今週一週間は三浦寛が担当いたします。
- 今、このいのちがあって良かったと思えるのが、修業である。
- ものごとの裏表がみえてくるのが、修業である。

修行というのは「継続」ですよね。
操体を学び始めてから、途切れることなくずっと学び続けていますが、自分は環境にも恵まれてるんだなとつくづく思います。
そして、何故続くのかというと「好き」だからなんですね。これが。
以前、操体講習の受講生に「どうして操体勉強するの」と聞いたところ、
・自分でケアできるから(うん、そうだね)
・人に感謝されたいから
・手に職をつけて老後に備えたいから
・人を癒したいから
など、いろんな話を聞きました。
私が思うに、操体の勉強が一番長続きするのは「操体を覚えればトクをする」(確かに損はしないと思いますが)とか「人を癒したい」(結局は人に感謝されたいのかな。でも、人の役に立ちたいという志を強く持っている人は確かにいますね)というよりも
「なんかしらんけど、好き」ということではないかと思います。
操体法東京研究会とか、東京操体フォーラム以外でも、操体を学んでいる方は数多くいらっしゃいますが、本当に好きな方は「長い」です。
傍目に見ても、損得勘定とか、自己顕示欲のために操体をやっている人はあまりいないよね、と、感じます。
好きこそものの上手なれ?
というわけで、1週間ありがとうございました。
明日からは三浦寛先生の担当です。
畠山裕美

修行ではないですが、結構1つのことを続けるのが好きです。
一旦好きになったら大抵のことでは投げません。
フォーラム実行委員をみているとそう思います。
よく、いろんなことをやってますね、と言われますが、
易は「八卦」で操体に通じますし、カウンセリングなどは、「想」に通じます。
私の趣味的なものは、殆ど操体に繋がっているのです。

「イサキ」という操体関係の小冊子があります。
この前、私の先輩に当たる方が思い出を書いていました。
その先生は、三浦先生の講習を受けた方ですが、当時も「講習を全部終える人は少ない」と書いてありました。
今も昔もそうなんですね。
非常に残念なのは、友松さんも書いていましたが、あんパンでも肉まんでもなんでもいいんですが、皮だけ食べて、肝心のアンコを食べずに「これが操体だ」ということで、学びを終えてしまうことが多いことです。
人によっては色々事情もあるでしょうが、そういう人がブラッシュアップするところが
「塾操体」とか「東京操体フォーラム」なんですね。





おはようございます。
♪どこまでも、まっすぐに進んで~
同じところ、ぐるぐる回って~
星も無い暗闇で~ ♪
もう20年以上経ちますが、操体と出会う前の手技療法を色々と模索しながらの修行中に流行っていたであろう曲の一部です。
流行っていたであろうとしているのは、私はこの当時、暇さえあれば色々な本を読んでいた時期であり、テレビやラジオなど全然見聞きしていなかったので、どこでこの曲を聞いていたのか覚えがないのです。
しかし、あの独特の魂が揺さぶられるような歌声と「どこまでも、まっすぐに進んで、同じところ、ぐるぐる回って、星も無い暗闇で…」という歌詞が心地よく耳に留まり、暗中模索の状態だった私の心を奥から癒してくれていたように思います。
当時の私の心の表層には、いつも焦りがあったように思えます。
真っすぐな気持ちはあっても、やっている事に自信がなく、あれもこれもと手を出しては「これでいいのだろうか?」と迷い、進捗のない状態に苛立ちと不安をかかえる毎日。
暗闇で同じところを、ぐるぐるまわっているだけなのではないか?という思いも募っていました。
しかし、それは自分の欲と表面的な理想意識がそう思わせていたのであり、同じところをぐるぐるまわっているだけに思える時間も、無駄ではなく大切な時間だったのだと思います。
「なまじインスタントなやり方で成果を収めても仕方がない」心の奥底のからだとともにある自分自身は、そう思っていたのだと思います。
その御蔭で、操体とも出会えたし、良き師や共に学ぶ良き同志にも巡り合えたのだと思います。
もしかしたら、操体が迷える私にとって、光を照らす海神の木だったのかもしれません。
真っすぐに強く進むには回転も必要。
回転する事で、まわりの空間の力を借りて、もっと前に進めるようになる。
回転するには軸が必要であり、それが操体の学び。
そして、その空間には良き師、共に学ぶ良き同志の操体への想いがある。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
来週は畠山裕美先生の担当となります。
どうぞ、おたのしみに。
友松 誠。
2022年春季東京操体フォーラム
2022年4月29日(金)祝日
ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)
おはようございます。
修行には、技術の習得、精神的な鍛錬の他に、身心ともに健康に導くような面がなければならないと思うのです。
それでこそ長く続けられる。
先ごろ行われた冬季五輪の女子フィギュアスケートでは、ドーピング問題がクローズアップされていた。
新聞によると、問題の渦中にいた15歳の選手のコーチは、練習場を工場、選手を原材料と呼び、私生活まで徹底した管理指導をしていたという。
また、若い選手たちを賞味期限のある消耗品と呼んでいたともいう。
そして、テレビ局のインタビューでも「厳しく指導しなければメダルなどとれない。選手が私の思いどおりにパフォーマンスしないと、とても悔しく感じ叱りとばす」と話していたという。
オリンピックでメダルをとるのは凄い事であり、その為の指導も厳しいものになると思われる。
しかし、指導する側が練習場を工場、選手を原材料とか賞味期間のある消耗品とする考え方はどうかと思う。
ドーピング問題も起こるべきして起こっているようにも思えるし、以前に指導を受けた選手の選手寿命が短いのも気になる。
どういうやり方、取り組み方をしているのかは解らないが、修行というイメージには結びつかない。
修行には、人間が人間をコントロールする面もあるだろうが、もっと何か自然とのつながりとか、自分自身の中の自然とか、自然の叡智を受け取りながら人間本来の能力を高めるものがあると思う。
2022年春季東京操体フォーラム
2022年4月29日(金)祝日
ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)