わかりにくいものになってしまうのです。

    次回は般若身経を使ったメンテナンスのコツなども紹介されると思います。
    近いうちに詳細をお知らせします。

    それでは一週間よろしくお願いします。

    辻知喜

    ・・・参考として

    (レポート 臨床家による操体セミナー 佐伯惟弘)
    http://d.hatena.ne.jp/tokyo_sotai/20090928

    (上手に立つ 平直行
    http://www.youtube.com/watch?v=bK907i4YOZI

    (重心安定の法則 辻知喜
    http://tomotaro.satsumablog.com/Entry/10/

  • 最終日もツイテル

    いよいよ最終日です。やっぱりツイテルんですよ。(笑)
    最終日のブログを書く前にラジオ流してたんです。
    何となく、ラジオを流す。
    聞くんじゃなくて、流すんです。
    面白い事って、何となくからよく来るんですよ。
    書こうとしていたブログの内容は格闘技とスポーツにかけられた呪い。
    何かおどろおどろしてる感じでしょ。
    格闘技雑誌初の操体の連載の第1回はこれで行こうかな。
    でも呪いって言葉は、少し怖い感じもするな。
    フォーラム実行委員の方々と相談しながら知恵を頂きながら考えてるんです。
    呪縛の方が良いとか色んな知恵を頂きながら
    それを味わって日々を過ごしてます。
    道場でも同じように、味わいながら、指導の際に少し呪いの事を喋ったりして、遊んでたんです。
    出してみると面白いんです、出してみてから、そのままにしないで
    噛み締めながら、味わってみると、段々と違った味わいが出てくるんです。
    呪いって、解けるもの。
    かけたものは、必ず解く事が出来るし、解ける時が来る。
    解けると幸せになるに決まってるのが、呪い。
    呪いって、実は幸せになる薬かもしれないな。
    かけた人の意思とは関係なく。
    人は幸せになるように、産まれて来てるんだから。
    呪いが解ける事で産まれる、新しいパワー
    それって凄いパワーのように感じるんです。
    呪いは、人がかけたもの、だから解き方を知ってる人が解くもの。
    もしかしたら、呪いを解くという事は、解き方を知ってる人の役割なのかな。
    そんな事を教えながら、感じ出したんです。
    面白いなって感じて、ブログで書こうかなと始める前に。
    何となくのラジオで、間違った努力と言ってるのが聞えて来たんです。
    格闘技でもスポーツでも間違った努力がある。
    頑張る事が、間違いになる努力になってる事がある。
    そんな事を考えていた時間にバッチリの言葉。
    本当にバッチリのタイミングです。
    いつもツイテルんですよ、いつもツイテルから、僕、いつも楽しいんです。
    だから僕は、ありがとうって言葉も大好きなんです。
    お話してる方は、勝間和代さん。
    有名な方で、電車の中刷りなんかでも見かけます。
    その割には、本とか読んだ事ない。(笑)
    引き寄せられて、メモを取りながら聞きました。
    アハハ人生初です。
    何となく勝手にやってたんです。
    無意識のメモとりです。
    無意識に間違いってないから、面白い事始まりますよ。
    「正しい努力とは、やっていてワクワクする事。」
    「目標に向かって、何をするのか。」
    「自分が得意な事をやる、やっていてワクワクするような努力をする。」
    アハハ、同じ事言ってるな。
    「やっていて疲れるような事はすぐに辞めたほうが良い。」
    「成功した人の、真似をする。」
    「何か疲れる。」
    「それでは、上手くいかない。」
    「成功した人の上っ面、表面を真似る。」
    「疲れて、面白くない。」
    「それでも努力する。」
    「それでは、成功は出来ない、無駄な努力になる。」
    「やっていて楽しくない努力はダメ。」
    アハハ、知ってる、知ってる。
    「努力の仕方を見直す。」
    「努力の仕方を努力する。」
    「間違ってない努力の仕方の努力をしてから始める。」
    「楽しい日々を送る。」
    「自分を発揮しやすい日々を送る。」
    アハハ、身体も同じだ。
    スポーツも格闘技も同じ。
    始めて聞く勝間さんの声は、喋り方が、なかなかチャーミングだったな。
    凄く引き寄せられる声を感じながら、面白いなってメモして、一人で知ってる、知ってるって、不思議な気分。
    不思議と写真とか見ても、引き寄せられなかった。
    引き寄せられる時間が来たのかな。
    消化吸収出来る様な、自分自身になって来たのかな。
    不思議な程に、ラジオの声がパッと入ってきた。
    本屋に行ってみよう、何となく誘われる本がきっとある。
    何となく誘われるような、勝間さんの本がある気がしてきた。

    今週1週間お付き合い頂きありがとうございました。
    お気楽に楽しく書かせて頂きました。
    次回のブログ担当の時、きっと面白い事が増えてる。
    皆さんに読んで頂きたい事が増えてる。
    書きながら感じてます。
    僕は、ツイテル事には自信あるんです。
    気持ち良さって魔法 秋のフォーラムで発表の中谷実行委員の言葉です。
    フーッーきもちがいいってことが極楽なのよ味わってみればわかる
    三浦先生から頂いた色紙が臨床の部屋に飾ってあるんです。
    そこに描いてある、橋本先生の気持ちよさそうなイラストが語りかけてくれます。
    操体って最高に面白い。
    操体、大好きなんですよ。
    出会いに感謝です。
    秋のフォーラムゴールドジムでのセミナー ファイト&ライフでの連載。
    皆さんとの出会い、ご縁が広がると嬉しいです。
    最終日長々書いてしまいました。
    お付き合い頂きありがとうございます。
    来週は実は九州男児、東京都在住の辻君です。

    平直行

  • 島津先生その2

    島津先生のもとに、何度かお邪魔してお話を聞かせて頂くようになると。
    僕に悩みが大きな悩みがやって来ます。
    武術の師匠にこの事を言わなければならない。
    そうなんです、許可を頂かない訳にはいかないのです。
    お二人に失礼になってしまう。
    そうやって悩みながら、やっぱり実はそれ程悩んでない。(笑)
    ある日の朝。
    どうにも出来ないような衝動が来たんです。
    その日は武術の鍛錬の日で。
    何があっても今日、島津先生の事をお話しなければいけない。
    不思議な衝動が身体中に来たんです。
    それで、道場に行ってすぐにお話して。
    不思議な程、簡単に許可を頂きました。
    それは始めからそう決まってたんじゃないのか。
    そう感じる不思議な時間でした。
    鍛錬が終って、先生に電話します。
    先生は喜んでくださりました。
    それで、実は入院してるとの事。
    不思議な時間、感覚に僕は包まれて。
    すぐにお見舞いに行きました。
    先生は思いのほか元気そうで。
    点滴を付けたまま、病室を抜け出して。
    僕は始めてお会いした時のように。
    先生の前で、技をやります。
    病院の中でそこだけが、違った空間。
    そのうちに先生は点滴の付いてない方の腕を出して。
    突いてきなさい。
    そう言って、僕は恐る恐る突きます。
    なにしろ病院の中ですから。
    それでぱっと返されます。
    段々力が入ってきます。
    それは現実の世界なのに現実じゃないみたいな感覚で。
    まるで漫画や映画の中にいるみたいです。
    不思議な用意して、あったような道。
    僕はその中で幸せを感じて、感謝の気持ちで進もうと思います。
    武術と手技療法はもともと一緒。
    そして武術は格闘技とは全く違う。
    武術を受け継ぐには、天才でなければ無理。
    天才とは人と違った物の見方が出来る人なのかもしれない。
    だから普通に学んでも、なかなか理解は出来ない。
    だから師匠が2人なのかな。
    同じ事でも、2人の師匠から別の伝え方をして頂くことで何とか理解出来る。
    そして、学び方、感じ方を自分自身で整理整頓して
    普通の方々に伝える。
    そんな仕事って面白くて、気持ち良い。
    武術の術って本当に魔法の術なんです。
    医術も同じなんでしょうね。
    そんな気がするんです。
    武術は根幹は全く同じ。
    そして、臨床もきっと同じ。
    同じところから来てるんだから。
    臨床の師匠にも僕は恵まれてる。
    道が僕を待ってる気がするんです。

    平直行

  • 島津兼治先生その1

    僕は色んな事にツイテルんです。
    他には、あんまり自信を持って誇れる事はないんだけど。
    ツイテル事には自信があったりするんです。
    秋のフォーラムのゲストの島津兼治先生とのご縁もツイテルご縁なんです。
    島津先生とのご縁は、秘伝という武術の雑誌からです。
    その編集の人が、これからの武術の道のりに何かの助けになる人を紹介します。
    その人と対談しましょう。
    ツイテル僕は、何故かそんな事を言って頂きました。
    その第1回のお相手が島津先生だったんです。
    島津先生は70歳、初対面、お話噛み合うのかな。
    普通に心配しながら出かけました。
    アハハ、ツイテルから大丈夫なんですよ。
    心配無しなんです。
    非常に素敵な気持ちが良い時間でした。
    対談が終って帰る時間。
    僕は先生の奥様に呼ばれました。
    「島津が秘伝をお伝えしたいと申しております。」
    まるで漫画の中のシーンみたいでした。
    僕はその場で丁寧にお話を聞かせて頂いて、説明していただいて。
    技をかけて頂いて、自分でもやらせて頂いて。
    もちろんすぐに出来る訳がないのですが。
    僕の中に秘伝は入ったのです。
    それをいつの日にか、身体の中から引き出して、使えるようになる。
    それが僕の中の目標であり、楽しみなのです。
    非常に楽しい時間を過ごして、良き思い出を頂いて。
    島津先生の講演会に行かせて頂いて。
    受付で再会した時に先生は喜んでくださって。
    素敵な笑顔で迎えてくれました。
    休憩時間にまた秘伝の技を教えてくれます。
    参加者が遠巻きに見てる中で、先生が僕に技をかけてくれます。
    不思議な時間、面白き気持ち良き時間。
    僕には他に武術の師匠がいます。
    師匠の許可を頂かなくては、他の武術を学ぶ事は出来ないのです。
    それで、ご縁が切れたのかな。
    凄く残念だな。
    そう感じて月日が流れて。
    調度その頃に、護身術のDVDを出しました。
    見てみてビックリです。
    収録の合間に撮った映像が流れています。
    本編に使う筈がない映像。
    そこには雑談の中で、島津先生から教えて頂いたお話が入っていました。
    物凄く焦った時間です。
    そして不思議な程に焦らない時間でもあったんです。
    すぐに島津先生の連絡先を調べて、連絡しました。
    先生は電話の向こう側で笑顔で。
    「良いんですよ、お話したという事は、自由に使って構わない。」
    「そう思ったから、お話したんですよ。」
    「お会いした時間は凄く良い時間でしたね。」
    「とても楽しかったですよ。」
    「嬉しい時間だったのを覚えています。」
    有り得ないような、優しい対応をして頂きました。
    それで、すぐに僕はご挨拶をする為に、島津先生のご自宅に向かいました。
    やっぱりツイテルんです。
    謝罪の時間は数秒で、色んな事を教えて頂きました。
    部屋の中で、テーブルをどかして、ずーっと教えて頂いて。
    それでまた来なさいと行って頂いて。
    不思議で当たり前のような時間でした。
    何度か島津先生の家にお邪魔して。
    臨床も見せて頂きました、島津先生は凄いですよ。
    10年肩が上がらない、そんな患者さんが来て。
    あっという間に上がるようになって。
    操体とはまた違ったものです。
    やわら医術、日本の戦国時代に磨かれ育まれた本物。
    秋のフォーラムで必見です。
    島津先生の事は、武術関係者の皆さんが
    口を揃えたようにこう言うんですよ。
    島津先生は昭和の名人、達人と呼ばれた方々と交流があった最後の方。
    武術の事を何でも知ってる最後の方。
    あの方が亡くなったら、武術を知ってる人はいなくなる。
    凄い方なんです。
    武術と医術が両輪だった時代は、現代よりも遥かに長い時間。
    その時代を学ぶ事は、決してマイナスにはならない。
    絶対に面白い。
    現代では学べない事を聞くのは凄い気付きのヒントです。
    秋のフォーラムご期待ください。

    平直行