投稿者: karib_sotai

  • わたしにとっての、からだにとっての1

    おはようございます。

     

    からだ瀧澤さん、7日間の投稿ありがとうございました。

     

    アフターフォーラムの本日から、

    テーマ「はじめての操体法」を引き継いで寺本が担当致します。

    よろしくお願い致します。

     

    操体を知る前のわたしは、自分にとって、どんな「情報」が必要か、

    そのことに頭がいっぱいだったような気がします。

     

    例えば、頭痛や肩こり、疲れに悩まされていた私に、

    知人が「これいいよ」と教えてくれた、マッサージやサプリや治療法などを

    試してみては、その日その日をなんとかこなしていく。

    そんな風に、毎日を過ごしていたように思います。

     

    自分に必要な情報を「本」やネットの情報の中に探していた面もありました。

     

    当時は「健康」という意識は微塵もない生活をしていたのですが、いま振り返れば、身体と心の両面についての健康を模索していたのだと思います。

     

    はじめて操体を学び始めたとき、目から鱗のような世界を感じました。

    それまで、「自分にとって」という視点で情報を求めていたところに、

    「からだにとって」という新しい眼差しが生まれたからです。

     

    色々な情報に迷っていた私でしたが「このことがききたかったんだ」と、

    強く納得した瞬間があったのを憶えています。

     

    (続く)

  • はじめに「からだ」が在る、ということ⑦

    学べば学ぶほど軽くなっていく。

     

    ほんとうに必要なものはもう満ちて在ることに気づいていけるから。

     

    自ずとそうなっていることに感謝できるから。

     

    「からだ」が操体法をとおして感じさせてくれる。

     

    「わたし」が操体法をとおして感じとっているだけでなく、

    「からだ」が操体法をとおして感じさせてくれる。

     

    「からだ」はどんな状態であっても、空間と調和をはかってくれている。

     

    「からだは」どんな状態であっても、快そのものを表現してくれている。

     

    透き通っている「からだ」のどこまでも見届けてくれる目線が在る。

     

     

     

     

    重なる「吸気」と「うごき」と「リズム」。

     

     

    重なる「感覚」と「意識」と「言葉」。

     

     

    重なる「空間」と「からだ」と「わたし」。

     

     

    重なる「愛」と「快」と「感謝」。

     

     

    はじめて操体法にふれる方も、そんな「うつわ」でできている。

     

     

     

     

    一週間のお付き合いに感謝致します。

     

    今日は春季東京操体フォーラムです。

     

    「からだ」から「からだ」に伝わる間(ま)を経て、

    明日からは寺本さんです。

     

    どうぞ、おたのしみに。

    www.tokyo-sotai.com

  • はじめに「からだ」が在る、ということ⑥

    はじめに「からだ」が在る、ということを感じとっていくこと。

     

    それは何も特別なことじゃないし、限られた人の話でもない。

     

    みんな「からだ」と共に在るんだから、

    ほんとうはみんなにとっても「からだ」ごと。

     

     

    健康でいたい、とみんなが想う。

    元気でいたい、とみんなが想う。

    快適でいたい、とみんなが想う。

    寿命を全うしたい、とみんなが想う。

     

    それは「本人の意識」というよりも、

    「本人の無意識」から生まれているのかもしれない。

     

     

    けれども、その「はじまり」では、

     

    「からだ」は呼吸を表現している

     

    「からだ」は「うごき」を表現している

     

    「からだ」は「リズム」を表現している

     

    「からだの意識」は、「快」そのものを表現し、

     

    「からだの無意識」は、生かしてくれている空間と調和をはかってくれている。

     

     

    ある「からだ」が語ってくれたこと。

     

    「からだの動きは自分の支配下にはない」

     

    「自分の思考(意識)でからだの動きをトレースしない」

     

    「からだ」からのメッセージを共有し合える感謝がここに在る

     

    www.tokyo-sotai.com

  • はじめに「からだ」が在る、ということ⑤

    少し話は変わって、

     

    「自分」にとって「はじめて」のことを学習するときって、

    「自分」にとっては「はじめて」ですよね。

     

    でも、「からだ」側の目線でみてみたら?

     

    これまで操体を学んできて、これからの操体を学んでいておもうこと。

     

    操体法に限らず、何かを身につけるときは、

    「からだで覚えなさい」ということをよく言われますけど、

     

    「からだ」に学習させる

     

    「からだ」で学習する

     

    「からだ」が学習させてくれる

     

    これってそれぞれに違って、それぞれに意味がある。

     

     

    はじめに「からだ」が在る、と感じとっているときは、

    どんな学習になっているとおもいますか?

     

    www.tokyo-sotai.com

  • はじめに「からだ」が在る、ということ④

    (昨日のつづき)

     

    怪我や症状に伴った痛みがどれだけ変化するか。

     

    当時、鍼灸マッサージ師として、駆け出しながらも向き合っていたこと。

     

    「痛みの変化」を物差しとして、臨床効果を判断している自分がいました。

     

    そんな自分にとって、

    「痛みは変わっていないのに、痛みが気にならない」という

    不思議な「意識」はどこから生まれてきたのでしょうか。

     

    10年以上前の出来事ですが、過去の出来事としてではなく、

    今新たに「からだ」からの問いかけがあります。

     

     

    当時は「痛みの変化」ばかりに意識が向き、

    そのような観点は全く持ち合わせてはいませんでしたが、

    「からだ」にふれ続けることで、いただけることがあるんです。

     

     

    それは、「本人の意識」とは別に、

    それを支えてくれているように、同時にはたらいている何かがあるということ。

     

    それを感じとっていけるのは、それを感じとっていける学問があるということ。

     

    操体を学び続ける理由がここに在る。

     

    www.tokyo-sotai.com

  • はじめに「からだ」が在る、ということ③

    わたしたちにもそれぞれ「はじめて」がありました。

     

    はじめて操体・操体法にふれた瞬間。

     

     

    一つのエピソードを紹介します。

     

    操体に興味をもち、

    はじめて「からだ」を、三浦先生に診ていただいた日。

     

    密かに期待していたのは、

    痛めていた右足の小趾はどんなふうに変化するのだろう、ということでした。

     

     

    はじまってから、どのくらいの時間が経ったのかも分からず、

    終わったあとに気づいたこと。

     

    「痛みは変わっていないのに、痛みが気にならない」。

     

    当時は不思議な現象として、ただ受け取るしかありませんでしたが、

    今なら感じられること。

     

    はじめて「からだ」を診ていただいた日、

    変化したのは「痛み」ではなく、「意識」の方だったのです。

     

    (つづく)

     

    www.tokyo-sotai.com

  • はじめに「からだ」が在る、ということ②

    今回のブログのテーマは「はじめての操体法」です。

     

    趣旨とは少し逸れてしまうかもしれませんが、

    今わたしたちも「はじめての操体法」と向き合っています。

     

    これまで操体から学んできたこと。

     

    これまで操体法を実践してきたこと。

     

    その中で「からだ」と向き合い、

    「自分」と「からだ」との信頼関係を築いてきました。

     

    それは、操体・操体法から「からだ」を捉えてきたということ。

     

     

    今わたしたちが新たなとらえ方で取り組んでいる操体は、

    これまで築いてきた「自分」と「からだ」との信頼関係を、

    新たな観点から捉え直していくことだと感じられるのです。

     

    それは、「からだ」から操体・操体法を捉えていくということ。

     

     

    わたしたちが共通の感覚言語として使っている「からだ」。

     

    「からだ」とはなんですか。

     

    「からだ」を感じとっていくとはどういうことですか。

     

     

    「からだ」がわたしたちに問いかけているのです。

     

    www.tokyo-sotai.com

  • はじめに「からだ」が在る、ということ①

    岡村さん、一週間のメッセージに感謝致します。

     

    「操体法はシンプルです」という想い。

     

    そう感じ合えるのは、

    「からだ」からの問いかけに応えていくから。

     

     

    今週は久慈から「からだ」と共に瀧澤が担当致します。

     

    一週間のお付き合い、よろしくお願い致します。

     

     

    初学者であっても、経験者であっても、

    自身のケアに用いても、臨床で用いても、

    操体法との関わりには「からだ」がある。

     

     

    わたしたちは今、操体法の新たなとらえ方に取り組み、

    今まで感じられなかったことを「からだ」で感じ、

    感じられたことが意識となって共有し合っています。

     

     

    これからの操体をとおして「からだ」から感じとっていることは、

    そのまま「からだ」に伝わっていってく。

     

     

    はじめて操体・操体法を学ぶ人にも、

    はじめて操体・操体法を受ける人にも、

    「からだ」がはじめにあるんだ、という感触を受け取って頂ける。

     

     

    はじめに「からだ」が在る、ということ。

     

    「からだ」が在る、ということを感じとっていくこと。

     

     

    操体・操体法が身になっていくことは、

    「からだ」からはじまる、と「からだ」が感じさせてくれるのです。

  • ここからの操体&これからの操体⑦

    (続き)

     

    最終日になりました。

     

    今週のブログを見て「はじめての操体」じゃないよ!と思った方。

    その方々には、謹んでお詫びいたします。ゴメンナサイ。

     

    それでも、「操体法はシンプルです」と、言いたいのですよ。

    そこで、創始者、橋本敬三師の語りを紹介します。

     

     

    「人間は誰が創ったのか。

     知らなくともつくられたものだ。

     すると、法則が在ってつくられた。

     その法則知らないから、みんな生きていくのにケガをする。

     だから、

     気持ちの良い方に動かすことが「操体法」だと

     思ってるかもしれないけど、そうではなくて、

     わけがあるってこと」

     

     

    これからも、正しい生き方とは何か、臨床を通じて学びながら、

    「からだ」は寿命もあるけれど、御縁があってこそ現在がある。

     

    今まで寿命を迎え亡くなられた方も、未来と一体になっている。

    「からだ」は、過去から現在へ流れを、生命循環として流れる。

     

    そうであるのなら、この生涯で、何を一体、支えているのか。

     

    「よくおいで頂きました。

     お会い出来て、有難うございます」と。

    (来れば、治る可能性があって来ている)

     

    はじめての操体に触れて「からだ」に響いた「御縁」に感謝。

     

    それでは、一週間のお付き合い有難うございました。

    明日からは、岩手の久慈より、瀧澤副実行委員長の登場です!

    どうぞ、愉しみにお待ちください。

                           

    www.tokyo-sotai.com

  • ここからの操体&これからの操体⑥

    (続き)

     

    はじめて操体法を学びたくて、三浦理事長を訪ねた最初の日。

    講習会で強烈なボディブローを喰らった(気がした)のです。

     

    操体の臨床講習なのに。

    操体法の指導を受ける前に。

     

    「死生観について考えてみなさい」と言われたからです。

     

    操体法の技術を習得する、そう意気込んだワタシは分解します。

    当時想像しなかった、橋本先生の哲学思想の意味を味わうこと。

     

    死ぬまでの寿命。

    生きている間の寿命。

    生かされている寿命。

    なんとなく、醸し出される寿命が違う。

     

     

    生命とは一体、何を支えているのか。

     

     

    操体法はシンプルです。

     

    自然の法則に適うこと。

    自然法則を学び続けること。

    自然法則の応用貢献を成すということ。

    そのために、

    生き方の正しさとは何か、学び続けること。

                              (続く)

    www.tokyo-sotai.com