「うまいか、まずいか、まず食ってみろ。」
橋本敬三は、そう言った。
興味を持つ
好きになる
愛情と熱意を持って継続する
まずい、と思えば止めればいい。
味わってみたい要求があれば、
最高に美味いところを味わえばいい。
一週間、自分の感じる「くいつく」について好きに書いてきましたが、このテーマと向きあっていく中で何事も自身のからだに通して体感することが大切だと思いました。
橋本敬三先生も「食うか、食わぬかはてめえの勝手」という言葉を私達に残して下さいましたが、この言葉も「やりもしないで何かを判断するな、お前さんの判断とからだの判断は違うよ」という事も言いたかったのかもしれませんね。
私自身も優柔不断なところがあるので「食うか、食わぬか」の判断に迷った時は取り敢えず出来る範囲で食べてみる、やってみることにしています。
また物を買う時等に迷った時も「どちらかを買って、どちかを買わない」という選択肢ではなく、とりあえず両方買うようにしています。
そういった意識の持ち方でいると、くいついた物が自身にとって不味かったということがあまりないですし、何より気持ちの面で悩んだりした時に生じるようなストレスがないので例え失敗だった時でもすっきりしています。
「くいつく」ことも本当にちょっとした意識の持ち方で、そこから得られるものが変わってくるのだと思います。
一週間ありがとうございました。
明日からは半蔵さんが担当致します。お愉しみに。
最近ニュースやスポーツ紙ではアメフトの問題が取り上げられています。
私も少なからずスポーツに関わりを持つ人間なので、この問題で思うことを少し書いていきたいと思います。
ニュースを最初に見て最初に思ったことは現在はスポーツの根底にあるものが愉しむことから勝利至上主義に変わってきていること。
そして選手を守る立場にある者がそれが出来ない情けない現状になっていることに違和感を感じています。
正直な思いを書くと日大の大学側と監督、コーチには真実はどうであれ、選手を守るという姿勢が見られなかったことに怒りを覚えました。
自分の地位や名誉、大学の看板を守ることを第一に考え発言しているようにも見え、それでは今後選手達が付いてくるとは到底思えないですし、そこで選手を全面的に守る姿勢を少しでも見せていれば世の中があそこまで食いついてこなかったのだと思います。
またそれに対し実名を出し会見に臨んだ日大の選手に対しては称賛に値するものだと思います。
あの若さであれだけ注目されている中で自分の否を認めて怪我をさせた選手に謝罪したことは、スポーツの在り方、行う事の意味を問いかける起爆剤になるものでした。
彼が示した姿勢で指導者達が現在のスポーツ界の膿みを出してくれることを心から願っています。
時に自分が取り組んでいることにおいて本気で語り、衝突し、争っていくことも進化していくことにおいて必要なことだと近頃感じている。
私も含めて出来るだけ穏便に学んでいきたい、争いだけ避けたいのが本音としてある。
しかしやっていることに対し真摯に向かい合っていくほど、絶対に曲げてはいけないことはあり、それを貫いていく強さが学びには必要なことである。
橋本敬三先生や三浦先生のように「道なき道」をこれから歩んでいくのならば尚更必要なことのように思う。
以前のブログで「学びには素直さが必要」だということを書いたが、ただこの素直さにも2つある。
1つはただ素直に受け取り鵜呑みにするだけなのと、もう一つは受け取ったものを自身のからだに通してそれが本当なのかを検証するのと2通りの素直さがある。
何か特別な物を持っている人は恐らく後者の方を誰に言われたわけでもなく行っているのではないだろうか?
食いついたものをただ食いぱなしにはせずに、食べたものを自身の人生にしっかりと生かしているということでもある。
これはやっていることを飯の種にしていてはたどり着けない境地だと思う。
こういったことが分かってくると「くいつく」ことにも作法、そしてルールがあるように思う。
先週の日曜日に施術体験という形で操体の臨床に興味を持たれた方達を対象に臨床を通す機会がありました。
まだ開業していない私にとっては操体を知らない人達を相手に臨床を行う機会は本当に貴重な場です。
ただ「からだを診て治していく」のではなく操体というものをどのように伝えていくのかも臨床の内容、結果と同じ様に大切にしていることです。
幸い私が診させて頂いた方は鍼灸の治療院を開業されて十年以上のベテランの方で、何年も前から操体に興味を持たれていたようでした。
そういった操体に「くいついてきた」人を相手に言葉で理論を伝えるのが先に行うのか、臨床を通じて操体の世界観を伝えていくのを先にするのか、そこも診断力として問われるところです。
私は今回時間の関係もあり、この人には操体の世界観を伝えることを目的にした臨床を通し、後に理論を説明することを選択しましたが、やはり自分のからだを通し体感しなければ頭に入れた情報も活きてこないように思いました。
これは臨床の世界だけに限ったことではなく、何にでも通じることだとは思いますが、からだを通じて理解していくことが物事を理解する上で大切なことのように思います。
今は雑誌やネットで情報は簡単に手に入れられる世の中になりましたが、その半面良いものを判別する判断力が鈍ってきているように感じます。
正しい食いつき方を行うためにも、得た情報だけで判断せずにからだに通して得られたものを大切にすべきことではないでしょうか?
私が操体の世界に足を踏み入れた理由の一つに現在も実行委員で共に学びの場を共にしているOさんの存在がありました。
三浦先生が橋本敬三先生に最初に出会った時と同じような感覚だと思いますが、私もOさんと操体を学ぶ前に初めて出会ったのですが「こんな素敵な人になりたいな、この人と一緒に学べたらな」という気持ちを持っていました。
そんな私が操体の世界に足を踏み入れ、学びを継続していく中でいつの日か最初に願っていたことが図らずも叶い、今は月に2回学びの場を共に出来ているわけです。
こういったことは今まで誰にも言わずに内に秘めた想いとして持っていたのですが、私が操体の学びに食いつき、継続してきたからこそ成せたことなのだと思います。
そういった自身の経験を踏まえると自分の願いや成したいことがあるのであれば、まずは「くいつくこと」が大切なのだと感じます。
まずは「食いつき」、そして「喰らいつく」ことで見えない力も働き、自然と自分の成したいことも成せていくのではないでしょうか?
先月の話しになりますが、今年も無事春季東京操体フォーラムを開催することが出来ました。
今回もいつも起こし頂いているスペシャルな先生方と新たなスペシャルゲストを交えて操体を様々な視点から捉え話せたことで、私も含めて話を聞けた人達が自身の人生をより豊かなものにする愉しい時間を過ごすことが出来たと思います。
そういった経験を通し改めて感じたことはこのフォーラムは「文化交流の場」なのだということです。
やはり自分がやっていることの世界観だけでは視野が狭くなり多面的な物の見方、捉え方が出来ません。
本当に学びを深めていきたいのであれば、様々な人達と関わり、交わる中で聞いた話に食いついていくことが重要であり、ただ「良い話を聞いた」で終わらせるのではなく、聞いた話をどう消化していくのかが人生をより豊かにする秘訣のように思います。
ご参加頂いた皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。
三浦先生、一週間ありがとうございました。
今週から三浦寛幸が担当致します。
よろしくお願い致します。
今回のテーマは「くいつく」になります。
このテーマを頂いてから操体を共に学ぶ同志達がどのような意識で「くいつき」、それをどのように租借していくのかを観察してきましたが、やはり一味違う食いつき方違うように見えます。
まず操体の学びに繋がることにはどんな些細なことでも興味を示しくいつきます。
それはTVや雑誌等の日常に出回っている情報から専門書まであらゆるものを対象になり、まずは「好きか嫌いか、旨いか不味いか」という自分の好みはさておき、まずはくいつくのです。
それを様々な方向から見て、検証し、そして自分のからだと感覚を通してみて、それが本当に必要なものなら自身の学びに生かすことをしています。
そして何より長けているのが、学びに生かせる種を見つけるアンテナの張り方です。
私達の日常生活の中には自身の学びに繋がる様々なヒントが山のようにあります。
そのヒントを拾うためのアンテナの張り方も普段から作っているのです。
もし自分がやっていることに対し壁に当たった時は少し意識を変えて自身のアンテナの張り方を変えてみるのも良いのかもしれません。
私自身も最近では自身のアンテナを今までと少し変えてみたところ、今までと違った景色が見えるようになりました。
時に一筋の涙が流れることはないかい?
自分の労を労っているような涙なんだろうね。
人前で涙なんかというけれど、
こうした涙は、別に恋人にも奥さんにも見せる必要はない。
自分の涙なんだから。
もし子供にみられたら、見せておくことだ。
大人になってわかる涙だと気づくからネ。
自分に対する思いやりは、人に向けた思いやりである。
人の想いや涙がわかるってことは自分への思い涙でもある。
自分にも「やさしい」ってことだろう。
