投稿者: karib_sotai

  • 修行・・・5

    おはようございます。

     

    修行とは、単に技術を身につけるだけのものではなく、精神的な鍛錬のようなものが伴い、技術を身につけた後も、何か精神的な支えになるようなものが残るものなのではないかと思います。

    その為に、良き師の指導を仰ぐ事も重要であります。

    技術を習得した後も、それをどう活かすか、応用するか、特定の一分野だけに限らず、生きている限り色々な困難というのはある訳ですから、そんな時、修行で得た精神的な支えのようなものは凄く役に立つと思います。

    その上で、困難な問題にも取り組み、それが、必然的にレベルアップにつながっていく。

    そうした事と行の積み重ね。

    だから、修行とは一生ものだと、よく言われるのかもしれません。

     

    2022年春季東京操体フォーラム
    2022年4月29日(金)祝日 
    ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)

     

     

  • 修行・・・4

    おはようございます。

     

    今回のブログのテーマは「修行」ですが、パソコンで「しゅぎょう」と入力し、漢字変換すると「修行」の他にも「修業」というのもでてくる。

    修業だとすれば、特定の技術を身につける為の意味合いが強くなってしまう。

    しかし、操体は技術だけ習得しようとしても、思いどおりにはいかない。

     

    見よう見まねでやってみたら、ビギナーズラックのようなかたちで凄い効果があったという話はよく聞く。

    しかし、いつも柳の下にドジョウがいるわけではない。

    操体法が優れたものであっても、技術・テクニックだけの習得を目指しても、そのうち行き詰まる。

    操体の臨床(操体法)は、独特の哲学、生命観を含めた操体というバックボーンがあってこそ真価が発揮される。

     

    技術・テクニックの習得だけを目指した業は、アンコの入っていないアンパンみたいなもので、それをアンパンと称して店頭に並べても、最初のうちは買ってくれる人はいるかもしれない。
    しかし、そのうち生業(なりわい)そのものが成り立たなくなってしまう。

    正しい行いを身につけてこそ、業が成り立つ。

     

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    2022年4月29日(金)祝日 
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  • 修行・・・3

    おはようございます。

     

    修業とは、厳しくとも耐え忍ぶもの。
    修業には我慢が必要だとよく言われる。

    我慢が必要?

    操体を修行中の身としては、この「我」と「慢」がどうも気になる。

    我は自分本位の考えにもつうじるし、慢はあなどる、おこたることを指し、高慢や傲慢にもつうじ、他人と比較して思いあがる事をいうのだという。

    仏教では「俺が、俺が」「自分が自分が」という利己的な心を我慢と言っているとも聞いた事がある。

    本来は我慢が必要なのではなく、自分の心の中の我慢に気づく必要があるという事であり、気づくことで自分を律するという事なのではないだろうか。

    だから「我慢しろ」というのも「我慢を律せよ」と解釈すれば辻褄が合うように思える。

     

    しかし、我慢を律するといっても、具体的にどうしたらいいのか分かりづらい面はあると思う。

    そこで思い浮かぶのが「ばるの戒め」です。

    操体の教えの中には「頑張るな」「欲張るな」「威張るな」「縛るな」という4つのばるの戒めというものがある。

    この4つの言葉を自分の中に持っていれば、我慢を律する事にもつながると思うのであります。

     

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  • 修行・・・2

    おはようございます。

     

    痛みやつらさを識る必要はある。
    これは、昨日書いたことと矛盾するようですが、大切な事だと思うのです。

     

    今回のブログのテーマが「修行」と聞いた時、白装束で滝に打たれる場面が、ふと思い浮かびました。

    この滝行にしても、痛みやつらさが感じられるから意味があるのだと思います。

    もし、たいした事ではなく「こんなのへいちゃらだ」というものであったら、やっている事が次に、他の場面に活きてこないと思えるのです。

     

    感じる事が重要。

    自分の身体に痛みやつらさを与える経験をすればいいのではなく、それをどう感じるか。

    これは、臨床家には重要な事だと思います。

    人の痛み、つらさがわからなければ丁寧な接し方は出来ない。

    だからといって、同じ様な痛みやつらさを経験しようと自分自身を傷つけるような事をしていては、自分の身心が持たなくなる。

    大事なのはどう感じるかであり、どう感じ取れるようになるかも修行なのだと思います。

    また、感じ方に焦点を当てれば、特別なシュチュエーションなど設けなくとも、日常生活そのものが修行の場となるのではないでしょうか。

     

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  • 修行・・・1

    おはようございます。

     

    実行委員リレーブログ、今週は友松の担当となります。
    どうぞ、宜しくお願いいたします。
    今回のテーマは「修行」ということでリレーしています。

     

    修行というと、つらく厳しいものをイメージする方も多いと思います。

    心身、特に精神性を高める為に、自分のからだがつらさを訴えていても、それを自分の甘えや弱さと受け止め、耐性を高めるような考え方で、何かしらの修練を積んでいく。

    そして、その先には何かしら尊い悟りがある。

    そんなイメージではないでしょうか。

     

    しかし、操体の創始者である橋本敬三先生は「痛む、ツライからは逃げていい」というようなことを仰っていたという。

    これは「ツライから、もう嫌だ」と中途半端に直ぐ投げ出すような精神性や、いい加減な態度を良しとしているのではない。

    痛む、ツライはからだのサインや警告であり、その修練の中での行い、特に身体の使い方、動かし方に問題があり、警告を無視すれば修練の継続はおろか、そのうち壊してしまうので、無理をとおさず、そちらの問題を改めていこうという捉え方。

    からだに無理を強いて、自分の目標を達成させようとするのではなく、からだと共に行いの質を高めながら、修練を積み重ねていく姿勢。

    修行には、そうした姿勢も必要だと思うのです。

     

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  • 道中いったりきたりの記7

    何かを「身につける」ために、以前は繰り返しのなかで

    学習している実感が多くありました。

     

    今でも「身につける」ということについて

    何度となく考えます。

    これだけ学び続けていても、いまだに身についていないことを

    痛感することも相変わらず多々あります。

     

    一方で、矛盾するようですが、最近は身についたものをおとすようなことが

    必要な場面にも多く遭遇するようになりました。

     

    学びの中で変わるものがあり、そのことに対応しているということもありますが、

    そこに訪れている変化が、より「からだ」の素直な学習の結果から生まれているもので、そのことを学習しているときは、からだからいただいている情報のなかで、学びなおしている実感があります。

     

    すでにからだのなかにあり、

    それを確認することがまた新鮮な身につける学習となっている。

     

    「からだ」を身近な「師匠」の様に慕い、

    今まで身につけてきたものを、ひとつひとつ確認しているようです。

    いったりきたりは続きますが、今はこれがたしかなことだと感じています。

     

    一週間ありがとうございました。

    明日からのブログは友松実行委員にバトンとタスキを渡して続きます。

    どうぞ、おたのしみに。

     

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  • 道中いったりきたりの記6

    修業、修業、修業・・・。

     

    なぜだかわからないのですが、昔からこの「修業」というものに

    興味を抱いていて、憧れる部分がありました。

     

    例えば、こどもの頃から読んでいる漫画のなかには数々の「修業」の場面が登場していましたが、グッとくる修業のシーンは繰り返し繰り返し読み齧っていました。

    小説、映画、ドキュメンタリー、自伝、エッセイ、芸談なども好みです。

     

    今思い返せば、生前の父親が修業好きな人だったのではないかと感じます。

    家にいる時は、大抵、生涯現役で学んでいた雅楽の龍笛の稽古か、書道のために黙々と静かに時間を費やしているタイプの人でした。

     

    そういう生き方をしている存在が身近に、そして当たり前のようにいたので、

    何かのことをひとつやり続けることが生活に含まれている感じに、自然と興味が沸いたのかもしれません。いつかは自分も、何かを学び続けるのかもしれないと、そんなことを、こどもながらに感じていたのかもしれないです。

     

    いつも学びの先をみている師匠、またその師匠を感じながら学びの道を歩んでいる先輩、そして同志のひとりひとりが、いまは身近にいます。

    何かを学び続けているひとが身近にいてくれるというのは、ありがたいなと思います。

     

    修業そのものに興味がある部分もありますが、どんな日常を送っていても、学び続ける人の存在を身近に感じながら生活をしていたい、という気持ちがあるのではないかと今は感じています。

     

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  • 道中いったりきたりの記5

    日常生活のなかで、このからだというものが「重いなぁ」と感じることがある。

     

    修業中の身ゆえに、与えられている特権かもしれないけれど、

    「これも修業」というマジカルワードを唱えると、

    動きやすくなる感がある。

     

    この重さを感じながら、「えいや、」と立ち上がり、

    動くに前向きになるスイッチが入る。

    先日投稿した禅僧の言葉のように、

    修業のスイッチを入れること、確認することのようなものかもしれない。

     

    この呪文に少し言葉を追加して、

    「これも修業でありがたい」と感じると、

    からだの重さの質感がまた変わる。

    重さの質が変化して、軽くなるような感じがある。

    さっきまでの重さ、あれはなんだったんだろうか。

     

    この「感謝」というこころの働きと、

    からだのことを重く感じていることは、

    無関係ではないように感じている。

     

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  • 道中いったりきたりの記4

    一度丁寧に作り上げたものを、一回分解してまた作り直す。

    こういう「やりなおし」もどうも苦手なこととして過ごしてきた。

     

    でも、勉強を続けていると、この作業こそ必要なことのように感じられてくる。

     

    近年、注目されている、からだのなかで起こっている「オートファジー」という現象がとても面白い。

     

     

    このプロセスでは細胞内のたんぱく質における合成と分解が、このからだが動かなくなる日まで、何度となく営まれている。そして、この過程が寿命と老化、免疫を左右する要因にも繋がっているらしい。

     

    細胞で営まれているこのオートファジーを見習えば、「作りっぱなし」は老化に繋がっていくものとも考えられる。同じもののように思えても一旦分解して、再構成することには大きな意味がある。それが小さな細胞のひとつひとつで起こり、全体としての長寿にもつながる。本当に興味深い。

     

    「学び方」にもイノチの永い学び方と、そうでない学び方があるのかもしれない。

    そして、よくよく考えてみれば、うちの師匠なんて、まさにオートファジーの如く、分解と合成を繰り返す学び方の人だ。いつまでも若々しい学びのなかにいる。

     

    だから操体という学問も、今も進化をし続けていられるのだと思う。

     

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  • 道中いったりきたりの記3

    書いては消しての繰り返し。

    さっき「通った」ばかりのところなのだけど、

    見逃していたことがあることに気が付いて、数秒後にまた逆戻り。

    それも、笑ってしまうくらい、何度も何度も反復、往復。

     

    一度で済ませればいいものを、一回で気が付いておけばいいものを、

    短い距離感でなんだか随分と余計な動きをしているなぁと思う。

    嗚呼、繰り返し、繰り返し。

     

    そういう場面。

    「億劫だなぁ」と感じながら、でも「あぁまた来たか」とも感じることが増えた。

     

    ツルツルとしているところに、傷がついて、

    少しだけ何かが刻まれる。

    次に思い出す時のきっかけになってくれる、「溝」がうっすら彫られていく。

     

    記憶に残らないことが本当に多い中で、

    うっすらとでも記憶に残る体験を味わっているのだと思う。

     

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