いままで重力について考えたことがなかった。
操体を学ぶことで重力という問題が重要になってきた。
みな普段の生活で重力を感じることは少ない。
それは電力や磁力などの「強い力」に比べて重力は「弱い力」だから普段意識せずに過ごしているようだ。
地球上で生きているので、重力に逆らわずには生きられない。
重力とのバランスが取れれば快適に生活できるのでは?
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です。

いままで重力について考えたことがなかった。
操体を学ぶことで重力という問題が重要になってきた。
みな普段の生活で重力を感じることは少ない。
それは電力や磁力などの「強い力」に比べて重力は「弱い力」だから普段意識せずに過ごしているようだ。
地球上で生きているので、重力に逆らわずには生きられない。
重力とのバランスが取れれば快適に生活できるのでは?
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です。

操体を学び始めて約9年経った。
当時と比べると普段の生活態度はだいぶ変化している。
夜中までに仕事をしなくなり、完全な朝型になった。
時間内に詰め込み仕事をしなくなり、少し余裕を持たせるようになった。
以前と比べたら罵倒しイライラしなくなった。
生活態度が変化すればからだも変化する。
より操体的なからだになりつつある。
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です。

たまにマジックバーへ行く。
何度も見ているマジックもあるのだが、何度見ても騙されてしまう。
マジックでは注目させているカードやコインの方に目線がいき、その反対の動作はほとんど見えていない。
マジシャンは注目させるのが上手いのだ。
全体を見渡せれば気が付くかもしれない。
しかし、それでは純粋にマジックを楽しめない。
操体での臨床診断は注目してはいけない。
トータルに診断し判断しなければ。
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です

好きなことは繰り返し行うことができる。
いつも聴いている曲もカラオケで歌詞を確認すると意外な発見がある。
ふとしたときに操体関連の本を読み返してみる。
いままで理解できなかったこと。気がつかなかったこと。
あれ?こういう解釈ができないかな?と思うことが多々ある。
わかったふりをすると相手に見透かされてしまう。
わからないことがあれば、何度も確認する。
そのことで深みを増すのだと思う。
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です。

今週からブログのテーマが「改めて見直してみる」に変わります。
1週間お付き合いよろしくお願い致します。
私は本当に面白いと思った映画は何回も繰り返し観る。
映画「ゴーン・ガール」はもうかれこれ10回は観ていると思う。
海外旅行に行く機内であればまた観てしまう。
繰り返し観ることで改めて気が付くことがある。
今では「ゴーン・ガール」のプレゼンをさせたら日本一上手いかもしれない。
頭の中では整理され要点だけを伝えることができる。
繰り返すことでより精査される。
操体もわかったと思ったことも改めて見直しみる必要がある。
いままで思っていたことが全く違う景色に見えることがある。
映画『ゴーン・ガール』オフィシャルサイト| 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です。
おはようございます。
「気持ちよさをききわければいいんだ。気持ちよさで治るんだからな」
という言葉。
この言葉に反応し、気持ちよさ、快適感覚に問いかける臨床を体系化したのは、直弟子の三浦寛先生でした。
三浦先生は、18歳の頃に70歳代の橋本先生に直弟子として数年間仕え、その後も橋本先生より学んでおり、臨床だけでなく思想、哲学にも造詣が深い。
操体法は、橋本先生の思想、哲学を含めた操体という大きな容れものの一部であり、そして操体と操体法はリンクしている。
創始者の思想、哲学に造詣が深く、実際に創始者の気持ちよさに従ったからだの表現に接触していた三浦先生だから、創始者の言葉に反応出来たのだと思う。
従来の操体臨床と快に問いかける臨床の、大きな違いは、からだを尊重すること。
治すのは、あくまで、からだ。
どんな高等とよばれる治療を受けたとしても、からだが応えてくれなければ、どうにもならないのだから。
気持ち良いという、快適感覚は、被験者(患者)のからだにききわける。操者(施療者)が決めつけるものでもなければ、被験者の思惑でもない。
だから、従来の辛い動きと楽な動きの運動感覚差を被験者に確認するやり方をして、楽という言葉だけを気持ちよいとしているのは、本来の方法ではない。
本人の運動で治るのではなく、気持ち良いという感覚によって、からだがバランス制御に向かう事で治るのだから。
だから、動診もその為の呼び水のような捉え方が必要と思う。
自分の動きとしての運動の数は限りなくある、しかし、からだの動きは8つしかないのだから。
一つ一つの動きで、からだに気持ちよさをききわける。
そして、そのききわけた気持ちよさを味わう時空で、からだはバランス制御に向かう。
この時空が操法となるが、従来のタワメの間とは質が違うものであるから、2~3秒とはならず人によっては何十分となる事もある。
そして、気持ちよさを味わった後の脱力の仕方も、瞬間急速脱力させるではなく、からだの要求に委ねた脱力の仕方となる。
また、操法の回数も2,3回やるという決めつけるのではなく、回数もからだにききわける。
この従来とは違う、からだに快適感覚をききわける診断法(第2分析・D2)が、体系化されたことで、はじめて操体法は、有難く参考とさせていただいてきた正體術から自立できたといえよう。
そして、おおいなる自然の一員であるからだを尊重し、からだから学ぶ事で、操体は深化し、進化していく事となる。
おはようございます。
身体を治すのは、あくまで、「からだ」。
そのからだのバランス制御の原動力となるのが、気持ちよさという快適感覚。
楽とは違う、その感覚。動診、操法に於いて、その「気持ちよさ」という感覚には、自分の意思による脱力さえも忘れさせてしまうものがある。
また、自分の意思で脱力したつもりでも、気持ちよさによって、動きを継続させバランス制御に向かう「からだ」。
橋本敬三先生の直弟子である三浦寛先生は、橋本先生の晩年の頃にからだを診させていただいた時のことを、いくつかの著書で書き表しています。
当時はまだ、楽な方に操法をとおし脱力するやり方で、診させていただいたようですが、橋本先生は他の被験者(患者)とは、まるで違う動きの表現をしていたという。
その動きは、視覚でとらえやすい外側の動きではなく、触れることでわかるようなからだの内側からの動きであり、従来の楽な動きでは表現できない動きだったという。
この時、橋本先生は、ただただ気持ちが良いという快適感覚を味わっており、脱力も操者の指示によるものではなく、からだの求めに応じた無意識的な脱力をされていたようです。
この当時は誰も、気持ちよさ、快適感覚に問いかける動診、操法など行っておらず、橋本先生自身も楽な方に操法をとおし、脱力するやり方を行っていた。
しかし、橋本先生は、日々、御自分で自力自動による動きをとおしていて、気持ちよさによって自力自療が適う、という事を御自分の身体がより良く変化していく過程から悟っていたのだと思う。
自分の運動の動きで自力自療が適うのではなく、気持ちいいという感覚で自力自療が適う。
運動による動きではなく、感覚。気持ち良いという快適感覚で、からだが動く。
こうした事実、真実が明らかになるにつれ、逆モーション療法とも呼ばれた運動感覚差を確認しての、楽な運動での整復法から、からだの要求を尊重した臨床のとおし方にシフトしていく事となる。たわめの間然り、脱力の仕方然り。
そして、橋本先生が現役を引退された最晩年の頃、橋本先生より
「気持ちよさをききわければいいんだ。気持ちよさで治るんだからな」
という言葉が発せられる。
明日につづく。
谷川俊太郎さんの詩で私が好きな詩です。
とても有名な詩で、教科書にも載っていたことがあるので、
ご存知の方も多いと思います。
「生きる」 抜粋
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
生きるということは本当に様々なことを知ることなんだろうな〜と思います。
一週間、ありがとうございました。
明日からは、操体を日常で生かす術を知る瀧澤実行委員です。
直線で物事をイメージするのと
球体で物事をイメージするのでは
同じ物事でもかなり違うイメージだと実感することがありました。
イメージが変化し、今まで自分が捉えていたものとは
全く別のモノでした。言葉では同じモノをイメージしているのに
私の中では、完全に別なモノに変化していました。
どちらのイメージも自由に行き来できる柔軟性が
現実を動かすのだと思っています。