投稿者: karib_sotai

  • 話すことは、動くこと

    おはようございます。

    瀧澤さん一週間ありがとうございました。本日から寺本が担当致します。

    テーマは「とばす」ということで。

    よろしくお願い致します。

     

    ちょうど連関するように、新型コロナウィルスの存在感のなかで

    ここのところ色々な切り口で「とばせなくなっている」

    →「動けなくなっている」自分がいたことを思う。

     

    日本に漂っている「自粛」しなければ、という空気。

    自分や自分以外の人の健康や命を考えるとき、どうしたって目を背ける事のできないテーマが、ずーっと目の前に在り続けるように感じる日々。

     

    気が付かないうちに、感染症対策に必要な自粛以外でも、

    自分で止めてしまっていることがあることに気が付く。

     

    この状況の中で一時期、モノを考えられなくなっている自分を感じることもあった。

    どの情報を吸収して、どんな行動をすればいいのか、わからなすぎる。

     

    わからないことは、決して悪いことじゃないと思っていたけれど、

    それが不安の方にばかり繋がってしまうのはつらいなぁと思ってもいた。

    そのしばらく覆っていた悶々感は、ある日、仲間と話をするようになってから

    変わり始めた。

     

    それまで、ちょっと誰かと電話で話をすることすら遠慮していた気持ちがあったけれど、仲間と電話で話す機会を得て、その時自分が感じていたことや不安に感じていたこと、なんとなくボンヤリと感じている言葉になっていないこと、本音、などのたどたどしい話を聞いてもらった。

     

    それを聞いてくれている相手がいて、相手もまた本音で返してくれる、というキャッチボールを繰り返すうちに、何かの重みが抜けて、軽くなる感じがした。
     

    あぁ何かを感じたり、本音で話したりしてもいいんだ、と妙に納得してそれをとても嬉しく感じた。

    同時に、自分がどれだけ動きを失っていたか、

    または失っていると錯覚していたかに気付かせてもらったような気がした。

     

    2020年春季東京操体フォーラムはWeb配信で開催致します

  • ききわける・なっている⑦

    ここ何ヶ月かの間で、「からだ」との付き合い方がまた変わってきている。それは自分ごとだけじゃなくて、周りの人達も含めた生活空間のできごととして感じている。きもちの部分も「からだ」に委ねることで変わることを感じてきた。

    初日に、今の状況下で「僕を取り巻く空気はなんとなく重苦しく感じることがある」と書いたけれど、僕はその重苦しさをどこで感じていたのだろうか。ブログを書きながら、それを肉体で感じていたのか、心で感じていたのか、呼吸で感じていたのか、その全てなのか、考えていた。一つ興味深いのは、時間の流れさえも重いと感じられることだ。

    ひとり、淡々と歩いている時、僕はからだの内側と外の世界のつながりを感じている。それを感じられる窓口は確かにあるようで、そんなときはからだが軽いし、時間の流れも軽く感じられる。歩く以外でも、日常のふとした瞬間にそれはあらわれる。

    今の状況が早く終息しますように、という想いを抱きつつも、今までも「僕を取り巻く空気はなんとなく重苦しく感じることがある」という状況はあったし、多分終息した後も、また違う形でそれはやってくると思う。そんなとき、ちょっとしたことで、少しでもからだやきもちが軽くなるのなら、しかも、気づいたらそうなっていたというぐあいに、「からだ」に委ねることでそうなるのなら、繰り返しの日々の中で僕はその可能性を大切にしていきたい。

    一週間ありがとうございます。

    寺本さん、明日からよろしくお願い致します。

    2020年春季東京操体フォーラムはWeb配信で開催致します

  • やってみる・ききわける⑥

    今、近所の公園や広場はガラガラだ。こんなときは、誰かとのつながりよりも、自分のからだとか、遊び場という空間とつながってみるのもいい。

    誰もいないときを見計らって、子供と一緒に出掛けてみる。草っぱらの斜面をかけたり、濡れて滑りやすくなった苔の生えた置き石を渡ったり、背の低い木の間をくぐったり、木登りしていると、「からだの使い方、動かし方」なんて微塵も考えていない自分がいる。たまに、足の裏から伝わる感触を感じるくらいで、ただ夢中で今を愉しんでいる。

    ひっかかったり、滑ったり、転んだりしている子供を見ていると、環境という空間が「からだの使い方、動かし方」を教えてくれているようにも感じられる。

    「からだ」のデフォルトということをここ何年か考えていた。

    一時は純粋、無垢な存在として、僕らが大切にしている原始感覚を体現しているのは子供だろうと、それを減点せずにどうやって大人まで持っていくか、そんなふうに考えていた時期もあった。その考えだと、子供に回帰することが目標になってしまう。

    けれども、「からだ」には、大人になるにつれて増えていくもの、豊かになっていくものもある。それはなぜなのか、今はまだ言葉にできないけれど、感じられることはある。

    からだの内側と外の世界をつなげる窓口で感じてみると、

    息したり、座ったり、ハイハイしたり、立ったり、歩いたり、何かを感じ、何かを思い、何かを考え、他者や社会とつながることでさえ、目に見えないけれど、常に影響を受けているちょうどいい力によって成り立っているのかもしれず、それを感じることを育んでいけるのが大人になるということで、そんなふうに「からだ」」はできているのかもしれないと思えてくる。

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  • やってみる・ききわける⑤

    ここ久慈も桜が咲き出して、朝晩はまだまだ寒いけれど、外に出たくなるような陽気になってきた。

    ひとり、淡々と歩く分には大丈夫だろうと、最近は職場まで歩いている。15分程度の道のりをいろいろ感じながら愉しんでいる。

    昨日も書いたけれど、今までとは違った基本が見えてくるように感じられると、世界の見え方、感じ方が変わってくるのかもしれない。歩いているとそんな気になる。

    「からだ」の内側に意識を向けて歩くことは今までにもあった。そんな時は、自分のからだをどんなふうに使おうか、動かそうか、いろいろと実験している時で、自分が主語のちょっと複雑な世界。それが、最近は一つだけ意識して、あとは「からだ」に委ねる。そうすると、主語は「からだ」に変わって、随分とシンプルに「からだ」の内側と外の世界がつながって感じられる。

    何を、どこに、どんなふうにとばすのか、やってみなければ分からないし、「僕」が意識を飛ばしているようで、じつは「僕」の意識が飛ばされているのかもしれない。

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  • やってみる・ききわける④

    最近基本に立ち還るということに興味がある。

    そうやって、実際に「立つ」ということを感じてみると、重くなったり、軽くなったり、ふわふわしたり、踏ん張ったり、いろいろな変化が感じられておもしろい。

    すぐに動かないことを「腰が重い」とか言うけれど、確かにそんなふうにからだを使っているし、反対にスッと動けるときは身軽で、確かにそんなふうにからだを使っている。ふわふわ感じる時は、足が地についていない感じがするし、じゃあ、踏ん張ればいいかというと、それもちょっと違う感じがする。そもそも、「からだをこういうふうに使おう」だと、コントロールに対しての反発みたいなものが飛んでくると感じることもある。

    からだの使い方もからだに委ねてみると、今までとは違った基本が見えてくるように感じていて、大げさかもしれないけれど、それを感じることで世界の見え方、感じ方が変わってくるんじゃないかと思う。僕の中でも、固まっていたものが溶け出したり、硬かったものが柔らかくなったり、入らなかったものが入るようになったり、変化はある。「からだってどんなふうに動くのかな」と感じてみると、ありのままを見せてくれるような気もして嬉しくなる。

    これも距離感なのかなって感じていて、コントロールしようとくっつぎ過ぎると「からだ」は窮屈になるし、無視してしまうと「からだ」と離れてしまうし、感じてみるくらいの距離感が「すき間」ができてちょうどいい。

    2020年春季東京操体フォーラムはWeb配信で開催致します

  • やってくる・ききわける③

    昨日、電磁気力の話を少し持ってきたから、あとちょっとだけ。

    磁石のN極とS極は引きつけ合う。これは引力だ。そして、N極とN極、S極とS極は反発し合う。これは斥力だ。くっつくか、離れるか。二者択一。

    ソーシャルディスタンスという言葉がある。今はウィルスの感染予防策として人と人との距離が社会的に図られている。本当は近づきたいのに近づけなかったり、本当は距離を置きたいのに置けなかったり、N極とS極の関係があべこべになっているように感じる。終息するまでは、必要な措置ではあるけれど、これを機に情報も含めた他者との距離感を再考するきっかけにもなった。

    飛び交っている想念に対して、くっつくか、離れるかの磁石みたいな自分は今までにもけっこうあったけれど、特に今回は、知らず知らずのうちに引っ張られてしまったり、反発したりなんてことも体験してきた。これはけっこう消耗するし、きもちもせわしなくなるし、「からだ」も固まってしまう。

    こうなると、今の世の中同様コントロールしようにもどうしようもない。だから、コントロールを放棄して「からだ」に委ねてみた。

    有難いことに電磁気力同様、目に見えないけれど常に影響を受けている「力」の存在がある。

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  • やってくる・ききわける②

    目に見えないから不安になる。それはすごくわかる。

    身近なところでも、「何を信じていいのか分からないねえ」という言葉をよく耳にするようになった。

    確かにここのところのニュースからはそんなふうに感じる。

    電磁気力という力がある。

    小学生の頃、理科の授業で棒磁石の周りに砂鉄をまくと、ある方向に沿って砂鉄の模様が出来上がる実験をした。この砂鉄の模様は、普段からそこにある「電磁場」が可視化された状態なんだそうだ。

    難しいことは抜きにして、普段目に見えていなかった電磁場が、磁石と砂鉄によって目に見える状態になったということだ。

    電磁場に限らず、視覚で捉えられないけれど、あるものはある。

    「目に見える」より先んじて、「目に見えない」が存在している。

    何か目に見える基準があれば、安心できるのかもしれない。何かを信じられるようになるかもしれない。ただ、こんなときだからこそ、普段見えなかったこと、気づけなかったこと、本当は気づいていたのに見て見ぬふりをしてきたことに光が当たるチャンスでもある。

    何を信じていいのか分からなければ、「からだ」にききわけることもできる。

    言葉や目に見える形で飛んでいたもの以上に、その背後にあるものや何かの存在に気づけるかもしれない。

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  • やってくる・ききわける①

    香さん
    一週間ありがとうございます。

    今週担当の瀧澤です。
    テーマは引き続き「飛ばす」です。
    よろしくお願いします。

    今、世間は新型コロナウィルス一色だ。僕が住んでいる岩手県久慈市では、まだ、コロナウィルスの感染は確認されていないけれど、僕を取り巻く空気はなんとなく重苦しく感じることがある。

    この空気をつくっているのは何かといえば、ウィルス以上に飛んでいるひとり一人の想念なんじゃないかと思っている。

    それは、身近にいる人達の想念だったり、毎日ニュースや新聞で目にしたり、耳にしたりする誰かの想念だったりもする。当然僕の想念も含まれる。

    多分みんな、自分が感染することも怖いけど、誰かに感染させてしまう怖さもあるんだと思う。先行きが見えない怖さだってある。一方的に飛んでくる情報はあんまり安心材料にはならず、僕自身もそのことと向き合わざるを得なかった。

    それでも、結論から言うと、ちゃんと向き合ってよかったと思う。なぜなら、自分が何に対して怖いと感じていたのか、その中で大切にしていきたいことは何かが見えてきたから。

    三密とかマスクとか、消毒とか、もちろん、そういった情報も大切で優先すべきことだけれど、僕らがとばせる情報は、もっと他にあると思う。

    そこに気づかせてくれたのは、日々操体で勉強していることだ。僕には操体を学ぶにあたって、師匠と同志たちがいてくれる。常に一緒の関係ではないけれど、本当に大切だと僕自身の納得できることに気づかせてくれる。

    僕たちを生かしてくれているものとのつながりを土台に自分自身で考えていく。自分の足で立って、軸を立てていく。

    今、そんなふうに思い至っている。

    2020年春季東京操体フォーラムはWeb配信で開催致します

     

  • 見立て

    主張しているところ、痛み、腫れがあるところにとらわれ、

    見るべきところを飛ばしてしまう。

     

    からだが変化を起こすのに必要なところを飛ばさずに診れる見立ての

    重要性を日々感じています。

     

     

    一週間、ありがとうございました。

    明日からは瀧澤さんです。

  • 流れ

    窓を開け、部屋に風を通すと様々な音や香りを感じます。

    忙しく、余裕がないと、風の流れを感じる瞬間も失っています。

    すこしの時間、風の流れを意識をすると、季節によってはいい香りを感じることもあります。時には花粉によりくしゃみをすることもあります。

     

    流れによる変化に気づく意識を大切にしたいとおもいます。