終業しない修業⑤

昔、月刊誌に文章を書く機会を得て、原稿は非常に時間がかかり、

当時とても骨が折れたことがあった。

その原稿は掲載されても、金銭の報酬を得ることはなかった。

また何かの講演を頼まれ、その報酬を受けないこともあったり、

その時は損した気分になったものの、操体の勉強を通じて学び、

知り合った方は、ワタシにこう言った。

「やらせてもらえるだけで、充分有難いじゃないですか」と。

いまや、丁稚奉公は死語となっている。

どんな御託をならべても、ハローワークでは通用しない。

たいした仕事もできないのに、時間を費やしたんだから、その分

報酬をもらうのは当然、と「からだ」は想うだろうか?

欲深さは妄想。報酬やら財産に、心底満足するのは大変なのだ。

自分の身の程を知らず、逆に自分の才能を不満に思っている者も

少ないことにこそ、問題があるのではないだろうか。

中国の諺にも、
「道が わかる気でいる時ほど 道に迷う事は無い」と言うらしい。

道がわかる気になってしまったら、妄想とそう変わらない。

この世は、人生の幸福その有難味を感じてからこそ、修業だろう。