娑婆に対して、安全に守られていて何ひとつ不自由の無い状態とは、子宮内であろうか?
これを仮に胎内感覚と呼ぶとすれば、これが「憶の快」を表現するのに最も近い言葉であろう。
誰もが懐かしく、安らかな安息の空間である。究極のノスタルジーは、ここに行き着くのではないか?
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です
娑婆に対して、安全に守られていて何ひとつ不自由の無い状態とは、子宮内であろうか?
これを仮に胎内感覚と呼ぶとすれば、これが「憶の快」を表現するのに最も近い言葉であろう。
誰もが懐かしく、安らかな安息の空間である。究極のノスタルジーは、ここに行き着くのではないか?
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です
本日で最終日になります。
一週間自分の受け止めている「憶の快」について好きに書いてきましたが、これは確かな定義もなければ、しっかりと確立されたものではないものなので、各人の感覚的に受け取ればよいものだと思います。
私自身の憶の快の対するイメージは螺旋状の渦の中心に憶があるようなイメージで、その中心に至るまでの螺旋の中には心の記憶、からだの記憶、そして空間があるような感じです。
※アンモナイトの渦の中心に憶があるようなイメージ
この渦の中心に私達の生命感覚が行き着き、からだを通じてこの感覚をキャッチすることが出来れば、それは橋本敬三先生が説かれている人間悲願の達成に繋がる一歩なのではないでしょうか?
一週間ありがとうございました。
来週からは半蔵さんが担当致しますので、よろしくお願い致します。
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テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です
本日は臨床における「憶の快」に話を戻し、思っていることを書いていきたいと思います。
臨床の中で被験者と共にきもちのよさを味わっていると、色が見えてきたり時に過去の記憶が蘇ることがあります。
それは自分が患者として操体の臨床を受けている時も感じることです。
その時に見る色はその時々で変わってくるので覚えていないことが多いのですが、過去の記憶に関しては自分があまり思い出したくない記憶が多いように感じます。
なぜ快適感覚を味わっている時だけこういったことが起こるのかを考えていくと、からだに聞き分けた快適感覚はからだという現象物体だけでなく、時間の経過と共に生命の記憶とも繋がってくるのだと考えられます。
特に私のように過去の苦い記憶がフラッシュバックするのは、その記憶が現在の私のからだの歪みと何らかの繋がりがあるからだと思います。
そういった現象をからだや臨床の空間が見せてくれるのが快からのメッセージなのかもしれません。
そのメッセージを自身がどのように受け止めていくのかが「憶の快」という命の源に繋がる糸口なのだと思っています。
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最近友人の赤ちゃんを抱く機会が多いのですが、なぜ赤ちゃんは泣くのかと考えます。
大抵、私が抱くと泣かれ母親に変わってもらうことがほとんどなのですが、私とお母さんの違いについて真剣に考えていました。
顔を隠して抱っこしてみたり、服の色を変えてみても、いち早く母親以外の人間だと察知するようで、これはどんなに私が母親の真似をしても見抜かれるようです。
そういった試みを繰り返していく中で気が付かされたことは赤ちゃんは生まれてからの記された記憶ではなく、母親の胎内に居た時の情報が感覚のベースになっているように感じます。
その感覚に限りなく近くなった時は泣き笑いを通り超えた穏やかな表情をみせているようです。
またとても興味深いのは赤ちゃんの周りの空間はどんな人でも笑顔になれることです。
無垢な赤ちゃんが作り出す空間もまるで人のストレスを癒す点において操体の臨床の空間と似ているように感じると同時に私達臨床家にとって空間作りというのはとても技術以上に大切なことのように思います。
「憶の快」と赤ちゃん。奥が深いです。
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テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です
最近は以前に比べ、自分の時間が取れるようになったので、毎日決まった時間に決まった場所で自分の好きなことを学ぶことが出来ています。
そのルーティーンの中で時にいつもと同じような環境が確保出来ないこともあります。
そういった時に感じるからだの感覚というのは落ち着きがなく、書き物をしていてもいつものように言葉が降りてきません。
そのような違和感に近い感覚を聞き分けてしまうのは、自分の身の回りの環境、そして時間が自分のからだに合っていないからだと感じます。
こういった感覚は無意識レベルでからだが聞き分けているものであり、いつも行っているルーティーンというのは本能的に自分のからだに合った環境、時間を私のからだが選択してくれているから苦もなく出来ているのだと思います。
これは理屈や理論では証明出来るものではなく、日々著しく変化している環境との一番良い向き合い方を常に選択するセンサーが命に備わっているからであり、それが自分の蓄積されたデータからではキャッチすることが出来ない「憶」からのメッセージなのではないでしょうか?
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本日書く事は私の感覚的な世界の話になりますが、最近の私は臨床の中で「記憶」を感じ取ることを一つのテーマにしています。
記憶と言っても様々で「心の記憶」もあれば、「からだの記憶」もあり、もっ
と辿っていくとその人の身の回りの空間や物等にも記憶があるようです。
それらの記憶を臨床の空間の場で患者の心とからだ、または意識、言動にどう結びついているのかを感覚的にキャッチしていくことも施術者側には必要な診断力だと思っています。
これらの記憶が現在の患者にとってポジティブなものでしたらよいのですが、何らかの形でストレスになっているようだったら、それが可もなく、不可もない状態に変化させていくような臨床は命にとって最高の臨床ではないでしょうか?
そのような患者が生きてきた中で記されてきたものがプラスマイナスゼロの状態になることも三木成夫先生が説かれる「憶」のように感じます。
そういった臨床の問いかけが出来るのも操体の面白いところであり、目に映るものだけを追っていたのでは決して見えてこないことも受け取ることが可能になるところまで現在の操体は進化してきています。
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いつも臨床に臨む前に考えていることがあります。
「いかに患者自身に考えさせないか、思考を消していくか」ということです。
このテーマはいくら臨床の場数を踏んでも、いつも考えさせられることです。
臨床のメニューはその場でその人にあったものを提供することが出来るようになりましたが、やはりどういった患者にも「からだに聞き分けさせる」ということが一つの壁です。
いかに思考せずに素直にからだと向き合えるのかを考えてみた時に、最近臨床で使うようになったのが「委ねる」という言葉でした。
個人的にはこの言葉はとても意味の深い言葉だと思っています。
からだの要求感覚に委ね、感覚に委ねることが出来れば、これはいずれは「憶の快」に繋がっていくものだと感じています。
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三浦先生、一週間ありがとうございました。
今週から三浦寛幸が担当致します。
よろしくお願い致します。
今回のテーマは「憶の快」です。
このブログを読んで頂いている皆様にはなかなか馴染みのない言葉かと思いますが、これからの操体の未来と深く繋がっていく大事なキーワードになりますので一緒に考えて頂けたら幸いです。
私がこの言葉を初めて聞いたのは3年位前になります。
三木成夫先生の著書「胎児の世界」で記載されている「憶」と「憶の快」が話
になり、操体の「快」とはどう違うのかと話し合った記憶があります。
この三木先生は著書の中で「憶」を「過不足のない状態」と記されています。
私の中のイメージとしては操体の快を「後天的」なものとするならば、この「
憶の快」は「先天的」な感じがし、生命体が聞き分ける感覚の元の元のような
感じです。
きっと母親の腹の中にいる赤ん坊、また私達が生を全うし、このシャバから去
る時は誰でもこの「憶の快」を体感出来るものなのではないでしょうか?
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師が亡くなられてすでに数十年。
それでも師とのご縁が続いている。操体の学びも、生涯ありがたく続いている。
私は毎年、5回は師の墓参りをしている。
なぜなのか。
操体という命を耕し肥やし太らせているからなのだ。
そして自身のいのちを育んでいる。
操体のその学びに私自身、日々息を吹きかけ、呼吸を共にしている。
食物連鎖そのものである。人がどう思おうが、五十数年学び続けているものは、誰一人としていないのだから、ちょっと歯の浮くようなキザなことも言わせてほしい。
まあネ、いったい何にために自身の人生を使っているのかってこと。
それだけの問題だと思うのだ。
もしそれをためらうのなら、また、嫌だと言うのなら、いったい私は何を誇りにして、幕を引くのですか?ということだろう。
自身の生き方だけが自身を救う。それが成長の糧かなと思う。
本気で生きることです。
人と語る時間は少なめに自身と語る時間をたっぷりと・・・・・・ですね。
一週間ありがとうございました。
来週からは三浦寛幸が担当致します。

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ところで1月、長年、操体に関わってきた人の訃報が入った。
私と同世代で、橋本先生のそばで学んでいた同志である。
去年、しばらく音信不通だったその人から何の前触れもなく電話がかかってきた。
とても懐かしんでいるようで、昔のことを思い出しては何度も同じことを繰り返しながら語るのである。
まさかそれが最後になるとは・・・・・・。
先に逝くもいかぬも、人生のご縁。
今、そのご本人がいないと改めて、人生のめぐり合わせとご縁を感じる。
このご縁とは、いったい何なのだろうかと不思議に思う。

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