そもそも、馬に
乗らなければ落馬しない。 馬に乗らなければ遠くに行く
ことはできない。
低いものを飛び越えるのも、高い場所に登るにも、ふ
やけた 生き方をしているのでは、失望も絶望もないけれど、極楽へ
繋がるかもしれない、静かな歓喜なる悦びも、味わえない。
昔、全身の連動性を勉強している時。
操体の醍醐味は、全身の連動性を理解し予測して導くことにある、と
考えて、連動のパターンを必死に記憶し実践していた。
そして、全身の連動性をある程度記憶し、実践学習した後のこと。
三浦理事長から、皮膚の接触による「渦状波®」を体感した。
この第3分析を学び始めた時、そのあまりにシンプルで特徴的な臨床
に、当時の私は、なかなか手をつけられなかった。
しかし、『いつかやらねばならぬ』と、その時を決め、それ以外では
臨床をし
ないと決め、修行の一環としてやり始めた。
それまでと異なり、感謝される結果もあれば、全くと言っていいほど
地味で即効性も薄いと言われたり、患者の理解は様々であった。
一時は、少しずつ少しずつ積
み上げてきた石が、最悪の事態になって しまったのでは、とワタシは焦った。
だが、このようなことを思ってい
る間はまだ最悪では無いのだろう。
土壇場で、見出せなかったエネルギーを奮い起こしたところにこそ、
生かされ、生きているその波動を修めるチャンスは秘められていた。
最大のピ
ンチと思っている時こそ、自分の存在的要素を一切捨てる。 患者の一言一句に囚われることなく、「からだ」の要求に適うこと。
そして逆転満塁ホームランの如き結果も、現象化されて当然となる。
操体は、繋がっていることを感じること。
何と繋がるかが問題で、それこそ、修業となる理由なのだ。
投稿者: karib_sotai
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終業しない修行⑥
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終業しない修業⑤
昔、月刊誌に文章を書く機会を得て、
原稿は非常に時間がかかり、 当時とても骨が折れたことがあった。
その原稿は掲載されても、金銭の報酬を得ることはなかった。
また何かの講演を頼まれ、 その報酬を受けないこともあったり、 その時は損した気分になったものの、操体の勉強を通じて学び、
知り合った方は、ワタシにこう言った。 「やらせてもらえるだけで、充分有難いじゃないですか」と。
いまや、丁稚奉公は死語となっている。
どんな御託をならべても、ハローワークでは通用しない。
たいした仕事もできないのに、時間を費やしたんだから、
その分 報酬をもらうのは当然、と「からだ」は想うだろうか?
欲深さは妄想。報酬やら財産に、心底満足するのは大変なのだ。
自分の身の程を知らず、逆に
自分の才能を不満に思っている者も 少ないことにこそ、問題があるのではないだろうか。
中国の諺にも、
「道が わかる気でいる時ほど 道に迷う事は無い」と言うらしい。道がわかる気になってしまったら、妄想とそう変わらない。
この世は、人生の幸福その有難味を感じてからこそ、修業だろう。
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終業しない修行④
(つづき)
またある時。
その有名な画家はある機会に、若い画家にも伝えた。
若い画家は自信を失っていた。
「私は力がなく才能に欠けていると思う」と愚痴を言った。
有名な画家は
断固として伝えた。 「力が足りないのではない、真剣さが足りんのだ!
懸命にやりなさい。 箒を持つのも重そうな若い奥さんでも、いざ火事となると、
タンスでも、
何でも持ち出してしまうではないか」と。 全く以て、そうなのだ。そのとおりなのだ。
生きることに、真剣さを持ち続けることができれば、
愚痴はおのずと少なくなってくるものだ。 操体の学問に「生かされし生命観」というものがある。
それは、橋本敬三師の哲学思想。
この「想念」を読み込み、臨床で実践し、感じて噛み砕き、
味わい飲み込んで、実践すること繰り返せば気付いてくる。
そのうち、よりよく生きているうちに愚痴は消えている。
実感としても、生かされていることに感謝ができるのだ。
毎朝、こう問い掛ける。
「おい!人生の主人公よ! 今も本気で生きているか?」
なによりも「生命」「からだ」にとって、素直でありたい。
(※有名な画家とは、故、横山大観氏)
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終業しない修業③
昔、操体の講習会が終わった後。
三浦理事長と食事を一緒にしているとき。
仕事の後に家事を手伝っていることが苦痛である、
と愚痴をこぼしたことがあった。
その時こう言われた。さっきからずっと、
岡村は愚痴こぼしているけれども気がついているか、と。
愚痴を聞かされている相手のことまで考えて、愚痴を話しているか、と。 目が覚める想いがして、脇から冷や汗が滴り落ちて、
とても申し訳なく感じた。 当時の自分自身は、操体の「想念」を学んで知っていても、
実践していなかった。 その後、こんな話を知った。
ある有名な画家を訪ねてきた、ベテランではあっても収入の少ない画家は、
自分の生活に愚痴をこぼした。その時、有名な画家は彼にこう伝えた。「食えない食えないと言って、食うことばかりにかまけていると、
将来、本当に食えない時が来る」 「食えなければ食わないで、勉強したまえ!
そうすれば、いずれは必ず、楽に食えるようになるものだ」と。このように考えてみても、修行にある一つの面として、
私たちは、 食べるために生きているのではなく、
生きるために食べているのだ。 修行の一面は、橋本敬三師の哲学思想。
「食」と「想念」の生き方の自然法則。
いつも、操体の学問修行していると、何故か見つかるのは不思議だ。
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終業しない修業②
(つづき)
「終業」は、ある分野の学問や技術を学ぶ課程を終わらせた
場合に使われるけれど、学びの深さに個人差はある。
そもそも「修業」の過程にこそ、人間に生まれた理由の一つ
だと、このように考えてみると面白い。
自分や他人のためになるからやってみたい、と分けて考えて
行動するなんて、植物や動物、細菌などには無いだろう。
ならば、生命と生命をわざわざ分ける理由なんて、ホントは、
必要ないんじゃないだろうか。
分ける為に生きるのか、それとも一つになりたいからなのか、
シンプルに感じてみたらいい。
人間も、この世で一番気持ちの良いことを、修業したいのだ。
人間の生命、その「修業」も「学業」の延長戦にある。
どこまでわかって「知っている」とか、「わかっている」と、
言っているのか。
理屈を捏ねても、始まらないのも修業。
生きている限り愉しめる。「操体」の創始者は放言している。
その、橋本敬三師の哲学思想に答えて生きて生かされたい。
と、いまだ操体で質問を続けている、私はここに今も在る。
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終業しない修業①
今週の担当は岡村です。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
今回のテーマは「しゅぎょう」。
「学校」の「卒業」はわかる。
「課程」の「修了」もわかる。
では、操体の修業にも終業はあるのだろうか。
思い返せば、平成11年の操師養成講座。
三軒茶屋での第一回講習会は、橋本哲学の「想念」からスタートした。
三浦理事長は、橋本敬三師の宗教観として、元々の生命は救われている、
これは「絶対的な神生」なのだよ、と語られた。
「帰一の法則」、死とは何か。
それは、みんな行くところだから良いところだろう。
一番、気持ちが良いところに帰るんだ。
橋本敬三師も、このように言っていた。
「この世は極楽でした。
私は先に祖神のもとに帰ります」と。
ワタシ自身、その時から橋本敬三師の
哲学思想にある「想念」を軸にしつつ
臨床を学んでいこう、と決めた。
なぜなら、この世、人生で残せるのは、
わたしたちが、なにを考え、
なにを「愛」してきたか。
たったそれだけなのだから。
(続く)
「終業」は、ある分野の学問や技術を学び取る課程を終わらせ
た場合に使われるけれど、学びの深さに個人差はあるだろう。
そもそも修業自体、人間に生まれた理由の
一つだと思う。
自分や他人のためになるからやってみたい、
というものは、植物や動物、果ては細菌など
生命を構成する細胞に、あるのだろうか?
生命と生命をわざわざ分ける理由なんて、
ホントは、必要ないんじゃないだろうか。
分ける為に修業しているのか、それとも
一つになりたいから修業したいのか。
人間の「修業」は「学業」の延長戦にある。
終わりと始まりが、もしあるとするならば、
どこまでわかって言っているのか。
なんて理屈を捏ねても始まらないのが修業。
そもそも、馬に
乗らなければ落馬しない。 馬に乗らなければ遠くに行く
ことはできない。 低いものを飛び越えるのも、高い場所に登る
にも、ふ
やけた生き方をしているのでは、 失望も絶望もない。
静かな歓喜なる悦びも、味わえない。
生きている限り愉しめる。
操体」の創始者は放言しているんだから、
橋本敬三師の哲学思想に答えていこうよ!
と、いまだ操体で質問を続けている、
私はここに今も在る。
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修業 その7
趣味のゴルフをしていていつも思う。
何で思い通りにスイングできないんだろう。
何でこの前は上手く出来たのに今日はできないんだろう。
しかし、ゴルフは面白くずっと続けられる。
操体もなんだかんだでずっと学び続けている。
毎回なぜ?に疑問を持ち、その回答を追い求め実行している。
ずっと飽きなく続けられることはなんて素晴らしいものなんだと思う。
一週間お付き合いいただきありがとうございました。
来週からは岡村さんが引継ぎます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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修業 その6
毎日操体の事ばかり考えているとずっとアンテナが張っているようです。
何か違和感がある。
これってどういうことだろう?
いつも見ているものが違って見える。
生活が変わり、生き方が変わってくる。
少しの変化でも毎日継続することができる。
そんな毎日を過ごすことも修業なんだと思います。
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修業 その5
理解している知識でもそれを人に伝えるは難しい作業です。
人に教えるということは自分がそれ以上に、
理解していないといけないことだと思います。
人に上手く伝えられないことは言い回しを変えたり、
別の例に置き換えたりなどしないと相手に理解していただけません。
そのような言い回しができるようになれば、
初めてそのことを理解したと言っていいかもしません。
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修業 その4
私事ですが先日の秋季フォーラムでアートについて発表させていただきました。
アートについて無知だった私はこのフォーラムのために、
わからないなりにいろいろと文献を読んだり、
実際に美術館や博物館などに足を運んでみました。
わからないことを一つ一つ知るという作業は非常に地道ですが、
わかればわかるほどにアートに関して興味が湧いてきました。
アートに触れるに連れて歴史に関しての知識がなければならないと実感しています。
一つのことをわかるためには結局は包括的な知識が必要なことにも気がつきました。
操体を通じていろいろなことがわかることは非常に愉しいことです。