カテゴリー: 瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

  • 〜操体ワールドへ!〜

    今日から1週間ブログを担当します瀧澤です。よろしくお願いします!

    いよいよ本日は春季東京操体フォーラムです!

    春季は実技メインの内容になっていますが、
    今回は触診やいくつかの下肢の動診など盛りだくさんになっております。
    そして操体の真髄でもある般若身経を通して操体の作法にも触れられる機会があります。
    参加される方々は頭だけではなくてからだを通して、
    是非感性で接してみてはいかがでしょう?

    私自身フォーラムに参加させていただくのは春秋合わせて今回で4回目。
    実行委員としての参加は3回目となります。

    初めて参加させていただいたときは一般参加でしたが、
    その時は2011年秋季操体フォーラムで「笑い」がテーマでした。
    臨床の世界以外の方々と接する機会の少なかった私ですが、
    このフォーラムで川崎先生の講義を聴かせていただき、
    異業種で活躍されている方のすごさ、面白さ、
    またこの「笑い」というテーマに即して操体があれよ、あれよと繋がっていくのを目の当たりにして、
    素敵な時間を皆で共有できたことがとても心地よかったと、私のからだは今でも覚えています。

    異業種といえば、ここ最近フォーラムに参加していただく方々も、
    必ずしも臨床の世界の方とも限らないようです。
    操体を学んでいる方々もそうですが色々なご縁で操体と関わり、
    「なんか面白そうだぞ」といつの間にか操体にのめりこんでいく。
    東京操体フォーラムの名の下に集う人たちは三浦先生いわく「選ばれて来た人たち」なのだそうです。
    あたかも自分の意志で目指しているようで、いつの間にか見えない何かによって引き寄せられている。
    「選ばれてきた人たち」は操体という磁石に反応する砂鉄のように、
    きっと最初から引き合う何かを持っているのでしょう。しかしその何かは人それぞれ。
    導かれし人たちはその何かを確認するために集うのかもしれません。
    今日のフォーラムでも何やら素敵なことが起こりそう。

    本日参加していただく皆様、素敵な一日となりますように。

    今日はこのへんで。ありがとうございます。

  • 〜長男坊の気持ち〜

    3日前、弟に第2子が誕生しました。
    2466グラムの男の子だそうです。
    第1子も男の子なので男兄弟に。

    私と弟も男2人兄弟なので瀧澤家は男系家族のようです。

    久しぶりに弟に電話をしてみました。なんだか照れくさい(笑)
    電話の向こうの弟はすっかりパパの声。
    弟だけど、父親としては私よりも先輩。
    兄弟げんかをしていたのが遠い昔のように感じられます。

    先に生まれた長男坊はこれから、
    「お兄ちゃんだから」
    って言われる機会が増えるんだろうな。

    そしたら私はこっそり
    「色々我慢することも出てくるけどね」
    「お兄ちゃんになるのも悪くないよ」
    「2人ならキャッチボールだって出来ちゃうし」
    「大人になったら一緒に飲みに行けちゃうんだから」
    なんてことを教えてあげようと思います(笑)

    長男坊の気持ちは長男坊が良くわかります。
    自分が経験してきたことですからね。

    自分が経験、体験したことは人に伝えることが出来ます。

    操体ではからだに歪みが出来ると
    感覚異常→機能異常→器質異常の順番で発生していくとしています。

    では何故からだに歪みが出来るかというと
    自己最小限責任生活である
    「息」、「食」、「動」、「想」の4つ営みが
    崩れてしまうからです。

    つまるところ
    からだがしんどいという状態を作り出すのは
    全部自分の責任という訳です。

    ということは
    自分の生活を振り返って
    4つの営みを正していけば
    からだは元の状態に(間に合っている状態)
    戻れるのです。

    でも、
    しんどさにとらわれている人に向かって
    「自己責任で今の状態になっているんですよ」
    「生活を見直しましょう」
    だと、ちょっと酷な気がします。
    本当にからだがしんどいときって
    あんまり人の話は耳に入ってきませんので。

    ですから操体では
    まず気持ちよさを味わっていただきます。
    からだが気持ちよさをききわけられたら、
    からだが気持ちよさを味わいたいと要求してきたら、
    思う存分味わっていただきます。

    「気持ちよさ」って
    ありがたいんですよ。

    頭の中でぐるぐると
    「イタイ、シンドイ」
    となってるときでも
    からだがちゃんと気持ちよさをききわけられると
    その気持ちよさがからだを治しつけてくれるんですから。
    こんなありがたい話はありません。

    でもここで気をつけることが。
    それは「気持ちよさ」はからだでききわけて、からだで
    味わうというのがミソなんです。

    「気持ちよさ」と一言でいっても
    「もうちょっと強く押してくれたら気持ちいいのになあ」とか
    「そこよりさっき揉んでもらったところが気持ちよかったな」とか
    「前回やってもらったほうが気持ちよかったなあ」というように
    頭で色々考えてしまうようだと
    操体でいう「気持ちよさ」からどんどん離れていってしまいます。

    それはからだでききわけているんじゃなくて
    ミソはミソでも脳ミソを使っているんです。

    脳ミソは頭が良いので色々比較してしまうんですね。
    比較して損得になってしまうから、からだは反応しなく
    なってしまいます。

    ちょっと脳ミソには休んでもらって、からだと向き合うと
    今まで味わったことのない気持ちよさをききわけられて
    思う存分味わえるかもしれません。

    なんでそんなことが言えるのかって?

    私のからだも
    ありがたく気持ちよさを味わった経験があるからですよ。

    自分が経験、体験したことは人に伝えることが出来ますからね。

    1週間ありがとうございます。

    明日からは辻実行委員のブログです。
    宜しくお願いします。

  • 〜言葉は発しないけれど〜

    全世界の人間が一日に消費する食糧は約10億トンだそうです!
    その大半が植物(野菜や穀類なんかですね)なんですね。
    それと少しの動物性食品。

    動物性食品とはいってもそれら動物は(牛や豚とかですね)
    植物を摂取して育っていますから結果的には私たちは
    ほぼ植物を食べているようなものです。

    そしてこの植物たち、
    私たちの食物になってくれているだけでなくもっと大切な
    役割を果たしてくれています。

    それは私たちが呼吸できるということ。

    私たちはこの地球上に酸素があるから生きていくことが出来ます。
    人間が酸素を取り入れてエネルギーに変える働きについては
    佐助さんのブログに詳しく書かれています。

    植物は光合成を行い、二酸化炭素と水を酸素と炭水化物にしてくれます。
    それを私たち人間を含めた動物がありがたく頂いているわけです。

    小中学校の理科で学習することなのですが、操体を学んでいると
    そんなところとも繋がっていけるんですよ。

    操体には他人にかわってもらうことが出来ない自己最小限責任生活
    というものがあることは昨日も書きましたが、
    その内容は「息」、「食」、「動」、「想」です。

    そのうち「息」と「食」はエネルギー入力であり、
    「動」、「想」はエネルギー出力にあたります。

    「息」とは呼吸をすることであり、「食」とは飲食をすることです。
    ということは植物の恩恵があってこそ私たちはエネルギー入力が可能となり、
    からだの中で出力エネルギーに変えて、
    からだを動かすこと「動」、思考すること「想」が可能になるのです。

    ですから自己最小限責任生活は植物によって支えられている
    という見方も出来るわけです。

    そのように考えると、普段は気にも留めない道端の草花が
    なんだかりりしく見えて気ますね(微笑)

    今日はこのへんで。
    ありがとうございます。

  • 〜カミナリウオを食す〜

    毎回、年末年始には実家のある秋田に帰省するのですが
    今回は妻のお腹に赤ちゃんがいるので、
    長距離の移動は控え横浜で過ごしました。
    (秋田へは新幹線こまちを使いますが在来線の線路を使ううえ、
    雪が降ると途中運行休止状態になり、この時期は4〜6時間
    かかることがあります)

    いつもは大晦日、正月といえば家族で秋田の郷土料理である
    きりたんぽやハタハタにあずかれるのですが、
    今回は食べられないだろうなあと思っていた矢先に、
    実家からハタハタが送られてきました。

    ハタハタは煮たり、焼いたり、お寿司にしたり、しょっつる鍋
    して食べるのが一般的ですが、実家では自分の家で麹につけたり、
    寿司づけにしたりして食べます。

    ハタハタは秋田では冬を代表する魚で、別名カミナリウオとも呼ばれます。
    雷が鳴る冬の時期に多く獲れるので雷の音「ハタハタ」が名前の由来に
    なっているそうですが、冬の貴重なタンパク源として昔からハタハタを使った
    保存食が発展してきました。

    私は小さい頃から食べていましたので、私の体の一部はハタハタによって
    作られているかもしれません。(感謝)

    今回もブリコ(ハタハタの卵で外の皮は弾力がありブチブチ弾けます。
    慣れないとゴムを食べているようだという人も)を噛み締める度に、
    食べ物を食すということはただ栄養を摂取するだけではなく、
    それに付随する記憶や思いといったものをからだに取り入れているのだなあと
    しみじみ思いました。

    ハタハタ料理は私にとっては家庭の味でもあり、郷土の味でもあります。
    秋田という雪深い、寒さの厳しい土地柄でどうすれば冬を過ごしていくことが
    出来るのかと先人たちが知恵をしぼってきました。
    そのひとつの形が郷土料理だと思います。

    スーパーやコンビニが出来て一年中食べたいものが手に入る世の中は
    それはそれでありがたいことなのですが。

    操体では「食」は人に代わってもらうことが出来ない自己最小限責任生活の
    うちの一つです。

    身土不二という言葉はやはり真理だと思う。食にも原則があり作法が成立つ。
    古い伝統をもった郷土食ということは新しいこの角度から再認識する
    必要があるのではないか。」
    と橋本先生の本の中にもあります。

    自分の生きている、または生きてきた地域の郷土料理について
    考えてみるのも「食」を捉えるうえで面白いかもしれません。

    今日はこのへんで。
    ありがとうございます。

  • 〜あと5ヶ月ちょっとだけど〜

    妻のおなかの赤ちゃんが12センチを超えてまいりました。
    5ヶ月目に入ったところなのですが、毎回エコーの画像を確認するたびに
    成長しているのが目に見えてわかります。

    ちょうど5ヶ月目といえば、脳も背骨も心臓もできてきて、頭でっかちの
    クレイ(宇宙人)みたいな形になってきますからだんだんと人間っぽく
    なってきた次第です。

    最近では胎動が始まり羊水の中でからだを動かしたり、足を伸ばしたりと
    赤ちゃんなりに動きを表現しているのだろうと思います。

    触覚は9週目ぐらいまでに、聴覚は5ヶ月目ぐらいで備わりだし、
    その他の感覚器官も順次発達していきますから
    快、不快をききわける原始感覚だって
    当然備わっていると思います。

    赤ちゃんは羊水の中で進化の過程をたどって誕生してくるとする
    説がありますから、原始感覚が感覚の中で一番最初に
    出来上がったって不思議じゃありません。

    むしろ「オギャア」と生まれて、この便利なのにストレスフルな社会で
    成長していくにつれて原始感覚は鈍感になってくると考えれば、
    お腹の中にいるほうが原始感覚が鋭いといっても
    過言ではないかもしれません。

    子宮回帰という願望さえあるようですから子宮の中で羊水に
    プカプカ浮いているのはさぞ気持ちいいだろうなあと
    想像してしまいます。

    羊水の中でプカプカ浮いて、気持ちよさをききわけながら表現している。

    赤ちゃんの胎動ってもしかしたらからだの要求に適う快をききわけた
    結果なのかもしれません。

    私は残念ながら(?)お腹に赤ちゃんを宿すことが出来ないので妻が
    「今動いているよ」
    という度に、出っ張ったお腹を見ながら
    そんなことを想像したりするのです。

    今日はこのへんで。
    ありがとうございます。

  • 〜他力か自力か〜

    先日、初めて明治神宮に行ってきました。

    妻が妊娠五ヶ月目に入り、本来であれば戌の日に
    水天宮にお参りに行くのが慣わしのようですが
    スケジュールの都合もあり、まだ行ったことのない
    明治神宮に行くことにしました。

    原宿や表参道あたりには買い物などでいくことはありましたが、
    こんな都会の真ん中にあんなに緑があって静かなところが
    あるなんて知りませんでした。

    年が明けてまだ間もないので参拝客の数は多く、
    にわかに活気付いていました。

    参拝の順番を待ちながら
    「ここにいる人たちのお願い事エネルギーを全部集めて数値化
    したらとんでもない数値になるんだろうな」
    とたわいもないことを考えていましたが、
    そういえば神社は神様にお願い事をしに行く場所ではなく、
    感謝と宣言をしにいく場所だと以前読んだ本に書いてありました。

    生きていくうえで自分の身に困難が降りかかってきたり、
    壁にぶつかったときに
    「神様、仏様、なんとかしてください」
    とお願いするか、
    「神様、仏様、困難を与えてくださってありがとうございます。
    私はこの状況を乗り切ります」
    と感謝、宣言するかでその後の人生が変わってきそうな感じがします。
    後者のようにするのは一筋縄ではいかなそうですが、
    せめて現状を受け入れることぐらいは出来るかもしれません。

    他力本願か自力本願か。

    これはなにも参拝に限ったことではありません。
    自分のからだに異常が起きたとき
    (正確にはそれは異常ではなく、なるべくしてなった正常なのですが)、
    「神様(お医者さん?)何とかしてください」
    と思うか、自分の生き方を振り返るか、
    でその後のからだの状態が変わってきそうな気がしませんか?

    からだを診させていただく臨床家サイドにおいても、
    他力的にからだを矯正していくのか、からだにききわけて、
    からだの要求に適うようなことをしていくのかで
    臨床結果が変わってくる気がしませんか?

    他力と自力、どっちが良くてどっちが悪いという話ではありませんが、
    もし外に目を向けて(他力)しんどくなっていたら、
    内に目を向けて(自力)みてはいかがでしょう?
    受け入れることで人生の流れが変わるかもしれません。

    今日はここまで。
    ありがとうございます。

  • 〜冬と友達に〜

    昨年末から今年にかけて今期も北海道や日本海側で
    降雪、積雪が続いているようです。
    地元の秋田でも毎日雪が降り続けており、時折吹雪になるそうです。

    上京してから10年程が経ち、雪との関わりが薄れていましたが、
    今月半ばの成人式の日には横浜でも久しぶりの大雪に遭遇しました。

    路面は見る見るうちに雪が積もり、坂道ではスリップする車が続出。
    私も仕事で車を使うのですが後半は車で走れない状況になりました。

    久しぶりの大雪を見て地元にいた頃を思い出しました。
    当時は冬となると雪とは切っても切れない生活を強いられていましたね。

    高校生の頃は冬でも自転車で通学していて、雪が積もろうが、路面が凍ろうが、
    吹雪になろうが、スノータイヤを装備した自転車で乗り切っていました。
    (おかげで雪道での自転車にはずいぶんなれました)

    その頃は雪に対して敵対心全開で、それに加えて当時はお腹が弱く、
    寒さが厳しくなる時期はピーピーになってしまい、
    授業中もしょっちゅう抜け出してトイレにいっていた記憶があります。

    その結果冬は大嫌い、ウインタースポーツも一切行わずという
    およそ秋田県人らしからぬ人間に成長したのです(笑)

    上京してからは雪や寒さとさよならできると期待していたのですが、
    関東のからっ風はそれはそれで寒い(汗)

    「ああ早く冬が終わればいいのに」
    「一年中常夏のところで過ごしたいな」
    と願う日々が続いていました。

    しかし、ここ1、2年ほどは、
    「そもそも冬が寒いのは当たり前。私が大声出して叫んでも
    お天道様がどうこうしてくれるものではないのだ」、
    「だったら、冬の醍醐味を愉しむ意識に切り替えたほうが賢い生き方
    なのではないか」
    と思えるようになったのです。

    学生時代にお腹がピーピーだったのも、冬を受け入れることが
    出来なかった私自身が原因で私のからだは正常に反応していただけ
    なのかも知れません。

    ここ最近は朝起きた時に目がシャキッとするような冷気や
    日中に日が射してきてほんのりとからだが温まってくる感じなど
    冬ならではを愉しんでいます。

    自然の摂理に反るのではなく、ありがたくのっかれば良い。
    これからは日本常夏化を願わなくても生きていけそうです。

    今日はこのへんで。
    ありがとうございます。

  • 〜私はおばあちゃんこ〜

    今日から1週間ブログを担当します瀧澤です。宜しくお願いします。

    いきなりですが今日は私の名前の由来のお話しをしていきたいと思います。

    私の名前は一寛(かずひろ)といいます。
    同じ「かずひろ」を名乗る方々に比べこの字を使っているのは珍しいようで
    同名の方にはお会いするものの、同字の方とはまだお会いしたことがありません。

    私の名前は両親ではなく父方の祖母につけてもらったのですが、
    祖父の「昭一」、父の「一徳」から「一」の字をもらって、それに響きが
    よいということで「寛」の字を使って「一寛」にしたのだそうです。

    子どもの頃は下の名前で呼ばれる友人をうらやましく思っていました。
    瀧澤という苗字のほうにインパクトがあるので親以外からは苗字で呼ばれることが
    多く、もう少し呼ばれやすい名前にしてくれれば良かったのに…そんな風に思って
    過ごしていた時期があります。(ばあちゃん、ごめんね)

    年齢を重ねるにしたがって祖母と話をしていくうちに
    「代々続いている名前の中から一字を取りたかった」、
    「寛という字は寛大の寛、心の広い人間になって欲しいという思いがあった」
    という祖母の思いを理解できてくるとこの名前をつけてくれたことに
    「ありがとう」という思いが込み上げてきます。

    三浦先生は橋本先生のもとで学ばれていたときに
    「先生のやっている臨床は何ていうのですか?」
    と問うたときに
    「『名前なんかどうでもいい。真理が真理の力で立てることが重要なのだ』
    とごしゃかれた」
    とおっしゃっていました。

    私の名前に関しても大事だったのは、呼ばれやすいとか、
    呼ばれにくいとかではなく、そこに込められた意味。
    これもその人にとっての真理となるのではないでしょうか。

    奇しくも三浦先生のお名前は「寛」であり、いま三浦先生のもとで
    操体を学ばせて頂いていることにご縁を感じます。
    こんな風に思えるのも私の名前をつけてくれた祖母がいればこそ。

    そんな祖母に私が臨床の道に入るときにかけてもらった言葉。
    「人様のからだを治してやるなんて思っちゃあ、いけねえよ。
    なんでもありがとうって思いなさいよ。」(イントネーションは秋田弁)

    生粋のおばあちゃんこである私には忘れられない言葉です。

    84歳になる今でも2階の屋根の雪下ろしをして家族をはらはらさせている
    祖母へ。

    この場を借りて、ありがとうございます。

  • 過去の学びに操体を加えて〜

    ときおり、症状を抱えているクライアントや知人に「何を食べたらいいですか」と聞かれることがあります。以前は中医学を学んでいたので薬膳の考えに沿ってアドバイスをしていました。
    食べ物には自然の属性があり、からだを温めたり、冷やしたり、気の流れをよくしたりなどの効能がそれぞれに備わっているのです。根底に中医学東洋医学)の陰陽論や五行論があり、人それぞれの体質に合わせて摂取すべき食べ物を選び、組み合わせていきます。
    例えばからだが冷えやすく、血行が悪くなりがちの方にはからだを温める作用のある生姜やネギ、にんにくを勧めたり、飲み物であれば烏龍茶や煎茶よりも紅茶を勧めたりします。自分の体質がわかれば、このような食養も大変素晴らしいと思います。

    東方栄養新書―体質別の食生活実践マニュアル

    東方栄養新書―体質別の食生活実践マニュアル

    ただ、最近私はこれに加えて次のことをアドバイスするようにしています。「からだが本当にそれを欲しているのか、からだにききわけてみてください」と。これは、ただ情報を鵜呑みにするのではなく、自分のからだと向き合って欲しいと思うからです。食べ物を摂取したとき、その食べ物の性質がわからなくても食べた後のからだの感じを注意して観察すると「からだがポカポカしてきた」、「汗がたくさん出てきた」、「トイレが近くなった」、「おなかが張る」などの反応が出てくることがわかると思います。このときからだはその反応を「心地よい」とききわけたり、「感じが悪い」とききわけることができます。そしたら素直に「心地よさ」にゆだねたらいいと思うのです。
    これは食べ物の種類だけではなく、食事の量や回数にもあてはまります。一般的な基準はあくまでも平均値ですから、当然すべてのからだに同じようには言えません。操体を学びだしてから「自分のからだと向き合うこと」を勧めています。
    操体という器に今までの学びを入れると、それがより生きてくるんですよね。一週間ありがとうございます。
    明日からの一週間は辻実行委員の担当です。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • 〜川の流れに身をまかせ〜

    先日、川下りをしました。といっても渓流下りとかではなく近所の川をのんびり河口まで下る程度のことです。友人と二人乗りのカヤック鶴見川という川を下ったのですが、1回目は途中の堰でカヤックに穴が開き沈没…目標の4分の1程の距離で終了しました(時間にして3時間)。日を改めての再挑戦では堰を越えたあたりから出発し、6時間をかけて無事河口までたどり着くことができました。
    決して水質の良い川とは言えないですが鯉などの魚や、鷺や鴨などの鳥も多く見られ、生態系はしっかりと残っており、ゆらゆらと川を下りながら身近に自然を感じることができました。
    そもそも何故川下りをしたかったかというと以前に野田知佑氏の本を読んだことがきっかけでした。
    野田氏は日本各地、世界各地の川を下っているカヌーイストです。なんとも豪放な方で川で生活することの醍醐味、自然の中で生きることの楽しさを本を通して伝えているのですが、わかりやすい文章もあいまってその世界観に引き込まれていきました。

    私の生活状況では丸々アウトドアな生活は難しいですが、たまに自然と触れ合う時間を作ると自分が自然の一部であることを実感したり、ものを買ったりするだけでは味わえない充足感が得られたりします。私たちはご飯を食べていくために仕事をして日々の生活を送らなければいけませんから「暮らしの営み」(衣、食、住)をしていく必要があります。しかしそれだけでは一面的な豊かさにしか繋がらない気がします。操体における「イノチの営み」(息、食、動、想プラス環境)における豊かさとのバランスを保つことが大事なのではないかと思います。そういった点においてはたまに自然の中に身をおいてみる、自然と触れ合ってみるというのは自分のイノチの営みを省みるよい機会なのではないかと思います。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定