投稿者: karib_sotai

  • 私のズッコケ操体クロニクル4

    操体、操体法を講習会で学び始め、「感覚をからだにききわける」という手法を知りました。感覚に注目した「感覚分析」です。

    感覚分析を通して、自分のからだと向き合うことで感じた感覚は、私のいままでの世界観を変えた大きな出来事でした。

     

    からだで感じた感覚の体験は、いままでにない経験で、言葉で表現することがなかなかできないのですが、からだで体感したことで、私がからだに向き合う姿勢に変化をもたらせました。

     

     

  • 私のズッコケ操体クロニクル3

    三浦寛先生の操体法を受診し、からだに起こった変化に好奇心が刺激されました。

    なぜこのような変化が起きるのだろう?と。

    からだに起きた変化を知りたく、三浦先生の開催する講習会を受講することを決めました。

    講習会が始まり、操体法を通して、私というからだに意識が向くことで広がる日常の変化に面白さを感じていきました。

    f:id:tokyo_sotai:20200819111346j:plain

     

     

  • 私のズッコケ操体クロニクル2

    橋本敬三医師の著書を読み、本に記載されている内容に興味をもち、インターネットで検索をしている間に、三浦寛先生の存在を知ります。

     

    三浦先生が操体法で開業していることを知り、私は受診することにしました。

    夏の暑い日、三浦先生の開業している都内の一室に訪れ、とても不思議な経験をしたのでした。この経験は、私のそれまでの世界観に大きな変化をもたらしました。

    f:id:tokyo_sotai:20201025073847j:plain

     

    操体法を受けるために横になったベッドから見た景色は、今でも鮮明に思い出されます。

    美しいものは、脳裏に刻まれ、いつになっても色あせないものなのだと今をもっても実感します。

     

     

     

  • 私のズッコケ操体クロニクル1

    今日から香が担当します。よろしくお願いいたします。

    「私のズッコケ操体クロニクル」のテーマに沿って、操体と私について書いてみます。

     

    橋本敬三医師の著書、からだの設計にミスはないを初めて読んだのは、今から約10年前でした。このタイトルにとても魅力を感じました。

    私が中学、高校生時代に通院していた接骨院の先生が「からだは何百年も前から変わっていない。変化しているのは自分たちの生活や医療なのだ」と話していたことが心のどこかで印象深く残っていました。

    このことがあり、からだに問題があるのではなく、自分たちに問題があるのだろうと推測されるタイトルにとても惹かれました。

    ここから私は操体、操体法に触れる機会に恵まれていきました。

     

     

     

     

     

  • 私のズッコケ操体クロニクル⑦  昨日の続き

     兵庫県三田市で再々スタートするにあたって、地域情報誌への広告と地元新聞の折り込みチラシを入れることにした。 それはリハビリ目的の操体ヨーガセラピーの被験者を確保するねらいが一番のメインであるからだ。 広告の反応はすぐにあった。 思惑通り、やはり中高年からの問い合わせが圧倒的に多い。

     

     操体ヨーガとしてはいわゆる健康教室としての実修者を募った。 また、リハビリを目的とする臨床としての操体とヨーガセラピーを深く研究し、それを体系化して編纂するという大きな目標も自分の中で掲げている。 そのためにはリハビリ中の患者を探すことも念頭に置いて活動していかなければならない。

     

     脳梗塞をはじめとするリハビリ中の人は、その後遺症的な姿をあまり世間に見られたくないという思いから、早朝の時間帯に森林公園や河川の堤防道路などで足を引きずりながら歩いている人を良く見かける。 そこで私は、よく駅前で配っている広告用のポケットティッシュ仕入れ、それに当院の広告を入れて、早朝の公園等に出向いて、その当院広告入りのポケットティッシュを配ることにした。 これも見事に当たり、反響はまずまずであった。

     

     健康教室としての操体ヨーガは実修希望者が多いことから、週1日だったのを2日に増やそうと思い、次の手を考えることにした。 それは、中高年のトレッキングブームに目をつけたことだ。 神戸の六甲山においてもトレッキング人気の高い山である。 この六甲山のトレッキングコースは沢山あり、その中の下山コースで特に人気のあるのが下山した後、温泉に入って疲れをとることができる有馬温泉に降りるコースである。

     

     私はこの下山コースの入り口付近に、段ボール紙にマジックで書いただけの看板らしきものを設置した。 その内容は 「これで膝も安心!  下山に快適な膝テーピングします。  1,000円でOK!」 これもよく流行った。 その人たちにも本来の目的である、例の広告付きポケットティッシュを配った。 このPRによる反響もよかった。 しかし、これらの行為は違法である。 後でわかったことであるが、六甲山は国立公園であり、公園内でのこのような営業行為は禁止されている。 もう時効だから言えるが、公園監視員に見つかっていたら取り調べを受けるところだった。

     

     私はこういった活動をしながら、ブリージング・セラピーと操体ヨーガの研究に情熱を燃やしている。 何より嬉しかったのは、昼間のワークだったからだ。 あの悪夢のような深夜までの臨床とその後、車で1時間半の道のりを運転して朝方に帰宅するようなことはもう二度としたくないと思っている。

     

     それから数年はここで落ち着いて臨床活動を続けていたが、どういうわけか、出張施療の予約が増えてきた。 婦人会が主催する地域の会館に呼ばれていったところ、「操体ヨーガ愛好会」 なる紙が入り口に貼ってあるのには驚いた。 前に私のところで操体ヨーガを指導した実習生が今回の発起人だった。 そろそろ、「操体ヨーガ」 という名称を商標登録しておいたほうがいいのかも知れない。

     

     最近は出張施療がとても楽しい。 自宅から車で2時間ぐらいまでなら、まず断ることはない。 先日は淡路島まで出張施療に行ってきたが、その帰路において、淡路島西海岸のサンセットラインを走行した折、その景観たるや実に素晴らしい。 西の空を真っ赤に染めて瀬戸内海に沈みゆく夕陽はなんと幻想的なことだろう。 生きているという実感すら湧いてくる。

     

     気が付けばいつの間にか出張施療にウエイトが大きく傾いていた。 そんなことから、「只今、不在! 出張施療中」 の看板を当院入り口に表示することが多くなり、この地での開業から撤退することにした。 が、今まで来院いただいている方については、引き続き、自宅の一室を改良して施術室として診させていただくことになった。 こんなことならはじめから自宅を改良すればよかった。  ズッコケになるのか、ドタバタになるのか分からないが、これが私の操体クロニクルである。

     

     現在、私は引き続き、操体ヨーガ編纂にかかっている。 時間があるときはできるだけこれに充てているが、操体ヨーガ研究の集大成にはまだまだ時間がかかりそうである。 

     

     

    明日からは香さんのクロニクルです。 お楽しみに!

  • 私のズッコケ操体クロニクル⑥  昨日の続き

     当院を案内したことで、彼も大いにやる気になったようだ。 そして、その2日後に連絡があり、話を進めてくれとの返答だった。 私はすぐに当テナントビルのオーナーに掛け合った。 同業の仲間に引き継いでやらせたい旨、説得するのに頑張った。 その結果、名義変更の手数料(賃料1か月分)で話がまとまった。 彼はこの金額に既に納めている保証金相当額を私に支払うことでテナントの引継ぎ契約が完了した。

     

     そして、明け渡しまで半月、当院の患者さんにはよく説明し、納得してもらうよう努めた。 明け渡した後、次に兵庫県三田市の駅近のテナント物件を探したところ、駅から5~6分の場所にあるマンション1Fのオフィスが見つかった。 これで再々デビューすることになる。 

     

     この地は現在、三田市となっているが、元々は有馬温泉のある旧有馬群であり、一千万ドルの夜景で有名な六甲山の北側に位置する北六甲の地域である。 大阪の人は南側の神戸市の地域を表六甲と言い、北側にあるこの地を裏六甲と称しているが、正しくは北六甲である。 この地の人は誰も裏六甲などという言い方はしない。 それ故、今度はこの地にちなんで 「北六甲操体院」 というネーミングにした。

     

     再々スタートするこの場所では操体を中心とする施術に加えて、操体ヨーガの臨床版ともいえるヨーガセラピー、並びにサイコ・セラピーも併設することにした。 精神療法のどこが操体に関係しているのかと疑問を持たれるかも知れないが、精神療法と操体の双方に知識と経験がある人なら当然、理解できると思う。

     

     特にブリージング・セラピーであるリバーシング(rebirthing)においては、場合によっては肉体的・感情的に激しい動揺と混乱を招くこともある。 ブリージングという名のとおり、リバーシングは 「呼吸して、感じる」 ことであり、操体の動診における 「動いて、感じる」 のも同じように共通しているのは、「感じる」 ということが、ともに 「自力」 から 「自療」 につなげるプロセスである。

     

     我々は肉体・精神・感情の緊張を呼吸によってエネルギー的に押さえ込むことでエネルギーを収縮させてきた。 それを呼吸によってその収縮したエネルギーに触れ、刺激を加え、強い流れを呼び起こす状態になった時に、ドラマチックなほどの悲しみ・怒り・恥ずかしさ・怖れ・性的興奮を覚えたりする。 肉体の反応も、ほてり・悪寒・吐き気・呼吸困難などのほか、からだの一部がどうしようもなく震えたり、顔や手足に極度の痙攣が生じたりすることもある。 

     

     感情や肉体のこうした状態は苦しいし、かなりの恐怖を感じるかも知れない。 そのようなときに泣く・叫ぶ・うめく等、頭を振ったり、拳を打ち付けたりして、からだを動かすことによって本能的に外に向かって表現しようとする。 感情や肉体的緊張を 「表現」 することと、「感じる」 こととは、まったく異なる行為である。 表現は顔や手足の末端に生じるが、収縮エネルギーの根底にまで届くことはない。 

     

     そのような収縮パターンを完全に解き放つためには、からだの中心に生じる感情に届かなければならない。 それは呼吸エネルギーの流れを保ちつつ、「感じる」 ことに専念しなければならないのである。 こうしたときに、深い意識的な呼吸を通して収縮エネルギーそのものに触れ、それを動かし、ついには解き放つことができるのである。 

     

     この 「呼吸して、感じる」 流れを維持するのに、操体法で 「渦剰波」 と名付けられた皮膚操法を胸の中央に施すことにより、中断することなく、呼吸して、感じることを続けることができるようになる。 これは一大発見と言えるものであった。 このように被験者の進歩を大いに助けることができるのである。 そうした理由で操体とブリージングは深く関連しているということができる。

  • 私のズッコケ操体クロニクル⑤  昨日の続き

     問い合わせがあった出張施療先は、兵庫県の三田市だった。 都市部からは郊外ではあるが、大阪、神戸への通勤圏内にあり、そのベッドタウンとしてサラリーマン人口も増え、また最近は学園都市でもある。 施術依頼のあった自宅に伺うと、電話してきた本人ではなく同居している義母が患者であった。

     

     その義母は1年前に脳梗塞に倒れ、四肢の動きが不自由になり、リハビリ生活を余儀なくされていた。 電話してきたその家のお嫁さんは家庭療法研究会で教わった操体法をやってはみるものの、なかなか効果が出ないので、プロの操体家に委ねることにしようと思い、当操体院にアクセスしてきたものだ。 

     

     その後、3回、出張施療に出向いた結果、僅かながら効果が見られたので、できるだけ操体の本文である自力自療に近づけようという思いから、リハビリ的なヨーガを指導することとした。 ヨーガと言ってもからだの末端の手と足に限ったヨーガを日課として続けてもらうことにした。 これが後に私が 「操体ヨーガ」 と名付けるものに引き継がれていくのである。

     

     それからは月1回のペースで出向くことになった。 そして、3か月も過ぎる頃には、その効果に驚きを隠せない。 それを指導したのは私であり、本来的には自慢したいところだが、やはりその指導されたリハビリヨーガを信じて、一心に反復継続してこられた本人の努力の賜物である。 日常生活するのに最低限必要なからだの動きをほぼこなせるようになったことは奇跡に近い。 これには私自身とても驚いている。

     

     私の指導したリハビリヨーガは本格的なハタ・ヨーガと言えるようなものではなく、どちらかというと、からだの感覚を重視した操体的なヨーガであった。 この時は行き当たりばったりの操体的ヨーガであったが、この患者さんの回復ぶりを見るにつけ、真剣に操体とヨーガの融合を研究するようになった。 患者さんから教わったともいえる、まさに操体ヨーガの始まりである。

     

     その後、ハタ・ヨーガのアーサナ(体位)を操体で分類する8つの動きに洗い出し、感覚重視の動きに改良する研究を始めた。 またハタ・ヨーガにはない全身への動きの連動もヨーガに組み入れたのである。 これを体系的に編纂しようと思った。 それには薬品開発の治験じゃないが、被験者による効果を見極める必要がある。 いわゆるヨーガセラピーなるスペースを確保する必要がある。

     

     さあ、こうなってくると大阪で夜のお嬢ちゃんを相手にしている場合じゃない! しかし、無責任に院を閉鎖するわけにもいかない。 今や、当院を当てにして来院する患者さんも少なからずいる。 どうすればいい、困った! こんなときに、またあの精神療法のヘルプ要請が来た。 それどころではないのに!

     

     それを断り切れない私は、仕方なく出向いた。 その帰り道、私が以前通っていたカイロプラクター養成所の前を通ると、一人の男が出てきた。 向こうは軽く会釈をするが、思い出せない。 近くまで来てやっと思い出した。 私と一緒にカイロを学んでいた人で、今はこの養成所でカイロの講師をしているという。 

     

     その彼がビアガーデンのサービス券を持っているというので、二人で飲みに行くことになった。 お互いの近況を話すうちに、彼は近いうちに独立開業を目指しているというので、これは渡りに船だと思い、当院を引継いでもらえないかと打診した。 彼は一度、現地を見たいと言ったので、善は急げ! である。 その日の夜に当院を案内した。 彼はカイロを学んだ後、オステオパシーの専門スクールへも足を運んでおり、臨床には自信を持っているようだった。 また彼は自分で夜型だというのも、好都合であると思った。

  • 私のズッコケ操体クロニクル ④  昨日の続き

     私は本来、朝型タイプなので夜は苦手な方だ。 それなのに夜型開業セラピーにハマってしまうなんて成行きとはいえ自分でも信じられない。 こんな生活を続けて1年が過ぎた頃、私が最初に開業する前に勤務していた催眠療法センターの所長から電話をもらった。 

     

     スタッフが急に辞めることになったので、手伝ってもらえないかということだった。 私は今、ボディワークに変えたので無理だと伝えたが、今週末に入っている予約を断れないのでどうしても来てほしいと懇願された。 ブランクもあるのでやはり難しいとお断りしたにもかかわらず、サブを付けるからと言って引かない。

     

     仕方なく、行くことになった。 被験者は6人、久しぶりに精神療法のリバーシンググループを行ったが、どういう訳かしんどさが全くなかった。 精神的に疲れてやめたはずなのに、これならいけるかなと思った。 それよりも何より昼間のワークがいい。 この1年のナイトワークで私の中では不健全な夜というイメージが根付いてしまったようだ。

     

     これがきっかけで昼間の活動に憧れるようになってしまった。 そもそも何故、都市部で開業したのか、すっかりそれを忘れていた。 私は食べることよりも料理することにとても興味がある。 大阪に来れば、「男の料理教室」 なるものがある。 昼間、ボディワークの仕事の後、夕方からはそんな料理教室に通うのが当初の計画であった。 それが夜専門の施術院になってしまうなんて番狂わせにもほどがある。

     

     朝型人間の私としては、こんな生活は長くは続かないと常々思っていた。 ひょっとするとここから抜け出すきっかけを探していたのかも知れない。 そんな時に珍しい患者がやって来た。 カイロプラクター養成所のスポーツトレーナ科で共に学んでいた友人である。 友人と言っても私より一回り年下の私学高校で英語の教師をしている男性だ。 

     

     現在も英語教師をしている彼は陸上部の部活の顧問もしている。 そんな彼が引越しの手伝いで腰を痛めて当院にやって来たのだが、お互いに顔を見てびっくり! ここに来たのは偶然ではなく、スポーツトレーナ科で操体法(初期の操体法)を少しかじって知っていたので、たまたま当院の看板を見て予約なしの飛び込みで来院したのである。 

     

     カイロプラクティックじゃなくて、なぜ操体法をやっているのか? と聞かれたので、操体院開業の経緯を説明すると、ああなるほど、それなら理解できるね、と納得していた。 彼の施術を終えた後、彼から、うちの部活のトレーナをやってくれないか、主にスポーツ障害の部員を見て欲しいという。 部費の関係で月1回のペースで来てほしい旨、依頼された。 これは快く引き受けた。 からだの使い方、動かし方を中心に部員を指導することにより、障害を防止するいわば操体トレーナとして活動することになった。

     

     数日後、開院時刻すぐに電話が鳴った。 出張施療の問い合わせであった。 HPの検索から見つけたという。 出張先を尋ねると、何と、私の自宅に比較的近いところだった。 操体をどこで知ったのか、聞けば橋本行生という名のお医者さんが主幹する家庭療法研究会で知ったそうだ。 近くで操体法の施術院を探していたので早速電話してきたということだ。

  • 私のズッコケ操体クロニクル ③  昨日の続き

     居酒屋の壁に貼らせていただいた広告には10時~20時と記している。 次の日に居酒屋に行くと、店主が広告を指さして、「もっと遅くまで時間を伸ばすことはできないのか?」 お客さんが言うには、「20時じゃ夜のお仕事関係の人は誰も行けないね」 と言っていたそうだ。 店主曰く、「うちに来る客は夜遅くになってからが商売になる、まあ、ほとんどの客が水商売関係の人たちだからなあ。」 

     

     対応の早い私は 「分かりました、では早速23時までに延長します、明日、広告を作り直してきます。 そして今日から23時まで居ますので、もし、来院しそうなお客さんがいればそのように言ってもらってもいいですか?」 そう言うと、店主は店のメニューを書くマジックで20時の部分を23時に書き換えてくれた。

     

     それから当院に戻り、コーヒーを飲みながら電話番をしていた。 21時過ぎに初めて予約の問い合わせが入った。 明日の夜20時30分頃に来院したいとのことだった。 その後は電話もなく、ワンセグTVを観ながら過ごしていた。 その後、22時30分頃に電話が鳴り、あの居酒屋で当院の広告を見たお客からの問い合わせで、もう少ししたら、そう23時頃に来院したいと言う。 

     

     帰宅する電車時刻のこともあったが、分かりましたと返答してしまった。 こうなったからにはしょうがない、今夜はここで泊まるか! そう覚悟して、来院の準備をしていた。 先ほど食べたどて焼きの匂いがしてはまずいので、歯磨きして、施術室にもリセッシュをして、お香も焚いた。 

     

     そして23時過ぎにやって来たのは、少し酒に酔った水商売風の20代の女性二人連れだった。 友達が一緒について来たのかと思いきや、二人ともが患者ということだ。 どちらが先にしますか? と聞くと、茶髪に染めた方の娘が 「私から」 といって勝手に施術ベッドに寝転んだ。 もう一人の方はすでにソファーで寝そべっている。 

     

     ベッドに寝転んだ娘に問診すると、左肩甲骨と背骨の間の部分が痛い、それも1週間位前からだという。 視診~触診で、とくに足がとても冷えていたので足趾の操法からやり始めて、1分もしないのに大いびきをかきだした。 だらりと力が抜けて無防備な姿勢で眠っている姿勢からしてレム睡眠だとわかる。 特徴として瞼の下で眼球がキョロキョロと動いている。 この状態は身体を修復し、活動時に備えるためのホルモン分泌が行われている。 それから二つほど仰臥位で上肢の動診~操法を続けた後、からだを動かしてみて、「背中の痛みが取れたみたい!」 と一言。 これで一人目の施術を終えた。

     

     次にもう一人の彼女であるが、偏頭痛で困っているとのこと。 触診すると腰仙部が非常に緊張している。 この場合、腰仙部の緊張が取れることで、偏頭痛は改善すると確信した。 肝臓を患うと眼球に黄疸症状が出るのと同じで、仙骨の変異は後頭部に偏頭痛というような症状が出る。 臨床に移ると、この娘の場合も足趾の特に趾回しを念入りに施してから、伏臥位で足関節の動診~操法を三つほど行って施術を終えた。 彼女は頭痛が取れた、と言ってたいそう喜んでくれたことは、私にとっても嬉しかった。

     

     しかし、そう喜んでいる場合ではなかった。 それからというもの、連日のように深夜の来院ばかりである。 せっかく6か月の通勤定期を購入したばかりなのに、払い戻しをする羽目になった。 当院近くのモータープールを月極め契約して、片道1時間半はかかる車通勤に変更せざるを得なくなったのである。 

     

     施術時間も余儀なく再変更を迫られた、泣く泣く15時~23時にしたが、それでも早くても18時以降でないと電話も鳴らない。 最終的には仕方なく、17時~24時に再々変更することになった。 24時といっても実際に終えるのは深夜1時~2時頃になってしまう。 正直言ってこんなはずじゃなかった。

  • 私のズッコケ操体クロニクル ②  昨日の続き

     「哲学する操体 快からのメッセージ」 を熟読した私は、東京操体フォーラムに参加してこの本の著者である三浦寛師に出会うことができた。 その夜の会合で皮膚操法について伺うことができ、操体講習を受講することになり、毎週2年間の上京生活が始まった。 

     

     カイロでは主に知識とテクニックの学習をしてきたので、今度は五官で感じ取るスタイルに学び方を変えようと思った。 見て感じる、聴いて感じる、触れて感じる、そのような吸収の仕方で講義を受ける方策に決めた。 そのように研鑽を重ねるのは実に新鮮な感じであった。

     

     この講習を終えて、今度は 「操体療術院」 として再デビューすることとなった。 開院する場所について、大阪北のビジネス街と繁華街にも近い商業地域にあるテナントビル2Fのオフィスを賃借契約した。 この地域にはマッサージ店がやたらと目につく。 また昼間から夜遅くまで客の出入りも多く見受けられる。 それらを横目に見ながら開院初日をスタートさせた。

     

     マッサージ店の客層はビジネスマンと思われる人が殆んどといったところだ。 マッサージ店はどこも派手なイルミネーション看板を設置しているが、当院では当ビル1Fアプローチ部分に折りたたみ式の質素な看板のみが置いてある。 果たして、来院者を期待できるのだろうか? そんなことを思いながら初日を過ごした。

     

     その日の帰り道で最寄り駅のすぐ近くの路地裏通りにある小さな居酒屋に立ち寄った。 そこには肉体労働者と思われる作業服姿の客が3人で焼酎を飲みながらどて焼きを食べていた。 そこへ店主と思われる気の良さそうな初老の男がお通しの枝豆をもって注文を取りに来た。 私は、生ビールにどて焼きを注文した。

     

     30分ほど、物思いに耽りながら飲んでいただろうか、肉体労働者風の客は帰り、客は私一人になった。 その店主であるが、先ほどからしきりに首に片手を当て、上を見上げるような仕草をしている。 私は声をかけてみた 「首の調子でも悪くしたのですか?」、「ええ、寝違いをして昼間、マッサージを受けて来た」、と言う、「その時は解消されたと思ったんだが」

     

     私は 「ちょっとよろしいですか」 と云って店主が手を当てていた左首筋を軽く指で触れてみた、それだけで熱感と硬結が確認できた。 そして次に気になったのが、左肘が外に向いていたことから、ついでに左手首を触診させてもらった。 特に手首の皮膚を指でつまんでみると、針に刺されたような強烈な痛みがあるという。 そこで立位のまま、左手関節から動診・操法のアプローチを試みた。 この間僅か数分であったろうか、首の痛みが劇的に改善したことに店主はとても驚いていた。 

     

     店主は私のジョッキーが空であることを見過ごすことなく、すぐにおかわりを持ってきて 「これは私のおごり」 と一言。 「お客さんは何をしている人?」 と聞かれたので、実は今日からこの先にあるテナントビルで開院したばかりであることを話すと、「これから世話になるだろうから」 と言ってどて焼きのおかわりもサービスしてくれた。 

     

     その後、2~3日連続してその居酒屋に通っていた。 当院の方は電話での問い合わせはあるものの、患者の来院がまだ一人もない、というようなことを店主に話していた。 店主はうちの店に当院の広告を出してもいいよ、と言ってくれたので、それに甘えて次の日に早速、広告を作成して、お店の壁に貼らせていただいた。 これからが意外な展開に!