投稿者: karib_sotai

  • 「からだの力 ~その4~」

    今年は体調を崩したこともあり、からだを診る側の立場よりも診てもらうことの方が多い一年でした。

     

     

    今までと立場が逆転したことで気がつくことも多く、この療養期間はとても意味のあるものだったと思えます。

     

     

    この期間での気付きを臨床に応用していくことにおいて大事にしていかなければならないと思っていることは「自分とからだの関係性を診ていく」ということです。

     

     

    わたし達は医者のようにからだの情報を数値で診ることが出来ません。

     

     

    なので生のからだの情報をいかにキャッチしていくかが非常に大切になってきます。

     

     

    そのからだの情報は物凄く沢山あります。

     

     

    からだ全体の構造(つくり)、姿勢や歩き方、動き、呼吸、皮膚、言葉や意識。

     

     

    これらを何を基準にし正常な状態にしていくのかを考えると、臨床家がやっていることは本当に大変なことだと感じます。

     

     

    しかし、その大変なことも「重心の適正」を一つの基準に診ていくと全てが1つに収まってくる。

     

     

    その中で見えてくるものは患者本人とからだとの関係性であり、それが良好なものでなければ重心の不正が生じてきます。

     

    その重心の不正によってからだは本来持ち合わせている治癒力が発揮することが出来ない。

     

     

    明日はこのことについてもう少し踏み込んでみたいと思います。

  • 「からだの力 ~その3~」

    昨日の続きになりますが、からだの要求に適えていくためには何が必要なのでしょうか?

     

     

    それを紐解くにはまずからだはどういった状態においても何らかのメッセージを送っていることを認識しなければなりません。

     

     

    健康でいる間は例え本人がそれに気が付かなくても、からだが何とか間に合うようにしてくれています。

     

     

    しかし健康が不健康に傾斜していく中でからだは自力ではどうにも出来なくなり、わたし達に助けを求め、普段とは違った形でメッセージを送ってくるようになります。

     

     

    そのメッセージに耳を傾けられないと、からだは時間の経過と共に目には見えないメッセジから次第に「歪み」という目に見える形でわたし達にメッセージを送り続けてくるようになるのです。

     

     

    こういったからだからのメッセージに気が付く力こそがからだの自然治癒力を引き出すことに繋がってきます。

     

     

    その力は何も特別なものではなく、日々のちょっとした意識の使い方で自然に身に付けられるものなのです。

     

     

    一日のわずかな時間でも使わせて頂いているからだに意識を使ってみて下さい。

  • からだの力 ~その2~

    からだが本来持ち合わせている自然治癒力はどのように引き出されていくのだろうか?

     

     

    わたしも今まで臨床や身近な人達のからだを診させて頂く中で信じられないようなからだの劇的な変化を見たことがあります。

     

     

    それを臨床家の立場で目にした時はその理由は全くわかりませんでしたが、じぶんが一人の患者の立場になり、何となくですが見えてきたものがあります。

     

     

    それはからだには治ろうとする意志があるということ。

     

     

    そしてからだを使わせて頂いているわたし達に健康でいてほしいという意思がある。

     

     

    この意志と意思の下にからだはわたし達に何らかの形で常にメッセージを送り続けている。

     

    それに気付き、そして応えていくことが、からだが本来持ち合わせている自然治癒力を引き出す最善の方法なのだと思います。

     

     

    ではこのからだが要求していることに応えるためにどういったことが必要になってくるのでしょうか?

     

     

    明日に続きます。

  • 「からだの力 ~その1~」

    今年一年を振り返ると、からだから沢山のことを学ばせて頂けたように思います。

     

     

    特に数か月前に起こったからだの異変と治療の過程の中でからだが教えてくれたことはわたしにとって今後のかけがえのない財産となるように感じています。

     

     

    その財産とは「やはりからだって凄いな」と心から思えることなのです。

     

     

    日々の中で痛みや苦痛に見舞われていくと、そんなからだに対してのありがたみも段々薄れていく。

     

     

    「痛みから解放されたい」というじぶんの思いはからだからのメッセージを遮断し、そして信頼関係を崩壊していく。

     

     

    操体の臨床はその関係性を立て直す手助けをしているようにも見えます。

     

     

    わたしの方はお陰様である程度今までの生活に戻すことが出来ました。

     

     

    その一番の要因は操体の臨床や学んできたことを通じて、からだが持ち合わせている力を信じきれたことにあると思っています。

     

     

    ではその力はどのように引き出されていくのかを明日は以降に少し触れていきます。

  • 「共に生きるものから学んだこと」

    猫様達、一週間ありがとうございました。

     

     

    今週からは三浦寛幸がバトンを引き継いで担当致しますのでよろしくお願い致します。

     

     

    テーマは引き続きフリーとなります。

     

     

    せっかく猫様達が書いて頂いたので本日は少し動物に関する話を少し書きます。

     

     

     

    わたしの所にも来て一年半になるウサギがいます。

     

     

    一緒に住み始めた当時はなかなか懐かず、かまれたりすることもありましたが現在は一緒に寝たりすることも出来るようになりました。

     

     

    当時は人間への警戒心がかなり強く、何をしても反発的な態度を取られるので信頼関係を構築していくのにはかなり苦労しました。

     

     

    とりあえず日課として朝と晩の挨拶と食事は一緒にし、出来るだけ与えるものは渋らないようにしていました。

     

     

    これを日々欠かさず行ってきたことで時間はかかりましたが、良好な関係が築けているように感じています。

     

     

    共に生きる中で学んだことは毎日意識を向け、求めず歩み寄っていくこと。

     

     

    この関係性は「じぶんとからだ」の関係性にとても似ているように思います。

     

     

    じぶんと共に生きるものに上下関係を作らず対等な関係性でいることはじぶんの健康とも深く繋がりがあるように感じています。

  • 七日目

    ボク、小十郎です。でもちびちゃん、ってよばれてます。

     

    真魚くんも「まおくん」じゃなくて「まーくん」とか「まーちゃん」ってよばれてます。

    りんちゃんは「凜」っていうみたいだけど「りんちゃん」とか「ぴょんぴょん」ってよばれてます。

     

    それじゃ、またね。

     

     

  • 六日目

    さむいとくっつきます。

    あついときはくっつきません。

     

  • 五日目

    あさごはんをたべたら、またねます。

     

    まーくん、おでこに目があるみたい。

     

  • 四日目

    くちをおおきくあけるときもちいいね。
    ちょっとこわいかお。

    あくび。

     

  • 三日目

    だんぼーるのはこがあると、はいりたくなります。

     

    はこにはいりたくなるのはどうして?