投稿者: karib_sotai

  • 山の上のコーヒー

    単純に好きというのもあるが

    仕事柄、常日頃コーヒーが欠かせないものとなっている。

    補給するのはもっぱらインスタントものだ。

     

    日に何杯も口にするなかで

    ふと、「山の上で飲むインスタントコーヒーは格別だったなぁ」

    と思い出す。

    これは大学で探検部に属して、山歩きなどしていたときの記憶だ。

     

    それにしても山の上だと何であんなに旨いのか、本当に不思議で仕方がない。

    空気がおいしいから、喉が渇いていたから、状況的にレアだから

    などそこに理由を挙げようとすればきりはないが、

    結構大切な理由のひとつに

    アタマでコーヒーを飲んでいるか、

    からだでコーヒーを味わっているか

    の違いもあるかもしれない、と思い至った。

     

    山道を歩いていると、次第に

    普段は働いていない「感覚」が優位になってくる。

     

    インスタントコーヒー自体に変わりはない。

    変化しているのは、口にしているこちら側なのではないか、

    と感じつつ、今日はコーヒーを味わってみた。

  • 奪わないために

    自分の事であればまだしも、

    自分以外の存在について

    その「可能性」を奪ってしまっているようなことが

    自分は結構多いなと感じる。

     

    そういったことに直面するなかで

    可能性を奪うような

    「余計な事をしない」ようにする為に

    どうすればいいのか。

     

    もしかしたら自分はこの操体から

    そういうことを学んでいるのではないかと思う。

  • 可能性に逆らわない

    臨床のことから少し世界は離れるが

    夜毎、うちのニホンヤモリの「ご飯」を求めて

    狩りに出かけていると、時折不思議な出来事に遭遇する。

     

    ターゲットとなるクモが見せてくれることなのだが、

    捕獲容器で捕まえようとすると

    「絶対に捕まってなるものか」と言わんばかりに

    逃げ足の速いものがいる。

     

    「狩り」の最初のうちはそういった獲物も捕まえようと躍起になっていたが

    いつしかこの手のクモは深追いしても捕まらないか、

    捕まえても、次の獲物をとるときに取り逃がすか

    もしくは、捕まえても何か後味の良くない感じが残ると気が付いたので

    最近では深追いはしないことにしている。

     

    かと思えば、捕獲容器を近づけただけで

    ポンっと自ら容器に飛び込んでくるクモもいる。

     

    何だか不思議な現象を見せられているようで、

    目に見えない天然自然の流れに少し触れているように感じる。

     

    そしてその流れのようなものを感じたのなら

    逆らうのはよした方がいい、ということか、

    と教えられているような気持ちになる。

  • 可能性に委ねる

    「治すことまで関与するな」

    昨日に引き続き、これも創始者から未だに問いかけられ続けている

    名言だと思います。

     

    何を言わんとしているのか。

    操体の臨床家を目指す人間は、この言霊を咀嚼し続けながら

    では、成すべきことは何なのか、

    受け取るということを続けながら、

    「委ねる」ということの意味を学習しているではないかと思います。

  • 可能性を見据える

    「やるやらねえはテメエの勝手」。

    操体の創始者の姿勢が滲み出ている言葉だと思います。

     

    一見すると、冷たく突き放しているようにも思えますが、

    寧ろ、相手の可能性を見据えているからこそ伝えられる

    「指導者」の言葉なのだと感じます。

  • 可能性と向き合う

    昨日のブログ、身体運動から身体芸術へ。

    「芸術」という言葉も

    特別な営みではなく、何だか身近に感じられてきますね。

     

    瀧澤さん一週間ありがとうございました。

    本日から寺本が一週間担当致します。

    テーマは引き続き「可能性」です。

    宜しくお願いします。

     

    「可能性」という言葉を聞くと、

    ちょっと後ろめたい気持ちになることがあります。

     

    いつも「やれるか、やれないか」のことばかり。

     

    肝心な、「やるか、やらないか」のことを

    あんまり考えられていないからかもしれません。

  • 身体運動から身体芸術へ

    「操体的なからだ」とは何だろう?

    「からだのメッセージ(感覚)をききわけられるから
    だ」なのかもしれないし、「からだの使い方、動かし
    方の作法を身に付けたからだ」なのかもしれない。

    Wikipediaによると、芸術とは「表現者あるいは表現
    物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的
    ・感覚的な変動を得ようとする活動」とある。

    「操体的なからだ」を営んでいくということは、運動
    よりもむしろ芸術に近いのかもしれない。

    そこに気づくことができれば、誰でも「操体的なから
    だ」になれるのかもしれない。

    一週間ありがとうございます。
    明日からは身体芸術の体現者、寺本さんです。
    よろしくお願いします。

  • サンプリングと温故知新

    昔から一リスナーとしてヒップホップに魅力を感じて
    いるが、その一つに楽曲制作におけるサンプリングが
    挙げられる。

    既存の曲(原曲)の一部分を切り取ってループさせた
    り、つなげたりしてできた曲は、原曲に対するリスペ
    クトもありながら、さらに新たなものへと生まれ変わ
    る温故知新の面白さがある。改めて元ネタを聴く愉し
    みも味わえる。

    ちなみに、ヒップホップ=ラップではない。ヒップホ
    ップというカルチャーの中にラップ(歌唱法)という
    要素があるのだ。これは操体と操体法の関係に似てい
    たりもする。

  • 再びレオナール・フジタ

    先日、東京都美術館で開催されている「藤田嗣治展」
    に行ってきた。

    藤田の生涯や作品もさることながら、やはりあのトレ
    ードマークであるおかっぱ頭と丸メガネ、ちょび髭に
    は目を奪われる。

    彼に興味を持つようになったのが、切りたての髪を見
    た仲間の「あっ、フジタ……」の一言がきっかけ。そ
    れ以来、わかる人にはわかる髪型を今日までずっと続
    けている。

    そのお陰で、色んな方から随分髪型をいじっていただ
    いている。何がきっかけで人間関係が広がるか分から
    ない。

  • 雨とカタツムリ

    雨の日も坂道を歩いてみる。

    いつもなら、道端の草花に密集しているカタツムリが
    雨に乗じて、道の上まで這い出してきている。

    カタツムリは湿気が好きだから(というより乾燥に弱
    いから)、雨の日は悦んでいるものとばかり思ってい
    たが、かえって溺れてしまうことがあるらしい。エラ
    呼吸から肺呼吸に進化している所以である。

    エラと肺を行き来できたら面白いだろうな、カタツム
    リを見て、そんな想いが膨らんだ。