じぶん
いま ここ
じぶん
いま ここ じぶん
それを
どう充実させて
生きるか
あるいはむなしく
生きるか
それをきめるのは
いま ここ の
じぶん
みつを
2025年秋季東京操体フォーラムは11月24日(月)勤労感謝の日振替にルーテル市ヶ谷センターで開催致します。
テーマは「解禁・新重心理論」です。おたのしみに。
じぶん
いま ここ
じぶん
いま ここ じぶん
それを
どう充実させて
生きるか
あるいはむなしく
生きるか
それをきめるのは
いま ここ の
じぶん
みつを
2025年秋季東京操体フォーラムは11月24日(月)勤労感謝の日振替にルーテル市ヶ谷センターで開催致します。
テーマは「解禁・新重心理論」です。おたのしみに。
今の大人は、子どもの期間を大人になるための準備期間と考えています。でも本当は、子どもは「子ども」という人生を生きています。その時期がハッピーでないということは、人生がハッピーではないということでしょ。そう思ってないんですよ、今は。子どものとき辛抱しても、大人になりゃいいことあるよと教える。それで登校拒否になって、フリースクールに通うことになる。バカみたいなものだと思ってしまいますね。
もうちょっと、必要なものを自分で何とかするって社会に変えていったほうが、みんなハッピーになるんじゃないか。「生きがい」とか、変なことを言わなくて済みます。
養老孟子「日本が心配」より
2025年秋季東京操体フォーラムは11月24日(月)勤労感謝の日振替にルーテル市ヶ谷センターで開催致します。
テーマは「解禁・新重心理論」です。おたのしみに。
ふつう、十四、五歳での元服のときに、烏帽子親が
―童心を去れ。
という。武家社会でも庶人社会でも、そのように言われる。しかし童心を去って何をするのか、そのことは説かれない。
童心を去るとは、どうやら社会の縦横の関係のなかでの自分の位置を思いさだめ、分際をまもり、身を慎み、いわば分別くさくなれということらしいが、嘉兵衛のなかでの大人はそういうものではなく、自分の世界をつくりだす者といったことのようでもある。
司馬遼太郎「菜の花の沖 一」より
2025年秋季東京操体フォーラムは11月24日(月)勤労感謝の日振替にルーテル市ヶ谷センターで開催致します。
テーマは「解禁・新重心理論」です。おたのしみに。
「人の一生はみじかいのだ。おのれの好まざることを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ」
司馬遼太郎「峠 上」より
2025年秋季東京操体フォーラムは11月24日(月)勤労感謝の日振替にルーテル市ヶ谷センターで開催致します。
テーマは「解禁・新重心理論」です。おたのしみに。
近年、つくづくと、一人の人間が持っている生涯の時間というものは、
(高が知れている……)
と、おもわざるを得ない。
人間の欲望は際限もないもので、あれもこれもと欲張ったところで、どうにもならぬことは知れている。一つ一つの欲望を満たすためには、金よりも何よりも、それ相応の〔時間〕を必要とする。一を得るためには、一を捨てねばならぬ。時間のことである。人生の持時間こそ、人間がもっとも大切にあつかわなくてはならぬ〔財産〕だとおもう。
池波正太郎「男のリズム」より
2025年秋季東京操体フォーラムは11月24日(月)勤労感謝の日振替にルーテル市ヶ谷センターで開催致します。
テーマは「解禁・新重心理論」です。おたのしみに。
人間は、生まれ出た瞬間から、死へ向って歩みはじめる。
死ぬために、生きはじめる。
そして、生きるために食べなくてはならない。
何という矛盾だろう。
これほどの矛盾は、他にあるまい。
つまり、人間という生きものは、矛盾の象徴といってよい。
池波正太郎「日曜日の万年筆」より
2025年秋季東京操体フォーラムは11月24日(月)勤労感謝の日振替にルーテル市ヶ谷センターで開催致します。
テーマは「解禁・新重心理論」です。おたのしみに。
本日で最終日になります。
昨日まで正当にからだを使うため、もしくはからだからのメッセージを素直に受け取っていくために大切なからだの部位について書いてきました。
これらにはそれぞれ重要な役割があり、日々対話していくことが大切です。
しかしそれ以上に大切なのはこれらが1つ1つ単独ではなく、1つに繋がっているということ。
そしてそれは全て吸気がより多く取り入れることに繋がっています。
自身のからだに痛みや異常が生じた時に吸気が入りやすいのか否かを確認してみてください。
きっとそういった状態の時は吸気が取り入れにくくなっていると思います。
それが吸気が取り入れやすくなれば、自ずとからだは快方に向かっていきます。
1週間お付き合い頂きありがとうございました。
明日からは半蔵さんが担当致します。
昨日は膝の裏筋について書かせて頂きましたが、本日は膝の事について少し書いていこうと思います。
膝に痛みを抱え日々悩まされている方も多いかと思いますが、そもそもなぜ症状を抱える人が多いのでしょうか?
膝はからだの中でも非常に複雑な関節の1つだとされていて、軟骨や半月板等の年齢と共に少しずつ負荷に弱くなっていくものも存在します。
日々の生活の中でこの部位の負担をどれだけ無くしていくかも健康寿命を長く保っていく秘訣の1つです。
わたしもリウマチで患ってからは水が溜まるようになり、手足の末端の痛み以上に膝関節の痛みには悩まされました。
この痛みはなかなか改善することが出来ませんでしたが、改善されていく過程の中で気が付いたことが幾つかあります。
1つは痛みがひどくなる時は鵞足と膝の運動ベクトルがブレてしまうこと。
次に膝の裏筋の奥にある足底筋に非常に大きな圧通・膏血が出来ること。
そして膝を庇うように腰を使ってからだを動かしてしまうこと。
この結果足の裏の第3趾の裏にタコみたいなもので出来、1年間程ずっと消えませんでした。
こういったからだの変化の中で痛みを改善していくことにおいて1番意識し、効果があったのは膝の運動ベクトルを常に意識したことでした。
膝の向きと鵞足が重なる第1歩の踏み出し方だけで、からだ全体は呼吸と動きを軽くしてくれる器を作ってくれるのです。
明日に続きます。
人が立つこと、そしてからだを使うことにおいて膝の裏筋の状態にその使い方は大きく変化してきます。
以前のブログでも触れたことがありますが、膝の裏筋は「緩む」「伸びきる」「曲がる」という3つの表情があります。
操体におけるからだの使い方・動かし方の歴史とその進化はいかに膝の裏筋が自然に「緩む」という状態を作っていくかと言っても過言ではありません。
その状態を本人の意識操作なしに作ることが出来れば、昨日までに書いてきた骨盤と足の裏(母趾球)は自ずとからだの動きに必要な状態になってくるのです。
しかし大抵の人は「膝の裏筋が緩む」という感覚をなかなか掴むことが出来ません。
理由はいくつかありますが、大きな要因として挙げられるのが「力み」のように思います。
最近体調を崩していたこともあって、よく理解出来たのですが、病んでいたり、疲れていたりすると人は上半身に力が入り、そこに支えを作ろうとします。
そうすると膝の裏筋の状態は伸びきった状態でからだを使うことになり、結果的にはからだ1つ1つの繋がりは絶たれからだに不必要な歪みを作ることになります。
このような見方や捉え方をしていくと橋本敬三先生が臨床の中で膝の裏筋をよく診ていたのかがよく理解出来ます。
ただ単に全身の歪みを調整するためだけではなく、患者が正当にからだを使うためのその下地を作っていたように見えます。
膝の裏筋に着目した橋本敬三先生は本当にすごいなと感じる今日この頃です
操体を学ぶ前と現在の自身のからだの変化について考えていました。
色々な変化がありましたが一番変わったと実感しているのが肩甲骨です。
当時はよく腰痛や肩凝りで悩まされたりしていましたが、それが全くなくなった要因の1つが肩甲骨が開放されたからだと思います。
肩甲骨というのはすごく不思議な骨で、これが上手く作動していない時は自身の立ち方やからだの動きもどこか不自然になる。
きっとその不自然さが生じるのは肩甲骨を介して呼吸と動きが重なっていないからだと思います。
呼吸と動きが重なり螺旋の回転が生まれて、はじめて動きは軽くなり、内圧と外圧のバランスがとれる。
それを成していくためには肩甲骨を自由に開放していくことです。
その自由は重心の適正に適った自然な立ち方によって生まれる。