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  • 九州大学とあきほ整骨院の奇妙な関係

    少し前の事になるのですが、僕の所属する福岡県柔道整復師会の学術研究会に参加した際にの九州大学病院長で心療内科教授の久保千春先生の講演を聴かせていただく機会がありました。九州大学の医学部心療内科と言えば、昭和36年に全国で初めて設置された精神身体医学研究施設がその前身であり、初代の教授は橋本敬三医師の論想集にもその時代の心療内科のエキスパートとして名前の挙げられている池見酉次郎医師がつとめられてあったという、強引にこじつければちょっぴり操体にも関わりのある病院で、現在でも日本有数の心療内科の研究機関でもあります。この講演の内容としては、今後、日本の医療の現場は生活習慣病(糖尿病、高血圧など)、老人性疾患(脳血管疾患、認知症、慢性気管支炎など)と並んでストレス社会が進む影響で心理的な要因でおこるストレス病(心身症、神経症、鬱病など)が増加する傾向にあり、からだのケアと共にストレスマネージメントがこれまで以上に重要になってくるでしょう。と云う主旨のものでした。この講演の中で私が特に注目したのは、「心身医学的治療法においては、治療の手順として、まず身体を整えて、それから心を整えるということが大事であると思います。すなわち、身体感覚をまず快刺激にもっていくということが重要です。」と云う内容の部分です。この講演の中では太極拳が取り上げられていたのですが、「笑顔を作ると楽しくなる、身体を意図的に動かす、緊張と弛緩とのバランスをうまくとる、これが大事であると思います。」という所などはこれはまさに操体の想念と運動のバランスを取れということです。そして極めつけは「痛いときはその痛い方向にまず緊張させて、その後弛緩させる、すると、より弛緩が感じられて、そして良くなります。」とまでおっしゃっていました。これはもう完全に操法です。しかし残念な事に、これはまだ第一分析に過ぎません。久保先生は心身症の治療に快適感覚の必要性を論じておられるのですが、あくまでも快適感覚をからだに対しての刺激としかとらえておられないようで、快適感覚自体がからだのバランスを調整しているのだという所までは至っていない模様です。今度お目にかかる機会がありましたら、その辺りを念入りにレクチャーしておきます。(多分無いとはおもいますが・・・)

    さてそれではここからが本題、九大病院とあきほ整骨院の奇妙な関係ですが、これはうちの整骨院の所在地(福岡市中央区清川)と関係があります。その昔、九州大学が福岡に誘致される前、現在の九大病院の周囲は柳町と呼ばれる遊郭街だったそうです。国立大学の予定地が遊郭街のとなりとあっては、学生達は学問が手に着かなくなってしまいます。そこで、その遊郭街を今の中央区清川に移し、無事に誘致は行われ学生達も安心して学業に励むことが出来るようになり。福岡の男衆は新柳町と呼ばれるようになった、遊郭街で社会勉強に励むようになったと言う事です。その後、新柳町は、売春防止法が施行される昭和31年位まで清川の地で繁栄しておりましたが、その後、福岡の夜の代名詞中洲へとその中心を移していく事となります。そして、その後清川の街は福岡市の中心部からほど近い立地にも関わらず、治安の悪さやかつての印象などから、開発が遅れ、やっと近頃になってマンションやオフィスビルが立ち並び、徐々に活気を取り戻しつつあります。そんなまちの片隅で僕の整骨院は新たな歴史を刻み続けています。こんな内容を本題にして本当に良かったのでしょうか。それでは明日は1週間で理解る秋季東京操体フォーラム」その2をお送りします。

    秋穂一雄

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  • もういくつ寝ると・・・

    10月も最後の週に入り、季節もめっきり秋らしくなってきました。
    季節の秋に、稲穂の穂。今回で3回目の登場、福岡の秋穂です。
    気がつけば2008年秋季東京操体フォーラムまで丁度、1週間となりました。

    秋のフォーラムは春に比べると実技指導が充実しており基礎知識の有無により、得られる気づきの質が大きく差が出てきます。今週のブログでは私と一緒に、各先生方のプログラムを予習してより一層理解出来るように、事前にしっかりチェックして行きましょう。

    題して「1週間で理解る秋季東京操体フォーラム

    まず初回はテーマ発表『第一分析から第三分析へ』発表者は、操体界のデンジャラス・ビューティー畠山常任理事です。

    この第何分析と云うのは、感覚診断のききわけ方の違いによって区別されています。第一分析とは橋本敬三医師の著書にも紹介されている。痛くない方、ラクな方へ動ける所(可動極限)まで動いて2〜3秒後に、ストンと脱力(瞬間急速脱力)する。という運動感覚差をききわける操法の事です。第二分析以降は以前畠山常任理事のブログでも紹介されていたように橋本敬三医師が臨床をやめられた後に、その愛弟子である、三浦寛先生と今昭宏先生に託された「気持ちの良さだけ教えろ。」という指示を基に、研究と臨床の中で新たに確立された分析法で、第2分析はひとつひとつの動きの中に気持ちの良さがあるのかないのかをききわける感覚診断法。第三分析は、からだの動きが極度に制限されている方や、動きの中では快適感覚のききわけがとおせない方に、皮膚へのアプローチにより快適感覚のききわけを通すと云う皮膚の操法(渦状波〜かじょうは〜)のことです。

    東京操体フォーラムで取り上げられる操法と云うのは、基本的には第二分析以降を指しているのですが、未だに世間では第一分析の診断と操法から脱却出来ていない臨床家の方も多く、東京操体フォーラムでは、常に啓蒙活動を行っている次第であります。

    今回の発表の中で畠山常任理事はどの様にそれぞれの分析の違いを見させていただけるのでしょうか。乞うご期待!

    秋穂一雄

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  • 2008年春季東京操体フォーラム 特別対談 人間・橋本敬三を語る その3 おまけ

    橋本先生とは・・・

    ・美代子氏が橋本先生に言われて一番嬉しかった言葉は、色紙にかいていただいた、「めんこ」(かわいい)という言葉。その色紙は美代子氏の宝物である。

    橋本敬三先生の歯は全部自前だった。近所の歯医者に「一番いい治療をしろよ」と通っていたが、先生は後で請求額を見てびっくりしたらしい。

    橋本敬三先生の魚の食べ方。身は弟子にやって、自分は魚の頭や内臓、骨、尻尾を食べていた。当時美代子氏は鳥の骨をバリバリ食べる橋本先生を見て驚いたそうである。

    橋本敬三医師は、長男のお嫁さんが作る辛いカレーが大好きで、カレーに生卵と納豆を入れてかき混ぜていた。辛いのをごまかしていたという説もある。

    2008年春季東京操体フォーラムより。

  • 2008年春季東京操体フォーラム 特別対談 人間・橋本敬三を語る その2

    三 ミヨちゃん、橋本先生はどんな食生活を送ってました?
    美 お昼ご飯、若先生の奥様が必ず腕によりをかけてお昼ご飯を必ず作って下さって、私も先生と一緒に頂くんですが、とにかく何を食べても、何が出てきても、とにかく美味しい、と。本当に感謝する以外ない、と。すごく美味しいんだと言って本当に感謝して食べておられました。
    三 やっぱり、言葉にする必要があるね。例えばケーキを食べるにしたって、言葉に出して感謝すれば毒が消えるかもしれないな。なるほどね。
    美 あと、先生は「あんこ」が、大好きで。この世にこんな美味いものがあるのかと、という位にあんこが好きで、毎週和菓子屋さんから水曜日に『鹿の子』っていうあんこ玉が届くんです。それが届くと、とにかく美味しい、幸せだと。それを食べながら、この世の中に、あんこが嫌いな人間がいるのか、と。
    三 ミヨちゃんは嫌いなんだよな。ウハハハ・・・・。
    美 あんこっていうものは、私にとってこの世に存在しなくていい食べ物だったんです。とにかく嫌いで、あんなにまずいものがこの世の中にあるのかと。ですが、それを聞いた瞬間、さすがに私も言葉に出せなくて。そうしたら、とにかく美味しいから食えと。
    (会場爆笑)
    三 食べたの?
    美 泣きながら食べました。ここ(喉を指して)に詰まりながら飲み込みましたね。その後胃腸薬を飲まなきゃいけない。甘いものを食べるとどうもこの辺がむかむかしてくる体質で、胃腸薬を飲みながら、一個食べるのも死ぬ思いで食べてました。それが今となっては、あんこ、美味しいと思える今日この頃です。(会場笑)
    三 なるほどね。でも食えっていわれれば、イヤとは言えず、やっぱり食べないわけにはいかんもんな。
    美 そうなんです先生がとにかくあれだけ美味しい美味しいって食べてるものをけなすわけにはいかないし、そこはもう私が折れるしかない(笑)でも毎週届くっていうのが(会場爆笑)、地獄でしたね(笑)
    美 ええ。それから裏に冷蔵庫がありまして、そこに必ず入ってる物があるんです。バナナの冷凍。あと巨峰っていうぶどうの冷凍、あと、近くの甘座(あまんざ)っていうケーキ屋さんがとにかく大好きで、そこで作るシュークリームがとにかく美味しいんだと。そこのシュークリームを買ってきまして、それを敢えて冷凍するんです。とにかくそれを買ってきたら、冷凍しなくちゃいけない。その冷凍したものを、その日の気分で、※こういうサインが出た時は、巨峰を3つ持ってこなくちゃいけない。それが何気なく出て来るので、見逃さないようにしなきゃいけないんです。これが出た時は即行で冷凍庫から巨峰を3つ。それが決まりで、あとバナナはこう。指先でモノを語るんです。その3種類は必ず冷凍庫に入っていて、その日の気分で選ぶわけですね。で、その冷凍シュークリームなるものを初めて冷凍で食べて、どこが美味しいんだかわからない。でも、それが美味しいんですって。私はそのままの方が美味しいと思うんですが。

    ※注)美代子氏によると、バナナの時は人差し指一本を立ててひゅっと動かし、巨峰のときは人差し指と中指と薬指の三本を立ててひゅっとする感じだそうである。

    三 僕の時代はね、渋柿。ほっておくと甘くなるでしょ。あれを冷凍庫に入れて、シャーベットにして食べてたね。こだわりがあるんだよね。先生。
    美 こだわってますよね。バナナの冷凍っていうのもどうなのかなぁと。

    ※※注)畠山が美代子氏から聞いた話によると、橋本敬三医師と、冷凍バナナを美代子氏が手で折れるかどうか、一万円の賭けをしたことがあるそうだ。橋本敬三医師は絶対折れるわけないと、折れない方に賭けたが、美代子氏があっさり冷凍バナナを折ったので、美代子氏は一万円手に入れたそうである。

    三 橋本先生と5,6年一緒に過ごして、温古堂の診療室で同じ空気を吸って、先生から感銘を受けた事とか、今でも何か実践している事はありますか?
    美 感銘を受けた事は、やっぱり感謝するって事ですね。常々言っておられたのが、人間は口に出す方向に進んで行くんだ、いうことですね。ありがとうっていうのは、ありがとうになるし、馬鹿野郎っていうのは馬鹿野郎の人生になると言っておられまして、とにかく感謝していれば幸せになれるんだと。今も「人間は口に出す方向に進んでいくんだ」、というのは頭から離れませんね。
    三 何がからだにいいとか悪いとか言う前に、感謝することじゃないの?ありがとう、ってネ、口に出せば、毒も消えて無害になるかもしれない。本当にありがとうっていう言葉を意識して言葉にすれば、全てからだにいいものとして働いてくれるのではなかろうかと思うね。

    三浦、畠山に向かってビデオを流すように、なおかつ音は消すように指示する。スクリーンには、温古堂時代に今顧問が撮影した橋本敬三医師の日常生活が流れる。

    三 (東京操体フォーラム実行委員から寄せられた美代子氏への質問一覧を見ながら橋本先生が、患者さんに対して必ず言っていた言葉があるかなァ?
    美 きもちいいことすれば、からだは必ず良くなるんだ、痛い事を無理してやるからおかしくなるんだ、というのは一番最初に患者さんに言っていましたね。普段の皆さんの生活って、痛いことを無理してやれば良くなるっていうような教えみたいになっているじゃないですか。それで、きもちいいことをやるということに対して、罪悪感みたいな事がありますでしょう?
    三 一般常識的には、きもちいいという事、そういった言葉をすら口にすると罪悪感があるみたいな社会的観念みたいなものがある感じはするね。操体をやっていて感じるよ。きもちよさをききわけて下さい、っていう意味の「きもちよさ」っていう言葉すら口にするのに多少勇気がいるような時代がありましたね。
    美 それで、俺が治してるんではない、全部自分の力で治ってるんだ、と常に患者さんには言ってました。人間のからだはそうなってるんだ、と。
    三 あと、頑張るな、って言うことも言ってたんじゃない?
    美 そうですね。60点取れればいい、というのは言われていたので、何でそれ以上70点じゃだめ?って聞くと、それは欲張るし、その欲張るっていうのが怪我するもとなんだと。まして100点なんか取る必要はない、綱渡り人生でいいんだ、と。間に合っていればそれでいいんだ、と。だから60点でいい、ということを言われました。
    三 間に合ってればいいと(笑)。ところで、逆に先生の愚痴って聞いたことある?
    美 愚痴?愚痴言う前に私に当たってましたから。今日は機嫌が悪いぞっていう時は、全身に現れていて、それが私にぶつかってくる。
    三 そうか。あのね、あんまり愚痴を言うような先生じゃないんですよ。滅多に愚痴を吐かないけれど、医者として患者を憂える一つの愚痴としてね。「いくら言ってもわかんねぇ」そりゃ愚痴だろうな。でもそれは相手を思っての愚痴なんだよね。でも僕は余り聞いたことがないなぁ〜。
    美 (温古堂で治療が終わって)帰るときまだ満足しきれない方とかいるじゃないですか。(三浦、頷く)そうすると先生、肩の辺りが上下して。(笑)そこで先生、一言「肩だけおいでけ」と。(会場笑い)「明日まで治しといてやっがら」(会場笑い)それはできない相談ですよネ。やっぱり全部(体は)一つなんだって事を訴えたいんですけど、なかなか理解して下さらないお客様や患者さんもいるので、肩が、頭がとか、そこだけ置いてけ、明日まで治しといてやる、っていうのは良く言ってましたね。
    三 臨床やってると、「やっぱり先生、もう少し肩が」とかね。もう今日はここまでと、キリがついているんですよ。それをね、先生、ちょっとここも、って言われると、気が入らないんですよね。そういった経験っていうのは、皆さん方臨床のなかで結構体験しているんじゃないかと思うけど、それは切らないといけない。いつまでも引きずっちゃう。で、それでも診てると、先生今度はここが、って、全然しまらない。そういった時はやっぱりバッサリ切るっていう事も必要になる。橋本先生もそうやって※ごしゃきながら切っていたんだよ。肩置いてけ、そら、目ン玉置いてけとか言いながらネ。

    ※ごしゃく 仙台、東北弁で、怒る、怒鳴るの意味

    三 患者さんから見た橋本敬三のイメージとか印象っていうのはどうでした?
    美 私が入った頃は、もう温古堂っていうのは非常に有名な診療所になっていて、あそこに行けば一発で治るという噂が全国に流れてたんですね。それで、橋本先生が言うには、ここは治療の墓場だと。要は病院回るだけ回ってどうにもならないって、占いにも行って、神頼みもして、それでも良くならない。で、最後に行き着くところが温古堂。それで、ここは墓場だ、って、おっしゃってました。
    三 実際にはね、一発で治るかと言えば、まあ僕も見てるけど一発で治った患者様もいらっしゃったよ。しかし一発で治るわけないからな。そこは何でも一発で治るんですか、何て思わないこと。僕のいた時代っていうのは、橋本先生が70歳から75歳の間でしたけど、まあ苦戦してましたね。ビデオに出てるように、あんなに簡単に「はいっ」っていう訳じゃなくて、患者をひっくり返して、また、立たせ、寝かせ、腰掛けさせてネ、このからだにどんな歪みがあるのか、それを解決すれば、どのように患者の全身リウマチが治るのか、全身性エリテマトーデスが治るのかって、本当に真剣に取り組んでいましたよ。その時代の橋本先生の臨床を見ていたら、一発で治るなんていうのは、先生に対して失礼ですね。神様じゃあるまいし。だからそういった意味で、どのような臨床でもそんな一発で治るものでもない。何故かっていうと、治療を受けに来ている訳だから、それは、続けないと治らないような患者が来ていますよ、って事。慰安で来てるんじゃないって事なんだ。症状疾患を抱えて来ている患者が、何で一発で治るのよ。(会場に向かって)そんな臨床をもしも君達が望んでいるのであれば、やめた方がいいよ。一発で治そうなんて。でも治るものもあるんだ。それは理に適うことがあるから治るわけだから。でもね、どんなものでも一発で治していた、なんて、そりゃ橋本先生に失礼だよ、と俺は思う。臨床っていうのはそういう訳にはいかないよ。
    三 橋本先生がテレビに出た頃は知らない?
    美 その頃の事はわからないですね。
    三 79歳の時にNHKのテレビに出て、何年か後NHKのラジオ、「人生読本」に出演されました。あの当時僕は(仙台に)行かなかったけど、電話で聞いた。もう門前市を成すって感じで患者がひっきりなしに来ていたと。それが三年くらい続いたんだよ。あの時代っていうのは、橋本先生が快適感覚っていうことに対してどのように診断として臨床に導くのか、そのことを考えつづけていたのだと思うんだけど、(NHKの)番組でやってたように、はい、つま先(上げて)、すうーっと、はい、ぱんぱん、それで終わり、はい、次、そういった診療しかできなかったの。あの時代は余りにも患者が来すぎて。橋本先生にもっと研究の時間を与えてあげたかったな、と思いますよ。とにかく患者患者で明け暮れていたわけだから。余りに患者が来るんで貴重な時間、研究する時間、そういった時間が奪われてしまったんじゃなかろうかと思いましたネ。
    三 橋本先生の実際の臨床をミヨちゃんは実際に見たことがあるよね。あれば他の人との違いはどんな風に感じました?他の人っていうのは、他の先生っていう意味だと思うんだけど。橋本先生と他のお医者さんとか他の治療師との違いっていうものは側で感じていました?
    美 私にとってはそういう存在ではなかったし、他の先生との違いって言っても、皆さんいらっしゃる方は勉強したくって、長年色々なことをやって、手を尽くして先生に質問している、みたいな。
    三 でも結構著名な先生方も来てたよね。.あの当時。そういった先生方と違うところがあったとか。
    美 難しいですね(笑)どの先生にも「ウソかホントかやってみるしかない」って。操体を学びに来る先生しかいないわけですよね。どの先生にも分け隔てなく同じように、患者さんに対しても、医者だろうがそうじゃなくてもやっぱり言ってる事は一緒で。
    三 垣根がないよね。
    美 そうですね。ちょっと有名な方が来られると翁先生が敬語になられたのはちょっとおかしかったですね(笑)
    三 ミヨちゃんしか知らない橋本敬三先生の秘密ってありますか?「美代子、これはちょっとナイショにしてくれ」っていうのは。
    美 秘密ですか?
    三 橋本敬三の秘密。ミヨちゃんしか知らない。
    美 どの程度の秘密ですか?
    三 どんな秘密か僕は知らんけど。
    美 スケベ心は山ほどありましたね。 会場笑
    三 すけべごころ?!ああ、それそれ、それ行ってみよう。
    美 やっぱり男ですよね。
    三 ほう。例えば。具体的に?
    美 ちょっと私ヤキモチ焼くんですが、私の前にいた受付の女性の方、お気に入りだったんですよ。もう秘密じゃないんですヨ!みんなの前で堂々と「オレ、オマエにラブしてんだよぉ」って言ってました。(会場笑)もう、バカヤロウ、とか思いましたよ(笑)。もう、堂々と告白してましたね。でも後藤先生にさらわれていってしまいましたけど。ざまあみろって(笑)それから温古堂の座布団から立ち上がる時、結構力がいるんですが、その時私が抱えて持ち上げるんですよ。これはナイショの秘密なんですけど(笑)。先生は必ず私のここ(胸元を指さす)に決まって顔を埋めてくるんですよ。(会場爆笑)そこまでやる必要ねぇだろ!って。ここですよ。ここにこう、顔を・・・(笑)で、それを見ていた稲田君が「先生、やるじゃない」って。(三浦・会場爆笑)
    三 そんなことあったんだ(笑)
    美 結構若い女の子が大好きで、そういう雑誌のページも大好きで、「ヒッヒッヒッ」って見てました。 (会場大爆笑)そういうところが茶目っ気あって、でも全くいやらしくないんです。(ビデオを見ながら)あれは外科の受付のBちゃんっていうんですが、あのように何気なく若い女の子に触るんです。あれが元気の源(笑)。
    三 いやらしくないっていうのはいいよな。不快感を与えずにっていうのはさすがだね。
    美 一番印象に残っていることがありまして、つま先上げる時、足に抵抗をかけてもらうじゃないですか。(足関節の背屈)その時の先生の手の感触が未だに忘れらないですね。ものすごく柔らかくて、安定感があるんですよ。ぱっと見には全く想像できないような手の感触なんです。表現し難いですね。あの感触は。それはこれくらい年月経っても忘れられない感触なんです。
    三 感触。手の感触ね。うん、本当にそうだな。何て言うんだろう。あの手の感触は。不思議な手でしたね。見かけは普通なんだけど、触られると何てあったかなふんわりとした手をしてるんだろうと思ったものネ。

    ミヨちゃんにはまた来てもらうからね。来てくれる?ミヨちゃん。ええ。喜んで。(会場笑い)ありがとうございました。
    三 来年辺りね。貴史も来いよ。今日はどうもありがとうございました。

    後半おわり。おまけに続く

  • 2008年春季東京操体フォーラム 特別対談 人間・橋本敬三を語る その1

    2008年5月4日(日)、東京操体フォーラム2日目(東京千駄ヶ谷津田ホール)。仙台温古堂で、5年間橋本敬三医師のお世話をしていただいていた今美代子氏と、橋本敬三先生の愛弟子である三浦寛理事長との対談が行われた。

    今美代子:宮城県仙台市出身。1983年温古堂の受付嬢兼先生のお世話係として活躍。『操体法治療室』(たにぐち書店刊)に、“受付のミヨちゃん”として登場する。東京操体フォーラム顧問、今昭宏氏の奥様。二男の母。その歯に衣着せぬ絶妙な語りは会場の爆笑を誘う。

    三浦寛東京操体フォーラム理事長、操体法東京研究会主宰、人体構造運動力学研究所 所長。宮城県出身。赤門柔道整復学校在学中に、橋本敬三内弟子として、操体を学ぶ。23歳の時、橋本先生の命により東京都世田谷区で開業、現在に至る。今昭宏顧問はじめ、東京操体フォーラム実行委員は操体法東京研究会のメンバーとして操体を学んでいる。研究、執筆と若手操体指導者の育成に多忙な日々を送っている。

    司会(東京操体フォーラム 理事・副実行委員長 福田勇治)
    今美代子さんを紹介します。今日は遠方はるばる仙台からお越しいただきました。今美代子さんは五年もの間人間橋本敬三を間近に見てこられた唯一の方です。貴重なお話が聴けることを楽しみにしています。それでは宜しくお願い致します。

    三浦:ミヨちゃんです。私の妹です。何故妹かと言うとね、公私に渡って非常に長いご縁があるんですよ。三浦寛は今美代子に深く関与してきました。美代子さんは、実は当フォーラムの顧問である今先生の奥様です。橋本先生は85歳の時に現役を引退されました。その時、橋本敬三医師の代診として、私が今先生を温古堂に紹介したわけなんです。今先生と私のご縁というのも、今先生が赤門※の学生のころから東京の僕の所に来て操体を勉強してらっしゃったんです。橋本敬三先生と操体を通して、お互いに温古堂診療室で学びあってきた兄弟弟子なんです。そんな時、美代子という、非常にユニークな女性が温古堂に入ってきた。そうすると、温古堂の空気が変わってきた。何ともいえず、ほっとする雰囲気に変わってきたんですね。ミヨちゃんが温古堂の職員として採用されたのは、確か1983年、橋本先生が85歳の時、同年1月にミヨちゃんが採用され、その四ヶ月後に今先生が橋本先生の代診として入ってきたんだ。橋本先生が85歳から91歳位までミヨちゃんは橋本先生のお世話をして下さった訳だけど、ミヨちゃんは僕ら弟子が経験することができないような橋本敬三との接し方を体験したと思うんですけどね。医者としての人間像ではなく、橋本敬三そのものの姿をミヨちゃんに話してもらいたいんだよ。

    ※赤門鍼灸柔整専門学校。三浦・今共々こちらの卒業生である。

    今美代子:皆様、改めまして。今ご紹介頂きました、今美代子と申します。よろしくお願い致します。ここに来る前、色々打合せをして、何を話そうかと思ってはいたんですが、当時の記憶をたどり、思いつくままにお話させて頂こうかと思います。この空気、ちょっと緊張しますね(笑)今日は息子に付き添ってもらっていますし・・。長男です。
    三 今貴史(たかし)さんです。今年から赤門の柔整の一年生です。僕としてはいい後継者ができたな、何とか操体の道に入ってきてもらいたいなっていう希望はあるんだけど。こちら長男の貴史さんです。
    会場拍手。貴史氏、立ち上がって「よろしくおねがいします」と挨拶

    ★温古堂に入った経緯と結婚

    三 ミヨちゃんが温古堂の職員になった時、橋本先生の面接を受けた時の事を思い出して話してもらえる?
    美 私、歯科医院で、歯科助手の仕事をしていました。そこに通っていらしたご婦人がいらっしゃいまして。丁度その病院をやめて違う歯医者さんに行こうかと退職を決めた時に、そのご婦人が、「あなた、ここやめるんですって?」と話してきまして、はい、って言ったら「それじゃうちのおじいちゃんの所へ面接にいらっしゃい」という話をされたんです。   
    三 承平さんの? 橋本先生のご子息橋本承平さんの奥さんですね。
    美 そうなんです。その歯科医院によくいらしていて、それで12月の暮れに面接に行ってきたのです。温古堂って言われても何が何だかわからないし、東洋医学の世界は全くわからないので、取りあえずいいや、面接だけでも受けてみようと思って・・・。温古堂で、おじいちゃん先生が目の前にいらっしゃって。私、元々東洋医学って何だか辛気くさいと思っていて、暗い世界というイメージがありまして、「ああ、ここか」っていう感じだったんですが、何も話すことなくて、だまっていたら、先生が「お前で五人目だ面接者は」って言われて・・・・。
    三 ははは。五人目か。みんな蹴ったんだ。
    美 そうしたら、帰りに「おまえ正月明けたら来いや」って言われたんです。何で私?って思ったんですが、お正月明けから勤めさせていただくことになって、どうして私でしたか?って聞いたら、お前の笑顔がよがった、と言われて。それで、温古堂に入ることになりました。
    三 はははは。すごい殺し文句だな。不思議なんだけど、橋本敬三は何でもミヨちゃんの言うこと聞くんだよ。やっぱり年をとると、逆らってちゃ生きていけないから、自分の世話を親身になってやってくれる人には、何でもはいはいって素直に言うことを聞くと得するんだ。そっか、笑顔が気に入ったんだ。
    美 (すこし照れて)一応先生からはそう言われました。まあ、受付と先生のお世話役ということで、そこから温古堂生活が始まって。  
    美 でもですね、最初にいたのが今先生ではなく、A先生だったんです。
    三 ちょっと暗いんだよね。彼。
    美 はいちょっと。(橋本)先生の怒鳴り声の中で四ヶ月位過ごしたんですね。
    三 その、橋本敬三の怒鳴り声っていうのはなに?どんな事で怒鳴ってた?
    美 患者さんにたいして怒鳴ってました。「ひとのいわねぇごと、やんな」って(笑)
    三 他には?「いくら言ってもわかんねぇ!」って言わなかった?
    美 ああ、それもありますね。そういう暗い雰囲気の中、A先生がやめることになりまして、そうすると、温古堂の後継者がいない、ということで、温古堂を閉めようかという話になったんですね。で、その時の雰囲気と先生の怒鳴り声と、結構無理難問を言う先生だったもので、少し嫌気がさしていて(笑)、勤めて三ヶ月くらいで、もう元の歯医者さんの仕事に戻りたいと、気持ちがそちらに動いたんですが、そこへ余計な事を言って下さった三浦寛先生っていう方が、今先生を紹介して下さって(笑)。
    三 承平さんが俺のところに電話を入れてきたんだよ。「父、敬三が現役を引退するんだけど、暖簾はそのままにしておきたいから、橋本敬三の代診になれるような人材はいないか」ってネ。その時に、あ、今さんしかいないって思ってね。で、今さんに電話して一寸行って面接受けてくれないかっていう事だったんだよ。ハ、ハ、ハ、ハ。すいませんね。
    美 いいえ(笑)。でもそこで私の運命が分かれてしまいまして。今先生っていう方がいらっしゃることになって、その前から今先生は赤門から時々見学にいらっしゃっていたんです。色々な人がひっきりなしに見学に来ていらっしゃったんですが、その中の一人でしたね。そして、今度今さんという方が入りますよ、ということになって、私、やめる理由がなくなってしまったんですよ。
    三 よかったね。本当にめでたい、めでたしでした・・・。s
    美 ええ(笑)。その時、今さんという方と三浦先生をはげしく恨みまして(笑)。でも今先生が入ってから温古堂の中がすごく明るくなりまして。おんころや先生の会話も増えて笑いもとっても増えて。そこへまた色々なお客さんがいらっしゃって結構和気藹々と。皆さん何日間か滞在していかれるので、一緒に夜の町へ繰り出したり、そういう日々を過ごしました。

    ※おんころや先生:橋本先生の事。翁(おう)先生と呼ぶ方もいる。

    三 ミヨちゃんが温古堂に入ってさ、何年目に今さんと結婚したの?
    美 二年目くらいですね。
    三 青木のママ(橋本先生のご長女)が温古堂の側に住んでるんですよ。俺の所に電話がかかってきて、「ちょっと三浦さんきてくれない?」って。「あの、今さんと美代子さん、どうにかしてくれない?」ってネ。何で?って聞いたら「いや、仲良すぎる」って。で、俺、今さんにに「結婚しろ」って言ったんだ。
    美 あはははは・・・・。
    三 お前ね、そんなに仲良くしてて結婚しなきゃミヨちゃんに包丁でさされるぞ、っておどしたことあるよ(笑)
    美 今先生にはちゃんと付き合っている方がいらっしゃいまして。
    三 ああ。それは聞いていたよ。
    美 私も、ちょっと息子がいるんで言いにくいんですが(会場爆笑)、私にもちゃんとおりまして。
    三 いやな、貴史といういい息子を目の前にしたら、その彼と別れてよかったろ(笑)
    美 お陰さまで(笑)。翁先生(注:橋本敬三医師)が美代子と今君はとにかく結婚しろよと言われまして。「はあ?」っていう感じで。で、「美代子、お前はきかない(きかんぼう、気が強いの意)」、で、今君は優しい、と。だから、お前達はバランスがとれるんだから、それで結婚してお前達が温古堂の跡を継げと。 隣に橋本外科の若先生、信先生(橋本敬三医師の長男)がいらしたんですけど、温古堂を継ぐってことを条件に仲人するっていう話になって。それで結婚いたしまして、別れることなく現在に至っております。可愛い息子にも恵まれまして。はい。
    三 もう一人の息子は中学何年だっけ?
    美 三年生です。
    三 三年生になったのか。一寸小柄でなかなか背が伸びないって本人は気にしてるんだけど、それがね、お地蔵さんのような愛くるしい顔してるんだよ。なかなか可愛い次男坊なんだよね。それじゃ、続きに行きましょうか。そういうことで今さんとミヨちゃんが目出度く結婚するっていうので、ちゃんと礼服を着て橋本先生と腕組んで結婚式に行ったんだよ。
    そういうわけで、今さんとミヨちゃんが結婚したわけなんです。

    橋本敬三先生の日常生活と秘密

    三 この後ビデオ流すけど、その中で橋本先生がミヨちゃんに手を引かれて治療所に姿を現わすんです。それから大きな火鉢の前に座るんですね。その時にミヨちゃんがやることがあるんですよ。何かっていうと、整髪。櫛で髪の毛を整えてあげる。それには順番があるんだって。そういった事をちょっと話してもらえる?
    美 橋本先生はかなりお洒落で。(三浦、頷く)いつもシャツを着たら必ずスカーフをして棒タイ(ループタイ)をするんです。それをすごい数持ってまして、今日の洋服にはこれ、みたいな選び方してましたね。先生が選んでました。それで、朝温古堂に着いて先生が指定席(火鉢の前)につくと私が必ず髪の毛をセットしなければいけなくて、そのセットの仕方も必ず順番が決まっていまして、最初は頭にリキッドを。先生はすごい“ひよこ頭”なんです。
    三 ひよこあたま?
    美 ぽしゃぽしゃ、毛がない(笑)そのひよこ頭にいつも決まった銘柄のリキッドをつけて、最初は後ろから前へ全部もってこないといけないんですね。そこから七三に分ける。最初こっちに、それからこっちに、櫛の線がぴーっと入るように流して、そこから今度こっちから斜め45度にたくし上げなきゃいけない。それから脇をぴっとやって、眉毛をやってヒゲをやって、完成(会場笑)。それが朝のお仕事です。

    三 橋本先生は必ず、診療室の座布団に腰を据えてまずお茶を飲んでらしたようだけど、どんなお茶飲んでたの?
    美 それはですね。仙台に井ヶ田(いげた)っていうお茶屋があって、そこの、もの凄く高いのを。100グラム、聞いてびっくりして下さい。600円です。(会場笑)一号芽茶っていうのがありましてとにかくそのお茶しか飲まないんです。とにかくそれが好きで。
    三 そういえば機嫌が悪いとお茶がらみでミヨちゃんにあたるっていう話を聞いたけど?
    美 一号芽茶というのは、淹れたてはすごく濃い緑になるんです。置いておくと沈殿する位に。それを竹べらで混ぜて飲むのがお好きだったんですが、そのお茶を何回も入れた後も急須の中に入れておくんです。
    三 出がらしってやつだね(笑)
    美 それをすぐに取り替えると、怒られるんです。勿体ないって。それもかなり葉っぱが開ききっているのに、ある日おい美代子、そのお茶で一番濃いお茶を淹れてこいと。(三浦、会場笑)どこをどうやっても一番濃いお茶なんて出るわけないじゃないですか。どうしたもんかと最初は可愛らしく悩んでみたんです。でも毎回出がらしのお茶っていうと、お湯を入れてシェイクして、暫くの間シェイクしてそれで満足して飲んでくれたんですけど、その日は何故か機嫌が悪くて、濃いお茶じゃないとダメだ、って。その開ききった葉っぱで淹れろと。最初は初々しく困ったなあと思ったんですが、こう、むかっ、むかっという思いが私の中に発生しまして(笑)、出来るわけがないじゃないかと。それで、それでもやれと先生が言い張るもので、だったら、先生が淹れて、(三浦・会場爆笑)私にお手本を見せてくださいと。それで出来たら私もやるよ、「ハイ淹れてみて」と。そしたら、イヒィっと笑って「葉っぱ替えてもよろしい」(会場爆笑)。
    三 なるほどね(笑)。弟子にはそういった姿は見せないしね。やはり可愛いミヨちゃんにはだだこねたり無理難題をふっかけてたんだね。それで、医者としての橋本先生はさんざん我々も見ているけれど、女性の目からみた橋本先生っていうのはどんな印象なんだろうね。
    美 素敵です。可愛いです。あの笑顔を見せられるとね、メロメロっとなりますね。あの怒った時の表情と満面の笑みが極端なんです。怒った時は鬼じゃないかと思うような形相なんですね(笑)。そこまで怒らなくてもいいじゃないか、っていうくらい。でもそれは本気なわけではなくて、ただ自分の思いを訴えたいだけなんです。
    三 先生の怒り方ってのは、絶対根に持たないのね。からっとしてるんですよ。もう次の瞬間忘れてるっていうね。本当に可愛い先生だと思いますね。従業員として見た、医師、橋本先生ってどんな方でした?
    美 医者としては追求し続ける姿勢がありました。若い人の話も聞くし、色々な人の話も受け入れるし、自分がこうだ、これが正しいっていう押しつけはしないで、自分自身で思ったことをとにかくやってみろと。それでウソかホントかやってみて、その結果を自分で受け入れなさい、そういう教え方をどの人にもしていましたね。
    三 ああ、本当に橋本先生の口癖はね、我々に指導する場合でもネ、ウソかホントかやってみてから言えと。やってもみないでなんだかんだと理屈を言うなってネ。
    美 そうですね。ヤジウマ根性っていう言葉を常々言われてましたね。
    三 で、誰が一番ヤジウマ根性旺盛かというとね、俺だ、って言うんだよね。儂(わし)が一番ヤジウマ根性旺盛だと。それがね、上に何か付くんだよ。「ずるいヤジウマ根性」。ずるい、って言うんだよね。ずるさがないとヤジウマ根性も板につかないと、ね。ただのヤジウマじゃダメ。やっぱりそれは探求心だろうね。
    橋本先生が温古堂の診療室で日々、日常これはかかさずやる、っていうことは何かあるかな。
    美 橋本先生はとにかく花が好きで、「とにかく花を見て怒るやつはいないんだ」と。とにかく幸せな気分になると。先生の座っているところから正面に草花が飾ってあるんです。それが見える位置や角度にもこだわりがありまして、1ミリずらしてみたり。何をやってるかと思うと、自分から見える一番いい位置を探すんですね。ずらしては座ってみて面白くないと立ってまたずらして。あれはいい運動ですね(笑)
    そういうのを繰り返しやっていて、あとは目の前の灰皿の上に繭でできたニワトリがありまして。(注:『操体法治療室』の『温古堂ものがたり』にも登場)ひよこの形をしたような落花生がありまして、それをキレイに並べたり。その位置関係が大事なんですね。(会場爆笑)それをきれいに並べてないとだめなんですって。雑然としているんですけど、先生なりのこだわりがあって、位置がこう、びしっと決まってるんです。
    三 確かにそんなことあったな。それじゃ橋本先生の癖って?側にいて何か気がつくことがある?
    美 常に耳をこすってました。耳を常にぱたぱたぱたぱたと。耳って確か柔らかくないとだめなんですよね。常にマッサージしてました。それから耳がもの凄く大きいんです。内緒話にならないんですね。よく聞こえるんです。 

    (前半終了)

  • 難しいなんていわないで

    もりたです。

    昨日は10月10日、銭湯(1010)の日でしたので、久しぶりに銭湯に行ってきました。
    大田区は東京23区の中で、最も銭湯の多い区です。

    温泉は浸けた肌が3センチの深さで見えなくなる黒湯です。

    これは、自力自動の操体をするにはいいぞ!

    そう思ってネタのつもりで銭湯にいったものの、
    銭湯にしてはぬるま湯で、黒い湯にゆったりとからだを浸し、のびのびしてしまったら、
    動診する前にほうっと気持ちよさでいっぱいになってしまいました。

    こんなときは、「なにかしてやろう」というよりも
    快適感覚に委ねた方がよろしいようで。
    この日は露天風呂でからだをあっためてほこほこになって帰ってきました。

    話は変わって、今日は「難しい」という言葉について書きたいと思います。

    講習をやっている時には、いくつかの禁句があります。
    その一つが、「難しい」です。

    操者が患者さんを動診に導く時に、介助をするわけですが、
    からだの使い方、これは9日「合目的」にもちょっと触れましたが、
    般若身経が身に付いてないと患者さんの感覚の聞き分けができません。

    講習の中では般若身経、連動、ポジションの設定など、腑に落ちるまで、
    何度も繰り返して学んでいます。
    何年か前の自分を思い出してみると、
    からだの使い方の法則にのっとっていることの重要さも理解していなかったし、
    なぜ、介助をする人によって患者さんの快感度がこうも違うのか、
    三浦先生が教えてくださることができないことばかりで、
    「難しい」「手が小さいから仕方ない」「力が足りないから無理」など、
    今にすると、恥ずかしい言葉をよく吐いてたな〜とおもいます。

    そういう時に、周りから「難しい」は禁止!!
    という言葉が飛んできました。

     
    三浦先生や、畠山先生はこのように説明してくださいました。

    「確かに、何かを習得し始めの時は、ぱっとできなくて当たり前。
    でも、できるようになって過去を振り返ってみれば、できてしまったことはもう難しくはない。
    はじめから難しい、という言葉で定義してしまったらそれを身につけるのは無理。
    ことばは運命のハンドルだと橋本先生もおっしゃっている。」

    言い回しは違いますが、このような内容だったと思います。

    それを聞いてからは、なるほどそうだと思い、
    「難しい」を口にしたり、首をひねりながら練習することはやめました。

    確かにからだも手も小さい女子(まあまあ女子といわせてください)には、
    一見大の男の太い足を持ち上げねば! ということであれば無理もあるやも知れません。
    でも、操体は腕力で介助するのではありませんし、
    からだの使い方、皮膚や目線、意識、言葉をうまく使うことによって
    いくらでも操者に無理のない臨床をすることができるのですから。

    それができて、やることやってできなければ「難しい」といってもいい。
    でも、一緒に学んでいる先輩が変わっていく姿を見ると、
    みんなあきらめずに学びを深めている。

    それを超えてからじゃないと言えないのであれば、
    講習中に「難しい」なんていえません。

    ついでに日常でも「難しい」という言葉は、その場で使うのに正しいかどうか
    確認してから使うようになりました。
    われわれは医療者なのです。

    ある高齢者専門の医療現場にて、患者さんの治療に行き詰まった時に、
    「もう寝たきりだからこれ以上は治らないよ」「難しいよね」
    というのが口癖の方がいました。
    たしかに自力で歩行できる患者さんのようには機能が回復ないとしても、
    行き詰まった時に「難しいよね」の一言で、
    その場にいる人がなんとなく意見が一致してほっとするような状況が居心地悪かったのを覚えています。
    もうちょっとあきらめないでいい手がないのかな、と考えることをやめてしまうような気がしたからです。

    難しいという言葉を使うことで、誰かの可能性の芽を摘むこともあるかもしれません。
    もちろんその言葉を選んだその人自身も。

    言葉の使い方について、気にするようになること。
    これも、橋本先生が伝えたかった操体哲学です。

    秋のフォーラムでも、臨床の中でのからだの使い方について触れるはずです。
    参加される方には、やってみて「難しい」という前に、
    もっといいポイントがあるんじゃないのかな?と、
    周りの実行委員を捕まえてなにをどうやればいいのか、しっかり聞いてみてください。

    みんな豆腐の角に頭をぶつけて学んできたメンバーなので、
    説明も上手なんじゃないかと思います。

    まだまだ、修行まっただなかの私ですが(修行に終わりはありませんが)、
    また言葉について、気になったことがあれば書きたいと思います。

    では、1週間、おつきあいありがとうございました。

    明日から山野さんにバトンタッチです。
    よろしくです。

    森田珠水

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  • ねむりと枕

    森田です。

    布団が変わって2ヶ月が経ちました。
    長年愛用?のせんべい布団から、マットレスになりました。

    このマットレスは結構いいものでして、
    横になったが最後、意識を失う固さの弾力なのですね。

    がしかし、それまでの枕を使うと、朝起きたときになんだかからだがぎくしゃくする。

    起き抜け、日中、暇をみて自力自動で操体をしてみているのですが、
    朝起きるとまたもやぎくしゃく…。
    日に日に少ーしずつ寝違えに近づいていくのが体感できました。

    寝床が変わって10日も立った頃には軽い寝違えの出来上がり!

    確かにただ単に手をこまねいていたわけではなくて、
    寝床をかえられないなら、愛用の枕の枕カバーにうまいことタオルを入れて
    逆さまに使ってみたり、毎日調整してみました。

    面白いもので、タオル1枚で、頭、背中、腰の沈み具合が変わるのです。
    その日の朝のからだの具合が変わるのが面白かったです。
    今では間に合っているくらいには枕の形が決まってきました。

    夜ぐっすり眠れないのは私にとっては苦痛ですね。
    1日なんだかすっきりしません。

    眠りについて、いい機会を得たなあ、というのが感想です。

    それと、せんべい布団の硬さのありがたさも再確認しました。
    実家に帰って自分の布団で寝たときのぐっすりさといったら、
    そのままつれて帰ろうかと思ったくらいでした。

    みなさんは、いい眠りを味わっていますでしょうか。

    写真は、散歩中に見つけた熟睡猫。
    いい具合の脱力っぷり。

    すごく近づいて、「おーい、写真とるよ!」と呼びかけてみましたが
    全然起きない…いいのか、野良猫として!

    森田珠水

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  • 「合目的」

    森田です。

    キンモクセイの香る頃になりました。
    オレンジの小さな花が愛らしいです。

    残念ながら、小さいときに嗅いだ芳香剤の出来が良すぎて、
    キンモクセイの香りは何かを連想してしまいます。
    匂いの記憶は強力だなと、この季節いつも確認してしまいます。

    なんだか色気なくてすみません(爆)。

    さてさて、今日はある言葉について書こうと思います。
    それは、「合目的」です。

    yahoo!辞書では
    ・合目的
    [形動]ある物事が、一定の目的にかなっているさま。

    となっています。
    私はこの言葉は操体の世界に足を踏み入れるまでは聞いたこともなかったです。
    学び始めても初めのうちはいまひとつピンとこなかったのを覚えています。

    操体の臨床を学ぶにおいてはではからだの使い方の習得は外せません。
    これはただ患者さんにからだの使い方を教えるためだけにあるのではなくて、
    患者さんに動診を通すときに、介助者としてからだの使い方、
    つまり、般若身経を身につけていないと十分な聞き分けをする環境を作れないからです。

    この場合の「合目的」の目的とは
    「患者さんのからだの感覚の聞き分けがよりよくできる環境を作る」です。
    ここではひとつひとつ介助に関してのポイントは説明しませんが、
    例えば一人が患者役で動診を受けてみると、

    ・操者が目的にかなったからだの使い方をした時の患者のからだに生じる感覚の聞き分け
    ・操者がからだを局所のみバラバラに使った時の患者の感覚の聞き分け

    この2つは1か100か、くらいの差が出ます。

    患者役や操者役を通して、からだで「目的に合った」からだの使い方をすると、

    ・操者の腕力を使うことなしに効率よく力が発揮される。
    ・患者に与える介助が最初から最後まで安定する。
    ・無駄に疲れない
    ・むしろ自分のからだも気持ちよい

    よって、患者さんの感覚を聞き分け、きき分けた快適感覚を十分に味わうという目的にかなうポジションがとれるわけです。

    これを例えば、生活の中にあてはめてみますね。
    重心安定の法則が身に付いている状態で包丁を使ったときはどうでしょうか。

    1.足は腰幅、平行に開く
    2.膝はホッと力を抜く
    3.背筋は軽くのばし、目線は目の高さで
    まず初めにポジションをとってみます。

    この重心安定の法則に

    4.利き足と反対の足を半歩前、

    これを加えて包丁を使ってみてください。

    もちろん手は小指、足は親指を効かせますと、自然と包丁は手前に引くような動きになります。
    わかりにくいかもしれませんが、重心移動もこの姿勢だと安定して行われています。

    これって、般若身経が身に付いてると料理人さんのからだの使い方と同じになりますよね。
    重心が安定して、包丁でものを切るという目的にかなう、のです。
    言葉をかえると、切るという作業に、からだ全身が「合目的」に動いてくれるのです。

    からだに無駄な力が入らず、きれいに切れ、見た目もきれいで味もガタガタに切れているよりずとおいしいはず。
    美しく切れることで、心の満足も満たされて、
    食べてくれる人との楽しい時間も共有できるかもしれませんね。

    これは、ものを持ち上げたり、歩いたり、どんな動作でも応用できます。

    もちろん1日中こんなことを考えていたらオカシくなりそうなので、
    時々「あ、そうだったっけ」と思い出すくらいでいいと思いますけど。

    操体の施術者は、これが身に付くよう日々精進なのです。

    それほど大事なので、フォーラムでは、毎回般若身経について発表しております。
    こんどの秋のフォーラムでは、「般若心経を臨床に活かす」として、三浦寛先生と今昭宏先生が実技を交えてお話ししていただきます。

    実行委員の我々も楽しみにしております。

    あ、宣伝になってしまいましたが(ベタですね…)、

    話を戻すと、以前は「合目的に」って言葉、私の辞書にはありませんでした。
    日常で聞いていたとしても、耳を素通りしていたと思います。
    でも、今では臨床をはじめ、普段の生活に「合目的」や「理にかなう」を
    考えたり、口にするのも普通にできるようになってきました。
    なんというか、気に入っているのです。「合目的」「目的に適う」という言葉が。

    からだという自然の要求にかなうように生きる、
    これって、何にでも応用ができます。

    何かを行うときにからだ全体で取り組むことの出来具合に充実感やスッキリ感を味わうのは気持ちいいですよ〜。

    では、今日はひとまずこの辺で。

    森田珠水

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  • 池上本門寺

    森田です。

    三浦先生のルネラリック、美しいですね。
    コンポートが波のようです。

    先生の治療所にお宝探偵団を送り込みたくなります。
    それだけで、番組が一つできるかも!
    などと、あんまり勝手なこといって泥棒が入るとイカンのでこの辺にしておきます…。

    ところで、今日は私の新しい環境、の池上の町をちょっと紹介します。

    池上は、日蓮聖人が入滅した日蓮宗本門寺がある門前町
    本門寺には幸田露伴や、力道山の墓があり、格闘好きの人はお参りや観光で写真を撮っていかれる姿を見かけます。
    格闘技つながりでいえば、本堂の仁王像のモデルはアントニオ猪木ですって!
    これは写真とっていませんですみません。

    ここにある五重塔は、関東で最古、最大(1607年建立)のもので、国の重要文化財幸田露伴の小説「五重塔」のヒントになったといわれています
    (ああ、読まなくちゃ…)。

    私のマンションのベランダからはこんな風に見えます。
    夜のライトアップは雰囲気があって、夏の夜は五重塔を肴にビールいただきました。

    池上は伊東深水の家の庭だった池上梅園など、
    蒲田に近いのに下町とはちょっとちがった雰囲気があります。
    私もこれからはちゃきちゃき下町から、はんなりした?ムードの施術人になる予定!
    やはり場所の波動ってのはありますからね。

    また、門前町ですから、もちろん路地も多く、通ったことのない道の開拓と、
    猫との出会いにいそしんでおります。

    今日は本門寺の石段にいる(各猫居場所がだいたい決まっているらしい)猫たちを捕りました。
    散歩中の犬や人にも犬にもある程度の距離を保って、でも逃げないのがここの猫らしい。

    フォーラム名司会者福田さん同様、私も猫がとる距離感に惚れています。
    タマも猫族なんでございます。

    では、今日はこの辺で。

    森田珠水

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  • 環境の変化

    森田です。

    三浦先生、忙しい執筆の合間を縫って、ブログを書いてくださってありがとうございました。

    順番が回ってくる時間というのは長いようで短いですね。

    5ヶ月弱の間に、私は環境が変わりました。
    具体的には名字と住まいがかわりました。

    今週から、ニュー森田としてブログを書いていきます。

    名前について

    ひとまず、森田姓のままで仕事を続けます。

    女性は、日本の戸籍制度では姓が変わる性です。
    それを「女って面倒よね〜」と思うか、「好きなように使っていいわけね」と、
    逆にこの状況を上手に使いこなすのか。
    それは、その人自身にかかっていることです。

    なーんて、偉そうなこといっておいて、基本的にはのほほんとしている私なんですけどね。

    名前を変えないことで「困ったなあ」と思うことがあるかもしれませんが、
    自分のやりたいこと、やらなければならないことをなんとかマイペースにこなしていこうと思います。
    大事なのは、焦らないことだと、自分に言い聞かせております。
    できれば周囲に迷惑をかけない形で、ハッピーに変化をいい進化につなげていかれればいいですなあ。

    他人と暮らす

    月並みですが、何十年も別に生活してきた他人が一つ屋根の下で暮らすのだから、衝突があって当然、といいます。
    今まで私は、実家で仕事を自分の中心にして、家族に甘えながら自分中心に考えて生きていました。
    しかし、血のつながらない他人との生活は、今まで自分が何から逃げていたのか気づかされます。

    息食動想の想をこのなかで生かしたいですね。

    新婚生活は、毎日が修行(ちょっと言い過ぎ?)!
    どうせ修行するなら、楽しくやりたいなあ。

    二人の生活を、息食動想において自立できるかどうか、緊張感を楽しみたいです。

    女性が仕事をすることについて

    私は以前、どんな形であれ仕事をする女性には結婚や出産はマイナスでしかない、というイメージを持っていました。

    からだの仕事というものは、一線を退くと腕はやっぱり鈍るものです。
    仕事の感覚を取り戻すには倍の時間がかかるし、患者さんとのご縁を作り直すこともエネルギーいりますよね。
    そういう意味で、結婚はできるだけ先延ばしでいいやと考えていたような気もします。

    でも、操体に出会って、操体はただの治療法なだけではないと理解するにつれ、
    「なんだ、操体は生活の中でも学べるんじゃないか」とある時ふと気付きました。
    「結婚は女性にとって仕事をするのにマイナスにもプラスにするにもその人の意識次第」、
    そう気がついたらスッキリと、気持ちの方向性がかわりました。

    それは三浦先生から学んで何年経った頃でしょうか(気づくの遅い?)。

    そんな私をその人が自ら気づくまで静かに見守って待ってくださるのが師匠でした。

    あるとき私が、「臨床でない場面でも、操体は学び続けられるのですね」問うたときに、
    「そう」と一言答えてくださいました。

    いやあ、こころがほっと軽くなったこと。

    もちろん、子育てをすることになれば、患者さんののからだを触れる機会は減ります。

    でも、自分のからだで感覚の聞き分け、連動、からだの使い方を学ぶことはできますし、
    赤子がいれば、皮膚とは何か、いきものの波動とはどんなものか、
    子供がいなくても森羅万象から学ぶことがそのまま仕事を再開したときに生かされます。

    息食動想は、毎日の生活の中で磨くことはできます。

    臨床しないからといったって、まったく足止めを食らうわけではないのです。

    何たって操体は生き方、自然法則の応用貢献ですから。

    というわけで、住まいと名字を変えて、今、私がいます。

    私が私でありながら、どんな風に生活や臨床が変わっていくのか、
    ブログやフォーラムや臨床を通して進化、深化を楽しみにしてくださいね!!皆様。
    なんつって。

    まあ、基本は野良猫と路地を愛するブログになると思います。

    1週間よろしくです。

    森田 珠水

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