投稿者: karib_sotai

  • なぞなぞ③

     

    「クジラより大きくて、メダカより小さい、海のいきものはな~んだ?」

     

    この「なぞなぞ」を子供たちに出してみると、面白がって「シラス!」とか「ミジンコ!」とか、「そんなのいないよ!(惜しい)」といった答えを返してくれました。

     

    最後は正解を教えて、「そういうことか」って笑い合ったんですけど、同時にこんなふうにも想ったんです。

     

    とんちクイズとしては「イルカ(そんなのいるか!)」が答えでもいいけれど、違う答えや別の捉え方があったっていい。

     

    目に見えることだけだと、その存在に気づけなかったりすることはあっても、目に見えないことを大事にすれば、その存在に気づけることだってある。

     

    たとえば、「からだ」のようにね。

     

     

  • なぞなぞ②

     

    昨日の「なぞなぞ」は、小学生の頃に読んだ本に載っていたものです。

     

    「クジラより大きくて、メダカより小さい、海のいきものってなんだろう?」

     

    当時は全く思いつかず、降参して答えのページを見てみると、そこには「イルカ」とありました。

     

    「どうしてイルカ?」とよく読んでみると、「そんなのいるか(イルカ)!」と書かれていて、「これはとんちクイズだったんだ」と分かるまでしばらく時間がかかったのを覚えています。

     

    みなさんの答えはいかがだったでしょうか。

     

     

  • なぞなぞ①

     

    岡村さん

    馥郁たる年またぎのメッセージありがとうございました。

     

    鼻腔のおくで味わった今週担当の瀧澤です。

    一週間よろしくお願い致します。

     

    さて、小学生の頃に出会った「なぞなぞ」を一つ。

     

    「クジラより大きくて、メダカより小さい、海のいきものはな~んだ?」

     

     

  • 熟成する人生⑦

    環境も、「家」も「からだ」も丁寧に扱う。

    感謝に繋がるように大切に意識したい。

     

    それを、代々自分の責任において、大切に発酵させながら使い続けていく。

     

    丁寧に扱う。

    自分のだけのモノという捉え方を外し、「からだ」をお借りしているといった意識を持てば、まさに、熟年以降も熟成させていくことができる規格・構造であり、デザインなのである。

     

    今風の住宅は、壁が多く、窓がないようなデザインが流行っている。

    昔は、掃き出しの窓が主流で、箒で塵を外へ出し、換気は常に窓で行っていた。

     

    今は循環式換気扇で、常に空気が循環すれば、窓は必要最低限で良いといった考え方になる。

     

    日本の住宅、そして海外の住宅、それぞれの環境に合わせ、丁寧に使い続ける意識を持てば、

    実は、最も新しい住宅というものが正解と言う事はないだろう。

     

    ヒトの「からだ」も、数百、数千年の間に一気に変わる事は無いし、また今後も極端に変わる事はないことを考えれば、丁寧に使い、丁寧に発酵することを目的に、熟成させていくように、丁寧に扱えることこそ、「健康増進医学」といえるだろう。

     

    言葉遣いも同じである。

    心がけて良き言葉であれば、言霊は宿り、正しく美しき姿を成すだろう。

     

    人生100年時代といわれて久しい。

    六~七十年経ったらガラクタだとか、「老化現象」だとする意識こそ是正して頂きたい。

     

    生まれてくるとき、亡くなってあの世に還るときは、裸一貫となるのだから大切して欲しい。

     

    ヒトの言葉は運命のハンドルであって、

    森羅万象、神仏の計らいごとでもある。

     

    霊長類にあって、唯一発声による認識行動の文化社会を構築している。

    その言葉も、「からだ」あっての賜。

     

    「からだ」を卑下することにより、

    いかに生き方をつまらなくさせているか。

    勉強すればわかってくる「操体」では、

    法則も真理あってのもの。

     

    時には辛い痛みさえも感じることがある。

    しかし、「からだ」は本人にも理解してほしいからサインを出しているのだ。

     

    ワケがある。

    救われている、そのワケを感じとれる!

    健康増進に適う、その道標となる「操体」

    コツコツを学んでおのずとわかってくる。

     

    それでは、

    一週間のお付き合い有難うございました。

    明日からは、瀧澤副実行委員長の登場です。

    お愉しみに!

  • 熟成する人生⑥

    腐敗も発酵も微生物の働きである。

     

    腐敗菌の類が繁殖すれば腐敗。

    有用発酵菌が繁殖すれば発酵というだけの違いである。

     

    だが、この違いが天地雲泥の差なのである。

     

    ぬかみそ。

    これは、米ぬかと塩と水で作る。

    これを常に掻き回し、空気を入れ温度管理に注意し、カビなどの有害微生物が優先にならないよう「愛」を込めて育ててやる。

    好きな人にはたまらない、まさに風味絶景のぬか漬けができる。

     

    そればかりではなく、野菜には少ないビタミンB類など「ぬかみそ」から野菜に染み込み、栄養補給の最後まで受け持つのだから、発酵とはかくも有り難いのである。

     

    長い間熟成されたもの、ヴィンテージ物となってくるような愛をかけて育んでいるもの。

     

    それは何も「ぬかみそ」やヨーグルトのようなものに限らない。

    間に合うようにするのであって、他のものにも十分に応用できる。

     

    例えば、建築の床や柱のように毎日愛情を持って手入れしてやる。

    すると腐敗は起こらず、発酵が進んでいく。

     

    明治や大正の頃までに作られた農家の建築などは、ほぼ例外なく、木造の伝統的な軸組工法で作られている。

     

    ワタシの祖母は、床や柱を、「ぬか」袋で磨いたり、出がらしの「茶渋」で磨いたりした。

     

    囲炉裏がある家では、家の中心にある囲炉裏から常に薪の煙が上がって、内側の柱や梁はその煙によって燻蒸され続ける結果、驚くほど柱も梁も長持ちするようになる。

     

    流行の言葉なら「エモい」というか、感覚的に、得も言われぬ味わいすら持ち続ける。

     

    ときには、湿気のある床下の「根太」がシロアリの犯すところがあっても、その部分を張り替え重ね張りしてやれば、家は命を失うことなく木造建築は100年を軽く超えていくこともできるのであるが、しかし、その前に家を建て替える自由も、日本人の性分だろう。

     

    英国在住歴のある患者さんに聞き調べたところ、イギリスの住宅はなんと12世紀に建てられた石像建築などは、その辺にゴロゴロしているらしい。

    イギリスの国民は、痛んだ壁を塗り返し、コツコツ手を入れながら丁寧に生かしていく。

     

    それが住宅と言うものの本質なのである。

    「からだ」の本質も、生命の本質も同じだ。

     

    本質に繋がる真理は、

    発酵するものであって、

    決して腐敗するものではない。

  • 熟成する人生⑤

    「操体」を学び続けた25年以上、学びを愉しめている理由。

    「からだ」が感じる軸まで知ってしまったら、後に戻る道は勿体ない。

     

    橋本敬三師匠の放言。

     

    『 気持ちの良さを ききわければ いいんだ! それで治るのだから 』

     

    『 あまり欲張らなくてもいい 間に合うようにすればいいんだ 』

     

    『 知らないと間違う 。

     天然の法則があるからね。

     息・食・動・想は、

     他人に代わってもらえない。

     それに皆天然の法則がある。

     知らないから間違う。勉強すること』

     

    本来、いのちが誕生するという奇跡は、

    もともと完璧な( perfect )こと。

     

    それを橋本敬三師の哲学思想では、“ 救い ”

    といい、生まれながらに救われている。

     

    快に貫通する生命現象は、

    細胞感覚、原始感覚ありきのもの。

     

    その基本を学び、ルールに合わせて愉しめるように学び続ければいい。

     

    目的は重心の適性へとかなっていくのも、

    やはり、真理に貫通しているからである。 

  • 熟成する人生④

    新年、明けましておめでとうございます。

     

    とはいうものの、考えてみれば、

    一つ歳を重ねる事さえも、

    ありがたく楽しいだけではない。

     

    ここで提案したいのは、

    人生を「祝い事」として考えていくこと。

     

    ヒトは、人生も感覚で選ぶことができる。

    それは、今、この中で考えていること。

    自分の脳で伝えていることが、生き方として使っていること。

    自分の人生に、どう投げかけているかということ。

     

    たとえ「冥途に向かう一里塚」と言われても、

    ヒトの生き方にある「老化現象」を、

    呪いと考えるか、それとも熟成と考えるか、

    「祝い事」と考えるかでは全然違う。

     

    新年に、この信念を迎えよう。

    実際、人生100年時代となってきた

    現代において、『いつお迎えが来てもいい』と考えても、そのお迎えは一体いつ来るのか。

     

    好きなことを充分味わい、人に迷惑をかけなければいいのではなかろうか。

    人生は面白いことをしたほうが、結果的に幸せな人生で終わることができる。

     

    全て肯定してほしい、と言うわけではない。

    ただ、気がついたところから丁寧に、丁寧に生きていこうとすれば良いのである。

     

    与えられた命。

    自分なりに、全うする命。

    自分の大切なものとして、考え抜くことの気持ちこそ大切なのだと思う。

     

    生まれてきたのではなく、生まれてくることに意志があったと感じる。 

    生かされることを感じることで、生きているのだ という驕りを取り除いていく。

     

    「操体」は、学べば学ぶほどに感恩報謝できること。

    この世に生まれた時から救われている。

     

    この有り難み。

    一日一日のありがたさを感じとることこそ、

    「祝い事」の熟成に必要なことだろう。

     

     

  • 熟成する人生③

    免疫システムの異常による病気でも、命に関わるようなものもある。

    強い免疫抑制系の薬を飲み続けないと生命が維持できないからである。

     

    しかも、免疫異常による病気を抱えたヒトが現代では増えている。

    ふと立ち止まって考えてみると、おかしいなと思わないだろうか。

     

    そんな命に関わるような、強い免疫抑制剤やステロイドホルモンを、

    飲み続けないと生命を維持できないような病気は、先天的にしてはおかしい。

     

    それは医学の無い時代には子孫を残せなかったわけだろうし、

    そのような病気の遺伝子は残っていないはずとも考えられる。

     

    なぜか、現代に増えているのも首を傾げてしまう。

    なぜ、そのような免疫異常になるのだろうか。

     

    想像力を働かせてみる。

    一つには、人為的に、そして不自然に、「からだ」にさまざまな免疫をつけ、

    不必要に強い薬を注入するからではないか、という説も一理ある。

     

    そして、その種類は年々、増えている傾向にある。

    人為的に作った、とても偏った強い免疫が、正しく外部の病原体”のみ”に働いて

    くれたら良いけれど、免疫システムとはそこまで機械的に正確ではないようだ。

     

    それが、同じ「からだ」の細胞である、血管内皮細胞や大腸粘膜細胞、

    皮膚細胞の基底層や毛根細胞の一部を、「抗原」と認識して攻撃してしまう。

     

    原始より救いが成る生命細胞感覚により、

    ヒトは「からだ」を介して他人の痛みを共感し、感じとることができる。

     

    ぜひ、想像して欲しい。

    「細胞」を「個人」に置き換える。

    「病気や死」を「酷使や戦争」に置き換えられることを。

     

    そして、現代の病とはなにか、現代の闇とはなにかを、未来から解き明かそう。

     

    では皆様、良いお年をお迎えください。

     

  • 熟成する人生②

    三浦理事長の操体法講習会に初参加した25年前。

     

    「からだ」を動かすということは、「重心」が変化しているということ。

    考えてみればこんな当たり前のことを、じっくりと考え直す機会に恵まれた。 

     

    動物として自然なこと。

    生命活動をおこなうのは、地球の重力下で生かされているから。

     

    ヒトとして、自然なのか不自然に動いているのかに気付き始めた。 

    気付いたら、自然な動きにはルール( 法則 )があり、学びつつ実践して、

    これは間違いなく、天然自然のルールだったのだと、実感することで繋がってきた。

    「からだ」のうごきになるのだと。

     

    わからなかったことがわかる。

    わけがあるのだから、わけを学ぶ。

     

    「からだ」の言い分、生命の基準、重力下における物理的細胞感覚のことも伝わってくる。

     

    私たちの「からだ」にとって、細胞感覚とはどのようなものなのか。

    「からだ」の細胞とは、他の細胞と協力し合って健康を維持しなければならない。

    もし、細胞同士が協力しなければ、病気や死が待っている。

     

    細胞感覚のイメージは、ヒトの社会構図にも拡がっている。

    なぜ、世界が今も病気なのかを、理解する助けになってくるのではないか。

    その空間へ意識を飛ばし、想念を馳せる想像力を働かせてみよう。

     

    「からだ」には、とても複雑で巧妙な免疫システムがあるので、喩えを入れ説明してみよう。

     

    いくつかの種類の細胞が協力し、事件現場に急行する者、

    敵情報を他の細胞に伝え、それに見合った応援要請を出し、

    場合によってはすぐに制圧して終了。

    終わらなければ全身的な戦いになる事もある。

     

    これは、外部から「細胞」が犯されることへの防衛機能。

    国家に例えて日本で言えば、警察や自衛隊、地域の一人一人が担う働きとなる。

     

    ところが、この免疫システムが

    自身の「細胞」を攻撃し、

    病気になってしまう事がある。

     

    「からだ」に張り巡らせた血管自体をなぜか「敵」と認識して、免疫が攻撃してしまう、

    そんな慢性疾患もあり、原因もわからず、

    免疫を抑える薬を飲む事でなんとか鎮静化しているのが現状。

     

    腸の後ろのほうにある大腸の粘膜を敵と認識し、徹底的に攻撃してしまう異常があり、

    クレーターのような穴が空き出血し、

    「からだ」の大切な赤血球やアルブミンや

    血小板が足りなくなり、強い腹痛に見舞われてしまう。

    これも原因はわからず、免疫を抑える強い薬でやり過ごすのが精一杯の難病である。

     

    髪の毛の「毛根」を敵と認識してリンパ球が攻撃してしまう円形脱毛症。

    部分的なものもあれば、自然治癒と再発を繰り返すものもあり、

    髪の毛が全て無くなってしまう場合もあり、これも原因はまったくわかっていない。

     

    髪の脱毛自体に痛みや命に別条はなくとも、年齢や症状の重さによっては、

    とても辛い精神的苦痛を伴うもので、実際に、ワタシの親戚は中学生の時、

    発症してしまい高校生からカツラを装着しなければ不登校になっていた。

     

    何回も言うが、免疫細胞の暴走した状態における決定的な治療法はない。

    (近年新薬で、毛根へのリンパ球の免疫反応だけを阻害する薬が認可された。

     非常に高額で長期的な対症療法としては経済的な困難をきたしやすい)

     

    考えてみると世界中で似たような事はあり、

    「からだ」を介してみれば、ここも想像力の、

    空間を介して貫通する「想念」世界となる。

     

  • 今年最後の操体の勉強会(塾SOTAI)

    こんにちは。TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

     

    今日は第五日曜。

    午前中は東京操体フォーラム実行委員で集合、来春の東京操体フォーラムに向けての相談をしました。

    午後は三浦寛先生の講習会場で、今年最後の「塾SOTAI」です。

     

    実行委員の間で「これはどうなの?」「これはどう思うか」などの意見が交わされ、操体を学ぶ者としては非常に勉強になります。

     

    膝を詰めての熱い勉強会。

     

    今年の最後の操体の勉強です。