投稿者: karib_sotai

  • 重力を飛ばす

     ジェット旅客機で大空高く飛んでいるときほど瞑想に適った状態は他に見出すことができない。 長距離便の航路のようにその標高が高ければ高いほど、ますます瞑想は容易になる。 だからこそ心の探求者である瞑想家たちは何世紀にもわたって高地を求め、ヒマラヤ山脈を瞑想の地として移動し続けてきた。

     

     標高の高い山間部やジェットで飛行する上空では重力がいっそう少なくなり大地が遥か彼方に遠のいて、地上のさまざまな牽引力も遥か彼方に遠のいてしまう。 ここはまさに重力を飛ばす上空である、今や人類の築いた堕落した社会の遥か彼方に自分の身を置いている。 

     

     ここは雲や星、月や太陽そして、広漠たる空間に取り囲まれている。 このフィールドにおいてその広漠たる広がりとの一体感を感じはじめるのである。 そして数分間、自分が大きくなって飛行機全体に充満していくのを想像する。 

     

     そしてその飛行機よりもずっとずっと大きくなってゆくのを感じはじめる。 さらに大空全体へと広がっていくのを感じる。 ここまでくると漂いゆく雲、月や星は自分の内側で動いている、この爽快な感覚こそが瞑想になる。 それはまったく緊張せずにくつろいでいるのを感じることができる。

  • 邪気を飛ばす

     このテーマについて、 『爽快感なる瞑想』 というものに関連づけて、「飛ばす」 をつなげてみたい。

     

     その前に現在、世界的に大流行している新型コロナウイルス伝染病について一言!

     自然界に生息している野生動物には、疫病はもちろんのこと伝染病に罹るようなことまずはない。 ということは我々人間においても伝染病に罹らない生活様式があってもいいはずである。 

     

     世間では伝染病は伝染病原菌によって起こると考えられているが、伝染病には未だ病原菌の発見されていない伝染病も数多くある。 また病原菌が体内に入っても、すべての人が例外なく発病するというものでもない。 新型コロナウイルスに感染しても、ある人は発病し、ある人は発病しないというように、人によって発病するかしないか異なってくる。

     

     こういった伝染病原説は再検討しなければならない。 我々は科学的に正しい健康生活を行なうことによって、従来からの誤った生活習慣を合理的に是正することで、伝染病に罹らない生活様式があることを検討する必要がある。 それにバイ菌やウィルスだってこの地球に住む同じ生物であり、ともに生きる権利があるのではないだろうか。 

     

     バイ菌やウィルスをむやみに殺生しない方がいい理由として、抗体薬から生き残ったバイ菌は耐性菌になり、またウィルスも種類を増し変異することでよりパワーアップすることにつながる。 そうなるとバイ菌やウィルス対人間の終わりなき闘いが永遠に続くことになるだろう。 それよりもバイ菌やウィルスと共存する道を探した方が平和的でいいように思う。

     

     

     それではテーマ 「飛ばす」 に入ってゆく。 

     今日は気分がすぐれない、今から仕事をしてもいい感じがしないというようなときには、その仕事を始める前に数分間だけ深い息を吐き出してみる。 そして吐く息とともに、自分の内側にある暗い気分を 「飛ばしている」 ということを感じて見るといい。 

     

     すると、どうだろう! 5分もしないうちに突然正常な気分に戻り、低調な気分は消え去って、もはやそこに暗闇が無いことにびっくりすることだろう。 もし、このように呼気とともに邪気を吹き飛ばすことができたら、爽快感とともに自分の仕事そのものを瞑想に変えることができる。 

     

     そのときには、瞑想というものが決して自分の人生と衝突するようなことにはならない。 またどのような仕事をしていても、思考や行為がすべて瞑想的になり得る。 こうした瞑想は人生と分離したものではなく、それは人生の一部になっている。 

     

     それはまるで息を吸い込んで吐き出す呼吸のようなものであり、瞑想的な仕事というのはそのように爽快な流れで行なう。 今まで不注意にやってきた仕事を注意深くやり始める、これは単に強調点の転換にすぎない。 でもそれは何もたいしてなされるべきことではない。

  • 永遠に意識を縛るなかれ⑦

    (続き)

    毎年の訪れる春、花粉症であろうと、四季のある国に生まれてよかった。

    スギもヒノキも、受粉してもらうために、生命の素となる花粉をとばす。

     

    この大気中に飛んでいるものは、見えていても、見えていなくても同じ。

    置かれている環境の場において、どのように受け取っているのかが大切。

     

    左眼に見えているものは、視神経交差を介し、右脳後頭葉の視覚野へ通る。

    右脳は「直感」、視覚野や聴覚といった五感、そして「空間認知能力」を

    主にコントロールしている。

     

    直観的判断力などを担っているので、「感性の脳」とも言われ、「右脳」

    優位状態における「からだ」の意識、それにより生じる生命環境において、

    先入観にとらわれない、冒険意識の強化状態を得やすいと考えられる。

     

    右眼に見えているものは、視神経交差を介し、左脳の後頭葉視覚野に通る。

    左脳は「論理」、言語脳とも呼ばれ、言語処理や論理的思考などを司る。

     

    左脳優位状態における「からだ」の意識、それにより人間は、冷静に物事を

    順序立てて進行させる能力や、状況を把握し、感情を正確に言葉で説明する

    ことに意識を伴っていくことに長けてくる。

     

    右半身は左脳優位、左半身は右脳優位で繋がっているので、脳科学者の米山

    公啓氏によると、左脳優位では生真面目人間となりやすく、セオリー重視で

    考え過ぎとなり、正解を導きだすのは得意でも、突飛な発想は苦手。

     

    右脳優位にすると直感で、0を1にする発想も生じやすくなる、という。

    (アレも、いつも同じ手順で同じやり方で、同じ時間で飛ばすのではねぇ)

    つまり、生命現象は退屈な意図やマンネリ思考は拒否するようなのである。

    もっといえば、生命の細微な反応、繊細な感情を見逃している恐れもある。

     

    生活のなか、左脳優位生活をしている人に、右脳に「とばす」ヒントもある。

     

    「視覚」において右脳優位環境にするのは、色彩の感覚を意識すること。

    「嗅覚」において右脳優位環境にするのは、匂いの記憶を意識すること。

    「感情」において右脳優位環境にするのは、感触を言葉に想像して意識すること。

    「聴覚」において右脳優位環境にするのは、響く方向やリズミカルを意識すること。

    「皮膚感覚」においては、左半身と右の顔面・頭部にバランスを生じさせること。

     

    また面白いのは、読書の際「速読」をする(努力含む)とき右脳は活性化する。

    瞬間的に内容を把握する必要性は、判断力を司る右脳に直結している。

     

    意識をとばす、この人間の認知能力は、繋がりのあるおおきな空間でこそ生きる。

     

    左半身には、元々類稀なる働きをもたせているということだ。

    空間認知能力とは、50歳をピークに下降線をたどる。

     

    認知症の予防は右脳から。認知力を維持するにも、リズミカルな散歩を愉しみ、

    雲の位置や流れを瞬間的に把握し、気象観測を匂いや感触に例えて空を見上げ、

    自分と天、歩く地の形状を、瞬時に距離感として捉えていく。

     

    皮膚を磨くようなアレも大事。

    まさに雲を掴むような能力を50過ぎても90でも常に目覚めさせておきたい。

    ということで、一週間のお付き合い、有難うございました。

     

    明日からはお待ちかね、日下実行委員の登場です、お愉しみに!

     

  • 意識に鎖を付けているという無駄⑥

    (続き)

    飛沫をとばす。 

     

    アムステルダムの空港にあるスキポール空港の男子便所。

    ここで始まった「ナッジ」も面白いです。

    ご存知の方もいるかもしれませんが、男子便器の中に「蠅」を書いてあります。

     

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    このナッジを行っていない当時、トイレ清掃費で7億円かかっていたので、少しでも減らしたいと思案していたそうです。

     

    このイラストで描かれているハエ、これがナッジなんですね。

    多くの男性諸君は、このハエにめがけて飛沫をとばすんでしょうね。

    その位置は、跳ねにくい設計という仕掛けがあり、そうすると、アラ不思議。

     

    トイレの清掃費は20%削減され、オシッコが床に飛び散る量は激減、清掃の手間も省け、かつ衛生的になったそうです。

     

    変な言い方ですけれど、男子諸君なら想像できるかと思います。

    このイラストで描かれている”ハエ”ではありませんけれど、創意工夫は必要です。

     

    からだのつかいかた。

    からだの要求にかなう「作法」もあります。

    結果、運動をわざわざしなくとも、体力は充実し、免疫力は向上してしまうんですよ。

     

    まさに、現在進行形の操体とは「ナッジ」そのものを行っている学問です。

     

                                (続く)

     

  • 意識に鎖を付けるという無駄⑤

    (続き)

     

    行動科学、行動経済学という分野では、「ナッジ」という言葉があるそうです。

    (「そっと後押しする」という意味)

    これによれば、人々が強制ではなく、自発的に望ましい行動を選択するよう促す、その手法や仕掛けのこと。

     

    アイデアをとばす。

    センスをとばす。

    発想をとばす。

    着想をとばす。

     

    確かに、このようなことはとても大事なんですよね。

    なぜなら、呼吸や意識に絡めて実行すると、即、操体の臨床に通じるからです。

     

    では人間(160㎝と設定)を、”地球”の大きさに例えてみましょうか。

    すると、細菌は”アフリカ象”の大きさで、ウィルスは”ネズミ”程度なんですよ。

    なるほど、「小人閑居をして不善を成す」といいいますからね。

     

                               (続く)

     

     

     

  • 意識に鎖をつけようとしても無理④

    (続き)

    この空気中に飛んでいるもの、混じり合っているもの。

     

    例えば酸素、窒素、二酸化炭素、等は勿論、それだけではなく、大気中を飛んでいる中は、目に見えないだけで、とてつもない種類の物質があります。

    花粉もあり、細菌のような生命体も混じり合って飛んでいるのです。

     

    これを危険とか、安全とかの判断基準を決めているのは何なのでしょうか。

     

    危険かどうかというのは、その対象に害をおよぼすかどうかでもありますよね。

     

    使用量で例えば、症状に対して処方される医薬品でも適量があるし、それを用いる人間側の工夫と意識次第のように思えます。

     

    病院の医師にかかっても自律神経の異常とか、精神疾患と診断されやすいものに、「シックハウス症候群」という病態があります。

     

    程度にもよりますがこの病態が生じると、家の中で使われている様々な接着剤や新しい壁紙の溶剤に含まれているもの、大気中に飛ぶ化学物質に反応してしまい、頭痛やめまい、吐き気や嘔吐、息苦しさから呼吸困難に陥ってしまうのです。

     

    実は三年前、新車を買って納車されドアを開けると、その空間中の臭気が我慢できず、気のせいだと思い込みしばらく我慢して運転していると頭痛と吐き気がしました。

    ワタシの場合、そのことをディーラーに問い合わせたり対策を調べると、どうやら車内の内装やシートに使用されている溶剤が原因とわかりました。

    そこで、天気の良い日にドアを開け放ち溶剤を飛ばし、サンルーフも窓は常に全開、特殊な化学物質を吸着する炭のシートカバー、溶剤の化学物質と結合するスプレーなどを購入し続け、かなりニオイが消え症状もなくなり、安心しました。

     

    この大気中という空間には、本当に様々な微生物のような生命や、微粒子も混じり合っているというわけで、カナリア症候群とも言われているシックハウス症候群は、それを過敏に感じとってしまうので、化学物質過敏症でもあります。

     

    どうでしょう。

    飛ばすのも、飛んでいるのも、飛ばしているのも、飛ばしてしまうこともあります。

    様々なモノを産み、生じさせる空間には、目に見えなくても見えていないだけなんだから、見えないから無いというのも可笑しく、とばす意図を感じていることは、ごくごく当たり前の如く感じている昨今です。

                              (続く)

     

     

     

     

  • 意識に鎖をつないでおくのは無理③

    (続き)

    ウィルスを飛ばす。

    ウィルスが飛んでいる。

    ウィルスは飛ばされている。

    ウィルスが飛んでいく。

     

    大気中に同じウィルスが存在しても、言葉により印象は変わりますね。

    ウィルスは、電子顕微鏡でようやく見える大きさで、単体では増殖できず、宿主の細胞を利用しないと増殖できない、非生物と生物の特徴を持っているんです。

     

    ウィルスに感染した場合に対する人間側の免疫は、二つの方法で対処します。

     

    まず、ウィルスを捕食した抗原提示細胞によって、T細胞やナチュラルキラー細胞(NK細胞)を活性化する自然免疫(非特異的免疫と呼ばれる)で対応します。

    特にNK細胞は、”感染初期”においてウィルスに感染されてしまっている細胞を除去する働きがあり、感染後の経過を左右する点においても重要なんですね。

     

    そしてもう一つの獲得免疫は、その名の通りウィルスを認識したことのある抗原に反応した抗体での免疫ですから、新たなウィルスに対してはすぐに働くことはできません。

    しかし、細胞障害性T細胞による感染細胞の破壊や、B細胞(形質細胞と呼ばれる)にでの、感染されてしまった細胞から放出されるウィルスを捉える働きは欠かせません。

     

    ちょっと専門的に言えば、今流行している新コロナウィルス。

    これは、DNAウィルスではなく脂質二重膜(エンペロープと呼ぶ)の、RNAウィルスであり、タンパク質の殻はらせん対称形で、核酸の構造が一本鎖の伝令RNAをもっているんです。

     

    なので、対処法となるウィルス薬は、ウィルスの形状や増殖時に行われる働きを制限したり、阻害するものなので、治療薬ができるとしたらやはり、増殖そのものを抑える核酸合成阻害、または感染経路の阻害薬などがあります。

     

    厄介なのは、抗菌薬(抗生物質)と異なり、ウィルス自体を特定できないと薬剤を選択できないこと、しかも新型ではそれ自体がないこと。

    もう一つ抗菌薬と同様、抗ウィルス薬にも耐性ウィルスの生じることがあることです。

     

    この世の中、治療方法が確立されていない病気はとても多いのです。

    ウィルスも見えるならば、いくら小さくとも見えた時点で避けることもできますが、目に見えないからこそ、妄想とまでは言いませんけれど不安を生じやすいのでしょう。

     

    それならば、予防の医学と未病の医学です。

    基本は自分自身の「からだ」に訊き、意識的して語り合うことです。

     

    かならず、メッセージを伝えています。

    からだの中の細胞もなにかを飛ばすのです。

     

    みえないのではなく、みえる工夫や作法もあるのです。

    聞こえないのではなく、聴こうとしていないのでもなく、きこえないものはきけるようにする、そんな作法もあるのです。

     

    やはり元々備わっている生命の本質には、連綿と繋がってきた免疫を落とさないようにする、自然を超える生命のはたらきは、確かにあるのですから。

     

                                    (続く)

     

     

     

  • 意識を鎖で繋いでも無駄②

    (続き)

     

    今の時期に空間にむけて「飛沫を飛ばす」といえば、クシャミとセキです。

     

    最近では、とにかく「咳エチケット」という言葉が一般的になるくらいですからね。

     

    熱がありウイルスや細菌に感染している状態では論外ですけれど、今の感染防止対策の広がりの中、多くのヒトの集まる場所でのクシャミやセキは、花粉症であろうと迷惑な奴が居るという視線は容赦なく刺さってくるようです。

     

    そこで、WHOは「健常者はマスクは不要」と発表、しかし、時すでに遅し。

    いまだコンビニに行っても欠品中、「マスクの入荷は未定です」と張り紙がある始末。

     

    「咳エチケット」は飛沫による感染防止ということになり、感染者でなくとも、密閉された空間ではマスクは必須といった風潮になってしまいました。

     

     

    この「マスク」ありきによる、飛沫を「飛ばす」行為についてどう考えますか?

     

    ちなみに、ワタシの小学生の頃からある一般的マスク、これはガーゼでできていて洗うと縮んでいくのが特徴(ですよね)でした。

    そうではない不織布の使い捨てマスクの穴は「5μm」くらいになるそうです。

     

    ・花粉の大きさは「30μm」(注:μmは1000分の一)

    ・平均的なヒトの細胞は「10μm」

    ・くしゃみや咳の飛沫は「3~5μm」

    ・PM2.5は「2.5μm」

    ・平均的な細菌の細胞は「1.0μm」

    ・インフルエンザウィルスは「0.1μm」(新型コロナウィルスも同じ)

     

    このような比較でいえば、『マスク意味ないね』と、こうなりますよね。

     

    ただ、不織布にはある特徴があります。

    捕獲はできなくとも引っかかることを目的としているんですよ。

    飛んでいる小さい何かを”静電気”で捕獲する確率をあげているんですね。

     

    世の中には、目にみえないものとみえるものがあります。

    見えうるものには安心感も生じやすく、見えないものには不安が生じやすい。

     

    「とばす」ことでみえないものには、みえないもので対応する。

    決してマスクだけではない、からだとの大切な繋がりを見直すことも大事です。

     

    連日続いている新型コロナウィルスの感染に関するニュース。

     

    ワタシ的には、専門家の意見をある程度知るのも大切ですけれど、じぶんのからだに元々備わっている有難い免疫力を落とさないよう、感じていることを意識して考え、不安という思考の波に流されることなく、切り抜けて欲しいと願っています。

     

                             (続く)

  • 意識は鎖で繋いでも無駄①

    今日からブログを担当する岡村です、よろしくお願いします。

     

    テーマは「とばす」ですね、まず意味を調べてみましょう。

    変換するとほとんど「飛ばす」と書き換えられますね。

     

    1、「聞こえるように表現する」

    「音を立てる」

     類語を検索すると、「発語」に関することが多いです。

     言葉でもなく、息でも同じですからよく考えると面白いですね。

     

    2,「放出するようにする」

     類語検索は「放出」「射出」のような物体の迅速な移動に関することが多いですね。「罷免」という組織や会社を辞めさせる意味もあり、いわゆる「首」が飛ぶということですから、勤め人なら聞きたくない言葉でしょう。

     

    3,「飛行機(等)を操縦する」

     空に関する動詞で「飛ばす」のは自然です。飛行機でなくとも、ヘリコプターでも気球でもいいですね。そのまま捉えると、操縦とは操らているということですから、「飛ぶ」のように主体的ではないことに改めて気付きました。

     

    どうでしょう皆さんは、「とばす」と「飛ばす」のイメージは同じでしたか?

     能動的か受動的かによってもちがってくるように、ニュアンスもあります。

    個人的に「飛ばす」のは、ある瞬間と共に生じる動きのようなイメージがあります。

    更に「とばす」のひらがな表記では、より自然なタイミングに生じている感じです。

     

    「飛ばす」と「とばす」で、生命の受け取り方、つまり、脳の認識も違っていたら、それは工夫のし甲斐もあり、個体差も生じてくるだろうし、面白いですよね。 

     

                                   (続く)

     

  • 飛ばす その7

    眼(がん)を飛ばす時は右目で見ていることがほとんど。

    逆にやさしく接したいなら左目が操体の当たり前。

    電話で話す時もなるべく左目で話すようにしています。

    同じ言葉でも伝わり方が違います。

     

    一週間お付き合いいただきありがとうございました。

    来週からは岡村さんが引継ぎます。

    どうぞよろしくお願いいたします。

     

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    春季東京操体フォーラム4月29日開催です。

    今期のテーマは

    「生活動作をプロデュースする。半歩踏み出すための一歩 操体のBaby Step」。