どちらが図と地?
本日で最終日になりますが、最近は人体における裏と呼ばれる部位に注目しています。
例えば手掌や足の裏と呼ばれる部位。
これらには臨床における重要なヒントが隠されているようにみえます。
筋肉の圧通膏血だけでなく皮膚の柔軟性や色、体温を診るだけでも、その人の生き様を垣間見ることが出来るのです。
また私自身の体感としてはそういった裏と呼ばれる部位に意識を向けることで、そこからききわけられるからだの声も大事なメッセージとして受け取っています。
いうならば
「からだという人格者の意識と心は私達が日常の中で意識が行き届きにくい部位にある」
ということです。
一週間お付き合い頂きありがとうございました。
来週からは半蔵さんが担当致しますので愉しみにしていてください。
昨日のブログの補足になりますが、操体の臨床における施術者が見るべき患者の変化は動きと呼吸、そして意識と感覚です。
この4つの変化が同時相関相補し合う関係にあり、ひとつの変化すれば他の3つも時間の経過と共に変化するという捉え方です。
これらは患者本人が意識することの出来る表面的なもので、その裏でからだがしてくれていることにも着目しなければなりません。
例えば私達が生きることにおいても常に共にしているリズム。
動きのリズム、呼吸のリズム、睡眠のリズム、生活のリズム。
これらのリズムがからだが要求しているリズムと合っているのかどうかも操体の臨床では着目しなければならないことだと思っています。
こういったこと以外にも診るべきことがありますが、アプローチの窓口がたくさんあるのも操体の凄さでもあります。
最後になりますが、大事なのは痛みや訴えている症状の改善にも努めていますが、それは目的ではなくプロセスのひとつだということを認識すること。
その先にはからだとの信頼関係を築いていくことがある。
私達はそれを成すために私達を生かしてくれている様々なものからメッセージを受け取り、そしてアプローチしている。
先日、長年操体の臨床を受けている知人に施術をしました。
彼女は臨床の後にこんなことを言っていました。
「最初(当時)は足を揉んでもらっても、首に触れられても、何をしているのか分からなかった」
「でもいつか電車の中で少しの時間手を揉んでもらった時に、はじめてきもちのよさが理解出来て、そこからマッサージに行っても強い刺激を求めなくなった」
「マッサージも行くことも少なくなったし、操体で自分とからだが変化するということも実感できるようになった」
「また最近何事もからだに相談するようになった」
というようなことを当時の感想から近況までさまざまなことを伝えてくれました。
この言葉を聞いて彼女のからだを形成するさまざまなものの変化があって、それが結果的に生き方の変化に繋がっているのだと感じました。
その変化とは表面的に目に見えるもの、意識出来るものもあれば、本人の意識には遡らない裏の変化もある。
その表と裏の変化に対しからだは何らかの形でメッセージを送ってくれる。
その声に気付けるようにすることが私達臨床家の努めである。
臨床の世界に足を踏み入れてから「痛み」というものは一体何なのかをずっと問いかけています。
最近の臨床でも痛みはからだの様々な情報を被験者と操者に教えてくれることを実感しました。
そのわかったこととは
痛みとはからだの意志から発せられるものであるということ。
痛みが無痛に変化するプロセスの中で本人の意識も変化するということ。
私達操体の臨床家は痛みを改善することが目的ではないということ。
痛みはからだからのメッセージを受け取るためのひとつの窓口であるということ。
このような捉え方をしていくと痛みというものにも表と裏のメッセージがあるということがわかります。
その裏のメッセージをからだを通じて理解し、向き合っていくことが大切なことのように思います。
操体の講習では実技、そしてからだを背面から見ることが多かったように思います。
現在になって考えてみると、背面からの世界は人がどのようにからだと向き合っているのかを教えてくれるということも理由のひとつであったように感じています。
いつもブログで書いていることですが、操体の臨床家として診断の中で最も大切にしていることが
「からだの動きにおける自然な動きと不自然な動き」
この違いを見抜くことです。
またそれを別の言葉で表現するならば
「からだの動きなのか、自分の動きなのか」
ということです。
この2つの違いが見抜けるようになると、その人がからだからのメッセージをどのようにうけとっているのかも見えてくる。
からだの動きによって表現される世界はその人自身の生き様を忠実に表している。
日々からだと向き合っているとからだにも意志と意識があるように感じています。
例えば「歩く」という動作を細分化してみる。
左足を一歩を踏み出すという自分の意識と同時に右足の踵は自ずと浮く。
そして両膝の裏筋が自ずと緩む。
そんなことをいちいち本人は意識していない。
しかしからだは自然にそういった動作を表現してくれている。
その理由はからだにも私達と同じように意識と「正当にからだを使う」という意志があるからだと思う。
そのからだの意志の下、からだの意識は私達がからだを使う動かすことにおいて足りないものを補完してくれている。
からだからのメッセージとはそういったからだの意志から発せられるものであり、正当なからだの使い方をするために必要なメッセージが裏に潜んでいる。
三浦先生、一週間ありがとうございました。
本日から三浦寛幸が担当致しますのでお付き合い下さい。
今回のテーマは「うらおもて」となります。
先日臨床の中で疑問に思ったことがあります。
からだの「表と裏」ではなぜ筋肉や皮膚の厚み、そして表情が異なるのかということです。
胸、腹部と背中、足背と足底、手背と手掌、膝と膝の裏・・
これらの様々なからだの部位は表と裏でひとつなのにそれぞれ全く異なる性格と表情を持っている。
これらを触診してみると表側よりも裏側の方が難易度が高いようにみえます。
それはからだの裏と呼ばれる部位には圧通、膏血を「隠す」という性格があるということが理由のひとつとして挙げられます。
それが時間の経過と共に私達施術者、そして本人が自覚出来るように顔を出してくれる。
そういったからだの表情や表現してくれることもからだからのメッセージのひとつです。
そのメッセージに気が付くことがからだと良い関係を築いていくことにおいて大事なことのように思います。