カテゴリー: 瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

  • 〜心魅かれるスタイル、それは生き方7〜

    先日、職場で治療院の内装を頼まれました。
    といっても、大掛かりなものではなく、
    どんな風にコーディネートするかというレベルなんですが。

    集合住宅の一室でしたので、ベッド一床のみ。
    フローリングで洋間っぽいんですが、隣の部屋とは
    襖でつながってたり、クローゼットではなく押入れだったりと
    ところどころ、レトロな感じが…

    襖の替わりに、新に引き戸を買おうか、ロールカーテンにしようか
    などと考えていたんですが、襖自体は他の壁と一緒のクロスが
    貼られていたので、これを活かせないものかと閃いたのが、
    襖の木枠を取り替えるという案でした。
    (既存のは漆艶で黒っぽく見えるもので、浮いてしまってたんです)

    これは業者に頼まずとも独りでできるものかしらと
    調べると、これがけっこう自分でやってる方々がいらっしゃる!

    早速トンカン、トンカンと木枠を外して、柱の色と同系色の素材のもの
    に変更。他のインテリアも合わせて用意し、統一感のある空間になりました。

    今はDIY(自分で作ろう!)が人気なようですが、確かにやり方が
    分かれば、自分でもやってみようかなって気になりますね。
    中には家まで自分で作ってしまう方もいらっしゃいますが、そこまで
    いかずとも、「ここまでは自分でできるんだ」、「ここからはプロの仕事だな」
    と分かるだけでも愉しいんじゃないかと思います。

    からだのケアに関しても、「ここから先はプロに任せなきゃ」の手前で
    自分で調整できたらいいですよね。自分のからだと向き合いながら、
    「息」、「食」、「動」、「想」を通して、
    自分の体質や、生活パターン、嗜好や好き嫌い、そしてそれらの許容範囲
    を把握して、健康に生き、愉しむ。
    許容範囲を超してしまったら、素直にプロに手伝ってもらい、
    また自分を振り返る。ゼロにするより、そんな自分を受け入れる。

    ゴッドハンドで一瞬のうちに、痛みをとってしまうような臨床よりも、
    自分のからだと向き合うきっかけを作る臨生。こっちのスタイルのほうが
    かっこいい。

    カナヅチやノコギリで奮闘しながら、そんなことを感じていたのでした。

    一週間ありがとうございます。

    明日からは寺本さんです。よろしくお願いします!

  • 〜心魅かれるスタイル、それは生き方6〜

    高いブランドものに身を包まなくても
    おしゃれだな、と感じる人がいる。

    億万長者にならなくても
    豊かな生活をしているな、と感じる人がいる。

    声高に「俺はこうだ」と叫ばなくても
    自分の使命を全うしているな、と感じる人がいる。

    公私を区別して息抜きしなくても
    全部ひっくるめて愉しんでいるな、と感じる人がいる。

    そんな人たちを見ると、「何となくかっこいい」と感じてしまうのです。

    「かっこつけよう」と意識していなくても、自然とにじみでてくる
    「かっこよさ」。

    きっと、「自分自身」と「我」のバランスが取れているんだな。

    18歳の三浦理事長も、颯爽と自転車に乗る橋本先生を見て、
    そう感じたのかもしれない。

    明日に続きます。

  • 〜心魅かれるスタイル、それは生き方5〜

    今日は、お酒の話を少々。

    今年の初めに京都市を皮切りにいくつかの都市で
    「日本酒乾杯条例」なるものが制定され、ちょっとした話題に
    挙がりましたが、全国的には乾杯はビールで!という方のほうが、
    まだまだ一般的なようです。

    この条例の意図するところは、
    「日本酒の消費量低迷の改善」、
    「日本酒をきっかけに伝統産業や日本文化の見直しを促す」
    なんだそうですが、お酒の好き嫌いは別として、日本文化を
    嗜むきっかけになればという思いには賛同できますね。
    単に日本酒好きというだけなのかもしれませんが(笑)

    そんな日本酒にもいくつか種類がありますが、
    米と米麹と水のみで作られるものを「純米酒」と呼びます。
    この純米酒、市場には日本酒全体の一割程度しか出回っていません。
    原料がシンプルなだけに出来上がった後に味の調整ができず、
    とってもシビアな酒造りが必要なんです。
    (いいものを作るには時間も手間も技術もかかる。臨床も一緒…)

    地元の秋田にはこのシビアな酒造りを自分のスタイルとして貫く蔵元が
    います。さらに原材料の米と水は蔵の半径5キロ以内のものを使うという
    徹底ぶり。それゆえに米が不作だったりすると、酒造りにも影響が出て
    売上が落ちるなんてことも…

    しかし、蔵の強者はそれでも自分のスタイルは崩しません。それでいて
    生活は確保できている。この辺は橋本先生と通ずる部分がありますね。
    著書には、毎月の支払いを不安に感じる橋本先生に息子さんが
    「おやじ、それでいいんだよ。とにかく墜落しないんだから、地上最大の
    ショーじゃないか」とおっしゃったとあります。

    自分のやりたいスタイルを通しつつもちゃんとご飯も食べていける。
    綱渡り的なところもありますが、この絶妙なバランス感覚にも
    心が魅かれるのです。

    明日に続きます。

  • 〜心魅かれるスタイル、それは生き方4〜

    柔道といえば三浦理事長も柔道三段の猛者であります。
    しかし、そのたたずまいは武張ったところはなく、柔らかさの中に
    研ぎ澄まされた刃を静かに隠し持っている…そんな感じが致します。

    そんな三浦理事長と重なって見えてしまうのが
    三船十段の愛称で親しまれている三船久蔵先生(1883〜1965)です。

    三船先生は岩手県久慈市出身(じぇじぇじぇで有名なあの町です)の柔道家です。
    町中にはイメージキャラクターのあまりんちゃんに負けないくらい、三船十段
    関連のものが目につき、駅から車を約10分ほど走らせると三船十段記念館が
    ありまして、過去何度か訪れたことがあります。

    初めて三船先生を知ったのは小学生の頃。
    道徳の授業(今もあるのかしら)で教科書をパラパラめくっていたら
    三船先生の話が載っていました。
    うる覚えですが、題材は確か空気投げだったと思います。

    空気投げ(別名:隅落し)とは三船先生が開発された技で自らの体さばきと
    相手力を利用して投げてしまう技です。技の仕組みに関しては色々な方が
    解説されていますが、ネット動画を見ると(記念館でも閲覧できます)
    非常に軽やかで力みがなく相手のわずかな動きを道着を掴んでいる
    自身の手の皮膚感覚でキャッチしている、そんな印象を受けます。

    血の滲む様な稽古の積み重ねがあっての境地でしょうが、動の中に静があるような
    技の数々は、はて、どこかで見たような…

    そうなんです。三浦理事長が講習会などで、動診、操法の手本を
    示して下さるときのあの感じ…
    お二方とも動と静両方を兼ね備えたとってもまあるい、まあるい感じなんです。

    ちなみに三船先生は柔道という動的なものを研究するために、
    書道や将棋という静的なものも研究されたというバランス感覚の持ち主。
    三浦理事長は学生時代美術部だったと伺ったことがありましたが、
    このへんの感性が達人たらしめるのでしょうか…

    明日につづきます。

  • 〜心魅かれるスタイル、それは生き方3〜

    もう一人、このようなバランス感覚の持ち主を挙げるとするならば
    東天の獅子夢枕獏著)に登場する、嘉納治五郎先生です。

    東天の獅子〈第1巻〉天の巻・嘉納流柔術

    東天の獅子〈第1巻〉天の巻・嘉納流柔術

    ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
    嘉納先生は実在した人物で(1860〜1938)、明治期に柔道を創始されました。

    この小説の中では、いかに柔道を創始し、発展させていったかが
    その他の登場人物も含め、熱っぽく語られています。

    本格的に柔道を学んだことはないですが、武道、格闘技に
    いそしんでいた時期もありまして(あまちゃんでしたが)、この手の話しは大好物なのです。

    その中で嘉納先生のバランス感覚を良くあらわしている一節を挙げます。

    「知的好奇心−
     これは、嘉納治五郎という人間を読み解いてゆく時に、重要なキーワード
     となるだろう。もうひとつには、天性とも言うべきバランス感覚がある。
     あることに偏ろうとしないこと。(中略)和と洋。東と西。幼少時より、
     漢書を学びながら、それと並行して英語を学んでいる。精神と肉体。
     文と武。日本の最高学府の最新の教育を受けながら、日本古来の柔術
     学ぶ感性。」

    そして、その感性を持って、
    柔術の技術、奥義、これを“理”をもって読み解いてゆき、自らの肉体を
     実験台として、古流の技を体系だてていったものが、柔道の技となって
     いったのである。」

    うーん、このあたりが橋本先生と重なってきます。
    対になるものを調和させる能力、根底に流れる原理を発見する能力、
    そしてその原動力が知的好奇心(野次馬根性)…

    自発的パターンによる情報収集、インプットにとどめることなく、
    アウトプットまで持っていく。
    つまりリテラシーが相当高かったことは想像に難くないと思います。

    橋本先生は明治30年生まれ。その時嘉納先生は39歳。
    東洋の文化に西洋の文化が流れ込んできた明治という大転換期に
    このような偉人達を輩出した事実は興味深いですね。  

    明日につづきます。

  • 〜心魅かれるスタイル、それは生き方2〜

    人間切羽詰った状態になると、冷静さを欠いて
    どう行動したら良いか、わからなくなったりするものです。
    ましてや、今まで勉強してきたことが、臨床で通用しない…
    冷や汗かくわ、胃はキリキリするわと散々味わってきましたが、
    当時の橋本先生はどうだったのでしょうか。

    著書には「私のような医者に見切りをつけた患者たちの動きを眺めていると、
    相当に非医者たる民間治療師や漢方医に流れていることがわかって、
    私は貧弱な現代医療に何かプラスするものがあるかもしれないと触手を
    伸ばしてみ始めたんです。」と書かれています。

    悲観的な状況において、そこから光明を見出すような物事の捉え方。
    藁をも掴む思いだったでしょうが、世間の動きに着目し、即行動。
    しかも、えらぶることなく、非医者的立場の民間療法師から素直に
    教えを請う…

    現在においても、手技療法や民間療法に懐疑的な医師はけっこう
    いらっしゃるくらいですから、当時の橋本先生の一連の行動を
    支えた精神的バランス感覚には驚かされます。

    たらればを言ってもしょうがないですが、もしもこの時、
    民間療法に目を向けず、現代医学のみで奮闘されていたら
    操体は誕生していなかったかもしれません(汗)

    さらに、現代医療とは違う医療体系を持つ民間療法を研究され、そこから
    東西医学の架け橋ともなる運動系に着目され、症状が改善されるのは
    「運動系の歪みの是正である」という原理原則を発見されました。

    藁をも掴む思いで、自分を救うほどのものを掴めた時、
    強烈なインパクトで傾倒し過ぎてしまうこともありますが、
    橋本先生は医者という立場、現代医学的な捉え方を持ち合わせたまま
    うまく民間医療(東洋医学)を取り入れ、エッセンスを抽出し、操体に昇華されました。

    どちらかに固執することなく、上手くバランスをとりながら、新たなものを
    創造された姿は、あたかも左右の翼を大きくはばたかせて空を舞う
    鳥のようです。片方だけでは飛べませんからね。
    このあたりのバランス感覚がとても素敵だなと感じるんです。

    東と西や右と左などなど、とかく優劣をつけがちな世の中ですが
    このような精神は是非持ち合わせていたいものです。

    明日につづきます。

  • 〜心魅かれるスタイル、それは生き方1〜

    今週担当の瀧澤です。よろしくお願いします。

    さてさて、右脳と左脳ではないですが(関係あるかも)
    物事の捉え方というのにもバランスって必要なんじゃないかなあ
    と感じる今日この頃です。

    たまに極端に吹っ切れてしまって、我が道を行くなんて人もいて
    それはそれで魅力があったりもするんですが、
    それよりも、相反することや、対峙していることを
    うまく咀嚼して一つのものを生み出す人に心魅かれます。

    その代表格として三浦理事長の師匠である橋本敬三先生が真っ先に挙がります。

    明治に生まれ、大正を経て医師となり、その後は臨床医として活躍されますが
    当初は来院された方の症状に対して全くのお手上げ状態。
    著書にも「基礎医学もほんの初歩からいきなり民間臨床に飛び込んだのだから、
    ほんとに無茶な話しです。」と書かれています。

    からだの設計にミスはない―操体の原理

    からだの設計にミスはない―操体の原理

    しかし、橋本先生は持ち前のずるい野次馬根性で東洋医学を代表とする
    民間医療に目を向け、操体の礎を築いて下さることになるのですが、
    このあたりのくだりは、もう何度も紹介されているので割愛します。

    ここで、橋本先生に心魅かれるのは
    ・世間の動向を把握されていた(患者さんの動向)
    ・東西医学を融合させて新たな持論を展開されている

    という点なんですが…

    明日につづきます。

  • 〜続けるためには(7)〜

     ブログも今日で最終日ですが、
    一週間つらつらと「どうやったら一つのことを続けられるんだろうか」と書いてきました。
    ・あきらめない行動力
    ・まわりのご縁
    ・正師につく
    ・同志の存在
    ・初期衝動を思い出す
    ・自分の感覚を大事にする
    ・自分の意志を越えた何か

    私の経験を踏まえたうえで大事だと思うことを書いてみましたが、思いは人それぞれ。
    人の数だけやり方はありますし、考え方がありますがいかがでしたでしょうか?

    ■高校の頃に読んだスポーツ雑誌の記事。 
     芽が出なかったバスケを引退し、個人の力で勝負できる格闘技の世界に興味を持ち出していた頃。
    友人に勧められた雑誌は有名格闘選手が表紙の某スポーツ雑誌。
    急いで購入し、ページを開きましたが、私の目を引いたのは格闘技特集ではなく
    とあるマラソン選手のインタビュー記事。

    犬伏孝行元マラソン選手。1999年ベルリンマラソンで、日本人初の2時間6分台をマークし、
    当時の日本最高記録を保持していた選手。

    「努力は必ずしも報われるとは限らない。けれど努力しなければ何も始まらない」

    確か、そんな内容の言葉。

     一つのことを続けた先に「それを生業にしたい」という思いがあるなら、
    それなりの覚悟が必要ですが、必ずしもみんながみんな、成就できるわけではないと思います。
    その道が駄目で、進むべき道を変えざるを得ない事だってたくさんあると思います。
    私も紆余曲折して最後にたどり着いたのが臨床家という職業。
    結局これもご縁なんですよね。
    だからこそこのご縁を大切にしたいんです。

     何するうえでも、始めの一歩さえ踏み出せたら、覚悟ができたら、その道で成就しなくても
    「これだ!」と思える道にまた巡り会える。やってきたことがつながってくる。
    そんなふうに思える今日この頃。

     今日はこのへんで。
    一週間お付き合い、ありがとうございます。

     明日からは辻さんのブログです。よろしくお願い致します。 

     

     
     

  • 〜続けるためには(6)

     「鉄は熱いうちに打て」
    ということわざがあります。
     「鉄は熱してやわらかいうちには、打っていろいろな形にできることからいう。
    人間も、純粋な心を失わず、若く柔軟性のあるうちに心身を鍛えることが大事である。
    また、物事をなすときにも、熱意が盛り上がっているうちに実行することが大事であるということ。」
    という意味があります。(故事ことわざ辞典より)
    熱意があるうちに取り組んだほうが良いという意味があることは知っていましたが、
    若いうちに取り組んだほうが良いという意味もあったんですね。
    それこそ、若いうちに「これは!」と思えるものに出会えるということは
    ありがたいことなんですね。

     昨日はモチベーションを越えたところになにやら秘密がありそうだと書きましたが、
    やはり初期においてはこのモチベーションというものは必要になってくると思います。
    ロックなどでいうところの初期衝動とは「自分の原点、沸きあがってくる想い、感覚」。
    この初期の新鮮な気持ちをいかに維持していくか、そこから習慣化していけるか。
    習慣化といっても惰性になってしまっては元も子もないのですが。

    ■只今の感覚を大事にする
     惰性にならないためには、今それに取り組んでいる自分はどんな感覚なんだろうと、
    常に確認してみることが大事です。
    例えば、続けているうちに「できるようになった」というときの嬉しい感覚。
    「うまくできない」ときの悔しい感覚。
    その感覚を自覚し、じゃあ、そこからどうするかと思案してみる。
    何かを始め、何かを続けるということは自分と向き合い続けることだと思います。

    キング・カズ
     先日、「なぜ、キング・カズは走り続けられるのか?」といった記事が
    ネットに載っていました。

     キングといえばカズダンス。よく真似したもんです(笑)
    バスケが本道でしたが、キャプテン翼で育ってきましたから、サッカーもよく
    観てました。1993年にJリーグが開幕し、Jリーグチップスを買いあさり、選手カードを
    集め、ビックリマンシールさながらにみんなで見せ合っていました。
    そこら中から「オ〜レ〜、オレオレオレ♪」と流れてきて、休み時間はみんなでサッカーに
    興じ…おっと、話しを元に戻します。

     カズ選手が46歳という年齢で何故、現役を続けられているかというと
    自分の身体を客観視できる「内観力」なるものを持っているから。
    「内観力」とはコーチに言われるがままにトレーニングをするのではなく、
    自分の身体と向き合い、自分の感覚を大事にしながら、
    「こうすれば、もっと上手くなるんじゃないか」と自ら工夫する力だそうです。
    現役を続けていく中で素直に自分の向上を信じ、厳しいトレーニングを淡々とこなす。
    この「プロ意識」の高さがカズ選手をキングたらしめている由縁かもしれません。

     「感覚する」ということは操体の専売特許。頭で考えずに素直にからだで
    ききわけてみる。感覚しないということは自分に対して、イノチに対して無関心で
    あるとも言えるわけです。 
    経験上、自分のやっていることに対して無関心になってくると続かないんですよね…
    「これは!」と思うものに巡り会えたら
    ・初期衝動を時々、思い返してみる。
    ・取り組んでいるときは自分の感覚と向き合ってみる。

     鉄がさめないうちに

     
     今日はこのへんで。
    お付き合い、ありがとうございます。 

  • 〜続けるためには(5)

     今日は「終戦の日」です。
    この時期は、追悼行事が開催されたり、戦争を題材にしたドラマ、映画などが
    放映され、実際に戦争体験をしたことがない世代にも「他人事ではない」
    という心境にさせられます。
    また、戦争を体験された方々の「生の声」を直接うかがうことができれば
    いっそうその想いが強まってくるのですが、
    最近では戦争体験者の方々が高齢になってきているということで、直接お話しを
    うかがう機会が減ってきているそうなんです。

     私の祖父母も父方の祖母を除けばみな他界してしまいました。
    私は父方の祖母によくなついていましたから、今でも時々会話を愉しみます。
    つい先日も電話で盛り上がり、小一時間ほど話していましたが、
    話題は終戦当時にまでさかのぼりました。私の祖母は終戦を迎えた時、秋田におり、
    女学校を卒業したくらいだったといいます(確か16、7歳くらい)。

     終戦間際の8月14日から15日にかけ秋田の土崎港をターゲットにした「土崎空襲」がありました。
    秋田には油田があり土崎港の周辺に製油所があったために狙われたそうです。
    当時、祖母の住まいは土崎から6km範囲のところのあり、空襲警報が出たときには、
    マンホールの下で家族と過ごしていました。爆弾は直撃はしませんでしたが、
    「おっがねがったぁ」と身が縮む思いだったそうです。
    しかも、その時は雨が降っており、マンホールの下にいたために、布団などが川に流されたとのこと。
    笑って話してくれましたが、当時は生きるか、死ぬかの瀬戸際だったかと思うと
    自然と「生きててくれて本当にありがとう」という気持ちになりました。

     実際に体験された方々の「生の声」を聞くということは体験していない世代に
    「二度と戦争を繰り返してはいけない」と警鐘を鳴らす働きが大いにあるのではないでしょうか。

    ■受け継ぐということ
     
     私は直接橋本先生にお会いしたことはありません。
    しかし、愛弟子である三浦先生から当時の貴重なお話を伺えることがあります。
    三浦先生は講習や操体マンダラを通して、橋本先生が成してきたこと、弟子に託したことを話してくださいます。
    実際にお会いしたことがなくても、三浦先生を通じ、橋本先生のメッセージを受け取ることができます。

     メッセージを受け取ることは学びを続けるうえで、とても大事なことだと思います。

     何かを続けるうえで、モチベーションが大事であるとよく耳にします。大抵は
    「これができるようになりたい」、「これを身につけて私はこうなりたい」といった願望であったり、
    「身につける喜びや楽しみ」といった「学習そのもの」がモチベーションになったりします。
    しかし、学び続けているうちに別の面白さが顔を出してくることがあります。
    それは「学んでいるもののメッセージにきづく」ということです。

     自分の意志を越えた何かが「学び続けること」を自分に課す。
    モチベーションという言葉よりも摂理という言葉のほうがしっくりくるような…

     それがわかるまで続けていく必要がありそうですね。 
    はい、あまちゃんの私が噛み砕けるようになるのはまだまだ先になりそうです。

     今日はこのへんで。
    お付き合い、ありがとうございます。