投稿者: karib_sotai

  • 二日目

    さむくなってくると、おとーたま(せんせい)がでんきもうふをだしてきます。

    あったかいのでボクはおとーたまのひざのうえにのります。

    ながく乗ってると「ちびちゃん、重いからどけや」とどかされます。

    でも、またのります。

     

    ぬくぬくのきせつ。

     

     

  • 初日

    こんにちは。

    こんしゅうは、小十郎(ちびちゃん、って呼ばれてます)がたんとうします。

    真魚(まお)くんは「まーちゃん」とか「まーくん」とよばれてます。

    まおちゃん、とかまおくん、じゃなくて「まー」なんだそうです。

    よくわかんないです。

     

    まーくんは、靴下とかセーターをかじってあなをあけます。

    ボクは玄関マットをガリガリひっかくのがすきです。

     

    こっちむいてるのがボク。うしろむいてるのがまーちゃん。

     

    たぶん、ねこはたべられないくさです。

  • 伝えること(7)

    先日、加門七海先生の本を読んでいたところ、呪術やまじない系の話で、
     
    「本になっているものは、その組織ではもう過去のものになったもの」というようなことを読んで「そうだよね」と思いました。
     
    三浦先生の講習開講の際「何か事前に読んだ方がいいですか」と聞く人がいますが、先生は「読まなくてもいい」と言います。
     
    というのは、講習の内容は、本にはなっていないからです。
     
    そうなると、やっぱり「じかあたり」ですね。
     
    1週間ありがとうございました。
    明日からは三浦寛先生の担当です。
     

  • 伝えること(6)

    間違ったやり方で、いくら練習をしても、逆効果である。
    下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、という言葉がありますが、操体の場合、練習するとしたら、相手が必要です。
     
    本当は、自分でできる練習もあります。それが、指の反りを直すとか、腰の後弯曲を修正するとか、皮膚を決めるとか、からだの使い方、動かし方とかです。
    本当は自分でできる練習をしっかり積んでから練習すればいいんですが、自分でできる練習をしない人は、人のからだを使って練習したがります。
    これはかなりナゾなのですが、問題の原因を「自分」ではなく「他者」に向けているのかもしれません。
     

    調和。
  • 伝えること(5)

    足趾の操法の動画を撮って流せば?という話をたまにいただくのですが、ちょっと躊躇しています。
     
    というのは、いままで「本とか動画で見たんだけど」という人が「実際にやる」のを見ると、100パーセント「違う!!」となるからです。
    たまに指先をつかんでぐるぐる回している人がいたり、踵を浮かせたまま足を上下させたりしているとか、そんなことがあるんです。
     
    ちなみに、見た目には簡単に見えるのが「足趾」です。
    なんとなく真似してこんな感じ、というのは再現できるかもしれませんが、本当のコツは、見えないところにあります。
     
    操者が疲れない【長時間継続しても大丈夫な、操体的なからだの使い方】方法があります。
    また、これはかなり大事ですが【見よう見まねでやると、手首や肘や肩を壊す】ことになります。
     
    実際に「教えるからまだやらないように」と再三言ったのに、こっそり試して手首と肘を痛めたという受講生は何人もいます(汗)。
    まあ、正直に言ってきたので、良しとしましたが。
     
    受講生の中には、最後の肝心なところを教える前に「自分はもうできるから」と、辞めていった人もいますが、肝心なところが抜けていて、どうやってやっているんだろう、と不思議になります。やってないかもしれません。
     
     
    そして「最後の肝心なところ」ですが、やはりこの辺りはお互いの信頼関係にも関わってきます。
     
    この「最後の肝心なところ」というのは、実際、指導プログラムには入っていません。
    指導プログラムの上にあるものだからです。
     
    「この人にはここまで伝えたい」というところにあるんです。
     

  • 伝えること(4)

    ピアノの練習の話で恐縮ですが、操体の勉強にも通じるところがあります。
     
    ピアノも操体も「まむし指」では、上達しにくいのです。
    ただ、ピアノの場合はやっている人の数が絶対的に多いので、昔から
    「手が小さい」
    「まむし指になる」
    などの悩みを抱えてきた人は多く、それなりの練習法や解決法や指導法が考えられてきました。
    ピアノの先生の解剖学的考察などは、かなり面白いです。
    「手の広げ方」とか、是非チェックしてみてください。
     
    また、ピアノも操体もそうですが、日常生活で使う筋肉とは全く違うところを使います。
     

  • 伝えること(3)

    ピアノの練習で「なるほど」と思ったことがありました。
    今は色々な教材があって、独学も可能なんですが、
    独学ではなかなか抜けてしまうところがあります。
     
    それは「基本の形」です。
    フォームには気をつけること、とあります。
    指についても気をつけることがあります。
     
    私はこれを読んで、足趾の操法で、親指が反らない場合を思い出しました。
    足の「甲側」の「深持ち」ができないので、例えば「落とし」の時に滑りやすく、被験者の指を強く掴んで痛みを与えることがあります。
    蛇足ですが、足趾の操法の「落とし」で被験者に「痛い」と言われる場合、必ず持ち方に不備があります。
    これは、指導者(私ですが)がみると、わかります。
     
    これ、かなりやりにくいのと、いわゆる「まな板」にぴったり当たらないので、自分でトレーニングする必要があります。
    なお、鍛錬によって変わってくるのは実証済みです。
     
    おなじように、ピアノの練習でも
    「まむし指」を直す、というのがあります。
     
    まむし指とは
     
    ①の指:親指の第二関節が凹むこと
    ②③④⑤の指:第一関節がそること
     
    なんだそうです。
     
    ②③④⑤は想像していただけばわかるかと思いますが、第一関節(指先に近い関節)が、反ってしまうことです。
    手技療法でも、これだと指のハラがべたっと皮膚にくっついてしまい「直せ」と言われるポイントです。
     
  • 伝えること(2)

    今年、2024年の夏、なぜか突然「天の声」が聞こえました(笑)。
    「ピアノ、やろうよ」
    私は三歳の時、長女だったもので、妙に期待した親がドイツ製のピアノをもらって来て、音大の先生にピアノを習わせようと企んだわけです。
    今はそういうことはないと思うのですが、先生がかなり厳しく、間違えると手を叩いたらしいんです。
    それで、柱にかじりついてピアノのレッスンを嫌がった、という伝説が残っているくらいなんですが(覚えてない)、
    ピアノはそれっきりになりました。 何だかピアノはこわい!というイメージがあったのか、キーボード系にイマイチ馴染めなかった時代が続いたのですが、勿論音楽は嫌いではない(今思うと、幼稚園の時は結構クラシックを聴いていた)のでした。
     
    天の声に従って、なんだか溜まっていたポイントを使って、電子ピアノを買いました。
    そして、教本、それも新しいのを買いました。
    これは、動画と音源がついていて、先生(ピアノの王子様みたいな人)がyoutubeで教えてくれます。
    音源のみのものもついています。
    そして教本の前に、私は「ピアノは姿勢とポジショニング」と練習法法が大事、ということを知っていたので、プロの練習法についての本を買いました。
    これは、手が小さい場合の対処とか、実践的なことが書いてあります。
    つまり「基本となる考え方」と「教本(練習)」の二段階で行ったわけです。
     
    こんな感じで、なんだか段々弾けるようになってきましたが、付け加えてNHKの「三ヶ月でマスターするピアノ」という、ド素人会社員60歳が、三ヶ月で、サティの「あれ」が弾けるようになる!というかなり強気の番組です。
    たまたまこれをオンデマンドで発見し(なんだかオンタイムだった)、見たところ「大人には大人のマスター法がある」ということで、かなり納得しています。
     

     

     

  • 伝えること(1)

    こんにちは。畠山裕美です。
    秋のフォーラムも無事終了しました。
    来年は4月29日、11月24日に春秋それぞれ東京操体フォーラムを開催致します。
     
    10月に伺った町田簗田寺のご住職から伺った話です。
    曹洞宗といえば皆さん、道元禅師を思い出すでしょう。
     
     
    曹洞宗は、日本で一番お寺が多いと言われています。
    浄土真宗も全派を合わせると同じ位だそうです。
    一番多いのは「○○派」に分かれていないからなんです。
     
    その、曹洞宗で、中興の祖と言われる瑩山紹瑾禅師という方がいらっしゃいます。
     
    瑩山禅師は、鶴見の総持寺を開いた方です。
     
    さて、曹洞宗のお寺を「道元さん系」と「瑩山さん系」に分けると、3対7くらいになるそうです。
     
    簡単に言えば、道元禅師は坐禅などを通じて「内」を探究した方。
    瑩山禅師は、衆生を救うために「外」を探究した方、と理解しています(私の理解です)
     
    瑩山禅師がなぜ中興の祖と言われるかというと、優秀なお弟子さんを育成し、日本各地に派遣、曹洞宗の基盤を作ったのです。
     
    東北地方に行くと(曹洞宗多い)、曹洞宗だけど念仏を唱えるというところがあります。ざっくり言えば
    檀家が「念仏もやりたい」と言えば対応し、「ご祈祷してほしい」と言えばご祈祷にも応ずる(神仏習合などの関係もあるかと思います)、女性の出家者をサポートするなど、信者のニーズを取り入れていったというところです。
     
    で、大事なのは「優秀な弟子をたくさん育てた」ということです。
     
  • より全体的な調和を目指して・・・7

    おはようございます。

     

    健康とは、身体が丈夫で元気なだけでは、成り立たないのは明らかな事。

    「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」ではないが、いくら肉体的、身体的に丈夫で元気になっても、その使い道を誤ればバランスを崩してしまう。

    精神制御も重要という事。

     

    ふと、宮澤賢治の有名な詩が思い浮かぶ。

    「雨にも負けず」
    (現代語訳)

     

    雨にも負けず

    風にも負けず

    雪にも夏の暑さにも負けぬ

    丈夫なからだを持ち

    欲は無く

    決して瞋からず

    何時も静かに笑っている

    一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ

    あらゆる事を自分を勘定に入れずに

    良く見聞きし判り

    そして忘れず

    野原の松の林の影の小さな萱葺きの小屋に居て

    東に病気の子供あれば 行って看病してやり

    西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い

    南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い

    北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い

    日照りのときは涙を流し

    寒さの夏はオロオロ歩き

    皆にデクノボーと呼ばれ

    誉められもせず苦にもされず

    そういうものにわたしは なりたい

     

    この詩は、宮澤賢治の死後、愛用していたトランクの内ポケットから発見された手帳に記されていたものだという。

    公開する目的ではなく、病床にあった宮澤賢治の願いと祈り、それだけでなく戒めも込められた自分宛ての手紙ともいえる言葉の断片。

     

    調和というモノ、コトには、精神制御も必要となるが、精神制御を可能たらしめるのは言葉。

    自分を制御して、尚且つバランスの気持ち良さを味わえる状況とする言葉。

    そんな言葉を持てるほど、肉体的な不自由さがあっても、健康や幸福にもつながるのではと思う。

     

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    来週は畠山裕美先生の担当となります。
    どうぞ、おたのしみに。