投稿者: karib_sotai

  • それぞれの想いと「からだ」②

    師匠が「カラスは白い」と言えば白なんだ、
    と飲み込みながらスタートした操体の勉強です。

    「師弟関係」の中で学びたかった僕にとって、これは
    さほど苦しいことでも、辛いことでもありませんでした。

    その時の自分が理解できないことでも、
    「そういうものなんだ」と受け取っていれば、
    いつかわかる時がくると思っていましたし、
    その関係性の中で学べていること自体に満足していました。

    このスタンスは今でも変わっていません。

    けれども、「これについてお前はどう思う?」という問いが
    与えられるようになってくると、受け取ったものを自分なりに
    想い巡らせるプロセスも愉しいと感じるようになりました。

    双方向の関係性で「想い」をやり取りできるのも、
    とてもありがたいことだと思います。

    ただ一つ、付け加えるとすれば、「自分なりに」の中には
    「からだ」があるということも忘れてはいけないということです。

    2019年秋季東京操体フォーラムは11月23日(土)の開催です。
    テーマは「『がんばるな』に隠された操体の秘密」です。 

    今回は、東京操体フォーラム相談役、株式会社ユナイテッド代表取締役 心理カウンセラー、ヒプノセラピストの駒居義基先生を講師に迎え、心の問題と操体についての特別セミナーを開催致します。

    ★申込み締め切り 11月19日(火)

  • それぞれの想いと「からだ」①

    香実行委員
    一週間ありがとうございます。

     今週担当の瀧澤です。
    テーマは引き続き「操体的な『がんばるな』とは」です。
    よろしくお願いします。

    「操体的な『がんばるな』」という言葉に出会ったのは
    8年ほど前です。

    それは、師匠との個人レッスンの初日でした。

    僕にとっては記念すべきレッスンの第一回目に、
    今回のフォーラムのテーマでもある「がんばるな」に
    初めて触れました。

    あの頃のノートを見返すと、
    「バルの戒め=欲」と書いてあります。

    でも、それだけです。

    「バルの戒めの中に『がんばるな』がある」ということを
    聴いた記憶は確かにある。

    あるけど、それ以上は思い出せない。

    あの時、一体どんなやり取りがあったんだろうか?

    ノートにそれ以上の書き込みがないところをみると、

    「なぜ『がんばるな』なんですか?」とか、
    「なぜ『欲』につながるんですか?」という質問は
    しなかったのかもしれません。

    本当はとっても不思議なことなのに!

    2019年秋季東京操体フォーラムは11月23日(土)の開催です。
    テーマは「『がんばるな』に隠された操体の秘密」です。 

    今回は、東京操体フォーラム相談役、株式会社ユナイテッド代表取締役 心理カウンセラー、ヒプノセラピストの駒居義基先生を講師に迎え、心の問題と操体についての特別セミナーを開催致します。

    ★申込み締め切り 11月19日(火)

  • 操体における「頑張るな」の理解7

    操体ではぎっくり腰などでどうにも動けないという時に、からだは、動きを八方に塞いで(動きを制限して)「安静」を要求していると理解します。そして、治すことよりも、安静にするというからだの要求に答えることが大切だとも考えます。そのため、早く治すことばかりに着目するのではなく、からだが必要としている安静という休養についても考えます。

    しかし、そんなことを言われても、仕事を休めない、やらなければならないことがあるのにとイライラしてしまうのが、現状かなと思います。

    こんな時にイライラする一方で、「頑張るな」を思い出せたら、自分への休養に許可を出せるかもしれません。その選択が、自分のからだとうまく付き合うヒントになるのではないでしょうか。

    一週間、ありがとうございました。

    明日からは東京操体フォーラム副実行委員長の瀧澤さんです。

     

    前回、自己犠牲を自ら作り出し、頑張る必要はないということかもしれません。と書きましたが、今回開催するフォーラムでは、心理カウンセラー、ヒプノセラピストの駒居先生の特別セミナーも開催されます。駒居先生のお話の中に、答えがありそうで今から楽しみです。

    11月23日(土)フォーラムを開催 

    心理カウンセラー、ヒプノセラピストの駒居義基先生を迎え、心の問題と操体についての特別セミナーも開催します。

    2019年秋季東京操体フォーラム | 東京操体フォーラム

  • 操体における「頑張るな」の理解6

    前回、生命力学のバランスについて書きました。

    呼吸、食事、動き、想念は生きていくなかで自己責任で営む必要があり、この4つに加え、環境のバランスが健康に関わってきます。

    哲学する操体ー快からのメッセージの中に書いてある、想の世界観というところの一部を引用します。

     

    自己犠牲をよしとしてはならない。相手につくす場合に、自己犠牲をよしとして甘んじるのではなく、自分もそうすることが喜びであり、生きがいで、うれしいことでなければならない。この逆の場合は、相手に尽くしているうちに自分自身が苦しくたえがたくなってきます。

    とあります。

     

    頑張るなも、頑張ることがよくないということではなく、自己犠牲を自ら作り出し、頑張る必要はないということかもしれません。どんなに現実が大変であって頑張りすぎだろうという現実であったとしても、そのことが本人にとって喜びであり、生きがいであり、嬉しいことであるならば、それを頑張るなといっているわけではないと思います。

     

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

     

     

     

     

     

  • 操体における「頑張るな」の理解5

    操体では、イノチがあるかぎり他人に代わってもらえない営みを「自己最小限責任生活必須条件」とし、明確にしています。その営みは息(呼吸)・食(食べる)・動(うごく)・想(想念)です。この4つと環境をあわせて「生命力学のバランス」と操体ではいいます。これらの営みは、互いにバランスをとっており、どれかが悪くなると、他の営みも悪くなるという性質があります。つまり、バランスが大切になるということです。

    バランスをとる機能は、もともとからだにそなわっています。

    頑張りすぎると、このバランスが崩れることがありますよ。なので時には「頑張るな」を選択する必要がありますよ。ということではないでしょうか。

    時にはであり、常に「頑張るな」ということではないということです。

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

     

     

  • 操体における「頑張るな」の理解4

    からだはいのちを授かり、死を迎えるまで、休むことなく働き続けます。

    私たちが意識をしなくても、心臓は拍動し、全身に血液を循環させ、呼吸をし、生命維持しています。とてもすごい機能でからだは動いているにも関わらず、普段は私たちはほとんどからだを考えることなく(意識することなく)生活していることが多いと思います。とはいっても、呼吸にばかり意識がいっていたのでは、毎日が大変になってしまうので……意識がいくことばかりがいいこととはいえませんが。悩ませたり、苦しめたりすることがないからだに、意識が行くことは少なくなります。しかし、このからだもあまりにも私の身勝手な習慣や使い方をしていると、いつかは悲鳴をあげ、病気や怪我をしてしまいます。

    「頑張るな」とはからだに対する配慮を忘れるなということでもあるように思います。

  • 操体における「頑張るな」の理解3

    毎日なにげなくしている生活習慣に、からだは適応しようとする能力があります。例えば、朝食をたべない人が、朝食を食べることを習慣にしようと変更した時、最初はなかなか食べることができないかもしれません。しかし、3日、三週間、三ヶ月、3年と朝食を食べると、3年後には、朝食をたべることが当たり前になります。初めて食べることをした時の、たべたくないという感覚はおそらくなくなっていることでしょう。それどころか、食べないと落ち着かない感覚になっている可能性が高いです。

    就寝時間も同じことが言えます。21時就寝だった人が、23時就寝になることが多くなると、だんだんとからだは23時就寝が習慣になり、21時に寝ようと思ってもなかなか寝ることができなくなります。

     

    このようにからだは様々な環境に適応する力があります。それは、からだにとってどんな影響を及ぼすことであっても、適応してしまうということです。もしもからだが悲鳴をあげていたとしても適応してしまうのです。

    これをからだを主語にいいかえると「頑張れてしまう」のです。

    からだは頑張れてしまうのです。

     

    日常の様々なことに追われると、からだが疲労していたとしても、やるべきことが優先されることは特別なことではないと思います。時々、からだを優先にする必要があると思います。そんな時に「頑張るな」を思い出せると、からだを苦しめることが減るのではないでしょうか。

     

     

     

  • 操体における「頑張るな」の理解2

    私は「頑張るな」を戒めとして、時々思い出すことで、ものごとの捉え方が多面的になったと感じています。私のことなので、みなさんに当てはまるかどうかはわかりませんが……操体を学びはじめ、初めて「頑張るな」を聞いた時は、言葉尻だけをとってしまいましたが、頑張るなとなぜ橋本先生はおっしゃったのだろうと考えているうちに、頑張るなという表現を思い出すことで、私の底力となり、いつも以上に頑張る力になってくれたり、時には休む、やめるという決断をする勇気となると知りました。

    頑張るなを自分の中で咀嚼しようとする中で、物事への理解に奥行きがでてきたというのか、余裕がもてるようになったというのか、そんな感覚があります。

     

    絶対に思い出さないでくださいね。と言われるとなぜか思い出したくなる心理のように、頑張るなといわれると不思議と頑張れてしまう人間の底力を橋本先生は引き出していたのかもしれないなあと想像してしまいます。

     

    言葉尻ではなく、その言葉の真理にふれることは、橋本哲学にふれることであり、橋本先生の生き方にふれることだろうと思います。

    人生100年時代。どんな生き方をするか、一人一人が意図的に選択していく時代。「頑張るな」に意識をとめると、今まで考えていなかったような選択肢がみえてくるかもしれませんね。

     

     

     

     

  • 操体における「頑張るな」の理解

    今日から香が担当します。よろしくお願いいたします。

    操体における「頑張るな」がテーマになっています。

    操体でいわれる「頑張るな」は、ただ単にできないことや目標に対して努力しないでいい、嫌なことは一切やらなくていいということではないと理解しています。

    操体でいわれる「頑張るな」は生活のバランスを一人一人が自分で取るために自分の中にもつ基準だと思います。日々変わる日常の中で、その時、その時に自分がどう選択するべきかを導く、道しるべになる戒めとも言えるかもしれません。

    例えれば、試験に向けて毎日4時間勉強をすると決めたとします。その目標に向かい、毎日4時間勉強をします。しかし、日々は変化します。体調を崩すこともありますし、時には家族の手伝いをしなければいけないということもあります。そのような時にも、決めたことを必ずやることだけが選択肢ではないということだと思います。目標を達成するという点はで、どんな状況でも4時間勉強をしたということは評価されることではあります。しかし、目標を続けたことで、その後マイナスになることもあります。1日は勉強をしないと決断したことで、翌日からは勉強を再開できるかもしれません。しかし、4時間勉強をすると決めたのだからそれは必ずやらなければならないと勉強をしたことで、体調不良が長引く結果になることもあります。このようなときに、どんな選択を自らがしていくのか?この選択に必要な視点として、バランスがあると思います。このバランスを自分の選択でとっていくために「頑張るな」という戒めがあるのだろうと思っています。

     

     

  • 操体における 「頑張るな」 とは ⑦「体験」

     昨日まで、さんざん頑張るな! 頑張るな! と述べてきたわけであるが、我々にとって本当にそのことが理解できるのだろうか。 それはおそらく無理であろう。 では、頑張ることなくそういった知性だけで行動変換が出来得るのだろうか。 いや、それも難しいと言わざるを得ない。

     

     なぜなら、人間というのは知性だけで解決できるような機能を持っていないからである。 真に理解するには必ず体験を伴うからだ。 要するにいったん頑張るという体験の上ではじめてその意味が解り、頑張ることをやめることができるのである。 現実にはこのような矛盾が起こってくる。

     

     結局のところ、頭で解かっていてもからだは知性を理解していないので、とにかく頑張ってやってみようということになる。 そして頑張った虚しさを経験則としてからだは飛躍することができるのだ。 「頑張るな」 という知性は皆のもの、即ち共有物であるが、自分の体験は個人独自のからだのものであり、すべてはそれから始めることができる。 そのうえで 「頑張るな」 という頭の知性を生かすことができ、それこそが最良の方法だと私は考えている。

     

     

     

    明日からは、香実行委員にバトンが渡ります。 どうぞお愉しみに!