今日は吉祥寺は井の頭公園からおおくりします。
上京して初めて住んだ地が吉祥寺である辻にとって、ここは特別な場所です。
先週の雨から一気に花開いた桜も、ピークを過ぎつつあります。
本来なら混み合う時期ですが昨夜からのこの雨の為、人はまだまばらです。
散る前に雨が降って欲しいと思っていたので、早起きして出掛けました。
気分が沈んだ時はいつもここに来ます。(そうでない時も来てますが)
そして、気が済むまで、気が澄むまで味わってみます。
(つづいちゃいます)
昨日に続いて三浦先生に聞かせて頂いた話をさせて頂きます。
ある日の事、三浦先生は僕にこんな質問をしました。
「子供の頃に一番楽しかった事ってなんだろう。」
「遊びでも何でも良いから。」
「これから先に進む道に、それは大切な事だよ。」
何の意味があるのか、その頃には全然分かりませんでした。
あれから2年ほど過ぎて
少しだけ何かを感じるようになって来ました。
昨日書いたように僕は、人の進む道には道標があるって思います。
良い道も、悪い道もその前に道標が必ずある。
そんな風に、操体を通じて感じるようになってきました。
僕が子供の頃家の周りには山が沢山あってそこを探検するのが
一番好きな遊びで、楽しい時間でした。
何が面白かったんだろう。
小さい頃に行けなかった場所に段々と行けるようになる。
それまで見れなかった景色が見えるようになる。
そんな探検遊びが一番楽しかったんです。
生まれて始めてみる景色、自分の力で手に入れた景色
それは、子供にとっては大きな感動だったのです。
そんな子供の頃の楽しかった事っていまも忘れてない。
子供の頃の楽しさはきっと大人になっても大切なヒントをくれる。
道標になってくれるのでしょう。
考えてみればいまも同じような事を
毎日僕はやってるのかもしれない。
武術と操体を通じて僕は人間の身体を探検している。
勉強のような感じじゃない、まるで探検するような気分で
楽しんでいます。
考えてみれば凄くありがたく楽しい時間を、僕は大人になった
今でも過ごさせて頂いています。
しかもこの探検をすると、武術と操体の宝物が見つかる。
大人になった分小さくなるんじゃなく、大人になった分
子供の頃より大きくなった楽しみを僕は頂いてます。
凄く楽しい日々を僕は過ごしてます。
だから、もっともっと真剣に取り組みたい。
もちろん気楽に楽しみながらです。
僕はそう考えてます。
今週お付き合い頂いた、みなさまありがとうございます。
次回はきっと新しい宝物の話が出来るかな。
お気楽に僕は考えています。
操体は三浦先生から直接マンツーマンで教えて頂きました。
まだまだ、これからも学ぶ事が沢山です。
でもホンの少しだけでも分かって来ると面白いんです。
まだ、いまよりももっと分からなかった時期。
三浦先生に色々とお話を聞かせて頂きました。
マンツーマンで教えて頂くって技術以外にも色んな話を聞かせて頂く機会に恵まれてるって思います。
その頃はあんまり分からなかった事が少しだけでも
理解出来るようになってくると。
あー凄いなって。
三浦先生の凄さを改めて感じたりします。
きっと、ここからが勉強なんでしょうね。
教わって、そこから自分自身で感じて学ぶ。
ここからが学びの始まりなんでしょうね。
まだ何も分からなかった頃に、こんな話をして頂きました。
「話を聞くと、何でも面白いとか楽しいって。」
「いつも言ってるから。」
「まあ大丈夫。」
操体を本当に出来るのか不安な学び始めの時期の事です。
僕は何でもお気楽に楽しむタイプなのです昔から。
その時には全然意味が分からなかったのですが。
最近少しだけ何かを感じます。
まあまだまだもっと深い意味があるのでしょうけど。
気持ちの良さと辛さがあって。
操体は気持ちの良さで身体が元に戻ってゆくと考えます。
気持ちの良さに何かの秘密がある。
これって仕事も人生も同じなのかな。
そんな風に、考えると面白くなってきます。
楽しい事、気持ちの良い事、そこにはきっと成功の道がある。
そんな風に考えると面白いんですよね。
自分が本当に楽しくて、気持ちの良い事を分かってそこに進む。
そんな道に行けば、そこに普通に成功の道があるのかな。
だったら痛みと同じで嫌な事って
そこに行くなって教えてくれてるんだ。
楽しい事も辛い事も道を教えてくれるありがたい道標なんだ。
その道標に沿って行けば良いんだ。
ありがたく道標が示してくれる道、それを進んでいけば良いんだ。
僕はそんな風に思います。
そんな風に思うと何でも面白くて楽しくなって来ました。
操体の道はもっともっとこれから学んで行くレベルですけど。
何となくお気楽に、僕はそう考えて。
そうすると面白いんです。
お陰さまで、毎日楽しく過ごさせて頂いています。
操体は僕に人生で大切な何かを教えてくれてます。
凄く面白いんです。
橋本先生に三浦先生にそして仲間のみんなに感謝です。
操体には、臨床以外の部分で素晴らしい学びがある
それが臨床では、大切なんでしょうね。
技術で何とか出来るなら楽なもんなんでしょう。
技術以外の部分が大切なんでしょうね。
三浦先生の元で学ばせて頂いて僕はそんな事を感じてます。
操体を学ぶと今までと違った感じ方になったりする時がある。
今までよりも、少しだけ敏感になったりする事がある。
普通は通り過ぎるような事を少し感じたりするようになった。
武術も操体も筋肉だけの動きじゃない。
身体の内側の動きを感じないと上手くいかない。
僕はそう感じる。
そうすると手の内と小手先って言葉に何かを感じる。
小手先って一部分しか使わないから力がない。
本当の力だけじゃなくて仕事でも芸事でも
目に見える部分しかやらないって事かな。
そんなんじゃ上手くいかない。
もっと真剣に内側まで見えない部分まで取り組むと
全く別の結果になると思う。
手の内って手を使う時に手の先まで何かの力があるって感じ
僕はそんな風に感じる。
身体全体を上手く使うと手の内が出来る。
目に見える部分以外まで神経を巡らせる事をする。
臨床でも仕事でも芸事でもきっと同じコツがあるのを感じる。
操体でも介助を行う際にただ手で持ってもどうにもならない
自分自身がきちんとした身体の使い方が出来なければ
どうにもならない。
手技を使うのに手だけではどうにもならないって僕は思う。
武術で殴るという事も同じ
ただ手で殴っても痛いだけ、相手を倒すには
手の先にある力も使わなければどうにもならない。
身体の中にある別な力、それは分かってくると当たり前
の事になる。
僕は武術と操体を学んで少しずつ感じて分かりつつある。
患者と一緒に気持ちが良くなる。
それは手の先の力がなければ良く分からないと思う。
次回のフォーラムの実技では介助してる手の先に注目して
ご覧になると面白いと思います。
実行委員はみんな小手先の技術でない手の先の力を持ってますから
手の内に気が付いてから実技を見ると凄く面白いって思います。
身体の中の動きがあるから普通は出来ない事が出来るように
なるような気がします。
それは特別な事でも実はない。
気が付くか付かないかそれだけなんです。
気が付けば当たり前。
気が付かなければ魔法。
それが面白いんです。
武術と操体には魔法のコツがあるんですよ。
それは気が付けば誰にでも出来る魔法なんです。
怪しくない説明出来る魔法。
世の中にはそんなのが実はいっぱいあるんでしょうね。
仕事でもスポーツでも成功してる人はそんな魔法を
使ってるのかな。
そんな風に気が付くと面白いです。
僕は武術でも操体でも、何でも実力はそこそこなのですが。
ツイテルとかご縁に恵まれてるのは自信があるんです。
不思議と良い感じがやってくるんです。
先日とある雑誌で柳生心眼流の先生と対談させて頂きまして。
ツイテル僕は何故かそこの編集者と仲良くなって
不定期に僕の勉強になる先生方と対談させて頂く事になったのです
柳生と言えば伊達藩いまの仙台なんですね。
それで始めから凄く面白く対談させていただきました。
僕は仙台出身で操体も仙台ですから。
対談では面白い話を沢山聞かせていただきました。
昔は手技療法といえば柔術家の事だった。
柳生では人体を家と見る。
だから首がおかしいからといって首は診ない。
家全体の歪みを診る。
首だったら身体全体の歪みを診る。
だから首が悪いのに足を診たりする。
何か操体みたいです。
柳生では整体とは書かないで正体と書く。
これって操体に影響を与えた正体術と関係あるのかな。
凄く面白い共通点があって。
考えてみれば橋本先生は民間から学んだという記録があるから
仙台で昔治療と言えば柳生だったとの事。
きっとどこかに接点があってもおかしくはない。
そう考えると面白いんですね。
凄く面白い話でした。
柳生は武術ですので、身体を治すだけでは足りない
相手に勝つために治療以外の知恵が沢山在るんです。
操体では手は小指、足は親指といった原則があります。
柳生では手と足5本の指それぞれに意味があります。
命を賭けた闘いの知恵は5本の指全てを大切にする必要が
あったのでしょう。
ツイテル僕は対談の後日に行なわれた。
柳生の先生のセミナーに学びに行って
休憩時間に何故か付きっ切りで教えていただきました。
次回のフォーラムではショートプログラムで
武術としての指の考え方
そして操体の現在、過去、未来といったテーマ
に沿ってというか少し飛んで、操体以前武術の時代
をお話させて頂こうかと思っています。
ご興味のある方にご参加頂ければ幸いです。