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  • 熱闘甲子園その2

    同じタイトルにブログアップを間違えたのか?と思われた方、残念ながら今日も昨日の延長戦で野球の話しになります・・・
     昨日はテクニカル(技術的)な部分から気付いたことを話しましたが、本日はメンタルな部分について話したいと思います。
     ご存じの通りスポーツ界は昨今、メンタル・トレーニングブームでして、先のワールドカップ南アフリカ大会でも、奇跡の勝利を見せた侍ジャパンも、このメンタルトレーニングを行ったお陰で勝利出来たと、マスコミもこぞって報道しました。
    まぁ全てがメンタルトレーニングのお陰だと言うのは言い過ぎであり、JAROに訴えなければならなくなりますが、少なからずとも勝負の世界とメンタルは切っては切れないものであり、メンタルを制するものは世界を制すと言われた所以でもあります。

     では勝負の世界に必要なメンタルとはどの様なものでしょうか?キーワードは『平常心』です。普通に今、家で寝転がってる心理状態でピッチやグランドに立てるかどうかが、この平常心であり、常に心が静まりかえった山奥の堤のように波紋一つたてない状態であれば人は誰しも、イチローであり本田になれるのです。
    但し、緊張がなさ過ぎても駄目で、“真っ赤に燃える炎”と言うよりは“刀剣の切っ先の様に青白く燃え上がる炎”が理想ではないでしょうか。
    気合いだ!気合いだ!気合いだぁ!だけでは逆にメンタルのコントロールは不安定となり、自分より明らかに弱い相手と闘うのであれば、勢いに負けて相手もびびるのでしょうが、同等の能力若しくは上の相手では逆に負け犬の遠吠えにしか聞こえず、足下をすくわれる結果となります。
    本当の名人とはゼロから一気に1,000%の力が出せる人のことではないのでしょうか。一瞬にして場を変えたり、自分を変えることが出来る人こそ、メンタルコントロールの達人ではないかと。車で言えばランボルギーニ系とかフェラーリ系の様な(スイマセン・・スーパーカー世代なもので)

    またまた話しが大きく逸れそうなので本題に戻しますが、昨今の球児にはこのメンタル(心)が弱い子が非常に多く見受けられ、テレビを見ながら思わず「ごるぅあぁ!」と怒鳴ったことも幾度となくありました。
    それが一番よく分かる場面は試合が終盤に差し掛かった時です。表の攻撃のチームが相手に負けている場面で、信じられないのは8回の表とかにも関わらず、泣きながらベンチで声を出している選手が居ることです。9回の1アウトでも取られようものなら、殆どの選手が目に涙を浮かべ或いは嗚咽している選手も見受けられます。
    試合は未だ終わってないのです、野球は2アウトからなどと言うこともありますが、現実今回の大会も終盤に4〜5点差をひっくり返して勝利しているチームも多数あるのです。
    泣くということは試合を放棄したのと同じです。勝負の最中に感情を露わにし自分の弱い部分を人に見せるなどというのは勝負以前の問題であり、小っちゃな子供が欲しい物が手に入らず泣いているのと同じ状態です。
    この話をすると選手に同情的な人達は、三年間の厳しい練習や思い出が駆け巡り、感極まっているんだろうと・・・
    まぁ同情的な人は思い入れがありますので、ありがたい限りですが、これが同じベンチにいる選手だったらどうでしょうか?
    片や野球は2アウトからだ!やるぞ!と思っているのにもかかわらず、同じベンチの中で泣いている選手が居れば・・・
    怖いのは弱気やマイナスイメージは強烈な伝染力を持っていることです。
    よく心が折れるという言い方をされることがありますが、涙を流し感情を露わにするということは自ら心を折るという行為に他なりません。
    本人は気持ちいいのでしょうが、回りにいる人間はたまったモンじゃありません。

    話しは飛躍しますが、軍隊で最前線にいる兵士が極限状態に追い込まれると、メンタルが弱い兵士は気が触れてしまい、見えない敵に怯え言動や行動が不安定になり、他の兵士の士気に関わるので、最前線から後方部隊へと回されてしまいます。
    軍隊といった究極の集団生活の中だからこそ、たった一人の人間の言動が、隊全体の士気と命に関わるからこそ、厳しい規律の中で管理をするのです。
     勝負の世界はプレイボールから始まりゲームセットの声を聞くまで終わりではないのです。選手の中にはベンチにすら入ることが出来ずに、スタンドで応援している部員だっているのです。必死で声を枯らしてゲームセットの瞬間まで勝負をしている選手にとって、途中で試合を投げてしまうのは、失礼極まりない行為なのです。
     人生だって勝負です。仕事で追い込まれることや辛い人間関係など様々な障害が現れます。一度逃げる癖を付けてしまうと、人間は楽な方へ逃げてしまいます。辛いからと途中で泣いたって誰も助けてくれませんし、仕事を投げ出し逃げることも出来ません。
    勝負の世界は必ず勝者と敗者が決まります。この事実をしっかりと受けとめ、負けた時は次へのステップとし、勝った時は奢らず更なる上を目指す心構えと人間形成が必要なのではないでしょうか。
    だって人生にはゲームセットはないんですから!球児達よ!真の心の強さを磨け!!

    福田勇治

  • 熱闘甲子園

    熱い夏が終わった・・私にとっての夏とはまさに野球の夏です、自身の野球は未だ続きますが、7月の中旬から8月中旬の1ヶ月は高校野球との夏であり、
    島根県予選から始まり、甲子園決勝までの期間はドップリ野球漬けと成ります。
    私がみている選手が出場するからということもありますが、それはほぼ後付けで、単純に「野球が好きだかだぁあ(チャンドンゴン風)」ってことで・・
    甲子園って野球経験者にとってはまさに聖地であり、私の近所にも甲子園出場経験者が数人居らっしゃいますが、一緒に飲むと延々甲子園の素晴らしさを語ろう!
    みたいな状況になり、ややゲッソリと成りますが、それにしても羨ましい限りです・・・

    今年の夏の大会はご存じの通り沖縄県勢初興南高校の優勝で終了深紅の大優勝旗は沖縄へと渡りました・・・
    島根県は残念ながら春夏共に甲子園での優勝経験は無く、最高位は平成15年の江の川高校(現 石見智翠館高校)のベスト4が最高であり、
    島根県民としては悲しい限りでございます・・・優勝経験が無い県としては中国地方では鳥取県岡山県と三校だけとなっています・・・
    因みに実行委員で野球経験者の佐伯さんの出身地、四国は全県優勝経験があるという強豪地方です・・・更に優勝回数が最も多いのは10回の大阪みたいです。
    しかし、私が現役の高校球児として地味に活動していた以前と違い、近年は実力の地方格差は徐々に狭まりつつあります。
    その証拠に以前は弱小地区の代表とされていた新潟県がここ数年は目覚ましい活躍を見せており、昨年夏の日本文理高等学校の準優勝は記憶に新しいですし、
    今年の夏も新潟明訓はベスト8に入る活躍をしています。

    その大きな要因として指導者は当然のことながら、施設を含めた環境整備の充実が大きく、変化球も含め160Km近い速球が投げられるような
    一台数百万もするピッチングマシンや雨天練習場など、ソフト面とハード面、両方が都市部と地方部格差が無くなってきたということでしょうか。
    しかし、予算が少ない公立高校では環境整備も中々難しく、今年の夏の大会でもベスト8に入った学校は全て私立というのが現実です。
    そこで、今回の甲子園も含め近年の球児達の気になる点が幾つかあったので、挙げてみたいと思います。
    先ず感じたのは条件付ではありますが、確実に全体のレベルは上がっているということです。
    投手の球種の多さに関してはほぼプロ並みに多く、ストレート・スライダー・チェンジアップを基本として、カーブに2シームやら落ち系で言えば
    フォークにSFFと百花繚乱まぁ見事なモンです。
    インサイドワークも対戦相手の心理状況など研究し、裏をかくなど優勝した興南高校のバッテリーなどはプロ顔負けの素晴らしさです。

    バッティングに関しても、先程言ったように非常に高性能なピッチングマシンや飛びやすいボールも関係してか、素晴らしいバッターが多数存在します。
    コースの打ち分けやパワー、スイングスピードも早く、将来が楽しみです。
     
    その一方で感じたのは明らかにレベルが落ちているのではと感じた部分でした。それは『基本の大切さ』といった部分です。
    特に基本中の基本である筈の守備面での荒さが全体的に目立ち、その一球で試合の流れが変わり、負けに繋がったという試合が幾つも見られました。
    守備の基本はキャッチボールであり、相手が取りやすいところへ投げることが必要なのですが、ランダウンプレー(挟殺プレー)での暴投など、
    他の練習と違って地味な練習が必要なプレーでのミスが数多く有りました。

    野球は確かに点取りゲームなので、点を取らなければゲームに勝つことが出来ないので、点を取るのに必要なバッティング練習に力を入れるのは分かるのですが、
    取ったら取り返すといった大ざっぱな点取りゲームに終始していると、本来、日本人が長い野球の歴史の中で培ってきた繊細なプレーが忘れられ、
    アメリカMajor Leagueの様な力こそ全てのPower Baseballとなってしまい、日本人が勝てない領域での戦いを挑むこととなってしまいます。
     
    話が大きくそれてしまったので元に戻しますが『奇跡のプレー』とは結局は普段行っている、練習での基本の積み重ねでしかなく、
    普段やってないことは切羽詰まった土壇場では出て来ないと言うことです。
     野球に限らず全ての物事は基本の中に全てがあり、基本の応用が新しい発見に繋がり、次へのステップとなるのです。
    基本が出来てないのに格好だけを見て真似しても所詮、真似でしか無く、本質には辿り着けません。
    地道に基本・基礎を静かな汗をかきながら出来るかどうかが運命の分かれ道であり、栄光か挫折かのターニングポイントではないでしょうか。

    福田勇治

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。

  • 大徳寺とそのご縁

    ご無沙汰致しております、動けば来電の如くと言われたい島根の福田です・・只今、東京操体フォーラムin京都の真っ最中であり、
    ブログがアップ出来ているかどうかも不安ですが、今週一週間お付き合い宜しくお願い致します・・・
     
    今回のフォーラムはフォーラム初の関西開催プラス寺院開催と言うダブルお初と成りました・・
    玉林院さんにはただただ感謝でございます・・
    縁とは不思議なもので、今回フォーラムを開催させて戴いた大徳寺塔頭 玉林院さんは私が住む出雲地方では有名な
    山中鹿介幸盛(1545?〜1578年)墓所がある寺院でもあり、感涙ものです。
    いわゆる全国的に見れば、マイナー武将ではありますが地元では代表的な戦国武将の一人です。
    陰陽十一州の太守と言われ出雲地方のみならず、広島・岡山方面にまで勢力を伸ばし、我が世の春を謳歌した尼子氏の重臣で、
    台頭してきた毛利家に主家を滅ばされた後も、お家再興の為に何度も反旗を翻し、主家再興に生涯を捧げ、最後は毛利家によって謀殺された武将です。

     ど〜しても日本人の特性と言いますか、判官贔屓で敗軍の将への美学と申しましょうか、負けた方への愛情が深いんですよねぇ・・
    しかも山中鹿介に至っては、今の日本人がスッカリ忘れてしまった、会社(主家)への深い愛情と言いますか、現代で言えば勤めている会社が乗っ取られて、
    倒産しても尚、会社の再興を夢見て、一人ベンチャー企業を興して、乗っ取り先に立ち向かうなんて、織田裕二が泣いて喜びそうなドラマのような話しです・・・
    主家の再興を夢見て三日月に向かい「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と願った逸話は有名で、その願い通り何度も何度も毛利家に挑みながらも、
    遂には夢叶わなかったその悲運の武将の姿は日本人のメンタリティに響き、江戸時代には講談でより美化され忠義の士として、
    戦中・戦前には国威発揚に使われ小学校の教科書に取り上げられたりもしました。

    この日本人特有のロマンチシズムとでも言うべき心情は今週のブログには何度となく出てくるとは思いますが、日本人の本質とでも言うべき部分ですのでご容赦を・・・
    とまぁ、そんなこんなで話しが、ズレまくりますが、個人的にも私が歴史に興味を持つように成った切っ掛けも、鹿介の主家“尼子氏”なので、
    特に今回の玉林院さんには妙なご縁を感じます。
    特に山中鹿介は確認出来るだけでも首塚やら胴塚やら墓所っぽいものが、中国地方各地に約7カ所もあり、中国地方以外では唯一、
    京都の玉林院さんに鹿介の長男であった鴻池財閥の始祖 鴻池直文(山中幸元)が位牌堂などを建立されたこともあり、これで私の鹿介墓所巡りはコンプリートと成りました・・・
     因みにこのブログを書いている時は未だ、玉林院さんにはお邪魔しておりませんので、是非、お墓参りに行きたいと願っております・・
    それでは1週間宜しくお願い致します。

    福田勇治

    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。

  • スイッチ

    部屋のクローゼットを整理していると小学校の時の少年野球部時代の写真がでてきた。古ぼけた写真の中に見覚えのある顔が並んでいる。
    友人とのやりとりや試合の事が次々と蘇ってくる。

    人間のからだに記憶されたものはふとしたスイッチでどんどん蘇る、こんな、ふとした日常の出来事がいろいろなヒントになる。

    からだの抱えた愁訴の原因の中に古傷によるものもある。
    きちんとした治療・処置をしなかったため、からだの中でもうやむやになり時がたつ。そして何かの原因で再びスイッチがはいる、とこのままでは『だめじゃないですか』と思いますがそうではない。からだには凄く昔からの記憶が刻まれている。螺旋構造、DNAです。そこには今の自分のからだになる前のもっと前の記憶。まだ医者もいなかった時代の記憶、からだの治し方も刻まれている。

    『感覚を聞き分ける』『快適感覚を聞き分ける』これはその治癒力のスイッチをオンにしてくれます。

    『からだは治し方をしっている』『治す事にとらわれるな』この言葉に感謝です。
    日常のヒントとこの言葉がある、そしてプロセスが浮いてくる。素晴らしい!

    この一週間を通しても感覚という言葉を数多く使いましたが、それだけ『感覚』とは重要なのです。そしてこれは考えてどうにかなるものでもありません。
    感覚を聞き分けるとはからだとの対話。考えた時点でそれは会話ではなく自問自答です。だから「わからない・難しい」という言葉がでてしまう。

    『考える』のではなく『感じる』です。

    この一週間、何を書こうと思いながらキーボードを叩いてきましたが今日が最終日です。横道に逸れながらの文章を読んで頂きありがとうございました。
    明日からは読み応えありの畠山先生の担当です。

    西田尚史

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。

  • 京都の思い出&考えないと言う事

    6日目となりました。

    僕が京都に行ったのは幼少の頃、父の転勤の際に泊まった時と中学校の時の修学旅行の時です。
    その京都に泊まった時は小学校一年生の時でしたか、覚えているのは宿泊先のホテルのロビーでアン・ルイスさんに「かわいいね〜お嬢ちゃん」と言われた事ですね(笑)。僕は男なのですけどね・・・確かにまつげが男性にしては長いかもしれませんが。

    そして修学旅行での『京都・奈良』・・・もう20年も前なのですね・・・記念に作った弥勒菩薩の絵を描いた今は亡きマグカップを思い出しました。
    皆さんそれぞれに好きな建造物があると思いますが、僕は、国宝三十三間堂や千手観音坐像、更にはその左右に立ち並ぶ重文千体千手観音立像が圧巻で今でも鮮明に覚えています。関連のHPを見て思い出したのですが、重文 千体千手観音立像の中には会いたい人と似た像がいるそうですね。そういえば当時友人達と好きな女の子の顔を探していたなんて事もありました。


     
    写真は三十三間堂のHPの物を引用しています。

    人間の記憶には驚かされます。美しい物や綺麗なものはしっかりと記憶に残ります。ここでこういう結びはおかしいのかも知れませんが(かなり強引に!)、操体の臨床において快適感覚がからだを治すというのもうなずけます。気持のよさはからだの記憶に残りからだも喜びをもって治る。なんて美しい利に適った流れなのでしょうね。あと一週間後に訪れる京都が楽しみです、今回は観光とは行かないと思いますが、雰囲気を味わいたいです。

    今日はもう一つ、人間のからだは良くできているなと言うこと。
    見ただけの判断だけで歪みを一方的に正そうとすると間違いがおこる、それを操体の臨床においては感覚を重視し受けて自身が感覚を聞き分けるから間違いがない。
    では、その目で見た歪みは一体なんなのだろう?と言う事になりますね。
    僕は思います。からだには取る必要のない歪みが存在すると言う事、そして、その事をからだが知っているのだと。だから頭にではなくからだに問いかける。感覚をもっとも重要としている理由のひとつと理解しています。
    上記の文中にも書いている言葉ですが『快適感覚』。
    先日も「私にわかるかな〜」と言われましたが、頭で考えてしまっているうちは決して『わからない』のままだと思います。感覚を聞き分けると言う事は頭で考える事でも探す事でもないのです、それはからだと対話することにあるのです。これはスピリチュアル的な事でもなくごく自然な事です。だって原始感覚とはそういうものだからです。

    まずは、「どうしたら聞き分けられるのだろう」というような『考える事』をなくして向き合う。
    頭でわかったという事ではなく、からだが教えてくれるはずです。大丈夫です、からだは本当に良くできていますから!!
    このような説明では納得いか〜ん!!という方もより深く操体にふれ、学びたいという方、是非とも東京操体フォーラムin京都へ!!(くどいですか?すみませんでも是非!!)

    西田尚史

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。

  • やはり海は最高2

    昨日は海に行く途中の星空の話でした。
    普段はあまり星を見ることが少なくなりました。皆さんはよく空を見るでしょうか?たまに静かに空を見上げて空気をゆっくりと吸ってみて下さい。
    それは、最高に気持がよいですよね。

    ちょっと、のんびりしすぎたのか目的地に着いたのはこの日は台風が近づき不安でしたが、「晴れろ〜」という気持の勝利!!降水確率50%も関係ありませんでした(笑)

    日が昇りそこには大きな綺麗な海です!らっこの様に海に浮かびからだの力をほどき、海に身をまかせます。自然の力は絶大です、快適感覚をききわけ不思議とからだに力が流れてくる感覚です。
    波の音を聞きながら臨床ができたら最高でしょうね、次回試してみます。
    あ、でも日焼けのしすぎには注意が必要ですョ。
    今回残念だったのは台風の影響で海の中が濁っていた事ですかね、4mくらい潜っても魚たちに会うことはできませんでした。
    海は逃げないので楽しみは次にとっておきましょう。

    さてさて、8月ももう半ばです、と言う事はいよいよ『東京操体フォーラムin京都』ですね。京都という素晴らしい場所、しかも歴史ある京都大徳寺塔頭(たっちゅう)玉林院での開催です。

    玉林院は慶長3年(1598)後陽成天皇
    侍医・曲直瀬正琳(まなせしょうりん)が月岑(げっしん)宗印和尚を開祖と
    して創建し、琳の字を分割して玉林院と名付けられたそうです。本堂自体が
    重要文化財に指定されており、茶室や晩年の狩野探幽の襖絵などが有名です。
    東京操体フォーラムHPより

    も〜い〜くつ♪ ね〜る〜と〜♪・・・フォーラムです。
    最近僕の周りにも夏ばてで体調を崩してしまっている方が多いので普段より少し余計に気を配って行こうと思います。皆様も体調管理をしっかりと楽しい夏を過ごして下さい。

    西田尚史

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
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  • やはり海は最高1

    夏と言えば海!?
    というわけで、今年も海に行ってきました。毎年同じ場所で西伊豆へ。

    台風も近づいていたので少し心配でしたが、まあそこは気持で!!
    去年と同じ道ですが、僕は今年こそはと決めていた事があるのです、それは星空を写真に納めると言う事です。
    残念なことに僕の住んでいる場所では町の明かりが強すぎてそんなに多くの星を見ることはできないのです。

    そのポイントは山道の途中で真っ暗です。
    暫くすると星の明かりに目が慣れてくる、そして、『ジワ〜』っと、周りの景色が浮かんでくる、この瞬間も大好きです。目の瞳孔が命一杯開放されているのですね。カメラには絞りを表す数値があって人間の目はそれに換算するとF値約2.0なのだそうです。数値が低くなればなるほど多くの光を取り入れる事ができます。ふくろうは?・・・なるほどF値約1.1!猫に至ってはF値約0.9!!凄いですね・・・

    話が逸れてしまいました。
    空を見上げると分かっていながらも「こんなにあるのか・・・」と言葉がもれました。天の川もスバル星団も・・・感動しました。肉眼ほどではありませんが、写真を一枚。

    違う場所からは明け方だった為オリオン座も見ることができました。
    しばらく地面に横になり空を見ていました、「流れ星!」これだけ暗いといくつも見る事ができるのですね。

    感動すると言う事はそれだけで力をくれるものです、自然はそれをいつも教えてくれますね。

    今日もありがとうございました。

    西田尚史

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
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  • 継承するもの

    僕は昔からシルバージュエリーが好きで、先輩からもらったり、アルバイトをして買ったり・・・
    でも当時は、何かまだ違う、それぞれの物に愛着も感じるのだが、今ひとつ作り手の想いを感じる物に出会えなかった。
    人それぞれに物に対する感覚があるから一概に否定はしないですが、僕は作り手の思いのこもったと感じる事ができる物が好きです。

    そんな僕が何年か経って一つのインディアンジュエリーに出会った。
    いまでは色々なブランドから出ているし、20年以上も前から王道と言われる物もある。
    でも僕が欲しいのはそれらではなかった。本当に良い物は良いのだけど、人気が先を走り過ぎるという事もある。

    僕がであったそのシルバージュエリーは一から全て手作りで、一つ一つ微妙に事なる。
    機会でなく人の手での作業。一本一本のラインや形状に、作っている瞬間の想いが入るのだと思う、だからそれは世界に一つのものと言って良いと思う。金属でありながら柔らかさ、力強さ、繊細さ、優しさを感じる。

    僕はある日、そのジュエリーを作っている方のお弟子さんに出会った。
    その人は忙しいだろうに僕との時間を持ってくれていた、僕は失礼ながら、その方の作った物を実際に見るのは初めてだったが、
    僕が持っているものと同じ感覚を得た。そのお弟子さんは出会いも話してくれた。偶然と言っていたが、きっとそうではないのだろうな。
    惜しげもなく色々な事を話してくれ、更には作る工程も少し見せてくれた。全ては経験とそしてその技術に対する絶対的な自信なのですよね。
    感動しました・・・
    『こうやって作品に命を吹き込んでいくのだな』
    師匠と弟子の間には不思議な目に見えない不可視なやりとりがあるのだ、そしてそれを受け継いだものが同じ心を継承するんだ。

    意志を受け継ぎ継承し、また伝える。

    どの世界も一緒だ。

    しかしそれは中途半端な思い出はできない。

    その事を教わった出会いでした。
    僕も操体を楽しく、そして真剣に学び、そしていつか、濁りのないものを伝える、そんな臨床家になりたいものです。

    操体の創始者の橋本先生には出会ったことがなくても、ふと『会ったことがるのかも・・・』と思うのも師匠が
    しっかりと継承されているからなのでしょうね。
    言葉でなく、心に宿った想いがそのように思わせるのですね。

    西田尚史

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
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  • 人を感じると言うこと

    少し前に数年ぶりに友人にあった、その時の事を少し。
    その場で交わした言葉のほとんどは、考えて出てくる言葉ではなく、自然に出てくる想いの乗った言葉でした。
    だから疲れないし時間が経つのも早い。
    久しぶりなのに緊張がない、むしろ心地の良さを感じるのです。

    何かの縁でここまでの付き合いとなっているのだと思うのは、そう言う友人に限って、
    お互いが必要としているときが分かる様な気がするからです。

    ふと、頭に浮かんでくる。すると、連絡がくる。そんなことありませんか?

    人だけではなく自分の仕事もそうなのかもしれませんね。
    不思議なもので何かに引き寄せられる。不思議ですね。

    そして、臨床においても何か引きつけられる部位がある・・・
    するとそこには、からだからの信号がある事が多い気もします。

    人を感じると言う事は、必要不可欠な要素です。
    人と人が出会うとそこには新たな空間ができてそこからまた新たな時間が始まる。
    それがどんどん放射場に広がり、時には螺旋となる。まるで木の様であり、人間の血管のようですね(笑)

    とこんな感じに想いを広げるだけでも楽しいという考えも、何かを感じているからかもしれません。
    今日はこのへんで、お休みなさい。

    西田尚史

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
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  • 小人になってきました。

    お久しぶりです西田です。
    今週ブログ担当なのですが、中谷さんの投稿を見ていて
    「あれ、中谷さんということは、次は・・・」という感じに気がつきました。。。
    そんな感じではありますが、1週間宜しくお願いします。

    さて、今日は少し前に東京現代美術館へ「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」を見に行ったのですが、その時の事を少しお話させて頂きます。
    実は僕自身はまだこの映画は見ていなかったのですが、美術監督である種田陽平さんの名前をみて、実際に立体化されたセットが見られると言う事で行ってきました。
    種田陽平さんは、ご存じの通り数多くの映画の美術を担当されていますね、
    僕は「アマルフィ 女神の報酬」という映画の時に特集番組でこの方の細部へのこだわりが、やはり一流なのだなと感じました。
    その細部への気付きと妥協するかしないかと言う事が一流とそうでない人達との差なのかもしれませんね。美術館にも三谷幸喜監督の『THE 有頂天ホテル』やクエンティン・タランティーノ監督の『KILL BILL』の時の美術が展示されていて
    見る側からしてみればそこまで見ている人の方が少ないなという部分までのこだわりを感じました。
    これは臨床にも似ているのかもしれません。

    さて、実際に見て。
    小人からみた世界とは、どのように見えるのか?昔よく読んでいた、コロボックルの本を読んだときもよく想像していました、
    「鉛筆はバットくらいかな?」とか「チョコレートなんか食べきれないな」とか・・・ただ自分が寝転んで低い姿勢からみた世界とは違う世界、見える視点がどのように見えるのかが楽しみでした。実際によく計算されていて意図されとおりに自分が小人になっていました。
    瓶も鉛筆も灰皿も、そしてゴキブリちゃんも見事に再現されていました。
    僕が子どもの頃想像していた世界が目の前にありました、「実在の空間に迷い込み、アトモスフィアに浸ってもらいたい」と言っていた通り自分の想像ではなく実際自分が小さくなった世界に触れる事ができました。
    残念ながら写真撮影は禁止なので写真はありませんが興味のある方は足を運んでみて下さい、そしてその足で京都でのフォーラムへ!!!いよいよです!京都大徳寺も楽しみです。

    西田尚史

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
    2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。