投稿者: karib_sotai

  • 気遣いを飛ばす。

    おはようございます。

     

    先日、銀行のATMに並んでいたところ、事務員風の若いOLさんが後から急ぎ足で来て、一度私の隣に並んでから、パッと離れて距離をとりました。

    嫌われているのかなと思って視線を向けると、両手を広げて距離を測る仕草をしてから、はにかんだ笑顔を浮かべながら「すみません」と一言。

    私は一瞬「?」だったが、嫌ったのではなく気を使って距離を空けてくれたんですね。

    なんだか気持ちが和らぎ、こちらも笑顔で応じて会釈する。

     

    コロナ禍の状況下で厄介なのが、症状が出ていなくともウイルス感染している場合があるという事。

    その為、自分も感染しているかもしれないという意識を持ち、他者にうつさないようにするという事が、早いうちから叫ばれている。

    しかし、衛生意識も度が過ぎれば、軋轢を生む。

    それでも、軋轢が生じそうになった時、ちょっとしたことで緊張は和らぐ時が多い。

    そのちょっとした気遣いには必然的に笑顔が伴っている。

    昔から「泣きっ面に蜂、笑う門には福来る」と言うではないか。

    今の御時世、大声で笑うのは不謹慎かもしれないが、微笑みは忘れてはならないと思う。

    それが周りの空気を変え、他人様の為にもなるし自分自身の為にもなると思う。

    免疫系のバランスの活性化には笑いが良いというのも、昔から言われている事ではないか。

    気遣いに伴って生じる優しい笑い。

  • 偏見的言葉を飛ばさない。

    おはようございます。

     

    インターネットのニュースで知ったことだが、最近、運送業やライフラインに関わる人達、医療の最前線で働く人達、そしてその家族の人までが誹謗中傷を受ける事があるという。

    あえてその内容な書かないが、通常では考えられないような心無い行いや言動もあるという。

    それだけ、自己防衛に対する恐怖の高まりや不安が蔓延しているという事なのだろうか。

     

    自分自身の生命が危険に晒されることへの恐怖もさることながら、感染した時の社会的な自分の立場や世間体というものに対する恐怖。

    そういった恐れる心、不安な心が他者に対しての攻撃性に影響しているのは確かだろう。

    怖くて不安だから、その不安の原因と考えられるものを攻撃し、安心を得ようとする心理が働くのかもしれない。

    しかし、その行いや言動による攻撃で、どういう影響が出るのか、からだ(自身の御霊、良心)にききわけ、考えてみる必要がある。

    免疫機能にしても、過剰な防衛反応による攻撃はかえって自分自身を痛めつけてしまう。バランス制御が大切であり、言葉も制御、統制が必要。

    言葉も、自己防衛の不安による感情をそのまま、相手かまわず心情の察し無しでぶつけてしまってはいけない。

    人を精神的に傷つける言葉をはいていれば、巡り巡って自分自身にも報いとして返ってくる。

     

    生活に必要な物を届ける物流に携わる人、物を売る人などライフラインに関わる人達がいなくなれば、自分が困るのは目に見えている。

    そして、生命の危機に瀕した時、リスクを顧みず懸命にケアしてくれる医療現場の人達も忘れてはならない。

    それを、感染リスクの高い仕事をしているからと、自分(自我)中心の偏見を持ち、本人やその家族に精神的ダメージを与えるような言葉の攻撃をするのは良くない。

    尊ぶ心と感謝の気持ちは忘れずに。

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  • 飛車と歩。

    おはようございます。

     

    飛車は、その名前のごとく縦横に何マスでも、一飛びに移動できる。

    歩は、その名前のごとく前に一歩一歩と歩を進める。

     

    先日の夜、コンビニに買い物に出かけた時、隣の宅配業者の明かりが煌々とついていた。

    いつもであれば、もうとっくに閉まって真っ暗になっている時間帯である。

    気になって目を向けてみると、荷物の仕分け作業を黙々と一生懸命に行っている人達がいた。

    思えば、宅配便も交通網の発達により、遠方から直ぐに荷物が届くようなった。

    荷物を受け取る側からすれば、一飛びで来るような感じもするが、色々な輸送過程を経て、最後は配達員の人が一歩一歩と歩を進めて届けてくれる。

     

    今は、コロナ禍により外出自粛が要請されている時期であり、宅配便の荷物の数は相当多くなっていると思う。

    荷物の多さに加え、感染リスクへの備えもしなければならず、大変だと思う。

    考えてみれば、宅配便をはじめ流通に携わる人が一生懸命に仕事をしているお陰で、自粛生活が送れている。

    有難い事だと思う。

    そして、有難いと想えることで嬉しくもなれる。

    暗いニュースが多い中、どうしても気持ちがカサカサしがちだが、有難いと想える事、有難く感じられる事に心を向ければ心は潤う。そして、からだも悦んでくれるようで、底のほうから元気が出てくるように感じられる。

    免疫力のバランスも高まるだろう。

    科学的ではないかもしれないが、誰でも生命の経験的には解っているはずだと思う。

    積極的に有難さを感じられるようにしていく事。その心の向け方、想い方が大切。

  • 飛車より王。

    おはようございます。

    今週は友松が担当いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

    今回のブログのテーマは「飛ばす」です。

     

    「飛ばす」という字を見て、はじめに思い浮かんだのが将棋の飛車でした。

    一マス一マス、一歩一歩、前に進むことしかできない歩に比べれば、縦、横に何マスも移動できる飛車のポテンシャルは絶大です。

    また、縦、横、斜めと縦横無尽に動ける王将でさえ一マスづつなのに、敵陣に入って竜王と成った飛車は斜めにも一マス動けるようになり、機動的な面からみれば王将をも凌ぐようになる。

     

    将棋の格言に「へぼ将棋、王より飛車をかわいがり」というのがあるそうです。

    これは、勝敗に直接関わる王将よりも、戦闘力の高い飛車の駒を重宝する愚かさを意味するという。

    昨今の新型コロナ禍による世相に当てはめれば、人の生命の重さよりも国の経済事情やメンツ、前例に拘り、時間を無駄にしてきた政治論理といったところだろうか。 

    「命あっての物種」という言葉がある。

    今は苦難の時期ではあるが、一人一人の生命さえあれば経済を立て直す原動力ともなるし、あるいは経済成長に左右されないもっと人間の幸福の本源に則った新たな社会をつくる原動力ともなれるだろう。

    人こそ命、イノチあっての物事種。

  • うごくことは、ゆだねること

    ウイルスはそれ自身では細胞を持っていないそうだ。

    細胞を持っている生き物のからだに侵入し、細胞に入り込むことで

    活動を広げたり、増えたりすることができる。

    そして、周囲にその影響力を拡げていく。

     

    これ、「ウイルス」を「不安」と置き換えてみても

    その様子とても似ているなと感じた。

     

    「不安」もそれ単体で存在しているわけじゃない。

    それを抱く人がいて、その人の想念のなかに不安が入り込んで場合によっては増殖する。

    そして、その膨らんだ不安は、周囲の人にも影響力を持つ。

     

    そんなことを痛切に感じることも、この数週間多かったように思う。

    気が付かないうちに自分だって、周囲に色々な影響を飛ばしているんだなと。

    そんなことを考えていると、自分を包んでいる周囲の存在感というものが

    また一層ガラッと変わってくるように感じられた。

     

    自分を取り巻く環境に現れる出来事が、調和しているように感じられても

    また不調和なことのように感じられても、そのどちらもは「局所的」に起こっている事じゃないんだと思わずにはいられなかった。

    自分と切り離した他者の振舞いだけで帰結することは済まない。

    自分自身の振舞いともおおいに関わり合っていて、もっと空間的な出来事なのだと思うようになった。

     

    手始めにではあるけれど、ここ最近、何か自分の周りに不調和に感じられることが起こっているときは、少し間をおいて「自分」を点検してみることをしている。

     

    大抵そういう時は、何かしらの「無理」や、「がんばり」をしているときが多く

    そこに「仕方がない」という言い訳が必ずセットになっているから面白い。

    何かを自分の思い通りに実現させることで頭がいっぱいなのだ。

     

    周りが見えていない、脳内が低酸素状態の時に、はたと身に沁みて感じることは

    操体で何度も耳にしてきた「ゆだねる」という「うごき」の意味が

    わかってなかったんじゃない?という発見だった。

    このことに関してのヒントは既に何度も操体から教えてもらっていた。

     

    ゆだねることで、うごくこと。

    うごくことは、ゆだねること。

     

    このことをテーマに、操体からのヒントを種にして

    また新鮮にこれからに生かしていけたらと感じている。

     

    1週間のお付き合いありがとうございました。

    明日からは友松実行委員の「とばす」が始まります。

    どうぞ、明日からまたおたのしみに。

  • うごきは失われていない

    いのちをまもるための「自粛」期間のなかで、

    気が付いたら社会的にも、肉体的にも、精神的にも

    もしかしたら必要とされていること以上に縮こまっていたんじゃないか、

    そう感じている。

     

    自分の「せいかつ」ってなんだろうか。

    生活であり、精神活動でもあり、また生命活動でもある。

    そこからあらゆる動きが、自粛の名のもとに

    失われてしまっていたように感じていたが、

    失われた動きに関して意識するようになって

    あれ待てよ、と気が付いた。

     

    生命活動はどうだろうか。

    こころとからだは相関しているので、

    食欲がなくなったり、呼吸が浅くなったりは当然しているかもしれない。

    でもそれでも、心臓は動き続けているし、呼吸が動きをとめることもない。

    細胞や、人間のからだを支えてくれている微生物群も活動をやめることはない。

    もしそれらが一つでも動くことをやめてしまっていれば、

    こうして朝を迎える事はできていないはずだ。

     

    僕らがどんなに自粛ムードのなかにいて

    いつもの「リズム」を乱されているように感じていても、

    生命活動の営みの「リズム」は、

    もしかしたらいつものようにそれほど変わらず営まれ続けているんじゃないか。

     

    そんなことを感じていると、失われているわけじゃなくて

    それは単なる錯覚だったのだと思えるようになった。

     

    「自粛」について、少しシンドクなってくるようなことがあったら、

    その陰で、このいのちを変わらず支えてくれている

    生命活動のリズムのことを、思い出す時間をもってみるのはどうだろうか。

  • 飛ばしあう2020春季東京操体フォーラム

    おはようございます。

    昨日は春季東京操体フォーラムが開催されていました。

    当フォーラムとしては、初めての試みでしたが、

    「Web配信」という方法を用いて「場」を開放しての開催でした。

     

    各々の立場から、

    思っていることや感じていることを

    こういうご時世でも飛ばし合える。

    同じ空間にいることはできなくても、

    たしかな場を共有できる。

     

    今回はZoomの力をかりましたが、

    それを可能にしてくれるツールがあり、

    今回のようなフォーラムをこうして実現することができたことを

    本当に嬉しく感じました。

    思っていたよりも気持ちは軽く、

    予想以上に充実した空間を感じました。

     

    文化的な「営養(情報・表現)」を提供して、

    当フォーラムを支えて下さっている相談役の面々やブレインの皆様。

    朝から晩まで皆さんほぼ丸一日立ち会っていただきました。

     

    普段接することのできない言葉や意見をたくさん聞かせていただいて、

    個人的にも「操体」にとっても

    長期的に取り組みたい宿題をもらいました。

    それがこのタイミングだったことも、とても意味があることだと感じます。

     

    各々の立場で、皆さん色々なことを考えていることを感じます。

    今回のフォーラムに参加してくださった皆様、

    また今回はちょっと参加を控える、見合わせる事を決断された皆様。

    そんな操体を支えて下さっている皆様に、感謝したくなる一日でした。

    皆様ありがとうございました。

  • 立ちどまることは、動くこと

    少し前の話になるけれど、

    朝の通勤途中、時間に追われて最寄り駅に向かう途中で遭遇したこんな光景。

     

    3歳くらいの男の子だろうか、

    ベビーカーを押しているお父さんに向かって、

    「ちょっと、とまって~」

    としきりに伝えていた。

     

    それまで保育園に向かって、急いでいたのかな。

    お父さんもほとほと諦めたようで、ベビーカーを押す手をいったんとめた。

     

    「どうしたの?」

     

    すると、男の子はこんな風にこたえていた。

     

    「くもがうごいてるの、みたいの」

     

    その日はたしかにきもちのいい晴天で、雲はもくもくいきいきとしていて、

    何かしばらくその様子をみつめていたいような素敵な空が広がっていた。

     

    その瞬間、それまで急いでいた気持ちやら

    肩の力やらが、妙にストンと抜けたような、

    そんな空間が生まれたような気がした。

     

    時間にしてほんの数秒かもしれないけれど、

    お父さんも「なるほど」と言った感じで

    男の子としばらくの間、一緒に空を眺めて、

    呼吸を整えて再びベビーカーを押し始めていた。

     

    たしかにそうだ。

    ベビーカーが動いていては、雲がうごいているの見えないよね。

    いったん立ち止まることで見えてくる、

    感じられることもあるよね。

     

    今日はこれから春季東京操体フォーラムが、はじめてWeb配信という方法で開催される。

    一旦足をとめて、雲を眺めて、何かを感じるような

    そんな一日になればいいなと感じている。

     

    2020年春季東京操体フォーラム はWeb配信で開催致します。

  • 書くことは、動くこと

    普段ほとんどラジオを聴く習慣がないけれど、

    連日のテレビを介しての過情報に少し疲れたところで、

    試しにラジオのチューナーをひねっている自分がいた。

     

    波長の良く通る局にとめたところで

    作業をしながら、しばし耳をかたむけていると、

    それはちょうどシンガーソングライターの平松愛理さんが

    ゲストでトークしているラジオだった。

     

    最近どんな生活を送っているかという話で、

    とにかく最近よく「書いている」というようなことを話されていた。

    昔感動したことを思い出してみてそのことをノートに書いたり、

    こういった状況のなかで今感じている事や頭の中にあることなども、

    とりあえず書き出すようにしている、というような話だったと思う。

     

    普段から「日誌」を書くことにはこれでも一目をおいていた。

    なにせうちの師匠がとにかく日誌を欠かさず書く人だし、

    きっとそこには何かあるだろうと踏んでいた。

    自分でも時間を見つけてメモ書きでもいいから書く

    ということは生活の中に取り入れていた。

     

    ラジオでそんな平松さんの近況を聞いていて、

    なんかその気持ちすごくわかる気がする、とただその時は思っていたけれど、

    今そのことを思うと、そのプロセスは何かを「感じること」を思い出すこと

    に繋がっていたのではないかとも思えた。

     

    日誌を書くことはある意味で自分自身と向き合っているようなところもあり、

    それは自分自身が何かを感じていることに支えられて、成立する営みでもある。

     

    「何かを感じていてもいいんだ」

    という当たり前のことではあるけれども、

    そういった目に見えない動きの在り様を

    自分で肯定していることに繋がっていると思う。

  • 感じることは、動くこと

    気のゆるせる人と言葉を交わす。

    とてもシンプルな方法だけれども、

    モノを考えられなくなっていた自分にとっては

    久しぶりに何かが動いているように感じられる、

    なんとも魅力的なこととして感じられた。

     

    何故だろうと不思議に思ったけれど、

    本音で相手が話をしてくれたことで、

    何かを「感じること」ができたからだと思った。

     

    操体を勉強していて、

    また実践していて、恥ずかしい告白になるけれど、

    この自粛ムードのなか、

    一時の間、無意識のうちに「感じること」からすら

    遠のいていたことに気付かされた。

     

    2020年春季東京操体フォーラムはWeb配信で開催致します。