投稿者: karib_sotai

  • 七日目

    どっから、どこまでが右腕で

    どこから、どこまでが左腕なのか

    これは、アートであり、全身一体一つの

    総和のとらえ方がサイエンスである。

     

    太極がサイエンス

    分極がアート

     

    非対称がサイエンス

    対称性がアート

     

    絶対性がサイエンス

    相対性がアート

     

    すべて、サイエンスからアートが生まれる。

     

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    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」

  • 六日目

    右重心はアートであり、

    左重心はサイエンスである。

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    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」

  • 五日目

    目に見えぬものは、サイエンスであり、

    目に見えるものは、アートである。

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    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」

  • 四日目

    からだの中心と重心は、アートである。

    重力はサイエンスである。

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    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」

  • 三日目

    求心性の動きと遠心性の動きは、アートである。

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    テーマ「アートと操体」

  • 二日目

    吸気はサイエンスであり

    呼気はアートである

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    2021年秋季フォーラム

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    テーマ「アートと操体」

  • 一日目

    示申 は、サイエンスであり

    神と人間はアートである。

     

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    テーマ「アートと操体」

  • (七日目)不自然の自然

    1週間にわたってアートと操体について書いて来ました。
     
    今回改めて分かったことは「自然(神が造ったもの)はサイエンス」「アート(人間が造ったもの)」という明確な区別でした。
     
    まあ「自然の芸術」と言ったりはしますが、その自然も、実は国立公園で人の手が入ってたりします。
    人類未到の地以外は、アート(人間の手が加わっている)のかもしれません。
     
     
    私が今回興味を持ったのは、橋本敬三先生が、アーティストでもあったということ。
    アートの歴史をみると、人間は「自然の摂理(死)」と、「自然の摂理からの脱却」(不死・完全)の間で揺れていたようです。
     
    さて、操体を理解する上で、大事な言葉があります。
    それは「不自然の自然」。
     
    おばあちゃんの曲がった腰を、操体で伸ばせないかというご相談を受けたことがあります。
    おばあちゃんは、べつに悪いところもないのですが、娘さんが「腰が曲がっていて姿勢が悪く見えるから」というのです。
     
    この場合(操体ではなく)他力矯正的に背骨をどうにかするとか、脊柱の手術をするということもあるでしょうが、おばあちゃんのからだのことを考えると、あまり現実的ではありません。
     
    スポーツ選手なども、職業的なからだをしています。
     
    専門的職業的なからだをしている人を、無理矢理枠にはめて矯正したりすると、結果が出せなくなったりします。
     
     
    神が創造したもの(サイエンス)と、人間が造ったもの(アート)は、常にバランスを取っているのです。
     
    「アート」っていうのは本当に大きなテーマだな、と感じた1週間でした。
     
    ちなみに、操体はアートだと思っています。
     
    1週間ありがとうございました。
     
    明日からは、三浦寛先生の担当です。
     

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    明日はハロウィン(万聖節)ですね。西洋版のお盆です。
  • (六日目)シンメトリーとアシンメトリー その4

    バロックの語源は、名前通り、歪んだ真珠、という意味のバロッコというポルトガル語だそうです。
     
    ちなみに、明治時代まで真珠は、自然界にあるものを採取していましたが、真珠の養殖に成功したのが、御木本幸吉です。
    伊勢にあるミキモト真珠島※には何度も行ったことがありますが、真珠を養殖しようというのは、なんとも凄いアイディアだと思いました。それまで、自然にお任せ(貝が異物を飲み込んで、それを核として真珠ができる)していたものを、人間の手で核入れを行うようになったからです。
     
    海女さんがボートでやってきてダイブしてくれる「海女さんショー」や、あこや貝を焼いたものなどを食べることができます。
    どうやって養殖真珠を造るかという工程も見ることができます。
     
    ルネサンス(この場合は、ギリシャ、ローマ時代の古典文化を復興しようという運動。14世紀末から16世紀)の後、16世紀後半から、18世紀に起こりました。
    元々は「もとは曲線の多い装飾的な建築や装飾に侮蔑(ぶべつ)的に用いられた」そうです。
     
    バロック(バロック音楽の時代も同様です)の時代と、日本で織部焼きが評価を得だした時期が16世紀辺りというのも面白いのですが、人間は、自然(サイエンス)と、人間が造ったもの(アート)の間を行ったり来たりしているのかもしれません。
     
    ルネッサンス ギリシャ・ローマ的な「結構裸体や肉体美賞賛」
    バロック 「曲線が多く装飾的で重厚感がある」
     
    的に考えると、ルネッサンスは、スポーツクラブで筋肉を鍛えている皆さん、バロックは、地下のライブハウスにたむろするロックな人達、みたいに考えちゃいますね。
     

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    オレンジのさつまいも。
  • (五日目)シンメトリーとアシンメトリー その3

    それなら、神社の鳥居はどうなの?と言われたので、考えてみます。
     
    鳥居の起源には諸説あるので、いちいちは述べませんが、いずれにせよ、元々日本の神社というのは、木や岩や山自体がご神体だったりして、左右対称でなかったのです。
    また、天照大神が岩戸に隠れた時云々とういうのもありますが、当時の岩戸は岩穴を岩板でフタをしたものだと思うので、これもまた左右対称ではなかったでしょう。
    そして、仏教伝来とともに(聖徳太子の働き)、日本では仏教を重んじるようになりました。
    現在の「国家神道」は、明治維新以後のものなのです。一般的な「二礼二拍手一礼」も、実は明治以降に制定されたものなんです。
     
    明治政府が、廃仏毀釈などで仏教を弾圧したのは、徳川幕府が仏教を政治的に使っていたからでもあり、仏教は、明治政府にとっては「にっくき徳川のツール」だったので、日本の仏教界は、維新で苦汁をなめたのです。
     
    話を戻しましょう。
    日本人は「自然を崇拝しており、自然の摂理である”死”を受け入れてきた」ということです。
    それが「非対称性」あるいは「破対称性」指向になってくるのでしょう。
     
    そういえば、バロック・パールというものがあります。
    真珠は、完全球に近いもののほうが、価値があるとされていました。
     
    古代の日本人も、真珠を身につけていました(限られた人ですが)。
    私が小学生の頃まで住んでいた千葉市は、海沿いということもあり、近所に貝塚が結構ありました。
    古代の人々は、海の近くで貝を食べていたのです。その貝の中から、丸い美しい球が出てきました。それを飾り物にしたのです。
    彼らが完全な球を求めていたトは考えられません。勾玉(まがたま)は、胎児の形を模していると言われていますが、多分、完全な球などにはこだわらなかったのではないでしょうか。
     
    それが、西洋では、完全球に近いもので、色はピンクやクリーム色が珍重されていました。
    黒真珠や形がいびつな真珠は、わりと敬遠されていたようです。
    しかし、それに光が当たったのが「バロック」です。
     
    バロックの語源は、名前通り、歪んだ真珠、という意味のバロッコというポルトガル語だそうです。
     
    ちなみに、明治時代まで真珠は、自然界にあるものを採取していましたが、真珠の養殖に成功したのが、御木本幸吉です。
    伊勢にあるミキモト真珠島には何度も行ったことがありますが、真珠を養殖しようというのは、なんとも凄いアイディアだと思いました。それまで、自然にお任せ(貝が異物を飲み込んで、それを核として真珠ができる)していたものを、人間の手で核入れを行うようになったからです。
     
    ルネサンス(この場合は、ギリシャ、ローマ時代の古典文化を復興しようという運動。14世紀末から16世紀)の後、16世紀後半から、18世紀に起こりました。
    元々は「もとは曲線の多い装飾的な建築や装飾に侮蔑(ぶべつ)的に用いられた」そうです。
     
    バロック(バロック音楽の時代も同様です)の時代と、日本で織部焼きが評価を得だした時期が16世紀辺りというのも面白いのですが、人間は、自然(サイエンス)と、人間が造ったもの(アート)の間を行ったり来たりしているのかもしれません。
     

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    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」