カテゴリー: 畠山裕美(はたけやまひろみ)

  • 皮膚へのアプローチの歴史(5)

     

     

    そして実際に「渦状波®(かじょうは)」を受けて頂くと「気功ですか?」とか聞かれたりします。

    私は外気功もやりますので(操体とはミックスしませんが、外気功のスキルは非常に役に立っています)違いがわかるのですが、

    気功はエネルギーの移動があります。
    気功者がエネルギーを補填して(補填する鍛錬があるのです)それを被験者に送ったり、邪気を抜いたりします。

    渦状波にはそれがありません。
    皮膚へのアプローチ(接触)による、皮膚からのメッセージを受けとるだけなのです。

     
     

    f:id:tokyo_sotai:20170309135036j:plain

     
     

     2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
    テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

     

  • 皮膚へのアプローチの歴史(4)

    皮膚へのアプローチが何故生まれたかというと、第一分析、動きの操体では対応できない患者さんの存在があったからだと聞いています。

     

    動けない場合は手も足もでないという、まさに操体の盲点です。

     

    その時、三浦先生から「生体の歪みを正す」の一節に「運動系とは筋骨格・・・皮膚をも含めた」という一文を発見し、「皮膚も八方向に動く」ということに気づいたということでした。

     

    それで「皮膚も動かしてみよう」というアイディアが生まれたのだとか。

     

    最初は「面の渦状波(かじょうは)」といって、手掌を使っていましたが、そのうち、
    「点の渦状波」(指尖を用いる)がメインになりました。

     

    以前、操体を受けたことがないけれど、三浦先生の本を読んだことがあるという
    女性に「渦状波ってこれでしょ」と言って

    右手の人差し指と中指の2本で腕を「ぎゅ~」っと押されて「ええええええ???」驚いたことがあります。

     

    人差し指と中指は使いませんし、ぎゅ~っとは押しません。。。
    やはり本を読んだだけでは伝わらないものです。

     

     

    f:id:tokyo_sotai:20170309134701j:plain

    雪残る、葛岡霊園。正面の丸い石が、墓石です。

     

     

     2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
    テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

     

  • 皮膚へのアプローチの歴史(3)

    皮膚へのアプローチ、すなわち渦状波を受けて、どんな感じがするのでしょう。

     

    ある人は、全身の毛穴が開いたようになったとか、
    ある人は自分が宇宙空間に浮いているようだったとか、
    ある方は、私は実際横で見学させていただいていたのですが、エクスタシーというか
    法悦状態が1時間くらい続いたとか、色々あるようです。

     

    また、笑い出す人もいますし、涙が出てくるという人もいます。
    私の場合、印象に残っているのは、手が勝手に動き出したことです。

     

    私のクライアントでは、ブレイクダンス?のように激しく動く人もいました。

    スヤスヤ眠る人もいます。

    色を観る人もいます。

     

    そういうのを見たり聞いたりすると「からだ」の個性なんだな、と思います。

     

    そして「意識飛び」といって、一瞬深い眠りに入ることもあります。

    瞬時ではありますが、非常にきもちのいいものです。

     

     2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
    テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

     

    f:id:tokyo_sotai:20170309134159j:plain

     

  • 皮膚へのアプローチの歴史(2)

     

    私も最初は「操体は動かすものだ」という固定観念があったりして「??」という感じでした。

    が、その後、座骨神経痛(臀部の筋肉注射ミスらしい)で三浦先生に患者としてかかった(まだ弟子入り前)時、皮膚へのアプローチ、すなわち渦状波を受けたわけです。

     

    「良くなったのか変わったのかよくわからないが、治る」というのがその時の感覚です。

     

    例えば私の周囲には、皮膚を「ねじる」とか「ずらす」と言っている人たちがいました。

    文字通り皮膚を引っ張ったりねじったりズラしたりするのです。(その中には、以前皮膚へのアプローチをボロクソに言ってた人もいて、面白いと思いました)。。

     

     

    その場合、快不快とか、どっちがいいか?というのは簡単にわかります。
    刺激だからです。

     

    しかし、刺激にならない「接触」は、快だか不快だかなんだかよくからないのです。
    ここが、刺激と接触の違いです。

     

    三浦先生はこれを「予備感覚」と名づけました。

    そして、予備感覚が「快」に変わるのです。

     

    ★皮膚への刺激と、皮膚への接触では、神経伝達経路が違います。
    言わば、皮膚への刺激は「意識へのコンタクト」
    皮膚への接触は「無意識へのコンタクト」と言っていいのです。

     

    f:id:tokyo_sotai:20170309133729j:plain

     

    2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
    テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

     

  • 皮膚へのアプローチの歴史(1)

    こんにちは。
    畠山裕美です。一週間よろしくお願い致します。

     

    アプローチとメッセージ、というテーマで、

    「皮膚へのアプローチ」

    「皮膚からのメッセージ」

    という言葉を思い出した方も多いのではないでしょうか。

     

    皮膚からのメッセージ―操体臨床の要妙part 2

    皮膚からのメッセージ―操体臨床の要妙part 2

     

     

     

    皮膚へアプローチ(接触)し、そこからメッセージを受けとるということです。
    これは、そのまま「操体の臨床」に当てはまります。

    第三分析、いわゆる「皮膚への接触」は、面(手掌)の接触、点(指先での接触)の二つがあります。

    1999年「快からのメッセージ」が出版された時、つまり、皮膚へのアプローチという手法が、三浦寛先生によって発表された時は、多くの操体関係者が、驚愕したのではないでしょうか(全国操体バランス運動研究会東京大会の時です。三浦先生の基調講演では実技はなかったため、具体的なやり方などは紹介されませんでしたが、書籍においては、皮膚へ接触するという新しい分析法が発表されたことになります)。

     

    私も1999年当時(2002年に正式に三浦先生に弟子入り)は、いわゆる第一分析をバリバリにやっており、それなりに結果を出していた時期でした。

    まあ、殆どの方は「指2本で操体?ホンマかいな?」と思っていたのでははいでしょうか。

     

     

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

     

     2017年4月29日(土)2017年春季東京操体フォーラム開催。
    テーマは「操体新旧臨床譚~よみがえる橋本敬三&最新症例集」です

     

  • 七日目 間の話。

    ある人から電話が来るのですが、
    「もしかして透視でもされてるのではないか?」と思う位、タイミングが悪い時にかかってくるのです。

     

    間がちょっと悪い。

     

    例えば

    • トイレでペーパーホルダーに手を伸ばしている
    • ラーメンを食べている
    • ラッシュ時の地下鉄

    などなど

     

    結構「何故今だ?」という時に限ってかかってくるのです。

     

    後に分かったのですが、この人は、メンタル的にアップダウンが激しく、たまにものすごく落ち込んだり、逆にすごくポジティブになったりすることがあったのですが、聞いてみると、

     

    「電話しようかな、でもいまかけたら迷惑かな」と悩むそうで(別に悩む必要はないのですが、どこで悩んでしまうのだそうです)ひとしきり悩んだ挙げ句に私に電話をかけると、私にとっては「すごく間が悪い」時にかかってくる、という現象が起こります。

     

    それも一度や二度ではなく、しょっちゅうなのです。

     

    その後、ある人にこの話をしたところ、
    「それはね、考えすぎるからだよ。考えすぎてアクションを起こすと間が悪くなるんじゃない。ワタシもそれは経験したことがある」

    という答えを得ました。

     

    人間の意識というのは、深いところで(潜在意識)で繋がっているので、そういうこともあるんだろうな、と思いました。特に、精神的にアップダウンが激しい時というのは、潜在意識というか、そういうものにアクセスしやすいのかもしれません。
    巫女さんの憑依現象は一種のヒステリーという話もありますよね。

     

    「間の良し悪し」というのは本当に不思議なものです。

     

    一週間ありがとうございました。新年の最初の7日を清々しい気持ちで?書くことができました。

     

    明日からは、我らが師匠、三浦寛先生です。

     

    畠山裕美

     

    f:id:tokyo_sotai:20161221122848j:plain

  • 六日目 たわめの間

    東京操体フォーラム実行委員のブログですから、やはり「たわめの間」について書いておくことにしましょう。

     

    武術では「いつき」とか「いつく」という言葉を使います。

     

    例えば、相手にワザをかける、あるいは斬り込む場合「さあやるぞ」というのがバレてはいけません。

    そういう場合は、いきなりというか、突然、相手に悟られないように動作を発します。

     

    その「さあやるぞ感が丸見え」なのを「いつきがある」とか言います。
    これは一種の「迷い」でもあるかもしれません。

     

    「たわめる」で思い出すのは、猫の「たわめ」です。

    これは「たわめ」と言っていいのかどうかわかりませんが、猫をねこじゃらしや、おもちゃ、あるいは自分の指先などで注意をひくと、猫は戦闘態勢?に入り、からだを低くして注目します。目はまん丸になって、黒目がちになり、背中の皮が波打ち、集中しているのがわかります。

     

    そこで、もう少し注意をひくと、猫は瞬時にねこじゃらしや指に飛びかかってくるのですが、つくづく「たわめてるなぁ」と思います。

     

    また、遊んでいて猫の「たわめ」が長すぎ、こちらが飽きてしまうこともあります。

    武術で言えば「いつきすぎ」です。

     

    しかも、飛びかかってくる瞬間は、目が変わるので、バレバレなのです。

    f:id:tokyo_sotai:20161210071536j:plain

    じ~っと見てます。。

     

     

  • 五日目 「間」の端にあるもの

    自分に関係のある数字って、結構目に入ってきます。

    私は5月19日生まれなので19という文字は目に付きます。

     

    ちなみに、19というのは、1と9という、一桁の数字の最初と最後の数ということで、両の端とか、松岡正剛先生言うところの「デュアル・スタンダード」(敢えて「ダブル・スタンダード」ではない)のようなものを秘めているようです。

     

    日本の「デュアル・スタンダード」というのはどういうことでしょう。

    http://dentsu-ho.com/articles/2096

     

    例えば日本は、禅寺の庭園に象徴されるような、あるいは文字数を極限まで減らした俳句などのように「シンプルの極み」のようなものもあるけれど(これを弥生的というそうです。引き算)、祭りの山車や歌舞伎、お寺でも絢爛豪華で婆娑羅的で華美なもの(これを縄文的というそうです。足し算)。

     

    考えてみれば、どちらも「日本」です。確かに縄文と弥生と考えると面白いのですが、私達はこの「シンプルの極み」「華美の極み」の間を流れてきたわけです。

     

    この「デュアル」な感じが「間」の面白味なのかもしれません。

     

    f:id:tokyo_sotai:20161221121545j:plain

     

     

  • 四日目 間男

    四日目。

    三が日も明けましたので。

    いきなり「間男」と行きましょう。

    間男というのは、いわゆる結婚している女性と関係を持つ男性を指します。
    フランス語で「コキュ」というそうで、文学の一ジャンルにもなっているそうです。
    「寝取られ男」というヤツですね。

    落語とか小説とか、あらゆる文学のネタになっているといってもいいでしょう。

    あるジョークで、

    男Aが妻の浮気現場を押さえようとして、昼休みに家に帰ると、窓から服を着ながら走って逃げる男Bがいたので、箪笥(たんす)を投げたところ、見事に男B当たり、男Bは死んでしまいます。

    男Aは慌てていたので、窓から落ちて死んでしまいます。

    さて、天国の入り口で天使が男Aと男Bに話を聞いています。
    男A なんだか分かりませんが、窓から落ちて死んでしまいました。
    天使 はい、天国へどうぞ
    男B 昼寝をしていて起きたら昼休みが終わっていて、慌てて外を走っていたら、死んでしまいました
    天使 はい、天国へどうぞ

    そこに男Cが登場します
    天使 どうしたんですか?

    男C 箪笥に入っていたら、何故か死んでしまいました。

     

    はい「間男」のジョークでした。。。

     

    f:id:tokyo_sotai:20161221121209j:plain

    瑞鳳殿のお獅子。

  • 三日目 ドーナツとどらやき。

    お正月も三日となりました。

    たまにドーナツを食べます。
    最近コンビニでも売っていますが、やはり揚げてから時間がたつと、微妙に油臭くて美味しくない。
    やはり揚げたてが一番です。

    さて、マではないですが、なんでドーナツって穴があいてるんでしょう。

    一節によると、お母さんが揚げたドーナツの真ん中がまだ生だったので、息子が文句を言ったところ
    「それなら真ん中を食べるな」と、真ん中をくりぬいた説や、火の通りをよくするために穴を開けたという説があります。

     

    ドーナツの穴については、学術的に真面目に研究をしている人達もいるし、大阪大学(阪大)では、「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」という本まで出ています。

    ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義

    ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義

     

     

    こちらは穴ですが、どらやきは「皮の間にあんこを挟む」という「間」のお菓子です。

     

    日本人は「何かになぞらえる」のが結構好きですよね。

    どら焼きのどらとは、楽器の銅鑼(どら)からきています。
    銅鑼というと「丸くて大きくて分厚い」という感じがします。

    銅鑼のように丸くて分厚い皮と皮の間にあんこをはさんだものが、どらやきです。

    不思議なのは、皮だけでは何ですし、あんこだけでもなんだかなぁ、という感じがします。

    皮と皮の間にあんこがはさまっていて、どら焼きなのです。

    この「間」に挟む、というところがどら焼きなのです。

    ちなみに、上野と日本橋に「うさぎ屋」というどら焼き屋さんがあります。

    最近は「お取り寄せ」通販で、色々なお菓子を取り寄せることができますが、こちらは日もちがしないため、発送はしてくれません。

    食べたかったら買いに行くしかないのです。

    私はたまたま、日本橋に勤めていたため、うさぎ屋さんによくどら焼きを買いに行きました。
    買いに行くといっても、夕方になって売り切れたら店じまいなので、予約したりします。

    ここのどら焼きを最初に食べた時は、とても感動しました。
    いわゆる「普通のどら焼き」とは、あんこのみずみずしさが異なるのです。

    そして、なんとなくですが、どらやきの皮と皮の間のあんこにも、なにか素敵なものがはさまっている感じがするのです。

     

    チャンスがあったら、この素敵な「間」を味わってみてください。

     

    f:id:tokyo_sotai:20161221120910j:plain