相手チームの打線の様子を見て、修正していく。優秀なピッチャーはこれが出来る。
現況に合わせて調整していく能力は、どの分野でも要求される。
柔軟な対応、どう筋を通して、何をコントロールして、何を目指すのか。
春季東京操体フォーラム4月29日開催です。
今期のテーマは
「生活動作をプロデュースする。半歩踏み出すための一歩 操体のBaby Step」。
相手チームの打線の様子を見て、修正していく。優秀なピッチャーはこれが出来る。
現況に合わせて調整していく能力は、どの分野でも要求される。
柔軟な対応、どう筋を通して、何をコントロールして、何を目指すのか。
春季東京操体フォーラム4月29日開催です。
今期のテーマは
「生活動作をプロデュースする。半歩踏み出すための一歩 操体のBaby Step」。
何かを始める時に、準備万端調えてスタート出来るに越した事はない。
『夢芝居』では、 ~恋はいつでも初舞台~ と歌われている。
恋だけではなく、人生で直面する課題は、ほとんど初舞台ではないだろうか?
もの足りない、もっと上手くやれるのではないか・・・そういう想いが過る・・・。
しかし、その場に徹しきれば、それで十分なのだ。
道元さんは、「身心に、法いまだ参飽せざるには、法すでにたれりとおぼゆ。法もし身心に充足すれば、ひとかたはたらずとおぼゆるなり。」(正法眼蔵 現成公案より)と言っています。
春季東京操体フォーラム4月29日開催です。
今期のテーマは
「生活動作をプロデュースする。半歩踏み出すための一歩 操体のBaby Step」。
庭を掃き清めるのに、塵一つなく、落葉の一枚もなく、さっぱりとした方が良いのか?
そうしても、少し時間が経てば、また風で運ばれて来る。
見苦しくなく、不快でもなく整えられていればいい。
風情、佇まい、趣き
ここにもバランス感覚が働いている。
春季東京操体フォーラム4月29日開催です。
今期のテーマは
「生活動作をプロデュースする。半歩踏み出すための一歩 操体のBaby Step」。
本日で最後になりますが、このブログを書きながら一週間を通じて呼吸の大切さと自身のリズムをいうものの大切さを実感することが出来ました。
ものすごくシンプルなことですが、意外にも目を向けられず疎かにしていたことが健康に生きることにおいて大切なことだと痛感しています。
「呼吸とリズム」
これらをからだに聞き分けながら「ととのえていく」だけで、自身の生き方も変わることは確かです。
こういったことに意識を向けられるようになったのも「自分の力だけで生きている」という意識から「自分は生かされている」のだという意識に変わったからだ思っています。
これからはその気づきをどのようにクライアントや一般の人達に伝えていくかが課題です。
それにはまず常に自身のからだの感覚を大切にして、その上で今まで以上にからだと私達を生かしてくれている空間との対話を疎かにしないようにしていけたらと考えています。
一週間お付き合い頂きありがとうございました。
明日からは半蔵さんが担当致します。
2020年春季東京操体フォーラムは4月29日に開催致します。
https://www.tokyo-sotai.com/?page_id=1772
今月の同志達との勉強会では久しぶりに臨床を兼ねた実技の練習を行いました。
久しぶりにあの空間を味わえたことで、操体の臨床の素晴らしさを再認識することが出来ただけでなく、快の新たな一面に出会えたように感じました。
「きもちのよさでからだはよくなる」ということは以前も書いたことですが、それはいったい何で生まれれるのか?ということを今回体験したことの中で自分なりにそれを考えてみました。
まずは結論から書くと「リズム」です。
リズムには「自分の感覚的なリズム」、「からだのリズム」、そして「空間(環境)のリズム」があり、この3つのリズムが調和して私達は生かされているように思います。
逆にこの3つの歯車が狂ってしまうと、不快という現象が生じてしまうという捉え方です。
自分の感覚でキャッチすることが出来るリズムはある程度コントロールすることが出来ますが、からだのリズムというのは私達を生かしてくれている環境との兼ね合いがあるので自力だけでなく、他力的な要素も必要だと思います。
そのからだのリズムをどうにかコントロールしていくのが、操体の学びと臨床の中にあり、きもちのよさを味わうことで自己制御することが可能となるとなるのだと近頃は感じています。
こういった捉え方をしていくと、本当に「ととのう」ようにしなければならないものと何なのか?
改めて考える必要がありますが、からだが自然環境に適応していくために必要なリズムに調整してくれていることは確かなことです。
その有難さを知ることの悦びがこの学問にあるのです。
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近頃、人の癖をよく観察するようにしています。
日常の中の些細な癖、臨床の中で見る動きの癖、様々な癖を目にしますが、最近はこの癖も良し悪しを付けず、からだが示してくれるひとつの反応として捉えるようにしています。
以前は臨床の中で歪みの元となる癖を整えていくことを一つの目的にしていて、その捉え方はどちらかというと癖に対して「悪い物」という見方でした。
しかし最近は癖の中にもからだからのメッセージがあるのではないかと思い、からだの意志を尊重するようになってきました。
からだの意志とは本人の意識とは別に存在し、常に無意識の中で肉体がキャッチしているものだと思います。
よくこのブログでも書いている「からだにききわける」ことがこれを紐解く一つのキーワードになることは確かなことです。
臨床に立ち会う立場の人間は自分の中の基準だけで良し悪しを決めるのではなく、この「からだの意思」をくみ取りながら臨床を行っていくことが大切なのだと感じています。
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今回のテーマである「ととのう」と「ととのえる」の違いを考えながら思い付いたことは「治る」と「治す」ということもすごい違いがあるなと思いました。
振り返ると私は操体を学び始めてからの10年間で医者に通ったのは2~3回位で、元々からだは弱いほうでしたが近年は少し位の病は自力で対処してきました。
それが出来るようになったのも、以前は薬に頼って治すという意識から、からだが自然に治る手助けをするということを無意識に持っていたからなのだと思います。
そういう潜在的な意識の変化も、だらしがない自分にからだが「もっとオレ(からだ)を信じてくれ」と言っていたのかもしれません。
そんなからだからのメッセージを無意識に受け取り、からだとその力に寄り添ってこれたことで現在の自分がいる。
それが「生かされている」ということのなのかなと感じています。
そう考えていくと橋本敬三先生の
「治すことまで関与するな」
この言葉の意味も自ずと見えてくるのではないでしょうか?
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最近、改めて臨床の中で注視して診るようにし、ととのえているのが「呼吸」です。
以前から筋肉や骨格の配列の変化以上に皮膚の状態や変化の大切さはブログでも書いてきましたが、近頃は皮膚と同じ位に呼吸を重視して診るようになりました。
それに至った理由も臨床の中でからだ以上に変化しているのは呼吸なのではないかという気付きがあったからです。
以前は「からだが変われば呼吸も自ずと変わる」という捉え方でしたが、最近は「呼吸が変わればからだも変わる」という捉え方になってきています。
そういった捉え方に変わってきたことで最近わかってきたことは「自分がする呼吸」と「からだがしてくれる呼吸」というのは違うということです。
その呼吸とは「からだが悦ぶような呼吸」ということでもあり、自分が意識して行う呼吸とは質が明らかに違うように感じます。
まだまだ改善すべきことはありますが、それを臨床の中でからだが自然に行えるようにすることが出来れば患者が医者いらずの生活を送ることも可能なのではないかと思っています。
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現在、コロナウイルスの影響で世界中が大変な事になっていますが、こういった時だからこそ自身の心とからだを「ととのう」ようにしていくことが大切だと感じています。
その理由も皆さんの周囲と同じく私の身の回りにもトイレットペーパー等の日用品を買い占めたり、買い急いだりしている人が多く見られ、情報に踊らされ自分の生活を整えることに必死になっている人達を見たからです。
個人的にはそういった人達に対して批判的な思いはありませんが、あまりにも情報に振り回され過ぎているように感じます。
生きていくことにおいてはもちろん自分の生活を整えることは重要なことですが、それ以上に大切なことは自分で考え行動していくこと、そしてからだの感覚を大切にしていくことだと思っています。
その大切さに気付いたのは2011年の震災後でしたが、私が診た人達は地震の恐怖でからだの感覚が鈍磨してしまい、結果的にそれが原因でからだに不調を訴える人がほとんどで、中には携帯からの通知音が怖くて体調を崩した人もいました。
結局はその人も含め、体調を崩す原因の半分は人が作り出しているもののように感じます。
あの時のことを繰り返さないためにも普段から自分の心とからだに目配りをして「ととのえていく」ことが大切なことだと思います。
その点においては操体の同志達は普段から自身の感覚お大切にからだに目配り、気配りをしているのでこのような事態になってもあたふたしないのはさすがだなと思いました。
どんな不測の事態になっても自分のやるべきことをやり抜く姿勢、生き方というのは何にも代えがたい予防なのかもしれませんね。
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三浦先生、一週間ありがとうございました。
今週からは三浦寛幸が担当致します。よろしくお願い致します。
今回のテーマは「ととのう」です。
このテーマに決まった時から、なぜ「整う」、「整える」ではなく「ととのえる」なのかと考えていましたが、自分自身が臨床の中でやっていることや操体の学びの中で向き合っていることはひらがなの「ととのう」ことなのかなと感じました。
あくまで自分の感覚的なものですが、「ととのう」とひらがなで書いてみると、自分と自分を生かしてくれているものと共存しながら心とからだを在るべき形に収めていくような感じがします。
漢字で「整う」または「整える」と書いてしまうと、どうしてもシンメトリー的な捉え方で見てしまい、左右対称にきっちりさせるようなイメージで捉えてしまいがちです。
それが「ととのう」だと全て「間に合っていればいいんじゃない」というような「ゆとり」が生まれるように思います。
実はこの「ゆとり」が生きることにおいても、または臨床の中でもとても大切なことで、これが生まれると臨床も景色が変わってくる。
からだも筋肉、骨格という形での診方も、それを覆っている皮膚の存在、そしてそれが動くということ。
そしてなにより私達の第一生命である呼吸の大切さ。
臨床家としても、一人の人間としても、ととのえなければならないものは沢山あると思いますが、目に見えているものが全てではないということ。自分を生かしてくれているものへの気付きとそれらをととのえていくことがこの学びの本質のように思います。
私達が何年もこの学びを継続していけるのもこういったことを自身のからだを通じて気付き、ととのえていける悦びがあるからなのでしょうね。
今回のブログを通してそれを伝えていければと思っています。
2020年春季東京操体フォーラムは4月29日に開催致します。