投稿者: karib_sotai

  • 修業(なすことを、おさめる)初日

    今週一週間は三浦寛が担当いたします。

     

    • 今、このいのちがあって良かったと思えるのが、修業である。
    • ものごとの裏表がみえてくるのが、修業である。

     

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  • 修行★七日目

    修行というのは「継続」ですよね。

    操体を学び始めてから、途切れることなくずっと学び続けていますが、自分は環境にも恵まれてるんだなとつくづく思います。

     

    そして、何故続くのかというと「好き」だからなんですね。これが。

    以前、操体講習の受講生に「どうして操体勉強するの」と聞いたところ、

    ・自分でケアできるから(うん、そうだね)

    ・人に感謝されたいから

    ・手に職をつけて老後に備えたいから

    ・人を癒したいから

     

    など、いろんな話を聞きました。

    私が思うに、操体の勉強が一番長続きするのは「操体を覚えればトクをする」(確かに損はしないと思いますが)とか「人を癒したい」(結局は人に感謝されたいのかな。でも、人の役に立ちたいという志を強く持っている人は確かにいますね)というよりも

    「なんかしらんけど、好き」ということではないかと思います。

     

    操体法東京研究会とか、東京操体フォーラム以外でも、操体を学んでいる方は数多くいらっしゃいますが、本当に好きな方は「長い」です。

    傍目に見ても、損得勘定とか、自己顕示欲のために操体をやっている人はあまりいないよね、と、感じます。

     

    好きこそものの上手なれ?

     

    というわけで、1週間ありがとうございました。

    明日からは三浦寛先生の担当です。

     

    畠山裕美

     

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  • 修行★六日目

    修行ではないですが、結構1つのことを続けるのが好きです。

    一旦好きになったら大抵のことでは投げません。

    フォーラム実行委員をみているとそう思います。

    よく、いろんなことをやってますね、と言われますが、

     

    易は「八卦」で操体に通じますし、カウンセリングなどは、「想」に通じます。

    私の趣味的なものは、殆ど操体に繋がっているのです。

     

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  • 修行。。5日目

    「イサキ」という操体関係の小冊子があります。

    この前、私の先輩に当たる方が思い出を書いていました。

    その先生は、三浦先生の講習を受けた方ですが、当時も「講習を全部終える人は少ない」と書いてありました。

     

    今も昔もそうなんですね。

     

    非常に残念なのは、友松さんも書いていましたが、あんパンでも肉まんでもなんでもいいんですが、皮だけ食べて、肝心のアンコを食べずに「これが操体だ」ということで、学びを終えてしまうことが多いことです。

     

    人によっては色々事情もあるでしょうが、そういう人がブラッシュアップするところが

    「塾操体」とか「東京操体フォーラム」なんですね。

     

     

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  • 修行【四日目】

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    私も「よくやってくれるんですよ。ホホホ」的に嬉しいです(役得)。
     
    これは、三浦先生の指導のタマモノだと思います。
     
    私が昔勤めていた会社には、東大卒の方がいて、「いわゆる東大です」と、なぜか「いわゆる」をつけちゃう人でした。
     
    なんで東大出の人は「いわゆる」って言うんですかね。
    私自身、現在東京大学にも籍(学生ではない)を置いていますが、「いわゆる」っていう人はいませんが。。。
     
    その会社では、お昼にお弁当を取るので、皆デスクでお昼を食べるのですが、私は隣に座っていて、その人が「犬食い」をするのを毎日見ていました。
     
    「東大出でも、犬食いをするヤツはする」と学習しました。
     
    アタマはいいかもしれませんが、お母さんがご飯の食べ方は教えてくれなかったんですね。
     
    妻子もいる方でしたが、奥さんは注意しないんでしょうか。
    弁の立つ方だったので、仏教の話をすれば私よりも詳しかったんでしょうが、犬食いをする人に、上から目線で仏教の話をされてもなあ、と思います。
     
     
    アタマが良くて口も達者だけど、犬食いとか、よそんちの玄関(自宅ならばまだしょうがないなと思う)で靴を脱ぎっぱにするのはねえ。
     
    と言う私も、三浦先生にはしっかり鍛えられました(人のことはあんまり言えない笑)。
     
    大人になってから、改めて「修行」っていうのは、結構いいものだと思います。
    大人になると、厳しいことを言ってくれる人がいなくなったりするし、かといって親に何か言われると、正論が故に逆にイラッとするとか。
     
     

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  • 修行【三日目】

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    この時は、朝昼晩の坐禅と、日中の勉強と作務がみっちりありました。
     
    さて、この前博多の新部健太郎顧問とも話をしたのですが、それまで「ビジネス一徹」だった会社員の方が、定年が近くなると何故か仏教と司馬遼太郎が好きになるという説がある、という話です。
     
    私の周囲にもいましたが(キミ、仏教なんて興味ないよね的に決めつけて言ってくる)。。アレって何故なんでしょ。
     
    印象的だったのは、食事です。
    食べる人、お給仕する人の役割が明確に分けられており、食事時の作法もかなり(敢えて厳しくしているそうですが)です。
     
    普段は家で食器なんか絶対下げたりしないんだろうな的なオジサマが馴れない手つきで給仕をしていたり、音をたてて食事をして、指導役の和尚さんに怒鳴られたりしていました。
     
    多分「司馬遼太郎が好きになる的」な感じで仏教に興味を持ったので「机上の仏教」
    に憧れたのかもしれません。
     
    つまり、修行もしてないのに「無とは何ですか」的な質問をしちゃったりするような。
     
    会社では、若い社員に「仏教ってさ」とか説教こいてたのかもしれません。。。
     
    操体で言えば、般若身経ができていないのに「渦状波教えて下さい」というようなものです。
     
    ちなみに、何が言いたかったかというと、操体を学んだ過程で、私自身は三浦先生が体験した「温古堂での修行」を追体験していたので、お寺での修行もそんなにビビらなかったということでした。
     

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    深川不動尊。
  • 修行(二日目)

    東京国際仏教塾」に参加しました。第30期生ということで、100名近くが参加していました。
     
    なお、仏教塾は元々「60歳過ぎたら皆得度しよう」的な活動から始まったものなので、参加者の殆どは60歳以上の方です。なので、厳しいので有名な永平寺の修行などとは比べものにならないくらい「ユルい」ものです。
     
    私は恥ずかしながら「薪で風呂を沸かす」というのが初めてだったので、薪に火を付けるのに手間取ったりしました。
     
    覚えているのは、日蓮宗のお経がかっこ良かった(スミマセン)のと、関連書籍の販売に池上本門寺からやってきた出版部の若いお坊さんが2人ともイケメンだったことです(スミマセン)。。

    まあ、概してお坊さんは声のいい方が多いのは事実です。
    昔から「お坊さんモテ伝説」ってありますよね。。
     
    これがGWの頃の話で、その後、新宿の南口付近にある、浄土真宗光明寺の瑠璃光院で、浄土真宗の勉強をしました(修行というよりは勉強という感じ)。
     
    こちらには、最新式の納骨堂があります。カードを提示すると、自動的にお骨が入った箱が運ばれてきて、お参りができるシステムです。
     
    最初は「お墓がこうなるの?」と思いましたが、実際に見てみると
    お墓の掃除や、遠方への墓参を考えたら結構いいかも。。と思いました。なお、核家族で、お参りする人がいなくなってしまったら、お骨は岐阜の光明寺本山に持って行って永代供養してくださるそうです。
     
    世の中、体験してみなければわからないことってたくさんありますよね。
     
    イメージ的には、日蓮宗はロック(お坊さんがいい声だった)、浄土真宗は日本語のオペラ、みたいな感じでした。
     
    修行とは言えない修行ですが、非常に勉強になりました。
     

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  • 修行と修業(初日)

    友松さん、一週間ありがとうございました。こんにちは。畠山裕美です。
    1週間よろしくお願い致します。
     
    【修業(しゅうぎょう)】学芸を習い修める
     
    【修行(しゅぎょう)】仏道を修める
     
    「修業」は、シュウギョウと読み、学校などで決まった教育を受けることによって学術・技芸を身に着けることを意味します。
     
    「修行」は、シュギョウと読み、仏教において、悟りの境地にいたるために精神的・肉体的な苦行を積み重ねることを意味します。また、学問・芸術・武術などにおいて自分の技術を磨くために研鑽(けんさん)を積む意味にも用いられます。後者の意味で「修業(しゅぎょう)」の語を用いることもあります。
     
    操体を学ぶにあたって、私の中では「修行」的側面もあるな、と思ったりします。
     

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  • 修行・・・7

    おはようございます。

     

    ♪どこまでも、まっすぐに進んで~

     同じところ、ぐるぐる回って~

     星も無い暗闇で~ ♪

     

    もう20年以上経ちますが、操体と出会う前の手技療法を色々と模索しながらの修行中に流行っていたであろう曲の一部です。

    流行っていたであろうとしているのは、私はこの当時、暇さえあれば色々な本を読んでいた時期であり、テレビやラジオなど全然見聞きしていなかったので、どこでこの曲を聞いていたのか覚えがないのです。

    しかし、あの独特の魂が揺さぶられるような歌声と「どこまでも、まっすぐに進んで、同じところ、ぐるぐる回って、星も無い暗闇で…」という歌詞が心地よく耳に留まり、暗中模索の状態だった私の心を奥から癒してくれていたように思います。

     

    当時の私の心の表層には、いつも焦りがあったように思えます。

    真っすぐな気持ちはあっても、やっている事に自信がなく、あれもこれもと手を出しては「これでいいのだろうか?」と迷い、進捗のない状態に苛立ちと不安をかかえる毎日。

    暗闇で同じところを、ぐるぐるまわっているだけなのではないか?という思いも募っていました。

    しかし、それは自分の欲と表面的な理想意識がそう思わせていたのであり、同じところをぐるぐるまわっているだけに思える時間も、無駄ではなく大切な時間だったのだと思います。

    「なまじインスタントなやり方で成果を収めても仕方がない」心の奥底のからだとともにある自分自身は、そう思っていたのだと思います。

    その御蔭で、操体とも出会えたし、良き師や共に学ぶ良き同志にも巡り合えたのだと思います。

    もしかしたら、操体が迷える私にとって、光を照らす海神の木だったのかもしれません。

     

    真っすぐに強く進むには回転も必要。

    回転する事で、まわりの空間の力を借りて、もっと前に進めるようになる。

    回転するには軸が必要であり、それが操体の学び。

    そして、その空間には良き師、共に学ぶ良き同志の操体への想いがある。

     

    www.youtube.com

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    来週は畠山裕美先生の担当となります。
    どうぞ、おたのしみに。

    友松 誠。

     

    2022年春季東京操体フォーラム
    2022年4月29日(金)祝日 
    ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)

  • 修行・・・6

    おはようございます。

     

    修行には、技術の習得、精神的な鍛錬の他に、身心ともに健康に導くような面がなければならないと思うのです。

    それでこそ長く続けられる。

     

    先ごろ行われた冬季五輪の女子フィギュアスケートでは、ドーピング問題がクローズアップされていた。

    新聞によると、問題の渦中にいた15歳の選手のコーチは、練習場を工場、選手を原材料と呼び、私生活まで徹底した管理指導をしていたという。

    また、若い選手たちを賞味期限のある消耗品と呼んでいたともいう。

    そして、テレビ局のインタビューでも「厳しく指導しなければメダルなどとれない。選手が私の思いどおりにパフォーマンスしないと、とても悔しく感じ叱りとばす」と話していたという。

     

    オリンピックでメダルをとるのは凄い事であり、その為の指導も厳しいものになると思われる。

    しかし、指導する側が練習場を工場、選手を原材料とか賞味期間のある消耗品とする考え方はどうかと思う。

    ドーピング問題も起こるべきして起こっているようにも思えるし、以前に指導を受けた選手の選手寿命が短いのも気になる。

    どういうやり方、取り組み方をしているのかは解らないが、修行というイメージには結びつかない。

    修行には、人間が人間をコントロールする面もあるだろうが、もっと何か自然とのつながりとか、自分自身の中の自然とか、自然の叡智を受け取りながら人間本来の能力を高めるものがあると思う。

     

    2022年春季東京操体フォーラム
    2022年4月29日(金)祝日 
    ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)